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【 脅かされている日本の報道の自由( Op-Ed※ )】《後篇》

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所要時間 約 7分

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ニュース報道や個々のリポーターの発言内容まで、細部にわたる管理を行う放送会社の経営陣
何を話題として取り上げるべきか、触れてはならない問題とは何か、そしてインタビューを行う際の留意点とは?そこまで指図した自民党の『要請文書』
かつてない強力な圧力の下で、日本のメディアが『政権の監視役』としての機能を果たすことは可能なのか?

 

古賀茂明 / ニューヨークタイムズ 5月20日

 

古賀氏 2
日本の報道体制のさらなる問題は、日本の大手メディアの場合、経営管理部門と編集部門が明確に分けられていないという点にあります。

大手メディア会社の会長や社長はしばしば、ニュース報道やリポーターひとりひとりの発言内容に至るまで、細部にわたって管理しようとしています。
そうした経営者の中で、権力による干渉に敢えて抵抗しようとする人間はごくわずかでしかありません。
その理由は日本特有の雇用体系にあります。
歴史的に見て日本を代表する程のメディア企業に籍を置くという事は、退職するまでの間高い社会的地位と高額の給料が保障されることを意味するからです。

多くのジャーナリストが自分たちの会社の経営層が日本政府の意に従うつもりであることを認識し、かつ自分のキャリアを守りたいと考えており、政府に批判的な報道を行う事をためらっています。 会社への忠誠心と今の生活を守りたいという気持ちに、独立したジャーナリストとしての専門性の高い倫理感は勝つことが出来ないのです。

古賀氏 1
こうしたシステムは、日本においては特に新しいものではありません。
第二次世界大戦以前はもちろん報道に加えて、いちいちの言論についても政府が厳しい目を光らせていました。
戦後大日本帝国の体制が崩壊し、日本を占領していた連合軍によってメディアを管理するための独立した機関が設立されましたが、日本の保守陣営は1952年これを廃止してしまいました。
このように報道機関に対する政府・政権の干渉は少なくないのですが、しかし最近になって現政権が行なっているメディアへの圧力のかけ方というものは、これまでなかったほど強力、そして広範囲なものです。

安倍政権の下、主要なメディア各社の経営陣のトップは、首相や政府高官ともに豪華な食事を楽しむため、あるいはゴルフに出かけていきます。
そして彼らメディアの経営者たちは、こうした事実が市民に伝わることについて臆するところがありません。

特定秘密 2
昨年行われた総選挙の直前の11月、自民党は国内の主要なテレビ局に対し、その報道が「一方的なものにならない」ことを確実とするよう念を押すための、『要請文書』を送りつけました。
その中には選挙報道の際、何を話題として取り上げるべきか、触れてはならない問題とは何か、そしてインタビューを行う際の内容にまで指示が行なわれていたのです。

そして自民党は放送局の中の1社に対しては、その番組のひとつで、世論調査において多くの人々が表明していたように、安倍政権の経済政策がいわゆる富裕層にのみ恩恵を与えているという指摘を行ったことに対し抗議を行っていました。

こうした状況の下で、日本のメディアが『政権の監視役』としての機能を実現することは果たして可能でしょうか?

ジャーナリストに対する安倍政権の扱いは、国民を完全に政権の意に従わせる権力国家のやり方そのものです。
自由主義国家、民主主義国家であるはずの日本は今、その実態を失いつつあります

※古賀茂明氏は1980年から2011年まで経済産業省の官僚を務めた、ライター、ニースコメンテーターです。
※ Op-Ed : 社説が新聞社の見解を代表するのに対し、この論説では社外を含む多様な委員により署名入りで持論が展開される。( アルク http://www.alc.co.jp/ )


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【 写真集 : 第二次世界大戦(太平洋戦争)】《4》

アメリカCNNニュース 5月8日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

マルマンディ上陸

1944年6月6日Dデイ、フランス、ノルマンディ地方のオマハビーチに上陸しようとしているアメリカ軍兵士。この日連合軍はユタ、オマハ、ジュノー、ゴールド、スウォード海岸に上陸作戦を敢行し、ヨーロッパ本土における決戦の幕を切って落としました。
この側線には5,000の艦船、11,000の航空機、150,000人の兵士が参加しました。
作戦はカーン攻略も含め8月いっぱいを擁し、連合軍兵士だけで35,000人が死亡しました。(写真上)

1944年8月26日、パリ解放。コンコルド広場を行進するシャルル・ド・ゴール将軍と群集。(写真下・以下同じ)
パリ解放1944年12月20日、ドイツ軍最後の大反攻『バルジの戦い』が始まった後、ベルギーのクリンケルター付近を行軍するアメリカ軍歩兵部隊。
欧州本土戦闘
1945年2月23日、硫黄島のすり鉢山の頂上に星条旗を立てるアメリカ海兵隊の兵士。
この戦いはアメリカ海兵隊史上、最も惨烈な戦いとなり、27,000人の死傷者を出しました。
一方島を防衛していた18,000人の日本兵のうち、生き残ることが出来たのはたった216人でした。
硫黄島
アメリカ第9軍がライン川を渡河した後の1945年3月26日、ドイツ、フォアーデ (ニーダーライン)、フリードリッヒスフェルトの街中を行くドイツ兵捕虜。
ドイツ兵捕虜
1945年2月、戦後処理について連合国側の代表が話し合ったヤルタ会談似て、左から英国首相ウィンストン・チャーチル、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト、ソ連首ヨシフ・スターリン。
ヤルタ会談
http://edition.cnn.com/2015/05/08/opinions/ben-ghiat-end-of-world-war-ii/index.html

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