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【 未だに120,000人もの人々が、生活を根こそぎ破壊されたままにされているフクシマ 】《前編》

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所要時間 約 7分

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仲良く暮らしていた家族がバラバラに引き裂かれ、高齢の人々が孤独な暮らしを強いられる
希望や喜びがほとんどない、そして故郷に戻れる見通しもほとんどないたった一人の生活
精神の不調、肉体の深刻な症状、無気力と無関心。ゲンパツ被災者を襲う数々の苦難

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2014年9月10日

9月10日GRD
福島第一原発の事故が発生して3年6ヶ月、未だに120,000人以上の人々が大切な家族から引きはがされ、原発被災地となった故郷に戻る事無く、その周辺で仮住まいを続けています。

日本における原子力監査機関は、9月10日水曜日に九州電力川内原発の再稼働についてゴーサインを出しましたが、安全性に対する周辺市町村の懸念が解消された訳ではありません。

日本の原子力発電所は福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンを起こして以降、すべて停止したままでした。

福島県にある仮設住宅の住人の1人、菅野いい子さんは現在の日々について、読書をしたり野菜を育てたり、そして孫に会える日までの日数を数えたり、それくらいしかする事が無いと語りました。
かつての隣人たちと同様、菅野さんの家族もまた福島第一原発のメルトダウンによって家族をされてしまったのです。
それは2011年3月の出来ごとでした。

「福島第一原発の事故が起きてひと月もしないうちに、私たち村民に避難命令が出されました。」
菅野さんは絵のように美しい故郷の飯舘村にあった自宅、そして今は捨てられてしまった自宅について語りました。
彼女の自宅は福島第一原発の北西約40キロの場所にありました。
「野菜農場に私たち家族が注いできた努力も何もかも、すべてが水の泡になってしまいました。そして飯舘村はもはや安全な場所ではなくなってしまったと宣告されたのです。」

岡原10
それまで飯舘村の6,000人の住民のうちの大部分は村に留まったままでした。
飯舘村は日本政府が設定した福島第一原発の周囲20キロの指定避難区域の遥か外側にあり、自分たちの村は安全だと思い込んでいました。

放射線の専門家が人間が生活するのに安全だとされる数値以上の高い放射線量が確認されるホットスポットの存在をいくつも確認するまでの数週間、自治体は数週間避難を命じることはありませんでした。

約150人の村民は福島市の郊外にある仮設住宅に収容されるまで、サクランボ、桃とリンゴの木に囲まれた窮屈な木製ロッジに仮住まいしていました。
事故から3年6ヶ月、汚染されてしまった飯舘村には除染作業員を除けば人の姿はありません。
しかし大切な農場をあきらめきれない人々の姿もかいま見られます。

希望や喜びがほとんどない、そして故郷に戻れる見通しもほとんどないたった一人の生活を強いられている菅野さんですが、原子力発電所事故が作り出だしたこうした状況に置かれているのは、彼女だけではありません。
福島の約120,000に昇る人々が同じような状況に置かれているのです。

今年福島県が行った調査では、家庭を持つ人の半数が家族が離散してしまっている事が明らかになりました。
そしてそのうち70%の人々が精神的、あるいは肉体的障害に苦しんでいる事も解ったのです。

NBC22
かつてはひとつ屋根の下で暮らしていた家族が2カ所以上の場所にわかれて暮らさざるをえなくなっている人の割合は調査対象となった家庭の48.9%に上りました。
さらに全体の58.6%は、かつて同じ村落で暮らしていた親類同志が3カ所以上の仮設住宅などに散らばって暮らしていると語りました。

そして全体の約半数がかつては楽しんでいた趣味や活動などに対する関心を失い、睡眠障害を抱えている事も明らかになったのです。

菅野さんのようにつらい境遇に置かれている例は、かつて福島県の農漁村部で大家族で暮らしていた人々に特に顕著に見られます。
マグニチュード9.0の地震により発生した巨大津波によって19,000名が命を落とし、チェルノブイリ以来最悪の原子力発電所事故が発生した東日本大震災。菅野さんの夫と母親はその1年前に亡くなっていました。

菅野さんの息子で43歳になるふとしさんは奥さんと子供さんを連れ、東京近郊の埼玉に移住しました。
「飯舘村にいた当時は、3世代の家族がひとつ屋根の下で暮らす事が当たり前でした。」

「はじめ息子は福島市で仕事を見つけました。でも息子も嫁も、子供たちを放射線量の高い場所で育てたくはなかったのです。」
「息子夫婦は福島に連れてきたがらないので、私が孫に会えるのは正月、あるいは何か特別の事があるときだけです。」
菅野さんは他に娘夫婦に3人の孫がいますが、かつては飯舘村近くのまで暮らしていた彼らは現在、新潟県で暮らしています。
娘の夫は単身福島県内で教師を続けており、毎週末ごとに新潟県の自宅に戻る生活を続けています。

〈後編に続く〉
 
http://www.theguardian.com/world/2014/sep/10/fukushima-nuclear-disaster-japan-three-years-families-uprooted
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国というものが国民一人一人の人生の集合体だとすれば、1回の『産業事故』により12万人もの方々の人生が3年6カ月が過ぎても尚破壊されたままだという事を、私たちはどう考えれば良いのでしょうか?
このことに国として判断をしないまま、事故の張本人である原子力発電の方の復活のみを許すというのは、どういう事なのでしょうか?

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【 13年が過ぎても癒えない傷跡 - 9.11同時多発テロ 】

アメリカNBCニュース 9月11日
(掲載されている写真は、クリックすれば大きな画像をご覧いただけます)

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ニューヨーク、世界貿易センタービル、南タワー・メモリアル。(写真上)

ニューヨーク、世界貿易センタービル、北タワー・メモリアル。(写真下・以下同じ)
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世界貿易センタービル、犠牲者墓碑銘。
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世界貿易センタービル、犠牲者墓碑銘。
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93便の墜落地点に置かれた、礎石代わりの岩石
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ワシントン、ペンタゴン・メモリアル。
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ニューヨーク市消防局第10号消防車の10名の消防士のレリーフの前に立つ消防士。9.11の消防士の犠牲者は343名に上った。
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