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【 なぜ彼らは戦争を欲するのか?! 】《3》[GRD]

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所要時間 約 7分

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たとえ国民を危険にさらすことになっても、大国は国家を強大にする道を選ぶ
ソ連側が兵員と兵器を自発的に縮小させ繰り返し軍縮を提案したにもかかわらず、一方的に軍備増強を続けたアメリカ
国民の生命・財産を守るという本来の防衛目的が、政治の場では二の次にされてしまう

 

ノーム・チョムスキー / ガーディアン 2014年8月6日

fallout
1952年のドイツを再統一し非武装中立国とするスターリンの提案を前向きに評価したのは、当時尊敬されていたアメリカの政治解説者ジェームズ・ウォーバーグでしたが、他は無視するかあるいは嘲笑しただけでした。

しかし最新の研究はスターリンの提案について、異なる解釈を行うようになっています。
がちがちの反共産主義であるソビエト学者アダム・ウラムは、スターリンの提案について「答えの無いミステリー」と表現しました。

アメリカ政府は「ソビエト連邦が主導権を握ることをきっぱりと拒絶することに、ためらいを見せませんでした。」
しかし彼はこう書きます。
「ただしそこには、尽くせぬ疑問と驚きが残ったままだった。」
政治的にも、学問の上でも、いやそもそも普通に考えて『根本的な疑問』が未解明のまま残されることになったのです。
ウラムはさらにこうつけ加えました。
「スターリンはドイツで本当の民主主義を実現させるために、誕生したてのドイツ民主主義共和国(旧東ドイツ、DDR)を犠牲にするつもりはあったのでしょうか?」

冷戦ベルリン大空輸
ソビエト連邦の事歴についての最新の研究結果について、最も尊敬される冷戦学者のひとりであるメルビン・レフラーは、多くの学者が(ラブレンチ)ベリヤに関する最新の資料に驚くことになったと語りました。
ベリヤこそはソビエト連邦の秘密警察の、残忍この上ない長官だった人物です。
このベリヤが『東西間の緊張状態の解消』のため、『東ドイツの共産主義者を犠牲にすることを承知で』ドイツを再統一の上中立国とすることを提案したのです。
これによりベリアは、併せてソビエト連邦国内においても政治的、経済的問題を解決できるとしたのです。
しかし西ドイツは北大西洋条約機構(NATO)の加盟国になることを選択し、このチャンスは失われてしまいました。

こうした状況から、もしもこの協定が成立すれば地平線の彼方から大陸間弾道弾が現れてアメリカ国民を殺戮するという重大な脅威を取り払うことも不可能ではありませんでした。
しかし現実にはこの協定はほとんど真剣には検討されませんでした。

この現実は、こうした場では国民の生命・財産を守るという本来の防衛目的が、政治の場では二の次にされてしまうという衝撃的事実を証明するものです。

冷戦ミサイル2
軍縮のチャンスが生まれても政治的につぶされてしまうというパターンは、その後も繰り返されました。

彼は経済的後進性を克服し、ドイツ軍との戦場となり荒廃してしまった国土を回復に専念するためには、アメリカとの軍拡競争を何としても避ける必要がありました。
フルシチョフは米ソ両国が大胆に攻撃用兵器を削減するという軍縮を提案しました。

提案を受けたケネディ政権は、この提案を検討し、そして拒否しました。

そしてすでにソ連に対し軍事力において圧倒的に優勢であったにも関わらず、さらに急ピッチの軍事力増強へと舵を切ったのです。

当時ケネディ政権の戦略顧問チームのリーダーを務め、諜報機関とも密接なつながりを持っていたケネス・ワルツはのちにこう書いています。
「従来行ってきた軍事力の改良開発に加え、これまで世界が見たことの無い程巨大な規模の戦略軍の編成に着手したのです。」
「フルシチョフが通常の軍事力の縮小に直ちに着手し、最小限の抑止力の保持に姿勢を転換しようとしていたにもかかわらず、そして我々はアメリカ側が軍事的に圧倒的に優位な立場にいるという認識があったにもかかわらず、かつてない規模の軍備拡大へと乗り出してしまったのです。」

冷戦ソ連軍
またしても国民や国土を危険にさらしてでも、国家を強力にするという選択が行なわれてしまったのでした。

アメリカの情報機関はソ連側が航空兵器並びに兵員を実際に削減したことを確認していました。

そして1963年、フルシチョフは再びアメリカ側に軍縮の提案を行いました。
彼は実際に東ドイツに駐留していたソ連軍を撤退させ、アメリカ政府に対し同等の措置をとるよう求めました。

これもまた、アメリカ政府の拒絶に遭いました。

元アメリカ国防総省の高官であり、ケネディ政権における安全保障問題のさう高責任者であったウィリアム・カウフマンは、フルシチョフの提案に対し米国政府が対応を誤ったことについて、
「たった一つ私が後悔していること」
と表現しました。

度重なる提案の拒絶に遭ったフルシチョフ、すなわちソビエト連邦が、アメリカの強大な軍事力に対抗しようとして取った措置こそは、1962年10月にキューバに核ミサイルを配置することでした。
この措置にはケネディ政権が行なったフィデル・カストロのキューバをターゲットにした、テロ攻撃と上陸侵攻作戦を組み合わせたプランに対する、予防的意味合いもありました。

キューバ危機
アメリカ側はこの計画を極秘裏に進めていましたが、ソビエト連邦とキューバ側は事前に察知していた可能性があります。
こうしてキューバ危機は発生したのです。

-《4》へ続く -

http://www.theguardian.com/commentisfree/2014/aug/06/hiroshima-day-nuclear-weapons-cold-war-usa-bomb
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こうして「その時実際に起きていたこと」を確認すると、当時の西側報道とのニュアンスの違いに気づかされます。
その『私たちが知らされた事実と本当に起きていたことの違い』は次回において決定的になります。
長い掲載になりますが、お付き合いください。

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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