ホーム » エッセイ » 【 『強制的』帰還に直面する福島の被災者たち – 打ち切られる財政援助 】《前篇》
第一原発の事故により人生を壊された人々に、今度は日本政府から冷酷な仕打ち
安全な環境で生活するという当然の人間としての権利が、原発難民に限って侵害されることになる
ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2017年3月10日
2011年の巨大災害から避難した数千人が、財政的な困難に陥るか、安全であるとは思えない場所に戻って生活するか、いずれかを選択しなければなりません
6年前福島第一原子力発電所で発生した3基の原子炉がメルトダウンした事故の被害を免れるため避難しなければならなかった数千の人々が、間もなく財政的支援を失うことになっています。
これらいわゆる原発難民となった人々の何割かは、かつての故郷がいまだに放射能に汚染されているという懸念が続いているにもかかわらず、帰還を考慮せざるを得ない状況に追い込まれています。
こうした日本政府のやり方に対し、様々な立場で福島第一原発事故の問題に取り組んでいる人々は、安全な環境で生活するという避難民の人々の人権が侵害されるものだとして批判を強めています。
日本史上最悪の原子力発電所事故が福島で発生し、避難命令が出された地区以外で暮らしていた住民の内、今回の措置により約27,000人が影響を受けることになります。
2011年3月11日に襲った巨大地震と巨大津波は東北地方太平洋沿岸地区で約19,000人の命を奪った上、重要な設備である原子炉冷却システムを破壊し、福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンするという事故が発生しました。
『自主』避難者として松本のりこさんは日本政府から支給されてきた助成金を3月末で打ち切られる人々の中の一人です。
避難民の人々は不可能に近い2者択一を迫られています。
すなわち未だ安全ではないと考えている避難指示のあった自宅に戻るか、でなければ原発難民として他の土地で暮らさなければならない中、財政的困難に直面させられるか、そのどちらかを。
「私の知り合いの多くの避難している人々が、同じ境遇に置かれています。」
グリーンピース・ジャパンが公表した『不平等な打撃』と題されたレポートは、福島第一原発の周辺他地区から避難した160,000万人の女性と子供たちの人権が侵害されていると報告していますが、その中で松本さんがこう語っていました。
2017年2月現在、未だ80,000人が避難生活を続けています。
「私の知り合いの多くの避難している人々が、同じ境遇に置かれています。」
グリーンピース・ジャパンが公表した『不平等な打撃』と題されたレポートは、福島第一原発の周辺他地区から避難した160,000万人の女性と子供たちの人権が侵害されていると報告していますが、その中で松本さんがこう語っていました。
2017年2月現在、未だ80,000人が避難生活を続けています。
松本さんが次のように語りました。
「もし避難解除地区に帰れば、人々は高い放射線量と戦わなければならなくなるでしょう。でも日本政府は住宅への財政援助をとりあげることで、帰らざるを得ない状況を作りだそうとしているのです。これはもう犯罪に等しい行為だと言わなければなりません。」
福島第一原発が事故を起こしたとき、周辺の住民にはその場所から直ちに避難するように命令が発せられましたが、松本さんはその西方約70キロの場所にある郡山市で夫と2人の娘と一緒に暮らしていました。
松本さんは当初そのままの生活を続けていましたが、3か月後、当時12歳だった下の娘が鼻血を出し、胃痛を訴え、下痢するようになりました。
松本さんは夫を残したまま、240キロほど南の神奈川県まで娘たちを連れて行きました。
「日本政府は、放射線被曝の影響を軽く見せようとしています…。その上で今後郡山のような場所に戻らない人々は住宅援助を打ち切られ、自活するよう求められることになります。この人々は国内難民にされてしまうのです。私たちは自分たちの政府からまるで捨てられたように感じています。」
3基の原子炉がメルトダウンする事態に直面させられ、自らの意思で自宅から避難した人々の多くは母親、そして比較的低い線量であっても長期間被ばくすることによって健康面で深刻な被害が発生する恐れがあると専門家が指摘する子どもたちでした。
しかし自発的に避難した人々の多くが家族離散という憂き目に遭い、新たに住むことを決めた場所の家賃や生活費を稼ぐために苦労し、中には捨ててきた自宅の住宅ローンすら抱え込んでいる人もいました。
弁護士で東京に拠点を置くNGO『ヒューマン・ライツ・ナウ』の事務局長を務める伊藤和子さんがこう語りました。
「日本政府には避難者の人権を保護する義務がありますが、現在の政府はその義務を認めようとはしません。その代わり、福島第一原子力発電所の事故が健康面に与える影響、特に長期の放射線被曝と関連した危険性を軽視し続けているのです。」
〈後篇に続く〉
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福島ほどの惨禍に見舞われたわけではありませんが、東日本大震災の被災地で暮らす私も3.11発生からの1カ月のことは鮮明に覚えています。
奥羽山脈が太平洋に向かって進むその東端の丘の上にある私の自宅からは、10キロほど離れた仙台港を垣間見ることが出来ます。
3.11発生から
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【 メトロポリタン美術館375,000点の収蔵作品をデジタル化、無料提供 】《13》
ニューヨーク・メトロポリタン美術館
ニューヨークのメトロポリタン美術館はそのコレクションをデジタル化し、無料で375,000点に上る画像データを公開しました。
いずれも公有財産として、無料で制約なしで利用することが出来ます。
ジョルジュ・スーラ(フランス: 1859–1891)作[グランド・ジャット島の日曜日の午後の『習作』](写真上)油彩、1884。
[グランド・ジャット島の日曜日の午後]1886年完成の本体はシカゴ美術館が所蔵・展示されています。(写真下)
この作品に描かれているグランド・ジャット島は、パリ西部のセーヌ川に浮かぶ中州で、19世紀後半にはまだパリ市街から遠く離れた田園の島であり、クロード・モネ、ゴッホ、アルフレッド・シスレーなどの印象派・新印象派・ポスト印象派の画家らの絵にも登場する。
この作品はスーラの代表作であるとともに、点描を用いた作品の代表作です。
スーラはこの絵の制作に2年をかけ、習作を多数描いたり、何度も描き直したりして公園の風景に慎重に焦点をあてていったと言われています。
彼は公園に通っては風景や人物を観察し、それらが完璧な形になるようにデッサンや油彩によるスケッチを数多く残しました。彼は特に色、光、形に意識を集中させ、縦2メートル、横3メートルの画面を構成していきました。
http://www.metmuseum.org/art/collection/search/438822