ホーム » エッセイ » 『ゴースト・オブ・ツナミ : 3.11の被災地の生と死』R.L.パリー著《後篇》
責任を曖昧にしたまま事なかれ主義に終始する日本の役人根性を鋭く告発したドキュメンタリー
上からの指示がないと何も決めようとしない大人たちが、たくさんの子供たちを死に追いやった
エコノミスト 2017年8月17日
この著作のクライマックスを形作ることになる大川小学校についてまず確認しなければならないのは、最初に襲った巨大な地震そのものによって死亡、あるいは負傷したこどもたちや教師は一人もいなかったという事実です。
そして後に明らかになったのは、津波警報に対する優柔不断な対応が致命的結果に結びついたという事でした。
この日の午後、大川小学校の橋田校長は執務中ではありませんでした。
そして同校長は震災後も約1週間に及び所在不明の状態が続き、その間生存者、そして遺体の捜索、両親の精神的苦痛に対する対応などに一切関わることが無かったという事実が、その後何もかもが誤った方向に向かってしまったことを象徴することになったのです。
大川小学校の石坂教頭を含めた数名の教師が子どもたちを避難させないという決定を下しました。
そして子供たちを救うべく学校に駆け付けた両親たちに、子どもたちの安全は確保されていると告げ、近くに駐車していたスクールバス – もしそれを使っていれば全員の命を救うことができたはず- の存在も無視しました。
その代り教頭と子供たちの安全に責任を持っていた他の大人たちは、緊急マニュアルの「学校近くの空き地、公園など」の意味について検討しました。
しかし近くにはこれらの言葉に一致する場所は無いと判断し、結局何もしなかったのです。
津波に襲われた瞬間、子どもたちは慌てて目の前の丘に駆け上がろうとしましたがもう手遅れでした。
「日本列島が存在するようになって以来、繰りかえし日本人の命が津波に奪われてきました。」
ロイド・パリーはこう語ります。
2011年に発生した災害によって他とは異なる現実が生み出されました。
数年後、大川小学校の生存者と義医者の遺族が、日本の学校当局の対応に対し訴訟を起こしました。
大川小学校の事件は今や有名になりました。
74人の子供たちが死亡した際、一緒にいた多くの教師も溺死しました。
大切な子どもたちが犠牲になり悲惨な境遇に落とされた家族の多くが、その死は完全に避けることができたはずであり、それをしなかった学校側の対応は事実上犯罪に等しいものだと確信するようになったのです。
5年後、仙台地方裁判所は亡くなった子供たちの家族の「法的に決定的な勝利」を認め、学校側に「明白な責任の所在」があるとする遺族側の主張を認めました。
こうして訴訟に加わった原告は、失われた子供1人につきそれぞれ約6,000万円の賠償金を受け取ることになったのです。
責任を曖昧にしたまま事なかれ主義に終始する日本の役人根性をロイド・パリー氏が克明に描写するは、今回が初めてではありません。
2011年に刊行された前作「闇に巣食う人々」の中で、パリー氏は殺害された英国人の若い女性、ルーシー・ブラックマン殺人事件を扱いました。
大川小学校、ルーシー・ブラックマン殺人事件、そのいずれにおいても日本の当局者は、不正行為について責任を問われると厚顔無恥とも言うべき責任の否定を行い、彼らにとって迷惑な質問がいずれ消えてなくなることを期待し、証拠の存在を無視し、時にはそれを隠滅するという行為を行ってきました。
しかしパリー氏はこうした役人たちが逃げおおせることを許しませんでした。
津波の後に実際に起きたことを、第三者が理解しやすいようにパノラマ的に配置した上で詳細な記述を行うことによって、これまでの報道などでは、実に多くの場合表に出て来にくかった理不尽な死に対する嘆きや悲しみに光をあてることに成功しました。
これはすべての社会に対する教訓です。
何か不都合な事実が明らかになると、まずは調査を妨害し事実を隠ぺいするという反応が採られることが多いのだということを警告しています。
パリー氏の著作を熟読した後は、今年はもう別のノンフィクション作品を読む必要はなくなるかもしれません。
〈 完 〉