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「アフガニスタンの大切な家族」殺害された日本人医師を称える壁画を制作

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所要時間 約 8分

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30年以上に及ぶ中村博士の人道的活動は多くの人々に愛され、そして尊敬されてきた

16,000ヘクタールの農地を蘇らせた『アフガニスタンの大切な家族』

                

                      

シェリーナ・カジ、モーシン・カーン・モマンド / アルジャジーラ 2019年12月12日

               

アフガニスタン人の芸術家たちが12月11日火曜日、ジャララバード市と首都カブールに集まり、中村博士の壁画を製作しました。

               

アフガニスタンの活動家と芸術家は、先週アフガニスタン東部で武装集団に殺された日本人医師の人道的活動に敬意を表して壁画を制作しました。

           

73歳の中村哲博士は、12月4日にジャララバードで5人のアフガニスタン人とともに正体不明の銃撃犯に射殺され、南西アジアにあるこの国全体から嘆きと悲しみに満ちた思いが溢れ出しました。

                

アシュラフ・ガーニ大統領が「アフガニスタンの最も親しい友人の一人」と呼んだ日本人医師の壁画を描くため、それぞれ数十人のアフガニスタン人がナンガルハール州のジャララバード市と首都カブールに集まりました。

                 

                    

「この場所の土地には、愛の種だけを植えることになるでしょう。愛を超えるものは何もありません。」
壁画の脇にはパシュトゥ語でこう書かれていました。
中央官庁や海外の出先機関が集まるビルディングなどをぐるりと取り囲む壁は『アートロード(ArtLords)』という名の芸術家集団によってたくさんの壁画が描かれています。

                  

「中村博士はアフガニスタンを変えようとし、アフガニスタンの社会で最も弱い立場の人々を支えようとし、そして殺されたのです。」
地元の「活動家」でありアートロード・イニシアチブの共同創設者でもあるオメイド・シャリフィ氏はアルジャジーラの取材にこう答えました。
「私たちアフガニスタンの人々に対する中村博士の素晴らしい仕事を忘れないようにするため、『アートロード』のチームが中村博士を題材にした2点の壁画を制作しました。1つはジャララバード市内に、もう1つはカブール市内です。」

                  

▽『アンクル・ムラド』

                 

中村博士はアフガニスタンでは『アンクル・ムラド』のニックネームで広く知られていました。
30年以上に及ぶ彼の人道的活動は、多くの人々に愛され、そして尊敬されていました。

               

「中村博士の死は私たちにとって大きな損失です。私たちは彼のことをアフガニスタンの誠実で特別な家族としていつまでも忘れません。」
とナンガハールのカマ地区の住民で教師のアジュマル氏がアルジャジーラの取材にこう答えました。

                  

アートロードは芸術活動を通じ、南アジア諸国における女性の権利擁護、腐敗の撲滅、公衆衛生の充実、紛争解決を訴えています。

               

アフガニスタンの首都カブールで壁画を製作する アートロードのメンバー

                

昨年7月ISIL(ISIS)グループは、アートロードの活動家ラワイル・シン氏を含むアフガニスタンの少数民族シーク教徒を、少なくとも13人殺害しました。
今回アートロードはシン氏の娘と一緒に、シンを追憶するための壁画も描きました。
「あなたたちは決して天国には行けない、あなたたちは私の父を殺したのだから。」
壁画にはこう書かれていました。
「彼がいなくて寂しい…」

                

アートロード・イニシアチブの共同創設者であるシャリフィ氏は、一般市民から政府関係者まで、中村博士の志を受け継いでいくことを誓ったと述べました。
「私たちは積極的にボランティア活動を行い、アフガニスタンにより良い変化をもたらすため懸命に働くことを誓います。」

                  

日本で生まれ、医師としての経験を積んだ後、中村博士は1984年にペシャワール市が医師を募集していたのに応じてパキスタンに渡りました。
そしてその場所で1979年のソビエト連邦のアフガニスタン侵攻を逃れたアフガニスタン難民の治療を行うようになりました。

                      

1990年代初頭、日本人医師である中村博士はペシャワールとアフガニスタンのナンガルハール州で診療所を運営し、医療サービスが存在しない村で診療を行いました。

                    

中村博士の棺を運ぶアフガニスタンの人々

                   

2000年にアフガニスタン全土が壊滅的な干ばつに襲われた後、彼は井戸の掘削を開始しました。
そして灌漑用水路の張り巡らせ、6年間でナンガハール州のクズクナール、カマ、ケワの各地区で約16,000ヘクタール(40,000エーカー)の農地を蘇らせたのです。

                   

中村博士は2003年、その人道的活動に対してアジア諸国でノーベル賞に相当する名誉あるラモン・マグサイサイ賞を受賞しました。
さらに今年10月にはアフガニスタンの名誉市民権を授与されました。

                   

「平和とアフガニスタンの共通の敵が彼を殺害しました。私たちは中村さんを失ってしまった喪失感に苦しんでいます。」
カマ地区で教師をしているアジュマル氏がこう嘆きを口にしました。

                 

https://www.aljazeera.com/news/2019/12/afghanistan-murals-honour-slain-japanese-doctor-191211054020940.html

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壁画の中の中村博士が日の丸を背景にしているのを見て、改めて日本の国旗について考えることになり、中村博士のような方が世界で日本の国際的信用を築いてきたのだな、と痛感させられました。

                   

しかし日本の現実において、私たちはその正反対の存在と戦わなければなりません。

                 

本当は自分とその取り巻きの利害しか眼中にないくせに、国民が望んでもいない憲法の改定を「俺が実現してみせる」とうそぶく人物を、1日も早く日の丸の前から除かなければならない、改めてそう思いました。

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