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日本の商業捕鯨再開には実質的に何の経済的利益もない

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鯨類の多くが絶滅の危機にある中、日本政府の決定には嫌悪感が募る - そして経済的にも正当性できないはず
日本が「調査捕鯨」によって入手したクジラ肉の多くが、今やペットフードの原料にされている

     

社説 / オブザーバー(英国) 2018年12月30日

     

捕鯨という行為は何千年にも渡り人類の手により続けられてきました。
彼らの肉、油、脂身は食料品、ろうそくのワックスの製造、そしてランプの燃料として使われてきました。
しかしこの種の採集作業は今日ではもう必要ありません。
現代社会はタンパク源も、照明に使う燃料等も、もっと手に入れ易いものによって調達されているからです。
1986年に国際捕鯨委員会(IWC)が商業捕鯨を一時停止する決定を行ったのにはこうした背景がありました。

      

すでに多くの鯨類が絶滅の危機に瀕していることを考えると、商業捕鯨の停止は遅きに失した感がありました。
30年経った現在においてもシロナガスクジラ、ザトウクジラ、タイセイヨウセミクジラ等、多くの鯨類が絶滅の危機に瀕している状態から抜け出すことができずに危機的状況が続いています。
もし30年前に商業捕鯨の停止が行われていなければ、今頃はこの地球を代表する生物のひとつである鯨類の多くが海洋中から消滅してしまっていたでしょう。
そして私たちが現在暮らしている地球というものの環境は、非常に惨めな状態に陥っていたでしょう。

      

こうした懸念が背景にあることを考えると、7月に商業捕鯨を再開するため2019年6月をもって国際捕鯨委員会(IWC)を脱退すること決定したという日本政府の発表を理解することは尚一層困難になります。
どんな基準から考えても、日本政府の決定は気が滅入るものであり - そして憂慮すべきものです。

      

日本政府の決定には経済的な正当性は全くありません。
同じく生態学的な正当性も全く持ちません。

      

食べるために地球上で最も知的な生物を虐殺する、その準備を始めたことはおぞましいと言わざるをえません。

      

当然のことながら地球上でともに生きている各国の政府、科学者、野生生物保護グループは、日本が提示した行動に対し強い嫌悪感を明らかにしました。

      

「地球上に生息するクジラ種が人間が行う海上輸送、騒音、プラスチックゴミ、化学物質による汚染、そして気候変動など様々な要因が重なり合うことによって前例のない脅威にさらされているタイミング」を狙ったように日本政府が商業捕鯨の再開を宣言したことについて、自然保護団体であるWWF(世界自然保護基金)が行うべき批判を行ったのに対し、英国、オーストラリア、ニュージーランドは日本の政治指導者に対し再考を勧告しました。

      

そして日本の政治指導者たちの動機を検証すると、尚一層平静ではいられなくなります。
過去日本はIWCルールブックの抜け穴を悪用し、政府自身がクジラの肉を国内販売してきました。

      

そして日本の政治指導者たちの動機を検証すると、尚一層平静ではいられなくなります。
過去日本はIWCルールブックの抜け穴を悪用し、政府自身がクジラの肉を国内販売してきました。
これにより国際海域、特に南大西洋での「調査捕鯨」が許可されることになりました。
その結果、何百頭ものクジラが鯨類研究の名のもとに毎年南大西洋で捕獲されてきました。
これらの「調査」捕鯨によって手に入れたクジラ肉はその後、小売店やレストランに行き着きました。

      

しかしこうしたやり方で南大西洋で行われてきた実質的な捕鯨は、他の国々や野生生物保護団体など多方面から多くの批判を招くことになりました。
その結果、日本の捕鯨従事者たちは環境保護活動団体などによって運営されている船によって嫌がらせを受けています。
こうした妨害や監視から逃れるためインドの国土の大きさにほぼ匹敵する1.7メートル平方マイルに及ぶ日本自身の海域で捕鯨をすることによって、日本は誰からも邪魔されずにこれまで以上の規模で捕鯨ができるよう望んでいるのです。

      

しかし日本の狙い通り物事が進むかどうかは先行き不透明です。
現在の日本の消費者がクジラの肉に消費意欲を持っているのかどうかすら不明です。
1960年代には全国でほぼ25万トンのクジラ肉が販売されていましたが、その数字は約3,000トンにまで落ち込みました。
そして現実には日本が「調査捕鯨」によって入手したクジラ肉の多くが、今やペットフードの原料にされているのです。

      

さらに日本の消費者がクジラ肉の購入にどれほどの金額を出費するつもりがあるか、それもわかりません。
遠洋「調査捕鯨」には日本政府の助成金が交付されていました。
自国の海域内での商業捕鯨に切り替わった場合、政府からの補助金が引き続き支給されるかどうかはまだわかっていません。
しかし補助金が交付されなければ、クジラ肉の流通価格は一層高価になり、この点についてはすでに専門のレストラン経営者が価格の急激な上昇に対する懸念を表明する事態になっています。

      

このように日本には実質的に何の利益ももたらされることはないのに、これから日本はその褒められない行動に対し世界から厳しい非難と批判にさらされることになります。
こうした行為は自分自身の足に銛を打ち込むようなものです。

      

しかしそれは自分自身が招いた結果であり、世界中のほとんどの国々が当然の成り行きだと考える容易に想像がつく事態なのです。

https://www.theguardian.com/commentisfree/2018/dec/30/observer-view-japan-resume-commercial-whaling

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日本国内で『日本はすごい!』『日本人は優秀!』といった類の番組が繰り返し放映され、何となく国民全体がそんな気分に浸っている間、世界が日本を見る目が実際にはどう変わってきているのかを如実に伝える論評です。

原文中には repugnant、admonish、depressing、など報道関係ではあまり使われることのない嫌悪感が滲み出しているような単語が使われています。

オブザーバーという新聞は英国でもハイエンドに使い存在で、その社説にこのような単語が使われるというのは余程のことだと個人的に感じています。

     

私自身の商業捕鯨に対する考え方はことごとしく述べる程のものはありません。

       

しかし数年前に実際に食べてみて、昭和40年代に食べていた時に感じたような旨味は感じられず、豊かになった日本にはもっと他に食べて美味しく、手に入れやすいものはたくさんあると思いました。

      

        

クジラを食するということは『文化』なのでしょうか?

それとも習俗なのでしょうか?

国際社会というものの存在がなければ、日本は『世界第3位の経済力』を持つことはできないということを考えれば、もっと客観的に自分たちの姿を見つめ直す必要があると感じます。

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