ホーム » エッセイ » 政治不在で新たな生命の危険にさらされている被災地の人々
数日前、「この国で暮らす事がツラクなって来ました。」と申し上げました。
しかし、津波の被害を受けた被災地には辛いどころか、新たな「生命の危険」が迫っているというのです。
オーストリア 1974年発行
「あいつじゃダメだ。あいつをやめされば俺たちも協力してやる。」
要するにこういう事を最大野党は言っているのだと思います。
でも被災地のど真ん中で新聞を読み、テレビを見ても、現地に足繁く可能な限り通いつめ、復興のためのプランを考え続けている国会議員さんの話などはまるで伝わって来ません。
結局「協力する」というその内容というのは、自分たち国会議員が現地を徹底的に調査して復興計画を練り上げる、という事ではないようです。
官僚にプランを作らせ、それが国会に提出されたときに「賛成」と手を挙げてやろう、というそれだけの事ではないのでしょうか?
日本の国会議員さんというのは今のところ、単に「アタマ数」というだけの意味であるようです。
外国への「視察旅行」ならたっぷり一週間かけて行ってくる議員さんたち。
その中で現地に地盤がある人を除き、被災地の一番被害のひどいところに一週間程もカン詰になって、毎日被災者に話を聞き、被災地の惨状を肌で感じようとした議員はいるのでしょうか?
折しも今夜、地方テレビ局の報道番組で京都からボランティアに来て、被災地の石巻市で自転車店を開業する事になった青年の話を紹介していました。
京都の自転車店で働いていた青年は、被災地で自転車修理の需要が逼迫している事を伝え聞き、石巻市を訪れました。
そして今日まで、ひたすら自転車の修理のボランティアを続けてきたのです。
その姿に感動した石巻市民に望まれて、こんど石巻市で自転車店を開業する事になったというのです。店は震災をきっかけに廃業する事にした店舗経営者が提供する事になりました。
たくさんの石巻市民がひたむきな青年の姿の中に、人々のために尽くしたいという「真情」を感じ取ったに違いありません。
この青年の半分でも、被災地で「存在感」を示した議員のセンセイをご存知の方はいらっしゃいますか?