大震災から2週間、忘れもしない金曜日の午後でした。当時若林区の海岸線から内陸に6kmほどのところにいた私は、建物の中で地震に遭遇しました。
私は大きなフロアの真ん中にいましたが、建物が大きく揺れ、耳をつんざく破壊音が連続し、鏡で確認はしなかったものの顔面蒼白で、とにかく倒れないようにもう一人ち肩をつかみ合いながら足を踏ん張っていました。
3分ほどの揺れがいったん収まった後、建物内に他に倒れている人がいないか確認した後、外に飛び出しました。
駐車場の敷地には地割れができ、そばに避難していた人が「この地割れが地震の間、ずっと開いたり閉じたりしていたんです。」と興奮して話していました。
カーナビのテレビをつけていた人がいて、数人の人が「津波が来る!!」と言い騒いでいます。
各自とりあえず、自分の車に乗って自宅に戻る事にしました。
幸い、仙台市中心部に近い丘の上にある私の自宅は、さほどの被害も無くて済みました。
しかし、沿岸部はそうはいきませんでした。概要はすでに繰り返し報道されていますが、全容については『つかみようが無い』ほどの被害を受けています。
しかし、被害の実態が徐々に明らかになる一方、被害を受けられた方々の分別ある行動の数々もメディアに取り上げられるようになりました。
アメリカABCテレビの有名なニュースキャスター、ダイアン・ソイヤーさん(女性)もすぐに日本に来て、被害の深刻さと福島第一原発の問題を報じる一方、被害に遭いながらも『互いに相手を思いやる』行動が、この地の日本人には『際立っている』ことを現地からレポートしていました。
災害からちょうど2週間がたち、津波の被害を受けなかった地区では復興も進んでいます。
物流も徐々に回復し、震災後はじめて商品の納入が行われた大型店舗もあります。震災後2度目の金曜日の朝、各地区で営業を再開したガソリンスタンドに車が長い列を作り、朝の通勤ラッシュがかつて無い程ひどくなったりもしました。
徐々に大震災の前の日常が戻って来つつあります。
しかし、それとともに私には気がかりな事があります。
自分で言うのもなんですが、震災を受け、少し『自分』が変わったように思います。
誰かと接する時、その人の痛み、悩みについて考えられるようになったこと。
日常の中で起きる不愉快なことも、些細な事柄には目をつぶれるようになったこと。
様々な欲、体面について、ムリをしてまでそれらを何とかしようとは思わなくなったこと。
等々です。
しかし、かつての日常の復活とともに、ふたたび欲や体面などに振り回されるようになってしまったら...
震災後、なお生きることを許された人間の一人として、真剣に考える必要がありそうです。
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