ホーム » エッセイ » 実録『トモダチ』作戦・第4部「放射能汚染」[第1回]暗黒の恐怖の中に落ちていく兵士たち
「いくら隠しても、原子炉がすでに破壊されてしまったことは明白だ…」
ロジャー・ウィザースプーン / ハフィントン・ポスト 3月15日
ひとりの大男のアフリカ系アメリカ人水兵が、甲板の下のロープで区切られた中に裸のまま入れられ、湧き上がる不安に苛まれていました。
「彼はずっとこう言い続けていました。『妻から贈られた大切なブーツが汚染されていませんように…』
しかし彼はそのブーツをどこかに片付けさせられました。そして裸のままそこに立っていましたが、やがて係りの人間たちが、彼に体をごしごしとこすり洗いするように命じました。」
アメリカ海軍最新鋭空母のUSSロナルド・レーガンに乗組んでいた航海士のモーリス・エニスが、当時の様子についてこう語りました。
「洗浄係の連中は彼に、普段ならとても人間の体には使えないような、船体をこすり洗いするための薬剤を渡しました。それは液体の紙やすりとも言うべきものです。
彼はそれを使い、みんなが見ている前で全身の洗浄をさせられました。
そしてシンクまで歩いて行き、体についた薬剤を洗い流した後、再び元の場所に立ち、ガイガーカウンターで全身をくまなくチェックされました。
少しでも針が振れると、また洗浄のやり直しです。
彼はガイガーカウンターが反応しなくなるまで、繰り返しそれをさせられました。
「そしていよいよ私の番になりました。」
それは『トモダチ』作戦という、巨大地震と津波に襲われた日本の東北地方太平洋岸における、捜索と救助のための任務が一転して暗いものになった瞬間でした。
この東日本大震災という複合型の天災は20,000近い人命を奪い、沿岸部の社会基盤を徹底的に破壊しつくしました。
日本語で『友人』を意味する言葉を冠した都合80日を費やして展開された『トモダチ』作戦は、日本政府の要請により始まり、アメリカ国務省と国防総省により練り上げられた作戦でした。
国防総省はこの作戦に日本国内にある63か所の米軍基地をすべて参加させ、乗員、海兵隊員併せて5,500名が乗組む空母ロナルド・レーガン、巡洋艦USSチャンセラーズビル、4隻の駆逐艦プレブル、マッキャンベル、カーティス・ウィルバー、マケイン、そして数隻の補助艦船からなる機動部隊も現地に派遣しました。
しかしこの作戦は思ってもみない、危険な方向に急展開して行きました。
巨大地震そのものによって福島第一原発の6基の原子炉のうちの1基、原子炉1号機が破壊されてしまいました。
そして引き続き襲った津波により、原子炉1号機から4号機までの冷却システムが破壊されてしまいました。
そのため国務省、国防総省に加え、今度はアメリカ原子力規制委員会とエネルギー省が危機に対処するため加わることになりました。
福島第一原発では間もなく原子炉1号機から3号機までの炉心で、核燃料のメルトダウンが始まりました。
原子炉4号機では定期点検のため、炉心から取り出された核燃料がすべて、建屋内の使用済み核燃料プール内に収められており、点検終了後に再び原子炉に装填されることになっていました。
しかし3月15日の発生した爆発までにはすべての原子炉建屋が破壊されてしまい、放射性物質が大気中に放出されてしまいました。
各原子炉建屋では原子炉の冷却システムを動かす電力が失われ、日本側はこの問題をまず解決する必要がありました。
彼らはアメリカ軍から数台の高圧注水車を借り、建屋内に注水しました。
しかし注水された水は原子炉も使用済み核燃料プールも素通りし、空しく床の上に落ちた後、海へと流れだしていきました。
原子炉1号機から4号機まですべての原子炉建屋から放射性物質の放出が続いている中、ここに到っても尚東京電力と日本政府は、その被害を可能な限り小さく見せようとしたのです。
汚染の拡大をどうすることもできずにいたにも関わらず、東京電力は外部に対し、放射能漏れはごくわずかなものに留まっていると発表しました。
日本国内には約70,000人の政府関係者・軍関係者とその家族が暮らしており、彼らは一様に避難しなければならなくなる事態の到来を恐れていました。
福島第一原発から300キロ南にある横須賀海軍基地では、検出される放射線量の増大に伴い、まず家族から避難を開始しました。
日本側はうその報告を行っている、そう確信した現地のアメリカ軍当局の判断によるものでした。
日本側はこの時点でも尚否定を続けていましたが、横須賀での放射線量を検証し、アメリカ原子力規制委員会も福島第一原発の原子炉はすでに破壊されていると結論を出しました。
その結論が正しかったことは、後になってからわかったのです。
〈 第4部・第2回へ続く 〉
A Lasting Legacy of the Fukushima Rescue Mission: Part 4 Living with the Aftermath
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今日から『実録『トモダチ』作戦』最終シリーズ、第4部の掲載を開始します。
放射能に汚染されるということが、人生においてどのような意味を持つのか、未だに日本のマスコミは正面から取り上げようとしません。
どころか、少しでも「人より多く」不安や不満を口にすると、「感情的」「ヒステリック」などの誹謗を浴びせかける始末。
この第4部、『放射能に汚染されてしまった人生』について、正面から向き合い綴られた記事を、ぜひお読みいただきたいと思います。
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【 東日本大震災の津波のがれきの中から、生きた魚を発見 】
アメリカ西海岸に漂着、水族館で展示
アメリカNBCニュース 4月6日
水がはられたつり用の冷蔵ボックスに入った縦縞模様のイシダイ1匹を含む5匹の魚が、3月22日アメリカ合衆国西海岸のワシントン州ロングビーチに打ち上げられた6メートルの日本製のボートの中から、生きたまま発見されました。
生物学者は他の海洋生物と一緒に生きたままたどり着いたこの魚たちは、2011年3月に発生した東日本大震災の津波により発生した大量のがれきとともに、西海岸にやってきたものと思われると語っています。
8,000キロの漂流を生き抜いたこのイシダイは、現在はオレゴン州にある水族館で公開されています。
このイシダイは日本や韓国の沿岸ではごく普通に見られる魚ですが、アメリカ西海岸には生息していません。
生物学者は4匹の魚を研究用に利用する一方、1匹を水族館で公開することにしたのです。
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【 マンデラ元大統領の岩すべり 】
アメリカNBCニュース 4月6日
南アフリカの首都ヨハネスブルグのクヌにある『ネルソン・マンデラ記念館・青少年伝統継承センター』近くの岩山で、岩石の上を滑って遊ぶ少年。4月5日。
ネルソン・マンデラ元大統領も、かつてこの場所で同じように遊んでいました。
下の写真はそのネルソン・マンデラ元大統領が政界を引退後、ネルソン・マンデラ基金本部で子供たちに囲まれ、89回目の誕生日を祝っている様子。2007年1月27日。政界引退後、マンデラ元大統領は1999年に子供たちのための基金を設立、子供たちに関わる社会問題と戦い続けています。
授業の開始前、マンデラ大統領の生涯について書かれた黒板のメモを読む少年。2012年1月27日。