ホーム » エッセイ » 大群衆を前に感動的な最後の挨拶をされた明仁天皇
誠実に平和を希求し、深く国民を思いやり、弱者に寄り添い続けた人生
第二次世界大戦当時の日本の行動に対し、正しい認識を広めるため多くの努力をかさねてきた明仁天皇
英国BBC 2018年12月23日
4月の生前退位を控えた明仁天皇が、12月23日誕生日の挨拶を行い、皇居を訪れた80,000人以上の人々は改めて敬愛の念を表していました。
85歳の誕生日を迎えた明仁天皇は、自らの在位期間中日本が再び戦争に関わることなく平和に過ごすことができたことについて「心から安堵しています」と語られました。
スピーチが日本の人々と彼の妻美智子妃がともに支えになってくれたという部分に差し掛かると、明仁天皇の言葉には感情が溢れ出しました。
明仁天皇はこの200年近くの歴史の中で初めて生前退位をする天皇になる予定です。
前立腺癌と心臓の手術と治療を受けたこともある明仁天皇ですが、2019年4月には長男である成仁皇太子に天皇の座を譲ることになっています。
彼の30年の在位期間には「平成」という元号が用いられましたが、これは日本語で「平和を成し遂げる」という意味です。
明仁天皇はその短い演説の中で、家族を失った人々と被害を受けた国民に哀悼の意といたわりの思いを示されました。
これは、2018年1年間に日本を襲った地震、大型台風や熱波について言及したものです。
日本の天皇の立場は儀礼的なもので政治的権力はありませんが、明仁天皇は制約の多い立場にありながら父親である裕仁天皇が国家元首であった第二次世界大戦当時の日本の行動に対し、正しい認識を広めるため多くの努力をかさねてきました。
特に中国大陸と朝鮮半島の両方における日本の軍事行動に対しては悔悟の気持ちを表明するとともに、そしてまた死者を追悼するため太平洋の数々の戦場を訪問しました。
こうした明仁天皇の行動に対し、日本国内の右翼グループは神経をとがらせてきました。
85歳の誕生日を迎え、明仁天皇は記者団にこう語りました。
「先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。」
今年10月にはこれまで度々物議をかもしている靖国神社の神主が、明仁天皇は参拝を行わないことによって同神社を潰そうとしていると批判した後、辞職しました。
靖国神社は250万人もの戦死者を祀っていますが、後に第二次世界大戦後の戦争裁判で有罪判決を受けた人間たちを合祀しました。
安倍首相を含む数名の首相が靖国神社を参拝しましたが、その都度中国を含む内外から怒りを込めた反応を引き出すことになったのです。
明仁天皇はスピーチの中で、高齢化による労働力不足を緩和するため、日本が新しい法律の下でより多くの外国人労働者を受け入れ、彼らを温かく迎えいれれることができるようにというご自身の希望についても触れました。
日本はこれまで厳しい入国管理政策の下、外国からの労働者をほとんど受け入れていません。
+ - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - + - +
【 写真集 : 明仁天皇の歩み 】
英国BBC 2018年8月8日
生前の退位を望んでいることを婉曲な表現で明らかにした明仁天皇。
近代の天皇制において前例のない出来事でした。(写真上・以下同じ)明仁天皇は年齢による体力の限界と体調不良に苦しみ、天皇を続けることの困難について国民に訴えかけました。
明仁天皇は前年、父親である裕仁天皇の死後、1990年に正式に天皇の座に就きました。
明仁天皇は1959年に一般市民である美智子妃殿下と結婚しました。彼らはテニスを通して出会いを果たしたため、「テニスコートのロマンス」ともてはやされることになりました。
明仁天皇は就任以降現代的なスタイルを取り入れ、皇室を一般市民により近い存在にするための努力を重ねてきました。
第二次世界大戦に敗北するまで日本の天皇は神格化されていましたが、敗戦をきっかけに連合軍の統治の下公布された新しい日本国憲法において天皇は「国家の象徴」として再定義されることになったのです。
明仁天皇は第二次世界大戦での日本の行動に対する反省を繰り返し表明し、日本国内で数を増やしつつある歴史を書き換えようとする政治家などと、はっきりと距離を置くことになりました。
2011年、明仁天皇と美智子妃は巨大地震と巨大津波により壊滅的被害を受けた被災地の人々への慰問を行い、世界中のメディアの賞賛の的となりました。
また天皇は初めての試みとして、動画を使ったスピーチを公開しました。