フェイスブックはヘイトやレイシストに『牙城』を提供する機関であり続けて良いのか?
弱者を平気で攻撃的する人間たちのヘイトや差別行動をエスカレートさせたデジタルメディア
閉ざされたデジタル空間の中を行き来する『曲げられた事実』『脚色された事実』
キャサリン・ヴィナー / ガーディアン 2017年12月8日
インターネット社会の誕生により2000年代初頭を支配したユートピア気分は、実はインターネット技術の進化により社会がどう変わるのか、そのすべてを予期していないための楽観的な見通しが作り出したものであることが明らかになりました。
ガーディアンが提供したデジタル・タウン・スクエアは、公開討論の場に新たな種類のヒステリーをもたらすことになってしまいました。
弱者を平気で攻撃的する人間たち、性差別主義者、人種差別主義者などに荒らし膨大荒らされることになってしまいました。
監視はデジタル時代のビジネスモデルのひとつであり、私たちの行動や感情は絶えず監視されています。
フェイスブックはニュース編集方針をアルゴリズムの仕組みに置き換えることで、歴史の中で最も豊かで最も強力な出版社になりました。
誰もが議論・討論することが出来る解放された空間の代わりに、何百万というニュースソースの供給者ごとに他をシャットアウトした情報交換空間を作りだし、社会全体をシフトさせたのです 。
こうした変化はリベラルな民主主義にとって大きな脅威となっています。
そして同時にジャーナリズムに対してはデジタル特有の問題を提示することになりました。
印刷物からデジタルへの移行は当初、多くのメディア組織にとっての基本的なビジネスモデル、つまり読者にニュースを届ける際に一緒に広告も配信し、その際の広告収入によって経営を成り立たせるという仕組みを変えるものではありませんでした。
始まってからしばらくの間は、計り知れない規模のオンライン上の読者や利用者が印刷物の読者と広告主の減少を補うことになるだろうと見られていました。
しかしフェイスブックとグーグルが全く新しいデジタル広告手法を開発し、それまであった広告市場を飲み込んでいくにつれて、従来のメディア企業のビジネスモデルは現在崩壊に向かっています。
その結果、多くのニュース組織によって作られたデジタル・ジャーナリズムは、ますます重要性を失っています。
アルゴリズム広告(アルゴリズムとは、クローラーと呼ばれる検索エンジンロボットがWebサイトの検索順位を決めるための仕組み)により広告収入を得ているメディアは1人でも多くの読者を獲得することに狂奔し、真偽の確認をおろそかにしたままクリック数を増やすために最も刺激的で極端なストーリー作りに徹底するようになってしまいました。
しかしこれだけ巨大な市場でこれだけのことをしても、もはや十分な収益を確保することはできません
いくつかのサイトでは、「ニュース性のあるものとは、どこかの誰かが公にしてほしくないと考えているものだ」ということを学んだジャーナリストたちが、いちいち電話で確認することもせず、1日に10本というペースで商品化された物語を作大量生産しています。
コロンビア大学教授でジャーナリストでもあるエミリー・ベル博士は次のように書いています。
「プロパガンダ、プレスリリース、ジャーナリズム、広告を一度でも公開すれば、そこはすなわち『コンテンツ』を持っていることになるのです。」
読者はかつて以上に情報の洪水に見舞われています。
毎日膨大な量の「ニュース」を突きつけられ、サイトのページをめくるたびにポップアップ広告が飛び出し、どれが真実でどれが偽物か混乱させられ、有益でも楽しいものでもない現実に直面させられています
多くの人がフェイスブックからニュースのほとんどを得ていますが、それらは本来よりも何倍も脚色あるいは増幅された形で配信されています。
最初はおそらく何も加味されていない情報源から独立したジャーナリストが取材した事実が、アクセス数を増やしたいサイト運営者や選挙の投票結果を左右させたいと考える悪意の演出家によって曲げられてしまった『コンテンツ』に変わってしまっているのです。
リッチモンド・スタンダードは、カリフォルニアのベイエリアのウェブサイトですが、自己紹介では「地元のコミュニティ主導の毎日のニュースソース」ということになっています。
それを素直に信じて自分のニュース源のひとつに加えている人は、このサイトを実際に運営しているのが多国籍巨大石油企業シェブロンだとは気がついていないでしょう。
ファイナンシャル・タイムズによれば、シェブロンが所有するリッチモンド製油所が2012年8月に引き起こした火災によって市内に黒い煙が充満し、1万5,000人以上のリッチモンド市民が治療のため病院に運ばれました。
企業などが自分たちに有利な環境を作りだすため、こうした取り組みを行うのはもう珍しくもなんともありません。
オーストラリア・サッカー・リーグは世論を自分たちに有利に導くため、30人ほどのジャーナリストを雇い、自分たちに好意的な話を書かせています。
英国の多くの無料の地元新聞は、要注意人物ともいうべき地方議会議員によって資金提供されています。
こうした事実は社会のひとりひとりに、情報によって衝撃を受けた際、それが偽物か本物なのかを識別できる目を持つように求めています。
でもどうすれば、そんなことが可能になるのでしょうか?
メディアを含むあらゆる種類の既存の確立された組織に対する信頼は、今や歴史的な低さにあります。これは一時的なこと現象でもなければ驚くべきことでもありません。
なぜなら多くの組織が彼らへの信頼を裏切り、批判に対して謙虚に向かい合おうとはしなかったからです。
こうした態度に対しこれまでは一般の人々は憤りを感じつつも無力でした。
そして大きな組織の方は現実に何も起きてはいないと勘違いし、誰の話も聴こうとはしてきませんでした。
この状況こそ、現在公共の場で発生している危機の原因です。
中でも一般の人々がほとんどすべての既成の組織や権威に対する信頼を失っているという事実は、既存のメディアに最も深刻なダメージを与えます。
市民がもはや政治に関わることへの自信を喪失してしまった時、メディアはその疎外感を逆転させる上で重要な役割を果たすことができるはずです。
「もし既成の組織に対する不信感が市民生活と人々の関わり合い方を変えているのであれば、報道機関もそれに合わせて変わる必要があるのかもしれない。」
マサチューセッツ工科大学のエザン・ザッカーマン教授がこう語りました。
「私たちジャーナリストの役割を、市民が個人として、そして組織の一員としてどこにどういるべきかを探す手伝いをすること、最も効果的で強力な居場所を見つける手伝いをする事だと考え直すことになるかもしれません。」
それをちゃんと実現するためには、ジャーナリストは市井の人々の信頼を得るための努力をしなければならず、それは人々のために働くという意識を持つことに他なりません。
そしてジャーナリストは、こうあるべきだと考える社会の代弁者にならなければなりません。
メディアのメンバーたちが皆等しく社会の特権階級の立場を追われ降ろされる傾向はますます強まっており、事実この問題はここ数十年で実際に悪化している。
社会動性に関する2012年の英国政府の報告によれば、ほとんどの職業の上位は依然として「社会的エリートによって支配されている」とは言え、裕福とは言えない階層の人々に対する開放性という点で、ジャーナリズムは医学、政治、法律に比べると遅れている実態が明らかにされました。
「他の職業に比べ、これまでジャーナリストは排他性の強い性格を形作ってきた。」
こう結論づけています。
《5》に続く
https://www.theguardian.com/news/2017/nov/16/a-mission-for-journalism-in-a-time-of-crisis
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