ホーム » エッセイ » エコノミスト流解説【 天皇の交代が意味するもの 】
平和を守り、国民に寄りそうことを大切にする明仁天皇から徳仁天皇への譲位・忍び寄る黒い影
皇居に籠って神に祈るより、国民に、弱者に寄り添うという選択を続けた明仁天皇と美智子皇后
エコノミスト 2019年4月29日
4月30日、30年間の在位を経て明仁天皇が退位しました。
85歳になる明仁天皇が1817年以来となる存命中の退位を発表すると、日本国内には衝撃が走りました。
明仁天皇の長男である徳仁皇太子(写真左)が正式には世界最古の君主国の126番目の天皇となりますが、日本の皇室起源は神話伝説によれば女性の太陽神である天照大神にまで遡ります。
では今回の天皇の交代は日本にとってどんな意味を持つのでしょうか?
戦後憲法は天皇の役割について、宣戦布告の権限を含む絶大的な政治的権力を持った現人神から、国家の象徴に変更しました。
1989年に天皇の地位についた明仁天皇は、彼の父親とは異なる役割を果たしてきました。
明仁天皇は皇居に籠って神に祈り続けるよりも、国民に寄り添うという選択を続けたのです。
2680年と言われる天皇家史上初めて一般市民の女性と結婚し、ハンセン病患者が収容されている療養所を慰問し、パラリンピックを擁護しました。
2011年東北地方の太平洋岸を壊滅させた東日本大震災が発生すると、明仁天皇と妻の美智子皇后は被災地に出向いて生存者に話しかけ、床にひざまずいて両手で被災者たちの手を握りました。
そして明仁天皇は第二次世界大戦(太平洋戦争)における日本の史実に正面から向き合い、贖罪を行うことに熱心に取り組みました。
太平洋戦争の戦場となったサイパンやパラオなどの戦場を訪問し、そこで命を落とした人々に弔意を表し追悼を行いました。
また明仁天皇は太平洋戦争のA級戦犯14人の霊が祀られていることをめぐって未だに国内で議論が分かれる靖国神社を訪れることを控え続けてきました。
徳仁天皇の皇位継承により日本で目に見える形で変化するのは、『令和』という新しい時代が始まることです。
令和という2文字は「美しいハーモニー」を意味します。
徳仁天皇はこの2文字が象徴する意味について、これから独自の考えを展開していくことになります。
明仁天皇・美智子皇后は日本国内の社会的弱者の支援に心血を注いできましたが、皇太子時代にオックスフォードで教育を受けた徳仁天皇とハーバード大学卒業生であり、皇室に嫁する以前は数カ国後に堪能な外交官であった皇后のカップルは、国際舞台での活動の方が多くなるかもしれません。
だからと言って徳仁天皇が明仁天皇が30年間歩み続けてきた方向から大きくそれるということは起こりそうにありません。
日本国民の間での明仁天皇の人気は極めて高く、常時80パーセント台を維持してきました。
徳仁天皇も明仁天皇同様、被災地を慰問し、障害のある人々を擁護し、日本の太平洋戦争当時の事歴を正面から見つめ、靖国神社に足を運ぶことはしないでしょう。
明仁天皇の天皇家と一般市民の間のギャップを埋めようとする努力は、彼の家族の人気をいやが上にも高めました。
しかしいかに人気が高い天皇であっても、回避することが不可能な危機が迫っています。
日本の皇室典範は皇族の家長は女性であってはならないと規定しています。
このため徳仁天皇の第一の後継者は弟の秋篠宮、次がその12歳の長男です。
さらに皇室典範では女性皇族が一般人男性と結婚した場合は皇族から削られることになっており、現在18人いる皇族は将来一層減少することになります。
この問題に対処するためには女性天皇の誕生を認めるなど皇室典範の改正が必要です。
しかしこうした考え方に激しく反対しているのが安倍晋三首相の支持基盤でもある日本の守旧派です。
神道色の強い天皇家の儀式も論争の的になっています。
公的資金を神道の儀式に使うことは宗教と国家の分離という憲法の原則に違反するというのが、批判的な立場をとる人々の主張です。
しかし今のところ日本国民の多くは、新天皇の即位を新しい時代の到来と受け止められているようです。
停滞する経済と相次いだ大きな自然災害が特徴的だった平成の時代に変わり、日本の人々は新しい時代を迎え入れようとしています。
https://www.economist.com/the-economist-explains/2019/04/29/what-the-change-of-emperor-means-for-japan
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最後の1フレーズ、「 country is ready to embrace a new age. 」をどう翻訳するか、大分悩みましたが、結果はご覧の通りです。
明仁天皇ご夫妻は誠実無比な、仁愛に満ちた公平で賢良な方々でした。
その進み方は異なるものであっても、徳仁天皇にも同じ見識を期待するばかりです。
その天皇家と対照的なのが言わずと知れたアベ政治。
そういえば110年〜75年前、天皇家を自分たちに利用して私曲の限りを尽くし、挙句数百万人の国民を死に追いやり、核兵器攻撃まで招きよせ、結局は日本を滅亡の淵まで追い込んだのも桂太郎から東条英機に至る長州閥でした。
大正天皇も昭和天皇も、結局はその私曲の波に飲み込まれてしまいましたが、明仁天皇はぶれることなく生涯を通じて平和主義をつらぬかれました。
政治的発言や活動について極端なまでの制約を課されながら、政治家以上に賢明な政治眼を持たれていた方だと思います。
しかし自分たちの政治目的を達成するために天皇家を『利用』しようとする勢力は虎視眈々とその機会を探り続けています。
こうした人間たちに天皇家を利用させない!
それもまた私たち国民の責務の一つかもしれません。