このところ仙台市内で追突事故が増えている、という話です。前を走っている車が突然減速、後続の車がブレーキを踏むタイミングが遅れて追突するケースが多いようです。
原因は道路の段差。
3月11日と4月8日の地震で仙台市内は、ちょっと上から見れば油で揚げたせんべいの様にひびだらけになってしまいました。
今回の2度の地震で最も被害の大きかったのが、仙台駅東口から仙台港までを含む仙台市宮城野区ですが、この沈み続けていると思われる『小鶴新田(こづるしんでん)』地区はそのちょうど真ん中あたりにあります。
この辺りは、15年前は一望の水田でした。
しかも......
大雨が降ると『必ず』水没する地区だったのです。
このあたりはしばらくの間、私の通勤路になっていました。
けれども一帯の水田の中央にあった大きな十字路は大雨が降るたびにその真ん中が水没し、他の経路を捜して迂回しなければならないのが常でした。
ところが、15年程前から工事が始まり、一帯の整地を始めたので、
「ああ、また団地の造成か....」
と思ったものです。
ところがこの整地事業、予定より大幅に遅れたようです。
原因は『陥没』。
土盛りし、整地が終えたと思うと、どこかが沈み始める、という話でした。
遅れに遅れた整地事業のようでしたが、平成15年頃から住宅などが建ち始めました。
そして今回の震災。
古い文書で確認すると仙台港からこのあたりまでは一面の湿地帯で、野鳥の宝庫であったようです。そこを徐々に埋め立て、主に水田にしてきました。
実は私が勤めている会社の社屋は以前はこの地区にありました。
地盤沈下が日常的に起き、一度地盤を強化するために『強化パイル』という大きな鉛筆型のコンクリートを地盤に埋め込むことになりました。
鉛筆を地面に突き刺すようにして、ボーリング機械で上からたたき、徐々に埋め込んで行く作業を行います。
ところが、パイルは一度たたいただけで数十センチも「ズブズブズブッ」とめり込んで行きました。
それをきっかけに会社は真剣に移転を検討し、少し離れた『元湿地帯』以外の場所に移転しました。
そして3月11日の震災。
ガソリン枯渇騒ぎのため、私はしばらく自転車通勤。
その行き帰りに小鶴新田を通りましたが、私が住んでいる宮城野区鶴ヶ谷という丘の上と比べ、被害がひどいのに驚きました。
一番驚いたのはオール電化住宅などに設置される『エコ給湯器』が、あちこちにゴロンゴロン転がっていたこと。
我が家にも同じものがありますが、確か一台80万円以上したはずです。
この倒れた高額の給湯器、一週間以上そのままでした。
そして道路の損傷と浮き上がったマンホール。道路は沈み込んでいるのに対し、マンホールは地震で地盤が液状化した場合には「浮き上がって」しまうようですが、ひどい所は50センチ以上浮き上がっています。
褐色のレンガを埋め込んだ瀟酒な歩道は、平面のはずが高い低いの2ウェイになり、道沿いには基礎が大きく「浮き上がった」新築マンションも。
ここに住む多くの住民の方は、この地の以前の姿をご存じなかったのでしょうが、それにしても不運としか言いようがありません。
今回の震災の住宅の被害は、仙台市郊外に「造成された」団地で多かったようです。
人間のなし得る業の限界と自然の破壊力のすさまじさ。
一方、古くから人が住み続けた仙台市の旧市街は、瓦屋根の類いは大きく損傷したものの、あまり大きな被害はなかったようです。
旧市街でも仙台駅東口の再開発などが進んでいますが、まだまだ無人の古いビルなどが林立する地域もあり、土地利用はうまく行ってはいないようです。
しかし、今回の震災はやみくもな土地造成がうまく行かない事を証明してみせました。
人間の手ワザによって土地はどうにでもできる、と思い込んでいた私たち。
地球は今度の震災によって、それが大きな間違いである事を教えたのかもしれません。
震災後に私たちが考えなければならない事のひとつに、自然と共生する『先人の知恵』を加えてもよさそうです。