ホーム » エッセイ » 【 西側社会から見た1945年8月・日本の降伏 】《前編》ECO
人類の歴史にまるで違う次元の恐怖と惨劇のページを開いてしまった広島、長崎への2発の原爆
軍国主義国家・日本の降伏は、世界中の人々を虐殺と破壊の繰り返しから解放した
日本とドイツが求められたのは、国民を欺き、世界中の人々を地獄の業火に叩き込んだ軍国主義者を一掃する事
エコノミスト 8月6日
70年前の1945年8月6日、米国空軍は憤りを込めて日本の広島市に世界初の原子爆弾を投下しました。
さらに3日後の8月9日、もう1発の原子爆弾を長崎に投下しました。
2発の原子爆弾による壊滅的な損害と250,000人に上る犠牲者の数は、8月15日に連合国に無条件降伏するという日本の決定に大きく影響しました。
この記事は1945年8月の出来事について、エコノミストとして改めて見つめ直した結果を記すものです。
▽ 第二次世界大戦・太平洋戦線における勝利
戦争は連合軍が勝利しました。
ドイツが無条件降伏してから4ヵ月経たないうちに、日本人も振り上げたこぶしを下ろさざるを得なくなりました。
この瞬間こそ世界が待ち望んでいたものでした。
これでやっと世界中の人々が、虐殺と破壊の繰り返しから逃れることが出来ます。
人類の創造的なエネルギーは虐殺と戦いから解放され、人間が生きていくのにふさわしい世界を再建することに向かわせることが出来るようになりました。
しかし世界の再建という仕事はきわめて膨大なものであり、すべてがうまくいくはずがないことを人々は理解していました。
それだけに戦争に勝利した側の人びとも深い安堵と感謝の気持ちを抱く一方で、漠然とした不安感、そして畏れにも似た感情を抱かざるを得ませんでした。
広島と長崎を文字通り消滅させた爆弾は、戦争を止めさせることが出来ました。
しかし一方で、2発の原子爆弾は人類の歴史に、新たに別の章を加えることになりました。
新たな時代が始まったことを告げるこの章においては、平和と戦争は文字通り絶滅と生存の問題として語られます。
そうである以上、平和を築き上げるという仕事は切実な希望と不安の先にある唯一の目標であり、失敗が許されて良い問題ではありません。
ある意味、ヨーロッパで平和を築き上げるための課題は、極東におけるそれと、よく似た性格を持っていました。
ドイツも日本も長い間軍がすべての階級の上に立つという独特の制度、すなわち軍国主義の立場を取っていました。
それは国民に対し帝国主義と軍による国政の支配に国民が隷属し、他国への侵略を行う国家のために尽くす、それ以外の思想を排除することを要求していました。
連合国側はこうした思想に対処することも求められていました。
さらにドイツと日本においては、国内産業のほぼすべてが戦争を遂行するための戦争マシーンと化していたため、連合国側はこれを健全な産業社会に戻すこともしなければなりませんでした。
それは同時に一定の生活水準を維持するための基盤づくり、そして近隣諸国における国づくりを支える基盤産業の整備を行うためには必要なことでした。
そして地図を作り直すこと、すなわち国境線を画定させ、独立国を新たに設けること、そして戦勝国の勢力範囲をどう設定するかという厄介な問題、これらの問題すべては東洋社会においても西欧社会においても、ほぼ等しくトラブルに発展しそうな気配を醸し出していました。
ポツダム宣言の日本向けの部分には、アジア各国を侵略することがまるで『正義』であるかのように国民を欺き、日本を誤った方向へと導いた軍国主義者を以後永遠に政府から除外し、その影響力を封殺しなければならないと明確に述べています。
別の章ではこれらの人間のことを『身勝手な軍国主義の主唱者たち』と呼んでいます。
これは連合国側が日本とドイツにおいて、軍閥、重武装の軍隊、そして政府内の軍国主義者を一掃しようとしていたことを明白に物語っています。
その目的は戦後復興の障害を取り除き、日本人の中に民主主義社会の建設に向かおうとする機運を強化するためのものだったのです。
しかし軍国主義者を一掃することは、日本の戦後の方針を決定する中では、比較的容易な部分であったかもしれません。
はるかに難しい課題がありました。
天皇制をどうするかという問題です。
日本が降伏する以前から、この問題は緊急性の高い課題として連合国側の公文書に登場するようになっていました。
降伏を受け入れる条件として、日本側は連合国に対し、天皇制を無傷のまま存続させることは可能かどうか繰り返し打診をしていました。
日本側は降伏後も天皇が日本の統治者でいられること、あるいは降伏文書に署名するのは臣下以下の責任においてなされるものであり、敗北者の汚名や不名誉な行為一切に天皇が関わるべきではないと強く考えていたと思われます。
これに対し連合国側は、危険な国家主義者たちの思想の源泉が神と天皇は同義であるとし、戦争中の日本が軍国主義の頂点に天皇を戴いていたにもかかわらず、天皇制の廃止は要求しませんでした。
その代り連合国側は、日本の降伏、そしてラバウルからビルマの前線まで、戦場に散らばる日本兵に対し連合軍側に降伏するよう求める命令、いずれも天皇の名の下に行うように要求しました。
これは賢明な選択でした。
天皇制の存続と軍国主義に終止符を打たせる事とは、どのような整合性があるのでしょうか?
天皇制の存続はヒトラーやムッソリーニに、降伏後も在職を許すことと同義でしょうか?
天皇制は、そのまま帝国主義に直結するものなのでしょうか?
連合国が天皇制の存続を認めたことは世界に、特にオーストラリアで波紋を広げました。
しかし日本における天皇の地位はヴィットリオ・エマヌエレ王またはミカエル王のそれに相当するものだという解釈も成り立ちます。
ただしこのイタリアの王もルーマニアの王も、徹底抗戦はしませんでした。
ドイツは憲法上の手続きなしで、とにかく軍国主義者を統治機構から排除することを要求されました。
この点において、連合国は日本の天皇とファシストの指導者たちとの間に明確な一線を引いたことになりました。
〈 後篇に続く 〉
http://www.economist.com/news/asia/21660628-our-coverage-japans-surrender-august-1945-victory-east?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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【 ヒロシマ:70回目の追悼 】《2》
アメリカNBCニュース 8月6日
8月6日に広島平和祈念公園で開催された原爆犠牲者追悼式典で、花を捧げる子供たち。
この日の式典には数万人が参加しましたが、原爆の投下は第二次世界大戦(太平洋戦争)の終結を早めたという前向きの評価がある一方で、数万人を一瞬のうちに殺戮するという完全な破壊行為が正当化されるものなのかどうかという議論は終わっていません。(写真上)
8月6日に広島平和祈念公園の上を舞う鳩。
現在9つの国が合計約16,000の核兵器を所有すると見積もられます。(写真下・以下同じ)
8月5日水曜日に広島平和祈念博物館の展示を見るスウェーデンの学生たち。今年日本の慶応義塾大学の友好プログラムによって、21人の学生がスウェーデンから式典に招かれました。
8月6日広島に投下された原子爆弾の韓国人犠牲者の位牌を祀る、キョンサン南道ハプチョン郡の霊安室を見学する子供たち。
8月6日インド、チャンディーガルで、日本の広島と長崎に原爆が投下されて70周年のこの日、平和を訴えるため開催されたフェイス・ペインティングのイベントに参加した子供たち。
8月6日、パリの共和国広場で核保有国の国旗を並べ、その国が保有する核弾頭の数を書いたカードをもって国旗の上に横たわる反核活動家たち。
8月6日、70年前のこの日広島に投下された原爆は4,000度に達する熱線で市街を焼き払いました。4,000度の熱は鋼鉄を溶かしてしまう温度です。
この日に合わせパリの共和国広場で開かれた反核集会で舞う日本人女性。
http://www.nbcnews.com/news/photo/today-pictures-august-9-n406801