ホーム » エッセイ » 【 楽園のオキナワと軍事要衝の沖縄と 】《前篇》
平和主義は沖縄の人々にとっては、精神の奥深くしっかりと根を下ろした人格のひとつ
何事につけ武器をとって争うより、礼と義によって誰とでも共存していく方が賢明、それが琉球の選択だった
エコノミスト 2017年2月2日
毎年2月、北日本の海岸に流れついた流氷はぎしぎしと音を立てています。
しかし日本南端の沖縄では、農民が収穫のためサトウキビを切っています。
日本列島は南北に莫大な距離にわたっているのです。
北海道北部の宗谷岬からはロシア極東の島サハリンが地平線上にかすんで見えます。
そして沖縄本島がある先島諸島最南端の与那国島からは、時折台湾東部の山岳地帯を見晴るかすことが出来ます。
旧暦正月の季節、沖縄は全島挙げてお祭りムードに彩られ、休暇を過ごす人々でごった返していました。
沖縄は現在、様々な嗜好を持つあらゆる人々を受け入れることが出来る楽園としての評判をどんどん上げているところです。
冬でもさんさんと輝く太陽、免税店が並ぶ商店街、いかにも栄養たっぷりといった感じの地元産のファストフードの味は格別であり、これらを目当てに中国本土からパッケージツアーでやってきた家族連れの観光客たちが那覇空港に溢れ返っています。
さらに400kmほど南の台湾からサンゴ礁の広がる海をやってきたクルーズ船が入港した石垣島のメインポートには、地元特産の黒真珠目当ての観光客が続々と上陸してきます。
冒険的嗜好を持つ観光客の中には与那国島に向かう人々もいます。
彼らの目的はシュモクザメと一緒にタイピングを楽しむこと、あるいはメカジキ漁に出かけた地元の漁師たちが久部良港で水揚げする様子を見学することです。
与那国島は豊かな海の生命を育み続ける西太平洋の代表的潮流である黒潮の真っただ中にあるのです。
一方、安全保障分野では沖縄はあらゆるタイプの軍隊が駐屯軍する場所として知られています。
F-15戦闘機が発する轟音もまた間違いなく那覇での生活を特徴づけるもののひとつですが、観光客のほとんどはどれ程の軍事力が沖縄に展開しているか気づかぬまま通り過ぎていきます。
しかし平和の感覚は沖縄の人々にとって観光パンフレットに書かれた絵空事ではありません。
平和主義は沖縄の人々にとっては、奥深くしっかりと根を下ろした人格のひとつなのです。
かつて沖縄県知事を務めた太田雅英氏は、1879年に日本が併合するまで独立国であった琉球王国の主要な特色は「平和への傾倒と武器の欠如」であると語ったことがあります。
沖縄人は1816年に同地を訪れ琉球王国の礼儀正しさ、温和さ、そして一見した限り武器を持つ人がいないことに驚嘆した英国人の冒険家で海軍大尉のバジル・ホールをよく引き合いに出します。
後にホールは聖ヘレナ島にフランスを追放されたナポレオン・ボナバルトを訪ねた際、熱心に琉球王国の話をして元皇帝を困惑させたことがありました。
「しかし武器も無くてどうやって戦うのだ?!」
ナポレオンはこう叫びました。
もちろん、実際に武器が無かった訳ではありません。
しかし琉球王国は自分たちより大きな国力を持つ中国と日本両方の影響下にあり、人々にとっては何事につけ武器をとって争うより、礼と義によって共存していく方が賢明、それが琉球の選択だったのです。
今日にあっても平和というものは壊れやすいものです。
かつての冷戦時代、ソビエト連邦と向かい合う北海道が共産圏とのにらみ合いの最前線に置かれたように、21世紀の領土紛争の国際政治の場に身を置かされてしまっているのが沖縄です。
与那国島と台湾との距離は100kmほどしかありません。
台湾を巡ってもし中国とアメリカの間に武力紛争が起きた場合、日本が巻き込まれずに済む方法を見つけるのはきわめて困難です。
そして与那国島は現在中国側が領有権を主張し強硬な姿勢を強め続ける無人の尖閣諸島に最も近い人が住む島でもあります。
久部良港の背後の丘には金網フェンスと監視カメラで周囲をぐるりと取り囲み、自衛隊から派遣された160人の隊員が詰める新しい基地が建設されました。
この基地の役割は周辺の海域、および空域の監視を行うことです。
与那国島は新たに中国とのにらみ合いの最前線に置かれることになりました。
〈後篇に続く〉
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【 トランプが入国を禁じた7カ国の人々の暮らし 】《②イラク》
米国NBCニュース 2017年1月30日
1月27日金曜日、トランプ大統領はテロリズム発生への懸念を理由に、イスラム教徒が多数を占める7つの国からアメリカへの入国を一時的に制限する大統領令を発しました。
死と隣り合わせの武力抗争が日常化してしまった場所で困難を極める生活を強いられている人々は、尚一層の窮地に追い込まれることになったのです。
イラク国内に展開するアメリカ軍のバックアップを受けた政府軍が、イスラム国(ISIS)の拠点の一つモスルを奪還する作戦が開始されて3ヵ月以上が過ぎましたが、激しい戦火の中から大量の市民が避難する事態となりました。
人権保護団体は数十万人の一般市民が食物、水、燃料と医療が極端に不足している地域に取り残されたままになっていると警告を行っています。
2016年10月24日、モスルを巡る戦闘が激化し、カイヤラー付近に集まった自宅を捨てて避難してきた人々。(写真上)
2017年1月8日にモスル市内で戦闘中のイラク政府軍の特殊部隊兵士。(写真下・以下同じ)
2016年11月1日、モスル近郊のイスラム国(ISIS)支配地域にあった村から家畜を連れて逃れて来た男の子。
http://www.nbcnews.com/slideshow/conflicts-challenges-faced-7-banned-nations-n714296