ホーム » エッセイ » 【 安倍首相の最長任期実現に向け道を開いた自民党 】
平和憲法・民主憲法の破却に向け、具体的に動き出した自民党
成果に乏しいアベノミクスへの不満、森友学園スキャンダルへの疑念が拡大を続ける中
アルジャジーラ 2017年3月6日
日本の政権与党自民党の議員たちは現在の安倍首相の任期が切れる2018年に、さらにもう一期、第3期の首相就任を可能にする自民党総裁の任期延長を票決しました。
日本の与党は自民党総裁の任期制限を延長したことにより、安倍晋三首相の戦後最長の首相としての記録実現に向け、道を開くことになりました。
3月5日に開催された政権与党の自由民主党大会において、これまで3年間の就任期間を2期連続としていた党総裁任期の制限を、3年間の任期を3期連続にまで延長する提案が行なわれ、可決承認されました。
これで安倍首相は2018年に行われる予定の自民党総裁選挙での3選が可能になりました。
もし次回の総裁選挙で勝利し、自民党が国政選挙での勝利を続けることが出来れば、安倍首相は2021年9月まで首相の座に座り続けることが可能になります。
これまでの総裁任期の下では、たとえ自民党がまだ政権与党であり続けても、安倍首相は2018年9月に党幹部と首相を辞任しなければなりませんでした。
戦後最も長く首相の座に座り続けたのは1964年11月から1972年7月まで日本の首相を務めた佐藤栄作氏です。
現在62歳の安倍首相は2007年に約1年間首相の座にありましたが、参議選挙での歴史的な敗北の後辞任しました。
野党であった3年間の後、2012年12月に自民党が政権の座に返り咲くと同時に、安倍氏は首相に就任しました。
就任してまず打ちだしたのが、日本経済の成長戦略『アベノミクス』でした。
その中身は大規模な金融緩和策、多額の財政支出、そしてあらゆる分野の官僚主義を改めさせる構造改革を組み合わせたものでした。
しかし5年が経った今も日本経済の足取りは危うく、目標とされた2%のインフレ達成も実現されないままです。
一方で自民党は『憲法改正提案に向けた実務的な手続きを開始する』政策方針を採用しました。
自民党はこれまで長い間、本当の意味での国の防衛以外の軍事力の行使を厳しく制限する日本国憲法の改定を党是としてきました。
日本が第二次世界大戦(太平洋戦争)に敗戦した後、占領軍として統治していたアメリカ軍の下で1947年に公布されたのが現在の日本国憲法です。
しかし現在安倍首相は、国有地を不当に安い価格で取得した嫌疑をかけられている私立の小学校と昭恵夫人との関係を指摘され、日本国内で様々な論争に発展しています。
現在開校の準備が進められているこの小学校は、実勢価格からかけ離れた安い価格で売却された国有地に建設中ですが、短期間とはいえ、昭恵夫人はこの小学校の名誉校長に就任していました。
http://www.aljazeera.com/news/2017/03/abe-japan-longest-serving-premier-170305094653989.htm
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私の中では、自民党は総裁ではなく総統を作ろうとしているのだという危機感が大きくなっています。
ワイマール共和国の首相であったはずのヒトラーは、いつの間にかドイツ第三帝国の総統になり、国民の生殺与奪の権利まで握ってしまいました。
無謀な戦争で多くの国民が殺された記憶は、現在の日本において平和憲法を否定する姿勢につながります。
在日朝鮮韓国人を差別する教育機関とのつながりは、ユダヤ人の大量虐殺を思い出させます。
70年以上も前のあの第二次世界大戦(太平洋戦争)で、こうしたことには全世界の人間がほとほと懲りたはずではなかったでしょうか?
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【 メトロポリタン美術館375,000の収蔵作品をデジタル化、無料提供 】《9》
ニューヨーク・メトロポリタン美術館
ニューヨークのメトロポリタン美術館はそのコレクションをデジタル化し、無料で375,000点に上る画像データを公開しました。
いずれも公有財産として、無料で制約なしで利用することが出来ます。
アメリカNBCのサイトでの作品紹介は18点で終わっていますが、せっかくですのでメトロポリタン美術館のサイトから素晴らしい作品を直接ご紹介します。
カミーユ・ピサロ(フランス: 1830-1903)作[2人の若い農婦]油彩、1891-92。
印象派の画家の中で最年長者であったピサロは温厚な性格から画家仲間の信望が厚く、ゴッホやセザンヌらの若い世代の画家を大いに励ましていたと言われています。
ピサロは1885年頃から90年まで、ジョルジュ・スーラやポール・シニャックの影響で点描画法を試みています。しかし晩年はパリ郊外のエラニーに住み、描くのに時間がかかり感情に追いつけないとして点描法を放棄し、風景だけでなくピョートル・クロポトキンらのアナキズムの影響を受け、農村を舞台にした人物画を多く描くようになりました。(Wikipediaを参照)(写真上)
ポール・セザンヌ(フランス: 1839-1906)作[エスタックからのマルセイユ湾の眺め]油彩、1885。
セザンヌは1876年にピサロに漁村だったエスタックについて熱心にこう語りました。
「そこはまるで絵のような眺めの場所。青い海の上に散らばる赤い屋根。輝く太陽が映し出すそこにあるものの輪郭は白黒でだけでなく、青、赤、茶やバイオレットで描かれていると思えるほど、素晴らしい場所です。」
セザンヌはこの後10年間で約20点、エスタックを題材にした作品を描きました。
さらにエスタックからマルセイユ湾を遠望する風景画も12点制作しました。(写真下)