ホーム » エッセイ » 【 被災地の象徴的存在・桜井南相馬市長の嘆き 】〈後編〉
「3月11日以前、自分たちがどんな生活をしていたのか、それすらもう覚えていない」
アメリカABCニュース 2012年3月10日
横田よしあきさんも、今後の厳しい見通しについて同じ意見です。
横田さんが経営するレストランは避難区域の端っこに位置します。来店客のほとんどが除染作業を含む原発関連の作業員です。
「作業員の人たちは毎日避難区域の中に入っていき、自分の命を危険にさらしています。」
横田さんはこう言いながら警官が検問を続ける、避難区域の入り口を指さしました。
「あの人たちのためにも、このレストランの営業を続けるべきだと思っているんです。」
営業を続けることは経営的にきついと言います。売り上げは3分の2になりました。4月に店を再開して以来、300万円ほどの赤字が出ています。
放射線の懸念は、資金繰りの上でも横田さんを苦境に追い込みました。
このレストランでは福島県の食材は安全ではない、と考える横田さんが食材を県外から仕入れています。
彼は水道水についても、放射性セシウムの有無を検査しましたが、今までのところ基準を超える量は検出されていません。もし基準を超えるセシウムが検出されたら、横田さんは父親が開業して以来47年間続いたこのレストランを廃業するつもりです。
南相馬市が存続できるかどうかは、若い家族が帰って来るかどうかにかかっています。
昨年夏、桜井市長は主に学校や保育所などに対し、市職員が中心となって行う除染作業について、東京大学の放射線研究所と提携しました。
この作業には数百億円かかる見込みです。
放射線量が下がるまで校庭の高圧洗浄を行い、各教室でふき取り作業を行います。
桜井市長は、南相馬市が第一段階の除染作業を完了して二カ月が過ぎるまで、日本政府は除染作業を完遂する計画を未だに立てられずにいた、この点をまず指摘しました。
そして第二段階ははるかに長い時間がかかります。
作業員はいまや通りと言う通りは全部、すべての家々の屋根、そして汚染された建物の壁をすべて洗浄する必要があります。
さらにパワーショベルなどの重機を使い、公園や広い運動場から地面を削り取って運び出さなければなりません。
南相馬市の除染計画部門の横田義明さんはこうした行程を終了するまで少なくとも2年を要すると予想していますが、汚染された土を補完する廃棄物処分場を確保するまでは、作業を始めたくとも始められない、と語ります、
「汚染された土を保管する見通しも立たないのに、除染を始めるわけにはいきません。誰もそんなものを自分たちが住んでいる地域に持って来て欲しくはありませんから。私たちは地域の人々に協力してくれるようお願いしましたが、今のところ支持を得るのは難しい状況です。」
桜井市長にとってこの事実は、市民の帰郷がますます遅れることを意味します。
市長自身の家も福島第一原発から20km圏 内の避難区域内にあり、自宅に戻ることはできません。
昨年一年間を通し、市長は身の回りのものを取りに3回だけ自宅に戻りました。
今月末、日本政府は放射線量の再測定を行い、避難区域の再設定を行う予定です。
桜井市長はこの措置により、南相馬市の大きな部分で避難命令が解除されることに望みを持っています。
しかし市長は一方で、帰郷したところで元通りの生活を取り戻すことはできないこともわきまえています。
「それほどに私たちの生活は変わってしまいました。昨年の3月11日以前、自分たちがどんな生活をしていたのか、それすらもう覚えていないのです。」
http://abcnews.go.com/International/iconic-japanese-mayor-katsunobu-sakurai-limbo-year-nuclear/story?id=15893746&page=2#.T1xA9d2BIrg
+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +
私などは3.11の被災地のど真ん中で暮らしている割には、自宅が仙台市内の丘陵地帯、それも岩盤の上に立っていたためさほどの被害を受 けずに済みました。
それでも、昨年の3月いっぱいは、ドアを開けるとその向こう側には死が無数に転がっているような感覚に苛まれていました。
自宅の2階のバルコニーに出てみると、仙台港の方では巨大な黒煙が上がっており、市内至る所から緊急車両のサイレンが聞こえてきました。
でもそれも今考えてみれば、それだけたくさんの人々が「復旧復興のため」立ち働いていた証拠だった、という事になります。
ところが同じ被災地であっても、原発の避難区域となると、その悲惨さは表現のしようがありません。
私はかつて過労で倒れたとき、一時的に記憶を失ったことがあるのですが、その焦りと恐ろしさは例えようのないものでした。
人生とは、記憶の積み重ねであることをその時痛感しました。
その記憶、思い出を一瞬のうちに奪われた挙句
「もうここには住めないよ。」
と宣告されることの理不尽さ、むごさ、まさに
「どんな慰めもありません。」
しかもそれは、本来なら国民を守るためにそこにいるはずの人間たちが、その報酬を受け取っていながら、とらなければならない対策をとらなかったためでした(【 避けられたはずの事故 – 福島第一原発 】- http://kobajun.biz/?p=2093、http://kobajun.biz/?p=2108)。
+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +
【イランで進行するハイパーインフレ】
アルジャジーラ 3月25日
急速なインフレの進行とイラン通貨の下落により、イラン政府は市民への補助金の5割引き上げを決定しました。
イラン労働ニュースによれば、天井知らずのインフレとイラン通貨リアルの下落が国家経済に与える影響が深刻さを増しているため、イラン政府は国民に毎月給付している補助金の額を50%以上引き上げることを決定しました。
目的別に補助金を給付している組織の長であるベルーズ・モラディは、差額分はただちに受領者の口座に入金されることになると25日日曜日に発表しましたが、政府の第2段の補助金給付計画が実施されるまで、口座から引き出すことはできません。
イラン政府は幅広い種類の食品とガソリンについて、補助金なしでも市民が購入できる範囲に価格を安定させ、2010年末までに第一段階の補助金支出を終了させるつもりでした。これによりイラン政府の支出も抑えられるはずでした。
この政策が実施されていた当時、アフマディネジャド大統領は
「この50年間でもっとも大規模な経済政策である。」
と表明していました。
しかし今回の追加政策により、イラン国民の大部分が月額60ドル前後(約5,000円)の補助金を受け取ることになります。
次の段階として、90%から80%の間の大部分の国民の支払いを減らすことを目標に、4月に導入されるものと見られています。
追加される補助金が、毎月支払われるのか、あるいは隔週になるのかは今回の報告書に記載はありません。
世界規模で金融取引を行っている会社が、イランの銀行との取引を打ち切ったため、イランは国際的経済市場から隔離された状態になっています。
国際銀行間通信協会(SWIFT) は、この措置はその疑惑の核兵器開発疑惑に対して課された欧州連合(EU)の制裁を支援するためのものであると表明しています。
▽ 驚異的なインフレ
一向に収まる気配が無いないインフレに対する今回の対応に対し、無駄な支出であるとアフマディネジャド大統領への批判が巻き起こっています。
補助金の給付が発表された後、食料品と燃料はより一層価格が上昇し、この国の数百万の人々を経済的苦境に追い込んでいます。
ガソリンの価格が3倍に上昇、その他の光熱費は500パーセントという異常な高騰を見せました。
先週イランで最も強力な権力を握っているアヤトラ・アリ・ハメネイは、今回の補助金計画に彼の完全な支持を与えました。
コメントの中で彼は、この方法は補助金を配布するのにふさわしい、さらにバランスのとれた方法だと語りました。
昨年国際通貨基金は、イラン政府の政策は燃料消費とインフレ圧力の減少につながったとする見解を明らかにしました。
イランの公式統計によると、同国のインフレ率は約20%にまで減少したとしていますが、ある国会議員は実際の数値は50% に近いものだと述べています。
アメリカとその同盟国によって発動されたイランの金融・エネルギー部門を標的とする新たな措置は、新年度早々から、イランの通貨リアルの劇的な下落につながっています。
http://www.aljazeera.com/news/middleeast/2012/03/201232518497295309.html