原発の再稼働政策と安全保障政策への国民の猛反発をよそに、安倍政権が2021年まで継続するための道を開いた、自民党の総裁任期の変更
自分たちの経済状況がほとんど改善されなかったのに、憲法改定を要求するために必要な衆参両院の3分の2の賛成票の獲得をいつでも可能する事を許した日本国民
エコノミスト 2016年11月12日
第二次世界大戦が終わって今日に至るまで、日本の歴代首相の平均在任期間はちょうど2年あまりといったところです。
現職の安倍晋三氏が2012年に就任する直前の数年間は、第一次安部内閣の1年間を含め6人の首相が目まぐるしく交代しました。
そうした状況を考えると、安倍首相の任期がすでに4年に近づいているという事実は、充分注目に値するものです。
しかもその最終的に実現される可能性のある任期を考えると、4年という年月ですら前半分にもならないかもしれません。
政権与党であり最大政党の自由民主党は、つい最近党の総裁任期の限度を6年から9年にまで延長することを決定しました。
これは安倍政権が2021年まで継続するための道を開くことになりました。
もしそうなれば、安倍首相は戦後最長の首相在任期間を実現することになります。
これ程長く首相の座に居続けるためには、自民党内における総裁選挙、そして国政選挙の場では衆議院議員選挙で勝利する必要がありました。
そして安倍氏はいずれにおいても際立った勝利者となりました。
国政選挙においても衆院選と2度の参院選において自民党を勝利に導きました。
安部氏が率いる現在の連立政権は、衆参両院において圧倒的というよりは威圧的とも言うべき大多数の議席を有します。
憲法改定を要求するために必要な衆参両院の3分の2の賛成票を集めることは、もはやいつでも可能な状況にあるようです。
「安部首相はきわめて強力な存在です。」
ひとりの国会議員が畏敬の念を込めてこう語りました。
安部首相がこうした成功を手にしたのは、無難な選択を繰り返してきたからではありません。
彼は国民に不人気な政策をいくつも推進してきました。
2011年の福島第一原子力発電所の事故により日本国内のほとんどが停止している原子力発電所を次々に再稼働させる安倍政権の計画は、多くの日本人にとっての憎悪の的です。
さらに11月上旬、日本人がどう見ても中途半端なものでしかないと考える環太平洋パートナーシップの協定内容を、自民党は国会の場で強引に承認しました。
さらには昨年成立した安全保障関連法案は、実質的に日本の軍隊である自衛隊に対するいくつもの制約を取り払うものでしたが、国民から幅広い反発を受けました。
安部首相がまだ残っている自衛隊に対する制約をすべて取り払うため、日本国憲法に明記されている平和主義に基づく文言をきれいさっぱり削除するため、改憲したいという宿願を実現させることになれば、日本国民の怒りは頂点に達することになるでしょう。
安部首相の究極の目標がどこにあるにせよ、日本経済を復活させるために行った安倍政権の実績については、安倍政権を支持するために投票所に並んだ有権者たちすら失望を露わにしています。
PEWリサーチ・センターが今年10月下旬に公表した世論調査の結果の中で、日本人の68%が日本経済の現状に不満を抱いていることが明らかになりました。
インフレ達成率は、安倍政権が目標とした2%の遥か下方を低迷し続けています。
一般勤労者の賃金もほとんど上がりませんでした。
< 後篇に続く >
+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +
自民党が総裁の任期を延長するというニュースを耳にしたとき、
「自民党は総裁ではなく、総統を作るつもりなのではないか?」
と思わずつぶやきました。
ヒットラーも始めは ワイマール憲法の遵守を誓った共和国の首相のはずでしたが、いつの間にか独裁国家の総統に成り代わり、国民に対し理不尽な死すら要求できる地位に就いてしまいました。
安部首相の任期延長は憲法第9条の廃止のために充分な作業時間を確保することが目的であることは自明ですが、自民党の改憲案を見るとそれだけで済むのかという懸念が大きくなってきます。
80年前にドイツで起きたことが21世紀の日本で再び現実になるとは、多くの人は思わないでしょうが、そんな保証はどこにもありません。
2000年以上前のギリシャや古代ローマの政治史を見て、現代日本の政治の方が明らかに進化していると確信できますか?
+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +
【 一般市民に犠牲を強いながら進められるモスル奪還作戦 】《2》
アメリカNBCニュース 2016年11月22日
イラク軍特殊部隊と民兵が協働し、イスラム国(ISIS or ISIL)からモスルを奪還する戦い。
しかしその陰では多数の一般市民が住んでいる場所からの避難を余儀なくされるか、さもなくければ負傷させられたり、殺されたりしています。
2016年11月18日、モスルを巡る戦いから避難し、イラク北部のクルド族が管理するバシカ地区付近でぼんやりとすわりこむイラク難民の女の子。(写真上)
2016年11月18日、モスル市内のアデン地区からイラク特殊部隊第2師団が制圧した市内東部のカルククリ地区に白旗を振りながら避難するイラク人の家族。(写真下・以下同じ)
モスルはイラク国内でイスラム国(ISIS or ISIL)が支配する最後の拠点都市です。
11月18日イラク特殊部隊第2師団が制圧したモスル市内のカルククリ地区に避難するため、ズボンを下げて自爆用の爆弾を身に着けていないことを示すイラク人の男性たち。
11月18日、カルククリ地区に入るためひとりひとり身元確認を受ける男性たちの列を監視するイラク特殊部隊第2師団の兵士。
この男性たちの集団は、軍の諜報機関と連邦警察によって身元調査を受けるためカルククリ地区のモスクに誘導されました。
11月19日モスル市内に『吊るされ』ていたイスラム国(ISIS or ISIL)の兵士。
http://www.nbcnews.com/slideshow/retaking-mosul-costs-civilians-lives-n687261