ホーム » エッセイ » 【 つまずき続ける日本の原子力発電、疑問を突きつけられる再稼働 】《前篇》WP
政府資金を引き出しては地方自治体などに多額の補助金を交付、管理監督どころか原子力発電の拡大にのみ力を入れていた日本の原子力行政
福島第一原発の事故発生により、原子力発電の『本当の姿』に気づいた日本人
産業界との癒着など無いことを証明することに懸命の原子力規制委員会
ダニエル・オルドリッチ、ジェームズ・プラット / ワシントンポスト 8月15日
2011年3月、東日本大震災の地震と津波が福島第一原子力発電所を襲い、3基の原子炉がメルトダウンするという世界史上にも類の無い事故が発生、その結果日本国内の全48基の原子炉が停止してから3年半の月日が経ちました。
日本の安倍首相はこれら停止している原子炉を一日でも早く再稼働させたいという計画を進めていますが、事態はそう思うようには展開していません。
日本の企業が政治家と官僚に国内の原子力発電所を早く再稼働させるよう迫り続けていますが、どの原子炉がいつ再稼働できるのか、その詳細を明らかにできるような状況にはありません。
7月、九州電力・川内原発の2基の原子炉について日本の原子力規制委員会は、より厳しい条件に改められた安全基準に合格したと公表しましたが、実際の稼働は2015年の冬まで先送りされました。
同原発の周囲5キロ圏内で生活する住民たちは、新たな原発事故が発生した場合に備えヨウ素剤を配布されました。
そして30キロ圏内の9つの市町村は事故が発生した際の、住民の避難計画の最終案をまとめ上げました。
こうした日本の原子力発電を取り巻く環境の変化は福島第一原発の事故の直接の影響を受けてのものであり、政府から独立した権限を持つ原子力規制委員会の創設にもつながりました。
新たな監視機関である原子力規制委員会は、福島第一原発の事故発生以前、原子力発電に関連する政府機関が林立してそれぞれが産業界との不適切な関係を作り上げ、政府資金を引き出しては地方自治体などに多額の補助金として交付し、監督どころか原子力発電の拡大にのみ力を入れていた状態を解消すべく、原子力安全・保安院に代わるものとして設立されました。
原子力規制委員会は設立当初は環境省の職員を中心に構成され、たとえば経済産業省の管轄下にある資源エネルギー庁などと比べれば、より厳しい監督と規制を行うだろうと見られていました。
原子力規制委員会の首脳部は日本の権力中枢からできるだけ距離を置こうと努め、原子力産業界との癒着など一切ないことを証明するために懸命の取り組みを行いました。
しかし原子力行政の環境以上に福島第一原発の事故が日本において著しく変えたものは、一般国民の原子力発電に対する世論の動向でした。
事故の前に行われていた世論調査では、回答者の約3分の2が日本国内の原子力発電所の数を増やし続けることを支持していました。
これに対し現在は、同じ約3分の2の国民が日本国内で原子力発電を続けることに反対しています。
7月末に行われた世論調査では60%に近い人々が、鹿児島県にある九州電力・川内原発の再稼働に反対していることが明らかになりました。
日本国内ではいくつかの例外はありますが、原子力発電所が立地する自治体はその再稼働を支持する立場を変えていません。
これらの市町村が原子力発電の継続を支持するのは、主に財政上の理由からです。
日本政府は原子力発電所が立地する僻地の沿岸部にある小さな市町村に対し、一年につき最高で10億円の助成金を支給しています。
ある経済学者が試算した結果、こうした市町村ではこの助成金のある無しで、個人の実質的な所得が大きく変わってしまうことが解りました。
しかし原発の5km圏外に立地する市町村にはほとんどの場合助成金等の支給は無く、あってもごくわずかであり、再稼働には強く反対しています。
さらに電力会社と地元の自治体の間には長年にわたる申し合わせがあり、法的なものではありませんが市長と県知事は再稼働手続きに対する拒否権を有しています。
その指示が無ければ、電力会社が原子力発電所を再稼働させるのは実質的に不可能です。
福島第一原発を所有運営してきた東京電力は、事故後の収束作業の中で放射能汚染に対し繰り返し対応を誤る失態を演じ続け、原子力発電への信頼を回復させるどころか日本国民の不信を一層大きなものにしました。
東京電力は長大な「氷の壁」を建設することにより、日常的に発生する貯蔵タンクからの汚染水の海洋への漏出、そしてこれ以上汚染水が増えないよう大量の地下水の敷地内への流れ込みを防ぐ凍土策の実施を公表しました。
しかし数カ月間大量の液体窒素を購入して巨大な氷壁を作る努力を続けたにもかかわらず、効果らしい効果は確認されていないのが現状です。
〈後篇に続く〉
http://www.washingtonpost.com/blogs/monkey-cage/wp/2014/08/15/after-the-fukushima-meltdown-japans-nuclear-restart-is-stalled/
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声高に何かを批判するような調子は無く、事実とその分析がテンポよく語られていく感じの記事ですが、読み終えると自然に次のような結論が口を突いて出ます。
「これじゃ日本は原子力発電を止めるのが最良の選択だね。」
少々長めなので今日と明日、2回に分けてご紹介いたします。
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【 パナマ運河建設史 】《2》
アメリカNBCニュース 8月15日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)
2014年8月15日、パナマ運河が開通100周年を迎えました。
100年前のこの日、48マイル(約77キロ)の水路が大西洋と太平洋をつないだのです。
パナマ運河の建設初期、米国スレヴン社製の浚渫機を使うフランスの出稼ぎ労働者。(写真上)
1911年2月1日建設工事も佳境に入ったパナマ運河、ガトゥン・アッパーロックとフォアベイ付近。(写真下・以下同じ)
1912年頃、完成間近の水路。
1913年頃、関門前で水位調節により大西洋方面に出る準備をするはしけ。
1914年8月15日、正式の開通式で航行するアメリカの船舶。
1915年頃、パナマ運河のガトゥンロックを航行する船舶。