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【 上昇を続ける日本の子どもたちの貧困率、経済不振の最大のしわ寄せがここに 】《前篇》

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所要時間 約 8分

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20年間の経済不振の最大のしわ寄せがどこに向かったのかを如実に物語る、日本の子どもたちの貧困率

世界の最先進国の中で有数の富の不公平が存在する日本、子供たちの貧困問題では最悪の状況

 

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2017年1月17日

 

世界で最も裕福な国のひとつである日本、その埼玉県川口市に出現した子ども食堂。

食事すら満足にとる事ができない子供たちのために無償で提供するため、ボランティアの人々が食事の準備をしている。(写真上)

 

ある土曜日の夕方、一団のボランティアの人々が腕によりをかけて作ったビーフシチューのにおいがキッチンから漂い出していました。

ここは東京の通勤圏のとある都市の中、キッチンに隣接する部屋では、その日初めて食事らしい食事を口にする子も含め、数人の子どもたちが談笑したり紙を切り抜いて何かを作っていました。

川口市にある子ども食堂は、世界第3位という経済規模を誇る国におよそ似つかわしくない子供たちの貧困問題が深刻化する一方の日本で、ここ数年の間に急速に数を増やしている貧困児童のための無料給食施設のひとつです。

 

OECDは可処分所得の全世帯平均の半分以下の収入しかない家庭を貧困世帯と定義していますが、この定義に基づけば日本の17歳までの子供の6分の1、約350万人の子供たちが貧困状態に置かれている事になります。

日本の貧困率は過去30年間に16.3バーセントにまで上昇しました。アメリカは17.3バーセントとまだ日本よりも高率ですが、状況は改善に向かっています。

 

首都圏内北部にある人口500,000人以上川口市のこども食堂で夕食をとっている20人ほどの子供たちのうち、絶望的貧困状態に置かれている子供はほとんどいません。
しかしこども食堂の創設者である佐藤雅志さんによれば、数人の子供たちの家庭はきちんとした食事を出せない状況にあります。
「2008年のリーマンショックに端を発した世界的な経済低迷は、当時20代から30代だった女性たちを特に厳しい状況に追い込んでしまったのです。」
2016年3月にこども食堂の運営を始めた佐藤さんがこう語りました。

「彼女たちはフルタイムの仕事に従事しているにもかかわらず、非正規雇用あるいはパートタイム従業員としての扱いしかされず、低賃金の上ボーナスもなく、さらには1年以上勤めても昇給もないのです。
中には高い金利で借金を繰り返し、結局は返済しきれなくなってセックス産業で働かざるを得なくなる女性たちもいます。
経済的な悪循環に陥り、そこから抜け出せなくなる状況に落ちてしまう事などいとも簡単に起こりうるのです。」

 

彼女たちが置かれている窮状は、約20年間続いてきたスタグネーションとデフレーションから脱却しようという日本の取り組みがほとんどうまくいっていない事を、まさに象徴してしまっているその具体例のひとつです。
第二次安倍政権の誕生とともに安倍氏が首相に就任して4年以上が経ちましたが、日本経済を再び成長局面に向かわせるとして大々的な宣伝とともに始まった経済政策がアベノミクスでした。
しかし子供たちの貧困問題に取り組み続けている人々は、アベノミクスの恩恵は多くの一般世帯には届いていないと語りました。

 

2016年4月にユニセフが公表した統計によると、日本は世界の最先進国の中で有数の富の不公平が存在する国であり、さらには子供たちの貧困問題で最悪の状況に陥っています。
結果、子供たちの福祉については41カ国の先進国中34位という順位になりました。

生活保護など国の支援の資格がある子供たちの数は350万人に登っていますが、実際に受給しているのはわずか200,000人という少なさです。

 


貧困問題の解決に取り組んでいる活動家は、社会保障に頼って暮らす人々に向けられる心無い非難や攻撃によってこうした状況が生み出されていると問題視しています。

 

〈 後篇に続く 〉

https://www.theguardian.com/world/2017/jan/17/japans-rising-child-poverty-exposes-truth-behind-two-decades-of-economic-decline

+ – + – + – + – + – + – + – + – + – +

 

こうした記事を読むたび『1億総活躍社会』などというキャッチフレーズのそらぞらしさが腹立たしくなります。

大切な子どもたちに最初から大きなハンディを負わせる社会に、私たちは疑問を持つべきだとも思います。

そしてそれより何より、常に空腹に脅かされなければならない子供たちの心の中は……

 

私事で恐縮ですがこの春長男が国立大学の工学部の大学院を卒業し、企業の研究所に勤務することになりました。

学士4年修士2年博士3年の都合9年間の大学生活を送り、27歳で無事博士号の取得も確定したようだとのこと。

大学生活の後半は研究に明け暮れ、帰宅時間が毎日午後11時を回るような生活の連続で、本人も相当の努力をしたと思いますが、親としてみれば本人が望むだけの教育を受けさせてもらうことが出来たことに、何よりもまず感謝したい思いです。

 

望めば必ず扉は開く、そんな格言がありましたが、その扉の前に立つことすら許されない子供たちがいるという事は放置してはならない悲劇であり、忘れてはいけない事だと思います。

 

+ – + – + – + – + – + – + – + – + – +

 

【 市民の権利を歴史に刻み続けた生涯:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 】《5》

 

アメリカNBCニュース 2017年1月16日

1965年3月1日アラバマ州マリオンで行われたジミー・リー・ジャクソン牧師の遺体を載せた霊柩車の後に続き葬列の率いるキング牧師。

ジャクソン牧師は市民権運動のデモの最中何者かに射殺されましたが、事件は犯人不明のままでしたが、2010年11月になって元アラバマ州警察官が1965年に自分が射殺したことを認めました。(写真上)

 

1965年3月21日、アラバマ州政府庁舎をゴールとする50マイル・デモ行進の初日、アラバマ川に架かる橋を渡るキング牧師。(写真下・以下同じ)

1964年7月21日ミシシッピ州ミシシッピを5日間の予定で訪れたキング牧師はアフリカ系アメリカ人の家庭を戸別訪問し、選挙人登録を行って選挙権を取得し、自らが率いる自由と民主主義の党への投票を呼びかけました。

1965年6月のアラバマ州ユートーで演説をするキング牧師。

1965年8月14日プエルトリコのサンファンへの講演旅行の経由地マイアミから自分の事務所に電話を入れるキング牧師。ロサンゼルスの黒人居住区で発生した暴動について、暴力的手段をとらないよう働きかけることを指示しました。

http://www.nbcnews.com/slideshow/martin-luther-king-jr-n707546

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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