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【 地震、津波、そしてメルトダウン – 日本史上、最悪の悪夢は続いている 】《第1回》

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所要時間 約 11分

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幸せが形に…海とともに暮らした穏やかな日々、なぜ消えてしまったのか?
人々がつつましく暮らしていて静かな漁村に、大量の現金を流し込んだ原発建設、それが始まりだった…

ヘンリー・トリックス / インテリジェント・ライフ7月号・8月号 / エコノミスト 

請戸01
災害が襲う前、福島沿岸にある請戸地区には、海の恵みにより穏やかで恵まれた暮らしがありました。
さらにその北方、宮城県北部から岩手県にかけたリアス式海岸の町や村はしばしば津波に襲われ、人々にとっては豊かな海が凶暴な殺人者になることがありました。
人びとが命からがら逃げだすと、津波は後を追うようにしてやって来て、町や村で破壊の限りを尽くしました。

しかし、請戸があるのはなだらかな灰色の砂浜が広がる典型的な太平洋岸の穏やかな海岸で、早朝飛び交うカモメの足、そしてカニを水揚げする喧騒があたりを支配する場所でした。
そして夏になると、サーファーたちが集まって来て、乗りこなす波の訪れを待って何時間も海面を漂っていました。

波が高くなると、町の全面に建設された巨大なコンクリート製の防潮堤が、百戦錬磨の部隊長のように押し寄せる波をはね返していました。

請戸では何代にもわたり請戸では、海の恵みに感謝する祭りを年2回、町の人間が総出で祝ってきました。
新年になると大漁旗を風になびかせながら何隻もの漁船が連なって、けたたましく汽笛を鳴らしながら港外をパレードするのが習わしとなっていました。
列の先頭に立つのは、前の年最も多くの漁獲高を挙げた漁船です。

その2ヵ月後、海は寒くそして荒れていました。漁師たちは海に出ることをあきらめ、陸に残って酒でも飲んでいるしかありませんでした。
ちょうど町では年2回の祭りの本祭が催されていました。
この祭りは海での豊漁、そして陸の豊作を願って行われるもので、家々ではその食卓に海と陸のごちそう、魚とご飯を並べ、祝うのです。

請戸03
子どもたちは赤や黄色の花をあしらった笠をかぶり、青を基調とした法被を着た思い切り派手な祭りの衣装で登場し、海辺で豊漁と豊作を願う踊りの輪に加わります。

若い漁師たちは裸の体に真新しい白い褌を締め、地域の名誉をかけて冷たい海に飛び込みます。
そして、冷たい海の中を御輿を担いで練り歩くのです。
『安波(あんば)祭り』という祭りの名前こそは、集まった人々の願いを象徴するものなのです。

71歳になる加納谷守久さんもまた、穏やかな海の恵みを享受して生きてきた人間のひとりです。
漁師の2代目である加納谷さんは、新年の漁船のパレードの際には、持ち船の大きさもあり度々先頭を行く5隻の漁船の中に入っていました。

彼の漁師としての人生は、潮の満ち引きのように規則正しいものでした。
週のうちの6日、海の近くにあった自宅で快活な妻の久子さんと共に毎日午前2時に起床します。
久子さんは前の晩に用意しておいた小ぶりの弁当を、未だ夜が明けぬうちに加納谷さんが沖に向かう船の中で食べるよう、手渡します。

加納谷さんに同行するのは長男一人だけです。
漁場についた2人は2、3時間かけて、ヒラメ、タコ、鯛とイカなどの獲物を50~200kg程水揚げします。
久子さんが朝食を用意し終わる午前7時ごろまでには、彼らは家に戻っています。
朝食後、長男と加納谷さんは午前9時になると日本最大の市場である築地市場に出荷するため、獲れた魚を地元の市場に水揚げします。
地元では漁師としての加納谷さんを知らない人間はいません。

正午を回るころには加納谷さんは漁網をきれいに洗い終え、その後は何を気に病むことも無く一杯目の酒を口に運ぶのです。
大柄で分厚い胸をした加納谷さん、彼は自分でセーブしなければ、一日で2リットルでも、3リットルでも日本酒を飲んでしまうことが出来ます。

請戸06
しかし規則正しい生活に慣れた加納谷さんが、そんなことをすることはまずありませんでした。
午後8時には床について、翌日の漁に備えるのが彼の日課となっていました。

彼の収入はその日常同様に安定したものでした。
日本の東北沖の太平洋は北極海から流れてくる冷たい親潮と、南から上がってくる暖流の黒潮がぶつかり合い、世界有数の豊かな漁場です。
たくさんの漁師たちがこの漁場を別名海の銀行と呼ぶことに素直にうなづけるほど、海は来る年も来る年も豊かな漁獲を漁師たちに保証してきました。

そして請戸の漁師たちに、新たなボーナスが舞い込むことになりました。

東京電力が請戸から6~7キロほど離れた場所に、同社初の原子力発電所、福島第一原子力発電所を開設することになったのです。
原子力発電所は冷却システムから海に温排水を流しだしますが、付近の漁師たちは福島第一原発周辺の海域の漁業権を放棄する代わり、多額の補償金を受け取ることになったのです。
中でも請戸の漁師が受け取る保証金の額は、最大の金額になりました。

東京電力は1号機を皮切りに次々に原子炉を建設し、そのたびに補償金を受け取り、東京電力の気前の良さに漁師たちは満足の笑みを浮かべていました。

受け取った補償金で加納谷さんはじめ、漁師たちは船に新型エンジンを取り付け、トロール漁船そのものも性能の良い物にアップグレードして行きました。
こうして彼らの漁場は広がり、否でも東京電力の補償金のありがたさが身に染む思いをしていました。

請戸07
こうして請戸の漁業は農業に比べ、はるかに割の良い商売になりました。
日本が深刻な経済停滞に陥った1990年代にあっても、請戸の景気は良いままでした。
長い間、地元の漁業協同組合の幹部を務めた加納谷さんは、請戸の腕利きの漁師として鳴らしました。

しかし2011年、加納谷さんはそろそろ潮時だと思い定めました。
彼は漁師用の白い長靴を脱ぎ、漁協の役員も辞任し、ひさ子さんと一緒に日本全国を周る旅、できることなら世界一周旅行に出かける決心をしたのです。
この決心を聞かされた時、ひさ子さんが大層喜んでくれたことを加納谷さんは覚えています。

そして2011年3月11日の午後がやってきたのです。

〈 第2回につづく 〉

http://moreintelligentlife.com/content/features/anonymous/fukushima
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3.11から3年が経ちます。
この3年、一時は日本が社会正義を目指す社会へと変わりそうに見えた時期がありましたが、既得権益の反撃の前に特定秘密保護法の成立、そして原発の再稼働と雲行きが怪しくなってきました。
3.11の記憶を風化させればさせるほど、日本の闇が広がるような気がします。

今日から一週間、この【 地震、津波、そしてメルトダウン - 日本史上、最悪の悪夢は続いている 】の掲載を続けます。
これまで翻訳した記事の中でも最長の部類に入りますが、それ以上に翻訳に時間がかかりました。
丁寧に翻訳したつもりです、ぜひ最後までお読みくださるようにお願い致します。

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【 夢を共有する母娘 - 国際婦人デー 】〈1〉

アメリカNBCニュース 3月8日
(掲載されている写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

women 1
今年の国際婦人デーに、世界中のロイター・カメラマンが同じテーマで母と娘の肖像写真を撮影しました。
3月8日に、世界中の活動家が国際婦人デーを祝います
女性解放運動そのものは20世紀の初めにまでさかのぼりますが、国際婦人デーは1975年国連によって制定されました。
国連はこの日女性の権利拡大の業績を祝う一方、さらなる変化を要求する機会でもあるとしています。

サシード・シーク・ヤクーブ(34歳)2014年2月11日、モガディシュのホダン地区国内避難民(IDP)キャンプ内にある自宅で、彼女の娘ファームド・サビーア・モハメド(13歳)。
サシードは20歳まで勉学を続け、女性実業家を目指しましたが、現実には小さな商店を経営しています。
ファームドは2017年に学業を終了する予定ですが、母と娘はファームドが医師として世に立つ事を願っています。
(写真上)

ダマリス・マトス・クアベリョ(43歳)とローラ・ヴィラー・マトス(14歳)。(写真下・以下同じ)
2月12日ハバナ、キューバ。の彼らの家の外で、写真のためにポーズをとります。
ダマリスは21歳で学業を終えると、歴史学者の秘書として働きました。
子供の頃医師になる事を目指していたダマリスは、ローラにその夢を次いでもらいたいと考えています。
しかしローラ自身は生物学者になるのが夢のようです。
Women 2
シャルロッテ・スタフェイス(49歳)とスカーレット・スタフェイス(9歳)。
3月2日、マルタ島バレッタ郊外の自宅のリビングルームで。
シャルロッテは17歳で学業を終え、フリーの演劇教師と女優を職業にしています。
シャルロッテはスカーレットが将来科学者になる事を願っています。
スカーレット自身は25歳前後で学業を修了し、獣医になりたいと考えています。
women 3
ノール・ジア(40歳)と娘のサバ・マフディ(11歳)。アフガニスタン、カブールの自宅で。
ノールは28歳で学業を終え、現在教師の職に就いています。
彼女が目指したのは医者でしたが、経済的な理由によりその夢は叶いませんでした。
ノールは娘が高い技術を備えた、高名な医師になる事を夢見ています。
サバ自身も大学進学を望んでいますが、目的は弁護士になるための学問をするためです。
women 4

http://www.nbcnews.com/news/photo/mothers-daughters-share-their-dreams-international-womens-day-n47656

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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