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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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古代ローマ初代皇帝・アウグストゥスから震災後の日本への手紙

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所要時間 約 6分

私の名はGaius Julius Caesar Octavianus Augustus(ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス)、紀元前63年9月23日に生まれ、 紀元14年8月19日に冥界に入りました。76年生きたことになります。
暗殺されてしまった大叔父カエサル(シーザー)の後をついで、我が愛するローマに史上もっとも平和な - Pax Romana - パクス・ロマーナ時代をもたらした、と後世の歴史家の皆さんに評価していただきました。
私はこの度の東日本大震災という未曾有の災害に遭われた皆さんにぜひ一言、お話をさせていただきたくてペンをとりました。

私が生きた紀元前後のローマ帝国は史上空前のインフラ社会でした。ローマ帝国の威令が届く地中海世界は、まっすぐで舗装された街道が整備され、さらには水道網も張り巡らされていました。その他の制度・システムも整備されており、この部分では21世紀の皆さんの暮らしとさほど違ってはいませんでした。
当時の世界水準から見れば驚異的高水準にあった、と言えるでしょう。皆さんの国日本では、また歴史が記録されていなかったころの話です。
一部には奴隷制の社会ではなかったのか ? というご指摘があるかもしれません。
しかし歴史を正しくご検証いただければわかることですが、ローマ社会の奴隷の職業は家庭教師や料理人といったところが一般的で、蓄財によって一般市民になることも可能だったのです。鞭で打たれながら過酷な肉体労働を強いられる奴隷の姿は、昔のハリウッド映画が作り出した架空のものです。
なぜ、私がこのような話をするのか?
それはローマ帝国の「属州統治」が決して力ずく・権柄ずくのものではなく、地域・民族の慣習や生活スタイルを最大限尊重したものだったことをご理解いただきたかったからです。実質的に当時のローマは広大な地中海社会の首都でしたが、スペイン、フランス(ガリア)、パレスチナ(小アジア)、北アフリカの人々にローマ式の生活や社会を強制したことはありません。
私たちは地元の人々の意向を無視した統治を行うことによって、その地の民族の活力をそぎ、反抗を誘発し、その地が不安定になる。
結果として地中海社会の平和や安定、すなわち今日 Pax Romana と言われている状態が不安定化することこそ、第一に避けたいことだったのです。

アウグストゥス

アウグストゥス

さて、今度はあなた方の問題、東日本大震災のことを考えましよう。
私はいち早く、今度の大震災から復興のために立ち上がることを選択され、その為の努力を続けられている東北地方日本の皆さんに心から敬意を評します。
ただ、これから復興の道筋をたてていくにあたり、私が懸念している事があります。
それはあなた方日本人の、過度なほどの首都崇拝とも言うべき傾向についてです。
思い出していただきたい、今回の大震災において世界の人々が心を打たれたのは、想像を絶する災害の被害者でありながら、なお周囲の人々に対する思いやり・配慮を失わず、秩序を守って静かに耐えていたあなた方の姿です。
そのような人々であるあなた方が次に住む社会、すなわち『復興』によって築き上げていく社会は、世界が認めたあなた方のそうした『心映え』を映し出したものであるべきだと考えます。
あなた方がこれから築きたい社会は、壊れてしまった過去の再現ではなく、周囲の人々に対する思いやり・配慮を失わず、秩序を守って静かに生きていける街であると思います。

東京辺りにいる○○評論家とか、○○先生などと称する人々が地元の心を無視して作り上げた構想、あるいは既にどこかにあるような街並や施設を東京以西の業者が商業ベースで提示するプラン、そんなものを実現させてしまっては、本当にあなた方が幸せに暮らせる社会ができない可能性が高いのではないでしょうか。
今後の東北地方の復興の中心には、その地に暮らしてきた人々が担い手となるべきです。
人間は責任感と自負心を持ったときにもっとも良く働く、ということを思い出していただきたいのです。
惨禍に見舞われ、今すぐに責任感や自負心を持て、というのは不可能のようにも思えます。
しかし震災の翌日から、満身創痍の身に責任感、自負心をあふれさせた東北の人々が、復興に立ち上がっていく姿が海外も含めたたくさんのメディアによって紹介されました。
東北地方日本人の皆さん、責任感と自負心を併せ持ったあなた方が、常に復興の中心にいるようにしてください。
そして誰の為でもない、あなた方の為のコミュニティーを自信を持って築き上げていってください。

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後悔のゴルフ(2)

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所要時間 約 8分

技術的なことに加え、その人の心の持ちようが問われるスポーツ、それがゴルフ。
そのため、この稿を書いているkobajun氏はゴルフでラウンドをしても
「今日は満足した」
どころか
「今日はまあまあだった...」
どころか
「今日は、まあ...」
という日すら非常に少ないのです。
これが例えばテニスだったりすれば、パートナーの肩でもたたきながら
「いい汗かいたね。」
なんてことを言えるのも知れません。しかし、私はゴルフに関する限りこんなセリフは一度も言ったことがありません。
アメリカではラウンドした後、ゴルフコースの池の中にゴルフバッグごと『投げ捨てて』いくゴルファーすらいるそうです。もっともその日のうちに引き上げにくる人が、ほとんどらしいのですが...
ゴルフの何がここまで人を狂わせ、熱くさせるのでしょうか?!
私もずっとこのことを考えてきました。
得た結論は14本ものゴルフクラブを使い分けるところにあるような気がします。
例えば野球のバッター、バントをするのもホームランを狙うのも同じバットを使います。
ところがゴルフでは100ヤード、150ヤード、200ヤードを打つ時では使うゴルフクラブが違います。概ね10~15ヤード刻みでクラブを変えて行きます。
さらにゴルフクラブの商品説明を見ると、必ず書いてあるのが「ミスを最小限にとどめる工夫がなされている」云々。
こうして見れば、ゴルファーひとり一人、至れり尽くせりの道具を持ってコースに現れているはずなのです。
野球でピッチングやバッティングの『フォーム』が大切なように、ゴルフでもボールを打つ時のフォーム(ゴルフではスウィング と呼ぶ方が一般的)がとても大切です。レッスンや練習場に通うのも、ひたすらこのスウィングを良いものにするため、と言ってもいいでしょう。
たどり着くところはパターを除く13本のゴルフクラブを、同じように最も合理的にスウィングできるようにすることです。
そのため最も大切になるのが、よけいな小手先の動きを封じ込めること。
ゴルフは距離の調節と方向取りが命のスポーツ。でもそれは実はコースに13本も持って行く、最新式のクラブがやってくれるのです。
そのため現代のプロ・ゴルファーは、徹底的に合理的スウィングを体に覚えさせ、さらに筋力を鍛えることで身に付いたフォームのパワーアップを図ります。
この道具の進化 + 合理性の追求 + 筋力のアップ = により、近年のプロゴルファーの打球の飛距離の伸びは驚異的レベルに達している、と言われています。
一方情けないのが私のようなアマチュア、中でも練習量そこそこ、月のラウンド数もそこそこ、というアマチュア・ゴルファーです。
まず、道具ですが、ほとんどプロと同じ道具を使っています - ただ、筋力その他が足りない分、簡単にボールが飛ぶようにはなっています。
そして、一番足りないのが合理性。
レッスンなどで一応合理的なスウィングを教えられても、そこに客観的に見ればとんでもないアレンジを加え、「あり得ない」スウィングをしているゴルファーを良く見かけます。
一番多いのはあらゆる関節・筋肉に力を入れてリキム人。体のよけいな場所に力を加えれば、体の動きがぎこちなくなるのが当たり前なのに、結果、最も弱い部分からバランスが崩れて、予測もつかないタマが飛び出し、落胆したり赤面したり...
私の知人はゴルフ練習場で真上にボールを打ち、そのボールがキン・コン・カンと跳ね返ったあげく、後ろの打席の人の足下に「ブスッ!」と突き刺さったそうです。知人は後ろの人に
「あんた...帰れ!危ないから帰ってくれ!」
と言われたそうです。
次が「よくそれでボールが打てるなぁ」という体勢から、手先を器用に舞わせ、無理矢理ボールに当てている人。でもきわめて複雑な動きが組み合わされているので、成功率が低くならざるを得ません。

ここにも後悔している人。マスターズ2011で「3日目まで首位」のローリー・マキロイ。

ここにも後悔している人。マスターズ2011で「3日目まで首位」のローリー・マキロイ。

わたしが驚いた例をひとつご紹介します。
プロの中には打つ直前に、左右の足を少し踏み替えて体勢を微調整し、それからスウィングをする人がいます。プロのそれはゆっくりと静かです。
私が練習場で実際に見た人は、最初に左右の足をバタバタっとし、それが次々繰り返されしかもどんどんスピードが上がり、その早さも騒音も最高調に達した「ダダダダッ」という瞬間、「うっ!」と言ってボールを打つのでした。
「バタバタ、バタバタバタ......ダダダダッ、うっ!」です。
よーく見てみると、足をバタバタさせている間に、体とボールとの距離を微妙に調節しているようです。
でも私自身は練習を少し中断せざるを得ませんでした。
かくいう私もワキが甘くなって左右の振れ幅が極端になったり、手首が折れ曲がったりして、「ブスッ!」や「ダダダダッ、うっ!」という人たちと結果がさほど変わりません。
これらすべて
「ちゃんとできないかもしれない......いや、できないだろう......ゔっ、やばい!」
というためらいやおびえが原因です。
たとえれば、人間、嘘やごまかしを言う時、どうしても早口になるのと同じことでしょう。
こうした「事前敗北心理」にはプロでさえ陥ります。
昨年の全英オープンで石川遼クンを励ましながら一緒にラウンドしたトム・ワトソンはパターが、2008年に全米で最多勝利を挙げたスティーブ・ストリッカーという人はドライバーが、ちゃんと打てなくなる「イップス」という状態に陥っています。それも数年間。
この人たちはプロの中でも『世界のトッププロ』と言われる人達ですから、技術的に未熟ということはあり得ません。
ひとえに心、心だけの問題なのです。
よく言われますが、ゴルフは心を映すスポーツ。
私のゴルフが「まあまあだった...」どころか「まあ...」も無いのは、私の精神が「まあまあだった...」どころか「まあ...」でも無いということ?!
そう思えば思う程、コースに出ると
思いっきり力んで + 手首ガクガク + 脇も甘くなって + おまけに顔まで上がって =
「ファーァァァァァ!」......
スティーヴ・ストリッカーはマスターズ2011で11位。長いドライバー・イップスの後、トッププロの中でも抜群の安定を誇るゴルフをしている。

スティーヴ・ストリッカーはマスターズ2011で11位。長いドライバー・イップスの後、トッププロの中でも抜群の安定を誇るゴルフをしている。


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“安楽拓也の飛ばしのチェック項目” -あなたのドライバーはなぜ飛ばないのか?- 【DR0007】

ザ・グレート

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所要時間 約 5分

シューベルト交響曲第9番【ザ・グレート】。
作曲家のシューマンが「天国的に長大」と表現した、天国にいるような幸せな気持ちに浸っていられるこの曲を聴いている長い時間は、クラシック音楽ファンにとってはまさに至福の時です。次から次へと繰り出される魅力的なメロディの数々、どれをとってもすぐに口ずさめる程で、それが奔流のように流れ出すこの曲は音楽ファンのみならず、指揮者にも愛されています。フルトヴェングラー、B.ワルターを始め、夭折したケルテスやシノーポリまで、たくさんの「名演」が残されています。ただし、オーケストラ、特に弦楽パートにとっては「重労働」を強いられる曲のようで、楽団員には敬遠されがちだということを聞いた事があります。

シューベルトはベートーヴェンが元気で活躍している頃、「すねて」いた、と言われています。
曰く「ベートーヴェンのあとで、何が出来るだろう」「あらゆる分野で、ベートーヴェンは他の追随を許さない傑作を作り続けている。これでは自分が活躍する場が無いではないか?!」と。
ベートーヴェンばかりが脚光を浴びていることに反発しつつも、ベートーヴェンが不世出の作曲家であることを誰よりも理解していたことが解るエピソードです。
実際、交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲、ピアノソナタなどにおいてベートーヴェンの作品の独創性と完成度の高さは群を抜いていました。後世の私たちが見れば、音楽はベートーヴェン「以前」と「以後」でまったく異ってしまっていることが解ります。ベートーヴェンの天才性は他の追随を許さないものでした。シューベルト自身(自分でそう思っていたかどうかはさておき)天才であったために、この辺のところはよく理解できたのだと思います。
このためにシューベルトとしては、ベートーヴェンがあまり作品を残さなかった声楽の分野に没頭したと言われています。よく知られる「野ばら」「菩提樹」を始め、声楽についてはシューベルトを外しては音楽史が成り立たない程、数多くの優れた作品を残したのです。

しかし、ベートーヴェンは死ぬ間際、人に頼んでシューベルトをわざわざ呼んでもらい「後のことを託せるのは、君以外にはいない。」と「遺言」します。
このことに感激したシューベルトは一念発起、交響曲【ザ・グレート】を一気呵成に仕上げた、と言われています。しかし、シューベルトは結局、ベートーヴェンの死の翌年にたった31歳で亡くなってしまいました。死因は腸チフス。
普段から売春宿に通いつめ、梅毒を患ったりしていたシューベルトの私生活は荒んでおり、その死とともにたくさんの作品が散逸してしまいました。その中にこの交響曲第9番【ザ・グレート】も含まれていました。

左からシューベルト(オーストリア)、メンデルスゾーン(ドイツ)、ブラームスの切手。

左からシューベルト(オーストリア)、メンデルスゾーン(ドイツ)、ブラームスの切手。

シューベルトの名を後世に残すために彼の遺品の整理に取り組み、ついには交響曲第9番【ザ・グレート】のバラバラになった楽譜を発見、世に送り出したのが作曲家ロベルト・シューマンでした。シューマンは演奏できるようにした【ザ・グレート】の楽譜を友人であるフェリックス・メンデルスゾーンに渡し、初演を依頼します。メンデルスゾーンは一目でこの作品の偉大さを理解し、当時常任指揮者をしていたライプツィヒ・ゲヴァントハウス・オーケストラを指揮し、初演しました。
このシューベルト交響曲第9番【ザ・グレート】はベートーヴェンにより触発され、シューマンよって再発見、そしてメンデルスゾーンによって初演されるという、脚本家でもここまでのドラマは作らないだろう、といういきさつを経て世に送り出されたのです。
今、この曲をこよなく愛する音楽ファンが世界中にたくさんいます。
人が思いを伝えることによって生まれ、その思いが人から人へ伝わることによって世に現れた、シューベルト交響曲第9番【ザ・グレート】。
蛇足ながら、このあとシューマンは精神に異常を来たし、自殺未遂のあげく46歳の若さで亡くなってしまいます。残された遺族の面倒を最後まで見続けたのは、作曲家ヨハネス・ブラームスでした。生前、シューマンはブラームスを熱烈に賞賛し、聴衆にブラームスの作品を広めるために重要な役割を演じていたのでした。

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震災1ヶ月、そしてマスターズ

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所要時間 約 3分

4月11日月曜日。
『あの日、あの時』は3月11日午後2時46分18秒。
ちょうどあの忌まわしい東北太平洋沖地震から、まる1ヶ月が経過したことになります。
そしてこの日の朝、世界中のゴルフファンが注目するマスターズが決着しました。
優勝したのは南アフリカのカール・シュワーツェル(英語読み・たぶんオランダ系南アフリカ人なので本来ならカルル・シュワルツェル)という26歳の若手。
日本人にはちょっと馴染みの無い選手ですが、話題のタイガー・ウッズは4位タイ、石川遼君は20位タイという成績でした。
今回決勝に進出したのは49人、しかも世界より選りの49人中20位ですから、20位タイの成績は立派です。
ただ、欲を言えばもう一打少なければ15位タイになり、来年のマスターズ出場も決まっていました。でも遼君のことですから、今年の日本ツアーで来年のマスターズ出場に充分な成績を残してくれるとは思いますが...
そして、松山英樹君。
今回のマスターズには世界から6人のアマチュアが出場し、松山君たった一人が決勝ラウンドに出場したことは一昨日の原稿に書きました。
彼の最終成績は27位。本人は「16位以内を目指し、来年もここ - オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ - に来たい。」と言っていましたので、惜しくも届かず、という結果でした。
しかし、初出場のアマチュアでアンダーパーという成績は世界に誇れる内容です。
そして彼は仙台の東北福祉大の現役大学生。
東日本大震災の被災地のど真ん中から参加し、プロでさえスコアを崩してしまうマスターズという大舞台の精神的重圧に耐え続け、期待以上の活躍をしたことは、今回世界中の報道機関が伝えた、廃墟の中で互いを助け合う『尊敬すべき東北日本人』に対する評価をさらに高めてくれました。
そして同じ朝、日本の統一地方選挙の結果が出ました。
結果を見ながら、台湾一の親日派、李登輝元国民党総統の日本を評した
「超A級の国民とC級の政治」
という言葉を思い出していました。

マスターズ最終日を闘う松山英樹選手

マスターズ最終日を闘う松山英樹選手


マスターズ最終日最終組のスタート

マスターズ最終日最終組のスタート


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“安楽拓也の飛ばしのチェック項目” -あなたのドライバーはなぜ飛ばないのか?- 【DR0007】

英国・空の戦い

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所要時間 約 4分

東日本大震災の「被災者」である私たちには、むしろこれから数多くの試練が待っています。被害の内容が明らかになるにつれ、立ち行かなくなる会社が出てきています。すでに従業員の解雇に踏み切らざるを得なくなった企業が2、3にはとどまらなくなっています。
しかも4月7日の夜中、2度目の大地震が宮城県を襲い、復興に向けて動き出していたライフラインを再びずたずたにしてしまいました。
しかし、大震災で亡くなられた30,000人近い方々のことを考えれば、何度地震が襲って来ても私たちは立ち上がらなければなりません。
ちょうど70年前、英国で同じようなことがありました。
1940年、西ヨーロッパに侵攻したドイツ軍はたちまちのうちにオランダ、ベルギー、フランスを席巻、イギリス軍・フランス軍を主体とする連合軍を海に追い落とします。ヒトラーは英国にも降伏を迫りますが、英国は拒否。ヒトラーは英国上陸作戦を標榜、同年7月の英国船団、飛行場への航空機攻撃により、英国・空の戦いが開始されました。
当初ドイツ軍は英国の戦闘能力を奪って降伏を迫るため、軍事施設に的を絞って攻撃しました。しかし、英国のベルリン報復爆撃に激怒したヒトラーの命令により、8月末になってロンドン市街の無差別爆撃に切り替えます。
この日からロンドン市民の長い苦しみが始まりました。
ドイツ軍は爆撃機・戦闘機あわせて1,700機で来襲するなど,毎晩のようにやってくる爆撃機の編隊は、ロンドン市街のありとあらゆる場所に爆弾の雨を降らせ、犠牲者がうなぎ上りに増え続けます。人々は地下鉄の駅構内や地下壕に退避、イギリス空軍が迎撃に向かいますが、敵味方ともに損害が激しく、まさに予断を許しません。

『この苦しみを東北の人たちだけに背負わせてはならない。』3月18日付の神戸新聞からの一節です。

『この苦しみを東北の人たちだけに背負わせてはならない。』3月18日付の神戸新聞からの一節です。

結局、粘り強い英国の祖国防衛の戦いの前に膨大な数の損害を出したドイツは9月19日、ヒトラーは作戦中止を指示、以後ドイツ爆撃機がロンドン上空に現れることは無くなりました。
この間57日間、4万人の市民が死亡し、都市の半分が壊滅。歴史あるロンドンの都は一望ガレキの山と化してしまいました。この後、ロンドンの人々は復興に全力を注ぎましたが、航空機の来襲は無かったものの、今度はドイツは大陸間弾道弾V1、V2ロケットをロンドンめがけ打ち込んできました。
結局、1944年になって連合軍がヨーロッパ本土に上陸し、その発射基地を抑えるまでロンドン市民は多大な恐怖にさらされました。
1940年から5年間の長きにわたり、ドイツの空爆・ミサイル攻撃に苦しんだロンドン市民、しかし『降伏』を言い出す人はいませんでした。
ウィンストン・チャーチルという指導者に恵まれたこともあったでしょうが、1940年8月からアメリカが参戦する1941年12月までの1年間以上、イギリスは孤立無援の中、耐え抜いたのです。
これに比べると、私たちには日本中はおろか、世界中から支援の手が差し伸べられています。
中にはタイのスラム街からの支援や、奈良の東大寺のように借金してまで支援しようという動きまであるのです。
そして日本の報道以上に諸外国の報道が、互いを思いやりながら復興に向かう東北の人々の姿を「尊敬すべきである」と伝えました。
私たちは必ず復活を果たすことでしょう。
日本中の人々もそれを望んでいます。

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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