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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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がれきの中に立ち尽くす少年

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所要時間 約 4分

4月22日金曜日、写真雑誌FRIDAYの『緊急増刊号』を見ました。
私も50歳を過ぎ、同年代の方がよくおっしゃるのは「とにかく涙もろくなる」という事ですが、この写真集を見ていると年のせいなのかどうか......
数限りない被災写真の中でも、救助された大型ヘリコプターの窓に顔を押しつけ不安そうに外を見ている幼い子供、リュックサックを背負ってがれきの中に立ち尽くす少年の写真を見るとたまらない気持ちになります。

フランス子供 フランス1976年発行

フランス子供 フランス1976年発行

とにかく助かって良かった、という思いと、これから誰がこの子供らを守っていくのか、という思いが交錯します。
誰が守っていくのか、それは私たち自身であるはずなのですが......
今度の大震災では、地域によっては復興まで10年、あるいは4半世紀(25年)を超える歳月を要するだろうとも言われています。
今10歳の子どもたちは20歳になり、35歳になっているはず。
その子らがその時、かつて大人だった人間について、日本という国について、どう考えるのか。

健康に関してですが
「現在のその人の体は、その人の10年前の食生活が作っている。」
という言葉があります。
「現在のその国の社会は、その国の10年前の子供たちが作っている。」
という事は言えないでしょうか。
私たちは子供のとき、知らない大人の人に親切にされ、幸せな気持ちになった事があるはずです。
私たちは子供のとき、大人の心ない行為に傷ついた事があるはずです。
私たちには大人の理不尽な振る舞いに「なぜ?!」と、強烈な疑問を持った少年少女時代があったはずです。
私たちには困難を乗り越え、何ごとかを成し遂げた大人に「自分もそうなりたい」と、強いあこがれを持った少年少女時代があったはずです。
それらの思いが組み合わさり、今の自分の日本という国に対する、日本の社会に対する態度、考え方が形作られているはずなのです。

一口に被災地と言っても、我が家のように家も家族も誰一人欠けること無く大地震を乗り切った家庭もあれば、家屋・家族・親類知人友人を数多く失ってしまった子供たちもいます。彼らは普段にもまして傷つきやすくなっており、中にはすでに心に大きな傷を負ってしまっている子供たちもいます。
私たち大人のちょっとした心ない振る舞いが、彼らを打ちのめしてしまうかもしれません。
興味本位で廃墟となった街を『見学』に来て記念撮影する、そこにゴミを捨てて帰る......
そんな人間が被災地を横行していることが地元紙で報じられました。
大切な人が逝ってしまった地でそんな人間を見かけたら、子供たちはどう思うでしようか?
さらには避難を強いられて、見知らぬ土地に連れて来られたあげく、線量計を突きつけられたり、「放射能がうつる!」と言われた子供たち。
彼らが社会を理不尽なものと思い、憎むようになったとき、彼らを責められますか?

健全な精神を持った人間が集まれば、やがて幸福な社会を作ることができる。
10年後、20年後、私たちが幸福な社会の住人でいるためには、何より子供たちを守り、彼らの成長を見守る必要があると思います。

臥薪嘗胆から解放を

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所要時間 約 5分

福島第一原発の現場で作業を続ける方々を見守り、そして彼らのために声をあげましょう

昨日も福島第一原発で作業を続けておられる方々について書きました。
みなさんは臥薪嘗胆と(がしんしょうたん)いう言葉をご存知だと思います。
念のため、wikipediaからその項を引用します。
                                              

ニケの像 ポーランド1964年発行 福島第一原発の現場で闘う人々はこの像のように崇高である

ニケの像 ポーランド1964年発行 福島第一原発の現場で闘う人々はこの像のように崇高である

『史記』によると、紀元前6世紀末、(中国南東部の)呉王闔閭(ごおうこうりょ)は先年攻撃を受けた復讐として越に侵攻したが敗れて自らも負傷し、まもなくその傷がもとで病死した。闔閭は後継者の夫差に「必ず仇を取るように」と言い残し、夫差は「三年以内に必ず」と答えた。夫差はその言葉通り国の軍備を充実させ、自らは薪の上で寝ることの痛みでその屈辱を思い出した(臥薪、この記述は『史記』には存在せず、『十八史略』で付け加わっている)。
まもなく夫差は越に攻め込み、越王勾践(えつおうこうせん)の軍を破った。勾践は部下の進言に従って降伏した。勾践は夫差の馬小屋の番人にされるなど苦労を重ねたが、許されて越に帰国した後も民衆とともに富国強兵に励み、その一方で苦い胆(きも)を嘗めることで屈辱を忘れないようにした(嘗胆)。その間、強大化したことに奢った呉王夫差は覇者を目指して各国に盛んに兵を送り込むなどして国力を疲弊させた上、先代の闔閭以来尽くしてきた重臣の伍子胥(ごししょ)を処刑するなどした。ついに呉に敗れて20年後、越王勾践は満を持して呉に攻め込み、夫差の軍を大破した。夫差は降伏しようとしたが、勾践が条件として王位への復帰を認めなかったために、自殺した。

この中で呉王夫差は自らの意思で薪(まき)の上に寝る訳ですが、福島第一原発の作業員の人たちは望んでもいないのに薪の上に寝せられているようなものです。写真雑誌Fridayの緊急増刊号ではその様子が生々しく伝えられ、「別の火力発電所に行く」と家族に嘘を言って現場に来られた方もいらっしゃることが書かれていました。別の報道はこの作業員の方々の中には今回の震災の被害者の方も含まれ、家を失ったり、家族を失ったりしていながら、この過酷な現場で働いておられる方が何人もいらっしゃると伝えています。
海外のメディアがこの方々を「犠牲的(献身的)奉仕者」と呼んで、その勇気を称えて以来、私はなぜ国や東電がこの方々のために最大限の配慮をしないのか、理解に苦しんできました。
震災後一ヶ月半も経つのに、食べるものは相変わらずレトルト、インスタント。石巻や大船渡にはやって来る有名人などによる『炊き出し』も、ここには決してやって来ません。
簡易ベッドぐらい運び込めそうなものなのに、伝えられるように床の上にごろ寝させられているのがFridayの写真からも解ります。
しかも、被爆量の上限を250ミリシーベルトまで引き上げられた上、東電がきちんと被爆量の管理をしていない疑惑まで浮上して来ました。
この方々も私たちの多くと同じように、命令され、指示されてこの場にいるのです。
にも関わらず、現場の方は取材に対しこう語っています。
「私たちにできることなのだから、私たちがやる。」と......

福島第一原発の事故とその後の対応、引き起こされた放射能汚染により、日本は戦後65年にわたって積み上げて来た信用に傷が付きました。今後の東日本の復興においても、今後さらに福島第一原発による汚染が拡大した場合には災害地の復興と日本経済の立ち直りが著しく遅くなる、とも予想されています。
今の日本は将来の命運を、福島第一原発の現場で懸命に闘う作業員の方々に負っている、いや負うしか無いのです。
今日も、今この瞬間も、作業員の方々が危険と向かい合いながら懸命の努力をしている事から、私たちは目をそらさないようにしましょう。
そして国や東電がこの方々のために最大限の配慮をするよう、私たちはあらゆる場で声をあげて行くべきなのではないでしょうか?!
私たち日本人にそれができるかどうか、世界は見ていると思うのです。

福島第一原発 現場の作業員を『人柱』にするな

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所要時間 約 4分

我が家では震災後3日程で電気が回復し、テレビが見れるようになり、さらに数日後インターネットを通してアメリカABC・NBCの報道番組を見れるようになりました。そして福島第一原発の事故の詳細が解るようになったのです。
それ以来ずっと、心に引っかかっていた事があります。

第二次世界大戦で廃墟になったフランスの都市/ダンケルク/ルーアン/カーン/サンマロ フランスの寄付金付き切手 1945年発行

フランスの寄付金付き切手 1945年発行

それはABC、NBCを始め英国BBCなども、福島第一原発の事故現場で、実際に懸命に働く作業員の方達の事を「勇気ある人々」、場合によっては『Sacrifice Operators』(犠牲的献身をする作業員)と表現し、その勇気と献身を讃えていたにもかかわらず、日本の報道にはいっこうにその気配がなかった事です。
その後、欧米のメディアの論調に引きずられるようにして、日本のテレビ局も作業員の方々の過酷な労働について少しは伝えるようになりました。
劣悪な環境の下、大量被爆の恐怖と闘いながらの毎日、心が痛みます。
それでも、こうした現場で作業をしている方々のうち、福島県に住んでおられる方などは周辺住民からの『刺すような視線』を感じる事があるそうで、そんな理不尽な目に遭われている事に同情を禁じ得ません。
そもそも今回のこの
天災×人災=福島第一原発事故
は、1000年前の貞観大地震の研究者が今回の規模程度の津波が福島第一原発を襲う可能性について、2009年に東京電力に対して指摘していたにもかかわらず、当時の東電の(担当者なのか経営層なのか部外者には解りませんが)回答が「参考にはさせていただくが、すぐに具体的な対応はとる必要は認めない」ということで、例によって日本的『責任棚上げ』企業の不誠実さが招いた事態です。
したがって現場で生命・健康を危険に晒し、床にごろ寝しながら働いている作業員の方には何の責任も無いはずです。
本当に責任のある人間については東電は明らかにしていませんし、毎日布団にくるまって寝ている事でしょう、昼間は『想定外、想定外!』と言い騒ぎながら......
欧米のメディアの一部は現場の作業員に対しては賛辞を惜しみませんでしたが、東京電力に対しては
あの隠蔽体質のウソつき東電
と表現していました。
大熊・楢葉・双葉・富岡町などの避難を余儀なくされてしまった住民の方も被害者なら、現場の作業員の方々も被害者なのです。
私たちが厳しい視線を注がなければならない相手は他にいます。私など気が鬱してくると、本当に責任をとるべき人間に対し「ゴム手袋とバケツを持って現場の手伝いに行け!」と言ってやりたい衝動に駆られます。
しかし、今必要な事は国内、いや世界の英知を集めてこのトラブルを終息させる事です。
4月21日付の新聞にこんな記事が掲載されていました。
『福島第1原発の復旧作業を担う作業員の被ばく線量を定めた特例措置があいまいに運用され、作業員の放射線管理手帳に記載されていないケースがあることが明らかになった。(途中省略)
元原発作業員が東電に損害賠償を求めた訴訟で原告代理人を務めた鈴木篤弁護士の話 原告は4年3カ月の累積70ミリシーベルトで多発性骨髄腫を発症したとして労災を認められた。250ミリシーベルトの上限自体が高すぎる。』
現場の作業をしておられる方々を、絶対に『人柱』にしてはいけません。

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後悔のゴルフ(3)臆(おく)してばかりの……

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所要時間 約 3分

大体ゴルフなどというものは自分でコースを回るか、プロのトーナメントの観戦が面白いのであって、ちょっと上手な人の
「この前、今年のベストスコアが出たよ。」
なんて言う話は、まったくもって面白くないものです。
しかし、ベストスコアを出した方は、誰かに話したくて話したくて仕方がありません。
そこで、他人にとってはメイワクな自慢話でも
「すごいですねぇ、さすがですねぇ」
なんて言いながら、ガマンして聞いてくれる人がいると
「ああ、コイツは(自分にとっての)良きゴルフ・パートナーだ。」
なんて思って、いや、勘違いしてしまいます。
こういう「いいヤツだ」と思われる人間は、結果的に一緒にゴルフする、いわゆる「ゴルフ仲間」が知らず知らず増えて行くことになります。
でも、本人も人知れず練習を重ね、自分も「すごいですねぇ」と言ってもらえるよう努力をしているのです。
しかし何ともはや、運動センスや身体能力の点で生来恵まれてはいないため、中々結果に結びつきません。
それに最近、ゴルフをする上でさらなる重大な欠点がある事に気がついてしまいました。
それは「臆する」心です。
臆は臆病の臆。

英国グリーティング

英国グリーティング

勝負所に来ると「心が臆して」しまい、普段ならしないような、レベル的にはとっくに克服しているはずのミスを連発してしまうのです。
一方、自慢「する」方の人はなぜか自信を失う事無く、勝負所でしっかりとまとめてきます。
いいところ、全部持って行ってしまう訳です。
結果してまたもや
「さすがですねぇ!」
言いたくないんですけど....
結局自分はゴルフ・プレーヤーじゃなくて、ゴルフ・パートナーでしかないのかな、なんて...
そんなら、クラブやらボールやら、無理して良いものを揃える必要なんかないんじゃないの、ってちょっと空しくなっちゃったりもする訳です。
おや、電話?!
「良きゴルフ・パートナーのkobajunさん? 今度の土曜日、空いてない?......」

“安楽拓也の飛ばしのチェック項目” -あなたのドライバーはなぜ飛ばないのか?- 【DR0007】

蒲生(がもう)の松林

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所要時間 約 4分

今、4月18日現在、仙台市宮城野区の東部有料道路の上から海の方を見ると、松が密生した松林があったはずの方向に数本の松が透けて見えます。
ここはかつて仙台藩が開削した貞山運河が南北にまっすぐ伸び、その両岸には広大な松林があって、仙台市民の憩いの場となっていました。ホオジロ、シジュウカラ、アカゲラ、コゲラ、カワセミなど数えきれない程たくさんの種類の野鳥がいて、季節ごとに美しい鳴き声を聞かせていました。時にはヨシキリのようなにぎやかな野鳥も集い、静かな松林と好対照をなしていました。大量に落ちている枯れた松葉は、その上を歩くとクッションのようにふわふわで、歩いていると木々の間に何か野鳥の気配がしました。
そして3月11日の午後。
津波によって松林からたくさんの松の木が失われ、現在の惨状となっているようです。近くに行って見てみたいのですが、一ヶ月以上たった今も警察・自衛隊などによる捜索・復旧活動が続いており、個人的興味でそこに立ち入る事など許されていいはずがありません。
地震当日の証言の中で、押し寄せる津波の先頭を「家や立ち木がそのままの姿で、どどど...っと、迫って来た。みんな、必死で逃げた...」という直接津波の被害に遭われた方のお話には、本当に驚きました。
松林があった辺りのずっと手前には泥に埋もれたかつての田んぼが広り、数えきれない数の車が横転、反転するなどして散らばっています。
この辺りは、5月が過ぎると水が張られた緑の田んぼの中に真っ白なコサギ、チュウサギがじっと立って、えさ取りをしていたものです。
田んぼと道路には2メートル程の段差があるため、田んぼの縁にあたる部分に多数の乗用車が打ちつけられ、折り重なっています。その破損具合はひどく、押し寄せた津波の破壊力がいかにすごかったかを伝えています。
そんな中、点在する農家の中には片付けをしているお宅がありました。でも無人のまま、廃墟のようになっているお宅もあります。
私は原爆投下直後の広島市を撮影した記録写真を思い出しました。
一面に広がる生命なき世界。
でも、ここの人々はこれからも生き続けなければなりません。
そう、生きるという事は、自分の周囲に生命(いのち)の火をともして行くことなんですね...
庭木に野鳥がやって来る。
庭で花を育てる。
まっすぐ天に向かって立ち、夏に人々に木陰で憩わせてくれるのも樹木という生命。
掃除のゆきとどいた茶の間に射しそめる陽の光の中で猫が昼寝する。
そして、子供たち。
子供たちこそが、復興して行く社会の生命の火です。
復興に向かう今だからこそ、
社会がもっともっと子供たちを大切に守り育てて行かなければならないのではないでしょうか?
復興には10年、20年という歳月を費やす事でしょう。
その頃には、今の子供たちが社会の担い手となっていきます。
大人になった彼らがさらにたくさんの生命の火を灯し、
豊かな社会を築く事ができるよう、
大切に守っていきましょう。

ニュージーランド 1975年発行

ニュージーランド 1975年発行


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