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【 3.11災害後の日本】〈第6回〉

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所要時間 約 9分

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「成功するかどうか、先の見えない除染作業」

ニューヨークタイムズ 2012年2月8日(一部3月10日改訂)

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〈この動画はアメリカABCニュースによる『福島の避難区域』映像で、ニューヨークタイムズの記事と直接の関係はありません〉

▽桁外れの汚染除去作業

2011年も暮れようとする頃、避難を余儀なくされている人々が自宅に戻れるよう、日本は特筆すべき前例のない福島県の除染計画を作り上げました。
もし試験的な除染作業が有効であることが証明されれば、これら汚染された地区に再び人を住まわせてもいいのか、という議論に対し、より広大な区域の大規模除染作業こそが将来に向けての答えになるはずでした。

除染を支持する人々は汚染地域の再生について、日本の容易ならぬ決意の表れであり、日本がまだ依然として強大な力を内に秘めていることを証明する、絶好の機会だと考えていました。
支持する者にとっての除染作業は、日本再生の象徴となるべきものでした。

しかし福島県全域を除染することに対しては、日本最大の明確に失敗とわかる試みであり、またしても多額の費用を無駄にする取り組みであると批判が巻き起こったのです。
この20年間に繰り返されてきた、日本経済を再び成長軌道にのせる、という取り組みが無残な結果に終わったのと同じことになるだろう、と指摘しました。

今日の今日まで日本政府は福島第一原発の事故発生以来、見え透いた対応を続けてきました。
あまりに早くあたかも危険は去ったかのように喧伝し、事故を小さく見せようとばかり腐心してきたのです。

福島第一原発の放射能に汚染されたがれきの撤去作業は、すでに失敗に終わっていました。
そして汚染された土地や農地から除染によってかき取られた何トンもの汚泥の保管についても、地元の理解を得ることはできませんでした。

そして放射能の専門家が改め「除染が終わった」地区の測定を行ったところ、その放射線量は長期の居住に適さない、とされる国際基準を上回ったままであることがわかったのです。

▽どこまでも続く食品汚染の不安

2011年12月、福島第一原発から放出された思われるセシウムが、赤ちゃん用の粉ミルクから検出され、事故後9カ月が過ぎても食品に対する放射能汚染の懸念が去ってはいないことを印象付けました。

東京に本社がある明治乳業は赤ちゃん用の粉ミルクを製造していますが、政府が定めた基準値以下ではあってもセシウムが検出されたため、400,000個の製品回収を行うことを発表しました。

明治乳業によれば、政府が定めた1キログラム当たり200ベクレルの基準に対し、テストの結果1キログラムあたり30.8ベクレルのセシウム134,137の両方が、同社の粉ミルクから検出されました。

この粉ミルクを毎日飲んでも、赤ちゃんに健康上の被害は出ないレベルである、と明治製菓はコメントしています。
赤ちゃんと幼児は特に放射線被ばくの被害を受けやすい、とされ、ガンやさまざまな障害を発症する危険性があります。

福島第一原発は3月11日に襲った巨大地震と巨大津波によりあらゆる設備が破壊され、大量の放射性物質を放出し、野菜、牛肉、魚介類、そして日本人の主食であるコメを汚染しました。

日本の政府機関や自治体がその汚染状況の調査に本腰を入れる様子が見られないため、消費者、そして生産者の有志がボランティアで食品の汚染調査を続けています。

▽3.11以前の日本

日本は今や経済的な成功を勝ち取った位置から滑り落ちようとしており、世界的にも、もう誰も羨む者がいない数少ない国のひとつになってしまいました。
アジア最初の成功者の物語。
西洋の長い支配に挑戦する最初のアジア国家となるべく、日本は1980年代に投機的株式の値上がり、不動産価格の暴騰に象徴されるバブル経済の上に乗って前進しました。

日本はこの40年間の大部分、世界銀行によれば世界第2の経済大国として君臨しました。1980年代のバブル経済の最中にはアメリカを抜いて 世界第一位になる日も遠くないだろう、と話す人間すらいたのです。

しかし、1980年代の終わりから1990年代初頭にかけ、バブル経済の終焉がやって来ました。
日本は巨大な財政赤字を抱え込み、経済規模はゆっくりと、しかし確実に縮小を続け、そして流れ込んでいた世界の投機マネーも潮が引くようにして姿を消しました。
そしてこの25年間は、経済成長率は低迷し、デフレーションの言葉で表現される消費者物価の下落が続き、かつての経済的巨人はその体をしぼませながら、世界経済社会の落伍者になりかかっています。

2010年第2四半期に、中国は日本を抜いて米国に次ぐ世界第2位の経済大国になりました。

この日本の凋落は経済力、政治力の低下を反映したものです。
2011年1月に信用格付け機関のスタンダード&プアーズは、日本の長期物国債の格付けを引き下げ、借金に苦しんでいる世界の中でも日本の債 務状況はひときわ悪く、しかも悪化の一途をたどっていることを世界に向け認識させることになりました。〈つづく〉

http://topics.nytimes.com/top/news/international/countriesandterritories/japan/index.html?scp=1&sq=fukushima%20surprise&st=cse

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【 津波から身を守るための最先端技術、それはノアの方舟?! 】

ビル・ホワイテイカー アメリカCBSニュース 3月12日日本は常に技術開発においては最先端(cutting edge)を走っていますが、自然災害においてはカミソリの刃(razor’s edge)の上にいるようなものです。4つの大陸プレートの上に位置する、世界で最も地震が発生しやすい国なのです。

20,000人近くの人々が犠牲になった巨大地震と巨大津波が東日本に壊滅的被害を与えてから1年が経ちましたが、将来再び襲って来る災 害に備え、市場で数々の対策器具を買い揃えようとしています。
日本の発明たちは、ボートに早変わりするベッドや財布の中に納まる折り畳み式の防災ヘルメットを開発しました。

田中正二さんは自ら『ノアの方舟』と命名した避難装置を発明しました。
強化プラスチックとグラスファイバーで作られ、地震の際には12トンの衝撃に耐える強度を持ち、津波に対しては決して沈むことが無い程軽 量である、と説明しました。
一台280,000円ほどですが、すでに1,500個が売れ、3カ月先の製造分まで予約が入っている、と語ります。
田中さんは2、3日であれば4人が水に濡れることなく、安全に過ごすことができる、と説明しています。見たところ、4人は小さい体である必要はあるでしょうが…

昨年沿岸の町石巻市で大災害を経験した鈴木邦雄さんは、早速この『ノアの方舟』を購入した一人です。彼は87歳になる母親の身の安全を 守るために買いました。いざというときにはまずは母親を最初に乗り込ませることになるでしょう。
鈴木さんはまだその安全性を試したわけではありませんが、後で後悔するよりはずっとましだと考えています。

田中さんの気持ちも同じです。田中さんは『ノアの方舟』を使わなければならないような場面が来ないことを願っています。
しかし、日本はいつ大災害が襲うかわからない国なのです。

【 3.11から1年、傷跡の癒えない日本 】

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所要時間 約 10分

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「狭い国土に54基も原発がひしめくこの日本に、安全な場所などあるのですか?」アメリカCBSニュース

3月12日

原子炉建屋が爆発で吹き飛ばされ、3基の原子炉がメルトダウンを起こした福島第一原発の、半径20キロに設定された避難区域にはまだ誰も暮らすことができません。
この地区は巨大地震、津波、そして原発事故のまさに災害の三重苦にあえぎ続けています。
東京電力は福島第一原発を廃炉にするには数十年を要すると言っていますが、この地区が再び元通り、人も動物たちも安全に暮らせる場所に戻るまでの時間は明らかではありません。

福島第一原発の事故により、70,000人を超える難民が生まれてしまいました。
CBSのニュース特派員ビル・ホワイテイカーが普段は立ち入ることのできない避難区域に取材に入りました。
この区域は日本政府が発行する許可証無しでは入ることができず、自由な取材も許されません。

ホワイテイカーは事前に許可を取り、放射線レベルを監視するボランティアに同行しこの地域に入りました。
福島第一原発から2マイル(3.2km) 地点で、ホワイテイカーとその一行は放射線防護服の着用を求められました。
彼らは検問所を通過した途端、命の無い世界を目の当たりにしました。


かつて13,000 が暮らしていた農業の町小高に、行き交う人々の姿はありませんでした。
見る者をいちばん不安にさせるのは、町の姿が一見何事もなかったように見えることで す。
しかし近づいてよく見ると、混雑していた道路に面する商店はすべて捨てられていることがわかります。
商店の一つには『Let's Be Happy! - 楽しく生きよう』という看板が出ていました。
かつて平和な時代があったことの証しです。

信号機が点滅していますが、通りすぎる車両などはありません。
人々はこの通りに面する家から、あわてて逃げだしました。大きな街も、小さな集落も、すべてがゴーストタウンに変わりました。


唯一聞こえる音は、ガイガーカウンターの警告音だけです。
福島第一原発から1マイル(1.6km)の地点で、ガイガーカウンターのけたたましい警告音が鳴りだしました。3.8マイクロシーベル トを超えると危険だと言われていますが、この場所の放射線量は30.8マイクロシーベルトです。

ホワイテイカーとその一行は、とりあえずこの場所から急いで避難することにしました。
こうして彼らは3時間の間、避難区域内を行ったり来たりすることになったのです。

安全な場所に出る前に、彼らは福島第一原発から10マイル(16km) ほど離れた場所に住んでいた伊藤なおこさんとすすむさんに出会いました。
放射線の脅威と政府の避難勧告にもかかわらず、彼らはこの場所に住み続けています。
なおこさんの母親はアルツハイマーを患っています。なおこさんは自宅で最期の時を迎えたい、と語る母の願いを尊重することにしました。
「日本中どこへ行っても、原子力発電所だらけなのです。」

なおこさんがCBSニュースにこう語りました。

「狭い国土に54基も原発がひしめくこの日本に、安全な場所などあるのですか?」

http://www.cbsnews.com/8301-18563_162-57395780/a-rare-look-at-the-fukushima-daiichi-no-go-zone/?tag=cbsnewsMainColumnArea
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3月11日前後から、世界、特にアメリカの報道機関に日本に関する記事が一斉に増えたことはお話ししました。
この[星の金貨]でご紹介しようと思っている記事も10本を超え、翻訳作業も佳境に入っています。

と・こ・ろ・が…
この作業が精神的にずいぶんときついものであることに、今さらながら気づかされました。
翻訳作業そのものがきついわけではありません。
訳しながら記事を読み進むうちに、涙がこぼれてきて手が止まったりするのです。

何せここは仙台、被害の軽重は別にして3.11の被災地のど真ん中にあたり、ただでさえあらゆる情報が集まってきます。
そこにCBSが伝えた石巻市大川小学校のお子さんを無くされたご遺族の記事や、NBCが伝えた死に支配された大熊町の記事を訳すわけです。

そして今日の記事の最後にある、この言葉。
「狭い国土に54基も原発がひしめくこの日本に、安全な場所などあるのですか?」

正直、心も体も重くなってきます。
楽に生きるためには、こんな問題には目をつぶり気がつかないふりをすることでしょう。
まさに国民を守るべき原子力安全保安院も、厚生労働省も、文部科学省も、被災地の子供たちの問題に関しては、そろって『死んだふり』を決め込んでいるように。

しかし、それはできません。
とにかくできません、皆さんも同じだと思いますが…

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【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第5回〉

▽ 政府の見解への挑戦
日本の国会が任命した専門家による政府機関から独立した強力な調査委員会は、政府が行った福島第一原子力発電所事故の調査結果に挑戦することになりました。

2012年1月、彼らの独自の調査が開始されました。
この調査には2011年 3月11日、津波が押し寄せる以前、福島第一原発の地震だけの被害がどの程度であった のか、その評価も含まれています。
国会での証人喚問の権限も持つ超党派の委員によるこの委員会は、10万人以上の人々に移住を余儀なくさせ、数十年間周辺の広大な土地を使い物にならなくさせてしまった原子力大災害の詳細を明らかにする、そのための努力を象徴する存在です。
そして3基の原子炉がメルトダウンを起こし、大量の放射性物質をまき散らしてしまった、その実態を明らかにすることよりも、業界の利益を守ることを優先する日本政府に対する批判が生み出したものでもあります。

福島第一原発を運営する東京電力の調査も含めたいくつもの調査が、原子力発電所の正常な運転に欠かせない冷却システムを破壊した、日本の北東部沿岸を襲った津波の予測を超えた規模こそが事故原因である、としてきました。

しかし日本国内、そして海外からは、東京電力は津波の歴史的記録を充分検証していなかったのではないか、また津波が襲った際に被害を最小限に抑えるための備えを怠っていたのではないか、という批判が寄せられています。

疑問はまだあります。
津波が襲う以前に、福島第一原発は巨大地震によってどこまでの被害を受けていたのか。
どのような証拠であっても、地震大国日本にある他の原子炉の安全性に対する疑問を投げかけることになり得るのです。
日本では津波よりも、地震の頻度の方がはるかに高いのです。

2011年12月の任命の後、福島第一原発事故調査委員会の黒川清議長が初めてのインタビューに臨み、彼らがこれから行う調査には聖域など存在しない、と語りました。
この委員会は東京大学の元医学部長で、政策研究大学院大学教授の黒川氏、そしてノーベル賞受賞者田中耕一氏を含む著名な人々が名を連ねています。

黒川氏が率いる委員会には、政府の原子力政策を公然と批判してきた数名の委員が含まれており、注目を集めています。
この中の一人、石橋克彦氏は地震多発国である日本の国土に、54基もの原子炉があることの地質学的危険性を指摘してきた地震学者です。

また委員の一人、バブコック日立の元原子力技術者田中光彦氏は、津波とは関係なく地震が与えた損傷が拡大し、メルトダウンにつながった可能性がある、と主張してきました。
東京電力はこの見解に異議を唱えています。
田中氏は、原子炉の設計に従事していました。
〈つづく〉

http://topics.nytimes.com/top/news/international/countriesandterritories/japan/index.html?scp=1&sq=fukushima%20surprise&st=cse

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〈この動画はアメリカNBC[ロックセンター]で3月7日放映されたもので、ニューヨークタイムズの記事と直接の関係はありません。
翻訳はありません、ご了承ください。〉

【 新たなる船出の日 】&【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第4回〉

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所要時間 約 9分

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アメリカNBCニュース 3月10日

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日本の話題をお送りします。
3月11日に襲った巨大地震と巨大津波が東日本に壊滅的被害を与え、数万人の人々の命を奪ったうえ、福島第一原発の大事故を引き起こしてから、やっと1年が経過しました。
この週末、日本中の人々があの忌まわしい出来事と、復興への長い道のりに思いをはせています。
NBCのイアン・ウィリアムズが日本からお伝えします。

レポーター : 少なくともひとつだけは、祝うべきことがあります。
1年前の津波によって壊滅的被害を受けたこの町で、アメリカから贈られた10隻の漁船が今、船出を待っています。
「皆さんのような人々にこれらの漁船を贈ることができ、私たちは大変光栄に思います。皆さんは地域社会のかけがえのないつながりを、私たちに見せてくれました。」

レポーター : この一帯は津波の被害が最もひどかった場所のひとつで、数千人の人々が命を失いました。
そして荒れ狂う津波は漁船の90%を破壊してしまったのです。係留されていた漁船はまるでおもちゃのように翻弄され、陸にたたきつけられました。
この町では漁業は主な収入源でした。
「無くなってしまった漁船はみな、これとさほど変わらない大きさでした。みんなこんな船が欲しかったのです。」

レポーター:主に収集カキ、ホタテ貝と海藻類の漁獲のためこうした小型漁船の必要性は高く、今回は抽選によって受け取る漁師を決めなければなりませんでした。
実に170人もの漁師が小型漁船を必要としています。
彼は今回決戦抽選の挙句、漁船を手に入れることができた幸運な漁師のひとつです。
「私はこの船であらゆる種類の漁をこなすつもりです。津波で何もかも無くしてしまったので。この小さな漁船でまたゼロからやり直します。」
これらはアメリカで一般的な海洋船としてデザインされました。メイン州に拠点を置くこのボートの製作会社は地 元の漁師と緊密に協力し、日本向けに改良を加えました。アメリカ国内の慈善団体が津波によって信じられないほどの被害を被った人々に、アメリカ国にあったこれらの船を予期せぬ贈り物として提供することになりました。

「ご存知かもしれませんが、アメリカの船舶製造会社は仕事が無くて困っていました。そして日本の漁師たちは、 何よりもまず船を必要としていたのです。」

レポーター:餅がまかれ、今日の祝典が終了しました。今日の行事には豊漁となるよう、祈りが込められています。

「この地の人々が再び祭りの衣装を着れる日が来たなんて、本当に素晴らしいことです。」

レポーター:佐藤さんは一日も早く海に戻りたい、そう願ってきました。豊富な漁業資源を前に、時間を無駄にはしていられないのです。
NBCニュース、イアン・ウィリアムズ。

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【福島の避難区域で動物たちの命を守り続ける男性】アメリカNBCニュース

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たった今見ていた東北放送(本社仙台)の報道番組。
避難生活を送っている家族が、福島第一原発の避難区域にある自宅に必要な物を取るため戻ってきました。
荒れ果てた家、金品だけが誰かに持ち去られていました。
全員防護服をまといながら探し物をしているとき、中学生の女の子が突然「私はここに残りたい。」と言いだしました。
だってここには思い出がある、仲の良かった友達もいた…
母親に思い切り叱りつけられた女の子は、半泣きで「なんで?!」と叫びました。

女の子が悪いはずがない、母親だって悪い訳じゃない。
それでも叱りつけられ、涙を流さなければならないのです。
3.11以降、残念ながらこの国には業界の利益を守る原子力安全保安院はあっても、この女の子のような声をあげられない被害者を守るシステムはないことがわかりました。

そうである以上、市民自身が守っていくしかないと思います。
この稿をお読みいただいている皆さんと、私たちが守っていかなければなりません。

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【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第4回〉
「福島第一原発の事故後の、あまりに見え透いた日本政府の対応」
「それでも東京電力は、関東圏で発電・売電事業の独占状態を享受」

ニューヨークタイムズ 2012年2月8日(一部3月10日改訂)

▽ 事故を起こした原子炉、廃炉への計画
福島第一原発について冷温停止状態の宣言を発した後、日本政府は完全に廃炉にする日程について公表しました。
各原子炉の格納容器の底にあるとみられる溶け落ちた核燃料をロボットによって除去し、完全廃炉を行うまでには、政府の詳細な日程表によれば40年の歳月を必要とします。

日本の細野原子力事故担当大臣は、3基の原子炉の核燃料除去作業を同時に行うべき必要性について認識しています。
この作業が全体としてどのようなものになるかは予測不可能な困難のものになるだろう、と記者団に述べ、「どのような困難に遭遇することになっても、やり遂げる必要がある。」
と語りました。

計画によれば、東京電力は破壊された原子炉と同じ建屋内にある格納用プールから、使用済み核燃料を除去するために2年を費やすことになっています。
少なくとも格納用プールの一つは、事故直後の水素爆発で建屋が吹き飛ばされため、高濃度の放射線を大気中に直接放出している可能性があります。

技術的に最も難しいと見られるのは、溶け落ちた核燃料の除去作業です。
この作業には25年もの時間がかかる見込みで、作業のための新たなロボット開発、そして現在は未開発の新たな技術開発が必要になります。
そして核燃料が取り除かれた後、廃炉の完了まではさ らに5年から10年の歳月が必要となる見込みです。

▽ 東京電力の支払い義務

2011年12月、日本政府は東京電力に対し同社が望む公的資金の 注入と引き換えに、暫定的な国有化を提案、一時的な経営権の譲渡を検討するよう求めました。
東京電力が福島第一原発の原子力事故対応のため、6,894億円(約88億ドル)の資本注入を政府側に求めたことによるものです。

東京電力は、2013年までに補償金として4兆5,000億円を支払わなければなりませんが、政府の諮問機関は10月、同社はこれにより債務超過に陥る恐れが出てきた、と指摘しました。
東京電力はさらに巨額の費用を投じて福島第1原発の6基の原子炉の廃炉作業を行わなければなりません。
さらには福島第2原子力発電所の4基の原子炉の将来もまた、大災害の後、国民の抗議の的となっています。
それでも、専門家が長い間指摘し続けてきた東京電力の経営方法の改善、あるいは関東圏で発電・売電事業の独占状態を享受している状況を打ち破ること、政府がこうした抜本的対策をとるかどうかはまだはっきりしていません。
〈つづく〉

http://topics.nytimes.com/top/news/international/countriesandterritories/japan/index.html?scp=1&sq=fukushima%20surprise&st=cse

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〈この動画はアメリカNBC[ロックセンター]で3月7日放映されたもので、ニューヨークタイムズの記事と直接の関係はありません。翻訳はありません、ご了承ください。〉

【 長い、長い道のり 】&【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第3回〉

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所要時間 約 11分

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アメリカNBCニュース 2012年3月9日

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海外では巨大地震と巨大津波が、東日本に壊滅的被害を与えてから一年が過ぎようとしています。
NBCも2万人近くの犠牲者を出したこの大災害一周年の、番組作りに取り組んできました。
NBCのイアン·ウィリアムズは一年前、この災害現場に最も早く駆けつけた海外特派員の一人でした。彼はその後数週間、現場からの報告を続けました。今夜は彼が領域に返される。
彼は今日その場所に戻ってきました。
生き残った人々が、その後どうやってこの一年を乗り切って来たのか、現地からお伝えします。

レポーター : それは東日本の沿岸で暮らす人々にとって、最も恐ろしい瞬間でした。
20,000人近くの人々が命を落としました。
一年が経ち、付近は全く異なった景色になりました。
けた外れの後片づけ作業により、海岸は見違えるようになっています。
巨大な津波にのみこまれた漁業の町大槌は、一度は地上から抹殺されてしまいました。
ねじれた残骸に覆い尽くされ、不毛の地と化していたこの町も、やっと穏やかな表情を取り戻したかに見えます。

レポーター : 海岸沿いには巨大な瓦礫の山がいくつもできています。毒性を持つものもあります。
津波の被災地にはおよそ19年分のごみが堆積しています。
日本ではおよそ50万の建物が破壊され、その瓦礫をどう処分するのか、具体的かつ現実性のあるプランはまだ見つかっていません。
そしてこの町の再生プランも。

2,000人の生存者が暮らす狭い仮設住宅の中に、津波で何もかも失ってしまった79歳の高橋さんの姿があります。
彼女の自分の家に住みたい、という願いはかなえられそうにありませんが、常に前向きに、前だけを見て暮らすよう日々努力している、と話してくれました。
地元の自治体は高さが15メートルもある、 防潮堤を建設すると約束しました。
この高さは昨年この場所を襲った津波の倍になりますが、それでもこの場所が再び住んでも安全である、とは言い切れないのです。
この場所からさらに南側にある南三陸町は、海から離れるにしたがって左右の山が迫ってくる地形が災いし、津波が15メートルを超える高さになってしまい、もっともひどい被害を受けた町のひとつです。

漁業の盛んなこの町を世界的に有名にした、ビルの屋上に乗りあげた観光船は撤去され、がれきの片づけも進んでいます。
これまでアメリカの慈善団体により寄付された新たな設備が、200人ほどの雇用の場をこの町に作り出しました。
ランドルフ・マーティン(Mercy Corps : 思いやりによる団結)「ほんとうにこの町が立ち直るまでには、これから長い長い時間がかかることになるでしょう。でも私はこの一年間、私はこの街の人々が互いに知恵を絞り協力し合いながら、再び町としての機能を取り戻す様子を見ることができました。」

レポーター : ここには立ち直ろうという意思が欠けている、などという事はいささかもありません。そしてみんなが懸命に未来をつくり出そうとしてる、その姿こそは最も尊い、そう言えるでしょう。
イアン・ウィリアムズ、NBC放送、日本から。

http://www.msnbc.msn.com/id/3032619/ns/nightly_news/#46687288

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私たちは忘れもしません。

津波をまともにかぶった人たちは、寒気と恐怖に震えながら肉親を捜し、がれきを片付けていました。
仙台港の方向には真っ黒な煙が空高く上がり続け、あらゆる方向から緊急車両のサイレンが途切れることなく聞こえていました。
そして、朝になると自衛隊や消防の車両が何台も何台も、続々と沿岸部をめざして走っていきました。

電気も水もガソリンも、そして何より情報が無い中、福島第一原発から大量の放射性物質が放出されていたのに、たくさんの人々が自転車で仙台市内を走り回っていました。

なのに国会は政争・政局に明け暮れ、日本の放送・新聞は飽きることなくその様子を被災地にも流し続け、私たちの気持ちを一側暗いものにしてくれま した。

被災地には世界各国の救助隊や報道陣がやってきて、世界に向け今回の東日本大震災の被害がどれ程悲惨なものか、発信し続けていました。
おかけで日本中から、世界中から支援の手が差し伸べられ、被災地の人々は大いに慰められました。

日本政府・政府機関・大政党の国会議員『以外』の日本中・世界中の方々から、私たちは大きな支援をいただきました。
ほんとうに心から感謝いたします。

しかし、昨日取り上げたアメリカCBSニュースが取り上げていた大川小学校の犠牲者のご遺族を始め、立ち直れずに苦しんでいらっしゃる方が数多くいらっしゃいます。
そして福島第一原発から20km圏内の方など、まだ何も始まっていない方には、ほんとうにどんな慰めもありません。

ところで、3月10日前後からアメリカを始め、世界中のニュース各社のサイトに日本のニュースが続々アップされています。
確認済みのものだけでもNBCが5本、CBSが4本、ABCが3本、CNNが5本など、他に英国BBC放送やアルジャジーラほか、かなりの分量になります。
下記のニューヨーク・タイムズの記事と同時掲載の形で、可能な限り数多くご紹介していく予定です。

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【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第3回〉
「冷温停止宣言は国民の間にわき上がる、事故に対する怒りをなだめるためだけに行われた」

▽ 地震・津波・原子力危機
「日本政府の職員は国民より、自分を守るのが先」

2011年3月11日に襲った巨大地震が東日本沿岸部を襲い、続いて発生した巨大津波は北日本の都市や農地を目も当てられないほどの惨憺たる有様にしてしまいました。
遠くアメリカや南米の西海岸でも津波警報が発せられるほどでした。
マグニチュード9.0を記録したこの地震は、この国の記録始まって以来最大の地震となりました。

日本が救出活動に苦闘するそのタイミングで、今度はチェルノブイリ以来最悪の原子力発電所事故に直面させられることになりました。
爆発と放射能漏れが福島第一原発の3基の原子炉で起き、限りなく100%に近いメルトダウンが発生しました。他の一基の原子炉では、原子炉の上部に格納されていた使用済み核燃料が火を噴き、放射性物質を大気中に直接大気中に噴出させたのです。

放射性物質は東京の水道水の中にまで入り込み、汚染された水が海洋中に流れ込むなど、日本政府は絶望的な状況のなかで対策を迫られることになりました。

7月までに災害による死者・行方不明者は20,000人を超えてしまいました。
原子力発電所の危機は、数万人の人々に仮設住宅での暮らし、あるいは避難先での生活を強いることになりました。

一部の政府関係者は、インタビューや公式声明の席では、日本の関係当局が今回の事故処理に必要な金額、避難を強いられた人々の人数などについて、不利な情報を握りつぶしたり、事実を否定したり、といったお決まりの隠ぺいを行ったことを認めています。

それというのも、強大な政治力を持つ日本の原子力産業界の反発を恐れてのことでした。

災害発生後数か月の間、原子力発電に対する人々の反感は、運転上の不具合、故障修理、あるいは定期点検などの理由で停止中だった原子炉の再稼働への反対、という形で現れました。
福島第一原発の事故以降稼働中の原子炉は54基中10基だけとなり、産業用の総電力量の30%が急激に減少することになりました。

▽ 『冷温停止』の疑惑
日本政府は2011年12月、事故を起こした福島第一原発の原子炉が高温状態を脱し最終的に制御できるようになっ た、と宣言しました。
しかし、この宣言はそれが行われる以前から、専門家に疑問を持たれていたのです。

野田佳彦内閣総理大臣が率いる災害対策特別委員会は、福島第一原発の破壊された3基の原子炉が冷温停止にほぼ等しい状態になったとして、冷温停止『状態』を宣言しましたが、冷温停止とは技術的には炉心の核燃料が安全・安定している状態を指します。
一部の専門家は、今回の宣言は年内には冷却システム を正常に機能させる、とした政府の誓約のつじつまを合わせるための物で、現状を正しく表現するものではない、と指摘しました。

別の専門家は国民の間にわき上がる事故に対する怒りをなだめるためだけに行われた宣言であり、3基の原子炉が抱える安全上の問題から目を逸らさせてしまう可能性がある、と述べています。
3月11日のマグニチュード9.0の地震の余震のうち、もし大きなものが襲ってきたら、事故後にあわてて作られた急ごしらえの新たな冷却システムが破壊されてしまう可能性が高い、と多くの地震学者が考えています。

http://topics.nytimes.com/top/news/international/countriesandterritories/japan/index.html?scp=1&sq=fukushima%20surprise&st=cse

【3.11から1年 : 未だに答えを探し続けている 】

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宮城県石巻市 / アメリカCBSニュース 3月9日

2012年3月11日で日本は、その国土を徹底的に破壊した巨大地震と津波が襲ってから1年を迎える事になります。
少なくとも16,000人が瞬時に命を奪われましたが、未だに3,000人以上が行方不明のままになっています。

一年は長い時間だったかもしれませんが、ここにいる人々にとってはそうではなかったかもしれません。
3,182人が死亡した石巻市は、もっとも津波の被害が激しかった所です。
捜索をつつけている人々は、未だに行方不明のままの533人の姿を探し求めています。

この街は市内の大川小学校で多数の幼い命を失いました。
74人のこどもたちと、教師10人が津波にのまれて死亡しました。

「みんな生きているのに、どうして私の娘だけが死ななければならなかったのでしょうか?!」
志登さゆりさんはCBSニュース特派員のビル・ホワイテイカーにこう語りました。
彼女の12歳の娘、ちさとさんはこの小学校の犠牲になったこどもたちのうちの一人です。
さゆりさんにとって小学校を見る事は苦痛以外の何なにものでもありませんが、毎日学校に通い続けています。

もっとも大きな悲劇のひとつは、子どもたちと教師たちが、緊急地震対応マニュアルに基づき行動していた事でした。
結果的にそのことが、ほとんど全員の死につながってしまったのです。
地震が襲った際、子どもたちはまず自分の机の下に身を隠しました。
その後子どもたちは余震から身を守るため、低い場所にある屋外の校庭に避難したのです。

そこを津波が遅い、たちまちに多くの命を奪い去りました。
校庭の右側には小高い丘がありました。
別の12歳の犠牲者の母親、平塚なおみさんはなぜ高い場所に逃げなかったのか、その事を本人たちに代わり悔やんでいるとホワイテイカー特派員に語りました。
志登さんも同じ意見です。

彼女はその怒りを学校側に向けています。
一度など学校関係者の一人が、こどもたちが死んでしまったのは彼らの「運命」だったと言い放った、と彼女が語りました。
その発言は子どもたちを亡くした両親たちを激怒させ、親たちは学校関係者に向け怒号を浴びせました。
このような事は、日本では滅多に起きません。
一本のビデオは一人の父親が亡くなった娘の靴の片方をテーブルにたたきつけながら、こんなものしかもう残されていないのだ、と叫ぶシーンを記録していました。
津波をたった一人生き延びた教師は、うなだれたまま恥ずかしさのあまり崩れ落ちる様子が記録されていました。

志登さんは亡くなった娘のために神社を建て、娘のちさとさんが生前好きだったものを供えました。
一年が過ぎましたが、母親は亡くなった娘を想い苦しみ続けています。
平塚さんはわき上がる怒りと絶望を、娘の遺体を探し続ける糧としています。彼女はより広い範囲で遺体捜索ができるように掘削用重機の操作方法を学びました。平塚さんは娘の遺体が発見された今も、遺体の捜索を続けています。

「大切な子どもを、泥の中に埋もれたままにしておける親などいないじゃないですか…」

最後に平塚さんは英語で、自分がこれからも生きてくための心の支えを探しているのだ、と語りました。
「私の娘の夢は教師になる事でした。だから私も教育現場に戻らなければなりません。そこが私のゴールになるでしょう。」

http://www.cbsnews.com/video/watch/?id=7401551n&tag=cbsnewsVideoArea

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【 3.11災害後の日本を検証する 】〈第2回〉
「日本企業の地震と津波の被害からの、立ち直りの速さを印象づけた回復」

ニューヨークタイムズ 2月9日/3月10日

▽ 環太平洋自由貿易協定(TPP)

安定した政権を築けるかどうか論議を呼ぶ中、2011年11月半ばに野田首相は環太平洋パートナーシップ(TPP)に向けた議論の場に加わることを表明しました。
この協定は輸出業者に対しては新たな市場を提供することになるでしょうが、生活基盤が台無しにされるとする、発言力のある農家を激怒させることになりました。
野田首相は農業分野も含め、国際競争はより強固な国内市場を創造することになる、と言及しました。
日本に対し輸入超過に陥っているアメリカ合衆国は、 長い間日本市場への進出がしやすくなるよう努めてきました。

しかし市場関係者は日本の参加は来たるべき条約締結において国際間の信用を得られても、日本政府が求める細部にわたる条約の訂正は不可能であり、関税撤廃にまで踏み込むことは望んでいないだろうと分析しています。

▽災害後の経済回復

2011年11月、日本経済は第三四半期において6%の経済成長を達成し、3月に襲った巨大地震と巨大津波の被害からの力強い回復を印象づけました。
しかしながら減速を続ける世界経済と揺らぎそうにない円高傾向は、世界第3位の日本経済の先行きを不透明なものにしています。

輸出と消費の回復に支えられ、国内総生産は9月までの3ヶ月間で前年同期比1.5%拡大していることを、内閣府が発表した数字は示しています。
年率に換算すると6パーセントの幅広い分野での上昇 は、直近の4期の四半期の中では初めての改善でした。
こうした回復は、生産設備とサプライ・チェーンの立て直しによる、日本企業の地震と津波の被害からの立ち直りの速さを印象づけました。

輸出も6.2%の上昇を記録し、各企業は通常の生産体制に戻りました。
日本経済のほぼ3分の2を占める個人消費は、津波被害を受けた地区の買い替え需要と消費者心理の回復に助けられ1%増加しました。
〈つづく〉

http://topics.nytimes.com/top/news/international/countriesandterritories/japan/index.html?scp=1&sq=fukushima%20surprise&st=cse
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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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