ホーム » エッセイ » 日本、20,000人の亡命申請、受け入れは20人
日本で救済される権利を獲得できたのは、庇護を申請した人々のうちのわずか0.1%
諸外国向けに演出される表の顔、足元の難民たちへの冷たい扱い、安倍政権の二つの顔
ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2018年2月16日
亡命希望者の支援を行っている弁護士は、日本政府の方針が本当に亡命を必要としている人々を追い詰めていると語りました。
日本は昨年20名の亡命希望者を受け入れました。
しかし亡命の申請をしていたのは史上最大の19,628件であり、亡命の措置を深刻に必要している人々に対し、救済のための扉が不当に閉ざされたままになっているとの批判を生んでいます。
2010年以降日本政府は、難民申請が審査されている間、日本国内で労働することを許可するビザを持つ亡命希望者に働くことを許可してきました。
しかし政府のこの措置は思わぬ波及効果を生み、亡命ではなくただ単に日本国内での労働を目的とした『偽りの』亡命申請の記録的な増加につながったとしています。
今週発表された統計によると2017年の亡命希望者数は前年より80%増加し、例外とされた28件を除き約11,000件の申請が受け付けられました。
申請が却下された数千人の人々の中には、ブルンジ国内の民族対立による暴力を逃れて2001年に日本にやってきたジーンがいます。 17年後、ジーンは法的に宙ぶらりんの状況に陥っています。
難民支援の活動家は、彼は日本の難民に対する厳しい政策と移民に対する心理的抵抗の大きさの犠牲者の一人だと語りました。
フツ族のジーンは、ツチ族との戦いに加わることを拒否したことを攻められ、燃え上がるタイヤの山の中に投げ込まれました。
彼はなんとか脱出することには成功しましたが、右足には大きな火傷の跡が残りました。
この事件をきっかけに、ジーンはもう二度とブルンジには戻らないと決心することになりました。
「その当時、私は路上でトウモロコシと落花生を売るという、ただそれだけの生活をしていました。フツ族とツチ族がなぜ、そして何のために戦っているのか理解することはできませんでした。」
彼は東京の自宅近くで、ガーディアンのインタビューにこう答えました。
弁護士の鈴木雅子氏は、政府の方針が真に亡命を必要している希望者を追い詰めているとと述べた語りました。
「ジーンは現在までに亡命希望者として認定されなければならない人物です。」
鈴木弁護士はこう語りました。
「民族対立に起因するブルンジ国内の暴力が2016年以来劇的に悪化していることを考慮すれば、入国当局が彼に人道的救済措置を与えていないことは信じられない暴挙というべきです。」
日本政府当局は亡命申請の人数を減らそうとする措置を取り、政府は先月から申請の亡命希望者と認められた人々だけに働く権利を認める制限を開始しました。
再出願を行った亡命希望者と入国審査で不合格とされた人々は、滞在期限が過ぎた後は入国管理局に身柄を拘束されるリスクがあります。
認定NPO法人の難民支援協会の石川えり会長は、新たに導入された規制は安倍政権下で行われている難民への取り締まり強化の一環だと語りました。
安倍首相は2015年、シリアから難民を受け入れる以前の問題として、日本の国民、特に女性や高齢者の生活を改善すべきだと主張して論議を呼びました。
安部首相ら政権の一行は最近、リトアニアを訪問し、1940年に推定6,000人のユダヤ人の命を救うための取組を行った日本の外交官、杉原千畝(すぎはらちうね・1900年 - 1986年)氏に敬意を表す行事を行い、亡命者に対する厳しい姿勢と対照をなしました。
「日本政府は、日本で就労許可を取得するだけのために難民の認定を申請している人もいると考えています。」
主にアフリカ諸国からの難民の支援を行っているNPO法人の代表を務める石川さんがこう語りました。
石川さんたちが支援する難民の数は700人に上りますが、その申請はこれまですべて却下されました。
「基本的に亡命申請をする人々に対し、日本は門戸を閉ざしています。私たちが懸念しているのは、そうした中に本当に救済を必要としている亡命希望者がいるということなのです。」
日本の入国者収容所は拘留者に対して過酷な扱いをしているという批判を浴びています。
2006年以来、4人の自殺者を含め少なくとも10人が収容所内で死亡しています。
2016年大阪の収容所で40人以上の拘留者が生活環境の劣悪さや医療基準の低さについて改善を求め、ハンガー・ストライキを行いました。
「収容所内の環境は厳しく、その上拘束される機関について制限がありません。」
石川氏がこう語りました。
「人々は通常約1年後に仮放免されますが、就労は許可されず、いかなる社会保障を受ける権利もありません。」
日本では44年間最悪の労働力不足状態が続いていますが、日本人は大量の移民が入り込むことに対する嫌悪感を持ちがちだという精神文化を克服する可能性は低い、石川氏はそうつけ加えました。
「日本政府はそもそも移民という言葉が好きではありません。恒久的に住みつくというイメージがあり、日本社会の中で一部の人々が抵抗する理由がそこにあります。移民が増えれば日本社会の本質を変えることになるだろうと心配しているのです。」
ジーンからは記事にする際はファーストネームだけ公開するよう頼まれていますが、今なお燃え盛るタイヤの山の中に投げ込まされた歳に負った足の火傷の傷みに苦しんでいます。
そして彼はブルンジから脱出して以来、両親とも二人いた姉妹とも一度も会っていません。
彼は2001年1月、90日間の観光ビザで東京に到着し、やっと安全な避難場所にたどり着いたと思い、心からほっとしました。
当初彼は車で寝泊まりし、とある予備部品倉庫で働きながら目立たないように暮らしていました。
彼は、出入国管理当局から呼び出されて観光ビザの滞在期限が過ぎてしまっていることを通告されるまで、そんなことになっているなど思いもしなかったと語りました。
故国ブルンジに帰れば直ちに命が危険にさらされると考えている今年48歳になるこの男性は、直近では2011年に数か月に及ぶ収容所生活を送りました。
彼は現在、3回目の亡命申請の結果を待っています。
彼は日本に到着した直後に亡命申請を行いませんでしたが、その結果働くことを禁止され、日常行動について厳しい監視を受けています。
ジーンは現在東京のカトリック教会でボランティア活動をし、日本語を勉強しています。
それでもジーンは出入国管理当局が彼の未来を決定する審査を続けている間、日本人市民が示してくれた親切さに心から感謝しています。
その中には彼を自宅に招待してくれた夫婦もいました。
「私が知っている日本人は、みんなとても親切でした。
他国の見も知らずの人間にこれ程親切にしてくれるなど、とても信じられない思いでした。」
「彼らは私の事をまるで家族のように大切に扱ってくれました。
あの人たちがいなかったら、今ごろ私はどうなっていたか解りません。
私はそれほどまでに平和な国で暮らしているのです。」
https://www.theguardian.com/world/2018/feb/16/japan-asylum-applications-2017-accepted-20