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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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『犯人探し』は今、するべきことなのか?!

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所要時間 約 4分

果然、というべきか、またしても、と言えばいいのでしょうか。
今度は東京電力福島第1原発1号機の炉心冷却のための海水注入が中断したことの「犯人探し」が始まりました。

アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントン 第二次世界大戦が終わって65年、国民が今程「日本の政治の不毛」を感じさせられている時はない。 アメリカ独立の英雄、ワシントンは「偶然現れた」のではない。 インディアンを迫害するなど今となれば人としての問題点も感じるが、彼を司令官として選んだ人々の真摯な期待が、彼を比類なき指導者に育て上げた。

アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントン 第二次世界大戦が終わって65年、国民が今程「日本の政治の不毛」を感じさせられている時はない。 アメリカ独立の英雄、ワシントンは「偶然現れた」のではない。 インディアンを迫害するなど今となれば人としての問題点も感じるが、彼を司令官として選んだ人々の真摯な期待が、彼を比類なき指導者に育て上げた。

首相が指示した、指示しない、ということが焦点のようですが、要は「今度こそ菅降ろし」を実現させようと言うことなのでしょう。
首相の「人格と品性」については震災以来、すでに多くの日本人がその本質をうかがい知ることになっていると思います。
天皇・皇后両陛下が避難所を時間をかけて被災地ごとに訪問され、ひざまづかれて被災者の一人一人を丁寧に慰め、力づけられ、さらには水仙の花(http://kobajun.biz/?p=433をご参照ください)の様なエピソードが生まれました。
5月21日に来日された韓国のイ・ミョンバク大統領も避難所の一家族の区画の中に座り込み、まるで親戚のおじさんが見舞いにきたかのように親身になって、被災者を見舞っておられました。
これに対し、我が国の首相は避難所を訪れた際、立ったまま通り一遍の挨拶をして立ち去ろうとし、被災者から怒号を浴びせられました。
そして国民新党亀井氏の嘆き。
「首相は先日、家族とホテルで食事したそうだが、なぜ震災で親を失った子供たちと一緒にカレーライスを食べようという発想にならないのか....」
巧言令色少なし仁。
高校の漢文の時間にみなさんも習われたと思いますが、現実に見せられると何ともやりきれない思いになります。

しかし、だからといって一国の最高権力に連なる国会議事堂に出入りする人間が、今この時に政局争い、権力闘争に血道を上げて良い、という事にはならないと思います。
与党も野党も、日本の国会議員には『日本国の公僕』として、今、やらなければならない事が山積みしているはずです。
親を失ってしまった子供たちは、毎晩夜の闇におびえているのです。
子を失ってしまった親たちは、多くが生きる目的を見失ってしまいました。
震災から子を守った親たちも、今度は職を失って希望を失いかけています。
震災前から孤立しがちだった高齢者の方々は、いまや生命の危険にさらされています。
これら震災で絶望から、悲嘆から、苦悩から立ち上がれないでいる人々を踏み台にして、自分が権力の座にのぼろうなどは、許される行為ではありません。

犯人探しは、福島第一原発の4基の原子炉すべてを安定化させてからやってください。
溢れ出す高濃度汚染水の持って行き場も無くなってきているはずです、これをどうするのですか?
私たち日本国民にとって、今回の事態の犯人探しをするべき時はただ一度です。
『事態が終息した後』二度とこのような事故を起こさない、そのための対策を確立するために原因を明らかにする必要がある、そのときだけです。

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命が失われた世界・蒲生再訪〈1〉

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所要時間 約 4分

昨日、仙台市宮城野区の蒲生地区に行って来ました。
東日本大震災から2ヶ月、しかし津波の直撃を受けた地区の復興・再生の容易ならなさを改めて感じました。
ひとつは空気。

アオシジュウカラ 1970年 スイス発行

アオシジュウカラ 1970年 スイス発行

石巻や女川、南三陸、気仙沼でも復旧活動を続ける自衛隊や消防、警察の方々を、がれきから発生する多量の『ほこり』が苦しめている、と非常に強い風が吹いた5月の連休明け、新聞などが報道していました。
実際にそうした場所に立ってみて、そのひどさを痛感させられました。
立っているだけで10分程もすると、猛烈に喉が痛くなってくるのです。
道路には絶え間なく散水車が行き交っていますが、現場で何らかの作業に従事されている方々は皆マスクをしています。そうしなければ、その場所に居続ける事すらむずかしいのでしょう。
津波は仙台港の港湾施設を破壊しましたが、タンクなどから漏れだした様々な化学物質が今も地面に残留し、それらが折からの好天で気化してしまっているのかもしれません。
まる一日経ってこの原稿を書いている今も、痛みが消えません。

道路の損傷もひどく、陥没はもちろん、えぐられるように穴が空いている箇所もあり、車で進むには一瞬の気のゆるみも許されません。

そして景色。
田んぼの中には未だに破壊された乗用車やトラックがそのままになっている地域もあり、がれきの撤去など口で言う程簡単にはできない事がわかります。
蒲生地区は七北田川を挟んで、干潟で有名な北蒲生と運動公園などの施設が充実している南蒲生に分かれています。
大ざっぱな言い方ですが、干潟には水鳥が多く集まり、運動公園近くの背のあまり高くない森にはホオジロ、オオヨシキリ、シジュウカラ、カワセミなど数えきれない程多くの種類の野鳥がいました。
以前私は少しカメラに凝った時期があり、被写体として野鳥を追いかけていた時期がありました。そんな私にとって蒲生は『宝の山』だったのですが......
干潟の方は3月11日当日、津波でそっくり消失してしまいました。
その日私は損傷だらけの道を慎重に進み、小鳥たちのいた森がどうなっているのか気になり、何とかたどり着こうとしました。
でも田んぼ道の目印にしていた建物は皆流されてなくなっており、それでも記憶をたよりに森の入り口近くまで来る事ができました。
しかしその先は道路の損傷がひどく、もうこれ以上は進む事はできません。
仕方なく、目指す森を目でさがしました。
でも、見えたのはあったはずの空間だけ。
野鳥たちが鳴き交わしていた森は、何か凶悪な力でむしられたようにまばらになっていました。
頭が真っ白になり、涙だけがにじんできました。

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オラなど、死ねばいがった

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所要時間 約 4分

妻が薬剤師をつとめる薬局に、最近、宮城県の気仙沼市のおばあちゃんが姿を見せられるようになりました。年齢は80歳に近く、3月11日に気仙沼市の自宅が被災してしまったため、仙台市内の長男のお宅に引き取られ、暮らしておられるそうです。

ウイリアム・ターナーの絵画[ 平和 - 水葬 ]

ウイリアム・ターナーの絵画[ 平和 - 水葬 ]

慣れない環境もあり調を崩される事が多いため、妻に相談して必要なものをお買いになり、しばらくいろいろお話をされてから帰られます。
おばあちゃんは被災した気仙沼市の様子をお話しされた後、最後に決まってこうおっしゃるそうです。
「町も流され、若い人もいっぱい亡ぐなって、わだしらみだいな者(もん)ばがり生ぎのごって......。オラなど、死ねばいがった......」
そして肩を落として帰って行かれるそうです。
この言葉を反芻するたび、私は涙がにじんできます。
そして、考え込んでしまいます。
なぜ、生への執着を捨ててしまったのだろう、と。

薬局のある仙台市内の高台と石巻、女川、南三陸、気仙沼などの沿岸とでは、おなじ宮城県と言っても被災状況はまるで違います。
家や設備等に多少の被害はあっても、コミュニティがそのまま残った地区と、暮らしていた地域社会が消失してしまった地区では、当たり前の話ですが、その後の生活が全く違ってしまいました。
私は一度、記憶を一時的に失った事があります。
その時痛感したのは、自分の人生の記憶が無い、という事はこれまでの生に全く意味が無い、という事でした。
幸い記憶はすぐに戻りましたが、あのときの焦燥と絶望は忘れられません。

おばあちゃんは長い人生を、気仙沼の町の中に刻んできたのではないでしようか。
気仙沼に生まれ、少女期を過ごし、大人になって結婚。
そして子供が生まれ、やがて孫の世代との対面。
妻は「優しそうなおばあちゃん」と言いますから、やさしい母親であり、やさしいおばあちゃんであったに違いありません。
周囲の人々との暮らしが、気仙沼の町のあちこちに刻まれてきたことでしょう。
町のあちこちに刻まれた記憶の集積がすなわち、おばあちゃんの人生の大切な何かであったはず。
そして津波。

津波の被害のむごたらしさの第一、それは多くの人の命を一瞬にして奪うこと。
そして第二はたくさんの人の人生の記憶を奪ってしまう事、ではないでしょうか。

この震災で、自衛隊など救助にあたられている方々の素晴らしさのひとつは、そこに暮らしていた人々の記憶につながる品物をひとつひとつ大切に回収し、持ち主の方に返していらっしゃる事です。
津波に流されたはずの写真アルバムを再び手にして、泣きくずれた人が何人いたことか......

でも残念ながら、こうした現場の人々の献身だけではおばあちゃんの嘆きは消えません。
今回被災した町や村が再生し、すべての世代の人々が生き生きと暮らせるようにならなければなりません。

それはもっと大きな組織、国家、中央官庁、政党などの役割のはず。
ともすれば、高学歴や家柄だけで何やら畏敬の念を持ってしまう私たち日本人。
でも今は、彼らがおばあちゃんの嘆きをしっかりと受け止める、その資質を持っているか、いないのか?!
わたしたち日本人は、その事を問い続けなければならないのではないでしょうか?

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計画的避難って、いったい何なの?!

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所要時間 約 4分

「5月14日土曜日、ついにモーガンザ水門は開け放たれた !! 」

トランス・ミシシッピ博覧会 1898年アメリカ発行 カタログ評価が420,000円という高額評価の切手

トランス・ミシシッピ博覧会 1898年アメリカ発行 カタログ評価が420,000円という高額評価の切手

突然の話で恐縮ですが、モーガンザ水門(英語では Morganza Spillway )とはアメリカ合衆国ルイジアナ州にあるミシシッピ川の洪水調節水門の事です。ミシシッピ川は何かあるとすぐ氾濫し、流域一帯を水浸しにする「暴れ川」です。日本にも同様の「暴れ川」がありますが、ミシシッピ川は全長が6,000kmと日本にはあり得ない長さ、そして流域の広大さで私たちの想像をはるかに超えるスケールを持ち、下流は川というより非常に複雑な形の巨大湿地帯になっています。

アメリカのニュース番組はNBCもABCも5月9日の週になると、このモーガンザ水門の話題が連日トップで扱われていました。
「最悪の結果に備えて」当局は対策をとっている、と繰り返し報じていました。
というのも今年の冬、ミシシッピ川の上流にあたる一帯が例年の200%の降雪に見舞われた上、4月には大雨にたたられ、水位が1927年以来という異常なペースで上昇、このままでは下流域一帯が水没する危険が出て来たのです。

モーガンザ放水門は1927年の大洪水がきっかけで建設され、解放されたのはこれまで立った一度、1973年の4月17日だけでした。というのもこの水門を開けると、ミシシッピ川の水は少し下流にあるモーガン市一帯を水没させてしまう危険があるからなのです。ミシシッピ川の氾濫によってさらに下流のバトン・ルージュ(人口約30万)やニューオリンズ(人口約50万)を水没させないよう、放水門の水は南にある湿地帯へ流れ込むべく、ミシシッピ川の支流とその周囲約80kmをひた走ることになります。アメリカらしい豪快な解決方法ですが、水の通り道になる地域にも人々は暮らしており、彼らにとってはたまったものではありません。
NBCニュースが「タフ・チョイス」- 困難な選択、と報じるのもうなずけます。

しかし、ミシシッピ川の水位は上昇を続け、より広範なエリアの水没を防ぐため、いよいよ5月14日には水門を開けることになりました。
モーガンザ水門の南南東にあるモーガン市の郊外の『水没予定区域』の人々は家の周りに土嚢を積み、大切な家財道具は持って出て、人によっては家をまるごと『ラップして』避難していきました。
誰もが「ここまでやっておけば」と納得するまでの対策を施し、そして避難して行きました。
幸いな事に、放水後『水没予定区域』の水位は予想した程は上昇せず、多くの関係者をほっとさせているようです。

そして日本。5月15日にはついに福島県飯館村と川内村で「計画的避難」が始まりました。
20km圏外は大丈夫「のはず」、次に30km圏外は大丈夫「のはず」でした。
川内村役場は福島第一原発から約22km、飯館村役場は同じく約39km。
住民の方々はアメリカのモーガン市民同様、「ここまでやっておけば」と納得するまでの対策を施した上で、「計画的に」避難できたのでしょうか?!

はじめに「最悪の結果に備える」事を求められる。
はじめは安心させられたものの、次第にどんどん状況が悪化して、最後の最後に最悪の事態を告げられる。
あなたなら、どちらのプロセスを選択しますか?

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『つくられる?』日本のニュース

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所要時間 約 4分

先日、テレビでNHKのニュースを見ていて
「ははぁーん、つくってるなあ。」
と、感じる場面がありました。

霊峰富士と四季の植物

霊峰富士と四季の植物

首相が静岡県御前崎市の浜岡原発について、『当面の』停止要請を出した際の報道です。
いろいろな立場の人のインタビューが次々映し出されました。
まず東京の原発反対集会に参加した若い男性、やや興奮気味に明るく
「良かったと思います。」
次に御前崎市の市長、やや憤然とした様子で
「浜岡だけ停止せよ、というのは納得できない。浜岡原発を止めるなら、日本中の原発を止めるべきだ。」
次に静岡県の製茶業者の男性、抑えた口調でいかにも困った様子で
「計画停電は困る。摘み取ったお茶を煎る機械が動かなくなるし、お茶の葉を貯蔵する冷蔵庫の電気が来ないと、お茶の鮮度が下がってしまう。」

私は止める見通しが「まったく立たない」福島第一原発に加え、静岡県でも原発事故が起きてしまえば、もはや『日本滅亡』は必至 - 物理的な問題に加え、今度こそ国際社会での信用が地に堕ちて、世界中で[ Made in JAPAN ]を買う人がいなくなるという意味で - と思っていました。
ですから、ニュースを見ていて、静岡県の製茶業者の男性に一番違和感を覚えました。
「事故が起きてしまった福島沿岸では、収穫どころか一粒の種をまく事すら許されない。農業も、漁業も、工業も、商業も、そして普段の生活すら、以前の姿を取り戻す見通しがまったく立たないのだ。」と。

福島第一原発から遠くないところで、日々生々しい情報がもたらされる生活をしていれば、「つくられている」ニュースは直感的に分かってしまいます。。
『浜岡原発停止 → 福島第一原発の現状から言って当然首都圏は歓迎ムードです → でも地元には経済的恩恵があるのです → そして、計画停電が実施されて電力不足になれば、様々な産業に支障が出ます、一概には喜べませんよ。』
という「シナリオ」が、先にあったような気がしてなりません。
もちろんニュースがすべて意図的なものだとは思いませんが、ときにそうしたものも混在していることを、今回はっきり認識した訳です。

これは被災地に居て、福島第一原発の事故がどれほど大きく日常の暮らしを脅かすものか、毎日実際に見ているから感じる事なのかもしれません。
しかし、静岡のようにとりあえず福島第一原発の汚染の心配が無く、毎日美しい富士山の姿を、以前と変わりなく愛でる事のできる場所で暮らしていれば、案外すんなりと『ニュースのシナリオ』を受け入れてしまうかもしれない、と感じました。

だからこそ「しっかり見分ける目」を養う事を、被災地で暮らす私たちがまず、始める必要があるように思います。

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未だに真実が見えない理由は?!

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所要時間 約 4分

胸が悪くなる
という言葉があります。
週刊ダイヤモンド5月21日号、『原発・1基100年!原発の一生に群がる人・企業』と週刊現代5月28日号『さらば原発、これでいいのだ』を読んだ後の感想がそうでした。

1790年頃の顕微鏡 1981年西ベルリン発行

1790年頃の顕微鏡 1981年西ベルリン発行

今日は私がいろいろ言うのではなく、活字になったものをご紹介します。

~週刊ダイヤモンド5月21日号記事「原発に群がった・ヒト・企業・カネ」~

「行政は原発から溢れ出るカネを湯水のように使っている」と驚く。浜岡原発のある御前崎市に、東京から引っ越して来たある住人。

「原子力政策を批判したら村八分に遭い、東京大学では助手を17年間やっていた。講演に行けば尾行がつき、研修医と称した東京電力の社員に見張られ続けた」
安斎育郎立命館大学名誉教授(東大工学部原子力工学科一期生)。安斎氏は放射線防護学を専門とし、原子力の問題点を訴えて、市民運動に大きな影響を与えた。そんな彼に原発推進派が露骨な嫌がらせをしてきたのだ。

~週刊ダイヤモンド5月21日号記事「大量の放射線浴びながら低賃金 - 原発労働者たちの悲惨な現実」~

「何の技術もない作業員でも元請けから日当3万円ぐらいは出るので下請けが3割抜き、オレたち(指定暴力団)がさらに抜く。本人の手元に残るのは6,000円ぐらい。」
…「女は風俗、男は原発というのが昔からの常識。」

~週刊ダイヤモンド5月21日号記事「あぶりだされた原発の真実」~

原発推進派のおごりが招いた代償はすべて国民へのツケへと回りそうだ(※)。

「原子力技術の大家である、日本原子力技術協会の石川最高顧問でさえ「原子炉の内部がどのような状況かわからないのが問題だ。.......塩水を入れたため、時間をかければ腐食が進み状況は悪化する。このままでは早くても1年、下手したら5年かかるかもしれない。」と話す。

~週刊現代5月28日号記事「舛添要一 - 菅総理、決死隊は死ねという事ですか」~

いま、作業員は事前に「将来、白血病などを発症しても賠償請求しません」という旨の誓約書を書かされているそうです。
(中略)
現場を知らない「専門家」がもっともらしい作文をして、それを総理が棒読みする。収束への工程表は作ったものの、進捗状況を発表しないから、何がどうなっているのかわからない。

津波が押し寄せ、福島第一原発が最初の爆発を起こしてから、もう2ヶ月以上。
でもまだ誰も真実がわかりません。
わかっているのは、東北3県の被災地の人間もツケを払わされることになりそうだ(※)という事だけです。
今日(原稿アップの時点では昨日)ついに放射能汚染が、たとえそれが牧草であっても福島・宮城の県境を超えました。
なぜ止まらないのか、なぜ止められないのか?

いずれの週刊誌も、興味をお持ちの方はご自分でご購入ください。

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立ち上がる被災地を一覧せよ

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所要時間 約 4分

「あ、やられちゃってる。」
今週号の『週刊現代』を見て、ちょっと驚きました。
普段は週刊誌等はあまり買わない私ですが、

オーストリア 1974年発行

オーストリア 1974年発行

『スクープ!東電内部文書入手「福島原発は止められない」』という今週号の新聞広告を見て購入しました。
表紙をめくってまず目に飛び込んできたのが、グラビア・ページの特集でした。

昨日、テレビで石巻市の製麺会社のことが取り上げられ、震災前は石巻名物のひとつとして定着しつつあった、「黒い焼きそば」を復活させようと奮闘する経営者の姿が紹介されていました。
石巻市にあった工場は津波で建物の基礎部分以外、すべて持って行かれました。
しかもその土地は地盤沈下が激しく、目下石巻市が建築を制限しているという状況。
それでもこの経営者は事業の再開を目指し、あらゆる可能性にトライしていました。
街が再生していくためには、ビッグではなくとも魅力的な地場産品の数をできるだけ増やし、にぎやかで活気のあるイメージを創りだす事も大切です。
この経営者もそこに向けての努力を続けており、こうした努力は将来の石巻市にとっての大切な宝物だと思うのです。

東日本大震災ではかつてない規模の義援金が寄せられました。
けれども被災地で暮らす人間としては考えるのは、義援金は大変ありがたいのですが一時金である、という事実です。街を再建し、生活を立て直すためには、やはり何と言っても仕事が必要です。
仕事に就く事ができれば、安定した収入を得られ、少しずつでも生活を再建して行く事が可能です。
そして仕事を提供してくれるのは職場であり、とりわけ石巻のように多くの工場や商店が壊滅的被害を受けた地区では、再開を目指す企業を応援し、一人でも多くの人が復職できるようにしていく必要があるでしょう。
そのためにはこうした企業の商品を、『消費する』必要があります。
それも出来るだけ多く、できるだけ長く。

そういう意味で、今年のお中元は
「被災地3県にあって、事業を再開し軌道に乗せようと奮闘中の会社の特産品以外に選択肢はない。」
という事で妻と意見の一致を見ました。
問題はそうした企業・商店をどうやって探し出すかです。

そんな中の週刊現代の「再起への序章・被災地は立ち上がる」という、被災地で名産品を売るためにいち早く再起した企業を一覧できるグラビア特集だったのです。
本当なら岩手・宮城・福島3県の合同企画でいち早く立ち上げてほしかったのですが、冷静に考えればお役所の動きが週刊誌のスピードに勝るはずもありません。
それに被災3県の知事さんたちの意見も、ずいぶんと違っているようですし......
でも、結果感じた事があります。
県等の自治体より、東京の週刊誌の方が身近かもしれない、と......

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被災地を苦しめるこの巨大な悪魔

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所要時間 約 5分

宮城県の米所、大崎平野の西部で、中規模の米作り農家を兼業している会社員の友人の顔色がこのところ冴えません。
「せっかく植えた米、ちゃんと収穫できんのかなぁ?」
ちゃんと米ができるかどうか、と言うのではありません。

ポーランド 1964年発行

ポーランド 1964年発行

米ならちゃんとできます、東日本大震災でも大崎平野の水田はほぼ無傷だったからです。
「せっかく作った米が、福島第一原発の放射能に汚染されてしまうのではないか?! その結果、みんな捨てさせられてしまうのではないか...」
という不安が毎日彼を脅かしているのです。

それというのも、茨城や福島の農産物の一部から放射性物質が検出された上、神奈川県南足柄市で収穫した新茶の生葉から、新潟県では村上市産のツボミナ1点から放射性ヨウ素が、などこれまで「汚染されていないはず」の地域の農産物から放射性物質が検出されているからです。
宮城と福島は隣県同士、新潟や神奈川に起きた事が、宮城では起こりえない、と考える方が無理があります。
私たち農産者でなくとも福島第一原発から100km内外の距離で暮らす人間は、いつも頭の上に糸で吊るされた大きな包丁があるような落ち着かない、不安な日を送っています。
いったいどうなっているのでしょう?
実は東京電力は解らないが半分、そして外に対する広報に関しては、触れなくていいなら触れたくない、というのが半分、それが本音なのではないでしょうか。
東北大学工学部に通う我が家の長男は、大学でいくつか『原子力』に関する単位を取得していたので、意見を聞いてみました。
「(原子力が)実用化されて高々50年程度では、まだまだ解らない事がたくさんある。」
という答えでした。
そう言えば、第二次世界大戦の終了前後、アメリカがアリゾナ砂漠かどこかで原爆実験を行った際の事です。数百名の陸軍の兵士を爆心地近くに『塹壕』を掘って待機させ(核シェルターなんかじゃありませんよ)、爆発直後に爆心地に向かって『進撃』させた記録映画を見た事があります。その後、兵士たちの身に起きた恐ろしい結果と広島・長崎の『原爆症』により、人類は放射能汚染の恐ろしさを知ったのです。

福島第一原発の一号機では、やはりメルトダウンが起きていました。しかし、記者会見で記者が「メルトダウンですよね?!」といくら追求しても、東京電力側は「燃料棒が溶けて下にたまっていますが...」とは答えるものの、決して「メルトダウン」とは言いません。明らかな敗北を「戦略的撤退」と強弁するのに似ています。
日本、いや世界の人々が求める「科学的客観性」はあるでしょうか?

福島第一原発の事故直後、日本はアメリカやフランスの事故処理「協力」の申し出を、「自分たちで処理できるから」と言って断りました。
日本の電機メーカーを中心に、原発プラント輸出国である日本、しかし韓国が急速に追い上げてきています。
「ここで外国の力を借りてしまったら、今後日本は世界に原発を売って回る事ができなくなるのではないか ?! 」
という思惑は働かなかったでしょうか?

しかし、結果として福島第一原発の事故は
1. 周辺国のコンセンサスを得る前に高濃度汚染水を海洋投棄
2. 「できる」と言いいながら、未だ安定化の見通しを立てられない
ことによって、日本人の「信用」をズタズタにしました。

そして国内では福島沿岸の実に10もの市町村を、一時的かもしれませんが「廃市廃町廃村」にしてしまっています。
東日本大震災は「関東大震災に広島原爆投下を加えた程の惨禍だ」という記事を読みました。
しかし、10の市町村をだめにしてしまうとは、もはや福島第一原発の事故は地震・津波の東日本大震災と切り離して、それだけで巨大な災害として認識すべき段階に来てしまっているのではないでしょうか。
地震・津波だけでも未曾有の災害なのに、その被災者をさらに苦しめ続ける巨大な悪魔。
でもそれを作り出したのは何なのか、わたしたち日本人全員が『科学的』に考え続けなければならないと思います。

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漁業・宮城の戦い

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所要時間 約 3分

東日本大震災では宮城県の漁船の実に9割が使い物にならなくなってしまいました。気仙沼、女川などの名だたる港は、破壊された上にがれきで埋め尽くされました。がれきは港の海中にも堆積、漁の再開には気の遠くなる程の時間と労力を要する事になりそうです。

『企業化』されているアイスランドの漁業

『企業化』されているアイスランドの漁業

そんな中、村井宮城県知事の提案になる『宮城県漁業特区』構想が波紋を広げています。これまで港港の漁業協同組合にのみ認めていた漁業権を、一般企業にも解放し、宮城県の漁業の復興を早め、ビジネスとしても堅牢なものにしようというプランです。
これに対し、各漁協は「民間企業は採算が合わなくなればすぐに事業から撤退するだろう。我々漁民は、子々孫々まで漁業という事業を継承して行きたいのだ。」と真っ向から反対しています。

5月13日に直接話し合いが行われましたが、議論は平行線です。
でも私はこの際、徹底的に議論すればいい、と思います。
宮城県側は『官僚の作文』と言われないよう、プランを磨き上げるべきです。
漁協側は地元の大学などとも連携し、『先細り』ではない、発展性のあるビジネス・プランを作り上げればいいでしょう。
双方それを持ち寄り、互いに検証し、そして最後は協力して素晴らしいプランを実現するといい。
それこそが政治なのです。

これまでは利害が対立すると、より権力の大きい方、より声の大きい方が相手を押しのけるようにして決めてしまう。
日本人の多くにとってこのやり方が『政治』であり、徹底的に議論してプランを磨き上げる事はしませんでした。
作家の司馬遼太郎さんは欧米人にとっては当たり前の、この『政治手法』を日本人がしないのは、
「日本人は欧米人と比べ、体力が無いからだろうか?」
と嘆いておられました。
自分の側の利害を押し通す人間には『政治力がある』『頼りになる』ともみ手をしてすり寄り、政治に理想を実現しようとする人間は『素人』と言って軽視する。
その結果、「国民は一流だが、政治は三流」と言われる国を作ってしまったのでは無いでしょうか?

阪神大震災の後、神戸では『多国籍企業誘致プラン』なるものが独走し、このためもあって中小の工場や商店の多くが廃業に追い込まれてしまったそうです。

『遅れている』というレッテルを貼られがちな東北ですが、この際これまで日本人ができなかった
『徹底的に議論してプランを磨き上げる』作業を行い、若者もどんどん参加できる漁業を立ち上げていただきたいものです。
だって、東北の人々は器用ではないかもしれませんが、気概も、知恵も、体力もあるはずですから。

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いまだに沈み続ける街

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所要時間 約 6分

このところ仙台市内で追突事故が増えている、という話です。前を走っている車が突然減速、後続の車がブレーキを踏むタイミングが遅れて追突するケースが多いようです。
原因は道路の段差。
3月11日と4月8日の地震で仙台市内は、ちょっと上から見れば油で揚げたせんべいの様にひびだらけになってしまいました。

オランダ伝統の建物 1975年発行

オランダ伝統の建物 1975年発行

一番ひどいのは川の周辺で、特に高さがそのままの橋と陥没してしまった道路の継ぎ目には大きな段差ができています。知らずにスピードを出したまま突っ込んでしまうと車は大きくバウンドし、場合によってはこわれてしまう場合も。
さすがに震災から2ヶ月が過ぎ、あちこち補修はしてあるものの、アスファルトで隙間を埋める程度の応急対応のため、どの道路もスピードは出せません。しかし、着実に回復には向かっているようです。
ところが、仙台市内のある場所は、どう考えても「沈み続けて」いるようなのです。

今回の2度の地震で最も被害の大きかったのが、仙台駅東口から仙台港までを含む仙台市宮城野区ですが、この沈み続けていると思われる『小鶴新田(こづるしんでん)』地区はそのちょうど真ん中あたりにあります。
この辺りは、15年前は一望の水田でした。
しかも......
大雨が降ると『必ず』水没する地区だったのです。
このあたりはしばらくの間、私の通勤路になっていました。
けれども一帯の水田の中央にあった大きな十字路は大雨が降るたびにその真ん中が水没し、他の経路を捜して迂回しなければならないのが常でした。
ところが、15年程前から工事が始まり、一帯の整地を始めたので、
「ああ、また団地の造成か....」
と思ったものです。
ところがこの整地事業、予定より大幅に遅れたようです。
原因は『陥没』。
土盛りし、整地が終えたと思うと、どこかが沈み始める、という話でした。
遅れに遅れた整地事業のようでしたが、平成15年頃から住宅などが建ち始めました。
そして今回の震災。
古い文書で確認すると仙台港からこのあたりまでは一面の湿地帯で、野鳥の宝庫であったようです。そこを徐々に埋め立て、主に水田にしてきました。
実は私が勤めている会社の社屋は以前はこの地区にありました。
地盤沈下が日常的に起き、一度地盤を強化するために『強化パイル』という大きな鉛筆型のコンクリートを地盤に埋め込むことになりました。
鉛筆を地面に突き刺すようにして、ボーリング機械で上からたたき、徐々に埋め込んで行く作業を行います。
ところが、パイルは一度たたいただけで数十センチも「ズブズブズブッ」とめり込んで行きました。
それをきっかけに会社は真剣に移転を検討し、少し離れた『元湿地帯』以外の場所に移転しました。

そして3月11日の震災。
ガソリン枯渇騒ぎのため、私はしばらく自転車通勤。
その行き帰りに小鶴新田を通りましたが、私が住んでいる宮城野区鶴ヶ谷という丘の上と比べ、被害がひどいのに驚きました。
一番驚いたのはオール電化住宅などに設置される『エコ給湯器』が、あちこちにゴロンゴロン転がっていたこと。
我が家にも同じものがありますが、確か一台80万円以上したはずです。
この倒れた高額の給湯器、一週間以上そのままでした。
そして道路の損傷と浮き上がったマンホール。道路は沈み込んでいるのに対し、マンホールは地震で地盤が液状化した場合には「浮き上がって」しまうようですが、ひどい所は50センチ以上浮き上がっています。
褐色のレンガを埋め込んだ瀟酒な歩道は、平面のはずが高い低いの2ウェイになり、道沿いには基礎が大きく「浮き上がった」新築マンションも。

ここに住む多くの住民の方は、この地の以前の姿をご存じなかったのでしょうが、それにしても不運としか言いようがありません。
今回の震災の住宅の被害は、仙台市郊外に「造成された」団地で多かったようです。
人間のなし得る業の限界と自然の破壊力のすさまじさ。

一方、古くから人が住み続けた仙台市の旧市街は、瓦屋根の類いは大きく損傷したものの、あまり大きな被害はなかったようです。
旧市街でも仙台駅東口の再開発などが進んでいますが、まだまだ無人の古いビルなどが林立する地域もあり、土地利用はうまく行ってはいないようです。
しかし、今回の震災はやみくもな土地造成がうまく行かない事を証明してみせました。
人間の手ワザによって土地はどうにでもできる、と思い込んでいた私たち。
地球は今度の震災によって、それが大きな間違いである事を教えたのかもしれません。
震災後に私たちが考えなければならない事のひとつに、自然と共生する『先人の知恵』を加えてもよさそうです。

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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