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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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危機の時代のジャーナリズム《4》

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所要時間 約 10分

フェイスブックはヘイトやレイシストに『牙城』を提供する機関であり続けて良いのか?

弱者を平気で攻撃的する人間たちのヘイトや差別行動をエスカレートさせたデジタルメディア

閉ざされたデジタル空間の中を行き来する『曲げられた事実』『脚色された事実』

 

キャサリン・ヴィナー / ガーディアン 2017年12月8日

インターネット社会の誕生により2000年代初頭を支配したユートピア気分は、実はインターネット技術の進化により社会がどう変わるのか、そのすべてを予期していないための楽観的な見通しが作り出したものであることが明らかになりました。

 

ガーディアンが提供したデジタル・タウン・スクエアは、公開討論の場に新たな種類のヒステリーをもたらすことになってしまいました。

弱者を平気で攻撃的する人間たち、性差別主義者、人種差別主義者などに荒らし膨大荒らされることになってしまいました。

監視はデジタル時代のビジネスモデルのひとつであり、私たちの行動や感情は絶えず監視されています。

フェイスブックはニュース編集方針をアルゴリズムの仕組みに置き換えることで、歴史の中で最も豊かで最も強力な出版社になりました。

誰もが議論・討論することが出来る解放された空間の代わりに、何百万というニュースソースの供給者ごとに他をシャットアウトした情報交換空間を作りだし、社会全体をシフトさせたのです 。
こうした変化はリベラルな民主主義にとって大きな脅威となっています。

そして同時にジャーナリズムに対してはデジタル特有の問題を提示することになりました。

印刷物からデジタルへの移行は当初、多くのメディア組織にとっての基本的なビジネスモデル、つまり読者にニュースを届ける際に一緒に広告も配信し、その際の広告収入によって経営を成り立たせるという仕組みを変えるものではありませんでした。

始まってからしばらくの間は、計り知れない規模のオンライン上の読者や利用者が印刷物の読者と広告主の減少を補うことになるだろうと見られていました。

しかしフェイスブックとグーグルが全く新しいデジタル広告手法を開発し、それまであった広告市場を飲み込んでいくにつれて、従来のメディア企業のビジネスモデルは現在崩壊に向かっています。

その結果、多くのニュース組織によって作られたデジタル・ジャーナリズムは、ますます重要性を失っています。

 

アルゴリズム広告(アルゴリズムとは、クローラーと呼ばれる検索エンジンロボットがWebサイトの検索順位を決めるための仕組み)により広告収入を得ているメディアは1人でも多くの読者を獲得することに狂奔し、真偽の確認をおろそかにしたままクリック数を増やすために最も刺激的で極端なストーリー作りに徹底するようになってしまいました。

しかしこれだけ巨大な市場でこれだけのことをしても、もはや十分な収益を確保することはできません
いくつかのサイトでは、「ニュース性のあるものとは、どこかの誰かが公にしてほしくないと考えているものだ」ということを学んだジャーナリストたちが、いちいち電話で確認することもせず、1日に10本というペースで商品化された物語を作大量生産しています。

コロンビア大学教授でジャーナリストでもあるエミリー・ベル博士は次のように書いています。

「プロパガンダ、プレスリリース、ジャーナリズム、広告を一度でも公開すれば、そこはすなわち『コンテンツ』を持っていることになるのです。」

読者はかつて以上に情報の洪水に見舞われています。

毎日膨大な量の「ニュース」を突きつけられ、サイトのページをめくるたびにポップアップ広告が飛び出し、どれが真実でどれが偽物か混乱させられ、有益でも楽しいものでもない現実に直面させられています
多くの人がフェイスブックからニュースのほとんどを得ていますが、それらは本来よりも何倍も脚色あるいは増幅された形で配信されています。

最初はおそらく何も加味されていない情報源から独立したジャーナリストが取材した事実が、アクセス数を増やしたいサイト運営者や選挙の投票結果を左右させたいと考える悪意の演出家によって曲げられてしまった『コンテンツ』に変わってしまっているのです。

 

リッチモンド・スタンダードは、カリフォルニアのベイエリアのウェブサイトですが、自己紹介では「地元のコミュニティ主導の毎日のニュースソース」ということになっています。

それを素直に信じて自分のニュース源のひとつに加えている人は、このサイトを実際に運営しているのが多国籍巨大石油企業シェブロンだとは気がついていないでしょう。

ファイナンシャル・タイムズによれば、シェブロンが所有するリッチモンド製油所が2012年8月に引き起こした火災によって市内に黒い煙が充満し、1万5,000人以上のリッチモンド市民が治療のため病院に運ばれました。

企業などが自分たちに有利な環境を作りだすため、こうした取り組みを行うのはもう珍しくもなんともありません。

オーストラリア・サッカー・リーグは世論を自分たちに有利に導くため、30人ほどのジャーナリストを雇い、自分たちに好意的な話を書かせています。

英国の多くの無料の地元新聞は、要注意人物ともいうべき地方議会議員によって資金提供されています。

 

こうした事実は社会のひとりひとりに、情報によって衝撃を受けた際、それが偽物か本物なのかを識別できる目を持つように求めています。

でもどうすれば、そんなことが可能になるのでしょうか?

 

メディアを含むあらゆる種類の既存の確立された組織に対する信頼は、今や歴史的な低さにあります。これは一時的なこと現象でもなければ驚くべきことでもありません。

なぜなら多くの組織が彼らへの信頼を裏切り、批判に対して謙虚に向かい合おうとはしなかったからです。

こうした態度に対しこれまでは一般の人々は憤りを感じつつも無力でした。

そして大きな組織の方は現実に何も起きてはいないと勘違いし、誰の話も聴こうとはしてきませんでした。

 

この状況こそ、現在公共の場で発生している危機の原因です。

中でも一般の人々がほとんどすべての既成の組織や権威に対する信頼を失っているという事実は、既存のメディアに最も深刻なダメージを与えます。

市民がもはや政治に関わることへの自信を喪失してしまった時、メディアはその疎外感を逆転させる上で重要な役割を果たすことができるはずです。

「もし既成の組織に対する不信感が市民生活と人々の関わり合い方を変えているのであれば、報道機関もそれに合わせて変わる必要があるのかもしれない。」

マサチューセッツ工科大学のエザン・ザッカーマン教授がこう語りました。

「私たちジャーナリストの役割を、市民が個人として、そして組織の一員としてどこにどういるべきかを探す手伝いをすること、最も効果的で強力な居場所を見つける手伝いをする事だと考え直すことになるかもしれません。」

 

それをちゃんと実現するためには、ジャーナリストは市井の人々の信頼を得るための努力をしなければならず、それは人々のために働くという意識を持つことに他なりません。

そしてジャーナリストは、こうあるべきだと考える社会の代弁者にならなければなりません。

メディアのメンバーたちが皆等しく社会の特権階級の立場を追われ降ろされる傾向はますます強まっており、事実この問題はここ数十年で実際に悪化している。

社会動性に関する2012年の英国政府の報告によれば、ほとんどの職業の上位は依然として「社会的エリートによって支配されている」とは言え、裕福とは言えない階層の人々に対する開放性という点で、ジャーナリズムは医学、政治、法律に比べると遅れている実態が明らかにされました。

「他の職業に比べ、これまでジャーナリストは排他性の強い性格を形作ってきた。」

こう結論づけています。

 

《5》に続く
https://www.theguardian.com/news/2017/nov/16/a-mission-for-journalism-in-a-time-of-crisis

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危機の時代のジャーナリズム《3》

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所要時間 約 11分

一般市民が創り出す価値にこそ多数にとっての利益があり、共有することができる善意がある

世界は自由で公正でなければならないという信念があってはじめて、人類に貢献できる報道が可能

これまで私たちが知っていた世界の枠組みは、すでに崩壊してしまっている

 

キャサリン・ヴィナー / ガーディアン 2017年12月8日

ガーディアンの歴史に残る深刻な間違いの1つは1948年に起きました。
今日の状況からは考えられないことですが、マンチェスター・ガーディアンは英国国民健康保健の設立にはっきりと反対の立場をとったのです。
ガーディアンは保健制度の確立を 『大きな進歩』として支持する一方で、国家が福祉を提供することには「才能のない人の割合を増加させる危険性がある」という懸念を表明しました。

3年後、ガーディアンはこうした立場をさらに進め、1951年の総選挙で保守党を支持しました。
一連の動きについて歴史家は、当時の編集者A.P.ワーズワースが福祉国家構想の背後にいた情熱的な労働党の政治家であるナイ・ベーバンを嫌っていたため、こうした決定が行われたと確信しています。

何か難しい問題の真っ只中にあるときに、たとえ個人的なポリシーとビジネス上での利害の対立を回避できたとしても、政治的に適切な解釈と判断をする事は簡単な事ではありません。

ニュース組織はときには事態を悪化させる方向に向かわせることがあるかもしれません - それらを正しい方向に向かわせるためには、正義を貫こうとする価値観と原則が必要であり、それによって事態は前に進むことになります。

 

ガーディアンの根幹を成すこうした中心的価値の多くは、1921年に創刊100周年を迎えた際に急進的な自由主義者であった編集長スコットによって定着させられたものです。
スコットはこう記しました。
「コメントは自由だが、事実は侵すべからざるものである。」
そしてガーディアンの価値観を次のように整理しました。
すなわち、正直、潔癖(誠実)、勇気、公平性、読者への責任感、そして地域社会への責任感です。

ジョン・エドワード・テイラーの創刊の際の宣言同様、C.P.スコットのエッセイは力強く希望に満ちています。

スコットはこうも書いています。
「新聞は物質的な存在であると同時に倫理観を持っている。」

テイラーとスコットによって成文化されたガーディアンの倫理的な信念は、人類が長い時間をかけて人間世界を理解し、そしてそれをより良いものにしてきたという確信に基づくものです。

ガーディアンは一般市民が創り出す価値を信じています。
そこには多数にとっての利益があり、共有することができる善意があります。
私たちすべてが平等な価値を持っています。
そして世界は自由で公正でなければなりません。

 

こうした啓示にあふれた考え方はガーディアンの根幹をなすものであり、マンチェスター・ガーディアンから1959年にガーディアンに題号が変わっても保たれてきました。
ガーディアンのステークホルダーはスコット・トラストだけです。
ガーディアンが産み出した富は、すべてジャーナリズムのために費やされなければなりません。
そしてオブザーバー紙ももちろん、独自の名誉ある歴史と展望を持っています。同じ企業グループの一翼として私たちは兄弟のようなものですが、双生児と言うほど似ているわけではありません。

大きな歴史的な事件に遭遇した都度、世界は自由で公正でなければならないという信念に支えられた報道こそがガーディアンの歴史を作ってきました。

独自の立場に立ったスペイン内戦の報道、世界を驚かせたエドワード・スノーデンの内部告発、スエズ危機の際の反植民地支配宣言、ルパート・マードックのメディア支配に対する抵抗、警察や政治家による電話盗聴スキャンダルにも立ち向かいました。さらにはジョナサン・エイトケンを結果的に刑務所に送りこむことになった報道、そしてパナマ文書の公開など、反権力の立場を一貫して貫いてきました。

 

これらの価値観、ポリシー、アイディアは確立されたものとなり、揺らぐことなく続いてきました。

しかし価値観やポリシーなど、それ自体は新しい時代の道徳体系が激変するという状況にどう対処すべきかを教えてくれるわけではありません。

これまで私たちが知っていた世界の枠組みはすでに崩壊してしまっており、ジャーナリストとして一市民として、これまでの価値観やポリシーやアイディアをどうやって維持して行けば良いのか、改めて問い直さなければなりません。

そしてこれまでの価値観やポリシーやアイディアが、将来に渡っても私たちの報道姿勢や報道目的を人々に伝えることが出来るのかという事も。

権力の無法な介入を招いたピータールーの公開会議が開催されてから約200年が経過しました。

しかし1989年に世界規模のウェブの仕組みが発明されて以降の30年間は、ジョン・エドワード・テイラーやC.P.スコットが想像も出来ない方法で世界の価値観を一変させてしまいました。

この技術革新は刺激的で劇的なものでした。

600年前にグーテンベルクが印刷技術を発明してマスコミュニケーションが確立され、支配階級と経済的な強者によって情報源は支配されてきましたが、ウェブ時代の到来はや多くの人々にとって新鮮な空気の息吹のように感じられたはずです。

 

World Wide Webシステムを考案したティム・バーナーズ・リーは、

「これはすべての人々のためのものです。」

と語りました。

始まりはスリリングなハイパー接続世界 - いつでも瞬時に誰とでもつながることが出来る時代の到来は、誰でも指先一本で世界中に散らばっている情報にアクセスして、何でも解決してくれるように感じました。

参加することはきわめて簡単で、誰もが助け合うことが出来る、理想社会の広場のようなものでした。

多くの報道機関はインターネットを古い権威を脅かす存在とみなしました。

しかし1995年から2015年までガーディアンを率いたアラン・ブリッジャーのような先見的な編集者はこうした技術革新がジャーナリズムの新たな可能性を開くものと判断してデジタル技術に積極的に投資し、この分野の技術者やプロダクト・マネージャーなどを新たに雇い入れました。

これは新しい世界のジャーナリストたちは、読者から積極的な提言と議論を受け入れる開かれた場所で仕事をすべきだとの認識に基づくものでした。

こうしてガーディアンはイギリスの報道機関として初めて一般読者から編集者を採用し、それまでのトップダウン方式の伝統的新聞解説モデルを逆転させたオピニオン・サイトを立ち上げました。

 

こうしてアラン・ブリッジャーはガーディアンをデジタル革新の最前線に置き、これまでとは全く違う読者や市民との間に新しい時代の関係を築きました。

4年前、私が『読者たちの台頭』というエッセイの中で述べたように、開かれたWeb環境は真に新しいジャーナリズムの可能性を創り出しました。

そしてWebによる技術革新を否定したジャーナリストたちは、自分自身の利益のみならず質の高いジャーナリズムがもたらすはずの恩恵のその両方を損なってしまうことになったのです。

 

《4》に続く
https://www.theguardian.com/news/2017/nov/16/a-mission-for-journalism-in-a-time-of-crisis

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今回の翻訳は、この【星の金貨】にとっても存在意義を問い直す良い機会になりました。

真実を淡々と伝えられて初めて、社会は正しい方向に向かうことができます。

しかし今の日本ではその多くが、一般国民の『多数派』の意思を向かわせる方向があらかじめ決めてある『操作性重視』の報道のように見えます。

それを『報道』と呼んで良いものなのかどうか…

 

しかも日本の報道のシステムには、この記事で語られているような信念を持ったフリーランスのジャーナリストたちを排除する仕組みまで作られています。

この記事の本分中にある

『ガーディアンは一般市民が創り出す価値を信じています。
そこには多数にとっての利益があり、共有することができる善意があります。』

という概念とは、まさに正反対の報道システムが幅を利かせているのが日本です。

たとえばNHKのような『公共放送』は、政治が本当に市民の利益を最優先に進められているかチェックしなければならないはずなのに、現状は国策の宣伝と浸透を最優先しているように見えます。

 

それによって日本は何を現実のものにしようとしているのでしょうか?

権力者の思い通りの現実になるように最大規模の報道機関が露払いするようでは、太平洋戦争以前の日本となんら変わりません。

どころか、世界における民主主義の発展と対照的な『退化』すすめる原動力になってしまっていると言わなければなりません。

 

イメージを変える!プレイボール in 福島《後篇》

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所要時間 約 9分

大手建設会社はオリンピック関連事業に集中、福島第一原発事故の被災地の復興のための公共事業には大幅な遅れが発生

スポーツがスポーツ以上の役割を果たすことが出来るよう取り組む、福島の地元チームの選手たち

福島の問題の根本的解決のため、日本政府事実を積み上げた正確な情報を公開する必要がある

 

セス・バークマン/ ニューヨークタイムズ 2017年12月29日

2013年9月、2020年のオリンピック開催地が東京に決定した時、安倍晋三首相は福島の「状況はコントロール下に置かれている」と語りました。

しかしその4年後、大手建設会社の多くが東京オリンピックに関連する事業に集中することになった結果、東日本大震災・福島第一原発事故の被災地の復興のための公共事業に大幅な遅れが発生することになったと、セイフキャストで活動しているアズビー・ブラウン氏が語りました。

 

しかし福島県の内堀知事は、県内の被災地の再建事業は著しい進展を見せていると主張しています。

内堀知事はその一例として県内の観光施設が次々とリニューアル・オープンしていること、そしてスポーツ関連事業の活性化により市民が自信を取り戻す動きが広がっていると指摘しました。

一方で知事は放射性物質によって汚染された地域の再建と人口の減少は見過ごせない事実であり、これらの対照的な側面を「福島の光と影」と表現しました。

内堀知事は

「現時点で福島の地でオリンピック競技を開催することに否定的な点は見当たりません。」

と述べ、

「組織委員会と日本政府と協力しながら、福島でイベントを開催します。」

と付け加えました。

内堀知事は、福島の状況に関する「風評被害」が県内の影の部分を大きくしているとも語りました。

広範囲に及んだ福島第一原発の事故の影響により、未だに多く市町村が人が住めない状態のままです。

福島第一原発の事故収束・廃炉作業そのものも完了まで40年以上がかかるとされ、その費用も20兆円以上が見込まれています。

 

それでもオリンピックの競技開催に希望を見出そうとしている住民たちがいます。
「福島でのオリンピック競技開催が実現しなければ、これからも長い間福島のイメージは変わらないままになってしまいます。」

福島大学の学生である渡辺あやさんがこう語りました。

彼女は2017年夏にヒューストンに短期留学し、大リーグの地元チーム・アストロズがワールドシリーズで優勝したことにより、ハリケーンで大きな被害に見舞われた同市の人びとが勇気づけられる様子を見てきました。

「福島の見方を変えるためのまたとない大きなチャンスです。」

ホープスもファイアー・ボンズも比較的新しいチームですが、選手たちは福島の立ち直りにスポーツがどれほど役立つかをつぶさに目撃してきました。

アメリカ・ニュージャージー州にあるモンマス大学で大学バスケットボールの選手だったデオン・ジョーンズ氏はファイヤーボンズの選手として1年目を迎えました。

彼の母親は当初、福島に住むことを心配していましたが、彼自身は選手生活をエンジョイしており、二本松市出身の選手たちから環境中の放射線量や気をつけなければならない点に関する具体的情報を得ています。

 

選手たちは週に数回、地元の学校で子供たちの指導も行っています。

チームのスポークスマンは、ホームゲームではファイアー・ボンズのファン、約2,000人が試合観戦にやって来ると語りました。
「少しだけど、バスケットボール以上のことが出来ていると思います。」

ジョーンズ氏がこう語りました。

「みんな福島のひとりひとりのためにプレーしています。」

さらに日本人の国民的娯楽とも言うべき野球があります。

2020年のオリンピックの開催地が東京に決定した後、日本は国内で長い歴史を持ち青少年の競技人口が多い野球を、公式競技として再びオリンピック種目に加えるよう強力に運動しました。

2011年の東日本大震災・福島第一原発事故以降、福島県の野球人口は落ち込んでしまいました。

福島高校野球連盟の小針淳監督は、過去6年間の高校生の野球人口の動向の調査を続けてきました。
「これは間違いなく福島第一原子力発電所の事故の影響によるものです。」

小針氏がこう語りました。
栗山美和子さんの息子の良太君は福島県内の商業高校の野球部に所属していましたが、津波の被害に遭い避難しました。

良太君の通っていた小学校は完全に廃校になりました。

当時栗山さんは良太君が野球の練習をするために、片道90分をかけて送り迎えをしていました。

 

最近の日曜日の午前中、栗山さんは福島市の信夫が丘球場で高校のチームメイトと一緒に良太君も加わった練習試合を観戦していしまた。

彼女はネット裏で観戦していた他の6人の母親に加り、軽食を分けあいながらスコアを黒板書き記し、ヒットを打ったり走塁する度、声を合わせて応援したり笑ったりしていました。

栗山さんは息子の学校が閉鎖される以前、一緒にプレーしているチームメイトの事を1年生の時から見知っていました。

その記憶と目の前の子どもたちの様子が重なり合い、栗山さんは大家族の中で時を過ごしている時のように、気持ちが解放されるのを感じていました。

近くにある吾妻野球場では、2年半後にオリンピックが開催される同じ球場で福島市からやってきたリトルリーガーが試合をしていました。

松川運動公園の野球場では子供たちの試合が行われていましたが、日本のプロのゲームでよく使われるプラスチックのメガホンを使った音響効果で会場が盛り上がっていました。

 

こうした雰囲気を楽しむ住民たちの日常的な様子が見られる同じ場所に、2011年の災害の傷あとは残っていました。

フェンスで区切られた吾妻公園の一角には、福島県内の除染作業によって排出された低レベル放射性廃棄物が詰められた数百個の巨大な黒いごみ袋が保管されていました。

目の上の高さにまで積み重ねられ、処分場への移送などまだ適切な処置は行われないままになっています。

市は日本の環境省と協力してオリンピック前にはすべて処分できるよう取り組みを行っていますが、現在は処分場ではなく野球場まるまる一個分のグラウンドに仮置きされたままになっています。

 

福島市内各所の野球場では、子供たちが一塁めがけて走ったり右翼席めがけて高く上がったフライを追いかけて走るその先に、その日の放射線量を表示するサインボードが見る人を脅かすように経っています。

野球をしている子供たちの生活はスコアボードに掲示された点数以上に、ここに表示された放射線量に深刻な影響を受けてきました。

福島ではスポーツが人びとの心を癒すことに役立っていますが、将来に対するすべての疑念が払拭されたわけではありません。
「日本政府は科学的な証拠を揃えた上で、事実を積み上げた正確な情報を私たちに知らせる必要があります。」

11歳になる息子の圭吾君も参加している試合を観戦していた角館道明氏がこう語りました。

「日本政府はもう問題は無いと語っていますが、誰も納得はしていません。」

 

〈 完 〉

https://www.nytimes.com/2017/12/29/sports/fukushima-nuclear-disaster-tokyo-olympics

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イメージを変える!プレイボール in 福島《前篇》

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所要時間 約 9分

被災した市町村や地域は破壊されたまま、説明責任は果たされず、放射線による環境汚染は今後数十年間という単位で続く

第一原発周辺の自宅への帰還を決定した人々も、実際にはどこかに魔物が潜んでいる家に住み暮らしているかのような不安と疑問を抱えながら生活している

 

セス・バークマン/ ニューヨークタイムズ 2017年12月29日

11月初め明るい色彩の数々のバナーと広告に埋め尽くされたJR福島駅で、地元サッカークラブの福島ユナイテッドの誕生とリーグ戦の地元開催を祝う式典が開催されました。

そしてこの地域にはすでに新しいプロ野球チームやバスケットボール・チームの根拠地も設置されています。

それぞれのチームには『ホープス(希望)』や『ファイヤーボンズ(燃える絆)』のような心を奮い立たせるような名前が付けられていますが、特に後者についてはチームの地元への思いを表現しているとバスケット・チームのポイント・ガード・ポジションの21歳の猪狩渉氏が語りました。
福島はもともとスポーツへの関心が高い地域ですが、2017年3月に国際オリンピック委員会(IOC)が2020年東京オリンピック大会で福島での野球とソフトボールの開催を承認したことで最大のブームがやってきました。

 

しかし福島という言葉が悲劇を定義するものであるという現実は残り続けています。

2011年に発生した東日本大震災で発生した巨大地震と津波は、東北太平洋岸を中心に約16,000人の犠牲者を作りだし、福島第一原子力発電所では原子炉のメルトダウンや放射能の漏出が発生しました。

福島第一原発事故が作り出した荒廃は、コネチカット州の規模に近い福島県のあらゆる場所に広がりました。

約2百万人の福島県民のうち、発電所周辺で暮らしていた16万人以上が避難を余儀なくされ、難民化してしまいました。


福島第一原発の事故はまた、福島の名前を深刻に傷つけました。

 

福島県内観光の客足は途絶えました。

 

日本の残りの都道府県は福島県産の農産物やその他の生産物を避けるようになりました。
事故から約7年後、福島県と同じ福島の文字を冠する県庁所在地を中心に、スポーツを通してその認識を変えようとする取り組みが始まっています。
「私地たちが暮らす場所はまるでチェルノブイリのように見られています。」

スポーツショップ「スポーツランド」を運営している福島県生まれの斎藤信幸氏がこう語りました。

「それを変えさせるのは大変なことです。」

 

福島氏の名前を復活させたいと考えているのは、岩村明憲氏です。
岩村氏は2008年ワールド・シリーズのタンパベイ・レイズの第2塁手としてスタートしました。

岩村氏はまた日本プロ野球リーグでは13年間プレーし、日本とのワールド・ベースボール・クラシック選手権はで2度の優勝経験を持っています。

現在38歳の岩村氏は、プロ野球リーグ下位のベースボール・チャレンジ・リーグで苦戦しています。

アメリカで最高レベルの野球を経験してきた岩村氏は現在、時々しか試合の無いセミプロチームの福島ホーブスの監督に就任しています。
「私は自分自身を宣教師と呼んでいます。」

岩村氏がこう語りました。

「今は多くの人々が否定的な意味で福島という名前を受けていますが、それを肯定的な意味に変えなければなりません。」

東日本大震災の地震と津波が襲ったとき、岩村氏は楽天ゴールデンイーグルスに選手として加入する準備をしていました。

岩村氏は南日本の愛媛県出身ですが、選手を引退した後福島の再建を支援する「運命」を担うことになったのだと感じたと語りました。

岩村氏のこうした決心を励ました人の中に、レイズ時代に岩村氏のコーチを務めたことがあるシカゴ・カブス・マネージャーのジョー・マドン(Joe Maddon)氏がいました。
2020年に地元球団福島ホープスの根拠地である福島吾妻球場でオリンピックの試合が開催されれば、地域のイメージを良いものに転換する舞台に岩村氏が立つ機会を手にするかもしれません。

そして福島が第一原子力発電所の事故を乗り越えたことを世界に向けアピールする絶好の機会だととらえています。

 

「来日した世界の観客がそれぞれ帰国すれば、実際に目にした印象をそれぞれの国の地元の人々に伝えることができます。そうなればさらに多くの人々が福島にも観光に訪れるようになるでしょう。」

岩村氏がこう語りました。

福島吾妻球場は首都圏と言っても良い場所にあり、新幹線で東京から約90分の場所にあります。

福島第一原発からは西方約90キロの位置です。

福島市は福島第一原発の隣接及び沿岸部の市町村ほどは深刻な事故の影響を受けていません。

これらの市町村の汚染状況は深刻であり、その事実がオリンピック開催のために無視される可能性があることを批判する意見もあります。

2017年3月東京オリンピックの野球試合が福島市で開催されることが発表されると、原子力発電に反対する運動している人びとがこうした動きを非難しました。

こうした人々はいまだに避難生活を強いられている120,000にも上る原発事故の被災者、原発難民とも呼ばれる人々が今だに、そして場合によっては永遠に故郷に戻れない状況に追い込まれているにも関わらず、数々の難問を残したまま福島があたかも以前と変わらない正常な状態に戻ったと上辺だけを取り繕うものだと批判を強めています。

 

「日本政府は、福島の偽りの側面を表に出すことを望んでいるのです。」

東京の市民原子力情報センター事務局長の松久保肇氏がこう語りました。

東京にある市民原子力情報センターの事務所で、松久保氏はスポーツ新聞のボックススコアのように、福島県内の各市町村の放射線量を毎日伝えている福島民報の紙面を広げて見せました。

 

一般の市民が放射線量を含めた環境データを、行政などとは別に独立して測定するのを支援する組織であるセイフキャストで活動しているアズビー・ブラウン氏は、オリンピック期間中に福島市内のスタジアム近くに1週間程度滞在する観光客などは、おそらく日常的に存在する程度より高い放射線にさらされることはないだろうと語りました。

しかし福島県全体の状況に関する政府の見解については同意しませんでした。

ブラウン氏は電子メールで次のように述べています。

「福島第一原発の事故によって被災した市町村や地域は破壊されたままです。

説明責任は現実には果たされず、放射線による環境汚染は今後数十年間という単位で続くことになるでしょう。

細心の警戒と徹底的な監視の継続が今後も必要になるはずです。」

「放射線測定結果を受け入れ、それに基づいて被災地にある自宅への帰還を決定した人々も、実際にはどこかに魔物が潜んでいる家に住み暮らしているかのような不安と疑問を抱えながら生活しているのです。」

 

〈 後篇に続く 〉

https://www.nytimes.com/2017/12/29/sports/fukushima-nuclear-disaster-tokyo-olympics

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ニューヨークタイムズの記事を水曜、金曜の2回に分け掲載いたします。

ガーディアンの『危機の時代のジャーナリズム』間の続きは次週掲載いたします。

実は福島第一原発の事故に関する最近の記事を翻訳していると、故郷を一日も早く再建したいという被災地の方々の思いと、未だに危険が残る場所に人々が戻ることの将来の危険、核廃棄物処理の問題などが交錯し、複雑な思いに駆られることが多くなりました。

しかしやはり、すべての真実を明らかにした上で、問題の本質的な解決に取り組むしかない、それが正しい結論だと思います。

祭りばやしをにぎやかに演出して、深刻な問題の存在を曖昧にすること、それを『解決』とは言いません。

柏崎刈羽原発の再稼動と福島の悪夢の再現

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所要時間 約 12分

柏崎刈羽原子力発電所が立地するのは、多額の費用を投じた安全対策を台無しにするほど危険な場所

福島の巨大事故への拡大防止に失敗、数十万人の被災者に対し不誠実さをあらわにし、事故処理に場当たり的な対応を繰り返し行い、世界中から批判を浴び怒りの矛先を向けられた東京電力

 

 

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2017年12月28日

(写真上 : 東京電力柏崎刈羽原発の中央制御室の実物大模型を使い、危機の点検訓練を行う職員)

 

もしたった一つの建造物をもって市町村の性格を定義するとすれば、新潟県柏崎町と隣の刈羽村に住む90,000人の住民にとってそれは40年以上にわたり沿岸の景観を支配してきた巨大な原子力発電所ということになるでしょう。
7基ある原子炉がすべて稼働すると、柏崎刈羽原子力発電所は、1,600万世帯に電力を供給するのに十分な8.2メガkWの電力を発電することが出来ます。

日本海沿岸の4.2平方キロメートルの土地を占める柏崎刈羽は世界最大の原子力発電所です。

 

しかし今日、柏崎刈羽の原子炉は停止しています。

首都東京の北西約225kmにある新潟県内のこの原子力発電所は、2011年3月福島第一原発で発生した3基の原子炉メルトダウンによって全国的に停止に追い込まれた原子力業界において最高規模の犠牲者です。
しかし柏崎刈羽原発の所有者こそ、巨大事故への拡大防止に失敗し、数十万人に上った事故被災者に対し不誠実さをあらわにし、さらには事故を収束させる際に繰り返し行った場当たり的な対応によって国内はおろか世界中から批判を浴び怒りの矛先を向けられた、福島第一原発の所有者である東京電力に他なりません。

 

現在、東京電力は所有する3箇所の原子力発電所のうちの1つである柏崎刈羽で2基の原子炉を再稼働させられるよう、福島の事故で出来上がった最悪の企業というイメージを払拭しようとしています。
東京電力は柏崎刈羽原子力発電所を再稼働できて初めて、福島第一原子力発電所の事故収束・廃炉作業を行うために必要な資金をつくり出し、崩壊後に失った信頼を取り戻すことができると語っています。
今週、日本の原子力規制当局は東京電力に対し、福島第一原子力発電所でメルトダウンした沸騰水型原子炉と同系機の柏崎刈羽原子力発電所6号機と7号機の再稼働を正式に承認しました。

1ヶ月間の公聴会の後、日本の原子力規制委員会は、東京電力が原子力発電所を稼働させる資格を満たしていると結論づけ、2011年に自らが引き起こした巨大事故の後に導入された、より厳しい安全基準を2つの原子炉がクリアしたと述べました。

 

この決定の直前、東京電力はガーディアンに対し、世界で最も安全な原子力発電所であると主張する柏崎刈羽原発の独占的な見学と取材を許可しました。

福島第一原発では3基の原子炉がメルトダウンし東北地方の太平洋岸を中心に広範囲な破壊をもたらしました。
その同じ日柏崎刈羽原発は稼働中でしたが、外観は当時と変わらず稼働中の原子力発電所のように見えます。
敷地内では1,000人を超える東京電力の職員と5,000~6,000人の契約労働者が、6,800億円の費用がかかると予測されている改良作業を黙々とこなしています。

 

東京電力によれば、彼らはすでに最大15メートルの津波に耐えることができる防波堤を建設しました。
メルトダウンが発生した場合には、特殊な通気孔からは放射性物質の99.9%を取り除いた上で大気中に排気が行われ、特殊なシールドによって溶融した核燃料が原子炉格納容器の外側に漏れ出すのが阻止されます。
福島第一原発の事故では4基の原子炉で水素爆発が初制しましたが、柏崎刈羽原子力発電所には自己触媒再結合装置が水素爆発の繰り返しを防ぐことになっています。

 

複雑な構造の施設が立ち並ぶ広大な敷地の他の部分には、緊急車両、ウォーター・カノン、緊急発電装置、メルトダウンの壊滅的事態に至った際に原子炉を冷却するために2万トンの水を汲み上げるため丘の上に貯水池が設備されています。
「福島第一原発事故の発生に責任を持つ者として、私たちは教訓を得て、私たちが犯した過ちを検証し、ここ柏崎刈羽で学んだことを実践するべく取り組んでいます。 」
柏崎刈羽原子力発電所所長の設楽親さんがこう語りました。
「我々は常に安全性を向上させる方法を検討を続けています。」
「福島での経験を経て、同じミスをに度と繰り返さないように安全な体制をさらに強化するよう尽力しています。私たちは広く社会にそのことを説明していかなければなりません。」

▽「ここは原子力発電所に全く適さない場所である」

 

しかし東京電力側のこうした説明に一般市民は確信を持てずにいます。
昨年新潟県民は、原子力発電の継続に反対する米山隆一氏を知事に選出し、東京電力の計画に反発している姿勢を表明しました。
選挙の際に行われた出口調査では、投票者の73%が柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に反対し、支持しているのはわずか27%にとどまりました。
米山隆一氏は、2019年春に柏崎刈羽原子力発電所の再稼働が予定されていことについて、新たに形成された委員会が福島第一原発の事故の原因と結果に関する検証を終え - 少なくとも3年はかかる可能性のある作業 - 報告を完了させるまで、再稼働に道意するか否かの判断は行わないことを表明しました。

 

多くの住民にとって、柏崎刈羽原子力発電所の立地は多額の費用を投じた安全性の向上を台無しにするものです。
「地質学的に言えば、ここは原子力発電所に全く適さない場所なのです。」
生涯にわたり反原子力発電運動を続けてきた、元地方議員の竹本和之氏がこう語りました。
竹本氏は海底の石油・天然ガス鉱床の存在がもたらす地盤の脆弱性と、東京電力が防波堤を築いた場所の地盤が大地震の際には液状化しやすいという事実を指摘しました。

さらには地元には、柏崎刈羽原発が事故を起こした際、その30km圏内に住む42万人を避難させれば混乱が避けられない可能性があるという批判があります。
「基本的に福島第一原発の30km圏内よりも人口が多く、しかもここは豪雪地帯です。最悪の場合、誰ひとり避難させることができなくなる可能性があります。」
と竹本氏はこう付け加えました。
「そうなった場合の状況は、福島よりもはるかに悪いものになります。」

 

こうした懸念に加え、2007年のマグニチュード6.6の新潟県沖地震の際に発電所内で軽微な被害を受けたことにより、周辺の活断層の存在が明らかになりました。
原子力規制員会は活断層は2つあり、うち原子炉1号機の下を走るひとつは過去40万年の間に実際に地震を引き起こした可能性があることを指摘しました。

しかし東京電力にとって柏崎刈羽の2基の原子炉の再稼働は年間利益2,000億円に達する利益の確保につながる可能性があり、財務運営上必要不可欠の要件です。

 

日本政府が行った試算によれば、福島第一原発の事故収束・廃炉作業は、住む場所と財産を失った周辺住民への補償と周辺地区の除染費用を含めると、総額21.5兆円に達する可能性があります。
この金額は原子炉の停止によってできた空白を埋めるため、東京電力が高価な化石燃料を輸入することに費やしている金額を上まわるものです。

日本経済研究センターは今年の初め、福島第一原発のメルトダウンした3基の原子炉から取り出した放射性廃棄物の処分費用を含め、今後40年間の福島第一原発の事故収束・廃炉費用の総額が50〜70兆円に達する可能性があることを明らかにしました。
設楽氏は次のように語りました。
「東京電力の社長のステートメントと社としての事業計画が明らかにしたように、で原子炉を再稼働することは東京電力にとってきわめて重要なことなのです。」

 

柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に左右される問題はもっとあります。
安倍晋三首相はエネルギー政策の中心に原子力発電を据え、強引とも言える原子力発電所の再稼働政策を推進しています。
安倍政権は2030年までに、約20%の日本の電力を原子力発電によって賄うことを望んでいます。
そのためには約30基の原子炉の再稼働が必要です。

 

日本国内の稼働可能な原子炉のうち、現在動いている原子炉は4基だけです。
福島第一原発事故の後に導入された厳しい新しい安全基準をクリアした原子炉は複数ありますが、再稼働はそれぞれの場所で強力な反対に遭遇しました。

再稼働を進めるため手続きの一環として日本全国の人々は最近、柏崎刈羽原発の再稼働と東京電力の原子力事業者としての適性について意見を求められました。
柏崎刈羽原子力発電所の広報部門の石川氏は、東京電力は福島第一原発の事故から学ぶべきものを学んだと主張しています。
「3.11の発生以前の私たちは傲慢で安全性の向上を怠っていました。 あの巨大地震は私たちを目覚めさせました。私たちは安全性の向上を休みなく続けていかなければならないことを理解しています。」

こうした東京電力の見解を刈羽村住民の河合幸子さんは否定しました。
地元の人々が安心して暮らせるようになるなら、原子力発電所を永久に停止させることにより国から支給される補助金を失うことになっても、それは価値ある犠牲だと語りました。」
「2011年の福島第一原発の事故を引き起こした東京電力が、この場所で原子炉を再稼働させることを支持する理由はありません。」
「東京電力は福島第一の安全性は完全なものだと言っていました。しかし私たちは何が起きたかを、この目ではっきりと見ました。」

 

https://www.theguardian.com/world/2017/dec/28/fears-of-another-fukushima-as-tepco-plans-to-restart-worlds-biggest-nuclear-plant

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【危機の時代のジャーナリズム】第3回は次回掲載いたします。

 

危機の時代のジャーナリズム《2》

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所要時間 約 10分

より高い教育を受けることにより貧困から抜け出し多様な生き方ができるようになり、多くの人々が政治に関心を持つことになる

愛国主義を振り回す風潮に抗い、平和のためのキャンペーンを続け、買収不能の自由主義報道の意地をつらぬいた編集者がいた

 

キャサリン・ヴィナー / ガーディアン 2017年12月2日

1819年8月16日マンチェスター市民のほとんどがセントピーターズ・フィールドに集まりました。
群衆のあまりの多さとその要求に脅威を感じた市長をはじめとする市の幹部たちは、武装した騎兵に集会に突入し力づくで解散させるよう命じ、急進派のヘンリー・ハントを含め演壇に上がった全員の逮捕を命じました。
騎兵たちは馬の上からサーベルを振るい、「手当たり次第に人々を斬りはらいました。」
こうしたその日集会に参加していた7人の男性と4人の女性の計11人が死亡し、数百人が負傷しました。
歴史家のA.J.P.テイラーは、ピータールーのこの事件は『イギリスの古い秩序の解体のきっかけを作った」と語りました。
この事件は『ピータールーの虐殺』あるいは『ピータールーの戦い』としてたちまち有名になり、その影響は計り知れないほど大きなものになりました。

 

その日集会の会場にいたジョン・エドワード・テイラーは週刊紙のマンチェスター・ガゼットにこの時の様子を報告する記事を寄稿しました。
この第一報を伝えたロンドンのタイムズ紙の記者が逮捕されたとき、テイラーは首都ロンドンの人々がマンチェスターの大量虐殺の正確な情報を得られない可能性があると懸念していました。
彼は現場にいたジャーナリストが事実を伝えなければロンドン市民は事実の代わりに公式発表を信じる以外の選択肢しかなく、結局流血の惨事を引き起こした責任がうやむやにされてしまうと危惧しました。

テイラーはロンドンに向け夜中馬車を走らせ、事件の報告記事を急いでタイムズに持ち込み、マンチェスターの抗議集会の様子を国家スキャンダルに変えたのです。

テイラーは冷静な文章で事実を明らかにしました。
彼は目撃した事実を報告することにより、力を持たない人々がどのような目に遭わされたのか、力強く描写しました。
しかしテイラーの業績はそれだけではありませんでした。
虐殺事件の後、彼は負傷者の運命について数ヶ月間調査を続けこれを報告し、400人以上の事件の負傷者の事件後の様子について文書化したのです。

 

ピータールーの全容を解明するためのテイラーの絶え間ない努力は、彼自身の改革派としての政治的見解を強固なものにし、議会における公平な議席の構成を実現させるべく世論を喚起する活動を行うことを決心させるに至ったのです。

彼は自身の新聞であるマンチェスターガーディアンを創刊しました。
創刊のための資金は他の中産階級の財政支援に頼りました。10人がそれぞれ100ポンド、11人目が50ポンド寄付しました。
創刊号は1821年5月5日に発行され、啓蒙主義、自由、改革と正義に捧げられました。
ガーディァンは一人の人間の確固たる信念と楽観主義によって創刊されたのです。
彼はこう語っていました。
「ピータールーの虐殺、そして警察による様々な形をとった圧力…しかし理性は偉大であり最終的に勝利することになるだろう。」

 

マンチェスター・ガーディアンはきわめて楽観的な気分とさらには普通の人に対する信頼を基に設立されました。
テイラーが創刊前に発表したマニフェストには非常な勢いで「教育の普及」が進んでいる事実が語られ、それにより「政治的な課題が人々の大きな関心事となり、議論の対象となる現象が人々の間で非常な勢いをもって広がり続けている状況が」熱っぽく語られています。
そして「この大きくなり続けている政治への関心を、現実を変えていく力に最大限転換していくことが最も重要である」と述べています。

これはきわめて力強いメッセージであり、この理想こそが現代までガーディアンの基盤を形作ってきたものなのです。
より多くの人々がより高い教育を受けることにより貧困から抜け出し多様な生き方ができるようになり、そしてより多くの人々が政治に関心を持つことになる、そうしたうねりが生みだされるれることに大きな価値を見出しているのです。

このメッセージはマンチェスター・ガーディアンが政治に関わろうと考え始めた人々と密接に関わり、人々が行動を起こすために必要な情報を提供することを可能にしたいという、国民に対する責任感をも明確にした文書です。
それはまったく冷笑的でもなく、権柄づくでもない、完全に一般市民の側に立ったメッセージでした。

 

しかし1844年のテイラーの死後から数十年が経つと、マンチェスター・ガーディアンは創刊当時に掲げた政治的な理想から逸脱し始めました。
マンチェスターの綿業界と密接な関係を築いて多額の広告収入を得たことは経営上は大きな恩恵がありましたが、紙面の上では問題を生じることになりました。
マンチェスター・ガーディアンはアメリカ国内の南北戦争で奴隷制度の存続を求める南軍の側に立つことにもなりました。
マンチェスターの綿業界の労働者たちはアメリカの奴隷制の下で採取されたコットンに触れることを拒否し、路上で空腹をかかえていましたが、マンチェスター・ガーディアンは直ちに職場に復帰するよう要求しました。
マンチェスターの労働者たちの抗議行動はいかなる国のいかなる階層からも支持されていませんでしたが、アメリカ大東利用のエイブラハム・リンカーンは1863年、「マンチェスターの労働者たち」にキリスト教徒としての崇高な勇気に感謝するメッセージを贈りました。

ガーディアンにとって自分しか見えなくなってしまったこの期間は、C.P.スコット編集長の任命によって劇的に終わりを告げました。
C.P.スコットはそ広告主におもねる論調を一新し、創刊以来のガーディアンが最も大切にしてきた市民の立場から政治に直接関与する姿勢を再び確立することに貢献しました。

 

スコットは1872年に25歳で編集責任者になりました。
彼は社会正義と平和主義について最大の関心を持つ、急進的な自由主義者であり政党の活動家でもありました。
スコットは編集者として過ごした57年間に社会正義と平和主義という2つの大きなイデオロギー的課題に取り組みました。
このスコットの姿勢が、今日まで続くガーディアンの編集方針と経営方針を確立することに貢献したのです。

 

最初の問題はアイルランド自治政府問題でした。
1880年の自由党の分裂原因となった当時もっとも熱い議論が戦わされたこの問題について、スコットはアイルランドの自治を実現させる側に立ってキャンペーンを行いました。
歴史家のデイヴッィド・アイアーストの言葉を借りれば、ガーディアンは明らかに「最左翼の論客」となりました。 そそして19世紀の終わり、スコットはガーディアンを議論が沸騰していた反植民地主義的立場を打ち出しました。

1899年から1902年まで続いた第2次ボーア戦争では、英国は横奪的な行動に出ましたが、英国内では戦争に反対する者は『裏切り者』扱いされました。
それでもガーディアンはこうした風潮に抗い、平和のためのキャンペーンを行いました。
ガーディアンの花形記者の一人であったエミリー・ホブハウスは、イギリスが南アフリカの地に作ったボーア人の強制収容所の写真を公開しました。

しかしこうした論調は賛否両論を生み、ガーディアンは広告主とその売上の7分の1を失ってしまいました。
ガーディアンが崩壊寸前だと確信したライバル紙は、マンチェスターのクロス・ストリートのオフィスの前にブラス・バンドを送り込み、ヘンデルのオラトリオ『サウル』の葬送行進曲を繰り返し演奏させました。

 

スコットの姿勢は勇敢と言うべきものでしたが、ガーディアンは廃刊寸前に追い込まれました。
それでもスコットは当時の政治情勢に立ち向かい、この新聞を「教育レベルの高い男女が持つ急進的改革思考の有力な表現手段」に変えたと歴史家のデイヴッィド・アイアーストは書いています。
「ガーディアンの紙面は明らかに買収不可能だった。」

 

スコットはガーディアンの紙面をさらに急進的なものにし、「新自由主義」として知られていた自由競争主義とは距離を置き、社会的正義と福祉にの実現を目指すようになりました。
こうしてガーディアンはその後も何度か訪れた危機を一つ一つ乗り越えながら、今日まで創刊以来維持してきた進歩的な路線を歩み続けることになったのです。

 

《3》に続く

https://www.theguardian.com/news/2017/nov/16/a-mission-for-journalism-in-a-time-of-crisis

 

危機の時代のジャーナリズム《1》

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所要時間 約 9分

暴力が肯定される時代となった今、メディアはその価値観と原則を定義しなおさなければならない

自由を守る、そして自由の価値を不朽のものにする、それが報道の真の価値

一般の人々が力を合わせて既成の権力に立ち向かい勝利するという、常識を覆すアイディアを世界に示したフランス革命

 

キャサリン・ヴィナー / ガーディアン 2017年12月8日

約200年前、イギリスのマンチェスターで発行された新聞にはこう書かれていました。

「報道がただ単に一般市民の興味を集めるというより、問題の本質に対するもっと重要な疑問をかきたてることを求められるようになった、そうした時代に変わったということが明確にされたことは、この国にあっては過去ありませんでした。」

と前置きしたうえで、

「政治的な疑問に対する活発な議論」と「事実に関する正確な詳細」が

「現在のような時代の転換点において特に重要なこと」

であると宣言しました。

 

そして現在、私たちは歴史上もうひとつの極めて特殊な時代の中を生きています。

ひとつはまばゆいばかりの政治的ショックによって定義されており、もうひとつは私たちの生活全般に及んでいる技術革新による破壊的影響です。

これまでの20年間に一般社会に起きた変化は、それ以前の200年間を上回るスピードで急激に変化しており、ガーディアンを含む報道機関はその変化に追いつくために必死になってきました。
しかし今私たちが生きている時代の混乱は、我々に対し適応能力以上のことを要求しているかもしれません。

私たちがニュースを取材、制作、配信、入手する環境はきわめて劇的に変化してしまいました。

そのために何をしなぜそうするのかを、現在ほど厳しく問われている時代はありません。

ガーディアンを所有しているスコット・トラストが1936年に設立されたとき、その目的をきわめて明快に表現していました。

「ガーディアンの財政的および編集上の独立性を永久に確保し、ガーディアンの報道の自由と自由の精神を商業的干渉と政治的干渉から完全に独立させる」

編集者のひとりとしてこれ以上の使命を見つけることは困難な程、報道機関の所有者としてその使命は明快なものでした。

こうしてガーディアンの唯一の株主は、ジャーナリズムの自由と長期的な生き残りだけに関与することになりました。

しかしスコット・トラストの使命がガーディアンの報道機関としての健全性を永遠に担保する事である一方、ジャーナリズムの使命が何であるかを定義することは現実に編集を行う私たちに任されています。

私たちが取り組む仕事の意義と目的は何でしょうか?

私たちは社会でどのような役割を果たすべきなのでしょうか?

 

20年間働いてきて、私はガーディアンの存在意義というものを無意識のうちに理解できたと感じています。

 

私たちジャーナリスト、そして大半の読者が報道に価値を感じている理由は、自由を守るための一つの方法として、そして自由の価値を不朽のものにするという点にあります。

そして私たちは、ガーディアン的ストーリーを定義するもの、それはガーディアン独自の視点によって形成され、良くも悪くも『きわめてガーディアン的なもの』にする要因を熟知しています。

オーストラリアのガーディアンの編集者、次に米国のガーディアンの編集者として過ごしてきた私は、ガーディアンのジャーナリズムの本質を特定し、それとは別の際立つ特徴を作りだすことを常に念頭に置きながら、新たなガーディアンの読者を獲得しようとしてきました。

そして今私はガーディアンとオブザーバーの編集長として、現在はさらに深い洞察が必要だと感じています。

 

私たちの根本的使命とは何でしょうか?
私たちの過去、現在そして未来、それがこの質問に対する答えです。

混乱が大きくなり続けている現代と深くかかわりながら、自分たちの過去を振り返りつつ永遠に持続可能な方法で、私はガーディアンの方向性を作っていきたいと考えています。

 

ガーディアンの歴史は1819年8月16日、英国のジャーナリスト、当時28歳だったジョン・エドワード・テイラーが、マンチェスターでの議会改革のための大規模なデモに参加したときから始まりました。セントピーターズ広場では、当時人気の急進的改革派の論客であるヘンリー・ハント(Henry Hunt)が、マンチェスター地区の人口の半数以上にあたる6万人の群衆に対し、夏の日曜日の正装をして帽子を触りながら演説を行っていました。

当時、英国内には既成権力に反抗する気分が充満していました。

30年前のフランス革命は、一般の人々が力を合わせて既成の権力に立ち向かい勝利するという、それまでの常識を覆すアイディアを世界中に広げました。

それは民衆の覚醒であり、既成の権力の座にあったものにとっては恐怖以外の何ものでもありませんでした。

英国がワーテルローで勝利することによりナポレオン戦争が終わった後、英国は景気の落ち込みと失業率の高さに苦しんでいました。

穀物法や大陸封鎖令によって高騰した穀物価格はナポレオン戦争後も人為的に高いままにされ、庶民は飢餓状態にありました。

 

当時英国では国内至る所で抗議行動や暴動が頻発していました。

それは当時始まりつつあった産業革命の流れの中で新しく発明された工場用の機械を破壊するラッダイト運動から奴隷制度に反対する人々の砂糖をボイコットする運動まで、全国であらゆる種類の抗議行動と暴動が巻き起こっていました。

 

そして選挙投票権を求める運動も拡大していました。

当時すでに大都市であり人口密度の高いマンチェスター市でしたが、国会には一人の議員もいませんでした。

イングランド南部の豊かな村であるオールド・サラムには有権者は1人しかいませんでしたが、国会には2人の議員を送り込んでいたのです。

大都市で新たに台頭した実業家たちなどは、この腐敗したシステムの改革を要求していました。

そして労働者階級も、さらには歴史上初めて女性も選挙の投票権を求めて立ち上がっていました。

経済的な苦境、政治的な抑圧、経済的な問題を抱えた労働者の状況は政治問題化し、一触即発の状況にありました。
エッセイストのウィリアム・ハズリットはこの1年前、こう書いていました。
「すでに確立されたすべてのものが、我慢できないものになっていた…世界は混乱の極みに達してしまった…」

 

《2》に続く

https://www.theguardian.com/news/2017/nov/16/a-mission-for-journalism-in-a-time-of-crisis

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新年明けましておめでとうございます。

2018年最初の掲載は『真のジャーナリズムとは何か?』ということを問う大部のガーディアンの記事です。

ひるがえってこの国では安倍政権以降、権力を握る者の強みを見せつけるような政治が行われていることに対し、NHKをはじめとする日本の大手メディアの多くは迎合するような報道を続け、市民にとっての公正と正義が見えにくくなってしまっています。

まさに今回の掲載にある通り、『自由を守るための一つの方法として、そして自由の価値を不朽のものにするという点に報道の価値を感じている』人間の一人として、この記事からご紹介していきます。

 

なお、1月第1週のみ

第1回 1月1日掲載

第2回 1月4日掲載

第3回 1月7日掲載

とさせていただきます。

以降は従来通り、月・水・金の週3回掲載してまいります。

本年もよろしくお願いいいたします。

このサイトについて
ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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