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【 日本 – 裕福な国の貧しい子供たち 】《前篇》

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所要時間 約 9分

日本の子どもたちの貧困問題は、最早容易ならない状況にあると言わざるを得ない

日本政府の対策はあまりにも貧弱で、多くの子どもたちに対し常に手遅れの状態になっている

 

ジュリアン・ライオール / ドイチェ・ヴェレ 2016年12月22日

 

日本国内で貧困世帯の子どもたちの支援事業を行っているNGOやボランティア団体などは、法定貧困レベルを下回る環境に置かれている子供たちが増加していることについて警告し、結果的に発生する恐れのあるいくつもの問題に対し日本政府が本腰を入れて取り組むように求めています。

 

世界有数の裕福な国であり、また教育水準の高さと思いやり社会という評判を考えるとき、日本と貧困国家いう概念は容易には結びつきません。

しかし現在、貧困は日本において拡大し続ける問題になっており、中でも貧困状態に堕ちてしまった子供たちについてはとりわけ懸念が大きくなっています。

 

国連児童基金(ユニセフ)は2016年4月、日本の子どもたちの貧困問題が最早容易ならないと言わざるを得ない状況にまで深刻化してしまったとする報告書を公表しました。

報告書は他の先進諸国と比べ、日本の最も貧しい家庭の子どもたちは著しく不利な状況に置かれていると述べています。

 

この調査は収入が最も低いランクの世帯の子どもたちと平均的家庭の子どもたちの相対的な経済格差について検証したものですが、調査対象となった41カ国の中で日本の格差は8番目に大きなものであることが明らかとなりました。

 

▽ 6人に1人の子どもたちが…

 

日本はその相対的な貧困率でもかなり平均を下回り、平均的世帯の半分以下の収入しかない家庭で暮らす子供たちの割合が多数に上っていることが明らかにされました。

この基準によって貧困状態と判断された子供の割合は6人に1人というものでした。

 

日本国内のいくつかの地域、たとえば他県と比べ県民の収入水準が低い沖縄県では貧困問題の深刻さが際立っています。

今年始め沖縄県当局は、県内の子供たちの29.9パーセントが法定貧困レベルを下回る経済状況に置かれているという統計結果を公表しました。これは全国平均より80パーセントも高い数値です。

子供たちの貧困状態を解決するための法律が2014年に施行され、さらにはこれまで安倍首相は機会あるごとに子供たちの貧困問題を解消するための取り組みを始めると約束してきましたが、ここにいたって日本政府はやっと子供たちの貧困問題に対処するための対策をとり始めました。

 

しかしこの難しい問題に取り組むため、実際に現場に立って日々闘いを続けるNGOやボランティアの人々は、政府の対策があまりにも貧弱で、多くの子どもたちに対し常に手遅れの状態になっていると指摘しました。

 

「私たちが今日目にする貧困率は、この25年間で日本の子どもたちにとって生活がどれ程苛酷なものになったかを如実に物語っています。」

こう語るのは全国子どもの貧困・教育支援団体協議会の世話人代表を務める青砥恭(やすし)さんです。

 

▽ 教育と失業

「日本の貧困率が上昇している背景には、いわゆるバブル経済がはじけた後に顕在化した2つの大きな原因があります。」

青砥さんがドイチェ・ヴェレの取材にこう答えました。

「ひとつが教育の問題、そしてもうひとつが失業問題です。」

 

青砥さんの組織は現在日本では17歳未満の350万人の子供たちが貧困の中で生活していると見積もります。

この子供たちの家庭の1年間の世帯収入は300万円以下です。

 

一方で日本政府の統計によれば、援助を必要とする家庭で暮らす子供たちの数はわずか200,000人です。

これについて子供たちの貧困問題と取り組んでいるNGO団体は、福祉政策に基づく支援を受けられる子供たちの数がこれほど低い理由については複雑な背景があると語りました。

 

子どもたちが公的支援を受けられない最大の障害の1つに、日本人社会では働かずにただ単に公的扶助を受けて暮らすことに対し社会的汚名を着せる傾向があることを挙げました。

 

同時に、大学に進学するために必要な費用は近年急上昇しました。

これにより裕福ではない家庭の子供たちが大学進学を果たす可能性は絶望的に低いものになってしまいました。

数千人の子供たちは、家庭の経済状況が困窮しているために高等学校教育すら完了させられずにいます。

こうした子供たちが直面させられるのは、将来に渡っても自分が貧困状態から抜け出すことは極めて困難だという現実なのだと青砥さんが語りました。

 

〈後篇に続く〉

http://www.dw.com/en/japan-a-wealthy-nation-with-poor-children/a-36875397

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この問題については先にエコノミストの記事をご紹介したことがあります。

【 子供たちをのみこむ格差社会の闇 - 日本の子どもたちの貧困問題 】(http://kobajun.biz/?p=28051)

この問題の深刻な側面のひとつに、仮に貧困状態に置かれそのまま『放置され』た状態で成長してしまったら、その子供たちは社会に対しどのような感情を持つかという点にあると思います。

 

私は貧困について簡単に『自己責任』という言葉を突きつけた挙句の社会がアメリカだと考えています。

貧困という負の連鎖から抜け出せないまま大人になった人間の中から、犯罪に手を染め、他人に対し信じられない程残酷な暴力を振るったりする人間が現れる。

動機のひとつには自分に対し過酷な体験を強いた社会に対する反感があります。

それが治安の悪化につながり、社会不安として拡大する。

思いやりに満ちた安心安全な社会の中で生きたいと考えるなら、政府に対し本腰を入れた取り組みを要求することを含め、私たち自身が思いやり社会の実現のため行動する必要があるのではないでしょうか?

 

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【 アイウィットネス(Eyewitness)目を奪われる光景 】

 

ガーディアン 2016年12月~2017年1月

 

1月3日アラブ首長国連邦・アブダビの西方約250kmのリワ・モリーブで開催される砂丘祭に、ラクダを引いて向かう男性。(写真上)

 

1月2日ロンドン。世界中からマーチングバンドが集まる新年パレード、数万人の観客を前に出番を待つ出演者たち。(写真下・以下同じ)

1月1日ベラルーシ。南東部のペラルー村近くの凍結した湖で散歩をするガチョウたち。

12月29日ウェールズ南部のチェプストウ競技場で開催されたグランド・ナショナルで、障害物を飛び越える騎手と競走馬。

https://www.theguardian.com/world/series/eyewitness

 

【 ゲンパツに『社運を賭けた』東芝、その『大挫折』 】《後編》

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所要時間 約 6分

高すぎた東芝のウェスティングハウス買収価格

2030年度までに世界各国で45基の原子炉を製造し稼動させるという東芝の計画「相当な困難が伴う」

 

ジョナサン・ソブル / ニューヨークタイムズ 2016年12月27日

 

2006年ウェスティングハウスを買収した際にも、東芝が決定した買収価格は高すぎるとアナリストの多くが批判的でした。
そして東芝がウェスティングハウスを買収した直後、世界的金融危機が発生、続いてアメリカ全土でシェールガスの爆発的な開発ブームが到来して天然ガスと原油が大幅に下落、原子力発電に対し従来型の発電手段がコスト面において大きく値を下げる結果になりました。
さらに2011年の福島第一原子力発電所におけるメルトダウンは日本国内の原子力産業を麻痺させ、国内各所の原発建設における遅れや縮小へと繋がっていき、東芝が抱えていた問題を一層悪化させることになったのです。

 

これほど問題が相次いだにもかかわらず東芝は、中国という新たなライヴァルの登場により不振をかこつ家電製造など他の事業よりも、原子力事業の方が賭け対象として有利だと考えているのです。

 

不正会計疑惑問題が発覚した後、東芝は管理部門の大幅な改革に着手しましたが、その際任命されたのが現在の最高責任者綱川智氏です。
その綱川社長は今年、原子力事業を東芝の中核として位置づけていくことを再確認しました。

綱川社長は今年6月、2030年度までに世界各国で45基の原子炉を製造し稼動させるという東芝が公言している目標について
「達成可能である」と記者団に語っていました。
しかし業界に詳しいアナリストは「だとしても、相当な困難が伴うだろう。」と語っていました。

 

アメリカ合衆国内でウェスティングハウスはCB&Iストーン・ウェブスターとともに、2か所の原子力発電所で原子炉を増設する計画に携わってきました。

 

しかしサウスカロライナ州のV.C.サマー・ステーション原子力発電所とジョージア州にあるアルヴィンW.ヴォーグル原子力発電での原子炉の増設プロジェクトは、すでに計画より数年遅れとなり、予算も数十億ドルという単位で超過する事態となっています。

 

会計士が『のれん』と表現している東芝が今回計上することになった多額の負債は、このウェスティングハウスとCB&Iストーン・ウェブスターの資産価値に直結するものです。

基本的に買収した側が支払うべき割増価額は買収された企業が有する工場や機材などの資産を算定した上で決定されます。

東芝が当初この割増価額を8,700万ドルと算定していました。

しかし精密な検証を行った結果、ウェスティングハウスとCB&Iストーン・ウェブスターを合わせた企業としての資産価値は、東芝が支払った金額をはるかに下回るものでしかないことが明らかになったのです。

 

東芝は買収価額と実際の資産価値との差額の「全部または一部」を、損失として本体の資産価値から差し引かなければならない事態に追い込まれることになったのです。

 

http://www.nytimes.com/Toshiba Could Lose Billions From Troubled U.S. Nuclear Power Deal

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【 2016年報道写真50選 】《8》

アメリカNBCニュース 2016年12月21日

 


2月、旧正月の始まりを告げる爆竹と花火が鳴り響く北京の街を通り過ぎる車の中の女性と少女。(写真上)

7月2日スペインのマドリッドで行われた同性愛者のパレード参加者が写真撮影のためポーズを取る様子を見つめる高齢の女性。(写真下・以下同じ)
警備上の懸念と折からの高温と戦いながら、ヨーロッパ最大規模の性的少数者のパレードを見るため何十万人もの人々が詰め掛けました。
藻の種類の違いによって道路を境に全く違う色になった塩水湖。9月25日中国山西省運城市。

2016年7月10日台風1号に襲われた後の中国福建行政区、がれきの中に呆然と座り込む女性。 台風1号はフィリピン、台湾、中国本土を襲い、少なくとも8人が死亡、広範囲にわたる氾濫と停電を引き起こしました。

3月15日のギリシャ北部のイドメネイで、仮設の難民キャンプを覆う透明のビニールシートの向こう側に立つ難民の子供。
この時、数万人の難民がヨーロッパ全域で足止めされ、移動できなくなりました。
総計で100万人以上の難民と移住希望者がヨーロッパに殺到、欧州各国ではドミノ倒しのように政治的激変が起きることになりました。

8月26日にイラン北西部にあるウルミア湖を探検する人々。
水源の枯渇を食い止めようとするイラン政府の計画も、この塩湖の保存も折からの降雨によって希望が見えてきました。

《完》
http://www.nbcnews.com/slideshow/year-pictures-2016-n697021

【 ゲンパツに『社運を賭けた』東芝、その『大挫折』 】《前編》

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所要時間 約 9分

東芝、原子力部門の事業拡大に失敗し数千億円の損失が確実になり、株価は27日、東京株式市場で12パーセント近く下落

新たな原子力発電所建設の予想を超えて膨れ上がる費用と工期の遅れが、東芝本体に致命的損失を突きつけた

 

ジョナサン・ソブル / ニューヨークタイムズ 2016年12月27日

 

東芝は原子力産業界における世界的トップ企業を目指し、10年の歳月と数千億円を投資してライバル企業の買収を行ってきました。
皮肉にもその結果東芝は財政的な泥沼に落ち込むことになり、尚一層深みをますことになりました。

東芝は12月27日、原子力設備建設を専門とするアメリカ企業を購入したことにより、「数千億円程度の」損失を計上することになる可能性があると警告しました。

 

公表された声明の中で東芝は、1年前に買収した米国企業のCB&Iストーン&ウェブスターの負債を整理する関係で、東芝本体が損失を計上する見込みとなり、現在その額を算定中であることを明らかにしました。

巨額の損失を計上することになった原因を作ったのは、アメリカ合衆国における東芝の原子力部門の子会社ウェスティングハウスが2億2,900万ドルでCB&Iストーン&ウェブスターを買収したことです。
東芝の株価は、12月27日火曜日に12パーセント下落しました。

 

CB&Iストーン&ウェブスターの元の親会社であるエンジニアリング・グループ、シカゴ・ブリッジ&アイアン・カンパニーと東芝は、買収手続きが完了してからもずっとCB&Iストーン&ウェブスターの本来の資産価値について協議を続けてきました。
巨額の損失を計上しなければならなくなった背景にあるのが、CB&Iストーン&ウェブスターが現在続けている原子力発電所建設のスケジュールの遅れと予想外に膨らんでいる費用です。
シカゴ・ブリッジ&アイアン・カンパニーとウェスティングハウスはこの問題によってCB&Iストーン&ウェブスターが最終的にどれほどの規模の財政的損失を計上しなければならなくなるか、その算定を巡り法的に争っています。

 

この買収は始めからギャンブルのようなものでした。
東芝の子会社であるウェスティングハウスは、当初この買収のためにさほどの資金を要しませんでした。
しかし当初の想定通りに物事が運ばなければ、最終的に必要になる費用は想定した金額の何倍もの高額なものになる危険性があります。

そして現在予想されるのは、悪い方の結果です。

 

東芝は12月27日の生命の中で、次のような趣旨の説明を行いました。
「ウェスティングハウス社がアメリカ国内で行っている事業を完了させるために必要な費用が、当初の見積もり金額を大幅に超過する可能性が明らかになりました。原因は買収した企業の資産価値が当初の見積もり金額を大幅に下回ることが確実になったためです。」

 

こうして東芝の原子力発電事業は最悪の展開を見せることになりました。

 

買収による原子力の事業規模の拡大により、東芝本体の業績が脅かされる事態に陥ることになりました。
そして買収によって発生した巨額の損失について、東芝単体では補填できない可能性も浮上してきました。

東芝がウェスティングハウスを買収したのは2006年、金額は当時のドルレートで約6,000億円という金額でしたが、この費用が不当に価格が高く、しかも悪いタイミングで行われたことがすぐに明らかになりました。

結局東芝は2015年、ウェスティングハウスに関わる資産について23億ドルの評価の減額を行いました。
しかもこの評価損は、東芝本体で原子力事業を含む幾つかの事業部門で利益を水増しして報告していた不正経理の発覚という、企業としての姿勢を問われなければならない不始末の直後に行われたのです。

 

http://www.nytimes.com/Toshiba Could Lose Billions From Troubled U.S. Nuclear Power Deal

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『果然』という言葉があります。

果たして然り。

平たく言えば『やっぱりそうなったか…』

『人も無げ』という言葉もあります。

人を人とも思わないさまのこと。

この記事を読んで最初に思いついた言葉でした。

 

福島第一原発の事故の後、事業に密接に関わった企業として被害者の救済に協力すべく誠意を尽くすというのならともかく、「日本がだめなら海外に出れば良い』とばかりに日本の原子力産業界が海外進出に力を入れ始めたさまを見て、国際的にも批判的な報道が行なわれてきました。

 

『襟を正す』

企業姿勢にも必要な事ではないでしょうか?

 

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【 2016年報道写真50選 】《7》

 

アメリカNBCニュース 2016年12月21日

 


2月11日のブラジルのレシフェ近郊にある自宅の外で、4歳になる小頭症の息子を抱き上げる26歳の母親ジャクリーン。(写真上)
それまでだれも名前すら知らなかったジカ・ウィルスの流行が、ブラジル国内で数千例の先天性の障害を持った子供たちの誕生につながりました。
蚊が媒介するウイルスは2、3ヵ月のうちにカリブ海諸国を席巻し、アメリカ合衆国にまで到達しました。
この間、小頭症という先天性の障害をもった子供たちが多数生まれることになり、先例のない影響の広がりに医学会もただ手をこまねくしかありませんでした。

10月9日のハイチのホークで、水飲み器でシャワーを浴びる青年。(写真下・以下同じ)
カテゴリー4に分類されるハリケーン・マシューが10月4日に最貧国の南西部にある半島部分に襲いかかりました。
最大で時速145mの暴風が吹き、少なくとも546人の死亡が確認されました。
農村地帯も大打撃を受け、収穫前の作物が台無しになり、家畜にも大きな被害が発生しました。
その影響は深刻で、2017年に食糧危機が発生することが懸念されています。

10月4日リビア沖約20キロの地中海の海上で救助に駆けつけたプロアクティヴァ・オープン・アームズの船に乗り移るため屍体をまたぐ難民の男性。
48時間のリミットを超えて約10,000人が救助されましたが、死んだと思われていた数十人も命を取り止めることになりました。

12月1日キューバのサンタクララ、フィデル・カストロ前大統領の遺体が首都ハバナからサンティアゴ・デ・キューバまで移送する葬列を見るためビルの屋上で待ち受ける人々。
1959年キューバ革命の英雄であり、リーダーであり続けたカストロは11月25日、90歳で亡くなりました。
何万人もの人々が葬列が通る通りに沿って並んでいましたが、葬列は1959年1月1日カストロとその軍隊がハバナに向かって勝利の行進をした道を逆の方向に進んでいきました。
沿道の人々は旗を振り「Long May Live(これからも長く人々の心に生き続けるだろう!)」と叫んでいました。

携帯電話で葬列の撮影をする人々もいましたが、2006年にフィデル・カストロが権力の座を弟のラウルに譲るまで、携帯電話は贅沢品としてキューバ国内では使用が禁止されていました。


ラウルの代になり、キューバではゆっくりと一連の改革がすすむことになりました。

7月27日フィラデルフィアで開催された2016年アメリカ民主党大会の第3夜、スピーチを終えたバラク・オバマ大統領を抱きしめるため舞台上に登壇した党公認大統領候補ヒラリー・クリントン。
クリントンは女性が1920年に投票権を得たそのほぼ1世紀後、史上初めて大政党初の女性党公認大統領候補になりました。

http://www.nbcnews.com/slideshow/year-pictures-2016-n697021

【 オキナワ戦 : 沖縄の人々にとっての太平洋戦争 】《3・完》

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所要時間 約 10分

伊江島、結果的にこの島は沖縄戦の中でも最悪の戦場のひとつになった

『沖縄のこころ』それは人生を大切にし、平和を誠実に希求する、人間として最も勇気に溢れた姿勢のこと

 

クリストファー・ドン / アメリカCNNニュース 2015年3月13日

 

▽ アーニー・パイル・メモリアル(伊江島)

 

伊江島は沖縄の西側にある小さい島ですが、ここを訪れる人々は農民と職人が暮らす静かな、そして人影もまばらな集落に出会うことになります。

1945年4月16日にアメリカ軍が上陸してくる以前、日本軍に島民を加えた守備隊が組織されていましたが、結果的にこの島は沖縄戦の中でも最悪の戦場のひとつになりました。

 

アメリカ軍が上陸してきたその日一日で、約6,000人の守備隊員が命を落としました。

そのなかには数多くの伊江島の志願した男性、そして女性たちがいました。

この戦闘では兵士たちとともに最前線に出て、実際の戦闘で遭遇する困難な状況について精密な描写をすることで知られていたアメリカの従軍記者アーニー・パイルが死亡しました。

伊江島のメインとなる港から数分でたどり着ける場所にアーニー・パイル・メモリアルがあります。

ここは彼が最初に埋葬された場所です。

 

後に彼の遺体と遺品はハワイのホノルルにある、国立太平洋戦線記念墓地に埋葬し直されました。

毎年4月には沖縄の米国在郷軍人協会と沖縄に駐留しているアメリカ海兵隊の少人数の分遣隊がやってきて、年次追悼式典を開催します。

 

▽ 伊江島千人洞(ニャーティア洞)

 

3ヵ月に及んだ戦いの間、沖縄の住民は千人洞と呼ばれる洞窟の中に避難しました。

アメリカ軍の空爆と砲撃による猛爆が続き、住民は海近くにあるこの洞窟に隠れ住む以外、無差別殺戮から逃れる方法はありませんでした。

 

戦闘が続いていた間、住民は内部に4つの大きな空間があるこの千人洞から出ることは出来ませんでした。

私は伊江島にある米海兵隊の訓練施設に常駐するメンバーと一緒にこの場所を訪れました。

訓練施設にいるのはわずか11人の海兵隊員です。

 

一日のうち最も陽が高くなる時間帯でしたが、対照的に洞窟の中は薄暗く、何か陰惨な印象がありました。

洞窟内の地面は砂で覆われ、壁面には珊瑚の痕跡が認められます。

近くに打ち寄せる波は穏やかで、そこから冷たい空気が洞窟内に流れこんできました。

 

「私は海が好きです。」付き添ってきた海兵隊員が、海に向かって大きく開いた洞窟の入り口に一個の小さな岩を載せながらこう語りました。

「戦争中は絶え間なく続く大きな爆発が恐ろしい状況を作りだしていたに違いありませんが、今となってはそうした状況は想像することすら難しくなりました。」

 

あたりは静けさに包まれており、時折波の音が聞こえてくるだけでした。

静謐さとは程遠い戦争と徹底的な破壊がすぐ近くで続いていた状況を想像することは、全くできませんでした。

 

▽ 沖縄県平和祈念資料館

 

沖縄県平和祈念資料館には、永遠の炎が灯されています。

糸満市にある沖縄県平和祈念資料館は、沖縄戦に関する最も総合的な理解が可能になる場所です。

資料館は沖縄の歴史について、古代の琉球人史から始まり日本の県として併合されたこと、急速な現代化と戦争準備、戦場となった沖縄の悲惨な状況から今日まで続く『基地の島』としての状況までを物語る多数の展示がされています。

 

学術図書館として、劇的な疑似体験をする場所として、戦争当時に実際に使われた様々な遺物や沖縄戦の生存者の証言に触れる場として、この資料館は訪れる人々に戦争の惨禍に見舞われた沖縄についていくつもの視点を提供してくれます。

そして沖縄が将来に向けどのような展望を持っているのかも理解することが出来ます。

永遠の炎が燃える資料館の庭からは、一切視界を遮るもののない広大な、そして素晴らしい真っ青な海が広がっています。

 

そしてこの資料館は、悲惨な戦争の実体験がどのようにして現在の「沖縄のこころ」を作り上げたかをはっきりと示しています。

「毅然として人生と向かい合い、個人の尊厳を尊重し、戦争を断固として拒絶して本当の意味で文化を大切にするという、もともと沖縄の人々が大切に守ってきた価値観を不動のものにしたのです。」

 

〈 完 〉

http://edition.cnn.com/2015/03/12/travel/okinawa-world-war-ii-travel/index.html

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私は歴史上の人物で最も勇気があったのはインドのマハトマ・ガンジー氏(1869年10月 - 1948年1月)だと思っています。

当時世界最大の帝国であった英国に対し、徹底して非暴力主義を貫きながら、自らの主張を決して曲げないという姿勢を保ち続けるには、どれ程の勇気が必要だったでしょうか。

今回の稿を訳し終え、それと同じ姿勢が『沖縄のこころ』に貫かれているという事がよく理解できました。

この稿は文献等に基づき持論を展開するのではなく、沖縄の史跡を巡りながらそこにどのような『心』が存在するのか、丹念に検証していくという手法が採られており、その事によって各所の史跡に埋もれていた『沖縄のこころ』が明らかにされて行きます。

私たち『本土の人間』はもっと謙虚に、そしてもっと真摯に『沖縄のこころ』に向かい合うべきだと痛感しました。

 

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【 2016年報道写真50選 】《6》

 

アメリカNBCニュース 2016年12月21日

ネパールのシャンジャ地区にあるシュリーカラ・バイヤブ高校で、休み時間にバレーボールに興じる同校の10年生、68歳のデゥルガ・カミ。

少年時代、彼の家は貧しく教師になる夢を断念せざるを得ませんでした。

6人の子供を持ち、8人の孫もいるデゥルガさんは妻の死後、孤独な生活に耐え兼ね、改めて学業を修めるべく現在一週間に6日のペースで通学を続けています。(写真上)

 

11月10日にホワイトハウスの大統領執務室で握手を交わすバラク・オバマ大統領と次期大統領ドナルド・トランプ。(写真下・以下同じ)

既成の勢力基盤に乗った政治家たちが権力の座に座り続けることに飽きていたアメリカの有権者は、次期大統領として実業家を指名しました。

民主、共和両方の既成政党に不満を募らせていた有権者は、ドナルド・トランプの政治的な経験の無さに対し、あたかも変革をもたらす使者としての役割を見出したのです。

6月13日フロリダ州オーランドで前日に起きたナイトクラブでの無差別銃撃事件の犠牲者を追悼するために集まって来た群集。

この事件では49人が死亡し、多数の負傷者が出ました。

7月15日未明、白い色の大型トラックが南フランスのニースでフランス革命記念日を祝っていた群衆に突っ込んだ事件で、犠牲となった人の遺体。

フランスはこの2年間で3回の無差別テロの対象になってしまいました。

9月8日中国の新疆ウイグル自治区トルファンで、供物祭のため美容院で順番を待つ少数民族ウイグル族の女の子。

供物祭は新疆ウイグル自治区で暮らす2,300万人のイスラム教徒の約半数にあたるウィグル族がこぞって祝う多数の犠牲を捧げる祭りとして有名です。

共産主義国家である中国は原則信教の自由を認めていませんが、イスラム教は例外的に『公認』されています。

しかし実際にはその宗教的行事や文化に対し、様々な形で規制を課しています。

これに対し一部のイスラム教徒が暴力事件を引き起こし、かえって中国政府当局の規制を正当化させる結果になりました。

http://www.nbcnews.com/slideshow/year-pictures-2016-n697021

【 オキナワ戦 : 沖縄の人々にとっての太平洋戦争 】《2》

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所要時間 約 10分

戦争当時の日本軍将兵、そして沖縄の人々の心中を思いやれば、暗い気持ちにならざるを得ない

残酷きわまりない戦いを強いられた人々の史跡は、まさに『戦争の傷跡(きずあと)』

 

クリストファー・ドン / アメリカCNNニュース 2015年3月13日

 

沖縄の人々の多くが寛容であることの理由、その答えの重要な部分が極めて残酷な体験を沖縄の人々に強いた太平洋戦争の教訓に根ざしています。

島の全域、特に沖縄本島の那覇市にアクセスしやすい場所に、沖縄戦を記憶に留めるため、戦いの跡が保存され記念碑などが作られました。

これらの施設は悲惨な戦争の記憶を風化させないようにしていると同時に、平和の大切さを知り尽くしている沖縄の人々の心を象徴するものでもあります。

 

▽戦争の傷あと

 

つい最近、私は沖縄戦の史跡を自分自身の目で確かめるため、親友であるケイラに伴われジャングルの中で調査旅行を行いました。

ケイラは夫が沖縄の米軍基地に任官した際、一緒に沖縄に引っ越してきました。

大学でアメリカ史を学んだケイラは、これを機に個人の歴史研究家として沖縄戦について研究することにしたのです。

「私たちにとって非常に身近な出来事でありながら、多くの見落としがあることに気が付きました。」そして彼女自身の手による沖縄戦の研究が、アメリカ史についての彼女の研究にこれまでとは明らかに違う視点を与えることになったと語りました。

 

「やっと今、全貌が見えてきたように感じています。しかし沖縄戦を理解するためにはすべての建造物や施設を目の前から消さなければなりません。そうしなければ沖縄戦の本当の姿は明らかにはなりません。」

 

▽中城(なかぐすく)村の監視廠

 

ケイラは私を雑草が生い茂る急な坂道を登ったところにある、中城村の驚くほど保存状態の良い第二次世界大戦(太平洋戦争)当時の日本軍の監視廠に連れて行ってくれました。

 

高台にあるこの陣地は海抜のメートルそのままに『161.8高地陣地』

161.8人のコウウチ・ジンチまたは「高い地面位置」(海抜161.8メートルでそのピークに任命される)は、丘の頂上に高い所に置かれます。

この監視廠は鉄筋コンクリートと石を組み合わせて建造されており、沖縄本島の中央部にあって四方を見渡せるようになっており、はるか海上まで監視の目が届くように作られていました。

日本軍は塹壕と洞窟を利用した地下通路も整備し、広域をカバーする防御線を見張るためこの監視廠を建造したのです。

 

注意深くこの監視廠を観察すると、生々しい戦争の傷あとがいたるところに残っていることに気づかされます。

そして最も衝撃的な事実は戦争が起きる200年前、この場所が当時の琉球王朝の聖地、『きしまこのたき』という名の祈りを捧げる場であったという事です。

 

現在の那覇市にある首里城の北東方向の宜野湾市を通り、161.8高地陣地が作られた中城城址を通るルートは、かつての流経王国の史跡が数多く残る歴史的コースの一部でもあります。

この史跡が点在するルートは歩いて巡ることもできますが、現在その50%が改修中です。

 

161.8高地監視廠はこルートのちょうど中間地点にあり、一般公開されている中城城址からも行きやすい場所にあります。

沖縄自動車道を利用することも出来、目印になる建物として中城北中城消防本部があります。

 

▽ 日本海軍司令部濠

 

現在の沖縄県豊見城市にあるのが、沖縄戦当時、前進を続けるアメリカ軍に対し太田実少将が指揮する海軍部隊が最後の抵抗を行った地下司令部です。

半円形の洞窟を組み合わせて作られた全長450メートルのこの地下司令部は、4,000人の収容能力がありました。

この司令部は日本軍将兵と沖縄の住民が、つるはしとシャベルを使って文字通り食うや食わずで掘り上げたものでした。

 

これらの洞窟内を一巡すると、自分が心に重くのしかかる経験をしたことに気づかされます

一般見学者に公開されているのは300メートルの回廊ですが、そこには司令部員の宿舎、各兵員の戦闘配置位置、そしてアメリカ軍が突入して来る前に太田少将とそのスタッフが自決した際、手りゅう弾の破片によって傷つけられた壁面の残る施設があります。

 

▽ひめゆり平和祈念資料館

 

ひめゆり平和祈念資料館にはひめゆり学徒のメンバーの肖像写真が展示されています。

ひめゆり平和祈念資料館は沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒で構成された240人のひめゆり部隊の記憶を風化させないことを目的に建造されました。

米軍の沖縄上陸を目前に控えた1945年3月23日、女子生徒222人と引率教師18名が沖縄陸軍病院に看護要員として動員されました。

彼女たちは洞窟内に設けられた野戦病院で過酷な状況の中で働き、不潔で劣悪な環境で生活していました。

そして正視に堪えないような重傷を負った兵士の看護、そして兵士たちが次々と命を落としていく過酷な現実に直面することになったのです。

 

看護師のアシスタントとして働く任務を与えられ、彼女たちは文字通り寝る暇もなく負傷兵の看護と介護に明け暮れる日々を過ごしました。

そして止むことなく爆撃や砲撃の中をかいくぐり、負傷兵や病院スタッフのために水や食料を調達し、そして命を落とした人々を葬る役割も担ったのです。

 

彼女たちに捧げられた1989の献辞の中で、沖縄県女師・一高女ひめゆり平和祈念財団は日本軍の沖縄防衛線が崩壊した後、彼女たちの運命がどのような経路をたどったかを解説しています。

生命の損失は圧倒的なものでした。

240人のうち、227人が死亡したのです。

 

ひめゆり平和祈念資料館は野戦病院があった洞窟の入り口の前にあります。

ここを訪れる人の多くが命を落とした人々のために祈りや黙とうを捧げています。

そして献花の絶えることがありません。

 

《3》に続く

http://edition.cnn.com/2015/03/12/travel/okinawa-world-war-ii-travel/index.html

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【 2016年報道写真50選 】《5》

 

アメリカNBCニュース 2016年12月21日

 

10月26日フランス、ノルマンディー地方のカレーにある『ザ・ジャングル』と呼ばれる難民キャンプから上がる煙を丘の上から眺める難民たち。(写真上)

難民は貧困や戦争から逃れてヨーロッパに流れ込んでそのまま英国に渡ろうとしたものの、海峡を越えることが出来ずにこの地に臨時のキャンプ村に滞在を続けています。

しかしあまりに不潔な環境が人道問題化するのを見かねたフランス政府が大規模な撤去作業に乗り出しました。

 

12月19日にトルコ、アンカラの写真ギャラリーでアンドレイ・カルロフ・ロシア大使を射殺した後に叫ぶ銃撃犯の男性。(写真下・以下同じ)

襲撃したのはアンカラの22歳の機動隊員で、射殺死体の脇でシリア内戦におけるロシアの干渉を厳しく糾弾しました。

彼はこう叫んでいました。

「アレッポを忘れないでくれ! シリアを忘れないでくれ!」

この後駆けつけた警察と銃撃戦になり、その場で射殺されました。

7月9日のイラクのカラダで起きたトラックを使った自爆テロの後、治療を受けた後父親に抱かれた4歳の女の子。

イスラム教の休日に母親と一緒に買い物に出た後、二人はテロに巻き込まれ大やけどを負いました。

7月6日、ナイジェリア北部、イスラム教の断食月、ラマダン終了を祝い衛兵と楽隊を引き連れてパレードする現地の土侯。

10月24日、イスラム国(ISIS)からイラク第2の都市モスルを奪還する政府軍の軍事作戦が開始され、近くのカイヤラー郊外に集団で避難した住民たち。

イラクで2番目に大きな都市モスルはかつて、多数派のスンニ派イスラム教徒のアラブ系住民に加え、クルド人、シーア派イスラム教徒、キリスト教徒とヤジズ教徒などが共存する最も多文化的な場所でした。

彼らは渾然一体となって独自の料理や文化を持つ経済圏として繁栄していました。

しかしISISの支配により、モスルは飢えと恐怖の代名詞と化してしまったのです。

http://www.nbcnews.com/slideshow/year-pictures-2016-n697021

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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