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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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【 日本、尖閣諸島の近隣に最新鋭のミサイル部隊の配備を計画 】《後篇》

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所要時間 約 8分

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安全保障関連法案を国会で可決成立以降、自衛隊の戦闘能力強化を急ぐ安倍政権
南沙諸島の横奪と同様の行為を、中国が尖閣諸島でも繰り返す危険性があるとの観測には無理がある

ジュリアン・ライオール / ドイチェ・ヴェレ(ドイツ国際放送) 12月1日

自衛隊04
「日本は今、東シナ海・南シナ海における中国の台頭について大きな懸念を抱いています。そして直接的な影響の表れとして、その安全保障政策を変更し、防衛能力の見直しを進めているのです。」
東京にあるテンプル大学日本校のアジア研究部門の責任者であるジェフ・キングストン教授が、ドイツ国際放送のインタビューにこう答えました。

こうした対応はこの夏安倍晋三首相が集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案を国会で可決成立させて以降、一層速度が上がっていると、同教授は指摘します。
「安部首相は地域の安全保障の確保のため、日本がより積極的な役割を担わなければならないと考えていることは明らかです。そして最大の同盟国であるアメリカもまた、日本にその事を期待しているのです。」

尖閣01
日本政府は南シナ海において中国が実効支配する面積が驚くほど大きくなっていることを強く警戒しています。
南シナ海は日本が重要な資源等を運搬する際の重要なルートです。
しかし尖閣諸島に対する脅威は、それ以上に日本の領土に対する直接的な脅威と受け止められているのです。

▽ 解決策は軍備増強しかないのか?

日本はこうした状況を前にその防衛政策の大幅な見直しを進めています。
なかでも特に離島などが侵略を受けるという最悪のシナリオが現実になった場合に、その奪還を可能にするための兵器開発に多額の国家予算を注ぎ込みつつあります。

米国からV-22オスプレイ輸送機の17機を購入し、旧型のF4ファントム戦闘機を同じく米国から購入した最新鋭のF-35迎撃戦闘機と入れ替え、さらにはグローバル・ホーク無人偵察機を購入し、さらにはヘリコプターを搭載した新型駆逐艦の出雲を竣工させました。

防空識別03
さらに他国の軍隊によって離島を占領された場合、これを襲撃・奪還する任務を成功させるための680人編成の重装備旅団を新たに編成しています。

安倍政権は3年連続で防衛予算を増額し、2015会計年度には4兆9,800億円を防衛予算として計上しました。
2016年度の防衛予算は、さらに増額が見込まれています。

「中国は過去30年に渡り1年につき約10パーセントの割合で軍事予算の増額を続けてきました。その主要な部分を占めてきたのが海軍力とミサイル装備です。」
「こうした状況を見て、日本政府が中国を自国の領土領海に対する最大の脅威とみなすことは当然の成り行きです。」
こう語るのは明治大学国際総合研究所の客員研究員の奥村準氏です。
「現在日本政府は南西諸島における防衛能力を段階的に強化していますが、これは日本がいつどこでどのような場合に軍事行動を行うか明確な意思表示をするという点において、日中関係にこれまで以上に一層重要な意味を持つことになるでしょう。」

日中紛争 2
しかし日中両国間の偶発的衝突が、直ちに大きな国際紛争にまで発展する可能性は極めて小さなものだと分析する、別の専門的意見もあります。

テンプル大学のジェフ・キングストン教授は、中国が南シナ海で行った南沙諸島の横奪のような行為を、日本の尖閣諸島にもおいても行うとの観測には無理があると指摘しました。
「沖縄と太平洋西部地区におけるアメリカ軍の存在を無視して、中国が尖閣諸島に対して侵略行動に出る可能性はまずあり得ないと考えるべきでしょう。
現在は中国もアメリカも、極めて慎重に互いの監視を続けています。」

〈 完 〉
http://www.dw.com/en/japan-may-deploy-troops-missiles-near-disputed-islands/a-18886571
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35年前、『ジョン・レノン殺害』のニュースの第一報を聞いた時、私も
「なぜジョンを殺す?!」
と叫んだ人間の一人でした。
当時はなぜジョンがあれ程『世界に平和を!』と執拗に歌い続けたのか、今一つぴんと来ていませんでしたが、今は心から共感しています。
1980年はアメリカにレーガン政権が誕生し、ジョンが暗殺された年でした。
そして上の記事を見たその上で、下の記事中の
『ジョン・レノンの死はひとつの時代の終焉を告げた』
という一文を読むと、今さらながらジョンの死が悔やまれてなりません。

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【 ジョン・レノンのファンたち、追悼のためのカム・トゥギャザー 】
35年前の凶行の衝撃と心の痛みを分かち合うため、『イマジン』のモザイク前に集まった人々

AP通信 / アメリカNBCニュース 12月8日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

John01
2015年12月8日、殺害されたジョン・レノンを偲ぶため35回目の命日にニューヨークのセントラル・パークのストロベリー・フィールズ区画にある『イマジン』のモザイク前に集まった人々。(写真上)

35年前の元ビートルズのジョン・レノンが殺害されたことは、同時代を生きた人々、そして根っからの音楽ファンにとって未だに衝撃的な出来事として心に刻み込まれています。

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ロックミュージックの全盛時代を導き、平和運動のリーダー的闘士として戦い、ベビーブーム世代を代表する偶像であった彼は、マーク・デイビッド・チャップマンの突然の襲撃による死は世界中に衝撃を与え、無数の人々を嘆かせました。
彼の死はひとつの時代の終焉を告げることになりました。

チャップマンは終身刑プラス20年の刑を宣告され、2014年8月に最終的に仮釈放を却下されました。
「こうした類いの苦痛を与えてしまったことについては、申し訳ないと思っています。」
チャップマンは仮釈放審理委員会の席上、こう語りました。
「ある種の達成感を満たすために、こうした愚かで、間違った方法を選択してしまったことを後悔しています。」
チャップマンは2016年、再び仮釈放を申請することができます。

John03
2010年の審理でチャップマンは、銃撃する相手はジョニー・カーソン、エリザベス・テイラー、ジョン・レノンのうちだれでもよかったが、元ビートルズのジョンが最も近づくことが容易であり、しかも彼が住んでいたセントラル・パークの脇にある年代物の古いアパート周辺は「人気のない目立たない場所」であったため、最終的に狙う相手としてジョンを選んだと、当時の状況について供述しました。

http://www.nbcnews.com/news/us-news/john-lennon-fans-come-together-mark-singers-death-35-years-n476691

【 日本、尖閣諸島の近隣に最新鋭のミサイル部隊の配備を計画 】《前篇》

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最新鋭の地対空ミサイルと対艦ミサイルを装備、侵略に対する防衛戦闘を行う部隊を配置することを検討中
日本政府による国有化によって泥沼化してしまった尖閣問題
日本政府は東シナ海における小さな無人島・尖閣諸島について、南沙諸島同様の中国の好き勝手を許すつもりは無い

ジュリアン・ライオール / ドイチェ・ヴェレ(ドイツ国際放送) 12月1日

自衛隊04
中国の軍事力増大による緊張が高まる中、日本は中国も釣魚諸島として領有権を主張している尖閣諸島の近くの島に500人の自衛隊の部隊を配置することを検討しています。
この配置は2019年に始まる中期防衛計画の中で完了し、緊急事態に対応することになっています。

日本は中国も領有権を主張している沖縄県の南西端にある無人の尖閣諸島から約170キロメートルの場所にある島に、最新鋭の地対空ミサイルと対艦ミサイルを装備する500人規模の自衛隊の地上部隊を配備する計画を持っていることが明らかになりました。

ジャパン・タイムズによると11月26日、若宮健嗣防衛副大臣は尖閣諸島に最も近い場所にある石垣島の市長を現地に訪問、会談を行いました。
匿名筋の情報として同紙は「日本政府が離島が侵略を受けた場合、最新鋭の地対空ミサイルと対艦ミサイルを装備し、いち早く防衛のための戦闘を行う部隊を配置することを検討している」と伝えました。
ジャパン・タイムズはこの配備計画が、2019会計年度から始まる次の中期防衛計画の中で実現される見込みであるとつけ加えています。

▽ 中国の『侵犯』

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この報告は、領土紛争の焦点となっている東シナ海の尖閣諸島周辺の海域での中国海軍の艦艇が急増している中でもたらされました。
11月30日中国沿岸警備隊の3隻の艦艇が尖閣諸島周辺の日本の領海を侵犯しました。
2012年に日本政府が尖閣諸島を民間の所有者から買い上げ国有化すると、中国政府は一気に態度を硬化させ、領有権を強く主張する態度をとるようになりました。
今年に入ってから尖閣諸島周辺での中国艦船による日本の領海侵犯は、これまで32回起きています。
自衛隊の部隊は日中両国が領有権を主張している尖閣諸島から最も近い場所にある島に配備されることになっています。

11月末にも爆撃機を含む中国の軍用機による大規模な演習が沖縄の近くで実施され、日本政府はF-15ジェット戦闘機を緊急発進させるなどして対応しました。
10月に日本政府は、4月以降の半年間に中国軍機の領空接近に対し、自衛隊のジェット戦闘機が合計231回の緊急発進を行っていることを明らかにしました。

中国海軍
今回明らかになった石垣島に地上部隊を配備する計画は、こうした一連の状況を受けて日本政府が『中国の軍事的台頭』に対応するため採られた措置です。
この地域における日本の防衛能力を強化するための重要な政策の一環として、さらに多くの部隊が宮古島や奄美諸島にも配備される予定です。
尖閣諸島そのものに自衛隊の部隊を配置することは中国政府を一層刺激し、現在以上の緊張状態に発展することは明らかであり、日本政府はその対応はとるつもりはありません。

▽ 重大な懸念

中国は現在南シナ海において環礁などを干拓するやり方で人工島を建設中ですが、主として軍用目的の施設を建設中であるとの観測が専らであり、この点を考えると日本が中国の海洋進出に極めて神経質になるのも致し方が無い部分があります。
南シナ海では早くから重要な資源が豊富に埋蔵されている可能性が取りざたされ、ベトナム、フィリピン、そして台湾などが周辺の海域やいくつもの小さな島々や岩礁などに関する領有権を主張してきました。

中国南沙諸島
しかし中国政府は南シナ海における人工島建設に対する各国政府の抗議を一切無視しています。
そして日本政府は東シナ海における小さな無人島、尖閣諸島について中国の好きにさせるつもりはないという決意を増々強めているように見受けられます。

〈 後篇に続く 〉
http://www.dw.com/en/japan-may-deploy-troops-missiles-near-disputed-islands/a-18886571

【 日本、南西諸島周辺海域に実戦部隊の配備を計画 】

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防衛副大臣が2019年初頭に500人編成の地上部隊を石垣島に配置する計画について、現地を訪問し説明
2018年までに宮古島地方と奄美諸島にも、それぞれ数百人規模の部隊を配備する計画

山口マリ / AP通信 / ワシントンポスト 11月26日

自衛隊03
日本の防衛副大臣は、中国との間で領有権を巡り紛争の的となっている尖閣諸島を始めとする東シナ海の離島に、数百名規模の自衛隊を配置することに対する支持を求めるため、11月26日日本の南西諸島の市長との会談を行いました。
防衛省の担当者によれば若宮健嗣防衛副大臣兼内閣府副大臣は中山義隆石垣市長を現地に訪問し、2019年初頭に500人編成の地上部隊を石垣島に配置する計画について説明しました。
この部隊は周辺の離島への不意の侵攻、あるいはミサイル防衛システムを機能させるために配置されます。

中国も釣魚諸島と呼んで領有権を主張している尖閣諸島は日本が実効支配しており、その管轄権は沖縄県石垣市が持っています。

SDF05
日本は防衛体制の増強を続けていますが、中国が軍事力の増強を図っていることに加え、尖閣諸島周辺の哨戒活動を活発化させていることを受け、南西諸島に重点を置いた対応を行っています。
中国の領土的野心、そして北朝鮮のミサイル・核開発疑惑が目下、日本の安全保障問題上の最大の懸念となっています。

安倍晋三首相率いるタカ派政権は、戦争の放棄が明文化されている日本国憲法に違反するとの批判が国内外から幅広く行われたにもかかわらず、9月に新しい安全保障関連法案を成立させました。

日本はすでに150人の沿岸の監視部隊を配備するために与那国島近隣の島に基地を建設中ですが、さらに2018年までに宮古島地方と奄美諸島にもそれぞれ数百人規模の部隊を配備する予定です。

海上保安庁は2012年9月に日本が尖閣諸島を国有化して以降、海軍を始めとする中国船籍の艦艇が月に4回から28回の間で、尖閣諸島周辺の日本が領海と定めた海域への侵犯を繰り返し、ほぼ毎日海域への接近を繰り返しています。

日中紛争 1
世界で2番目と3番目の経済規模を持つ両国の関係は、いくつかの問題を巡り緊張が続いています。
尖閣諸島の領有権に加え、ひとつは第二次世界大戦中とその以前の歴史問題を巡って、さらには尖閣諸島周辺の東シナ海の海底ガス田開発を巡っても対立しています。
そして他にも対立する問題があります。

日本の国内報道によると、日本と中国はこの年末、偶発的衝突などの重大軍事事故発生などを避けるための方策や未解決の問題について議論するため、厦門で海洋安全保障に関する会議を開催する予定になっています。

https://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/japan-to-deploy-troops-near-disputed-islands/2015/11/26/62f78956-9409-11e5-befa-99ceebcbb272_story.html

【 シリア難民受け入れ拒否に心を傷める、日系アメリカ人たち 】《後篇》

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隣人同士の会話も筒抜けだった日系アメリカ人の収容所での生活
収容所から解放された時、多くの日系アメリカ人が家も土地も失ってしまっていた
「人種的偏見、戦時ヒステリーと政治的指導者の過誤」が日系人を収容所送りにした

ジョン・エリゴン / ニューヨークタイムズ 11月26日

NYRefugee01
真珠湾攻撃の後、多くの日系人が収容所に拘留される中、当時の法の執行機関はフジクラさんの父のミノル・ヤスイ氏について
「彼は潜在的に危険な在留敵国人である。」
と宣言したことをフジクラさんは覚えています。

ミノル・ヤスイ氏がアメリカにやって来たのは戦争が始まる40年ほど前だったと彼女が語りました。
ヤスイ氏はオレゴン州のフッド・リバーに居を構え、家族で土地を購入し果樹園を経営すると同時に、兄弟と一緒に雑貨店も経営していました。
フジクラさんは当時店のドアに置かれた看板を思い出しました。
「外国人が所有する商店は休業中」

ヤスイ氏の9人の子供たちの中で一番の年下だったフジクラさんは、最終的にカリフォルニア州トゥレレイクにある最大規模の強制収容所に送られる前に、母親ともう一人の兄弟と一緒に同州パインデールにある一時待機場所に連れていかれました。
「その時誰かがこう言ったのです。『君は14歳だね。ああ、それだとキャンプ送りになってしまうな。』キャンプという言葉を聞いて、私はガールスカウト・キャンプ、あるいはキャンプ・ファイヤのようなものを思い浮かべました。」
フジクラさんはこう語りました。

日系人02
しかし彼女は、すぐにとんだ思い違いをしたことを痛感させられることになりました。
数人の人々は最終的に強制収容キャンプに送り込まれる前、不快な臭いのする家畜厩舎の屋外市場のような場所に留め置かれたことを覚えていました。
別の人々は夏の間バラックの中がうだるように暑かったことを覚えています。

トゥレレイクの強制収容施設ではフジクラさんはタール紙で区切られた住居スペースに住んでいました。
バラックの中のその住居は間仕切りの壁が天井まで届いていなかったため、隣人同士何を話しているかが筒抜けの状態でした。
共同トイレとシャワーには、扉がありませんでした。

最終的に強制収容キャンプが1946年に閉鎖された頃には、多くの日系人家族は彼らの家、土地と財産、そのすべてを失っていました。
元住んでいた場所に戻る事が出来なくなった彼らの多くは、他の場所に移り住む他ありませんでした。
しかしそこでも日系アメリカ人に向けられるアメリカ市民の目は厳しいままだったのです。
フジクラさんはキャンプから出た後にオレゴン大学に合格しましたが、大学から
『彼女自身の責任において入学を辞退した方が賢明かも知れない』
と警告する手紙を受け取りました。

日系人03
強制収容キャンプでの生活は、何人かのひとびとにその後長く続いた後遺症をも残しました。
78歳のマリエル・ツカモトは、時々見回ってくる監視員の懐中電灯の明かり以外、夜間はキャンプ内が全くの闇であったことを記憶しています。
彼女は家族とともに約2年間収容所にいましたが、成人になった後も暗闇恐怖症に悩まされ、克服するまで長い時間を要しました。
彼女のいとこの一人はハイスクールのバスケットボールチームの花形プレーヤーでしたが、収容所での生活の後、最終学年に復帰しました。
しかし先生たちも生徒たちももはや彼をかつてのようには扱わず、受け入れてはくれたものの笑顔を向けて無視するだけだったと、ツカモトさんが語りました。

彼女はアメリカ合衆国が二度と決して同じ間違いをして欲しくないと語りました。

1952年に強制収容キャンプに収容されていた人々はアメリカ議会に対し働きかけを行い、日系移民の正規の国籍取得を認められることになりました。

そんな中、ツカモトさんを始めとする多くの人々は、より高い目標を掲げて戦っていました。
この戦いは1980年に召集されたアメリカ議会委員会が、大量の日系移民を強制収容キャンプ送りに処したことは、国家安全保障上必要だったわけではなく、「人種的偏見、戦時ヒステリーと政治的指導者の過誤」によるものだと結論を出したことにより、勝利しました。

日経アメリカ人
そして1988年にアメリカ議会が市民的自由法を可決し、強制収容キャンプ送りになった日系移民に一人当たり20,000ドルの補償を行う事を決定した時、彼らは最大の勝利を手にすることになりました。
アメリカ政府は捕虜収容所生存者に総額で約16億ドルを支払いました。
「議会のこの決定により、将来差別によりまた別の人々に悲劇が起きることを防ぐことになるだろう、私たちはそう考えています。」
ツカモトさんがこう語りました。

ヤスイさんの家族はアメリカの最高裁判所が日系アメリカ人の強制収容キャンプに送ることを命じた1944年の『コレマツV判決( Korematsu v. United States )』が、まだ正式には撤回されていない点に留意するよう指摘しました。
そして強制収容の体験を強いられた日系アメリカ人たちは、現在のシリア難民に対し、アメリカがまた同じような厳しい隔離政策等を行う事を非常に懸念しています。

Day06
「恐怖心理からヒステリックな反応をすることは、集団心理としてありがちなことです。」
ツカモトさんがこう語りました。
「しかしアメリカはもっとましな対応ができる国のはずです。」
「ここは移民たちが作り上げた国家なのですから。」

〈 完 〉

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この記事を読んで個人的に考えなければならないなと思ったのは、『自由主義陣営の闘士』フランクリン・D・ルーズベルトがなぜそこまで日本人を敵視したのかという事です。
歴史を紐解くと、旧満州国で日本人がソ連軍に大量に虐殺されたのも、北方領土問題も、国連の常任理事国問題もすべてルーズベルトに行きつきます。
当時の日本人が中国人に対してしたようにルーズベルトの中にもまた、日本人に対する差別感情を強く感じます。
憎しみが憎しみを生むように、差別は差別を生む、そんな気がしてなりません。

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【 北京市内の大気汚染、今年最悪の状態に 】

アメリカNBCニュース 11月30日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

北京01
北京は11月30日月曜日、今年最悪の大気汚染を記録しました。
北京市内の中国中央テレビ(CCTV)ビルディングの前。(写真上)
市内の観測装置は汚染物質が非常に危険な濃度に達したことを報告、北京市当局はめったに出すことが無いオレンジ警報、4段階の危険レベルのうち、最悪から2番目の警報を出し注意をよびかけました。
北京02
北京03
北京04
北京05
北京06
http://www.nbcnews.com/news/world/beijing-smog-reaches-peak-levels-stifling-city-n471371

【 シリア難民受け入れ拒否に心を傷める、日系アメリカ人たち 】《前篇》

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人間をその人種や宗教で差別扱いすることは、過去においても間違い、今日においても間違い
第二次世界大戦中の日系アメリカ人に対する扱いは、差別されることの痛みを日本人社会に伝えたはず
死後に自由勲章を授与され、やっと報われた日系アメリカ人の平等への戦い

ジョン・エリゴン / ニューヨークタイムズ 11月26日

NYRefugee01
爆弾による攻撃が国の状況を一変させてしまうまで、ユカを始めとする14歳の少女たちは毎朝連れ立って学校に行き、その日一日何をして過ごすか相談することが日課になっていました。

しかし突如激しい攻撃が行なわれ多くの人々が命を失った日の朝、ユカは待って待ち続けなければなりませんでした。
母はユカに一人で学校へ行くように求めました。
しかしユカは、いつも通りみんなやってくると主張し譲ろうとしませんでした。

結局、誰も現れませんでした。

仕方なくひとりで学校へ行ったユカは、必ずやってくると信じていた昨日まであんなに親しかった友人たちが、突然彼女を無視するようになった現実と向き合わなければなりませんでした。

その日は1941年12月8日月曜日、日本が真珠湾を攻撃した日の朝の出来事でした。

日本人の両親の下オレゴン州で生まれたユカ・ヤスイ・フジクラさんは今週、パリでテロ事件が発生した結果、シリア難民に対する風当たりが強くなっていることに心を傷めています。
彼女は祖国が最も恥ずべき歴史を刻んだ時代へと思いをはせました。
それはアメリカ合衆国が、アメリカで生まれたアメリカ人であるにもかかわらず、日系人だというだけで数万人に上る人々を差別・隔離し、収容所での生活を強制した事実です。

NYRefugee02
(写真: ユカ・フジクラと弟のホーマー・ヤスイ。彼女たちは第二次世界大戦中カリフォルニア州トゥレレイクにある最大規模の強制収容所に送られました。)

「人間をその人種や宗教で判断することは、当時においても間違いでしたし、今日においても間違っています。」
現在88歳になったフジクラさんがこう語りました。

イスラム国(ISIS)の戦闘員を名乗る銃撃犯と自爆テロ犯がパリで130人を殺したことで、シリアの難民の国内流入を止めさせるよう求める抗議が一部で巻き起こりました。
アメリカ国内でも20人を超える共和党所属の州知事たちが、シリアの内戦を逃れるために難民となっている人々の受け入れを拒否する声明を明らかにしました。
理由は彼らの中にテロリストが紛れ込んで来る危険性があるというものです。

各州の担当者の中にはモスクの監視、イスラム教徒の登録制度、難民キャンプの設置などを行う考えを明らかにする者もあらわれました。

パリ 7
本当に日系アメリカ人を困惑させたのは、ヴァージニア州ロアノークのデイビッド・バウアーズ市長(民主党)が、日本人の強制収容所問題が後々問題になったことを考慮すれば、シリア難民を受け入れについても慎重にならざるを得ないとほのめかした事でした。
「現在のイスラム国(ISIS)のアメリカに対する脅威は極めて深刻であり、現実のものと考えられる。この点、第二次世界大戦当時の敵であった日本やドイツの存在と変わらない。」
バウアーズ市長はその後、この発言について謝罪しました。

この時代の日系アメリカ人にとって、第二次世界大戦当時の記憶とは、ある日住んでいた家から追い立てられ、営んでいた店は外側から板が打ち付けられて閉鎖され、外が見えないよう目隠しされた列車に乗せられ、はるか遠くにある強制収容キャンプに送り込まれたというものです。
そこで待っていたのは、常に武装した警備員の監視の下、有刺鉄線の内側での暮らしでした。

この当時、アメリカのニュースメディア各社は日本人が共謀して何事かを企んでいる可能性があるとのうわさともニュースともつかぬ情報を流していました。
その中には日本人の農民が敵である日本に情報を送るため、暗号代わりに農場の中のある特定の部分だけを耕しているというものもありました。

日系人04
「こうした類いの露骨なうそが、日系アメリカ人の立場を徐々に不利にして行ったのです。」
1942年の独立記念日に強制収容所に送り込まれ、釈放後はカリフォルニア州でずっと暮らしているジョージ・イケダ氏(93歳)が当時の状況について、このように語りました。

フランクリン・D・ルーズベルト大統領の命令により、約120,000人の日系アメリカ人が第二次世界大戦中、犯罪を犯した訳でも無いのに強制収容所送りとなりました。
当時ほとんどの日系アメリカ人は西海岸に住んでいました。

アメリカ社会は日系アメリカ人に様々な中傷誹謗を行いました。
彼らはアメリカ合衆国に対する忠誠を持っているかどうかのアンケートへの記入を強制されました。
政府は夜間外出禁止令を特定の外国系アメリカ人に対し行いましたが、実際に取り締まりの対象になったのは見た目でそれとわかる日本人である場合がほとんどでした。

日系人01
こうした差別政策は日系アメリカ人の中にリーダー的存在の人を作り出すことになりました。
フジクラさんの兄弟であるミノル・ヤスイ氏もその一人です。
彼は逮捕されるのを承知で、夜間外出禁止令を敢えて破る行動に出ました。
しかし彼の信念は、生きている間は報われることはありませんでした。
ミノル・ヤスイ氏は1986年に亡くなりましたが、生前アメリカの最高裁判所は第二次世界大戦中の日本人の強制収容所への拘禁について、正式には違憲性を認めませんでした。
しかしヤスイ氏の死後、オバマ大統領が彼に自由勲章を授与し、彼の信念は死後やっと名誉を与えられ報われることになったのです。

「わたしの祖父はルーズベルト大統領の命令を無視したことで、今になって自由勲章を受けることになりました。今回の出来事は私を誇り高い気分にしてくれました。」
ヤスイ氏の孫娘であるシャニ・ホーキンズさんがこう語りました。
「私に希望を与えてくれるできごとでした。」

NYRefugee03
(写真上 : 11月24日ホワイトハウスで式典で、彼女の亡くなった父のミノル・ヤスイ氏に代わって自由勲章を受けとるローリー・ヤスイさん)

シリア難民に関する議論が行なわれているまさにそのタイミングで、ヤスイ氏の名誉が確立したことは、彼が戦って勝ち取ろうとした人種的平等に改めて光をあてる重要な機会になったと、もう一人の孫娘であるセリーナ・ホーキンズ・シュレッツバウムさんが語りました。
「今回の勲章の授与が無ければ、私たちの意見がこれほど大きく取り上げられたかどうか、わからなかったと思います。」

〈 後篇に続く 〉

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アメリカのメディアなどを見ていると、レイシスト(racist)人種差別主義者は最低・最悪の人間である、という価値観がアメリカで明確になったのは21世紀に入ったありではないか、という感じがします。
人種差別を無くすためにアメリカは長い長い戦いをしてきましたが、その歴史の中で最も激しく黒人を差別したのが、『プア・ホワイト』と呼ばれる最も貧しい層の白人たちでした。
同じ白人には自分たちの下はいない、ならば黒人を自分たちの下に置こう、そう考えたのかどうか…
いずれにせよ差別というものが、自分に自信を持てない事の裏返しの行為だという事を『プア・ホワイト』の史実は教えているのではないでしょうか?

私は東北で生まれ育ったため、自分の日常に原則『差別』は存在しませんでした。
東北は冬寒く不便なことも多々ありますが、差別が無かった事だけは本当に良かったと思っています。

【 労働人口の急激な減少に苦しむ日本と難民受け入れ問題 】

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人口の高齢化により2030年までの15年間に800万の労働人口が減少する日本、計画的な移民受け入れ政策は問題解決に貢献し得る
移民受け入れによる労働力確保は、日本経済の衰退を防ぐための現実的選択肢のひとつ
亡命者・難民への適切な理解、彼らと共生できる社会の創生、日本は制度をこの機会に段階的に改善して行くべき

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 11月26日

日本人口問題
日本政府の関係省庁がヨーロッパで急増している中東・アフリカ難民の問題について受け入れ枠を拡大するつもりは無いとの見解を明らかにしたのに対し、国連の幹部級当局者は改めて日本政府に対し、シリア・イラク両国から内戦を逃れて来た人々の受け入れを要請しました。

日本政府の石破茂地域創生大臣は、人種的融合がうまくいった例として20世紀前半に多数の日本人移民を南アメリカ諸国が受け入れたことを例に挙げ、日本はもっと積極的に移民を受け入れるべきだと語りました。
石破氏の発言は、国連の難民事務所の高官がシリアとイラクの内戦を逃れ、難民となっている人々を受け入れるよう要請を行ったことを受けたものです。

これに対し安倍晋三首相は、非常に厳しい日本の難民受け入れ基準を緩めることは一切しないと発言、このため日本の難民認定・亡命者保護基準は厳しすぎるとの国際的な非難を招くことになりました。
昨年日本は、5,000人という記録的な数の難民申請を受け付けましたが、受け入れが承認されたのはわずか11人でした。

石破氏は3年以内に行われるはずの与党自民党の次期総裁候補として立候補するものと見られていますが、計画的な移民受け入れ政策は、今後急激に労働人口が減少することが政府の統計によっても明らかな日本において、その経済的繁栄維持のために貢献し得ると考えています。

難民子供 3
石破氏は11月下旬、次のように発言しました。
「国民の人口減少が続くこと自体を変えられないのであれば、日本政府は移民受け入れの方針を推進する必要があります。」
「海外の人々が日本に移り住んではならないとする考えは、誤っています。」
「日本政府は海外の人々が日本に移り住む際、言葉や習慣、その他の生活面で、日本人と移民双方が不自由な思い、不快な思いなどをしないようにするための政策を実現する必要があります。」

11月始め、河野太郎行政改革担当大臣兼警察庁長官は、出入国管理法の制限の緩和は、安倍首相が掲げた国内総生産(GDP)を2020年までに491兆円から600兆円まで引きあげるとする目標の達成に貢献するはずだと発言しました。

しかし菅義偉官房長官は河野氏の提案を直ちに否定するかのような発言を行いました。
「諸外国は(難民問題について)厳しい現実に直面させられてきました。」
「日本は移民の受け入れについては、慎重であるべきです。」

今週公表された政府統計は2030年までに日本の労働人口が12.4%、790万人減少して5,561万にまで減少する見込みであることを明らかにしました。
GRPH Working Generation
そして同じく政府の予測は、現在約1億2,800万の日本の人口は、2060年に8,600万にまで減少し、そのうち65歳以上の割合が全体のほぼ40%に達することを明らかにしています。

しかし安倍首相は9月にニューヨークで開催された国連総会の席上、閉じられた日本の出入国管理のドアをいかなる形であっても解放するつもりが無いことを強調しました。

「それは、日本の人口統計上の問題です。」
安倍首相はこう語り、次のように続けました。
「移民や難民を受け入れる前に、日本は女性や高齢者がもっと活躍できる社会を作る必要がある、そして出生率をもっと上げるべきだと私は考えています。移民や難民を受け入れる前に、日本には優先して取り組まなければならない数多くの課題があるのです。」

日本はヨーロッパで深刻化している難民急増の危機を緩和するため、協力するよう国際的圧力を受けています。
しかし日本はイスラム国(ISIS)との戦闘を行っている国々に対し、難民救済のための人道的援助、具体的には財政的援助を行う事のみを表明しています。

シリア難民 3
難民をもっと受け入れるよう求める国際社会への対応については、ヨーロッパ諸国のみならず、12,000人の難民受け入れを表明したオーストラリア、25,000人の受け入れを約束したカナダなどと比べても、日本の対応は著しく異なっています。

国連難民高等弁務官のアントニオ・グテレス氏は、11月末に日本を訪問した際、
「日本政府が進んで行動を起こすことを望んでいる。」
と語りました。
「日本に移住する人々の数を増やこと、特に現在においてはシリア人の人道的な救済について具体的検討を行う」ことに期待を表明しました。

グテレス氏はこの問題について日本政府の当局者と協議を重ねてきたことを明らかにし、次のように語りました。
「亡命者・難民の存在について適切な知識を持ち、彼らが自分たちの社会にうまく溶け込み共生できるよう、日本は移民難民を受け入れる制度をこの機会に段階的に改善して行くべきです。」

http://www.theguardian.com/world/2015/nov/26/japan-under-pressure-to-accept-more-immigrants-as-workforce-shrinks
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【 私たちを迎え入れてくれたアメリカ 】

アメリカNBCニュース 11月23日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

Yazidis 1
米国に難民として受け入れられた数多くのイスラム教ヤジディー派の人々にとって、今年のサンクスギビングデーの夕食は、改めて残忍極まりないISISから逃れ平和な暮らしを手に入れることができたことへの感謝に満ちたものとなりました。

現在ネブラスカ州リンカーン住宅局で働くファリス・ピラリはアメリカ人の同僚に七面鳥を料理してサンクスギビングデーを一緒に祝おうと誘われました。
しかし感謝を捧げながらも、一方で彼は親類のことを考えています。
彼の親戚たちは今、トルコ国内に点在する難民キャンプに住んでいます。

「家内と子供たちと一緒に生活出来る私は幸運です。」
30歳のファリスがこう語りました。
彼は2010年7月にイラクを脱出し、ヨルダンの難民キャンプに1年間暮らした後、2011年8月に移民として米国が受け入れてくれました。
「私たちの子供はここにいて、もうISISの脅威に怯える必要はありません。でも私たちが夢見るのは、同胞の人々全てがここに来て平和な暮らしができるようになることです。」
(抜粋)

(写真上・右からファリス・ピラリ、長女ジュリア・ターロ6歳、長男アイデン・ターロ3歳、妻カーリー・アリ)
(写真下・イラク難民として渡米、現在はネブラスカ州リンカーンでパブリック・スクールの教師を務めるグリエ・ハラフ)
Yazidis 2
(写真下・これまでのシリア内戦・難民に関する写真から抜粋)
Syr08
Mig 4
DAY02
Day07
Syr07
難民子供 1
http://www.nbcnews.com/storyline/isis-terror/yazidis-u-s-grateful-thanksgiving-escaping-isis-n468361

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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