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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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【 なぜ彼らは戦争を欲するのか?! 】《2》[GRD]

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国家安全保障という定義には、必ずしも国民や一般市民の安全は含まれない - その証拠は歴史上数多く存在する
核兵器の大量破壊により一般市民が受ける被害については、軍官僚たちはさほど重要視していなかった

 

ノーム・チョムスキー / ガーディアン 2014年8月6日

広島09
◇ 冷戦時代初期の遺物

専門分野における学説、そして各種の論文などをあたってみれば、国家政策の主要な目的は国家の安全ということになります。
しかし国家安全保障という定義には、必ずしも国民や人々の安全は含まれないという証拠が、これまでの歴史に数多く存在するのです。

例えばこんなことが記録に残されています。
戦争が起きたときの被害想定を行う軍官僚たちは、核兵器による大量破壊の被害についてはさほど重視はしていませんでした。
この状況は核兵器が開発された当初からそうであり、現在もそのままです。

NWE(核兵器時代)の幕開けから、アメリカ合衆国は世界に向けて圧倒的な力を誇示し、盤石の国家安全保障を手にしました。
アメリカの軍事力は北半球において突出し、大西洋と太平洋、そしてその両岸において覇権を確立していました。

第二次世界大戦が始まるずっと前からアメリカの国力に及ぶ国家は存在せず、経済的な豊かさにおいて突出した存在となっていました。
そして戦争が始まると他大陸・他国の産業界の荒廃が進み、あるいはほとんど力を無くしていく中、アメリカの産業は反比例して活況を呈しました。

英国空の戦い
こうして新しい時代の幕開けとともにアメリカは世界中の富の半分を所有する国家となり、工業生産能力に至っては、さらに大きな割合を占めることになったのです。

しかし、そのアメリカにも潜在的な脅威がありました。
核弾頭つきの大陸間弾道ミサイルです。

この脅威については、専門研究部門において恒常的に議論が行なわれ、その記録は政府高官だけが閲覧可能とされていました。
ケネディ、ジョンソン両政権において、国家安全保障問題の顧問を務めたマクジョージ・バンディがまとめ上げたこの報告書には、次のような題名が付されました。
危険、そして生存 : 喫緊50年間の爆弾についての選択

バンディは次のように記しました。
「戦後間もなく大陸間弾道ミサイルを開発完成させたことは、8年間のアイゼンハワー政権における最高の業績の1つでした。
しかし一方でもし、このようなミサイルが開発されることが無ければ、アメリカ合衆国とソビエト連邦が核爆弾によって、今日これ程危険な状況に追い込まれることは無かったかもしれません。」

year01
そしてバンディは興味深い注釈を加えました。
「核弾頭を搭載した大陸間弾道ミサイルについては、どうにかして禁止しなければならないと考えていますが、現段階においてはアメリカ政府、ソビエト連邦政府、その内部からも周辺からも、そうした提案をする意思があるとは一切聞いていません。」
簡単に言えば、アメリカ社会を根こそぎ破壊する恐れがある脅威、ソビエト連邦との核戦争を完全に防ぐことが出来る方法というものは存在しなかったという事です。

その脅威は現在、無くなったのでしょうか?

もちろんそんなことは、私たちが知りようがないことです
しかしその可能性が完全に無くなったとは考えられません。

ロシアは産業技術開発、そして先端技術分野においてアメリカによりはるかに遅れており、核兵器によって国を根こそぎ破壊されてしまうという恐怖をアメリカの何倍も感じていました。
それに加え核兵器のシステムもアメリカに比べれば、その信頼性は明らかに低いものでした。

水爆実験01
そのような可能性について検証する機会はあったかもしれませんが、当時のソ連を支配していたものは今日の我々が想像もできないようなヒステリックな感覚であり、問題に気づくことすらなかったと考えられます

そのヒステリックな感覚は現代の私たちの想像を超えるほどのものです。

国家安全保障会議文書第68号(NSC-68)という名の公文書がその時のソ連の状況について分析を行い、そこに記された記録された結論は今でもまったく衝撃的なものです。
ディーン・アチソン国務長官は「真実よりもさらに明確に」すべきことがあるとして、この文書の公開を禁止しましたが。

1952年、ヨシフ・スターリンが重要な提案を行いました。
東西に分裂していたドイツを再統一の上非武装中立国として独立させ、自由主義国家とすることを提案したのです。
これは注目に値する提案でした。

スターリングラード01
この提案が行なわれるまでの50年間、ドイツだけが2度もロシア領内に進攻し、破壊をほしいままにしました。
ロシアが支払った代償は恐ろしい程高価なものだったのです。

-《3》へ続く -

http://www.theguardian.com/commentisfree/2014/aug/06/hiroshima-day-nuclear-weapons-cold-war-usa-bomb
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この長い評論を掲載するについては、当然翻訳作業は掲載より先に進んでいるわけですが、作業を続ける中で気がついたことがあります。
それは広島、長崎に原爆を投下することを決定したアメリカ軍の官僚たちが望んでいたことは、できるだけ衝撃的な結果が出ることにより、アメリカがそれだけの力を現実に手にしていることを全世界を相手に思い知らせる事だったのではないか?ということです。
そしてあれ程の数の人々が犠牲になってしまう事は、実はそれほど緻密には計算されていなかったのではないか?という事も…。

あまりにも多くの市民が無残に殺害された結果を見て、原爆の開発に参加した科学者の多くが自責の念に駆られたことが歴史に記されていますが、軍の官僚たちはどうだのったのでしょうか?
「仕方も無いことさ…戦争なんだから。それにこの戦争を始めたのは日本人の方だったはずだ…。」
ため息とともにそんな声が聞こえて来そうです。

だからこそ、決して戦争には手を染めてはならない、はずなのです。

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【 待望の国境越えが実現した難民たち 】

アメリカNBCニュース 9月5日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

難民01
何日もの間ハンガリー国内で足止めされていた主に中東地域からの難民たちに対し、ついにドイツとオーストリアが国境を開き、待ちかねていた何千人もの難民がなだれ込むように両国に移動しました。
9月5日にミュンヘンの主要な鉄道駅ハウプトバーンホフに到着した、約800人の主にシリアからの難民。その中にはアンゲラ・メルケル首相の肖像写真を携行する難民の姿も。
まずオーストリアに入国した難民たちは、徒歩でハンガリーの首都ブタペストまで移動した後、バスに乗せられてハンガリー・オーストリア国境まで移動し、さらにその後専用列車でドイツに向かいました。(写真上)

9月5日、オーストリアのザルツブルグからミュンヘンに到着した難民の少年が、鉄道警備隊員の帽子を手に取り、笑顔を見せています。(写真下・以下同じ)
難民02
ミュンヘンのハウプトバーンホフ駅に到着した後、ミュンヘン市内を歩く難民の親子。
難民03
9月5日ハンガリーからオーストリア領内のニッケルズドルフに到着し、一息つく難民たち。
彼らはこの後、さらにドイツをめざして移動を続けることになります。
難民04
9月5日ハウプトバーンホフ駅に到着した後、ミュンヘン市の医療担当者による簡単な健康状態の検査を受ける難民。
難民05
9月5日オーストリア領内のニッケルズドルフに到着し、さらに移動するためのバス待ちの間、シャボン玉で遊ぶ子供。
第二次世界大戦以来最大規模の難民流入について、ウィーン市当局はこの問題はヨーロッパ全体が真剣に取り組むべき「警鐘」であると表明しました。
難民06
http://www.nbcnews.com/storyline/europes-border-crisis/thousands-migrants-stream-austria-germany-after-ordeal-hungary-n422351

【 なぜ彼らは戦争を欲するのか?! 】《1》[GRD]

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広島原爆の「成功」、長崎原爆の「技術的勝利」、数十万の日本人市民を殺して人類が手に入れたものとは?
米戦略軍司令官が生涯見た中で最も無責任で、愚劣で、馬鹿げた内容のプラン、それが『核兵器戦略』
ライバルの存在を直ちに『想定外の脅威』にすり替える、乱暴で単純で、そして有害無益な考え方

 

ノーム・チョムスキー / ガーディアン 2014年8月6日

広島09
もし知的地球外生命体が本当に存在し、地球の人類に関する歴史年表を制作することになったら、彼らは1945年8月6日に1本の線を引き、前にBNW(核兵器以前)、後ろにNWE(核兵器時代)と書きしるすことでしょう。
そして8月6日こそは、人間という奇妙な『種』が絶滅に向かってカウントダウンを始めた、その第一歩を印した不名誉な日として記録されるに違いありません。
しかし証拠が明らかにしているのは、人間という生物が生来の素質の中で最悪の部分をなぜコントロールできなかったのかという理由については、道徳水準でもなければ知的水準でも無かったという事です。

NWE(核兵器時代)の1日目は、単純な構造の原子爆弾、リトルボーイの「成功」によって祝われました。
それから4日目に、より高度な設計の原子爆弾ファットマンが長崎に投下され、「技術的勝利」を達成しました。
そしてそれから5日間、アメリカ空軍の公式記録に「壮大なフィナーレ」と記されている、延べ1,000機のB29戦略爆撃機が動員された日本本土空襲が行なわれ、著しい成果を挙げたのです。

空襲01
日本全国の都市を破壊し、何千何万の人間を殺した爆撃では、爆弾と一緒に日本国民向けのリーフレットも投下され、そこには『日本降伏』と書かれていました。
そして最後のB29の部隊が基地に帰還する以前に、トルーマン大統領は日本の降伏を発表したのです。

これらの日々はNWE(核兵器時代)が幕を開けたことを華々しく宣伝することになりました。
それから70年が経った今、私たちはよくもこの世界が核兵器によって滅亡しなかったものだと、驚きとともに思わざるを得ません。

そして今私たちに出来ることは、あと何年人類は無事でいられるのだろうかと考えることだけです。

こうした核兵器がもたらす身の毛のよだつような未来に関する感想について述べたのは、核兵器の管理と核兵器戦略を担当するアメリカ戦略軍(USSTRATCOM)の初代司令官であるリー・バトラー空軍大将です。
20年前同将軍は人類がNWE(核兵器時代)を生き残ってきたことについて、次のように記しました。
「ここまでは兵器を使う事がどういう結果をもたらすか、その事に対する経験と知恵、そして若干の運、さらには神が配慮してくださったことにより、人類は滅亡を免れることができました。しかし今後の事は解りません。むしろ私は悪い結果が起きる可能性の方を疑っています。」

広島16
核兵器戦略を立案して、核兵器を効果的に使うことが出来るように軍の編成を行ってきた長い経験を振り返り、バトラー将軍は自分自身について悲嘆を込め次のように表現しました。
「核兵器の有効性を信じて疑わない、この世でもっとも貪欲な人間たちの中に私も居座り続けてきたのです。」

一方でバトラー将軍は次のように続けました。
「自分にとってこれ以上ない程の信念をもって、世界の注意を喚起すること。すなわち核兵器を持つことによって、自分たちの精神が完全に病んでしまうということを証言する事」が私にとっては非常な重荷であるということに気がつきました。

彼はここう尋ねました。
「いったいどうすれば、地球上の生物たちが命をつないでいくことを不可能にする権限など、誰も持つべきではないという事を、核兵器を実際に保有する国家の指導者たちに解らせることができるでしょうか?」
「そして最も緊急性が高い問題は、核兵器の使用というこれ以上ない程危険で愚かな選択をするためのスイッチの脇に、なぜ今この瞬間も震えながら立っていなければならないのか、という点にあります。私たちはそんな愚かな選択をしないようにするためにこそ、団結すべきではないのでしょうか?」

広島04
バトラー将軍は1960年代の米国の戦略プラン、オートメーション化された共産主義各国一斉攻撃計画について次のように語りました。
「私がこれまでの人生において目にした中で、最もばかげた無責任な文書…」
中でもソビエト連邦に関する部分は正気の沙汰ではありませんでした。

競争者がいることを心に留めておくことは大切ですが、そこに自分たちの生存を許さなくする想定外の脅威があるというような単純な考え方は止めた方が賢明です。

-《2》へ続く -

http://www.theguardian.com/commentisfree/2014/aug/06/hiroshima-day-nuclear-weapons-cold-war-usa-bomb
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この稿を翻訳していた日の朝、娘が飼っていた小鳥が死にました。
動物に詳しい妻によると文鳥としては長命した方だとのことですが、いくら定命とはいっても命が失われるというのは悲しいものです。
自宅の庭の小鳥たちがよく集まる木の根元に、遺骸を埋めることにしました。
人間の遺伝子には『50歳を過ぎたら死んでいい』という情報が書き込まれているそうですが、幸いにその定命を超えた自分は、人間としての春夏秋冬をすべて経験したことになるようです。

人の親となって改めて思う事があります。
第二次世界大戦(太平洋戦争)中、戦場に20代の自分の子供たちを送り出した人々の心中、そして戦場で人間としての春夏秋冬を全うする事無く殺されて行った人々の無念さです。
今回の稿には「世界の終り」という言葉が出てきますが、人生というものが再生できないものである以上、死というものは一人一人の人間にとっての「世界の終り」であるはずです。
だからこそ、ひとり一人の命、人生というものは尊いはずなのですが、戦争はその尊いはずの人生をためらいもなく何百万という単位で、しかも残忍な方法で台無しにしていきます。
その多くが人生の春夏秋冬を経験する事無く、この地球上から『消されて』しまうのです。

この稿はいつか機会があったら翻訳・ご紹介しようと思っていたものですが、今の国会でまるで「他国で戦争するなら構わんじゃないか」と言っているかのような乱暴な話が進んでいるのを見て、掲載を思い立ったものです。

【 安倍首相の戦後70周年の談話は、アメリカの事前検閲(?)を受けていた?! 】DW

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中韓両国以上に、安倍首相の談話に神経をとがらせていた国がある
多くの日本国民が安全保障関連法案の本当の目的に疑念を持つようになり、安倍政権の支持率は急落している

ドイチェ・べレ(ドイツ国際放送) 8月14日

70周年談話
安倍首相は第二次世界大戦(太平洋戦争)の終了70周年の節目となる前日の8月14日、首相としての談話を発表し、日本の歴代の総理大臣が、『繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました』との引用を行いました。
しかし自身による謝罪の言葉は無く、ひとつひとつの言い回しが極めて慎重に選ばれていました。

この首相談話については日本の侵略をうけたアジア各国の中でも、特に中国と韓国がその内容について注目していました。
2か国が注視していたのは、談話の中に「心からの謝罪」「痛切な反省」、そして日本の「植民地支配と侵略によって、多大の損害と苦痛を与えた」という事実認識が含まれているかどうかという点でした。

1945年8月15日、当時の裕仁天皇の無条件降伏の受諾から70周年になる日の前日、安倍首相は第二次世界大戦中、日本軍が東南アジア諸国の植民地支配を目指して様々な非人道行為を行った史実に対し、これまで日本の歴代の首相が謝罪を繰り返してきたという事実を引用しました。

泰緬鉄道04
今回の談話について中国、韓国両政府は、日本の第二次世界大戦(太平洋戦争)当時における日本軍の戦争犯罪や非人道行為を過小評価する保守タカ派の人物として国際的にも知られる安倍首相が、歴代内閣の見解とは明らかに異なる立場を表明するのではないかとの懸念を強めていました。
これに対し安倍首相は「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。」と表明しました。
しかし、次の一文を加えたことが注目されることになりました。
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」

▽ 歴史が歪曲されてしまう事への懸念

しかし第二次世界大戦(太平洋戦争)の傷跡は、日本と中国・韓国との関係に悪影響を与え続けています。
中韓両国とも、1945年に無条件降伏するまでの間、日本の植民地支配の中で戦争犯罪や残忍な非人道行為に苦しみました。

日本無条件降伏
中国政府も韓国政府も、第二次世界大戦(太平洋戦争)以後の歴史の中で画期的出来事となった、1995年の村山富市首相の50周年談話の発表以来、日本がその立場を堅持することを明確に望むようになりました。

談話の中で村山首相は日本が行なった「植民地支配と侵略行為」により、アジア各国の人々が多大な損害と苦痛を強いられたことについてはっきりと謝罪しました。
「私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」
20年前、村山首相はこう述べました。

▽ 中韓両国以上に、安倍首相の談話に神経をとがらせていた国がある

中国との関係改善が少しずつ進む中、そして安倍首相の北京訪問の可能性が現実味を帯びてきている状況下、中国政府はかつてない程談話の一字一句に注目していました。

安倍首相が自分に対する評価を良くしようとしていた相手は、中国・韓国政府だけではありませんでした。
安倍首相は中国・韓国との外交関係を改善するだけでなく、アメリカ政府内の自分に対する支持固めをする必要にも迫られていました。

安部自衛隊行進
「現実を直視すれば、安倍首相の聴衆は、アメリカ合衆国だったのです。」
東京の城西国際大学の客員教授であるアンドリュー・ホルバート氏がこう語りました。
「もしアメリカ合衆国の存在が無ければ、安倍首相はこれ程慎重な言い回しを工夫することは無かったでしょう。」
安倍首相は談話の発表に先立ち、10日月曜日米国のキャロライン・ケネディ駐日大使と会談しました。

安倍首相の政治的立場に対する評価は、かなり強硬な保守タカ派というものです。
安倍政権が現在成立を目指している安全保障関連法案は、平和憲法の規定を空文化するものだという国内の批判が渦巻く中、70周年の談話は公表されました。
多くの日本国民が安全保障関連法案の本当の目的に疑念を持つようになり、安倍政権の支持率は40%以下に急落しました。

アメリカ政府は安倍首相が主張する、台頭する中国の脅威に対抗するためには集団的自衛権を確立する必要があるという見解、そして日本の法体系の変更を『歓迎する』意向を明らかにしています。

http://www.dw.com/en/japan-pm-treads-carefully-in-wwii-anniversary-speech/a-18648654
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【 戦争・暴力・貧困に追われ、綱渡りの脱出を続ける難民たち 】《2》

アメリカNBCニュースほか 9月2日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

Day07
9月2日、トルコのリゾート地ホドラム近くの海岸に打ちあげられたシリア難民の3歳の男の子、アイラン・クルディの遺体を抱え上げて歩くトルコの警官。
家族はギリシャ渡る途中の海の上で、乗っていたゴムボートが転覆し、アイランとガーリブ(5歳)の兄弟、そしてその母親のレーアン(35歳)が溺死しました。(写真上)

一夜のうちに家族を失い、トルコの遺体安置所で泣き崩れる父親のアブドラ・クルディ。
アブドラも転覆後に半ば意識を失った状態で救助され、その後病院で意識を回復した後に、家族の死を告げられたと地元トルコのメディアが伝えました。
彼らはカナダに移住することをめざす途中で、悲劇に見舞われました。(写真下・以下同じ)
day04
トルコからギリシャのレスボス島にやってきた難民たち。
ギリシャのニコス・ゾイス交通副大臣によると、2015年に入ってからすでに230,000人以上の難民がギリシャに上陸しました。
昨年の同時期の17,500人の13倍以上という激増ぶりです。
DAY02
ギリシャからマケドニアに向かう避難行の途中、急斜面を登ろうとする父親の腕の中でむずかる子供。
DAY03
ハンガリーの首都ブダペストからオーストリア行の通列車に殺到する難民、泣き叫ぶ男の子を抱え上げています。
戦争に追われて難民は急増を続け、ブダペストからは毎日一便につき200人から300人の難民を乗せて、列車が西側世界に向けて走り続けています。
DAY05
ブダペストから出発した後停止を命じられ、列車から降りていったん難民キャンプに入るよう命じられた難民の家族が、線路の上でハンガリーの警官と争う様子。
一日も早くドイツ、オーストリア領内に入ろうとする難民たちとの間に、毎日こうした争いが起きています。
Day06
ハンガリー国内の駅で、ドイツに行きたいというプラカードを持つ難民の少女。(この写真のみガーディアン http://www.theguardian.com/world/2015/sep/03/hungary-train-diverts-refugees-back-to-camp )
Day09
「私たちは喜んで難民を迎え入れます」声を挙げ始めたイギリスの市民たち。(この写真のみインディペンダント http://www.independent.co.uk )
Day10
http://www.nbcnews.com/news/photo/today-pictures-september-3-n421456

【 安倍首相、都合の悪い戦時記録を抹殺する取り組み 】《後篇》NYT

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日本政府、中国政府、韓国政府、それぞれがそれぞれに『不都合な事実』を隠そうとしている
ドイツは第二次世界大戦中の国家の犯罪行為と正面から向き合い、進んでその事実を認め、隣国との関係改善が進んだ
和解への近道は、事実を否定して自己を正当化することではなく、責任を認め友好を進めるための手立てを尽くすこと

ハワード・フレンチ / ニューヨークタイムズ 8月18日

70年談話01
しかし2013年安倍氏は2期目の首相に就任した直後、最初の機会をとらえて靖国神社に参拝し、今度は自分が中国と韓国との関係を悪化させるきっかけを作りました。

そして国内においては、日々反安倍勢力が結束を固め、市民たちが続々と声を挙げる状況に直面しています。
中でも自国の防衛能力と同盟国であるアメリカの軍事力を強化するために、関連する一連の法律を改変することにより平和憲法が定める禁止条項を回避するやり方は、国民の不信と不満をかきたてることになりました。

なぜ東アジアにおいてはヨーロッパとは異なり、国家間に深い溝が埋まらぬまま今日を迎えているのでしょうか?
ヨーロッパにおいては、ドイツが第二次世界大戦中の国家の犯罪行為と正面から向き合い、むしろ進んでその事実を受け入れようという態度を示しました。
これに対し、直接被害を被った隣国はドイツの誠実さを認め、関係の改善がいち早く進むことになりました。

その原因の一つが、中国政府の打算です。
毛沢東主義とマルクス・レーニン主義はともに共産主義を基本とする国家的イデオロギーですが、すでに実質的な関連性は失われています。
国家的イデオロギーに代わり、何か問題が発生した時に、国民の関心をまとめ上げる手段として、歴史上に敵対する国家を予め設定しておくことは、政治的に有益なことなのです。

日中紛争01
しかしその事は中国共産党による一党独裁の正当性への疑問、あざとい程の国家主義に対する嫌気、減速を続ける経済成長という状況が見え隠れする中で、中国政府の屋台骨が細り続けるという現実を作りだしました。

マンチェスター大学で近代中国の研究を専門にするウィリアムA.キャラハン教授によれば、中国を代表する番組製作会社の横店映画村(Hengdian World Studios)が制作した映画、テレビ番組の約60パーセントで、抗日戦争や反日闘争が何らかの形で取り上げられていました。
これらの番組や映画の中で殺された日本人の総数は7億人に達し、実際の日本の総人口の5倍に達していました。

中国の場合20世紀の歴史のほとんどが、共産党によって史実の極端なまでの不正な書き換えと検閲が行なわれたため、今後是正されることが待たれます。

中国では今、これまでで最大の国家伝説が揺らぎ始めています。
すなわち横店映画村が制作したほとんどの映画・テレビ版組で語られる、抗日戦争の最大の英雄にして勝利者・毛沢東という伝説です。
しかし実際に抗日戦争の大半を担ったのは蒋介石の国民党軍でした。

大日本帝国陸軍(1940)
毛沢東を指導者と仰いだ1958~1962年の大躍進政策は、本来国民の食糧生産を担うべき農民を半ば強制的に大量に工業生産に動員したため大飢饉が発生し、沿岸部を中心に3,000万から4,000万人の国民が餓死しました。
誤った国内政策が、日本軍の侵略による死者をはるかに上回る犠牲者を出したことになります。
この問題を始め中国共産党が政権をとって以降の数多くの歴史事実が、一切触れてはならない問題として扱われています。

同様の歴史的事実は韓国にもあります。
韓国の朴正煕大統領時代、現在の朴槿恵大統領の父親ですが、第二次世界大戦(太平洋戦争)当時は日本軍の組織に身を置き、大統領就任後は大々的に日本の協力を得て、今日の韓国経済の基礎を築きあげました。
事実、朴正煕氏は日本の敗戦まで日本語の名前を名乗っていました。
彼は特に成績優秀者のみが入学を認められる帝国陸軍士官学校を卒業し、帝国陸軍の参謀将校として第二次世界大戦に参戦しました。
戦後は安部首相の祖父の盟友として、韓国政治のかじ取りを行いました。
しかしこの歴史的事実については、韓国内ではありのままには伝えられていません。

大東亜共栄圏01
しかしながら1930年代、アジア地区において国家として一方的に占領政策を推進した以上、日本は将来の根本的な和解に向けた取り組みを放棄することは許されません。
その意味で安倍首相の第二次世界大戦(太平洋戦争)当時の不都合な史実の数々を人々の視界から消し去ろうとする行為は、事態を不必要に悪化させることになります。

今年4月に安倍首相がアメリカ上下両院合同会議の席上行った演説がきっかけとなり、これまで日本の首相がアジア向けに行ったすべての演説が再評価されることになりました。
安倍首相は第二次世界大戦の中でも日米戦史上非常に有名な戦いである真珠湾や硫黄島、あるいは捕虜虐待の最悪例のひとつとなったバターンなどの具体的名称を挙げ、多くの人命が喪われてしまったことに「心からの悔悟」を表明しました。
そして敗戦国日本と勝利した米国が戦後確固たる友好関係を築き上げたことについて、意図して聴衆に感動を与えられるよう話を進めていきました。

これとは対照的に、70周年記念談話の中ではアジア諸国との間の同様の事件については、日本の責任の所在をぼかす、あいまいな表現に終始しました。

反日本
日本の将来の世代が、はるか昔のことまでその責任を問われる必要はない、安倍氏のその主張は間違ってはいません。
安倍首相の誤りは、過去の事実と正面から向き合おうとしないこと、史実を事実として認めようとしない、その点にあります。

過去の罪業をてっとり早くすべて清算してしまう方法などはありません。
和解への近道は、事実を否定して自己を正当化することではなく、責任を認め友好を進めるための様々な手立てを尽くすことです。

※ハワードW.フレンチは元ニューヨークタイムズ通信員であり、コロンビア大学のジャーナリズムの準教授で、『第2の中国大陸』『100万人の移民がアフリカで新たな帝国を築いた方法』等の著作があります。

〈 完 〉

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【 戦争・暴力・貧困に追われ、綱渡りの脱出を続ける難民たち 】《1》

アメリカNBCニュース 8月31日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

難民01

ヨーロッパには今、戦争と暴力、貧困が支配する中東・アフリカの各地から大量の難民が流れ込んでいます。
難民は裕福な欧州連合の加盟国であるハンガリーに入る事さえできれば、後はビザなしで域内を自由に移動できます。
流れ込む難民の数のあまりの多さに、ついにハンガリーはEU加盟国では無いセルビアとの国境沿いに長さ約180キロの有刺鉄線を張り巡らす対策を始めました。
ハンガリー当局が把握しているところでは、いわゆるバルカン・ルート、すなわちトルコ~ギリシャ~マケドニア~セルビアを経由してやってくる難民の数が2015年に入ってから急増を続けています。

8月30日、アソッサロムの町の南西、セルビアとの国境沿いに有刺鉄線の設置をするハンガリーの兵士。(写真上)

8月31日ハンガリー領内のレーツケで難民の流入を監視する警官。(写真下・以下同じ)
難民02
8月30日セルビア国境沿いの有刺鉄線のフェンスをくぐり抜け、ハンガリー・レーツケ村の森に向かって走る難民。
難民03
8月30日、アソッサロムの隣町モラハロムで、地面の上で眠りこけるアフガニスタン難民の脇を迂回して通る地元のサイクリスト。
難民04
8月30日セルビア国境近く、ハンガリー・レーツケ村を歩く難民たち。
難民05
8月30日、国境のフェンス沿いにパトロールするハンガリーの警察車両。
難民06
http://www.nbcnews.com/storyline/europes-border-crisis/migrants-brave-razor-wire-hungary-reach-european-union-n418866

【 安倍首相、都合の悪い戦時記録を抹殺する取り組み 】《前編》NYT

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所要時間 約 8分

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自身の言葉で『心からの反省』を表明され、日本の戦後史に新たなページを開いた天皇陛下
安倍首相は太平洋戦争の原因について言葉を濁し、日本の戦時犯罪についても曖昧な表現に終始した
戦後日本のアジア地区への経済貢献への評価も、首相たちが繰り返した靖国参拝でその多くが無駄になった

ハワード・フレンチ / ニューヨークタイムズ 8月18日

70年談話01
ここ数ヶ月というもの、東アジア地区では第二次世界対戦の終了、すなわち日本の降伏70周年の記念日に合わせ、日本の安倍首相が公表する談話の内容に関する推測が取り沙汰されてきました。

保守タカ派の安倍首相は日本が世界の紛争地域などで『決定的な』役割を果たすことを望んでいますが、70周年の談話では日本の戦争責任に疑問を呈し、前任の歴代首相とは異なる見解を示しましたが、何かを一新しようと考えているのでしょうか?

14日金曜日、安倍首相は東京で第二次世界大戦終了70回周年の節目を迎えたことに関する声明を発表、人々はその内容に聞き入りました。
しかし結局、安倍首相が公表した談話の中には新しい要素はほとんど見当たりませんでした。

安倍首相は太平洋戦争の原因について言葉を濁しました。
そして日本軍が犯した戦時犯罪についても、曖昧な表現に終始しました。
その中の最悪のものが、隣国である韓国と中国を軍事的に征服するための日本軍兵士たちのために、両国から数万人の若い女性を徴発し、いわゆる従軍慰安婦 - 性的奴隷として使役した問題です。

従軍慰安婦02
安倍首相は本人自ら謝罪をする代わり、前任の首相たちが謝罪を行ってきたことに『言及』しただけでした。
そして安倍首相として示した見解は、日本の将来の世代が自分たちとは直接関わりのない太平洋戦争当時の犯罪について、これ以上謝罪を続けるべきではないというものでした。

安倍首相の談話が中国と韓国から直ちに強い抗議を引き出したことは、別に驚くべきことではありません。
注目すべき出来事は別にありました。
日本の社会において、国民が尊崇する階層から安倍首相に対し非難が向けられたことでした。

日本がアジア大陸の侵略を行った第二次世界対戦当時に国家元首であった裕仁天皇の後継者である明仁天皇は、日本が敗北した8月15日に開催され安倍首相も出席していた70回目の戦没者追悼式典で、自身の言葉で『心からの反省』を表明され、日本の戦後史に新たなページを開いたのです。

村山・河野
91歳になった村山富市元首相はもっと直接的に安倍首相の談話を批判しました。
「大変美しい言葉で飾られた文章です。しかしどのような理由があって謝罪をしなければならないのか、そして日本はこれからどうすべきなのかについては、触れられていません。」
1995年、敗戦50年の節目に当時の村山富市首相が公表した談話は
「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」
と述べ、村山首相自身が
「ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」
としています。

いわゆるバブル期の頂点にいた1980年代、日本は世界最大の開発援助の提供国であり、特にアジア地区に補助金と各種借款を集中していました。
とりわけ中国経済の発展に関する日本の貢献には著しいものがありました。
開発を進めるための数十億ドルに上る資金、発展の核となる技術が提供された上、中国共産党政権に対しては政治的な支援すら行われました。
1989年に発生した天安門事件(英語の表現では massacre、すなわち大虐殺)への日本政府の対応などはその典型的なものでした。

アベ 3
しかしこうした関係改善のための取り組みも、結局は曖昧模糊とした表現の上に成立していたため、その時々の首相級の大物政治家たち自身が相手を挑発したことなどにより、繰り返し繰り返し無駄になってきました。
その多くは保守層の有権者の歓心を買うために取られた措置でした。

挑発行為の中で、国際社会において最も評判が悪いものが、首相や閣僚による靖国神社への度重なる参拝です。
靖国神社は日本の浸透に基づく施設ですが、近代以降の戦争犠牲者の霊が祀られ、その中には太平洋戦争敗戦後の裁判によりA級戦犯として死刑された戦争指導者たちが含まれています。

この靖国神社との関わりにおいて安倍首相は、これまでのどの首相とも異なる極めて特異な立場を占めています。
安倍首相は時折愛惜を込めて母方の祖父、岸信介元首相について言及することがありますが、岸氏は日本が中国東北部、満州を支配していた1930年代、その産業開発を監督する立場にありました。
この間、中国を占領していた日本軍は性的奴隷を使役した従軍慰安婦という名の組織的売春を行い、さらには麻薬取引にまで手を染めていました。

東京裁判02
全体主義者としての側面を持つ極右政治家として、岸氏は東条英機内閣の軍需担当大臣を務め、戦後は戦争犯罪人としての嫌疑を受けて刑務所に収監されました。
しかし審理を免れ、やがて釈放されると戦後まだ間もない段階で日本国首相という枢要な地位に昇りつめたのです。
安倍首相の前任者で彼のボスでもあった小泉純一郎首相が靖国参拝を繰り返して中国との間の緊張を高めた後、短命に終わった第一次安倍内閣が誕生しました。
この時は安倍首相は、小泉内閣時代に関係が悪化した中国との和解を進める選択を行ったのです。

〈 後篇に続く 〉

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【 戦争と貧困に追われ、何もかも捨ててヨーロッパになだれ込む難民 】《後編》

アメリカNBCニュース 8月27日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

難民02
今、大量の難民たちが故国の戦争を逃れ、欧州連合の玄関口であるハンガリーを目指し、昼夜を分かたず必死の逃避行を続けています。
8月26日、セルビアから国境を越えてハンガリー領内に入った後、線路の上を歩いて怪我した仲間を背負って進む男性。(写真上)

ハンガリー政府は大量の難民の流れを食い止めるため、セルビアとの国境沿いに長さ200キロ近い長さのフェンスの設置を始めました。
難民たちは歩いてハンガリーに入った後、欧州連合の各国を目指してさらに移動を続けます。
彼らの多くが目指すのは最も豊かな西欧諸国です。

セルビアとの国境を越え、ハンガリー国内に入ろうとする難民。(写真上と下)
難民01
難民センターで受け付けを待つ人垣。
難民03
セルビア、ベオグラードの路上で眠りこける難民の男性。
難民04
ハンガリー・セルビア国境の線路近くでリンゴを摘み取って食べる難民の男性。
難民05
セルビアとの国境を越え、ハンガリー国内に徒歩でやって来たシリア難民。
難民06
公共施設のガレージに難民が残していった毛布とテディベア。
難民07
http://www.nbcnews.com/storyline/europes-border-crisis/desperate-migrants-fleeing-war-poverty-seek-refuge-europe-n416796

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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