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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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【 国家ぐるみで歴史を歪曲するような行為はあってはならない 】

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所要時間 約 10分

皇室として異例のご発言、保守タカ派による歴史事実の歪曲、正しい歴史認識の必要性を強調
戦争という惨禍を二度と繰り返さない、愛と平和を守り育てるとしたこれまでの姿勢こそ大切にすべき

AFP通信 / ガーディアン 2月23日

皇太子
国内の保守タカ派、あるいは国家主義者の政治家たちが、日本の第二次世界大戦(太平洋戦争)中の犯罪行為について史実を歪曲しようとする議論を行っていることについて、日本の皇太子殿下が歴史認識を歪めるべきではないと警告を発し、皇室として異例のご発言を行いました。

皇太子殿下の異例のご発言には抑制された表現の中にも厳しい批判姿勢が見てとれ、第二次世界大戦(太平洋戦争)中に日本が売春施設を作り、そこで従軍慰安婦たちに売春行為を行なわせていた史実について、安倍晋三首相に代表される保守タカ派の政治家たちが可能な限り問題を小さくしようとしている点を衝いたものだとの批評が行なわれています。

「戦争の記憶が薄れようとしている今日(こんにち)、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています。」
皇太子殿下は記者会見の席上、こうお話しになりました。

このコメントは安倍首相の政治的見解が、中国、韓国との関係を悪化させ、アメリカ政府をも不安にさせている中、皇太子殿下の55歳の誕生日である23日月曜日公開されました。
アジア大陸において残忍な侵略行為を拡大し、西側連合国との世界大戦を引き起こすことになった20世紀前半の日本の歴史について、安倍首相は公然ともっと肯定的な評価をするべきだとこれまで発言してきました。

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先週安倍首相は日本が降伏して70周年を迎える今年8月に自身が行う演説の草稿を起草するために、16名の委員を任命しました。
安倍首相は従軍慰安婦問題については、これまでの日本政府の見解をほぼ踏襲すると語っていますが、中国・韓国国内において従軍慰安婦問題に関する怒りが膨れ上がる中、安倍首相はこの問題をできるだけ小さく見せるための方策を探り続けるだろうとの観測が強まっています。

国際的にも評価が確立している歴史学者たちは日本の従軍慰安婦問題について、第二次世界大戦(太平洋戦争)中に朝鮮半島の出身者を中心に最大で200,000人の女性が性的労働を強いられたという認識で一致しています。

右翼の日本人たちは、大日本帝国政府あるいは軍が朝鮮半島において組織的に売春組織作りに関わったとする公式の記録は存在しないと主張し、国家として謝罪することを拒否しています。

これに対し中国・韓国は両国とも、第二次世界大戦(太平洋戦争)に関わるいかなる日本政府の見解についても、注意深く見守り続けています。
新聞を始めとする日本のメディアが皇太子のご発言内容については一通りの報道に終らせたのに対し、
ソーシャルメディア・ユーザーからは活発な反応が飛び出しました。

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「この中には、間違いなく安倍首相に対する警告が含まれていますよね?」

「皇太子の歴史問題に関するご発言は、きわめて正統的かつ常識的なものです。しかし安倍首相の日本国憲法と歴史認識に対する姿勢があまりに理不尽であるため、その違いが際立つことになりました。」

戦争と平和に関する見解について質問されると、皇太子は次のようにお話しになりました。

「多くの貴重な生命が喪われてしまったことは、まさに痛恨の極みです。日本を含む世界中の人々が苦しみ、そして深い悲しみを感じることになりました。」

「戦争で死んだ方々の事を決して忘れないようにすることが大切です。戦争という惨禍を二度と繰り返さないと誓った、そして愛と平和を守り育てていくとした私たちのこれまでの姿勢こそ大切にしていくべきものだと考えています。」

http://www.theguardian.com/world/2015/feb/23/japanese-crown-prince-says-country-must-not-rewrite-history-of-ww2
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今アメリカでイラク戦争を題材に戦争の非人間性を描いた、『アメリカン・スナイパー』という映画が話題になっています。
この映画に関連して紹介された事実の中で驚いたのが、アメリカ国内では今なお一日あたり22人の(退役)従軍兵士が自殺しているという事実でした。
戦地における犠牲者をはるかに上回っているとのことですが、無事に帰国したことを喜んだのもつかの間、大切な息子夫の自殺を家族はどう受け止めたでしょう。

ひとり前の兵士を作るという事は、一面では人間性を奪うということにほかなりません。
戦闘中に上官が命令を下した際、自分の意見をぶつけてくるような部下では戦争にならないからです。
しかし一度人間性を奪われてしまった人間が、再び一般社会に戻った時にどうなるのか?
それが一日あたり22人が自殺するという、過酷な現実なのだと思います。

「積極的平和主義」という言葉が現実にするものは何なのか?
自分の家族が戦場に連れていかれたり、自殺してしまってからでは、すべては手遅れなのです。

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【 恐怖と栄光 : ロイター写真報道の30年 】《4》

アメリカNBCニュース 2月13日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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数々の受賞経験のあるロイター通信のカメラマンたちが、写真提供事業開始30周年を祝い、これまでの業績を振り返りました。
ロイター通信のカメラマンたちは、天災や戦争、そして経済破綻の様子を象徴する出来ごとなど、世界で繰り広げられた人間の悲劇や劇的な出来ごとを撮影し続けました。

彼らはレンズを通して見えたスポーツ、文化、ショービジネスそして世界各国の政治指導者や経済界の大物の姿を世に伝え、その写真はその時々を象徴する画像として人々の記憶に刻まれることになったのです。

2005年9月4日、ハリケーン・カトリーナの襲来後、洪水に見舞われたニューオリンズ市内で、流される車の屋根にしがみつく男性。男性はこの後、沿岸警備隊に救出されました。
(写真上)
[カメラマン自身の解説]
ハリケーンが襲った3日後に、私は沿岸警備隊の4人乗りのヘリコプターでルイジアナ州を飛び立ち、ニューオリンズに到着しました。
現地は見渡す限りの破壊と死の世界でした。
私が乗り込んだヘリコプターは周回を繰り返しながら、徐々に高度を下げていきました。
そして突然視界に一人の男性の姿が飛び込んできたのです。
カーキ色のズボンとテニスシューズを履き、上半身は裸、彼はどんどん水かさを増す水に浮かぶワンボックスカーの屋根にしがみつきながら、絶望的な目で私たちの方を見やりました。
ヘリコプターが間近に接近すると、彼は車の屋根の上をじりじりと移動し、私たちに近づこうとしました。
ヘリコプターから救助要員が飛び降り、彼を救護用のバスケットに押し込みました。
そしてヘリコプターの機体の中に彼を収容し、ルイ・アームストロング空港へ飛びました。
空港から彼はストレッチャーに載せられ、病院へと搬送されて行きました。(写真上)

2005年2月14日ベイルート、自動車爆弾が爆発した現場の近くで、負傷者のために救助を求めて叫ぶ男性。海辺近くで起きた大規模な爆発によりレバノンの元首相ラフィク・アル・ハリリと彼のボディガードを含む少なくとも8人が命を奪われました。(写真下・以下同じ)
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2008年10月6日アメリカ議会議事堂前、下院で証言を行うためやって来たリーマン・ブラザーズ・ホーディングスの最高責任者リチャード・フルドの後ろで、『恥を知れ』『欲深い資本家』などと書かれたサインを掲げる市民。
この時彼はリーマン・ブラザーズ破産の原因を調査していた下院の委員会で、米国の銀行監査機関が、すでに数か月前からリーマンブラザースの破たんする可能性について把握していたと証言しました。
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2006年7月13日ドイツのアンゲラ・メルケル首相との屋外での夕食会のために到着したジョージW.ブッシュ大統領に、集まった群衆の中から赤ちゃんが差し出され、大統領が受け取り抱き上げました。
ところが赤ちゃんは大泣きし、あわてたブッシュ大統領が母親に返そうとしている場面。
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1985年11月19日、ジュネーブで開催された軍縮交渉で初めて顔を合わせたロナルド・レーガン大統領とミハイル・ゴルバチョフソビエト連邦共産党書記長。
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http://www.nbcnews.com/news/world/terror-triumph-30-years-reuters-photography-n305881

【 間が悪すぎるタイミング!問題になる日本のアパルトヘイト(人種隔離政策)構想?】

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所要時間 約 8分

海外からの人材移入が求められる中、やって来た彼らの住む場所は『隔離されるべきである』?
チーム・アベの新たな提案、日本国内での人種隔離政策の実施を構想?

エコノミスト 2月20日

海外からの労働者
日本の日刊紙である産経新聞の論調は『反自由主義』的であるというのが専らの評判です。
2月中旬、今度はその紙面に南アフリカ共和国の『アパルトヘイト(人種隔離政策)』を持ち上げるような?コラムを掲載し、その評判を一層のものにしました。
「外国人を理解するために居住を共にするという事は至難の業だ。」
というのが曽野氏の主張です。
曽野氏のコラムは日本の安倍政権が事実上の移民が促進されるよう、出入国管理の態勢を改めようとする動きに合わせたものです。

曽野氏の発言は南アフリカで大きな反発を呼び、南アフリカの駐日大使は『恥ずべき発言』であると批判しました。
しかし奇妙ことに、日本国内ではその批判は不自然に小さなものにされています。
日本の主要メディアは、この問題に対する南アフリカ大使がサンケイ新聞に送った抗議文を取り上げようともしません。

コラムを掲載したサンケイ新聞は当初困惑の体を示しましたが、後に様々な意見を述べることができる表現の自由を論拠とする形式的なコメントを行っただけでした。

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日本政府は現在、人口減少と労働力不足問題の解決手段の一つとして、年間200,000人の外国人労働者の受け入れを検討しています。
日本の人口は2013年には約25万減少しました。
安倍首相の諮問機関は、現在1億2,700万人の日本の人口について、移民の受け入れにより1億人前後になった時点でそれ以上の減少を食い止めることができるとしています。
約2千年前に現在の日本人の祖先の一部が朝鮮半島を経て現在の日本列島に移り住んで以来、これ程の規模の外国人の流入は例がありません。

そのほとんどが同一人種で占められる日本においては、諸外国の出身者はの2%でしかありません。
その中には1910年~45年日本の統治下に置かれていた朝鮮半島の出身者が数多く含まれ、彼らは数世代に渡り日本で生活しています。

曽野氏は決して2流の人物などではありません。
ベストセラー作家のひとりであり、保守陣営の活動家であり、最近では第2次安倍内閣の私的諮問機関である教育再生実行会議のメンバーでした。
中学校の教科書には道徳的人間として、マザーテレサと並んで紹介されています。

それ程に持ち上げられている曽野氏ですが、今回示した見解は一般からの支持をほとんど得ることは無く、むしろ世論の行方に逆らっているようにも見えます。
NHKによる調査は、さらに多くの外国人労働者の受け入れに対する支持が増えていることを明らかにしました。

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数年間に渡る曽野氏の事績を調査したオーランド大学(ニュージーランド)のマーク・マリンズ教授は、彼女を『チーム・アベの問題児』と呼んでいます。

安倍政権は産経新聞によるこの騒動には関わろうとはせず、単に曽野氏がこのコラムを執筆する以前に教育再生実行会議のメンバーから外れていたことを指摘しただけでした。

いずれにせよ、曽野氏は日本の年金生活者を介護するための、報酬の安い労働者について言及したものでした。
こうした就労内容を特定した海外からの労働者は『訓練生』という名目で、多くはインドネシアとフィリピンから長い間受け入れを続けてきました。
安倍首相が望むのは、こうした特定業種に必要なスキルを身に着けた海外労働者に限って受け入れることです。

産経新聞による騒動があとを引くとすれば、それは国際社会における日本の評価ということになる可能性があります。
『「適度な距離」を保って、受け入れるべきである』と言うのが、曽野氏のコラムの題名でした。

2月11日は日本では建国記念日であり、愛国心について考え、それを称揚すべき日であるとしています。
一方で南アフリカの駐日大使は、2月11日がネルソン・マンデラ元大統領の(刑務所からの)解放記念日であり、今年はその25周年にあたっていると指摘しました。

http://www.economist.com/news/asia/21644496-japan-considers-welcoming-more-foreign-workers-its-shores-bestselling-author-calls-their?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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曽野氏の『提案』が現実になった場合の日本を想像してみました。
若い東南アジア出身の青年が初めて日本にやって来て、東京またはどこかの大都市の整然とした街並みに見入り、希望に胸を膨らませる。
付き添っていたガイドが彼、または彼女にこう話しかける。
「どうだ、いいところだろう…でも、おまえたちが住むのはここじゃない。」
映画だとこの後、彼、または彼女は臭気ふんぷんたるスラム街に連れて行かれるわけですが、国の政策として受け入れる以上、そこまでの事は無いでしょう。

しかし差別も区別も、そして隔離も同じ人間同士でしていい行為だとは思えません。
私はあるきっかけで、東北大の医学部に留学していた年下の中国人医師と親友になりました。
きっかけは『並みの中国人より』中国の歴史に詳しい私に彼が驚くとともに、うれしく思った事だと後に彼が語りました。
彼は魯迅の『藤野先生』を読み、留学するなら仙台が良いと思ったそうです。

互いに前向きな気持ちがあれば、国籍や言葉が違っても親友になれる。
なのに、まず初めにハザードを作ってしまったら、どうにもなりません。

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【 自由と平等の戦士よ、安らかに眠りたまえ… 】《再掲載》
ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領、95歳で死去

アメリカNBCニュース 2014年12月5日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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ニューヨーク、ブルックリンの南アフリカ・レストランで、ネルソン・マンデラの死を悼む人々。(写真上)

ネルソン・マンデラは、1918年に、南アフリカのイースト・ケープの小さな村で生まれました。
1950年ごろ、アフリカ民族会議(ANC)青年部を設立して6年後のマンデラ。(写真下・以下同じ)
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1956年、国家反逆罪の審判のため法廷に向かうネルソン・マンデラ。この時は4年間の審理の後、告訴が取り下げられました。
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1958年、2番目の妻、ウィニー・マディキゼラとの結婚写真。2人の娘を設けたが、1996年に離婚。
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1961年にアフリカ会議(ANC)で演説するマンデラ。1960年にANCは非合法化され、マンデラは地下活動に専念。軍事教練を受けた後、海外で支持を集めるために1962年に南アフリカを離れました。
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1964年6月、逮捕され、法廷で終身刑を言い渡されたマンデラは、囚人護送車の鉄格子の間からこぶしを突き上げ、闘争継続の意思を露わにしました。
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1998年3月27日、18年の間投獄されたロッベン島の第5号監獄で、アメリカのビル・クリントン大統領と談笑するマンデラ。クリントンは「信念を捨てる」ことなく、獄中生活を耐え抜いたマンデラを誉め称えました。
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【 守られる人々 vs. 貧しい人々 】

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所要時間 約 10分

日本の格差の原因は、一部の大金持ちがつくりだしている訳ではありません
日本の職業社会にみられる『悪平等』、それは是なのか非なのか?

エコノミスト 2月14日

THOMAS PIKETTY
トマ・ピケティのベストセラー「21世紀の資本」の中で、日本はここにきて急速に富の集中化が進行している国のひとつとして登場します。
そして日本はピケティのこの著作がよく売れている富裕国のひとつです。
今月東京を訪れたピケティ氏は、熱狂的な歓迎を受けました。
しかし日本には、ピケティ氏のテーゼが当てはまらない可能性があります。

1991年に日本の金融バブルが崩壊した理由のひとつに、当時の日本では富の集中がアメリカ・ヨーロッパほどには進んでいなかったことが挙げられます。
日本の上位10%の富の占有率は、平等国家として世界的に有名なノルウェーとスウェーデンよりも、さらに下回っています。
事実クレディ・スイス研究所が調査を行った先進46カ国の中で、日本よりも平等性が高いのはベルギーただ1国だけでした。

最裕福層が手にしている収入の額も、突出して高いというほどではありません。
役員報酬のレベルも、アメリカのように一般社員と隔絶しているというほど高くはありません。
ピケティ氏とウォールストリート・ジャーナルの共同調査では、日本の最富裕層1%による国内総収入の占有率は、キャピタル・ゲインを除き2012年には9.0%で、2008年の9.5%から下落しました。

富の配分
しかし、別の形での格差は拡大しています
最も重要なものは大金持ちとそうでない人々の間の格差、すなわち「資本」にまつわるものではありません。
特権的労働者、すなわち終身雇用によって守られている特権的幹部級社員と、労働市場においてその役割が大きくなっているにもかかわらず、不安定な派遣社員などの身分に甘んじなければならない人々との間に横たわる格差です。
将来に渡る保障の無い労働者の年収の平均が200万円前後であるのに対し、正社員の年間平均給与は約500万円です。
日本が本当に必要とするものはそうした類いの不平等ではなく、もっと別な形での正当な評価による選別であると、多くの人々が主張しています。

日本の職業社会では『悪平等』と呼ばれる状況がはびこり、仕事の成果や能力より、年功序列を優先する傾向があります。
この点についてモルガン・スタンレーのロバート・フェルドマンが、次のように語りました。
すなわち、労働者が働いた結果に応じて正当に報酬を受け取れるようになれば、日本経済はもっと早く成長軌道に乗ることができるだろうと。

むしろ日本においては企業家が画期的なサービスや商品を考え出すことが手来ても、それに見合うだけの金銭報酬が得られず、億万長者になれる機会もほとんど無いことの方が問題だと考えるべきです。
結果として新規事業を創造する分野においては、日本は慢性的に低いレベルにとどまり続けていることにつながっています。

貧困率
しかしこれらのいずれの理由も、日本国内でトマ・ピケティのベストセラー「21世紀の資本」が13万部以上のベストセラーになることの障害とはなりませんでした。
むしろ700ページに上る大冊のガイドブックは、タイミング的にも実に恵まれたものになりました。

安倍首相が進める日本の経済復興プラン、アベノミクスに対する疑問が拡大し続けていた状況の中での発行は、ピケティ氏の著書に注目されるべき絶好の機会を提供しました。
来日中にピケティ氏が指摘した通り、アベノミクスの株価上昇の誘導政策は、持てる者と持たざる者の資産の格差を拡大していたからです。

しかし皮肉なことにはこの時点で、安倍政権は経済政策として大企業に対し労働者の賃金を引き上げるよう、圧力をかけている最中だったことでした。

http://www.economist.com/news/finance-and-economics/21643202-problem-not-super-rich-secure-v-poor?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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読んでいて『ウーン』と考え込まざるを得ませんでした。
私はピケティ氏この記事も、ともに真実を突いていると思います。
この類の問題は白・黒をつけるべきものではなく、互いに意見が違う同士が議論し、答えを探らなければなりません。
それに比べ日本の国会は、特に最近は、結論ありきの『議論をしたというアリバイ作り』の場に堕してしまいました。
真の民主主義社会との『格差』を感じざるを得ません。

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【 恐怖と栄光 : ロイター写真報道の30年 】《3》

アメリカNBCニュース 2月13日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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数々の受賞経験のあるロイター通信のカメラマンたちが、写真提供事業開始30周年を祝い、これまでの業績を振り返りました。
ロイター通信のカメラマンたちは、天災や戦争、そして経済破綻の様子を象徴する出来ごとなど、世界で繰り広げられた人間の悲劇や劇的な出来ごとを撮影し続けました。

彼らはレンズを通して見えたスポーツ、文化、ショービジネスそして世界各国の政治指導者や経済界の大物の姿を世に伝え、その写真はその時々を象徴する画像として人々の記憶に刻まれることになったのです。

2011年10月5日の払暁、北朝鮮の首都平壌、スポットライトの中に浮かび上がる建物の壁面に飾られた『建国の父・金日成主席』の肖像画。(写真上)

2010年4月22日アイスランド、噴火しているエイヤフィヤトラヨークトル火山の上空に出現したオーロラ。(写真下・以下同じ)
[カメラマン自身の解説]
火山灰による雲は第二次世界大戦以降最悪のものとなり、ヨーロッパ各地からアイスランドに向かう空路はすべて飛行不能に陥りました。
唯一残ったのが北アメリカからの空路でした。
私は夜通し飛行機に乗り、4月17日の早朝、ケプラヴィーク国際空港に到着しました。
レンタカーを借り、私は噴煙が上がり続ける東に向け車を走らせました。
現場に近づくにつれ、事態の容易ならなさが解り、何をおいても現場に駆けつけるといういつもの対応は極めて危険なことに気がつきました。慎重さが必要でした。

これ程の規模の噴火の様子を写真にとらえるには、気象条件に頼らざるを得ませんでした。
曇りなら噴煙は見えず、風が吹かなければ視界がききません。
噴煙の中で燃え上がる噴火の様子を撮影するため、私は灰で覆われて道路で数時間、シャッターを2分間ずつ解放した状態で待ち続けたのです。
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2010年8月7日パキスタンのパンジャブ地方、洪水で孤立した被災者の下に救援物資を運んできた軍のヘリコプターにしがみつこうとする人々。
このとき彼らが暮らしていた村には、さらなる洪水が迫りつつありました。
この洪水では1,600人が死亡し、1,200万人が孤立しました。
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2009年1月7日、ベールシェバ墓地で、戦死した僚友の死を嘆くイスラエル軍兵士。
[カメラマン自身の解説]
私は、2009年1月にガザ地区に対するイスラエルの攻撃が続く間、ロイターのエルサレム事務所の応援のためイスラエルにいました。
イスラエル軍兵士たちは、私にガザ地区の戦闘で死亡した兵士の葬式の様子を世界に伝えるためにベールシェバに行くよう依頼しました。
葬儀は始まりから悲しみに満ちたものでしたが、始まってすぐ墓地にロケット弾が撃ち込まれ、そこにいた全員が地面に倒れ伏しました。
何から何まで非日常的な出来事の連続でした。
墓地周辺は狭く、そこに大勢のカメラマンが押し掛けたため、葬儀の様子が見える場所を確保するのに非常な苦労を強いられました。
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2010年1月13日、ハイチで発生した巨大地震の後、ポルトー・プランスでけがの治療を受ける子供。
マグニチュード7.0の地震は大統領府を始め大量の建物を倒壊させ、30万人を超える死者を出す巨大惨事になりました。
ハイチにはもともと困窮者が多く、国際社会の支援なしにはどうしようもないところまで追いつめられてしまいました。
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http://www.nbcnews.com/news/world/terror-triumph-30-years-reuters-photography-n305881

【 東日本大震災からの復興は、明らかにうまくいっていない 】《後篇》

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所要時間 約 10分

被災地で何が優先して再建されるか、実質的に決めているのは建設会社のボスたち
住宅建設が遅々として進まなくとも、日本政府が主導する防波堤建設が進んでいる以上、復興は前進している?

エコノミスト 2015年2月7日

3.11仮設住宅
多くの市町村では、津波で全半壊した家屋に代わって安全な場所に新たに住宅を建設するについては、結局は金が問題になるという現実を前に、当初誰もが口にしていた『絆』という意識が色あせてしまったことを感じ始めています。

世代間の意見の相違もずっと続いています。
年配の人々は生活を支えてきたカキの養殖と漁業を続けることが不便になるという事を主な理由に、そして先祖代々の墓が遠くなることから、沿岸部から離れて暮らすことを望みません。

これとは対照的に若い世代はインフラが整備され、生活関連施設の整った新しいコミュニティでの暮らしを望んでいます。
しかしそうしたコミュニティ建設が実現可能なのかという疑いは、地域の人口減少に拍車をかけることになりました。
その傾向は東日本大震災の前にすでに現れていました。
被災県としてもっとも北にある岩手県の人口は46,000人、率にして約3%減少しました。

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災害発生後、日本政府は5年間に渡り25兆円を復興費用に充てることを表明しました。
しかしながら、そのうちの多額の資金が直接被災者の手には渡らない仕組みになっています。

被災した家屋の多くが無保険の状態でしたが、家を失った人々には最大300万円の補助金を交付されます。
しかし被災者の多くが金銭的には苦境に立たされており、中には津波に流されてしまった家屋のローンを未だに支払いつづけなければならない人もいれば、新たに建設されるニュータウンに移るための資金などどこを叩いても出てこないような人も少なくないのです。

そしてどの場所の再建が実現するのかそれを実質的に決めるのは、中央政府の官僚でもなく、自治体の職員でもなく、しばしば建設会社のボスたちである場合があります。
そして彼らは何を建設するか、自分たちの利益を基準に取捨選択をしています。
最近陸前高田市役所が新しい中学校建設に関する入札を行なおうとしましたが、基準価格が建設会社は3割がた低すぎると不満を露わにし、結局入札は成立しませんでした。

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こうした事態が相次いだ結果、地方の銀行が使われないままの多額の政府資金であふれかえることになりました。
1,360人以上が犠牲になった漁業の町気仙沼市では、被災者のための災害公営住宅がどうにかこうにか出来上がりました。
菅原市長は通常建設会社は、こうした住宅建設の受注に応じようとはいないのだとこぼしました。

日本政府の復興庁は、プロジェクト予算は合理的なものであると主張しています。
しかし建設資材と人件費が高騰を続け、しかも多額の予算を投じた公共工事が全国いたるところで始まっている今、建設会社はどの物件を手がけるべきか入念に品定めを行うようになっているのです。

例えば人口67,000の気仙沼では70カ所以上の防波堤が建設される予定ですが、建設会社は我先にコンクリートを流し込もうとする程この手の工事は喜んで受注します。
これらは最大の高さが15メートル、最大幅は90メートルのコンクリートの壁で、2011年に日本政府が東北太平洋岸地区を守るために必要だと判断し、建設が決定しました。
この工事には最大で1兆円が使われることになっています。

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しかしこうした堤防の類は、他にもっと有効な使い道があるはずの復興予算を使い果たす役割を果たしています。
海岸沿いに現れた化け物のような巨大構築物は景観を台無しにするだけでなく、果たして本当に役にたつかどうかも解りません。
国土交通省ですら、これらの防波堤が4年前の3.11規模の津波が襲った場合には、役に立たないと認めているのです。

地元市町村の首長や有力議員たちは、日本政府が防波堤の建設を主導し、その建設が進んでいる以上、復興は前進しているのだと主張しています。

被災者が最終的に住む場所を手に入れることができるのは2020年になるだろうと語るのは、津波で母親と自宅を失ってしまった後、陸前高田でNPOを立ち上げた伊藤悟さんです。
オリンピックが開催されていているその時に、被災者たちがまだ仮設住宅住まいを強いられている現実を目の当たりにしたら、
「海外の人々はいったいどう考えるでしょうか?」
伊藤さんがこう尋ねました。

〈 完 〉
http://www.economist.com/news/asia/21642216-rebuilding-north-eastern-region-tohoku-being-bungled-grinding?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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被災者がまず解決してほしいと願い続けている住まいの問題の方はさっぱりなのに、東日本大震災クラスの津波には効果が無いと解っている防波堤を次々と建設している現状を『復興は進んでいる』と表現する日本政府。
こういうめちゃくちゃな論理を許す同じ土壌が、憲法第9条の拡大解釈と言う『空文化』行為を許すのではないでしょうか。

何を考えているかわからない権力者も、それにおもねる官僚たちも、そんな人間たちはいつの時代にもいるのです。
真の民主主義社会とは、それを監視・諌止するシステムが正常に働いている社会の事だと思うのですが。

東日本大震災発生以来、ずっと思い続けてきたことを代弁してくれるような素晴らしい記事が2月21日付の河北新報に掲載されていました。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201502/20150221_73006.html
こちらもぜひお読みいただければ、と思います。

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【 恐怖と栄光 : ロイター写真報道の30年 】《2》

アメリカNBCニュース 2月13日

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数々の受賞経験のあるロイター通信のカメラマンたちが、写真提供事業開始30周年を祝い、これまでの業績を振り返りました。
ロイター通信のカメラマンたちは、天災や戦争、そして経済破綻の様子を象徴する出来ごとなど、世界で繰り広げられた人間の悲劇や劇的な出来ごとを撮影し続けました。

彼らはレンズを通して見えたスポーツ、文化、ショービジネスそして世界各国の政治指導者や経済界の大物の姿を世に伝え、その写真はその時々を象徴する画像として人々の記憶に刻まれることになったのです。

2004年3月3日ハイチのプティ・ゴアーブで、追放された大統領ジーン・バートランド・アリスティドのラヴァラス党の命令で複数の暗殺を行った疑いで拘留された男。
男はこの後武装した市民たちに公衆の面前に連れてこられ、石を投げつけられ、生きたまま火をつけられて死亡しました。(写真上)

1990年3月30日、コソボ紛争でマケドニア領内に避難するアルバニアの少数民族の女性。
看護師の女性とその赤ちゃんは2,000人の難民ともに、マケドニア領内の山岳地帯への避難を許可されました。
彼らは夜を徹してコソボ地区南部の山岳地帯を踏破し、マケドニア領内に逃げ込もうとしました。しかし国境でマケドニア軍に押しとどめられ、そのまま国境沿いの森で一夜を明かしました。
事態を把握した国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)がマケドニア政府にかけ合い、避難のための入国が許可されることになりました。(写真下・以下同じ)
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2006年5月5日、アフリカ大陸からボロ船をあやつってスペイン領カナリア諸島のフエルテベンチュラ島にたどり着き、這って砂浜を進む自称移民の密入国者。
カメラマン自身の解説: 私はアフリカからの不法移民を乗せたボロ船がカナリア諸島の南側の島に向かって進んでいるという情報を聞きつけ、現場の海岸に駆けつけました。
現場に行ってみると、彼らは見るからにちゃちな作りのボートに乗って、命がけでヨーロッパに渡ろうとしていることがはっきりと見て取れました。
彼らは水と衣服を与えてくれたスペインの赤十字のメンバーによって解放されていましたが、危険な航海で半死半生の状態になっていました。
この写真は世界の分断を象徴するものです。
浜辺でのんびりと日光浴を楽しむ白人女性、命がけの航海の後浜辺を這い進む黒人男性の姿はきわめて対照的です。
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2013年3月11日、ヴァージニア州にあるアーリントン国立墓地。
アメリカ陸軍兵士として、イラクとアフガニスタンの両方の戦役に従軍し、アフガンで負傷した際に合併症を引き起こして死亡した兄、ライアン・コイヤーの墓の前に横たわる25歳のレスレイ・コイヤー。
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http://www.nbcnews.com/news/world/terror-triumph-30-years-reuters-photography-n305881

【 東日本大震災からの復興は、明らかにうまくいっていない 】《前篇》

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所要時間 約 6分

3.11の巨大三重災害 - その後遺症は数年で消えるようなものではない
貧しい者、年老いた者の住宅より、オリンピックスタジアム建設が優先される理由は何なのか?

エコノミスト 2015年2月7日

3.11仮設住宅
巨大地震と巨大津波が壊滅的被害を与え、加えて福島第一原子力発電所の3基の原子炉がメルトダウンを起こすという、史上誰も経験したことも無い、見たことも無い巨大三重災害が発生してもうすぐ4年になります。
しかし未だに170,000人もの人々が、災害によって無残なありさまとなった被災地に沿って建設された、仮設住宅の中に閉じ込められたままです。

そのうちのひとりが津波によって壊滅的被害を受けた岩手県の漁港、陸前高田の窮屈な、かびの生えた一角で夫とともに暮らす70代の女性、吉田澄子さんです。

陸前高田では1,750人以上が津波の犠牲になりましたが、市職員として当時市民を高台に避難させる作業を行っていた吉田さんの息子、功さんもその中に含まれています。

息子さんには正規に埋葬する墓地も無く、仏壇も無く、間に合わせの祭壇に写真を飾るしかなく、きちんと霊を祀ることが出来ない現実に吉田さんは心を傷めています。
吉田さんは長い間悲しみをこらえ続けてきたが、もう涙も枯れてしまったと語ります。

12190

安倍首相は、壊滅した東北太平洋岸の市町村を復興させることは、彼が進めている日本経済復活の取り組みの試金石になると語っています。
事実昨年12月の総選挙で、安部首相は選挙期間の始めに陸前高田市の学校の校庭に所狭しと並ぶ仮設住宅を訪れました。

しかし実際には他の問題が東北地方の復興に優先されています。
安倍政権が打ち出した金融緩和策と景気刺激策は、より利益を生みやすい首都圏において建築ブームを呼び、建設用の資材も人員も東北の被災地には向かわず、首都圏に集中するようになりました。

地方で暮らす人々はこう問いかけています。
津波で住む家を失ってしまった貧しい人々や高齢者が仮設住宅での不自由な暮らしを強いられているのに、東京には2020年オリンピックのための見たことも無いような立派なスタジアムが建設される。
それはいったいなぜなのか、と…

東日本大震災における被害が最もひどかった県のひとつ、岩手県の達増知事は、被災地に対する日本政府の関心は日ごとに失われていっていると語りました。

復興がまず必要としたものは資金、エネルギー、そして明快なビジョンでした。

宮城県仙台市、2011年3月12日

宮城県仙台市、2011年3月12日


災害発生から数カ月間、地方の住民たちは再生に向け大きな反発力を示し、国中からボランティアの人々が群がるように集まりました。
200万トンに及んだ膨大な量のがれきは、見る間に取り片づけられました。

意欲に燃えるプランナーたちは、高台に再生可能エネルギーを使った新しい街の設計図を書き上げました。
しかしそれでも一部の人々は、東北の復興事業が日本全体の経済再生のけん引役を果たせるかどうかという点については懐疑的でした。

不幸事業が始まった当初、人々の心の中には確かに希望がありました。
しかしきわめてゆっくりとしか進まない復興の現実は、希望を失望へと変えていきました。

海岸線の近くでも、そして高台でも、インフラの再整備は遅々として進みませんでした。
災害公営住宅の建設事業も、完成したのは当初の計画の6分の1に過ぎませんでした。

南三陸上空
ナビを見ながら廃墟と化した陸前高田市内を車で走ってみてください。
ナビの画面には人々が暮らしていた街並み、ガソリンスタンド、地方の行政庁舎などが表示されますが、今やどの場所も空虚な空間でしかありません。
街が消えるという恐怖を実感することができます。

現在陸前高田市は東日本大震災の地震によって1メートル前後沈み込んでしまった土地について、近隣の山地から土砂を運び込み、土地のかさ上げ工事を行っている段階にあります。

津波で3,700人もの人々が命を落とした宮城県石巻市の場合、約150世帯だけが高台に建設された、永住が可能な新しく建設された住宅に入ることが出来ました。
しかし未だに12,700人が仮設住宅などに仮住まいを強いられています。

地元の自治体職員は、復興事業の遅れの一因を作りだしている東京の官僚機構を呪わしく思っています。農地だった場所を新たな市街地の建設地として農林水産省に認めてもらうのに、6カ月を要したと石巻市長が語りました。

〈 後篇に続く 〉
http://www.economist.com/news/asia/21642216-rebuilding-north-eastern-region-tohoku-being-bungled-grinding?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227

【 平和憲法の根底を、是が非でも覆(くつがえ)したい安倍首相 】

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所要時間 約 8分

戦争の惨禍に苦しめられた日本の人々が、何十年も守り続けてきた平和憲法
人質殺害事件は、憲法第9条の改定の必要性に説得力を持たせるための格好の材料?

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 2月12日

安部NYT
安倍晋三首相は12日木曜日、自らが『戦後最大の改革』と名づける変化を実現させるためには日本の平和主義に基づく憲法を書きかえることが必要だとする、これまでで最も思い入れの強い演説を行いました。

昨年12月の選挙で圧勝して以来初の議会演説である施政方針演説(アメリカ議会の一般教書演説に相当するもの)において、安倍首相は終始熱のこもった変革への訴えを行いました。

時に叫ぶような調子で、第二次世界大戦の敗戦による全面的な変革と同じ規模の、全面的な変革を成し遂げるべき時が来たと語る安倍首相の声が議会内に響き渡りました。
「日本のみなさん、もっと自信を持ってください!」
安倍首相は日本が国際問題の解決のために、もっと積極的に役割を果たすべきであるとする持論を展開しました。
「憲法を改正するために、もっと突っ込んだ議論を行うべき時が来ているのではないでしょうか?
日本の将来のために、戦後最大の改革をこの国会で成し遂げてはいけないのですか?」

中東のイスラム国武装組織によって2人の日本の人質が殺害された事件について、安倍首相とその支持者は、憲法の見直しが必要だと主張するための最新の材料にしています。
安倍首相と支持者は憲法第9条を書き換えの必要性を訴える根拠として、今回の人質事件に飛びつきました。
憲法第9条は日本が常設の軍隊を持つことを禁じています。

人質事件01
現在の憲法は日本が再び軍国主義の拡大に乗り出すことを防ぐ目的で、第二次世界大戦後のアメリカ占領軍によって戦後の日本に課されたものでした。
しかしその後何十年もの間一度も改訂されたことが無いことが端的に示すように、戦争の惨禍を目の当たりにさせられた日本の人々はこの憲法を支持してきました。
しかし一方では1954年以降、憲法第9条の解釈の変更を繰り返し、『防衛目的に限る』としながらも本格的な軍隊の整備を続け、現在の自衛隊が出来上がりました。

安倍首相が目指す憲法の改定には大きなハードルが立ちはだかります。
衆参両院議員の3分の2以上の賛成を得た後、国民投票により過半数の賛同を得て初めて批准されることになります。
与党自由民主党が圧倒的過半数を占める衆議院では必要な票を集める可能性がありますが、参議院、そして一般市民からは大きな反発を呼ぶ可能性があります。

おそらくはこの点が念頭にあり、安倍首相は日本の外交の基盤としての日米同盟の強化を呼びかけたものと考えられます。

歴代の首相同様、安倍首相も戦争に対する「心からの悔悟」を表明しましたが、それは明らかに国内の左派勢力と日本の侵略によって被害を受けた各国、特に中国と韓国からの、安倍首相は戦前同様の軍国主義の復活を狙っているという批判をかわすことが目的でした。

憲法解釈変更 6
代わりに安倍首相が提唱したのは、世界の安全保障と繁栄のため日本が積極的に貢献するための『積極的平和主義』という方針でした。
「日本が平和主義国家であり続けることに変わりはありません。」
安倍首相はこう訴えました。
「我々は国民の命と財産を断固として守り抜きます。」
この発言は明らかに人質事件を念頭に置いたものでした。
「そのためには、国家安全保障のためのシステムを、どのような事態にも対処できるようにする必要があります。」

しかし憲法の改定については、安倍首相は政治家になって以来ずっと心に抱きつつけてきた問題に立ち返っているように感じられます。
それこそは彼が自分の手で成し遂げ、未来永劫日本の形として残したいと考えているものです。

2年前首相になる直前まで機会あるごとに安倍首相は、憲法第9条を含む戦後の体制はアメリカによって押し付けられたものであり、捨て去るべきだと主張していました。

しかし就任後の世論調査では、大多数の日本人が憲法の改定に反対していることが明らかになると、その発言内容には慎重さが加わるようになりました。
しかし、イスラム国に拘束されていた日本人の人質が殺害されると、政治的発言のトーンははっきり変化しました。

憲法解釈変更 7
保守タカ派の安倍首相の支持者たちは、今回の事件を日本の軍隊に課せられた様々な制限を取り払うための絶好の機会だと考えているのでしょうか?
中東もそうですが、日本の場合はもっと近い場所で、すなわち中国の台頭が東アジア地区におけるパワーバランスを一変させようとしているのです。


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上の記事を読み、下の写真報道を見て思う事は、真実を伝える写真報道が第二次世界大戦(太平洋戦争)当時の日本にもあれば、平和憲法改定の『非』を鳴らすのに格好の証拠を揃えることが出来たろうに…
という事です。

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【 戦場のこどもたち 】《再掲載》
弾丸が頭上を飛び交う中、働き手に変わらざるを得ないこどもたち

アメリカNBCニュース 10月8日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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顔も洗ってない子供たちが、屋内でも遊べるように設置されたブランコの周囲に集まってきました。
シリア北部の町、クファル・ラタでは、最低限建物の壁が小銃の弾丸避けになるよう、できるだけ屋内で遊ぶようにしています。

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壁に武器が立てかけられた家の中から、父親だけが毎日外に出て行きます。
本来なら肥沃な土地の上にオリーブがたわわに実をつけるはずの土地は、建物などの残骸、破片で埋め尽くされ、人々は足元に注意しながらその上を歩かなければなりません。
父親たちは破壊された建物の陰に潜み、大通りをやってくる兵士たちを狙撃するのです。

繰り返し破壊されたこの街にはもう、一握りの家族しか残っていません。
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たった2週前、クファル・ラタには、約10,000人の住民が居ました。
多くは肥沃な土地で農業を営み、倹約と貯蓄に励み、多くはコンクリート製の大きな家屋を建築して、豊かな暮らしをしていました。

その場所は今や、シリア各地で見かけるゴーストタウンのひとつと化してしまいました。

政府軍と反乱軍の戦闘は国内至る所に拡大し、倦むことなく破壊と殺戮が繰り返されているのです。
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【 第二次世界大戦を巡り、70年経っても非難の応酬をやめない日本・中国・韓国 】《後篇》

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所要時間 約 10分

8月の太平洋戦争終結70周年記念式典、外交的融和が期待されるが、失望しなければならない結果に?
第二次世界大戦終結70周年記念式典を韓国、中国、日本が歴史認識を共有できれば、融和により互いの発展が図れるはず

エコノミスト 2月7日

第二次世界大戦03
日本が連合国に降伏した8月15日は終戦記念日とされており、1945年以降10年ごとに歴代の首相が声明を発表してきました。

第二次世界大戦前の日本のアジア大陸における事歴を巡って、アジアでは絶えることなく論争が続いてきました。
安倍首相の政治顧問の中の何人かは、2015年の8月15日に公表される声明文について、安倍首相がこの機会を利用してこうした争いに終止符を打つことを願っています。

事実、歴代の首相による声明が後悔の念を表明して来ただけであるとする安倍首相は、前任者とは異なる内容の声明を発する姿勢を見せています。

安倍首相は『遺憾の意』を示すというよりは、戦後の日本人が国際社会における模範的な、善良な、国際的な感覚を持った市民であり続けたことに力点を置くことになるかもしれません。

こうした内容の声明であっても、東南アジアの中にはそれで良しとする国が数カ国は有るかもしれません。
なぜならこれらの国々は欧米列強の植民地からいったん大日本帝国の版図に組み入れられたことが、やがては独立につながっていったからであり、その分日本の過去についても寛容な態度を示してきました。

第二次世界大戦04
しかし中国や韓国はそうはいきません。
これらの国々では小学生のうちから、大日本帝国による支配がいかに残虐なものであったか、グラフィック素材を使って教えられます。

安倍首相が2013年12月に靖国神社を参拝しましたが、その国内で多大な犠牲者を出す原因を作った戦争犯罪人が、一般戦没者とともに祀られている神社に国家元首が参拝することは、中国政府韓国政府ともに許せない行為なのです。

さして両国政府は、安倍首相が戦前戦後の日本の侵略行為を過少に評価し、さらには大日本帝国の軍隊によって従軍慰安婦にさせられた女性たちを中小誹謗したとして批判を強めています。

特に従軍慰安婦の問題については、韓国内で不満と怒りがくすぶり続けています。
日本の占領下、従軍慰安婦として使役された女性たち数十名が、勇気を奮って名乗り出て当時の状況についての証言を行っていますが、高齢化によりその生存者数は年々減少を続けています。

日本側は従軍慰安婦の問題は、日韓両国が国交を正常化した1965年に、賠償問題も含めすでに解決済みであると主張しています。
事実、その時は日本がさらに深く謝罪をすることで、韓国側もさらに和解に踏み込むという合意寸前にまでこぎつけましたが、再び歴史認識の相違が問題となり、両国の関係は冷え切ったままになっています。
実際、 2カ国が関係を正常化したとき、日本は1965年に従軍慰安婦にすべてのその負債を清算したはずだと主張しています。
今年6月には日韓外交正常化条約の50回目の記念日を迎えることになりますが、その祝賀行事は形だけのものに終りそうです。

靖国01
▽ それぞれが、それぞれに日本批判を展開する

韓国にとって1945年と言う年は複雑な意味を持っています。
日本の支配が終わった一方で、別の悲劇が朝鮮半島を襲いました。
南北の分断です。

韓国のパクヨンヒ大統領は、再び南北朝鮮の統一を韓国の政治課題として掲げました。
しかしその一方では、中国の抗日戦争勝利記念式典に参加することにはためらいを見せています。
韓国は日本に対する外交的勝利を、単独で手にしたいと考えています。

ソウル市内にあるシンクタンク、アサン研究所所長のハーム・チャイ-ゴーン理事長がこう語りました。
「我々は日本人を非難するのに、中国の手助けは必要ありません。自分たちの問題は自分たちで解決する方が、より合理的な解決が得られるはずですから。」

日中紛争 2
韓国のパク大統領は、南北朝鮮会談に前向きであり準備も出来ていると語っていますが、時期を曖昧にしたまま、周囲をやきもきさせていますが、5月に行われるロシアの対ドイツ戦勝利式典への招待に応じることはなさそうです。

第二次世界大戦終結70周年記念式典を、韓国、中国、そして日本が歴史認識を共有することさえできれば、融和により互いの発展が図れるはずですが、今のところはさらに関係がこじれる原因を作りだすことにしかならないようです。

〈 完 〉

http://www.economist.com/news/asia/21642213-asia-memories-second-world-war-still-bring-more-recrimination-reconciliation-still?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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「やれやれ、この3カ国には困ったものだ…融和を図り、互いに協力し合った方がそれぞれが得られる利益は大きいものになるだろうに…」
そんな声が行間から聞こえてきそうな記事です。
私もそう考える方の人間です。
「国民の命より、国のプライドの方が大切か?」
自虐史観などという言葉をことごとしく使って目を吊り上げるみなさん、そして隣国への敵意を植え付けるような教科書を作ってしまった中国韓国のみなさんには、21世紀の平和共存についてもっと合理的な思考を学んでほしいと思います。

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【 恐怖と栄光: ロイター写真報道の30年 】《1》

アメリカNBCニュース 2月13日

Reuter 1

数々の受賞経験のあるロイター通信のカメラマンたちが、写真提供事業開始30周年を祝い、これまでの業績を振り返りました。
ロイター通信のカメラマンたちは、天災や戦争、そして経済破綻の様子を象徴する出来ごとなど、世界で繰り広げられた人間の悲劇や劇的な出来ごとを撮影し続けました。

彼らはレンズを通して見えたスポーツ、文化、ショービジネスそして世界各国の政治指導者や経済界の大物の姿を世に伝え、その写真はその時々を象徴する画像として人々の記憶に刻まれることになったのです。

2003年4月9日、イラクの首都バグダッドでサダム・フセイン大統領の像が引き倒される瞬間を見つめる米海兵隊員。(写真上)

1992年4月5日、イラク・トルコの国境地帯で、一個のパンを巡って争うクルド人難民。(写真下・以下同じ)
[カメラマン自身の解説]
第一次湾岸戦争の後、約150万人のクルド人がサダム・フセインとその軍隊から逃げようとして、パニック状態に陥りました。
このうち約600,000人はトルコ領内に避難しましたが、その半分はイラクとの国境に近い山岳地帯に足止めされました。
私はヒッチハイクをしてクルド人に配給するためのパンを荷台一杯に積み込んだトラクターに同乗させてもらいました。そして雪に覆われた山岳地帯に停め置かれたクルド族難民のもと向かったのです。
トラクターは危険な泥だらけの道をゆっくりとしか進むことが出来ないため、繰り返し難民たちに襲われることになりました。
彼らは互いに争い、そしてトラクターの援助要員を押しのけパンを奪い取ろうとしました。
援助要員は難民たちを押しとどめようとしましたが、とても出来るものではありませんでした。
難民たちは完全に自暴自棄になっている様子でした。
Reuter 2
1985年5月29日ベルギー、ブリュッセルのヘイゼルスタジアムで、友人によって搬送される負傷したサッカー・ファン。
この日開催されたヨーロッパ・カップ、ユベントスとリバプールのプ決勝戦が試合開始前、双方のファンの間で暴力事件が発生しました。
騒ぎでスタジアムの壁が崩壊、 39人が死亡し600人が重軽傷を負う大事件になりました。
Reuter 3
1989年6月5日、北京の天安門広場で戦車の隊列の前に立ちはだかる男性。
REuter 4
2013年5月28日、、歩行者用のペデストリアンデッキ建設のため、トルコの首都イスタンブール市内中心部の木々が切り倒されること似たいし、多数の市民が抗議のため詰めかけました。
これに対し警察の機動隊が出動、市民に対し催涙ガスを使用した時の様子。
[カメラマン自身の解説]
トルコ政府はイスタンブール中心部にあるタクシム広場の一部を撤去する旨を公表したところ、この10年で最大の反政府抗議活動が発生することになったのです。
Reuter 5

【 第二次世界大戦を巡り、70年経っても非難の応酬をやめない日本・中国・韓国 】《前篇》

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所要時間 約 7分

徹底した検証と深刻な反省の表明、その受入れによる独仏の和解、EUの誕生。歴史が前進した欧州
対アベ包囲網?急接近する中国、ロシア、北朝鮮。その狙いとは?

エコノミスト 2月7日

安倍02
戦争の記憶が薄れていくにつれ、時間の経過は互いの心の傷を癒していくべきものであるはずです。

しかしアジアでは時間の経過が、第二次世界大戦によってできた傷を一層大きくしているようにしか見えません。

第二次世界大戦終了の70周年は、50周年、60周年の時よりも一層注目を集めることになりそうです。
70周年という節目は、20世紀前半に日本の侵略対象になった国々と日本のとの和解という、定義の難しい外交関係を確立するための機会を提供するはずです。
しかし侵略対象にされた国々は、日本の歴代の政府による侵略による被害についての検証と謝罪が不充分なものであり、なかんずく現在の安倍政権に至っては謝罪どころか歴史的事実の書き換えすら行おうとしているとして、批判を続けています。

このままでは『和解』が成立しそうな雰囲気はありません。

まず第一に、中国政府が前向きではないことが挙げられます。
中国は史上初めて、『抗日戦争』勝利を祝い、大規模な軍事パレードを行う予定です。

この軍事パレードについて政府機関紙のチャイナデイリー(中国日報 – 英字新聞)は、日本批判が目的ではないと主張しています。

中国軍事パレード
軍事パレードは世界各国がそれぞれ行っているものと何ら変わるものは無く、意図するところは、『世界のファシストとの大戦』において、中国が果たした役割が国際社会で『過小評価されている』ことを改めさせることであると報じています。
中国は日中戦争とそれに続いた第二次世界大戦において、3,000万人の犠牲者を出しました。

しかしその主張はそらぞらしいと言わなければなりません。

中国共産党の成立基盤のひとつは、日本の中国侵略に抵抗する戦線の一翼を担うというものでした。
そして当時ともに統一戦線を形成し、現在台湾の政権を担う国民党との連携は70周年の今年、改めて光があてられることになるかもしれません。

現在進行中の東シナ海の無人島、尖閣諸島(中国名の釣魚島)を巡る日本との激しい争いはまかり間違えば武力紛争に発展する危険をはらんでおり、天安門広場で行われる軍事力の示威行動に、日本に対する政治的メッセージは含まれていないと考える方が困難です。
なぜなら中国はロシアに互いの軍事パレードにおける『交流』も提案しています。
ロシアは対ナチスドイツ戦勝利を祝う祝典を、毎年5月に開催していますが、昨年11月習近平総書記とウラジミール・プーチン大統領が会談した際、抗日戦勝利、対ドイツ戦勝利の祝典に互いに参加しあう事で合意しました。

ロシア軍事パレード
興味深いのは、3年前に北朝鮮の最高権力者の座に就いたキム・ジョンウン総書記も、就任以来初の海外訪問としてモスクワで行われる祝典に参加することに合意したと、ロシア側が発表した事です。

広島に原爆が投下され、もはや日本の降伏が目前に迫っていた1945年8月8日になって、ソビエト連邦は日本に宣戦布告しました。
そして当時日本が領有していた千島列島を次々と占領し、日本が固有の領土であると主張する択捉、国後、歯舞、色丹の4つの島も自国の領土に繰り入れてしまったのです。

中国国営の新華社通信が伝えるように、中国とロシアが互いの記念式典をことさらに祝う姿勢を強調する背景にあるのは、『世界の安全保障体制』を受け入れ、第二次世界大戦の結果としての『国際秩序』を現状のまま維持すべきであると改めて主張するためです。

その主張は明らかに安倍首相に向けられたものです。
安倍首相は
「日本の最大の課題は、戦後体制(レジーム)からの脱却である。」
と主張しています。

ヒットラー安倍

同時に安倍首相は日本が国家として、当たり前の形にならなければならないとも語っています。
日本の帝国主義がかつて犯した数々の国家としての罪を過度に意識する必要はなく、敗戦の結果戦勝国に『押しつけられた』憲法により国家が無力化されている現状を変えるべきだと主張しています。

安倍首相の支持基盤である保守タカ派の人々は、戦前の日本を支配していたのはナチズムではないと主張しています。
いわく、戦時に国家としての罪を犯したのは日本に限った事ではなく、参戦国のほとんどにその実例がある。
そして、従軍慰安婦なども全員が強制徴用された訳ではなく、中には自ら進んでなった者も多い。
ましてドイツが行なったように、真摯な姿勢で謝罪するなどもってのほかである。

彼らの主張に欠けているのは、広島や長崎の原爆の犠牲者に象徴される、戦争により多くの日本人が犠牲になったことを悼む気持ちです。
多くの日本人は、様々な形で多数の人々が戦争犠牲になったことを、つらい記憶として共有しているのです。

〈 後篇に続く 〉

http://www.economist.com/news/asia/21642213-asia-memories-second-world-war-still-bring-more-recrimination-reconciliation-still?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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【 暴力の連鎖が生んだ悲劇 】

アメリカNBCニュース 2月12日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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2月11日、アメリカのノースキャロライナ州のチャペルヒルで若いイスラム教徒3人が射殺される事件が発生しました。
射殺されたのはノースキャロライナ大学歯学部に通うディーア・バラカトさん(23歳)と妻のユーソル・モハマドさん(21歳)、妹のラザン・モハマド・アブサルハさん(19歳)。3人とも頭部を撃たれ死亡
しました。
ノースキャロライナ大学のキャンパスでは数千人が参加し追悼集会が開催されました。

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【 とことん最後まで : 世界最悪のテロリズムと、直接対決をすることになった日本 】

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所要時間 約 9分

人質となった人々の救出のため、日本外交は最良とは言わないまでもとれる限りの対策はとったのか?
2人の質を見舞った残酷な運命を見て、武力紛争に自ら関わることは極力避けるべきである、その思いを強くした日本人

エコノミスト 2月2日

後藤健二氏
2週間に及んだ日本人人質事件は、多くの人が最も望まない悲惨な結末を迎えてしまいました。
ジャーナリストでノン・フィクション・ライターの後藤健二さんが残忍な方法で殺害される様子が、2月1日、イスラム国の広報機関が公開したビデオによって世界中に伝わりました。
日本国内には衝撃が走り、多くの人々がこの非道な行為に対する怒りと深い悲しみを露わにしました。

シリアを始めとする交戦地帯の難民とその子供たちが受けている苦しみを伝える後藤さんの仕事は、日本国内で早くから尊敬を集めていました。
そして日本は自爆テロをも厭わないイスラム過激派によって、これからさらに多くの日本人を殺す、日本の悪夢が始まるという、戦慄すべき脅迫を受けて立たなければならなくなりました。

国内一般の日本の人々は、この事件が唐突に起きたことを思い、同じように一日も早く視界から消えてしまうことを願っています。

これまでテロリズムとは無縁の極東の島国で暮してきた日本人ですが、今回後藤さんが殺害されたことによりイスラム国のようなテロリスト集団に対しては日本はなす術がないと個人的には感じる、東京都心で働く会社員たちが語っています。
衝撃の大きさにより、今回殺害された2人に非難の矛先を向ける日本人も現れました。
いわく、危険を承知で進んで紛争地帯に入り、結果的にはより多くの日本人の命を危険にさらすことになったと。

人質事件安倍首相
安倍首相は一連のニュースが伝えられる間、異常と思えるほどの強硬姿勢を貫きました。
そして「イスラム国に犯した罪の償いをさせる」ために、同盟各国との共同歩調を取り続けると語りました。
安倍首相は、日本がテロリズムに屈することは無く、テロリスト集団を決して許さないと語りました。

ジハード戦士たちに人質となっている後藤健二さんと湯川遥菜さんの身代金として2億ドルを要求させたのは、1月中旬アラブ諸国を歴訪した後、エジプトで開催された記者会見で安倍首相が行なった誓約、すなわちイスラム国と戦闘状態にある国々に対する2億ドルの人道支援の発表でした。

安倍首相のこの断定的口調の宣言は、何より自国の外務相の中東専門部局を驚かしました。
後に後藤氏と湯川氏がイスラム国の人質となっていることを、事件発生以前に日本政府が把握していたことが明らかになり、安倍首相の発表が事前の調整・準備を欠いたために、今回の事件が発生してしまったとの批判が巻き起こりました。

今回の事件は安倍首相が宿願としてきた、国際舞台で日本がより大きな役割を果たすようにするという政策の実現に影響することになりました。

ISISヨルダンパイロット03
そして1月20日、イスラム国側が身代金ではなく、人質を殺害するという脅迫を初めて行い、安倍首相の選択肢がきわめて限られたものしかないことがすぐに明らかになりました。

2人の人質がどこに監禁されているのか、それを探り出す諜報組織は日本にはありませんでした。
イスラム国と直接交渉を行う手段もありませんでした。
憲法の規定により、特殊部隊を派遣することもできませんでした。
日本は過去、同様の事件で身代金の支払いに応じたことがあると言われていますが、今回もそれをやれば最大の同盟国であるアメリカの怒りを買ってしまうことは明らかでした。

湯川遥菜さんの窮境に対する同情は、後藤さんのそれと比べるとそれ程大きなものでは無かったと言わざるを得ません。
湯川さんは自分を見失ったままシリアへと向かい、何も得るところがないままイスラム国の人質になり、後藤さんがその救出へ向かう動機を作ってしまいました。

湯川さんが処刑されたしまったという知らせは1月24日にもたらされました。
その後イスラム国側はヨルダンに拘束中の自爆テロの女性死刑囚の釈放と引き換えに、後藤氏を解放すると提案し、危機は新たな展開を見せることになりました。

ISISヨルダン・パイロット02
しかし報道によるとヨルダン政府はこの直接取引をいったん拒絶し、イスラム国に拘束されているヨルダン人パイロットが生存していることを証明した上、後藤氏と一緒に釈放することを要求しました。
日本政府のある官僚は、ヨルダン政府にすべてを任せるしかない状況に対し、個人的に不満を漏らしました。

今のところ日本国内の報道を見る限り、今回の危機に対する安倍政権の対応はあまり問題にはされておらず、イスラム国の残忍さに対する日本側の嫌悪と驚きが先に立っているようです。

東京都内で働く31歳のサラリーマンの男性は、今回の事件で改めて日本が素手で相手と戦わなければならない状況が強調されたと感じたと、安倍首相率いる自民党議員と同じような感想を述べていました。
事実、安倍政権は今回の事件こそ、日本の軍事力の強化の必要性を証明する、 説得力のある証拠であると考えています。
今国会の会期中、安倍政権は同盟国が攻撃にさらされている場合に援護攻撃を可能にする、そしてもちろん自国に危険が迫った場合に武力行使を可能にするための法律を提出することになっています。

憲法第9条01
とはいえ2人の日本人人質を見舞った残酷な運命は、孤立主義者傾向、すなわち武力紛争に自ら関わることは極力避けるべきであるという一般国民の思いを改めて強いものにし、安倍首相の平和主義放棄への夢の実現の前に立ちはだかることになりました。

多くの日本人が集団的自衛権行使の容認に反対しています。
武力行使容認について日本国民を納得させることは、そう簡単なことではなさそうです。

http://www.economist.com/news/asia/21641730-japanese-come-face-face-terrorism-its-most-savage-bitter-end?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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【 週6日、一日10時間砲弾づくりをする少年 – シリア 】

アメリカNBCニュース 9月8日《再掲載》
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

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10歳の少年イッサは、アレッポ市内にある自由シリア軍の兵器工場で、1日10時間、毎週金曜日を除く週6日、父親と一緒に働いています。

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カメラの前でポーズをとるイッサ。

カメラの前でポーズをとるイッサ。


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夕食は工場内で家族と一緒に。

夕食は工場内で家族と一緒に。


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父親と一緒に帰宅。

父親と一緒に帰宅。


仕事を終え、ペットの小鳥にエサをやるイッサ。

仕事を終え、ペットの小鳥にエサをやるイッサ。

【 安倍首相、平和憲法の改定を明言 】

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所要時間 約 18分

戦争の惨禍を目の当たりにさせられた日本の人々だからこそ、平和憲法を支持し、他に類例のない平和大国を実現させた
強大な国力を持ちながら平和外交に徹し、世界有数の経済支援、人道的援助の提供国として声望を高めてきた日本

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 2月5日

5日木曜日、安倍首相が来年2016年の早い時期に日本国憲法改定のための手続きを開始したいと語ったと、自民党の幹部級の議員が語りましたが、これは戦後日本の平和主義原則の土台となって来た平和憲法を、安倍首相が書き換えることをまだ諦めてはいない事を端的に表したことになります。

憲法改定をめざす自民党議員団のリーダーである船田元(はじめ)衆議院議員は、安倍首相が来年2016年の夏に予定されている参議院議員選挙の後が、憲法改定という政治的に難しい仕事に着手する最良のタイミングだと同議員に語ったことを明らかにしました。

船田氏のコメントははじめ、朝日新聞と産経新聞の2紙だけが報道しましたが、後に同議員の政治秘書である森氏が内容を確認しました。
森氏によれば、船田氏が憲法改定のための手続きを開始する時期として参議院議員選挙終了後を提案したところ、安倍首相は『そのあたりが常識的なところだろう。』と答えました。

森氏によれば、安倍首相は国際紛争の解決手段として武力を用いることを禁止している憲法第9条については、特に言及しませんでした。

しかしイスラム国により日本人2人が人質となり惨殺されたことから、安倍首相はこうした事件に対応するため特殊部隊の派遣等日本が実力行使できるように、法改正その他を行いたいと議会で答弁しました。

人質事件01
日本政府のスポークスマンを務める菅義偉官房長官は、5日の記者会見で安倍首相が船田議員と会談した事実、そして憲法改定のためにはさらに多くの一般市民の支持を取り付ける必要があるという点で合意した点について確認していると語りました。

「この問題について2人は、さらに議論を深めていくためにはさらなる時間が必要であるという認識で一致しました。」
菅官房長官はこのように語りました。
「来年夏の参議院選挙後という時期が明示された点について、私はこれが憲法改定手続きを進めるための最終期限だとは考えておりません。期限についてもさらなる議論が必要であり、改訂についてはより一層の取り組みが必要だと考えています。」

日本国憲法は国家として戦争手段である軍備を禁じていますが、この憲法は敗戦国となった日本で再び軍国主義が拡大しないように、第二次世界大戦後に日本を占領していたアメリカ軍関係者が書き上げたものです。
しかし戦争の惨禍を目の当たりにさせられた日本の人々は、これまで一度も改訂されたことが無いことに象徴されるように、この憲法を強く支持してきました。

憲法を改定するためには国会において3分の2以上の承認を得た後、国民投票で過半数の賛成を獲得しなければなりません。
昨年12月の総選挙で大勝したことにより、安部首相が率いる自民党は衆議院において3分の2近い議席を抑えていますが、参議院における議席数は3分の2には届きません。
来年の参議院議員選挙において再び自民党が大勝することになれば、憲法改定への可能性が現実のものになります。

GAZA 1
憲法第9条の改定が中国、そして韓国の怒りを買う事は必至です。
両国は、日本がアジアを侵略した歴史的事実についてありのままを認めていないとして、非難を繰り返してきました。

首相就任以前の2年前、安倍首相は軍備の本格化を進めるため憲法改正が必要だと主張しました。
そして早いスピードで変化を続ける世界において、げんざいの憲法では日本の民主主義が直面している現実には対応できないと語っていました。

しかし各種の世論調査の結果は他国の戦争に日本が巻き込まれることを現実にしてしまう憲法の改定には、国民の過半数が一貫して反対している事を示しており、恐らくはこのことが念頭にあった安倍首相は就任直後はこの件には言及しませんでした。

しかし今回、安倍首相はイスラム国に人質となっていた2人の日本人が殺害された事件について、日本の軍隊(自衛隊)の行動を規制しているたがを外すためのまたとない機会ととらえ、この問題に飛びつきました。
日本には人質を救出することが出来なかったと語り、海外にいる日本人を保護するため、救出作戦、避難、その他自衛隊が海外において純粋に防衛目的の行動を行う事が出来るよう、行動規制の緩和を要求しました。

憲法解釈変更 6
シリアとイラクに支配地域を広げるイスラム国に人質となったジャーナリストの後藤健二氏と冒険家の湯川遥菜氏は、身代金として2億ドルの支払いを求める同国の戦闘員により1週間間隔で首を切り落とされました。
この残酷な殺人劇は日本人を憤慨させるとともに、中東地域での軍事行動に対する報復として様々な暴力に直面せざるを得なくなりある程度免疫が出来ているアメリカなどの国々とは異なり、先行きに大きな不安を抱かせることになりました。

1945年以降日本は平和外交に徹し、強大な国力を持ちながら一切武力行使をすることの無い特異な存在として、中東を始めとする各地で世界有数の経済支援、人道的援助の提供国として声望を高めてきました。

今回の日本人人質事件がきっかけとなり、日本国民が安倍首相が主導するタカ派路線への移行に同意するかどうかはまだわかりません。

安倍首相は事件発生直前、イスラム国と対立状態にある中東各国を歴訪し、2億ドルの非軍事援助を行う事を表明しましたが、人質の殺害されて以降、野党の政治家は武装組織に対する同盟国アメリカの武力攻撃に対する同調姿勢を露わにしたことにより、イスラム国の反発を招き、結果今回の人質事件につながってしまったとして、阿部首相への批判を強めてきました。

世界 6
しかし木曜日には日本の衆議院が、人質殺害を非難し、テロリズムを撲滅するための戦いを国際社会とともに進めていくという決議を満場一致で採用しました。


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憲法改定の国民投票について、政府が投票権を与える年齢を『18歳以上』とすることにこだわっていますが、若年層に対する『思想教育』の結果に自信があるのかな?と思っています。
私も高校で日本史を習った際、第一次大戦後の『建艦競争』の最中、ワシントン条約、ロンドン条約において日本が米国英国と比べ、所有してよい海軍艦船の数を低く制限されたことについて、論理的にでは無く感覚的に「不当な制限」だと感じました。

その後、中公文庫の分厚い『日本の歴史』『世界の歴史』併せて30巻程を3回ずつ読み通したのを皮切りにシュリーマン、ヘロドトス、史記、十八史略、司馬遼太郎さんのエッセイやライシャワー博士の著作まで、歴史関係の書籍を読みあさりました。
アメリカのモヒカン族の滅亡を伝えるものからギリシア神話やホメロス物語あたりまで含めると、その数はさらに膨らみます。
古事記や日本書紀、太平記や平家物語などは現代語訳ですが小学生のときにすでに読み終えました。
全部を網羅したなどとは言いませんが、かなりの量を読んだと思います。
読んだ中でとりわけ面白かったのは『世界史人名事典』で、今でもいくら読んでいても飽きることがありません。

ネットなどに書いてあることや、明らかに一種の思想宣伝としか思えない本ばかり読んで、『反日』などと言いがかりをつける感覚は私の中にはありません。
歴史は科学であり、したがって『自虐史観』などというものも存在しません。
『異なる見解』の存在を『自虐史観』などと罵る考え方があるとすれば、それはもう歴史ではなく、プロパガンダであるはずです。

書籍に加え、NHKの『映像の世紀』全巻の購入を始め、世界中で制作されたドキュメンタリー映画を買ったり見たりして、どうやらこの辺りが公平な歴史観だろう、という基準が自分の中に出来上がりました。
そして日本史の教科書が、特に近代史において体系的な記述がされていないことに気がつきました。
これでは面白くないし、読んでも理解することが出来ません。
最初に書いた『建艦競争』も、各国の利害思惑はともかく、日本はフランスやイタリアを上回る『枠』を獲得しており、国力を冷静に比較すれば『不当』と言うには値しません。

政党による教育現場への介入が繰り返された挙げ句の『歴史観』を今の若い人々が持っているとすれば、世界的規模の中で日本を創っていかなければならない今、決してプラスにはならないと思います。

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【 あのとき、戦場にいた人々の記憶 】《抜粋》
第二次世界大戦が終わってもう何十年も経つのに、日本には話し合うことを拒否し、今だに戦争を続けようとしている人間たちがいる

ニューヨーカー 6月5日〈再掲載〉
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

WW2-15

2010年、初めての個展を開催するためにロシアを訪れていたカメラマンのサーシャ・マスロフは、後に連作となる『戦争経験者』の最初の一枚になる写真を撮影しました。
ソビエト赤軍の航空整備士ピョートル・ドミトリヴィッチ・コシュキンの肖像写真でした。
こうして彼の4年越しの連作がスタートしました。
彼はこの間、写真撮影とインタビューを繰り返しました。
題材になったのは兵士だけではなく、医師、技術者、パルチザン、地下抵抗運動の参加者、そして捕虜。
そしてホロコーストの生存者と一般市民は、戦争のはざまで最も苦しんだ人々でした。

マスロフは私にこう語りました。
「人々はそれぞれの場において、戦争という衝撃的な出来事を、自分自身の膚で感じたのです。」

マスロフはウクライナ出身の30歳のカメラマンで、5年前ニューヨークに移り住みました。
『戦争経験者』という大作に取り組むことになった理由について彼は、生と死のぎりぎりの境を体験した世代の記録をしっかりと残したいという思いがあったと語りました。
そして彼は国籍の違いによって、『戦争』の体験が著しく異なることも記録に留めようとしています。
「この連作の中で、最も興味深かったのは地理的要因による運命の違いでした。」
どの国の出身であるかによって、人々を視覚的にはっきりと分けてしまう事が可能です。
私が撮影したすべての人が第二次世界大戦という、かつてない規模の巨大な事件の当事者でした。宇宙で起きたビッグバンのように、彼らは世界中至る所でこの巨大な事件の渦中に巻き込まれたのです。居間、寝室、そして台所でさえ、戦争と無関係ではありませんでした。

「あなたは、視覚的に人々がどこの出身であるかについて比較することができて、彼らの
マスロフにはここまで18カ国を旅し、写真集を完成・出版する前にさらにインド、オーストラリア、南アフリカ、そしてギリシャを周る予定です。

『戦争経験者』の写真を撮影していて、何が一番印象に残ったかマスロフに質問してみました。
「ある人々は大きな寛容を示しました。そして別の人々の中には尽きることのない憎しみが消えることなく残っています。その対比の極端なことには驚かざるを得ません。」

▽ ハロルド・ディンゼス(ニュージャージー州パッセーク、米国)
「捕虜を得て尋問するため、私たちは原住民を使って日本兵の捜索を命じました。しかし彼らは手ぶらで戻り、首を振って見せるのが常でした。私たちが見たいのはお前たちが首を振る様子ではなく、日本兵なのだと言いました。初めて日本兵の捕虜を得た時、私たちは何とか情報収集に役立てようとしました。降伏して来る日本兵はほんとうにわずかしかいなかったからです。数百マイル行ってやっと一人といった割合でした。日本兵は戦闘行動を止めることを、頑として聞きいれようとしませんでした。」
「そして第二次世界大戦が終わってすでに何十年も経つのに、日本には話し合うことを拒否し、今だに戦争を続けようとしている人間たちがいるのです。」(写真上)

▽ R・オーバートン(テキサス州オースティン、アメリカ)
「私は、戦争になど行きたくありませんでした。
でも陸軍省は私を指名し、私は徴兵に応じる事になりました。
戦争を始めてしまったら、他に選択肢など無いのです。
向かった戦場は南太平洋、その後硫黄島に上陸しました。
それまで幸せに暮らしていた人間たちが、目の前で殺されていきました。
私の周りにいた人々がどんどん殺されていった、戦争の記憶はそれだけです。
幸いに私は戻って来る事が出来ましたが、多くの人間が二度と戻りませんでした。
本当に多くの友人を亡くしました。
部隊の全員が仲間だったのです。
私は戦争に行った事を本当に後悔しています。
一方で私は多くの事を学ぶ事が出来ました。その事だけは後悔していません。」(写真下・以下同じ)
WW2-6
▽ 菊池白秋(茨城県つくば市)
「昭和天皇の手の中には、すべての国民の生殺与奪の権がありました。私は戦争が終わったと聞いた時には、もう何もかもおしまいだと思いました。次にどうなるかなどという事は、考えることすらできませんでした。
私たちは戦争に勝っているのだと言われ続けていました。最初の内は信じられませんでしたが、天皇陛下が現人神であるという洗脳は徐々に浸透して行きました。
天皇陛下自らご自分は人間なのだと告白された後は、我々はもはや戦う意志を失いました。戦争では本当に多くの人々が死んでいきました。私たちはなぜそれほど多くの人々が犠牲になってしまったのか、割り切れない思いです。」
WW2-5
▽ フロレッティ・アコスチーヌ(ウディネ、イタリア)
「我々は国境付近で一人のギリシャ兵士を逮捕しました。
彼は部隊のたった一人の生存者だったようです。私は8人の仲間とともにこの捕虜を連行していくように命令されました。
私は彼が逃げ出そうとしていると直感し、逃げられないように彼の肩に手りゅう弾を結び付け、脅しました。いつでも爆発させられるように、私は手りゅう弾のピンを握ったまま彼の後ろから歩いて行きました。
その時歩いていた場所は岩だらけの滑りやすい場所で、わたしか彼がつまづいた拍子に手りゅう弾のピンが抜けてしまったのです。
これ以上の話はしたくありません、あまりにむごたらしいありさまでしたから。
とにかく、捕虜は私たちの前から消滅してしまったのです。」(写真下)
WW2-4
▽ アイマンツ・ゼルタンズ(バウスカ、ラトビア)
「私たちは数週間のゲリラ戦を行いました。そして私は、1944年9月14日に負傷し、そこで私の戦争は終わったのです。
私は、28台のソビエト軍のT-34戦車に対し、徴兵された200人のラトビア兵が立ち向かった戦いで負傷しました。
我々は川を渡ろうとしていましたが、ソ連軍は全方向から我々に向かって来ました。
上空には敵の戦闘機がいました。
多くのラトビア兵が、川を泳いで渡ろうとして殺されました。
私たちには6丁の迫撃砲がありましたが、操作できる兵はもういませんでした。
私は屋根の上にそのうちの一丁を運び上げ、戦車に狙いを定めました。
しかし戦車は私が居た建物に砲弾を撃ち込みました。次の瞬間、わたしが経っていたその下で建物全体が崩れ落ちていったのです。」(写真下)
WW2-13
▽ ヘルベルト・キリアン(ウィーン、オーストリア)
「ソビエト軍の捕虜になった私は、ひたすら東をめざして、数週間というものずっとソビエト連邦を横切る列車の中で揺られていました。私は殺人者、あるいは泥棒の一団の中にいました。犯罪者などと言う抽象的な表現は当てはまりません。
私が連れて行かれたのはシベリアの東端、コリマ川の流域のマガダンという場所でした。
私たちは金鉱掘りをさせられたのです。しかし私は食べ物の不足から体が弱ってしまい、役に立ちませんでした。彼らは私が仕事ができない分、さらに食事を減らしたのです。おかげで私の体重は36キログラムにまで落ちてしまいました。」(写真下)
WW2-14
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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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