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【 つまずき続ける日本の原子力発電、疑問を突きつけられる再稼働 】《前篇》WP

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所要時間 約 7分

政府資金を引き出しては地方自治体などに多額の補助金を交付、管理監督どころか原子力発電の拡大にのみ力を入れていた日本の原子力行政
福島第一原発の事故発生により、原子力発電の『本当の姿』に気づいた日本人
産業界との癒着など無いことを証明することに懸命の原子力規制委員会

ダニエル・オルドリッチ、ジェームズ・プラット / ワシントンポスト 8月15日

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2011年3月、東日本大震災の地震と津波が福島第一原子力発電所を襲い、3基の原子炉がメルトダウンするという世界史上にも類の無い事故が発生、その結果日本国内の全48基の原子炉が停止してから3年半の月日が経ちました。

日本の安倍首相はこれら停止している原子炉を一日でも早く再稼働させたいという計画を進めていますが、事態はそう思うようには展開していません。
日本の企業が政治家と官僚に国内の原子力発電所を早く再稼働させるよう迫り続けていますが、どの原子炉がいつ再稼働できるのか、その詳細を明らかにできるような状況にはありません。

7月、九州電力・川内原発の2基の原子炉について日本の原子力規制委員会は、より厳しい条件に改められた安全基準に合格したと公表しましたが、実際の稼働は2015年の冬まで先送りされました。
同原発の周囲5キロ圏内で生活する住民たちは、新たな原発事故が発生した場合に備えヨウ素剤を配布されました。
そして30キロ圏内の9つの市町村は事故が発生した際の、住民の避難計画の最終案をまとめ上げました。

NRC&東電
こうした日本の原子力発電を取り巻く環境の変化は福島第一原発の事故の直接の影響を受けてのものであり、政府から独立した権限を持つ原子力規制委員会の創設にもつながりました。

新たな監視機関である原子力規制委員会は、福島第一原発の事故発生以前、原子力発電に関連する政府機関が林立してそれぞれが産業界との不適切な関係を作り上げ、政府資金を引き出しては地方自治体などに多額の補助金として交付し、監督どころか原子力発電の拡大にのみ力を入れていた状態を解消すべく、原子力安全・保安院に代わるものとして設立されました。

原子力規制委員会は設立当初は環境省の職員を中心に構成され、たとえば経済産業省の管轄下にある資源エネルギー庁などと比べれば、より厳しい監督と規制を行うだろうと見られていました。
原子力規制委員会の首脳部は日本の権力中枢からできるだけ距離を置こうと努め、原子力産業界との癒着など一切ないことを証明するために懸命の取り組みを行いました。

しかし原子力行政の環境以上に福島第一原発の事故が日本において著しく変えたものは、一般国民の原子力発電に対する世論の動向でした。

事故の前に行われていた世論調査では、回答者の約3分の2が日本国内の原子力発電所の数を増やし続けることを支持していました。

アルジャジーラ抗議集会
これに対し現在は、同じ約3分の2の国民が日本国内で原子力発電を続けることに反対しています。
7月末に行われた世論調査では60%に近い人々が、鹿児島県にある九州電力・川内原発の再稼働に反対していることが明らかになりました。

日本国内ではいくつかの例外はありますが、原子力発電所が立地する自治体はその再稼働を支持する立場を変えていません。
これらの市町村が原子力発電の継続を支持するのは、主に財政上の理由からです。
日本政府は原子力発電所が立地する僻地の沿岸部にある小さな市町村に対し、一年につき最高で10億円の助成金を支給しています。
ある経済学者が試算した結果、こうした市町村ではこの助成金のある無しで、個人の実質的な所得が大きく変わってしまうことが解りました。

しかし原発の5km圏外に立地する市町村にはほとんどの場合助成金等の支給は無く、あってもごくわずかであり、再稼働には強く反対しています。

さらに電力会社と地元の自治体の間には長年にわたる申し合わせがあり、法的なものではありませんが市長と県知事は再稼働手続きに対する拒否権を有しています。
その指示が無ければ、電力会社が原子力発電所を再稼働させるのは実質的に不可能です。

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福島第一原発を所有運営してきた東京電力は、事故後の収束作業の中で放射能汚染に対し繰り返し対応を誤る失態を演じ続け、原子力発電への信頼を回復させるどころか日本国民の不信を一層大きなものにしました。

東京電力は長大な「氷の壁」を建設することにより、日常的に発生する貯蔵タンクからの汚染水の海洋への漏出、そしてこれ以上汚染水が増えないよう大量の地下水の敷地内への流れ込みを防ぐ凍土策の実施を公表しました。
しかし数カ月間大量の液体窒素を購入して巨大な氷壁を作る努力を続けたにもかかわらず、効果らしい効果は確認されていないのが現状です。

〈後篇に続く〉

http://www.washingtonpost.com/blogs/monkey-cage/wp/2014/08/15/after-the-fukushima-meltdown-japans-nuclear-restart-is-stalled/

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声高に何かを批判するような調子は無く、事実とその分析がテンポよく語られていく感じの記事ですが、読み終えると自然に次のような結論が口を突いて出ます。
「これじゃ日本は原子力発電を止めるのが最良の選択だね。」
少々長めなので今日と明日、2回に分けてご紹介いたします。

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【 パナマ運河建設史 】《2》

アメリカNBCニュース 8月15日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)
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2014年8月15日、パナマ運河が開通100周年を迎えました。
100年前のこの日、48マイル(約77キロ)の水路が大西洋と太平洋をつないだのです。
パナマ運河の建設初期、米国スレヴン社製の浚渫機を使うフランスの出稼ぎ労働者。(写真上)

1911年2月1日建設工事も佳境に入ったパナマ運河、ガトゥン・アッパーロックとフォアベイ付近。(写真下・以下同じ)
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1912年頃、完成間近の水路。
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1913年頃、関門前で水位調節により大西洋方面に出る準備をするはしけ。
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1914年8月15日、正式の開通式で航行するアメリカの船舶。
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1915年頃、パナマ運河のガトゥンロックを航行する船舶。
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【 福島第一原発事故と深刻な疾病との因果関係を、法廷で証明できるか?! 米国海軍兵士 】《後篇》

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所要時間 約 13分

乗組員たちの被ばく線量は東京電力が公表した値の30倍という高さ
高熱、リンパ節の腫れ、筋肉のけいれん、そして車いすに縛りつけられてしまった人生
「健康だった自分を取り戻したい!普通の生活に戻りたい…」白血病を発症した少年

スーザン・ゴールデンバーグ / サンディエゴ / ガーディアン
2014年8月20日

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▽ 放射能雲

マグニチュード9.0の地震が高さ14メートルの津波を誘発、その津波が日本に襲いかかった直後、米海軍はすぐに日本における救援活動の拠点とするべく、航空母艦USSロナルド・レーガンを乗組員ともども動員しました。
日本沿岸に接近すると、レーガンは放射能雲に包まれました。

指揮官は船を沿岸から遠ざける回避行動を取り、乗組員に対しては船内の水を飲むこと、そしてシャワーの使用を禁止しました。
そして甲板に出ないで、可能な限り艦内に留まるよう命令しました。

その時スティーヴ・シモンズ中尉は、肉体的に限界に近い状態にありました。
彼は空母レーガンの艦内で非番の時間を使い、狂気じみたP90X肉体トレーニングを行っていました。
彼は始めのうち、放射線による危険は無いという上官の説明をうのみにしていたと語りました。
「今思えば私はバカだったというほかありません。私は『上官の命令には絶対服従』というモードに入っていたのです。そして放射能による脅威は無いと語った上官たちが状況を正確に把握していると信じて疑わなかったのです。」
シモンズ中尉がこう語りました。
「私たちが乗っていた空母レーガンの艦上における放射線量の計測値が、実は東京電力が公表した値の30倍であったという事を知ったのは、たった2ヵ月前の事です。」

米軍32
シモンズ中尉は現在36歳ですが、2011年後半に妻と3人の子供たちと一緒にアメリカに戻りましたが、ヴァージニア州北部の郊外にある職場に車で向かう途中、突然意識を失いました。

この時の症状は高熱、リンパ節の腫れ、そして筋肉のけいれんを伴っていました。
しかしこれは彼の健康が本格的に失われていく過程の始まりに過ぎなかったのです。
そして海軍を退役せざるを得なくなった先月までに、彼は車いすに縛り付けられる体になってしまいました。
軍の病院の医師たちは悪化し続ける彼の症状に追いつくことが出来ずにいると、シモンズが語りました。
しかし彼と妻のサマーは、原因は放射線被ばくだと確信しています。

「起きてしまった事実を変えてしまうことなど誰にもできません。しかし被害を受けた人々を救済するためのシステムを作ることならできるはずです。」
シモンズがこう語りました。
「多くの海兵隊員と海軍兵士が病気になってしまいましたが、彼らは未だ若いのです。将校ではない彼らには、退役後10年間の補償特権はありません。彼らはまた別の官僚機構の壁と戦わなければなりません。医療費援助の権利を勝ち取るために。」

陸上においてもジャクソンやマイク・セバーンのような厚木基地の航空機の整備班も救援活動に動員されました。

2011年4月上旬、セバーンは航空機の機体の放射能汚染を除去する任務を命じられ、携帯用の放射線測定装置、放射線防護服と防護マスクを支給されました。
具体的任務は救援活動を行うため、津波の被災地と基地との間を行き来するヘリコプターの除染作業でした。
「私は地上にいて、毎日環境中の放射線量を測定していました。」
そして任務に就いていた時点では、健康上の問題は何も発生しなかったと語りました。

米軍 9
2011年5月、彼の8才の息子キミ(昨年4月に翻訳してご紹介した『実録『トモダチ』作戦・第4部「放射能汚染」汚染されてしまった人生』http://kobajun.biz/?p=10432ではカイ)君が、原因不明の体調不良に陥りました。
嘔吐の発作が止まらなくなり、鼻血の出血も深刻で、約1カ月間学校を休まなければなりませんでした。
「息子は何度も何度も毎日嘔吐を繰り返し、その症状を止める手立てはありませんでした。少ない時で1日1回、時には1日2回嘔吐しました。」
「息子の体に起きている異変については原因が全く不明であり、心配で居ても立っても居られない思いでした。」

そして2012年12月に海軍を退役するころには、セバーン自身の体にも異変が現れ始めたのです。
まず最初にPTSDと診断されました。
そして右腕と右足が、左側と比べ見た目も筋力も極端に低下する説明不能の症状が彼を襲ったのです。

セバーンはこの特異な症状が福島第一原発の事故と無関係である可能性がある事も認めています。
しかし症状が現れ始めたタイミングを見ても、事故との関係を疑わないわけにはいかないと彼は言います。

米軍23
「私が心配しているのはこれから10年、15年という長い間に起きることです。私の体は放射線障害に徐々に蝕まれていくのでしょうか…それともガンを発症するのでしょうか…そして、息子にガン発症の危険性は無いのでしょうか?私は絶対にどれも現実にならないことを願っています。しかし、これから私たちを待ち受ける現実はどのようなものなのでしょう?」
そしてセバーンがこう続けました。
「最悪の場合、私は介護されなければ生きていけない人間になってしまうのでしょうか?」

しかし海兵隊員と海軍兵士の前途には大きな困難が待ち受けています。

外部の専門家による検証もおこなわれた米国議会の指示により実施された海軍医学調査の結果は、航空母艦ロナルド・レーガンの乗組員と日本国内の米軍基地の職員は、ガン発症の危険性が高まったり各種の疾病の発症原因となる程高い放射線被ばくはしていないと結論しました。

「空母ロナルド・レーガンの乗組員が放射線誘発性の各種疾病の発症を多発させる程の量の放射線被ばくをしたという客観的証拠は、従事した作戦の全期間を通じてありませんでした。」
調査報告書はこう述べています。
「それぞれの個人の被ばく線量は充分に低いものに留まっており、医学衛生上好ましくない環境にいる人間の疾病発症率を下回っています。」
今回この記事を書くに当たり、ガーディアンは独立した2人の専門家にこの調査結果を検証してもらいましたが、2人ともその内容は妥当なものであるとしています。

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ジョンズ・ホプキンス大学の環境保健科学教授であり、ボルティモア市の放射線テロリズムに関する専門家会議のメンバーであるジョナサン・リンクスは、空母ロナルド・レーガンの乗組員の平均被ばく線量の8ミリレム(mrem)という値は、最新の機器を使用した胸部レントゲン撮影の8回分に相当する量であると語りました。
「参考までに申し上げれば、ボルチモアで暮らす我々全員は1年あたり300mrem以上の環境中の放射線に被曝しています。」
リンクス教授は電子メールでこのように伝えてきました。
そしてガンの発症・進行と発がん物質への接触との間には、アメリカ海軍の兵士たちが経験した以上の長い経過期間が存在する - 白血病の場合は5年程度 – という事実を併せて指摘しました。

これに対し、英国サリー大学の核物理学者で、英国政府の核実験の被害者のアドバイザーを務めるパディ・リーガン教授は、海兵隊員、海軍兵士の主張に極めて同情的です。

何名かの症状が福島第一原発の放出した放射線に起因することは明らかである、教授はこう語りました。

しかしUSSレーガンの海軍兵士のガンの発症事例数は、それ自体では福島第一原発が放出した放射線をどのくらい被ばくすれば危険かという数値を明らかにするものではありません。
「海軍の兵士全員が同程度の量の放射能にさらされた上で、この被ばく線量を超えると明らかにガンの発症率が高くなるというしきい値をまず見つけ出さなければなりません。その上で実際にガンの発症がしきい値を超えた場合に多発することを確認できれば、初めて有意な値を確認することが出来るのです。この場合、実際にガンを発症した人数が1人や2人では、数値を特定することは不可能です。」

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しかし今回訴訟に踏み切った海軍の兵士と海兵隊員たちは、長く難しい戦いになることは覚悟していると語りました。

しかし冒頭でご紹介した父親と家族がアメリカ軍横須賀基地に勤務していたダライアスがまず望むことは、発症してしまった白血病が治ること、そして再び普通の生活を送れるようになることです。
白血病の治療は続いており、彼は友人たちと時間を過ごす代わりに病院のベッドに縛りつけられています。
「ハイスクールにもどって好きなスポーツを再開できるように、私は病気を早く治してしまいたいのです。」
「こんな病院での治療生活は時間を早送りして、次の大学での4年間、やりたいスポーツをすべて存分にできるようになりたい、願う事はそれだけです。」

〈 完 〉

http://www.theguardian.com/environment/2014/aug/20/us-navy-sailors-legal-challenge-fukushima-radiation-tepco
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現在の日本政府はゲンパツのメリットばかりを強調しますが、
事故を起こせばこれほど広範囲にわたり、多数の人々の人生をめちゃめちゃにしてしまう『産業設備』が他にあるか?
という事をこの記事は言っていると思います。
福島第一原発の事故は何よりその事を証明したと思います。

現在九州電力・川内原発の再稼働において、その事故発生の際の住民の避難誘導が問題になっています。
しかし本当の問題は、避難した後の人々の生活がどうなるのか?という事ではないでしょうか。

明日30日(土)は掲載をお休みします。
よろしくお願いいたします。

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【 パナマ運河建設史 】《1》

アメリカNBCニュース 8月15日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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2014年8月15日、パナマ運河が開通100周年を迎えました。
100年前のこの日、48マイル(約77キロ)の水路が大西洋と太平洋をつないだのです。

1888年の、タベミャのパナマ運河建設現場で稼働中の掘削機のスケッチ。(写真上)
パナマを横断して建設された船舶用運河は国際貿易を劇的に変えました。
輸送船舶はわざさわざ南アメリカの端まで行く必要が無くなり、大西洋から太平洋へ入る時間は劇的に短くなりました。
しかし数十年という長い期間、建設現場に投入された延べ30,000人の労働者はマラリアや黄熱病により、その多くの命が奪われたのです。
1906年11月、蒸気ショベルの試験運転に立ち合うアメリカのセオドア・ルーズベルト米大統領。(写真下・以下同じ)
彼はパナマ運河建設プロジェクトを積極的に推進した大統領でした。
巨大運河にかける彼の情熱は、現在のパナマの地を1903年にコロンビアから独立させることになりました。
そして条約の調印により『運河地帯』は実質的にアメリカ合衆国の管理地になったのです。
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1907年頃大西洋側で厚さ2メートル40センチ、高さ3メートル60センチ、長さ220キロの壁を建設するため、コンクリートを平型バケツに入れる労働者。
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1909年、建設に従事するスペイン人労働者。
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マラリアと黄熱病を媒介する蚊を退治するため、殺虫剤を噴霧する労働者。
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1910年、パナマ運河に3基設けられた関門の内のひとつを建設する労働者。
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【 福島第一原発事故と深刻な疾病との因果関係を、法廷で証明できるか?! 米国海軍兵士 】《前篇》

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所要時間 約 11分

ゲンパツの不適切な運営・管理を続けたニッポン、米国でその責任を今、問われる
白血病を発症し夢をあきらめた少年、車いす生活を強いられることになった海軍将校…
東京電力は放射性物質の放出量について偽りを公表、そのために米軍関係者とその家族が危険にさらされた

スーザン・ゴールデンバーグ / サンディエゴ / ガーディアン 2014年8月20日

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東京電力が福島第一原子力発電所の事故を引き起こした上、偽りの情報を公開し続けたために本人達と日本国内にいた家族が放射能に被ばくしてしまったとして、アメリカ海軍の兵士たちが1,000億円規模の賠償を求める裁判が進行しています。

長男のダライアスが白血病と診断された時、ジェームズ・ジャクソンは海軍従軍当時、津波に襲われた日本で救援活動を行っていた際に原子力発電所事故に巻き込まれてしまった影響が、未だに続いている可能性がある事に初めて思い当りました。

今年15歳になったダライアスは2013年の始め、白血病と診断された後に一カ月間ほど入院しなければなりませんでした。
当時を思い出し、ジャクソンがこう語りました。
「私はダライアスを看取らなければならなくなるのではないかと、その事ばかりを恐れていました。

かつては大学に進学してバスケットボールの選手になることをめざしていたティーンエイジャーは、今や胸にカテーテルを常にさしておかなければならず、コートを走り回ることなど夢のまた夢になってしまいました。

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2011年3月に地震と津波が福島第一原子力発電所における重要設備である冷却装置を完全に停止させ、その結果3基の原子炉がメルトダウンする事故が発生したとき、海軍の情報科学技術者であったジャクソンは家族とともに任地の横須賀にいました。
彼はダライアスの白血病の発症原因を特定することは難しいという事は認識しています。

それでもジャクソンは大切な息子が白血病を発症する原因を作ったのは福島第一原発が環境中に放出した放射性物質であることを確信しており、その責任は東京電力にあると考えています。

8月25日サンディエゴの地方裁判所はジャクソンを含めた約110人の海軍兵士と海兵隊員が10億ドル(約1,000億円)の損害賠償を求めて起こした訴訟に判決を下すことになっています。
この訴訟では東京電力が必要な対策を怠ったために福島第一原子力発電所の事故発生を防止できなかったこと、そして環境中に放出された放射性物質の量について偽りの数値を公表したために、米軍関係者とその家族を危険にさらしてしまったとして、訴追しています。

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「私はアメリカ海軍または米国政府が、危険な状況を十分に把握していながら、私たちをその場に留め置いたとは考えていません。本当の状況が解っていれば、軍も政府も48時間ないし72時間以内に私たちをその場から避難させていたはずです。」
ジャクソンがこう語りました。
「一番の問題は東京電力という巨大企業が組織ぐるみで日本政府と全世界に向け、ウソの情報を伝え続けていたという事です。彼らは事実を隠ぺいする代わりに、事故現場に実際に出て発信することが出来たはずです、『私たちは世界的規模の助力を必要としている』と。」

▽ あの日の救援活動

約77,000人の米国の海軍兵士と海兵隊員が、巨大災害が雪崩のように襲う日本での救援活動に参加しました。
作戦名は『トモダチ作戦』です。
今回訴訟を起こしたのはそのうちの110人だけであり、作戦に参加した全兵士の0.2パーセントにも足りません。
そしてアメリカ海軍の上層部はこの訴追については支持していません。

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公式にはアメリカ海軍は『トモダチ作戦』に参加した将兵の被ばく線量はわずかであり、健康を損なうほどの被ばくはしていないとの見解を変えていません。
さらには米国内の専門家も、被ばく線量は健康被害を起こす程のレベルではなかったとの見解を明らかにしています。

「『トモダチ作戦』に参加した将兵の被ばく線量は、日常生活における値とさほど変わるものではありませんでした。」
アメリカ海軍のチカ・オンエケーン中尉は電子メールでこのように回答しました。

しかし今回の訴訟、そして『トモダチ作戦』に参加した将兵が説明不能の病気を発症する例が相次いだことは、米国社会、特に反原発運動に取り組む人々の注目を集めることになりました。

訴状は福島第一原発が放出した放射性物質により海軍兵士とその子供たちが限度以上の被ばくをした結果、甲状腺がんやその他のガン、白血病、先天性欠損症を発症、さらには不妊症なども確認されたと主張しています。

そして複数の水兵が心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されました。

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具体的に名前が挙がっている例では、『トモダチ作戦』に参加した航空母艦USSレーガンのヘリコプター整備士だったセオドア・ホルコムが今年4月24日、あまり例のないガンが原因で死亡しています。
この訴訟では、医学的調査と治療を行うための基金の設立費用として10億ドル(約1,000億円)の支払いを求めています。

2011年3月11日の事故に関し、アメリカ国内、日本国内で東京電力に対し起こされている訴訟はこれだけではありません。

アメリカ海軍兵士がこれ以前に起こした訴訟は、今年4月に敗訴しました。

東京電力は次のように述べています。
「数千人数万人の兵士の命を預かり、世界で最も進んだ装備を持つ軍隊の指揮官が、外国の一電力会社の報道発表と広報データだけを基に命令を出すなどと言う事は、到底考えられないことです。」

7月31日日本の司法委員会は事故当時の東京電力の役員3名は地震または津波の危険性を充電予見できたにもかかわらず対策を怠り、事故の発生を防ぐことが出来なかったとして刑事訴追すべきであるとの判断を示しました。

東京電力役員01
事故以降行なわれた各種の調査では、東京電力と原子力発電所を規制監督する日本の政府機関が福島第一原子力発電所を、国際標準の安全基準の下で運営することを不可能にしていたと報告しました。

カーネギー国際平和基金の研究者は2012年、東京電力と原子力安全・保安院、原子力委員会などの日本の関係政府機関が大地震と津波がもたらす危険性に対し有効な対策を立案できなかったとし、緊急時原子炉冷却装置の電源確保ができるシステムさえあれば、3基の原子炉がメルトダウンするなどという前代未聞の事故は起きなかったはずだとする報告を行いました。

日本の国会事故調査委員会は東京電力と日本の関係政府機関が根拠の無い自信を持ち過ぎた挙句、地震あるいは原子炉のメルトダウンに備え、十分な時間と投資を行なう事を怠ったとその報告書の中で延べています。
2012年に公表されたこの報告書は、巨大津波の襲来は予測不可能だったとする東京電力の主張を否定し、根拠なき『安全神話』の上にあぐらをかいていた挙句の事故であったと指摘したのです。
委員会は東京電力が原子炉の損害状況に関するデータの隠ぺいを図ったことも、併せて指摘しました。

Navy Navigator 02
今回のアメリカ海軍将兵による訴訟を担当するチャールズ・ボナー弁護士によれば、今回の訴訟の行方は東京電力が原子炉のメルトダウンを防ぐために取るべき対策を十分取っていたかどうか、サンディエゴの地方裁判所が殿用に判断するかにかかっています。
「今回の事例は数百兆円規模の東京電力が原子炉のメルトダウンを防ぐために、誰もが予見できる危険を認識し、充分な予防策を採っていなかったことが問題なのです。」
ガーディアンの所在に対し、ボナー弁護士がこう答えました。
その上でボナー弁護士は、訴訟を起こした海軍の兵士と海兵隊員は、発症した様々な疾病が放射線被ばくによるものであることを証明する必要があると語りました。
一方東京電力側の弁護士は、この件についてコメントすることを拒否しました。

〈後篇に続く〉

http://www.theguardian.com/environment/2014/aug/20/us-navy-sailors-legal-challenge-fukushima-radiation-tepco
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福島第一原発の事故が発生したことにより、国内全体で負担しなければならない総費用について政府が5兆円強と試算しているのに対し、その総額は11兆円を超えるという試算が行われた旨、8月26日の朝刊各紙が伝えていました。
試算を行ったのは立命館大学の大島教授と大阪市立大学の除本教授で、その負担は税金と電気料金の形で国民が負担することになると報じています。
日本の人口を1億人とすると、単純計算で国民一人当たり11万円、4人家族なら1世帯当たり44万円の負担になります。

今後今回ご紹介した記事のような訴訟がアメリカをはじめ各国で続くようなことになれば、その総額はさらに膨らむことになるでしょう。

それでも尚『ゲンパツは安価で安全な発電手段』なのだから国家の重要なベースロード電源とすべきである、などというプロパガンダを強引に展開するつもりなのでしょうか?

尚、ここで取り上げられている『トモダチ』作戦については、2013年4月にロジャー・ウォザースプーン氏のルポルタージュを全4部16回に分けてご紹介しました。
興味のある方は下記をご参照ください。
第1部第1回( http://kobajun.biz/?p=9738 )
第2部第1回( http://kobajun.biz/?p=9915 )
第3部第1回( http://kobajun.biz/?p=10041 )
第4部第1回( http://kobajun.biz/?p=10211 )

【 ヒロシマ、その心の傷の大きさ、そしてその深さ 】《第4回・ 完 》

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所要時間 約 10分

本人に留まらず、おさない家族にまで心的障害を伝えてしまった原爆の後遺症
ヒロシマ、ホロコースト、ベトナム戦争、クロアチア紛争…人間と人生を破壊し続けた戦争と核兵器
被害者であるにもかかわらず、被爆体験の重さ大きさ、そして事実を恥じる気持ちから口を閉ざした被爆者
戦争そして核兵器の使用が、人間が人間らしく生きるという事を徹底的に破壊した

サラ・スティルマン / ニューヨーカー 2014年8月12日

広島原爆ドーム02
6歳の時に広島市の平和祈念資料館を訪れたケニ・サバスは、頻繁に涙を流して泣くようになりました。
そして子供ながらに不眠症になってしまったのです。
空を飛行機が飛んでいるのを見る度、パニックに陥るようにもなりました。まるで富子さんの反応と同じように。
「母は結局、私を祈祷師のもとに連れて行く羽目になりました。」

「みんな私が広島でゴースト、幽霊か死霊に取りつかれてしまったと考えたようです。」
長い間、夏になると幽霊はサバスに取りつくようになりました。
彼女はものに怯えやすく、わずかな事にも敏感に反応し、そしてその目は虚ろでした。

近年になって精神医学分野の研究が進むことにより、富子さんとケニ・サバスが体験したことは『精神的外傷の世代間伝播』と解釈されるようになり、家族間あるいは同じコミュニティ内で悲惨な体験に起因する精神症状などが受け継がれていくことに関する学問的体系も成立しつつあります。

広範囲にわたる研究も行なわれるようになり、その端緒となったのはホロコーストを体験した人々の子供たちの「二次精神的外傷」の診断でした。
さらにはベトナム戦争の従軍兵士の妻、そして非公式ではありますがイラク戦争とアフガニスタン侵攻に従軍したことによりPTSD(心的外傷症候群)に襲われた兵士の家族に対する調査研究も数多く行われています。

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2007年にクロアチア紛争の56人の心的外傷症候群に襲われた戦争退役軍人の妻に関する調査では、その3分の1が「二次精神的外傷」と診断されるべきストレスを抱え込んでしまっていることが明らかになりました。
中には実際に戦闘に参加して兵士と同じ心的外傷症候群の症状を呈している家族もいたのです。
その症状は繰り返し見る悪夢、無気力無関心、易怒性、慢性疲労感、自らの人格の崩壊に対する失望感、喪失感などです。

直近では臨床心理士ロバート・モッタがイラク戦争とアフガニスタン戦争の退役軍人の家族を襲った精神的外傷に関する記事のため取材を行っているニューヨーカー誌のマック・マクレランドに、こう語りました。

「精神的外傷は、本当は個人にだけに発生する症状ではないのです。」
「精神的外傷は、いわば接触伝染病です。それは外傷を与えられた人親しい関係にある人間なら、誰にでも影響を及ぼし得るのです。」

しかし精神的外傷の伝播についてそれを伝染性のものとしてとらえることは、全体増の把握には不適切であるか、場合によっては誤解を生じさせるもとにもなります。

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ひとつには 『伝染』という単語を使うことにより、恥辱、不名誉などの概念は本来細菌やウイルスへの感染とは無関係であるにもかかわらず、何か特効薬を準備しなければならないような事態を人々に連想させ、挙句は的外れな批難まで引き出してしまう可能性があるためです。

そして、不名誉は心の奥深くしまいこまれることになります。

まだ小さかった時分、ケニ・サバスが飛んでいる飛行機を恐怖の対象としてとらえ始めたとき、彼女はこんなことを思いました。
「どうしたらあの飛行機に乗っている人に、私は(日本人では無く)アメリカ人なのだという事を知らせることが出来るだろうか?」

彼女は日本に行く時、白人の海軍士官である父が同行してくれれば、飛んでいる飛行機にサバスがアメリカ人であり、祖国に対する忠誠心をしっかりと持っていることを伝えてくれるかもしれない、そんなことを考えていました。
被爆者の混血の孫である彼女が二度と傷つけられないようにするためには、白人海軍士官の父親の存在が不可欠であるように彼女には感じられたのです。

やがてハイスクールに進学すると、ケニ・サバスはディベート・コンテストの優勝者となりました。
テーマは核兵器の拡散防止です。

fallout
そしてイエール大学(ハーヴァードと並ぶアメリカ東部の名門大学)に進学、グローバル・ゼロ(国際的核軍縮グループ - http://www.globalzero.org/ )の学生リーダーとしてホワイトハウスを訪問することになりました。
この機会に彼女は最近個人としてのエッセイ、おばあちゃんの『生き地獄の光景』を完成させました。
「どうか私の祖母のメッセージを忘れないでください。そしてメッセージを享けて行動することを。」

* * *
1950代後半、日本政府は原爆被害者に一定条件の下で医療保障を行うため、被爆者手帳の配布を開始しました。
富子さんは海外在住者として初めての被爆者手帳の取得者となるべく、日本に渡ることにしました。
彼女は一連の手続きを済ませた後で、被爆後初めて他の被爆者たちと一緒に日本国内の温泉で共に心身を癒す機会を得ました。
富子さんが被ばくによる精神症状の寛解の兆候を初めて見せ、そして長い間心の中にわだかまっていた被爆体験、そして彼女を最も苦しめた被爆後の症状について、初めて他の人びとと思いを共有しようとする様子を見せたのがこの場においてでした。

昨年の秋、富子さんはイエール大学の孫娘の学友たちに、被爆者としての彼女の体験を語り伝えるためにボストンへと旅立ちました。
「私は自分の中に残る勇気を振り絞り、被爆体験についてあらゆる思いを伝えたいと思っています。」

ハーシーの「ヒロシマ」の最終章には、著者がインタビューを試みた被爆者の多くが口を閉ざしたままか、あるいは原子爆弾の倫理的妥当性についてすら感想を言おうとしない被爆者の姿が描かれていました。
その代りに彼ら他皆一様に次の言葉を口にしたのです。
「仕方がない…とにかく仕方が無かった…」

広島原爆ドーム
しかし88歳になった今、富子さんは口を閉ざしたまま肩をすくめるだけの態度を捨て去ったように見受けられます。
かたしの取材が富子さんが暮らす家のダイニングキッチンで終了した時、娘のみのりさんがたくさんのペストリーと果物をお土産として持たせてくれました。

みんなでロビーに出て、わたしがこの家を辞する時がやってきました。
話を終えた富子さんの頬は、幾分紅潮しているように見えました。
富子さんの家族が全員で戸口に立ち、車で走り去る私を手を振って見送ってくれました。

突然ハンドルをにぎるわたしの脳裏に、19歳の富子さんが広島市内の職場に向けて颯爽と歩く姿が鮮やかに映し出されました。
そこでは19歳の乙女が、8月の空をまっすぐに見上げていました。

〈 完 〉

http://www.newyorker.com/news/news-desk/hiroshima-inheritance-trauma
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この記事の最後の3行に、原爆という核兵器がどれ程残酷非道なものであるかが見事に表現されていると思います。
一部の人間が勝手に始めた戦争、そしてごく一部の人間が決めた核兵器の使用、それによってとんでもない苦難を背負わされることになった19歳の女性の人生。
トルーマン・カポーティなどに世に出る機会を与えた、ニューヨーカーならではのルポルタージュと言えるかもしれません。

これまで広島や長崎の原爆に関する記事やルポルタージュなどを何本かご紹介してきましたが、その都度気になったのが被爆者の方々が自らを恥じなければならなくなった、
かつてご紹介したアメリカCBSニュースの記事では、投下直後から当時のトルーマン政権が原爆を正当化するキャンペーンが大々的に開始されたという記事がありました。
とすれば被爆者の方々は被爆体験、後遺症、そして原爆を正当化するプロパガンダの3重苦を強いられ続けたことになります。

その状況、現在のフクシマに共通しているのではないでしょうか?
現在も政府系のY新聞、S新聞、Nテレビ、Fテレビ、そこに大手広告代理店などが加わり、フクシマの被災者や脱原発に取り組む人々を貶めようとする『キャンペーン』が行われている…
そう感じるのは、私の錯覚でしょうか?

明日27日は掲載をお休みいたします。
よろしくお願いいたします。

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今回の記事は昨年4月に翻訳してご紹介した『実録『トモダチ』作戦(4部全16回)と内容が重複している部分があります。
実録『トモダチ』作戦は【星の金貨】の連載の中で最も原稿量の多いものでした。
この記事をお読みいただいて、さらに詳しい状況に興味を持たれた方は、下記のルポルタージュもご参照ください。
第1部第1回( http://kobajun.biz/?p=9738 )
第2部第1回( http://kobajun.biz/?p=9915 )
第3部第1回( http://kobajun.biz/?p=10041 )
第4部第1回( http://kobajun.biz/?p=10211 )

【 ヒロシマ、その心の傷の大きさ、そしてその深さ 】《第3回》

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所要時間 約 8分

相次いで襲う原爆の後遺症としか思えない、様々な症状に苦しめられる日々
その後の人生を最もひどく蝕んだものは、当時は放射線によるものだとは考えも及ばなかった心因性の症候群
原爆の後遺症に苦しむ日々は、原爆を投下されたその時よりもひどいものになった

サラ・スティルマン / ニューヨーカー 2014年8月12日

広島平和記念資料館内
被爆者となってしまってから数十年間、富子さんは相次いで襲う原爆の後遺症としか思えない様々な症状に苦しめられることになったのです。
最初に症状が現れたのは、目、そして耳、正常な機能が失われて行きました。
そして内蔵は常に冷え切っているように感じていました。
歯が抜け始め、40代には総入れ歯になっていました。

しかし彼女を最もひどく蝕んだものは、当時は放射線によるものだとは考えも及ばなかった心因性の症候群でした。
その心に受けた傷の一例として、富子さんがこんな話をしてくれました。
「30年あるいは40年間、私は雷鳴と稲妻がとても怖くて仕方がありませんでした。」
「雷が鳴って稲妻が光ると、私は完全にパニックに陥ってしまい、自分を抑えることが出来なくなってしまうのです。」

そして4人の娘たちを育てるときにも、彼女は普通の母親とは異なる大変な思いをしなければなりませんでした。
「子供たちは私を理解できませんでした。私はまるで無力でした。」
これは子供たちがまだ幼い時分、富子さんが原爆で受けた心の傷が原因でほとんど毎日のようにパニックに襲われた当時を思い出し、語った言葉です。

広島資料館
夜、夢にうなされながら富子さんは叫んでいました。
「地球がこわれる、地球が落ちていく!」

「当時は何が原因でそうなってしまうのか、全く分かりませんでした。」
「口ではうまく説明できませんでした。口を開こうとすると、恐怖のために気を失ってしまうのです。」
隣に座ったみのりさんが相づちを打ちながら、富子さんの肩を優しくなでていました。

「朝になって寝室に入っていくと、激高している母の姿がありました。怒りにまかせ何かものを投げつけていたのを覚えています。」
「私たちが幼い時、母が笑う声を聞いたことがありませんでした。
母はいつも物静かで、そして弱々しい感じがしていました。」

当時を振り返ってみると、富子さん自身もその子供たちも、こうした症状や振る舞いの原因が原爆にあるのではないかと公然と口にすることはありませんでした。
特筆すべきことは、富子さんが自分が苦しんでいる症状と被爆体験とが容易には結びつかなかったことだと語りました。

広島04
富子さんは心的外傷後ストレス障害、砲弾ショック(戦争神経症)、あるいは古典的な神経障害症状(悪夢、フラッシュバック、極度の不眠症)についてはほとんど知識を持っていませんでした。
彼女は長い間こうした精神症状と自分の経験とは別のものだと考えていました。
「私がこうしたきちがいじみた行動をとるのは、毎年の事でした。でも家族はそんな私に優しく接してくれ、いたわってくれました。それでも私のこうした行動が止むことはありませんでした。その瞬間は、自分で自分をコントロールできなくなってしまうのです。」

富子さんの主張によれば、彼女がなぜこうした行動をとるのか、そして次々と深刻な病気に見舞われるのか、ほんの数年前までまったく説明不能でした。
しかし自分でも気がつかないうちに、彼女の中では少しずつ19歳の年に体験させられた事件と結びつき始めていたようです。
「結婚生活に入った後、そうした行動をとる私に対し、家族がどなりつけることがありました。叩かれたこともありましたが、そんな程度では私を止めることはできませんでした。なぜなのかはわかりませんでした。しかし心の奥底であの日の出来事との関連が結びつき始めていました。きっとそうに違いない…原子爆弾、すべては原爆と関わりがあるのではないか…。」
「原爆の後遺症に苦しむ日々は、原爆を投下されたその時よりもひどいものになってしまいました。」

* * *
平和祈念資料館02
富子さんの孫娘のケニ・サバスはハワイ、そしてテキサス育ちです。
父はニュージャージー州に生まれ、海軍の犯罪捜査部の幹部でした。母親は台湾生まれのおしゃれ好きな外国語講師でした。
ケニは富子さんがオハイオ州で暮らすみのりさん(ケニの叔母にあたります)のもとに行く前、姉のジーナとともにおばあちゃんである富子さんと数年間一緒に暮らしたことがあります。

夏になると、家族は日本へ旅行に行くことがあります。

「おばあちゃんが容易ならない経験をしたことがあるのではないかと初めて気がついたのは、私が6歳の時の事でした。」
私が初めてオハイオで暮らす富子さんのもとを訪問した後日、ケニ・サバスは私にこう語りました。
「母と私はおばあちゃんと一緒に広島市の平和祈念公園に行きました。河畔を歩きながら母がおばあちゃんの話を翻訳してくれました。
『この川の水は人々が流す血で真っ赤に染まっていたわ。火傷した人が次々に川に飛び込んでいたけれど、その人たちの体から皮膚がぼろぼろ剥がれ落ちていたの。』」

平和祈念資料館01
「私たち家族は続いて市内の平和記念資料館を訪れましたが、そこには等身大のろう人形が展示されていました。その中に焼け焦げたボロ彫り衣服をまとい、皮膚が溶け落ちている姿で、爆心地から逃げ出そうとしている子供たちの人形がありました。」
「その子供たちは、まさに私と同年代にしか見えませんでした。」
ケニ・サバスがこう語りました。
「地獄のようなそのあり様に現在の広島市を重ね合わせることは非常に困難でした。私には理解不能の世界がそこにありました。」
「この人々を襲ったものの正体はいったい何なの?」

〈 第4回に続く 〉

http://www.newyorker.com/news/news-desk/hiroshima-inheritance-trauma
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前回の第2回掲載では公開時刻の設定を誤ってしまい、ご迷惑をおかけいたしました。
お詫び申し上げます。

被爆者の方の苦しみというものが想像を絶したものである事を、この記事を翻訳していて改めて実感しました。
原爆投下から70年近く経ち、隣国の台頭を口実に
「日本も核兵器を装備すべきである」
と声高に叫ぶ政治家がいます。

私個人の考えですが、外交的脅威の発生に対しまず最初に軍備強化を考える政治は、全くの『無能』を証明するものです。
複雑高等な戦略など考える頭がないから、とりあえず武器を振り回す事ばかりを考える。
それが核兵器となれば、もはや『論外』というべきです。

イギリスもフランスも核兵器保有国ですが、これらの国が核兵器を保有する事によりどのような『利益を享受』しているか、説明出来る方はいらっしゃいますか?

【 ヒロシマ、その心の傷の大きさ、そしてその深さ 】《第2回》

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所要時間 約 7分

全身が真っ黒に焼け焦げ、体のあちこちから血を流しながら歩みよって来た人々
原爆犠牲者のあまりに無残な姿、70年近くを経た今でも「私はあの人たちに会うのがこわい…」
被爆後の広島 - 何万というハエが至る所に放置された死体に群がり飛ぶ、文字通りの暗黒世界

サラ・スティルマン / ニューヨーカー 2014年8月12日

原爆
「放射線!熱線!そして爆風!」
富子さんは1945年8月6日の彼女の記憶について、こう切り出しました。
この時彼女は言葉を一語一語切るように、そして激しい身振り手振りを加えながら話しました。
紙に白いものが混じった小柄な女性は顔面を紅潮させ、爆発による破片が今まさに飛んでくる様子を描写するために、指をすぼめた小さな手で何度も自分の頭を叩きつづけました。
そしてある場面ではズッキーニの皮がむけるように、火傷によって剥がれ落ちてくる皮膚をむしり取って投げ捨てる様子を再現するために、部屋の中をいったり来たりしました。

しばらくすると彼女は椅子に腰かけたまま目を閉じ、何も言わなくなりました。
そして突然こう口にしたのです。

「私はあの人たちに会うのがこわい…」

彼女は過去形では無く、現在形でこう語りました。
19歳のあの時に戻っていたのです。
それと同時に88歳の今も、その気持ちに変わりはないのかもしれません。

「何かわからないものが爆発しました。そして私はそれを目撃させられました。」

広島05
それは朝8時15分に起きました。
人びとがこれから働き始めようとしていた時間帯です。
爆弾が投下された直後、彼女は勤務先のタバコ工場でしばらくの間意識を失っていました。
「意識を取り戻した私は、階段を一気に駆け下りて防空壕に飛び込もうとしました。」
「辺り一面煙で何も見えませんでした。市内全域に煙が充満していたのです。」
「全身が真っ黒に焼け焦げ、体のあちこちから血を流しながら橋をこちら側に渡って来る人々を目撃しました。
市内全域が炎に包まれていました。
そして夜になって、黒い雨が降ったのです。」

何とか気持ちを奮い立たせ、彼女は同僚と一緒にいくつもの橋を渡り、海の方に向かって歩き始めました。

彼女は広島市の西の外れで電車に乗ることが出来ました。そして姉妹を探しましたが、結局は出会う事も出来ませんでした。
途中、爆風で軌道から外れたトロリー式の市電の車両を見かけましたが、中は焼け焦げた死体でいっぱいになっていました。

広島12
一夜を過ごした後、富子さんは探し求める妹からの伝言が無いかどうか確認するために自宅に戻りました。
そこで彼女は「学校に避難しています。」というメッセージを見つけました。
その後姉と妹の2人はその後の数日間、避難所と化した学校にとどまることになりました。
その場所、そしてその時間はまさにディトスピア(ユートピアの反対。暗黒世界。)でした

「何万というハエが、至る所にある死体に群がって飛んでいました。」
彼女が記憶の糸を手繰り寄せました。
「いつしか私たちの挨拶は、『だいじょうぶ?下痢してない?』というものに変わっていました。」

原爆で死んでしまった人々以上の苦難を、生き残った人々は耐えなければなりませんでした。
そしてそれは日ごとに苛烈さを増していったのです。
富子さんを含めた何割かの人々は、間もなく悲惨な原爆後遺症が幽霊のように自分の身に取りついてしまったことに気づかされることになりました。

その症状に決まったパターンは無く、症状が現れるタイミングもバラバラで、当の本人がその症状を明確に把握するこが不可能であり、まして傍で見ている人にとってはまったく理解不能なものだったのです。

* * *
広島03
私は無知なため、アメリカ国内で言えばパープルハート勲章を与えられた負傷兵士程ではなくとも、原爆の生存者である被爆者は、日本国内においてある種のいたわり、あるいは敬意を向けられる存在であると考えていました。

そうした私の誤りを訂正するのに、富子さんの家族は時間を無駄にはしませんでした。
彼らは私にこう説明しました。
「被爆者になるという事は、敬意の対象では無く、差別の対象になるという事なのです。ですから自分が被爆者であるという事は、隠せるものなら隠し通したい事実なのです。」

孫の代になっても、祖父母が被爆者であるという事を恋人や配偶者に知られてしまう事を恐れなければなりませんでした。
被爆者の孫である以上、体内の遺伝子に損傷があるはずだと判断されるのを何より恐れなければならなかったのです。

結局、富子さんの家族は彼女のために台湾で高位の警察官との見合い結婚を進めることになりました。
富子さんの20代前半の時期、家族は台湾に移住していました。
結婚話が進む中、家族は自分たちが被爆者であることを隠し通すことにし、富子さんにも妹にもその事実に一切触れないように言ったのです。

広島02
「結婚式の場で、花束を持つ私の手は震えていました。」
富子さんがこう振り返りました。
結婚した後、富子さんが被爆者であるという事実を知ると、夫はかつて見せたことが無い程怒り、激高しました。
離婚はしませんでしたが、富子さんの夫は生涯『自分は騙された』という感情を捨てることはできませんでした。
みのりさんがこう説明してくれました。

〈 第3回に続く 〉

http://www.newyorker.com/news/news-desk/hiroshima-inheritance-trauma
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この第2回は、翻訳している途中で大きなため息を何度もつかなければなりませんでした。
被爆者の方々の体験について、私はあまりにも無知であったからです。

私が昭和40年代に通った高校はいわゆる進学校というもので、高1で地理、高2で世界史、高3で日本史をかなり詳しく勉強させられましたが、被爆者の方々については何の勉強もしませんでした。
一方、7世紀だか8世紀だかの白鳳文化だの天平文化だのについてはやたらと時間をかけて教えられました。
21世紀を生きることになったこの身を思う時、「どっちが大切だ!」と叫びたい心境です。
私は世界唯一の被爆国に生まれていながら今日まで結局、ヒロシマに込められたメッセージを生かすどのような機会も作りだすことが出来なかったのですから…

【 ヒロシマ、その心の傷の大きさ、そしてその深さ 】《第1回》NYK

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所要時間 約 8分

核兵器使用による『心の傷』は、心の中だけに留まるものではない
何年も、何十年も、そして世紀を超えてもなお苦しまなければならない原爆の犠牲者
原爆、核兵器…それを持とう使おうとする意志や行為は、心を持った人間のすることではない

サラ・スティルマン / ニューヨーカー 2014年8月12日

広島14
69年前の8月6日、庄司富子さんという名の背の高いすらりとした女性が、まばゆいばかりの白い閃光に包まれ体ごと空中に放り上げられました。
閃光が襲った時、彼女はちょうど勤務先であるタバコ工場に到着し、秘書室のドアの前に立ったところでした。
白い閃光を発した物体にはリトルボーイというあだ名が付けられていましたが、その瞬間そんなことは彼女にとって全く無意味な事でした。

彼女は恐ろしい力で事務所の扉の後方に飛ばされ、気を失いました。
気がついた時、彼女の頭部には割れたガラス片が突き刺さり、周囲には人間の体が散乱していました。
そのうちのいくつかはすでに死体になっており、生き残った者も何が起きたのか解らないまま皆呆然としていました。
しかし彼女がもっと衝撃を受けなければならないものは別にあったのです。
間もなく彼女は近くの川の上に浮かぶ『炭のかたまりになったような』人間の死体をいくつも目の当たりにすることになったのです。

こうして19才の女性は好むと好まざるとに関わらず、それまで自分がいた世界から抜けださなければならなくなりました。
そして彼女はがれきの中から起き上がりました。
彼女は広島に投下された原爆の生存者になったのです。

広島07
それから70年近い歳月が経ちました。
富子さんの最年少の孫娘、ケニ・サバスの中に疑問がわき上がりました。
「原爆地投下後に起きた様々の出来事は、おばあちゃん、つまり祖母の精神的回復に影響しただけでなく、自分自身の文化的、歴史的認識の在り方に影響を与えたのではないだろうか?」

近年、世界的流行が現実に起きてもまだその実態の解明が最も遅れているものは、H1N1のような従来のインフルエンザ・ウィルスや各種の出血熱などではなく、もっと別のものだという仮説が注目を集めるようになりました。

この仮説は戦場における心的外傷が、本人や家族のありとあらゆる側面に影響を及ぼすというものです。
それが現実にいろいろなものを変えてしまう現象は何年にもわたり、あるいは数十年、さらには世紀を超えて続くことになるのです。

サバスが6歳の時に一家は広島を訪れたことがありましたが、その後家族を見舞った圧倒的な影響を見て、彼女自身が原爆と家族との関わりについて本格的に考え始めたのはハイスクール時代という早い時期でした。

私が現在はオハイオ州ヒリアードで彼女の叔母のもとで暮らしているおばあちゃん、すなわち富子さんを訪問できるように段取りをしてくれたのはサバスでした。
その場所で富子さんは原爆投下のその瞬間から、その後に家族を襲った様々な影響について詳細な証言をしてくれることに同意してくれたのでした。

* * *
ヒロシマ
ヒリアードを訪れる際、私はジョン・ハーシーの著作『ヒロシマ』を一冊持って行きました。
私が持っていたのは1989年版で、カバーにつけられた帯には『字を読める者すべてがこの本を読むべきである』と書かれていましたが、私もまったく同感でした。

この文章の完成版は広島に原爆が投下されたちょうど1年後、8月31日号の雑誌『ニューヨーカー』に掲載される形で世に出ました。
原爆に遭った6人のその後の運命を綴ったものです。
掲載からすでに60年以上が経った現在においても、ハーシーが記録した原爆投下後の惨状のむごたらしさは、核兵器が使用されることの恐ろしさについて時代を超えて訴えています。

そして若い秘書であった富子さんは、自分が崩れ落ちた無数の本に埋められていることに気がつきました。
そしてメソジスト派のひとりの牧師は生存者の救出にあたるため、危険を冒して広島市内に入ってきましたが、彼が目撃したのは眉が焦げて無くなってしまった女性、着ていた花柄の着物が燃えて皮膚に食い込んでしまっている女性などでした。

私が小道の突き当りにある富子さんが暮らす家に入っていくと、彼女は両手で私の手を包み込み、歓迎の意を表現するために冷たい額を私の額に押しつけました。

広島06
富子さんの長女のみのりさんが、家の中で吐くスリッパを出してくれました。
居合わせたうちの3人がキッチンに入っていくと、新鮮なベリー類とクッキーが用意されていました。
私たちはハーシーの『ヒロシマ』の主要な登場人物である谷本清牧師に関連する写真の分類の手を休めることにしました。
谷本牧師もまた富子さん同様、原爆投下の瞬間に広島市の中心部にいました。

富子さんは被爆後間もなく、広島市内の青空市場で説教を行っていた谷本牧師に初めて出会いました。
谷本牧師は富子さんに同師の教会について記した紙を渡し、間もなく彼女はクリスチャンに改宗したのです。
- 後に谷本牧師は富子さんの孫の功(いさお)氏にも洗礼を施しました。功氏はその日一日、私の通訳をつとめてくれました。
富子さんが日本語で語ってくれた最初の話は、谷本牧師に関するものでした。
「谷本牧師は私にこう言いました。『富子さん、世界中の人々に私たちの被爆体験について、ともに語り広めるべきだとは思いませんか?』」
谷本牧師自身はこの考えに基づき、戦後の人生を一変させることになりました。
原爆投下40周年を迎えた年、ハーシーは「ヒロシマ」の続編をニューヨーカー誌上に掲載しました。
この記事は平和を訴えるためにアメリカ全国行脚を行った谷本牧師の、その足跡について記述しています。
しかしこの時は富子さんはすべてについて語るだけの、心の準備はまだ出来ていませんでした。

広島17
そして今年の7月、広島に原爆を投下したB29戦略爆撃機『エノラ・ゲイ』の乗組員の生存者がジョージア州ストーンマウンテンで亡くなりましたが、彼は生前のインタビューに応え、多くの事を語り残していました。
これに対し88歳になった富子さんは、原爆投下された側からの証言を世界に向け公表する決心をしていたのです。

富子さんの心には燃え上がる何かがありました。
そして証言を記録する作業が始まったのです。

〈 第2回に続く 〉

http://www.newyorker.com/news/news-desk/hiroshima-inheritance-trauma
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本日から3~4回に分け、ニューヨーカーに掲載された『Hiroshima and the Inheritance of Trauma』の翻訳をご紹介します。
ニューヨーカーの場合は報道記事よりも文学的表現傾向が強く、翻訳が少々手間取っておりますが、解りやすい訳を心掛けたいと思います。

【 原発事故、その後の本当の災厄、そこに閉じ込められてしまった人々 】《後編》

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所要時間 約 9分

除染作業に従事した人間であることを証明するためには、死んで見せなければならないのか?
多くとも少なくとも死者の数とは別に、原発事故が人間社会にもたらす本当の悲劇が存在する
原発事故後に訪れる本当の悲劇を、世界は未だその目で確かめてはいない

記事 : トム・デイヴィス
写真 : アレクセイ・ファーマン
インデペンダント 2014年4月27日

Chernobyl01
「食べるためには盗むしかありません。盗む能力が無ければ、四六時中腹を空かせていなければなりません。」
定期的に危険を冒して立ち入り禁止区域に入り込んでいる一人の男性がこう語りました。

28年前チェルノブイリの事故発生後間もなく数万人の人々が強制的に移住を求められ、以来無住の地となった立ち入り禁止区域に残された各種の金属片や機械器具などは、周辺で苦しい生活を続ける被災者の闇の生命線になってしまいました。

結局、この地で悲劇に見舞われた人々は2度以上の放射線被ばくをすることになってしまいました。
一度はチェルノブイリが事故を起こした際の目に見えない放射線の脅威、もう一度はもはやなりふり構ってはいられない生活上の要求から。

チェルノブイリの事故発生当時原子炉のメルトダウンによって放出された放射性物質を、危険を冒して環境中から取り除く作業に従事した人々の場合はどうでしょうか?
彼らもまた本来受け取るべき補償を手にするために、一方ならぬ苦労を強いられています。

Chernobyl06
「私は事故当時除染作業に従事した人間であることを証明するためには、死んで見せなければならないのでしょうか?」
ハリコフからやって来た一人の女性がこう語りました。
彼女はチェルノブイリの事故後の除染作業の際の被ばくにより発症した病気の治療薬の購入を続けるため、どうしても補償を受けなければなりません。
彼らが被った身体的な障害、そして心因性の各種の症状こそは、彼らが従事させられた作業が放射線に対し適切な防御対策が採られていなかったことを証拠立てるものと考えられます。

チェルノブイリの事故による死者の数はIAEAが主張する4,000人という数から100万人近いとする説まで、諸説入り乱れています。
しかし死者の数が何人であっても、原発事故が人間社会にもたらす本当の悲劇を表現することはできません。

台無しにされてしまった人生、崩壊・消滅してしまった地域社会、そして見えないストレスが引き起こす障害と悲劇。

「ここは巨大な墓地というべきです。」
350,000人が強制的に避難させられた場所の方を指さし、ヴィクトールがこう言い放ちました。
「あの場所には目に見えない無数の墓標が立ち並び、まるで巨大な都市のような景観を成しています。」

Chernobyl15
強制的に移住をさせられた人々の中から、ストレスによる死亡者が続出したという事実を、世界中の様々な分野の人々が確信しています。

幼少期を過ごした故郷の家から800キロ以上離れた場所で暮らす一人の原発難民の女性が私にこう語りました。
「私たちはそれまで生きていた林から、根こそぎ引き抜かれてしまった木のようなものです。新しい場所に植え替えられても、無事に育つ可能性は極めて少ないのです。」

ここ数ヵ月の間に、ウクライナの各都市からレーニン像が撤去されるのを何度も目撃しました。
しかし、ソビエト連邦のゲンパツ事故の遺産を消してしまうのは容易な事ではありません。
その遺産はIMFから厳しい財政削減を求められているウクライナ政府の予算を、毎年5%ずつ食いつぶしていきます。

結局、放射性物質は国境すら変わりかねないウクライナの国土の中に沈殿したままにならざるを得ないようです。

もはや世界中の人々が振り向きもしなくなった状況の中で、ヴィクトールやマーシャのように原発難民にさせられてしまった人々は、なおもゲンパツ事故がもたらした災厄を背負ったまま生き続けなければなりません。

Chernobyl07
ジャガイモに貼り付いたままの小さな虫のように、汚染されてしまった土地にしがみつく他の選択肢などもう残されてはいないのです。

※トム・デイヴィスはバーミンガム大学の地理学、地球、環境科学学部の尋問地理学者です。
彼はこの4年間CEELBAS基金による博士論文を完成させるためチェルノブイリ事故によって汚染されたウクライナ各地を訪れ、そこに生きる人々への取材を続けてきました。
ツイッターのアカウントは@ThomDaviesです。
アレクセイ・ファーマンは、ヨーロッパ各地の抵抗運動の取材に長く取り組んできた報道写真家です。
ツイッターのアカウントは@alexeyfurmanです。

http://www.independent.co.uk/news/world/europe/ukraines-other-crisis-living-in-the-shadow-of-chernobyl--where-victims-receive-just-9p-a-month-and-are-left-to-fend-for-themselves-9293832.html
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明日20日(水)は掲載をお休み致します。
よろしくお願い致します。

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【 チェルノブイリ、災厄に閉じ込められてしまった人々 】《2》

写真 : アレクセイ・ファーマン
ザ・インデペンダント 4月28日
(掲載されている写真をクリックして大きな画像をご覧ください)

Chernobyl16
アレクサンドルは、長い間放射性物質に汚染された避難区域の事故収束作業員、そして運転手として働きました。
彼は生まれ育った土地を離れられないのだと語り、こう続けました。
「ソビエト連邦は消滅し、目の前からいなくなりましたが、チェルノブイリという負の遺産を残していきました。チェルノブイリがもたらしたものこそ、私たちの現実であり、避けて通れないものであり、日々そのために私たちは何かする事を強いられているのです。」
こう語ったアレクサンドルは2013年、この世を去りました。(写真上)

事故現場近くのスターリサコリ村の自分の農地に立つ男性。背後の林の向こうが立ち入り禁止区域。(写真下・以下同じ)
Chernobyl17
立ち入り禁止区域の西側で、停留所でバスを待つ2人の母親。
この地で生きるためには数少ない仕事、貧弱な設備投資、そして極めて少ない補償金と言う悪条件をすべて受け入れなければなりません。
ウクライナでは国民の4人に1人が貧困層に分類されますが、IMFはさらなる最終削減を迫っており、チェルノブイリ周辺の人々は増々追いつめられています。
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チェルノブイリ近くの小さな農園に立つ高齢の女性。
事故の後、政府などは汚染されていない食物を口にするようすすめていますが、そのための補助金は極めて少額でしかありません。
土地の汚染が懸念されますが、この地の人々はどうしても住み慣れた土地を離れようとはしません。
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立ち入り禁止区域から5キロメートルの場所にあるオラネ村で、時間をつぶす子どもたち。
この辺りには若者のための、まともな就職口などはありません。
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チェルノブイリの補償問題に取り組む運動家、セルゲイ・ペトロヴイッチ・クラシルニコフ。
彼は1990年代前半から車いすでの生活を強いられていますが、原因は放射線障害によるものだと考えています。
しかし法律で定められているにも関わらず、政府等の補償はまともに支払われた事は無く、もはや自分たちは捨てられたも同然だと考えています。
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【 原発事故、その後の本当の災厄、そこに閉じ込められてしまった人々 】《前編》IND

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所要時間 約 12分

原発事故、その後にやってくる本当の悲劇を、世界は未だその目で確かめてはいない
「汚染されていない食糧を買うための助成金」一カ月たった150円
世界最悪の原発事故から28年、世界中から忘れ去れてしまった被災者たちを襲ったいくつもの苦難

記事 : トム・デイヴィス
写真 : アレクセイ・ファーマン
インデペンダント 2014年4月27日

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ウクライナ国旗の黄色と青が表現するのは、想像上の景色です。
ウクライナの田園地帯で地平線まで続く実り豊かな麦畑、そして青い空を象徴しています。
そして国境の向こうにチェルノブイリがある北の方に目を転じても、見た目には同じように豊かな田園地帯が広がり、人々はそこに本当に存在するものに容易には気づくことがありません。

しかし遥か彼方まで広がる黄色い平原は、人の手によって耕されたものではないのです。
そして地平線と空がつながる場所にある緑の針葉樹の林と打ち捨てられた境界標識パイロンが、人々を田園詩の世界から現実に引き戻すのです。
この針葉樹の林の向こうにあるのは放射性物質に汚染された避難区域なのです。

「私たちはジャガイモにしがみついている小さな虫と同じです。」
鋭い金属製のとげが無数に突きだす有刺鉄線で囲われたチェルノブイリの原発事故避難区域を間近に望む場所にある畑の前で、ヴィクトールがこう語りました。
「この小さな虫たちは何ものをも恐れることも無く、私たち人間の事も恐れてはいません。ひねりつぶそうとしても、虫たちはしぶとく生き残ります。私たちも同じことです。」

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チェルノブイリの事故により汚染された地区で暮らす他の人々同様、彼も『汚染されていない食品を購入するための補償金』を毎月受け取っています。
その金額は月に9ペンス(約150円)です。
「たったこれだけの金額でどうしろというのでしょうか?」
「一斤のパンすら買うことはできません。」

ウクライナでは旧大統領の強権政治に対する市民の反発により、首都キエフなどで銃弾と火炎びん、警棒と鉄パイプの応酬による大きな混乱が起きましたが、別の場所でも静かな暴力がウクライナの市民の背後に忍び寄り、数千人あるいは数万人の命が危険にさらされようとしています。

2014年4月末、世界最悪の原発事故が発生してから28回目の記念日がやってきました。
停滞を続けるウクライナ経済は、その咽喉元をロシアの両手につかまれています。
こうした事情から、チェルノブイリの事故により放射性物質に汚染されたベラルーシ国境近くの横に細長く伸びた場所に取り残されたままの人びとへの補償金は減らされ続けてきました。

2014年初頭ロシアはウクライナに対し、天然ガスの輸出価格を80%値上げすると一方的な通告を行いました。

ウクライナに対する打撃は連れ立つようにしてやってきました。
クリミア半島の併合に関わる騒乱が激化する中、2010年のギリシャ危機の際に行われたように、西側社会はウクライナに対しIMFからの融資と引き換えに各方面・各部門に渡る厳しい財政削減政策の実施を突きつけたのです。

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キエフにあるウクライナの臨時政府は、共産主義の崩壊がもはや開府不能であることが解って以来、公共サービスや福祉事業費、そして各種の給付金を大幅に削減していますが、窮状は相変わらずです。
EU社会とロシアという対照的な性格を持つ二つの社会に挟まれて暮らすウクライナ人は、すでに4人に1人が貧困層に分類されていますが、そこにさらに全面的な財政緊縮政策とエネルギー価格の暴騰という圧力がかかっています。
それでもこうした厳しい経済状況がもたらす様々な災厄の影響をもろに受けるという点において、チェルノブイリの被害者より厳しい状況に置かれている人々はいないと思われます。

「これは戦闘の無い戦争なのです。」
立ち入り禁止区域から歩いて2、3分の場所で暮らすマーシャがこう語りました。
非常線を張り巡らせたウクライナの放射能汚染・立ち入り禁止区域は国の中央北部に位置し、
オックスフォードシャー(約2,600平方キロ)程の大きさがあります。

ヴィクトール同様、マーシャも補償に関しては実質的に何も受けとっていません。
州から支給される彼女の年金はかろうじて収支の帳尻があってはいるものの、ウクライナ政府が行う財政緊縮策の最初の段階で、その年金も削減されることになっています。

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「私たちはみんな、いくつもの病気を抱えています。」
マーシャがこう語りました。
「その上、不眠症にも悩まされています。」
しかし彼女もまた他の多くの人々同様、あらゆる手立てを尽くし生活を支えようとしています。

彼女は汚染されていることを承知の上で、自分たちが食べる「キュウリ、ジャガイモ、その他作れるものなら何でも」栽培しています。
そして違法であることを承知の上でチェルノブイリを取り囲むようにして設置されたフェンスに穴を開け、森の奥深くまで入り込み、キノコやベリー類を採取して食用にしています。
食べきれない分はピクルスにして、キエフまで出かけて路上販売しています。
しかしそれもいつまで続けられるか解りません。

彼女は時折立ち入り禁止区域内で警察に逮捕されることがありますが、彼らが本当に関心を持っているのは逮捕の実績ではなく賄賂を要求することです。
他には立ち入り禁止区域内からくず鉄を集め、それを売り払う事で生計を立てている人々もいます。
いずれにしても実質的に崩壊してしまった経済と政治不在の社会の中で生きていくのは容易なことではありません。

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「食べるためには盗むしかありません。盗む能力が無ければ、四六時中腹を空かせていなければなりません。」
定期的に危険を冒して立ち入り禁止区域に入り込んでいる一人の男性がこう語りました。

★記事中1枚目の写真 : チェルノブイリの事故後、収束作業にかり出され放射線への被ばくが原因で死亡した夫の遺影を抱いて涙を流す女性。
2枚目の写真 : 事故当時チェルノブイリ近くで暮らしていた女性。当時のことを思い出すと涙が止まらなくなる。
3枚目の写真 : 立ち入り禁止区域に入り込み、くず鉄を集める男性。
4枚目の写真 : チェルノブイリの避難区域内にある第二次世界大戦当時の戦勝記念碑。この場所は第二次世界大戦以降、多くの悲劇を目撃してきた。ナチス・ドイツの侵攻、ユダヤ人への迫害、そしてチェルノブイリ。第二次世界大戦に参戦した一人の老兵士がこう語った。
「少なくともナチスドイツの侵攻はこの目で確かめる事が出来た。しかしチェルノブイリの放射線の恐ろしい点は、目で確かめようが無い事だ。」
5枚目の写真 : 有刺鉄線の隙間から立ち入り禁止区域に入ろうとする女性。

〈後編に続く〉

http://www.independent.co.uk/news/world/europe/ukraines-other-crisis-living-in-the-shadow-of-chernobyl--where-victims-receive-just-9p-a-month-and-are-left-to-fend-for-themselves-9293832.html
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原発事故後の各種統計データを持ち出して
「恐れた程の被害が出た訳ではない」
と語る『有識者』や政治家に対し、
「原発事故の被害者の問題は統計上の問題では無く、人道上の問題だ」
と指摘した記事がありましたが、ここに記されているのはまさにそうした事実です。

私個人の話しで恐縮ですが、定年を数年後に控えた今、60歳以降を私は第7の人生と定義し、その計画を練っています。
第一は幼少期、第二は少年期、第三が青春期、第四が成人して結婚するまでの青年期、第五が結婚して子育てにいそしんだ時期、第六が子どもたちが成人し多少の余裕もできた現在、そして第七が引退から死へと向かう人生のラストです。

個人の思いに関係なく、その人生を途中でギロチンのように断ち割ってしまったのが原発事故でした。
自宅や家庭、故郷など本来なら人生設計の基盤となるものを、無慈悲に叩き割ってしまったのです。

そういう意味では原発事故も戦争も、その本質は全く同じです。
だから私自身、この二つを憎み抜いているのかもしれません。

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【 チェルノブイリ、災厄に閉じ込められてしまった人々 】《1》

写真 : アレクセイ・ファーマン
ザ・インデペンダント 4月28日
(掲載されている写真をクリックして大きな画像をご覧ください)

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鉄条網をくぐって、チェルノブイリ事故の汚染地帯、立ち入り禁止区域に入る男性と飼い犬。
ウクライナの人々は立ち入り禁止区域内でくず鉄などを拾い集め、日々の収入の足しにしています。
パトロール中の国境警備警察に発見されれば、逮捕されるか見逃す代わりに賄賂を要求されます。(写真上)

立ち入り禁止区域のすぐそばの自宅の中にいる女性。壁にはヤヌコービッチ元大統領と対立するポロシェンコ現大統領の写真が貼られています。(写真下・以下同じ)
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チェルノブイリ原発事故の記念日、ウクライナの首都キエフで国旗を手にする男性。
ある人がこう語りました。
「かつてウクライナ人とロシア国民は手を携えてチェルノブイリの事故に立ち向かいました。新たに起きた争いに終止を打ち、協力してチェルノブイリの被災者の救済にあたることは出来ないのでしょうか?」
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この辺りでは人々が換金できるものや自生する食糧を求めてチェルノブイリ事故の汚染地帯、立ち入り禁止区域内をさまよい歩く事は日常的な光景です。
収穫した食用のキノコや木の実は自家用の他、闇で販売されます。
それでも放射線の見えない恐怖は、自生するこれらの植物や菌類を人間の手から守る役割をしています。
Chernobyl14
悪名高いチェルノブイリの破壊された原子炉。
1986年人為ミスと欠陥のある原子炉設計の組合せはメルトダウン事故を引き起こし、多数の人々を危険と不幸のどん底へ突き落としました。
これ以上の放射能漏れを防ぐため、現在新たな石棺を作る工事が進められています。
Chernobyl15

【 核兵器を捨て去ることができない世界・消える事のない脅威と恐怖 : 広島の原爆記念日 】《後篇》

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所要時間 約 9分

軍事同盟の強化、そして軍備拡張、唯一の被爆国である日本は今、大きな誤りを犯そうとしている
核実験の後遺症に苦しむ人々 - より多くの安全を確保するため『少しばかりの人間たちが犠牲になったに過ぎない』

スヴェンドリニ・カクチ / IPSニュース 2014年8月7日

原爆ドーム2014
広島平和研究所のジェイコブ・ロバーツ教授が次のようにIPSに語りました。
「求められる事はひとつ、人間を殺戮する目的を持ち、人間に計り知れない苦しみをもたらす核兵器の廃絶です。この核兵器を所有している以上、核保有国は刑事犯罪者に等しいと言わなければなりません。」

彼は現在の反核運動は、核兵器保有国でありながら1968年の核拡散防止条約(NPT)の決議を守ろうとしない国々に対し、はっきりと狙いを定め集中的に抗議を行っていると語りました。

同教授は南太平洋マーシャル諸島の国々が制定している3月1日のメモリアルデーについて語りました。
キャッスル作戦と名づけられ、アメリカの軍産複合体が1954年3月1日に開始したマーシャル諸島のビキニ環礁、エニウェトク環礁の二つの環礁での一連の核実験の後、これらの国々は放射能汚染がもたらす悲惨な影響に苦しまなければなりませんでした。

一連の核実験による放射能汚染は広島に投下された原爆の1,000倍と見積もられ、数千人が放射線障害による様々な症状に苦しめられることになりました。
冷戦時代におけるソ連との核兵器開発競争という時代背景もあり、アメリカは結局1946~1962年の間に合計で67回もの核爆発実験を行いました。
国家の安全保障のため核兵器が必要であるとして、その削減に取り組む姿勢を見せない核兵器保有国9カ国に対し、マーシャル諸島共和国は今年4月ハーグにある国際司法裁判所、そしてアメリカ合衆国連邦裁判所に対しそれぞれ訴訟を起こしました。

水爆実験01
この訴訟は核拡散防止条約(NPT)の第6条『締約国による核軍縮交渉義務』の誠実な履行を求めています。
第6条は核兵器保有国、米国、英国、フランス、中国、ロシアの5カ国に対し
「できるだけ早い機会に核兵器開発競争に終止符を打ち、各国にある核兵器を減らしていくために実効性のある措置を採るよう、交渉を続行すること」
その義務の遂行を求めています。

広島の場合と同じく、アメリカ合衆国はマーシャル諸島の核実験による広範な被害について謝罪することは無く、「悲しみ」を表明したに過ぎません。
マーシャル諸島の人々が被った被害について、
「より多くの人々にとっての安全を確保するため、『少しばかりの人間たちが犠牲になったに過ぎない』」
アメリカはそう考えている、IPSニュースの取材に対しこう語るのはマーシャル諸島共和国の全上院議員のアバッカ・アンジェイン・マディソン氏です。

非難されるべきなのはアメリカだけではありません。
長崎大学の核兵器廃絶研究センター( http://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/ )の責任者である梅林宏道教授は、東アジア地区を核兵器が一切存在しない場所にするための取り組みを主導しており、国家の安全保障の実現のためには核兵器が必要だとの考えを政策化する、その推進を図っていると言われる安倍政権を厳しく批判しています。

秘密保護法07
梅林教授は、核の傘の下アメリカとの軍事提携を密接なものにした上で日本の防衛力の強化を図ろうとしている現政権の政策をストップさせるための運動の先頭に立っています。

「東アジアにおける北朝鮮の核の脅威は、日本政府によって軍事力を強化するための格好の口実として利用されています。」
「唯一の被爆国である日本は今、大きな誤りを犯そうとしています。」

〈 完 〉

http://www.ipsnews.net/2014/08/atom-bomb-anniversary-spotlights-persistent-nuclear-threat/
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福島第一原子力発電所で事故直後の2011年6月に運転を開始したもののトラブルが相次ぎ、3か月後には停止してしまったフランス・アレバ社製の汚染水処理装置を『廃止する』と、東京電力が発表した旨、今日8月12日付の朝刊が報じていました。
『廃止』とは言い回しの問題で、使い物にならずに『放棄した』というのが実態に近いのではないでしょうか。
そしてその費用については、「契約上、明らかにできない。」というのが東京電力側の言い分です。

福島第一原発では敷地の周囲の地面と地下を凍らせ、地下水が流れ込まないようにするだけで3,000億円がかかることになっています。
同じ日付の朝刊で阪神大震災後の神戸市の『JR新長田駅南地区・大正筋商店街』再開発の総事業費が2,710億円と紹介されている( http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201408/20140812_73012.html )のを見て、ゲンパツというものが恐ろしい勢いで国民の税金をむさぼり食うモンスターだということに気づかされました。

そして今、軍備拡張という新たなモンスターが誕生しつつあります。
ゲンパツも軍拡も政府高官や巨大企業の経営者の手の間を巨額の税金が行き来する一方、弱い立場の者ほどその恩恵が少ないという点において、構造・体質が驚くほど似ています。

下の写真集を見てください。
アメリカの大手メディアが米国軍のイラク空爆の開始を正当化する意味で大きく扱っているのではないかとも勘ぐることもできますが、被写体となった少数民族の人々の悲劇は紛れもない事実です。

現地で戦闘が激化しても、イスラム国家の高官も、現在のイラク政府の政治家も、そしてアメリカ軍において星を二つも三つも肩につけた高官たちも傷つくことはありません。
ヤジディ教徒の帰趨など、どの立場の高官たちにとっても重要な問題ではないはずなのに、戦争になるとなぜか真っ先に犠牲者にさせられてしまうのが少数派の無力な人々です。
この理不尽さこそが戦争の本質なのだと、私たちはこの目でた確かめながら、肝に銘ずべきではないでしょうか?

明日17日(日)は掲載をお休みいたします。
よろしくお願いいたします。

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【 イスラム国家の武力攻撃から避難するクルド系少数派ヤジディ教徒の人々 】

アメリカNBCニュース 8月12日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

IRAQ01
イラク北部で勢力を拡大するイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が、クルド系少数派ヤジディ教徒500人以上を殺害し、数万人が散り散りに避難する事態となりました。
イスラム国はイラク北部、シリア領内で国家樹立を宣言、ヤジディ教徒やキリスト教徒が命の危険を感じて避難を始めました。

2014年8月11日、シリアとの国境方面に向け避難するヤジディ教徒の人々。(写真上)

靴を衣服で包み、逃避行を続けるヤジディ教徒の女性。(写真下・以下同じ)
IRAQ02
アメリカ軍がイラクから撤退する際に遺棄して行った軍事車両と武器を多数横奪したイスラム国家軍は、この数週間でイラク北西部の都市を次々に攻略しました。
その結果多数の人びとが自宅を負われ、逃避行に移らざるを得なくなっています。
IRAQ03
いったんシリア領内に逃れ、ドホーク地区のフィシュカハーバーから再びイラク領内に入る避難民。8月10日。
イスラム国家はシリア国境に近いシンジャルの山中に『死のキャンプ』を作り、クルド系少数派ヤジディ教徒500人以上が殺害されたと言われます。
フィシュカハーバーはクルド人が暮らす町です。
IRAQ05
8月12日、トルコ領内のシルナクまで避難し、食事の配給を受けるため一列に並ぶヤジディ教徒の避難民。

8月10日、シリア領内のデリケに設けられたキャンプで一息つくヤジディ教徒の避難民。
クルド人組織によれば、これまで45,000人が国外に逃れましたが、未だ数千人が山岳地帯に取り残されていると見られます。
IRAQ06
8月10日、イラク-シリア国境で、人道援助物資に手を差し出すヤジディ教徒避難民。
IRAQ07
8月10日、シリア領内のデリケに設けられたキャンプに避難したヤジディ教徒避難民。
IRAQ08

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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