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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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【 日本の脱原発運動をつぶそうとする人間たち 】〈1〉

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所要時間 約 11分

安倍首相の原発再稼働、再処理計画の推進の背景には、原子力ムラの揺るぎない支持
政府内、議会内、そして地方自治体にも…原子力ムラの強力な諜報網
技術的には『袋小路』、なのに巨額の国家予算がつぎ込まれる高速増殖炉

 

ダグラス・バーチ、ジェフリー・スミス、ジェイク・アデルスタイン、センター・フォア・パブリック・インテグリティ(公正中立の社会正義 - http://www.publicintegrity.org/ ) / アメリカNBCニュース 2014年3月11日

脱原発デモ 1
河野太郎氏は日本を代表する政党の息子として成長を続けていた当時、「原子力への情熱」ともいうべきものを持っていたと語ります。
国内の多くの政治・経済界の人間同様、彼は原子力を天然資源に恵まれない日本にとっての、戦後の繁栄を支えるための切り札のひとつであり、現代的で、しかも経済的な発電手段であると考えていました。

そして原子力発電が実用化されてから50年の間、この日本国内の原子力発電に対する期待感は、その狭い国土に世界で3番目という、膨大な数の原子炉を建造させる事になりました。

日本政府の担当部局はプルトニウムをベースとする核燃料の再処理システムを作るため、20年の歳月と2兆2,000億円以上の予算を費やしましたが、この規模は国際的なモニタリング・システムによって確認されている限りにおいて、世界最大規模です。

核燃料再処理施設が今年10月、エネルギー資源分野において日本を自立させるとする長期計画のひとつとして、日本の本州最北端の海岸部で動き出す事になっています。

しかし1996年、河野太郎氏が33歳で国会議員に選出されると、彼は六ヶ所村再処理工場について疑念を抱かざるを得なくなりました。

083011
河野氏は科学者に質問を繰り返し、この問題に詳しい評論家などと会合を重ねた結果、高速増殖炉を国内に多数配置するという計画が、技術的に非常に国難が伴う上、稼働を続けるに従い危険な物質が増え続けるという結果につながることが解りました。
その上、実施のためにつぎ込まなければならない莫大な経費と比較し、得られる利益は明らかに少ない事が明らかになったのです。

彼は2008年アメリカ大使館における夕食会の席上、核燃料の再処理計画の実施には莫大な経費がかかるという事実が国民に対し意図的に隠されている、駐日大使にそう語りました。

しかし河野氏とその協力者による六ヶ所村再処理計画に対する反対運動は、かれらが強力な政治勢力と呼ぶグループによって組織的に展開された買収、反対意見の封殺などの工作によってつぶされてしまいました。
原子力産業界と、そこに利害関係を持つ電力業界の有力者たちの組織的な、そして強力な政治力を思い知らされる事になったのです。

核燃料再処理施設が今年10月、エネルギー資源分野において日本を自立させるとする長期計画のひとつとして、日本の本州最北端の海岸部で動き出す事になっています。

しかし1996年、河野太郎氏が33歳で国会議員に選出されると、彼は六ヶ所村再処理工場について疑念を抱かざるを得なくなりました。

六ヶ所村
河野氏は科学者に質問を繰り返し、この問題に詳しい評論家などと会合を重ねた結果、高速増殖炉を国内に多数配置するという計画は、技術的に非常に国難が伴う上、稼働を続けるに従い危険な物質が増え続けます。
その上、実施のためにつぎ込まなければならない莫大な経費と比較し、得られる利益事実は明らかに少ない事が明らかになったのです。

彼は2008年アメリカ大使館の夕食会の席上、核燃料の再処理計画の実施には莫大な経費がかかるという事実が、国民に対し意図的に隠されている、駐日大使にそう語りました。

しかし河野氏とその協力者による六ヶ所村再処理計画に対する反対運動は、かれらが強力な政治勢力と呼ぶグループによって組織的に展開された買収、反対意見の封殺などの工作によってつぶされてしまいました。
原子力産業界と、そこに利害関係を持つ電力業界の有力者たちの組織的な強力な政治力を思い知らされる事になったのです。

誰に聞いても日本の原子力産業の政治支配力、そして政府によるサポートは強力なままです。
それは六ケ所村再処理工場の計画が、技術的な問題のために実現が可能かどうか危ぶまれていても、そのコストが際限も無く膨らみ続け、今や莫大な金額に昇っても変わることはありません。

 

そして今から3年前の3月、福島第一原子力発電所において3基の原子炉がメルトダウンする事故が発生し、国内の原子炉すべてが停止せざるを得なくなった後も尚、変わることはありませんでした。

河野氏も所属する自民党の党首を務める安倍晋三首率いる現政権は、今年2月国内の一部の原子炉を再稼働させ、さらにはプルトニウムを原料とする核燃料を使った原子炉の新規建設を進める方針であることを明らかにしました。

 

安倍首相のこの判断は、一般市民の反対があっても、いわゆる『原子力ムラ』からの支持は揺るぎないものがあるとの判断に基づくものでした。
『原子力ムラ』とは原子力発電によって仕事、収入、そして政治的影響力を手にしている、原子力産業界と電力会社の経営陣、技術者、そして労働界の代表、国の原子力発電関連の監査機関、原子力発電所が立地する県や市町村の議員や首長、これらすべてによる結束の固いネットワークの事です。

河野太郎氏はジョージタウン大学で学士号を取得し、流ちょうな英語を話します。
彼はこの原子力ムラについて「この16年~17年間、ほとんど誰からも見とがめられることなく、こうした行為を続けてきた」
とインタビューの中で語りました。

 

日本のプルトニウム核燃料再処理計画を推進しようとする側には、与党自民党の議員たちに加え、政府官僚、一部の大手メディアの経営層、銀行、そして学術関係者なども加わっており、計画を阻止しようとする動きを封じ込めてきました。
河野氏が問題点を指摘すればするほど、これら日本のエリートたちは彼に背を向けるようになりました。

722名の国会議員のうち、河野氏が立ち上げに加わった原子力発電に反対する議員連盟に加わったのは、ちょうど60名でした。

 

経済産業省の当局者は、六ヶ所村再処理計画の完成は国家財政に寄与する部分が大きいと語りました。
85件の電力会社との合弁事業を行い、自らも原子力発電所を運営する日本原燃の川井吉彦社長は、六ケ所村の施設が計画通りに稼働すれば、使用済み核燃料から再び原子力発電の燃料を創り出すことができ、核燃料を浪費する事無く、きわめて経済的な原子力発電を実現できると主張しました。
2012年、彼は専門誌のインタビューの中でこう語りました。
「現在の原子力発電は、再利用できる核燃料をそのままただ捨てているのです。」

 

▽ 晩餐会の席での痛烈な批判

2008年の暖かい、雲ひとつない快晴の日の夕方、河野氏はジョージW.ブッシュ元アメリカ大統領のかつてのビジネス・パートナーでもあり長年の友人でもあったトーマス・シーファー駐日大使との晩さん会の席上、日本の『原子力ムラ』が日本の政治機構を腐敗させているという彼の見解を明らかにしました。

2006年2月、ブッシュ政権の下で提唱された国際原子力エネルギー・パートナーシップ(GNEP)構想に鑑み、シーファー駐日大使はこのプランに反対するため立ち上がろうとしていた政治家を特定しようとしていました。
ブッシュが主唱したGNEPは、日本の六ヶ所村再処理施設の大々的展開をも視野に入れたものでした。

1945年にダグラス・マッカーサーと昭和天皇も会談を行った小ぶりのダイニングルームに腰を下ろし、河野氏自身が時代遅れの原子力政策と考えたプルトニウムの広範な利用を目的としたGNEP構想について、なぜ日本の電力貨車と官僚がこの計画に熱心なのか、体系的な声明を試みようとしていました。

脱原発:河野太郎
河野氏による日本の政治に対する批判が満ちた、このアメリカ大使館における前例の無い会談の記録は、2011年にウィキリークスによって一般の人々の目に触れることになりました。

莫大な国費を投入した挙句に技術的に行き詰ってしまっていた核燃料再処理計画について、政界の長老と言われる議員たちがこの問題に触れることを許さなかったため、関係省庁の実務官僚たちによる検証すら行われることがなかった、河野氏がこのように述べました。

河野氏はさらに、日本の国会の慣習の下では委員会のスタッフの任免権も無く、原子力政策を推進する政府機関から派遣された官僚に頼る以外の選択肢は無かった、そんなケースが度々あったと語りました。
そして河野氏が質問をすると、どのような点が問題になったのか、その内容が直ちに所属する政府機関に報告されていたのです。

〈 第2回につづく 〉

http://www.nbcnews.com/storyline/fukushima-anniversary/japans-well-placed-nuclear-power-advocates-swat-away-opponents-n50396
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日本の原子力ムラ、その正体に迫る長編記事です。
日本の官僚機構の暗部について、どのような仕組みになっているのか、そしてそれが国民のためではなく何のために機能しているのか、そこに何がつながっているのかが見えてきます。

昨週は6回に分け3.11の被災者の悲劇についてのエコノミストの記事をご紹介しましたが、今回はその原因を作りだしたものが何であるのかに迫る記事です。
今週中にすべて掲載できるよう、1回あたりの掲載量が多くなるかもしれませんが、重要な示唆が含まれています。
ぜひ全編をお読みくださるよう、お願いいたします。

【 拭いきれない放射線被ばくの脅威 – 屋外へ出ることへの制限が続くこどもたち 】

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所要時間 約 8分

一日につきたった15分、その時間だけ屋外に出る事を許される生活

 

アメリカNBCニュース 2014年3月10日

NBC福島01
3月11日に襲った巨大地震と巨大津波がきっかけとなり、福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンを引き起こす事故が発生してから3年の月日が経ちました。
福島第一原発から車で少し走った場所にある福島県郡山市では、2歳位以下の子供たちに対し、一日あたり15分以上屋外で過ごさないよう求める措置が採られています。
そして3歳から5歳の子供たちは30分以下に制限されています。

制限は昨年解除されましたが、多くの幼稚園と保育所では本当に安全が確保されたのどうか不安を抱く両親の懸念に配慮し、現在も子供たちの屋外での活動については同様の時間制限を続けています。

福島県教育委員会が年1回行っている調査では、福島県内の子供たちには肥満の傾向が現れるようになりました。
原因は屋外で遊ぶことが出来ないことによる、運動不足であると考えられています。

写真の2歳の渡辺尚くんは、屋外には未だに放射線被ばくの危険があるために、子供たちとその親たちのために建設された屋内遊具のひとつ、ボールプールで遊んでいます。(冒頭の写真)

福島県郡山市内の広場に設置された、毎時0.162マイクロシーベルトの放射線量を表示している線量計の前を歩く幼い子供。2014年3月1日撮影(花井とおる/ロイター通信・写真下・以下同じ)。
NBC福島02
福島県二本松市内の仮設の設備内に設置された診療施設で、看護師と兄に世話されながら、甲状腺の検査を受ける5歳の少女。
に設置された、毎時0.162マイクロシーベルトの放射線量を表示している線量計の前を歩く幼い子供。
2014年2月27日撮影(花井とおる/ロイター通信)。
NBC福島03マスクをつけて幼稚園の送迎バスに乗っている幼い少女。
2014年2月28日撮影(花井とおる/ロイター通信)
NBC福島05
http://www.nbcnews.com/storyline/fukushima-anniversary/radiation-fears-force-fukushimas-children-inside-n48811
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今日の記事は翻訳していて、久しぶりにつらくなりました。
上の記事も下の記事も国と状況は異なっても、逆境に置かれた子供たちの様子が伝えられています。
私がつけ加えることはありません。
写真と本文がすべてを伝えています。
ただ言えることは、事故にしろ戦争にしろ、最大の被害者になるのは、「原発を再稼働しろ」「戦争も辞さない」などと放言するおとな達ではなく、ここに登場するような年端もいかない子供たちであるということでしょう。

 

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【 内戦という名の戦争、難民キャンプ、そしてずたずたにされた子供たちの心 】〈4〉

 

アメリカNBCニュース 3月11日

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レバノンのベカー渓谷では約5,000人の国外脱出をしたシリア難民が、フェイダ・キャンプと呼ばれる場所で生活しています。
AP通信のニュース・カメラマン、ジェローム・ディレイとNBC放送の番組制作者である立花由香が2日間キャンプを訪問し、まだ成年に達していない戦争の生存者がどんな生活を強いられているか、取材と写真撮影を行いました。

8歳のイスラムは兄弟と一緒にシリアのバスラからこのキャンプに逃れてきましたが、それがいつだったのか正確な日付はもう覚えていません。
「ここよりもずっとシリアの暮らしの方が好きだったわ、学校も、友達も、そして自分の家も…」
(写真上)

レバノンの非政府組織の責任者に抱きしめられる12歳のファティマ。
ファティマは母親と一緒にシリアのイドリブから逃れてきましたが、父親はすでに亡くなっていました。
2ヵ月前、厳しい冬の嵐がキャンプのあるベカー渓谷に襲い、暖房設備の無い難民キャンプの環境は危険な程の低温状態に陥り、ファティマの母は命を奪われてしまいました。
ファティマは現在彼女の兄弟と一緒に暮らしていますが、できれば非政府組織の責任者である写真の女性、マリアと一緒に暮らしたいと願っています。
ファティマはマリアを『ママ』と呼ぶようになりました。(写真下・以下同じ)
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8歳のオラもシリアのイドリブから、2週間前に家族と一緒に逃れてきたばかりです。
シリア国内では食糧価格が暴騰し、満足に食事もできず、絶えず空腹だったと語ります。
戦争のため学校も開かれていませんでした。
自宅が爆破された時、幸いにも家には誰もいませんでした。
オラは絵を描くことが大好きです。
syr23
8歳のアリヤムもシリアのイドリブから6ヵ月前、家族と一緒にバスに乗って逃れてきました。
12時間以上の逃避行の間、アリヤムが乗ったバスは何度も銃撃され、暴力も目撃しました。
戦争が始まる前、アリヤムは何の屈託もなく友達と遊んでいました。
しかし今は母親のそばから離れなくなりました。
母親のそばでなければ眠ることも無く、学校に行くこと拒否しています。
母親だけがアリヤムにとっての安らぎなのです。
アリヤムの兄は未だシリア国内に留まっています。
「お兄ちゃんがいなくて、とても寂しいです。」
アリヤムがそう話しました。
syr2414歳のバデルはシリア、ホムスの出身です。
彼は1年前のある日、家族のためにパンを買いに行く途中、足に狙撃兵が放った銃弾が命中しました。
彼は傷ついた足にまだ体重をのせることができずにいます。
「得意だったサッカーも出来なくなりました。今は友だちがサッカーをしているのを見ているだけになりました。」
彼は庭付きの大きな自宅に戻れる日を夢見ていましたが、その自宅は家族と一緒にレバノンに批難した一か月後、砲弾によって完全に破壊されてしまいました。
「もう今は何も残っていないそうです。」
バデルはさびしそうにこうつぶやきました。
彼は大人になったら弁護士になるつもりです。
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水を探しに来た10歳のラワン。シリア、イドリブから1年前に家族とともに避難してきました。
ラワンは戦争について忘れることのできない記憶があり、シリアにはもう戻りたくないと語ります。
「私は空を見上げた時、ヘリコプターから爆弾が投下される瞬間を見てしまいました。そして犬が人間の死体を食べているのを見たのです。」
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9歳のフィラス(中央左)と14歳のイド(中央右)は共に1年前シリアのホムスから逃れてきました。
9人兄弟のフィラスは、暴力が横行するシリアから逃れる事が出来、現在は安心して学校に通っています。
一方のイドはこう語りました。
「一日も早く自宅に戻り、テント生活から解放されたいです。」
イドにも8人の兄弟姉妹がいますが、現在は近くのザーレの町で働く、最年長の兄が頼りです。
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http://www.nbcnews.com/storyline/syrias-children/tiny-survivors-faces-endless-conflict-n49401

【 地震、津波、そしてメルトダウン – 日本史上、最悪の悪夢は続いている 】《第6回》

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所要時間 約 12分

生きとし生けるものすべてを、無残な目に遭わせた福島第一原発の事故
「私たちの誇りは消え失せてしまった…」「仮設住宅で泣き暮らす日々…」

 

ヘンリー・トリックス / インテリジェント・ライフ2013年7・8月号 / エコノミスト

請戸09
請戸の沿岸部は3月11日の津波によってほぼ跡形もなく破壊されましたが、内陸部の奥の方はまだ建物が残っています。
その中のいくつかの建物は地震によって屋根や壁が破壊されています。
そして建物の開け放たれたままのドアや窓にはクモの巣が張られ、この状態を表現するのに、ゴーストタウンという以外の言葉は思いつきません。
その破壊の跡は、地震の衝撃がどれ程のものであったかを雄弁に物語っています。

請戸は浪江町の一部ですが、浪江町は人口20,000、福島第一原子力発電所の北に位置しています。
その南に隣接するのが人口16,000の富岡町です。
福島第一原発周辺の立ち入り禁止区域の面積はイギリスのヨークシャー・ダレス全域とほぼ同じくらいの面積があります。
ヨークシャー地方のハロギットやスキプトンのような町が丸ごと『捨てられてしまった』、浪江町や富岡町の現在の状況については、そのように考えれば理解が早いかもしれません。

そしてもうひとつ浪江町や富岡町の状況とヨークシャー地方との類似点は、エミリー・ブロンテの作品が描き出したようなふたつの町の孤立した状況です。
ヨークシャーは過酷な自然が、そして福島の場合は放射線がそうした状況を作りだしました。

NBC15
災害直後、私が取材のため富岡町に入った時、街の通りには人の気配はありませんでした。
丈夫そうな家畜の牛が野放しにされ、学校の校庭は放牧場と化していました。
私が派手な外装のナイトパブの店内の無残な様子に見入っていた時、突然背後に異様な気配を感じました。
驚いて振り返ると、そこにには一羽のダチョウがいて、観察するようにじっとわたしを見つめていました。
これらの動物はすべて家畜として飼われていたもので、災害後エサを与えてくれるはずの人間が消えてしまったために、食物を求めて町の中を徘徊しているのです。
その時私は白い防護服と防護マスクに身を固めており、町中でどちらの姿が異様に映るか、にわかには判断しがたいような状態でした。

捨てられた動物たちは興味深い存在である一方、憤りの原因でもあります。
3.11の3週間後、私は福島第一原発から20キロ圏の立ち入り禁止区域内にある厩舎の前にたどり着きました。
厩舎の前の草地の上には、脚を伸ばしたまま息絶えた6頭の馬の死がいが並んでいました。
生き残った馬は体中が傷だらけになってすっかり弱っていましたが、それでも私たち人間に対しては警戒の目を向けませんでした。

厩舎内の壁には馬の蹄によってつけられた傷跡が無数にあり、ここにも津波が押し寄せ、パニック状態になった馬たちが、夢中で壁をよじ登ろうとしてあがいていた様子が見てとれました。

NBC14
福島第一原発の周囲では、無残な物語が無数に生まれました。

自宅が福島第一原発の20キロ圏内にあった93歳の女性は、立ち退きを迫られても頑として聞きいれず、最後は自ら首をくくって自殺しました。
彼女は生前、この地を去るくらいなら、自ら先祖代々の墓の中に入ると語っていたのです。

そうした状況にあっても、私が避難区域内で遭遇した自然の風物の中には本来の美しさを失っていないものもありました。
かつての居住者たちが、再びこの地に帰ってくることを待ち望んでいるかのように…

私は福島第一原発近くの山腹で道に迷ってしまううち、英語で『Romantic Road(ロマンティックロード)』と書かれた道に入り込んだことがありました。
その道は紫色のアイリスが川岸に一面に咲き誇る、杉木立とカエデの木に囲まれた丘の中腹を流れる小川へと私たちを導きました。
その場所は『ささやきの小道』と呼ばれる場所で、手書きの標識には竹の樋を流れ落ちる、神の住まう山から湧き出す泉の水をぜひ賞味するように訴えていました。
水面の近くでは持参したガイガーカウンターは反応しませんでしたが、試しに下草の茂みに入れるとたちまちけたたましい警報音が鳴り響きました。
値は100ミリシーベルト、原子力発電所内の作業員であっても危険な数値でした。

NBC24
壊れたままのとある家屋の窓に、故郷を思う短い詩を綴った紙が貼られていました。
日付のいちばん古いものは、2012年の早春となっていました。
「スモモの木は、今年、まだ花がつけていません。私たちの誇りは消えてなくなりました。でも忘れないでください、春はもうすぐそこまで来ています。」

もうひとつはより厳しい内容であり、その簡潔さにおいて俳句に似ていました。

「毎日仮設で泣き暮らす…東電さんよ、ありがとう。」

ここは再び加納屋さんの仮設住宅の中です。
少なくとも加納屋さんが人前で涙を見せることはありません。
捨て去られてしまった福島の町が私にヨークシャー・ダレスを思い出させたように、彼は武骨なヨークシャー地方の男たちを思い起こさせました。
言葉を飾ることをせず、口よりも態度で感情を表すタイプの人間でした。
少なくとも彼は私の前で涙にくれて、私を困らせるようなことはしませんでした。

請戸04
それでも他とは違った表現方法ではあっても、加納屋さんの面上には絶望の思いが表れています。
そして表立っては騒ぎ立てることのない原発被災者の思いを、背負っている様子が見てとれます。

彼を知る人々は、妻をきちんと葬ってあげられない事への怒りのすさまじさと、東京電力に償いをされるという決意の固は、ヤクザの親分と変わらない程だと語ります。

現在のところ東京電力は、原発被災者が惨めな仮設住宅での暮らしを続けるしかない、その程度の賠償にしか応じない頑なな態度を取り続けています。

しかし一部分ではありますが、本当の思いを内に秘め、取り乱さないことを美徳とし、遺族としての本当の感情を露わにしないという地方に特有の価値観も、東京電力を相手にする場合にはかなぐり捨てる必要があるという見方も出てきました。
2013年2月の審理で加納屋さんはこう述べました。
「東京電力の社員にも家族がいるはずです。立場を変えて考えれば、原発被災者がどれ程辛い生活を送っているかが理解できるはずです。私たちがこれまでどれほど苦しんできたか、そして現在もどれだけの苦痛に耐えているのか、理解して欲しいのです。」

しかしその場にいた弁護士や裁判官は、石のように無表情のまま、加納屋さんをじっと見返しただけだったと語りました。
被災地以外の日本の人々の多くがそうしているように、彼らもまた原発被災者の現実から目を外らしたいのかもしれません。

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しかし加納屋さんやその他の多くの原発被災者のように、最愛の人を失い、今なお故郷を奪われたままの人々にとって、余人には理解しがたい苦痛についてほんのわずかでも理解を得ること以外、心の慰めは無いのかもしれません。

〈 完 〉

※ヘンリー・トリックスは、元エコノミスト東京支局長です。
http://moreintelligentlife.com/content/features/anonymous/fukushima
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【 内戦という名の戦争、難民キャンプ、そしてずたずたにされた子供たちの心 】〈3〉

アメリカNBCニュース 3月11日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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レバノンのベカー渓谷では約5,000人の国外脱出をしたシリア難民が、フェイダ・キャンプと呼ばれる場所で生活しています。
AP通信のニュース・カメラマン、ジェローム・ディレイとNBC放送の番組制作者である立花由香が2日間キャンプを訪問し、まだ成年に達していない戦争の生存者がどんな生活を強いられているか、取材と写真撮影を行いました。

2歳になるシャハドがフェイダ・キャンプの外を歩いています。
彼女が1歳のとき、家族はシリアのホムスから逃れてきました。
母親のハタラがこう語りました。
「シリアでは子供たちが皆不幸な目にあっています。シャハドだけが例外であるはずがありません。」
シャハドの家族はシリアでは自分たちの家を持ち、子供たち全員が自分の部屋を持っていました。
「でも今は6人の娘と1人の息子の持ち物は、このテントだけです。」
(写真上)

9歳のモハメドは、シリア、ハレブの出身です。
モハメドト7人の兄弟、そして両親は2ヵ月前、このキャンプに到着しました。
「ぼくは、爆弾が空から落ちてくるのをみたことがあるよ。」
モハメドがこう離しました。
彼はシリアの自宅をすごく恋しく思っています。
(写真下・以下同じ)
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8歳のアイマンは、3人の兄弟、2人の姉妹と5ヵ月前、シリア、ハレブから逃れてきました。
彼女は、6メートル四方のテントで、両親と6人の兄弟姉妹と暮らしています。
ハレブでの生活は危険な上、食べるものにも事欠く有様で、それが脱出の理由でした。
彼女はキャンプ内の学校に通い、友人と遊んでそれなりに楽しんではいますが、今すぐにでもシリアに戻りたいと考えています。
彼女の夢は画工の先生になる事です。
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6歳のラニムと彼女の家族は、2月にシリア、ハレブから逃れてきました。
ハレブは治安状況が非常に悪く、食べるものも不足し、そして父親にとっては建設労働者としての仕事がありませんでした。
その父は、4人の子供たちが近くで戦いが行われていたために、もはや学校にも行くことができなかったと言いました。
「ここレバノンで少なくとも、子供たちは無事でいる事ができるのです、そして学校へも行くことができます。」
syr15
12歳のマハムードと8人の兄弟姉妹は1年前に、このキャンプに逃れて来ました。
彼は午前8時から午後4時まで自動車修理工場で週6日間働き、週給30ドルを受け取ります。
通勤は徒歩で1時間ほどですが、すぐ下の弟のアーメド(11歳)も同じ修理工場で働き、こちらは週に12ドルしか受け取れません。
彼は教育機会を失ってしまうことを恐れ、夜学に通っています。
本当は働きたくなどないのですが、父親には仕事が無く他に選択肢は無いのだと語りました。
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http://www.nbcnews.com/storyline/syrias-children/tiny-survivors-faces-endless-conflict-n49401

【 地震、津波、そしてメルトダウン – 日本史上、最悪の悪夢は続いている 】《第5回》

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所要時間 約 14分

降りそそぐ放射能…行方不明になった大切な家族を、捜索することすら許されなかった
せめて先祖伝来の安息の場に葬ってあげたい、その願いもかなえられない現実

ヘンリー・トリックス / インテリジェント・ライフ2013年7・8月号 / エコノミスト

NBC20
加納屋さんの弁護士は、菅野晴隆氏という思慮深い男性です。
福島市内の事務所で革製の椅子に座った菅野氏は、今回の事案が前例のないものであることを認めました。

今回の訴訟はいわば死者の尊厳に価格をつけようというものですが、菅野氏は残された遺族に対する慰謝料とも性格を異にすると語りました。
原告たちが求めているのは、愛する人々が死んでしまった際にその遺体が放置されてしまったことについて、残された人間がどれ程の苦悩を背負い込んだか、東京電力に対しその事に対し心からの謝罪と哀悼の意を表すよう求めているのです。
現在の日本の法律の下では、その要求を形にするには金銭上の賠償を求めるしか途は無いのです。

2月に東京電力も隣席の上行なわれた審理では、遺族側の証言において苦痛の感情がほとばしり出る場面が何度もありました。
遺族たちは罪の意識を背負っていたのです。

当時人々は迅速な避難を強いられ、別れ別れになった家族も別の避難場所に一時的に身を寄せ、無事でいるものと思っていました。
しばらくしてその家族が行方不明になっていることが解り愕然としましたが、その時はもう時間的に捜索しても手遅れになっていました。
それから一カ月以上捜索が続けられる中、果たして遺体が発見されるかどうか、残された家族は煩悶し続けなければなりませんでした。
その間、遺体の腐敗が進んでしまうという恐怖にも苛まれることにもなりました。

遺体捜索
菅野弁護士は遺体を火葬にする以前、通例の仏教の儀式では遺体を丁寧に清拭し穏やかな状態に形を整え、専用の装束を身につけさせるのだと語りました。
法廷の多くの証言により、遺族が亡くなってしまった大切な家族の遺体を整え、装束を身につけさせることが出来なかった事を、どれ程嘆き悲しんでいるかが明らかになりました。

人生の最後に対する侮辱であると、遺族たちは主張しました。
位牌を先祖代々の墓の中に葬ってやることが出来ない。
請戸などの場所では、放射線量が高いために墓地は立ち入り禁止になっており、埋葬などの行為も許されないのです。
そのために加納屋さんも、ひさ子さんの遺灰を仮設住宅の中の仮の仏壇に置いておく他ないのです。
墓地にきちんと埋葬されない限り、ひさ子さんの魂は現世と来世の間でさまよい続けなければならない、加納屋さんはそう信じています。

立ち入り禁止になっている墓地は、請戸の町はずれにあります。
大理石などで作られた墓石がまるでドミノ倒しのように、津波に倒されたままになっています。
私が初めてこの墓地を訪れたのは2012年、海外ジャーナリストと気づかれないように白い放射線防護服を頭からすっぽりとかぶっていました。

NBC23
黄色い花を咲かせる雑草とアキノキリンソウの花があたり一面を覆い、黄色一色の景色が広がっていました。
私の案内役を務めてくれた男性は、父親と一緒に津波が襲う以前に建てた墓に案内してくれました。
父親は以前に亡くなっていました。

彼は、私に空の小箱を見せてくれました。
真っ黒な津波は、父親の灰すら永遠の安息場所から奪い去っていき、墓地の周囲にある湿地の中に沈めてしまいました。
私たちは周囲を探しまわった挙句、数百メートル離れた水田の中で墓所の蓋を見つけました。
半分泥に埋まったその上を、アリたちが行ったり来たりしていました。

「私が恐れているのは、この墓地全体が風化によってすっかり荒廃してしまう事です。そうなってしまえば、ひとつひとつの墓の区別すらできなくなってしまいます。」
この青年が語りました。
彼が強く願う事のひとつは、墓地全体を人が訪れることが出来る場所に移動させることです。
そうすれば請戸の人々は再び祖先を祀り、亡くなった人々の霊を慰めることが出来るようになります。
彼はこうつぶやきました。
「そしてもちろん、人の心を持たないあいつらは、そんな話には耳を貸そうともしない…」

NBC 1
部外者の立場としては、日本では日常生活の中に死者がどの程度かかわり合うものなのか興味があります。
死者が子孫が用意したごちそうを楽しむために現世に戻ってくるとされるお盆(毎年ほとんどの地方で8月に行われる)になると、人々は墓地に集まり祖先のために食べ物や飲み物を墓前に供えます。

この青年が請戸の墓地で自分たち一族の墓を建設していた夏、お盆の時期に見た光景を覚えていました。
人びとは今は墓の中に眠る大切な人たちの喉の渇きをいやすため、お茶や水を持って墓地に集まってきました。
うだるような暑さの中、人々が先祖たちの霊と飽くことなく会話を続けている様子に、彼は改めて驚かされました。

私はそのあと自分の足で請戸周辺を見て回り、津波によって命を落とした164人の犠牲者のうち数人についての記憶をたどることが出来ました。

彼ら犠牲者の死に臨んでの様子は、しばしば福島の人々の心にある死に対する覚悟のようなものを私たちに告げているかのようです。
そして一方では、一見すれば調和と平穏さに満ちた小さなコミュニティにありがちな嫉妬や悪意という別の現実についても明らかにしました。

NBC16
狷介な性格の、ぜんそくを持病に持つ高齢の男性に嫁いだ女性がいました。
彼女は結婚生活の中で夫と姑から残酷な扱いを受け、時には虐待を受けることもありました。
義理の母親が亡くなった時、彼女の友人たちは離婚してその家を去るよう強く勧めました。
しかし彼女は津波がその家を襲った時、まだ夫の世話を続けていました。
地震の後も自宅からの避難を拒み続けた夫の傍らで、彼女は津波の犠牲者として命を落としました。

請戸地区の聖職者もまた、そうした犠牲者のひとりでした。
彼の場合は妻も、娘も、義理の息子もまた義医者となってしまったのです。

彼の家族は、神社の維持費と年間行事に必要な費用を巡り、地区の数軒の家と確執がありました。
生き残った別の娘が勇敢にも津波の犠牲になった父の後を継いで、神社の神官となることを申し出ましたが、地区の保守的な人々がそれを拒否しました。
かつては壮麗さを誇った神社は津波によって跡形もなくなり、現在は同じ場所に仮設の神殿が建てられていますが、管理しているのはこの地区から50キロも離れた場所にある別の神社です。

そしておそらく、最も人々の心に訴えるのは14才の少女、横山若菜さんの記憶です。
時折庭先をカニが急ぎ足で横切っていくほど、彼女の自宅は海に近い場所にありました。

130312
彼女のお気に入りの遊具は、漁師たちが捨てた乾燥したヒトデの死がいでした。
彼女はそれをまるでフリスビーのようにして、海岸で飛ばして遊んでいました。
彼女の食卓にはいつも新鮮な魚介類が並んでいました。
庭にある井戸の傍らで、若菜さんの祖父であり、人望の厚い船大工であった祖父がいつも魚をさばいていました。
それらの魚は地区の漁師たちがいつも無償で持ち込んできました。
記憶にある限り、若菜さんの家族が魚を買ったことは一度もありませんでした。

祖父が魚をさばく手並みが最も鮮やかに見えるのは、鮭をさばく時でした。
彼は左手にナイフを持ち、慣れた手つきで鮭の身を開き、中から卵を取り出し、慎重にそれを器の中に絞りだしました。
採りだされた卵は、筋子として朝の食卓に並んだのです。
「おじいちゃんの手並みは神業でした。」
若菜さんがこう語りました。
「地球上の他の誰よりもすばらしい手並みで、おじいちゃんはきれいにさばいて見せてくれました。」 その祖父も妻と一緒に、津波で死亡しました。
ひさ子さんの時と同じように、祖父母2人の遺体は回収される事無く、数週間の間放置されたままになったのです。

請戸の周辺でも土地を捨て去っていく人が後を絶ちません。
その光景は福島第一原子力発電所の周囲での、見慣れた風景になってしまいました。
そして福島県全体の市町村の悩みの種になっています。

Fukushima residents
しかし3.11の災害がもたらした被害について、必ずしも何が具体的なイメージを持つ必要は無いのかもしれません。
放射性物質、放射線には色も形も無く、触れることもできず、あたかも幽霊のような存在です。
しかしこの地においては、ありとあらゆる場所にまとわりついているのです。

〈 第6回につづく 〉

http://moreintelligentlife.com/content/features/anonymous/fukushima
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3.11の後のあらゆるライフラインの途絶から約2週間、私たちの生活はやっとインターネットを使えるところまで回復しました。
私はつかれたようにしてあらゆるサイトを検索し、福島第一原発の事故に関する情報を集めました。
そして何の情報も無い事故後の1週間で、私たちはそれと気づかないまま福島第一原発が吹き上げた放射性物質を浴びてしまったことを知ったのです。

あの時の無念さというものは、忘れられるものではありません。

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【 内戦という名の戦争、難民キャンプ、そしてずたずたにされた子供たちの心 】〈2〉

アメリカNBCニュース 3月11日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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レバノンのベカー渓谷では約5,000人の国外脱出をしたシリア難民が、フェイダ・キャンプと呼ばれる場所で生活しています。
AP通信のニュース・カメラマン、ジェローム・ディレイとNBC放送の番組制作者である立花由香が2日間キャンプを訪問し、まだ成年に達していない戦争の生存者がどんな生活を強いられているか、取材と写真撮影を行いました。

母と兄弟姉妹6人で暮らすテントの中、ベッドの上のロキア(8歳)。
ロキアの父親は現在行方不明になっていますが、母親は子どもたちにいつか必ず帰ってくると言い聞かせています。
(写真上)

ヤムママ(4歳)と3人の姉妹たちは、戦争地帯で子供たちを育てることを嫌った母親により、2年前にシリアのホムスを脱出し、このキャンプに逃げ込みました。
父は未だ、シリア国内で働いています。(写真下・以下同じ)
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母親にすがりつく6歳のファーダ。自宅のすぐそばで迫撃砲弾が2発爆発して以来、彼女は大きな音を極端に嫌うようになりました。
現在は難民キャンプにいて砲弾が飛んでくる恐れは無くなりましたが、母親がバタンとドアを閉める音も恐ろしいと感じるようになってしまいました。
ファーダが母親のそばから離れることは、めったにありません。
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8歳のアブドル・カリムはちょうど1年前、シリアのホムスで父親が殺された後、母と兄と4人の姉妹と一緒にレバノンに逃れました。
「僕が一番年下だったので、お父さんはよく僕と一緒に遊んでくれました。だからお父さんのことは、良く覚えています。」
アブドルがこう話しました。
しかしアブドルの心の傷は、彼と友人たちが母親が『大虐殺』と呼んだ現場にたまたま居合わせたことで、一層悪化することになってしまいました。
アブドルは神経質そうに両手を何度も腿の上にこすり付けながら、次のように話してくれました。
「僕は友だちと一緒に、学校から帰る途中でした。たくさんの人が泣き叫び、取り乱していたのを覚えています。」
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10歳のラワー(写真左)は9ヵ月前、母、と3人の姉妹、3人の兄弟と一緒にシリアのホムスからフェイダ・キャンプに逃れてきました。
シリアでは爆弾が近くで爆発し、ラワーの目を傷つけました。
「友達と遊んでいたら、突然、爆発があったのです。」
瞳孔が傷つけられ、彼女の瞳は左右別の色になってしまいました。
ラワーは未だにその時の悪夢にうなされることがあります。
兄弟たちの父親は現在音信不通のままになっています。
母親のドーハがこう語りました。
「私は子どもたちに何と言っていいのか解りません。子供たちはもう、充分つらい目に遭ってきたのですから…」
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http://www.nbcnews.com/storyline/syrias-children/tiny-survivors-faces-endless-conflict-n49401

【 地震、津波、そしてメルトダウン – 日本史上、最悪の悪夢は続いている 】《第4回》

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所要時間 約 12分

日本の為政者が触れてほしくない部分に、大胆に踏み込んだ国会事故調査委員会
福島第一原発の事故さえ無ければ、捜索の中断など強いられることなく、もっと多くの命が助かったはず

ヘンリー・トリックス / インテリジェント・ライフ2013年7・8月号 / エコノミスト

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しかし巨大地震、巨大津波、そして福島第一原発の事故という三重災害による大変な苦痛に襲われたとしても、1945年、昭和天皇が国民に対して行なった無条件降伏受諾演説において、その国民性を称えたように、
『耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び』続けてしまうのが、日本という国の人びとなのです。

東日本大震災によって被災者となった315,000の人々が耐えてきたのは、事故が発生してからの年月でした。
彼らは耐え難い苦しみを黙々と耐えてきました。
胸の内には沸騰するような思いを抱えながらも、復興事業をスピードアップするように、あるいは被災地となった地域で雇用の口を創るよう、声を揃えて求めることはありませんでした。

そして一方では、事故直後に日本各地から被災地の人々に向けられた同情の思いは、今、軽い敵意のようなものに変わりつつあります。
そして放射線の脅威から身を守るために批難をした人々に対しては、あたかも裏切り者のような目が向けられるようになりました。
学校では福島から避難した子供たちに対し、悪罵が投げつけられます。
本来なら同情すべき立場にあるはずの人々には、福島から避難してきた人々を避ける動きが見られます。
そして日本全国のスーパーマーケットでは、福島産の商品を見ると足早に立ち去ろうとする買い物客の姿を見かけます。

そして福島第一原発の事故について人為的ミスと構造的欠陥の連鎖によって生じたものであると断じた国会事故調査委員会の報告書は、議会内において本格的な議論が行われることも無く、埃をかぶったまま放置されています。

事故調査委員会06
日本の為政者が触れてほしくない部分に、あまりにも大胆に踏み込んだことがその理由かもしれません。
委員長の黒川清氏は、福島の事故を『メイド・イン・ジャパン』と表現しました。
事故の根本原因についてこの報告書は
『権威に対する盲従性、国家機関の行為に対して疑問を持とうとしない態度、教条主義、群れの中に埋没しようとする習性、そして島国根性』
という日本の国民性にあると、鋭く断じました。

この報告書は予見できたはずの事故に対し、予防策を採らなかった日本政府と東京電力を批難しましたが、それは先に述べたような日本の国民性をも被告席に置くものでした。

後ろめたい思いをさせられた日本人は、結局この報告書に背を向けてしまったのです。

災害に見舞われた各市町村において、なぜ収拾のつかない騒ぎが起きないのかという疑問に対しては、こうした国民性がその答えとなるでしょう。

130315
しかし個々のケースにおいては、福島で窮地に追い込まれた人々が理不尽な逆境に甘んじる事無く立ち上がり、そして事故によって踏みにじられたままのコミュニティを、力を合わせて再建すべく立ち上がっている勇敢な人々の姿を認めることが出来ます。

加納屋さんもそうしたグループを率いる一人であり、いくつもの家族が参加しています。
多くは請戸地区の人びとからなるこのグループは、3.11で大切な家族を失いました。

驚くべきは彼らの行動の特徴です。

被災者の多くが家、土地、そして生活手段を失ってしまいました。
そして子供たちは遊びなれた友人たちと離れ離れになり、見知らぬ学校に編入させられました。
そして穏やかな気候に恵まれた海辺の町から、雪交じりの寒風が吹きつける山上の仮設住宅へと追立てられて行ったのです。
子供たちの多くは放射線量が高いために、屋外で遊ぶことを制限される場所に暮らしています。
芝生の上で転げまわって遊ぶことなどは論外なのです。

そのような生活を強いられていて尚、彼らが挙げる抗議の声は自分たちのためでもなければ、子供たちのためのものでもありません。

死んだ後どうするのか、という事が一番の争点なのです。
街の中でも最も高齢の人々、その死はどう取り扱われるべきなのかということが、一番見過ごしにできないのです。

CBS03
福島の農村地帯のように古くからのコミュニティが守られてきた地方では、高齢者を大切にし、伝統を守るという事がどれだけ大切なことなのか、その価値観を証明しています。

人間としての尊厳を守ること、それは持てる物のほとんどを失ってしまった人々にとって、残された数少ない大切な価値なのです。

加納屋さんは333の家族を代表し、訴訟を通して東京電力と一戦交えることになりました。
一見すると、それは非現実的な無謀な試みのようです。
東京電力は放射能汚染によって故郷の家を追われた人々、土地や生計手段を失ってしまった人々に対し、すでに3兆円を超える損害賠償を行っています。
すでに明らかになっている東京電力の負担はそれだけではありません。
チェルノブイリがそうであるように、数世代に渡り、何十年もの時間をかけて福島第一原発の事故収束・廃炉作業を完了させるためには、10兆円を超える費用が必要だと見積もられているのです。

東京電力社員
東京電力は政府資金の注入による実質的な国有化措置が採られなかったら、とっくに経営破たんしていたでしょう。
そのような状況下であっても、加納屋さんたちのグループは、東京電力に対死者に対する充分な補償を行うよう求めていくつもりです。

加納屋さんたちは次のように主張しています。

すべての犠牲者は津波の被害者ではあって放射線が原因で死亡した訳ではなくとも、もしあの時福島第一原発の事故さえ発生しなければ、多くの命が救われたはずだと…
さらに明らかなことは、死亡した人々が本来の墓所に適切な形で埋葬される権利を侵害されたという事である、訴状にはそう記されています。

事故直後、福島第一原発の周囲の津波の被災地では放射性物質が降り注ぎ、生存者・遺体の捜索共に行われることはありませんでした。
それはすなわち、遺体はその場所に放置されたまま、腐敗するにまかせるしかなかったという事を意味したのです。

〈 第5回につづく 〉

http://moreintelligentlife.com/content/features/anonymous/fukushima
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3.11の翌12日、仙台市内にいた私はまだ放射能の事など意識する事も無く、仙台市の中心部に出かけていき、友人の安否の確認をしていました。
無事を確認し早々に自宅に戻ると、唯一の情報源であった乾電池式のラジオから福島第一原発の1号機が爆発したという緊迫したニュースが流れました。
その本当の恐ろしさを理解できるようになったのは、ライフラインが復活し、テレビ、ラジオだけでなく、インターネットを通して海外の報道なども見れるようになり、原発事故というものがどういうものかを確認してからの話でした。

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【 内戦という名の戦争、難民キャンプ、そしてずたずたにされた子供たちの心 】〈1〉

アメリカNBCニュース 3月11日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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レバノンのベカー渓谷では約5,000人の国外脱出をしたシリア難民が、フェイダ・キャンプと呼ばれる場所で生活しています。
AP通信のニュース・カメラマン、ジェローム・ディレイとNBC放送の番組制作者である立花由香が2日間キャンプを訪問し、まだ成年に達していない戦争の生存者がどんな生活を強いられているか、取材と写真撮影を行いました。

13歳のアリは家族で車に乗って移動していた時、突然銃撃を受けました。
銃弾はアリの掌を貫通し、隣にいた弟モハメドの頭に命中してしまいました。
モハメドはそのままアリの腕の中で息を引き取りました。
その一か月後、アリの家族は国境を越えシリアを逃れ、レバノンにやって来ました。
兄弟の母ハタラは、モハメドの死以来子供の様子が変わってしまったと語ります。
アリはまだ手に痛みが残っていますが、事件そのものの記憶はあいまいです。
母によれば事件以来アリは突然異常に興奮することが多くなり、自律的行動をすることが難しくなったと語ります。
しかしアリは現在、家族にとってたった一人の稼ぎ手です。
彼は毎日1時間歩いて通勤し、自動車整備工として週に6日間働いています。
「神が一つだけ願いをかなえてくれるなら、平和になった故国に帰りたいと願うつもりです。」
(写真上)

14歳のノファはアリの姉です。
末の弟が銃撃によって死亡したことに衝撃を受けた彼女は、一刻も早く家から出たいと考えました。
そして従弟と結婚しましたが、結婚生活は長続きせず、結局もとの家族のもとに戻ってきました。
彼女は現在学校に行くことなく、母親と一緒に年下の兄弟姉妹の世話に明け暮れています。
「シリアで内戦が始まる以前、私は学校が好きでした。わたしの成績はクラスでトップでした。」
ノファがこう語りました。
「得意科目はアラビア文学でした。」
(写真下・以下同じ)
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2年前に家族と一緒にシリアのイドリブから逃れてきた5歳のガマルがフェィダ・キャンプの中を歩いていました。
当時イドリブでは頻繁な砲撃や爆撃にさらされ、近くで爆音がする度ガマルは泣き声をあげていました。
避難後の今も夜中に泣き叫ぶことがあります。
父親のカリドがガマルのこれからの人生に望むことは、平和で落ち着いた生活だけだと語りました。
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母親と一緒に暮らしている難民キャンプのテントの中で、兄弟姉妹と一緒にベッドに座る12歳の少女ファティマ。
4ヵ月前、家族のために食糧を捜していた父親が姿を消した後、ファティマと家族はシリアのホムスを逃れてこの場所にやってきました。
「私はいつも父の事を考えています。父は私たち家族が幸せでいられるよう、絶えず気を配っていました。食べ物を探し、家族全員が無事でいられるようにしてくれていました。神さまがひとつだけ願いをかなえてくれるなら、父を返してほしい、それだけです。」
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7歳のシドラ(真ん中の少女)が難民キャンプのテントの前に立っています。
家族が就寝中に自宅近くで爆発が起きた2週間後、シドラの両親は3歳の妹のジーナとシドラを連れてダマスカス郊外からレバノンに逃れてきました。
「そのとき私のおじさんが3人、そしていつも一緒に遊んでいた3人のいとこも死んでしまったの。」
シドラがこう話しました。
そしてシドラの弟も3年前、銃撃で殺されていました。
「私はもうシリアには戻りたくないわ。私はこのキャンプいる方が安心できるから。」
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【 地震、津波、そしてメルトダウン – 日本史上、最悪の悪夢は続いている 】《第3回》

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所要時間 約 10分

雪まじりの風が吹きつける、凍えるような仮設住宅の中での孤独な暮らし
調査委員会の聴取会場で、立ち上がり、慟哭し始めた男性

ヘンリー・トリックス / インテリジェント・ライフ 2013年7・8月号 / エコノミスト 

アルジャジーラ抗議集会
今年73歳になった加納谷さんは、現在福島県の県庁所在地である福島市郊外の仮設住宅で独り暮らしをしています。
福島市は請戸から約80キロほどの場所にあり、間には高い山脈が横たわり、加納谷さんはもう滅多に戻ることはありません。
 
加納谷さんが暮らす仮設住宅は、四角形の箱を組み合わせたようなプレハブ構造の集合住宅です。
私が彼の部屋を訪れている間中、シベリアから吹きつける冷たい風が運んできた雪が、プレハブ住宅のドアに叩きつけられていました。
加納谷さんは部屋の中でコートを着てマフラーを巻いたまま、壁に背中を持たせかけ、パナソニックのテレビと向かい合って座っていました。

その壁にはいつものように毛糸、耳当てのついた革製のものなど、加納谷さんが漁の時にかぶる様々な種類の帽子がかけられていました。
その帽子は彼が漁師であった時の誇りと喜びの象徴であり、唯一の装飾品でもあります。

そしていつも寡黙な加納谷さんは、訪れた私たちにいつも通りのぶっきらぼうな挨拶を返しました。
私は狭い入り口でブーツのひもを解くのに苦労していましたが、加納谷さんはかまわず私に背を向け、リビングルームに入っていきました。

仮設住宅01
一方の壁には1970年代頃に撮影したと思われる、加納谷さんの写真が掛けられていました。
映画『スティング』の中でロバート・レッドフォードが着ていたような、茶色の革のジャケットと帽子を身につけた悪ぶったポーズの加納谷さんが写真に納まっています。

その隣には奥さんのひさ子さんの写真が掛けられていました。
ジーンズをはいて、丸い顔に笑顔を浮かべています。

私は加納谷さんの写真を見ながら、若い時はさぞやもてたのでしょうねと話しかけた事が何度かありました。
その都度彼は、実際その当時は女の子には不自由しなかったことを認めるかのような、いたずらっぽい笑顔を浮かべるのでした。

しかし現在、加納屋さんのそばにいるのはもう一枚のひさ子さんの写真だけです。
髪を後ろに流し、体にぴったりした黒スロープを羽織った姿の遺影が飾られています。
その遺影は2本のろうそくの間に収まり、線香を入れた箱や毎朝加納屋さんがひさ子さんのために祈るとき仏前に供えるミカン、ビスケットなどが一緒に並んでいます。
その中にひさ子さんの遺灰を治めた小さな壺が置かれています。
ひさ子さんは今や魂だけの存在となりました。
加納屋さんは一本の線香にを点けるとひさ子さんの位牌に頭を垂れ、静かに合掌しました。

「私は朝晩、家内と話しをするのです。」
加納屋さんがこう語りました。
「私は毎朝、その日誰と会う予定にしているかを、彼女に話します、そして夜になって帰ってきたら、その日の出来事を家内に話して聞かせるのです。」

NBC20
そして毎日、私は彼女が亡くなったとき、その場にいて家内を助けることが出来なかったことについて、毎日彼女に謝っています。
そして未だに家内を先祖伝来の墓に埋葬してあげられないことを、心から詫びるのです。
許してくれと何度も…」

「そしてその時が来て私が死んだら、必ず会いに行くから、そしたらまた一緒に暮らしてくれるよう毎日頼んでいます。私が死んだら必ず家内を探し出すから、どうか待っていてくれるように…」

私が初めてひさ子さんの名前を耳にしたのは、福島での災害後の状況について文書化するため国会ないし日本の議会によって招致された調査委員会の席上でした。
福島市で開催されたその委員会に、加納屋さんはスーツにネクタイ姿で証人として現れました。
彼は満員の聴衆に向け、ひさ子さんの身に起きたことを語りました。

それは調査委員会にとって、福島第一原発の半径50km圏内から避難を余儀なくされた88,000の人々の代表から直接話を聞く、初めての機会でした。

各自治体の職員は事故当時、直ちに市町村から全員が避難するよう命じられたにもかかわらず、必要な情報が何も伝えられずパニックに陥ったこと、その挙句、放射性物質が飛散している方向へ避難してしまうという悲惨な結果
に陥ったことを、異口同音に強調しました。

NBC 5
加納屋さんが語ったのはもっと個人的な物語でした。
言葉の端々には怒り、そして無念さをにじませながら、あの日の出来事がその場に居合わせた人間にとってどれほど大きな悲劇であったのか、聞いている人間の心に直接伝わってきました。
そのことを裏付けるような出来事が起きました。

聴衆の中から一人の男性が突如立ち上がり、慟哭し始めたのです。

静かな会場とは不釣り合いなほど大きな音がしましたが、最初男性の姿が目に入らなかった私は、音響装置の不具合が発生したものと思いました。
しかし次の瞬間、私は剣を何本も体に突き刺された牡牛のような鳴き声をあげ、会場の片隅から反対側に向かい、脚を引きずるようにして進む男性の姿が目に飛び込んできました。

感情をむき出しにしたこの行動に驚いた、ベテランの日本人ジャーナリストが身を乗り出して私の耳に英語でこうささやきました。
「こんな光景は普段は日本では見られないよ…」

〈 第4回につづく 〉

http://moreintelligentlife.com/content/features/anonymous/fukushima
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この連載も3日目になりましたが、3.11の3日目の事を思い出しました。
福島第一原発では1号機の水素爆発が発生、原発の危機がエスカレートしていった時期です。
しかし当時は電気はもちろん、ライフラインがすべて途絶し、思うように情報が入らない中、どうやら沿岸部で大勢の人々が犠牲になってしまったらしい、という話が徐々に伝わり始めていました。

それまでの日常が完全に破壊され、破滅と向かい合って生きる日々が始まったのです。

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【 夢を共有する母娘 - 国際婦人デー 】〈3〉

アメリカNBCニュース 3月8日
(掲載されている写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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ビダー・ムヘム・サーベット・アル・ハサン(39歳)と娘マリアム・カリド・マスト(9歳)、2月23日シリアのデイル・アル・ゾルにある自宅の前で。
ビダーは教師とボランティァが共同で設立した学校の校長を務めています。
彼女の希望は産婦人科医になることでした。
彼女は娘を薬科大学に進学させようと考えていますが、医師になる道を選択してくれればそれにこした事は無いと語りました。
マリアムはこれから13年間の学業を続けるつもりですが、生まれ育ったこの場所でアラビア語の教師になりたいと考えています。
(写真上)

スサーナ・マリア・カルドーナ(33歳)と娘アレハンドラ・ルビー・カルドーナ(12歳)、2月20日にホンジュラスのテグシガルパの自宅内で。
スサーナ・マリアは、17歳で学業を終え、現在は家庭の主婦を務めています。
かつての彼女の夢は、弁護士になることでした。
現在彼女は、娘が医者になることを望みますが、娘のアレハンドラ・ルビーはあと11年で学業を終えたら、農学者になりたいと考えています。(写真下・以下同じ)
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ダジョロシャン(40歳)と娘のアイマン(12歳)、2月4日にパキスタン、イスラマバード郊外のスラムにある自宅で。
ダジョロシャンが学校に通ったのは生涯にわずか2年間に過ぎず、コーランを読む程度の知識しか得られませんでした。
後は自宅で独学するしかなかったと語ります。
それでも彼女は現在、地元の女の子たちにコーランを教えています。
彼女は娘に自らの夢を実現し、大学進学して欲しいと考えています。
アイマン自身は医者になることが希望であり、そのために必要なこれから17年間の教育費を両親が負担し続けてくれることを願っています。
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宮崎まなみさん(39歳)とアルトサキソフォンを抱えた娘のななはさん(13歳)、2月3日東京の自宅で。
まなみさんは20歳で学業を終えました。
彼女の夢はたくさんの人びととの出会いがある場所で働くことでした。
彼女の願いは、娘が幸せな結婚をし、愛のある家庭を築くことです。そして生まれ持った才能と能力を生かし切る職業に就くことが一番だと考えています。
ななはさんの夢は将来デザイナー、音楽家、あるいは看護師になることです。
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【 地震、津波、そしてメルトダウン – 日本史上、最悪の悪夢は続いている 】《第2回》

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所要時間 約 10分

空を覆ってしまうほどの高さから、人々に襲いかかった真っ黒な津波
完全な静寂、この世の地獄は完全な無音の世界

ヘンリー・トリックス / インテリジェント・ライフ7月号・8月号 / エコノミスト 

3.1108
2011年3月11日午後2時46分、1000年に1度という巨大地震が日本を揺さぶり、加納谷さんは家に飛んで帰りました。
戻ってみると、ひさ子さんは自宅で近所の人たちとお茶を飲んでいるところでした。
彼女はくすくす笑いながら、床に散乱した割れた茶碗などをほうきで丹念に掃き取っていました。
彼女の念頭には津波の危険という意識は無いようでした。

彼はそうではありませんでした。
加納谷さんの仲間17人ほどは、この時出来る最良の選択を行いました。
持ち船のトロール漁船に乗込み、沖合へと船を走らせることにしたのです。
彼らは津波が海岸に到達する前に船を操り、これをやり過ごす方法を知っていました。

しかし加納谷さんが一番に心配したのは、船の事ではありませんでした。
目の前にいるひさ子さんの事です。
事は一刻を争いました。
加納谷さんはひさ子さんに車に乗るように言い、内陸に向け車を走らせました。
地震が襲った午後2時46分当時、天候は曇りで、今にも冷たいものが落ちて来そうな雲行きでした。
村を出るとすぐ、水田の間を抜ける狭い道は車で渋滞しており、明滅するテールライトが見えました。

031403
いつもなら規則に則った運転が行われている状況なら、大きな交差点に進入する前には、だれもが一時停止します。
津波は刻一刻と彼らに迫り、カーラジオからは直ちに津波から逃げるよう、繰り返し警告が発せられていました。
しかし、一向に動く気配の無い渋滞に巻き込まれてしまった彼らは、ただただ一列に車を並べているだけでした。

何人かがホーンを鳴らしていましたが、多くはルームミラーを通し、背後に広がる海の方を見つめていました。
反対車線は走って来る車の姿は無く空いていましたが、右側車線に出て走行しようとする車はありませんでした。
加納谷さんはその道をあきらめ、目的地を2.5キロほど内陸にある小さな丘に変更しました。
底なら安全だという思いがありました。

目指す場所は竹薮に囲まれ、請戸の町を取り囲むように広がる湿地の中にそこだけ隆起していました。
前年に請戸小学校の子供たちのための避難点に指定された程、この丘は安全だと信じられていました。

しかしやっとその場所にたどり着いた時、加納谷さんは背後に地獄のような光景が広がっていくのを目の当たりにしなければなりませんでした。
「それは高さがさ5~6メートルもある黒い壁のようでした。ものすごく高い場所で波の泡がはじけ、どこまでが津波でどこからが空なのか、まるで解りませんでした。」

120118
地震発生から約1時間後、津波は防潮堤を一瞬で破壊し、内陸を襲いました。
加納谷さんは妻の手を引いて、丘を駆け上がろうとしました。
しかし押し寄せる波の早さは想像を超え、加納谷さんとひさ子さんが充分な高さにまで逃げる前に、波に飲み込まれてしまう事はもはや明らかでした。
加納谷さんは近くの木の枝を体に括りつけ、ひさ子さんを腕の中に抱きかかえました。

凍るように冷たい波が押し寄せ、ものすごい力で加納谷さんの体を引っ張りました。
彼の膝は砕けそうになり、そして最も恐れていたことが起きました。
ひさ子さんを加納谷さんの腕の中からもぎ取っていったのです。

「水が引いて行った後、私は一人になっていました。」
加納谷さんの膝の骨は完全に折れていました。
「私は丘を這い上りながら、何度も何度もひさ子の名前を呼びました。」
しかし彼の呼び掛けに応えたのは、完全な静寂でした。
「私は人生の中で、あれほどの静寂、全く音の無い世界を体験したのは生まれて初めてでした。世界から音が消えてしまった。まるでそんな感じでした。」

031404
天候はみぞれに変わり、打ちのめされた彼の体はがくがくと震え始めました。
彼は地面にうずくまり、何とか体温を逃がさないようにするため、地面に散らばっていた木の葉を着ていたシャツの中に次々と押し込みました。

数時間後、彼は地元の男性によって救助され、一番近い町まで車で送り届けてもらいました。
その場所で加納谷さんは女性もののジャージを貸してもらい、何とか体を温めようとしました。

翌日、加納谷さんは必死にひさ子さんを探そうとしましたが、ひざの治療のため、病院へ連れていかれました。

その数時間後、福島第一原子力発電所の第一回目の爆発が起きたのです。
福島第一原発を襲った津波はすべての電力の供給を破壊し、原子炉の冷却装置が稼働できなくなり、3基の原子炉をメルトダウンさせました。
原子力発電所の爆発を見た付近の住民は恐怖におののき、日本政府は福島第一原発の周囲20キロ圏内の住民に対し、避難を指示しました。

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加納谷さんが入院していた病院は、ちょうどその外側にあったのです。
しかし病院の医師と看護婦は、加納谷さんを含む入院患者のほとんどを置き去りにしたまま逃げて行ってしまいました。
それからの数日間、加納谷さんは取り残された数名の入院患者とわずかなおにぎりを分かち合いながら、病院で過ごしました。
そして、ひたすら妻の無事を祈り続けていました。

〈 第3回につづく 〉

http://moreintelligentlife.com/content/features/anonymous/fukushima
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3.11の後の数日間、それまで経験した事の無い「間近に死がある暮らし」を強いられる事になりました。
忘れようとしても、忘れられるはずがありません。

しかし自宅も勤務先も地震の比較的軽微な被害だけで済んだ私の場合は、立ち直りが早く済みました。
そこに津波の被害が加わった被災者は今、立ち直ろうとしても遅々として進まない状況の中で苦悩しています。
そしてさらに福島第一原発が吹き上げた放射性物質に、自宅も故郷も汚染されてしまったという方々は?
見通しすら立たないという方が、大勢いらっしゃるのです。

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【 夢を共有する母娘 - 国際婦人デー 】〈2〉

アメリカNBCニュース 3月8日
(掲載されている写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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ライムンダ・エリアンドラ・アルベス(45歳)と娘のアナポーラ・レオナルド・フスティーノ(10歳)。2月10日にブラジル、リオデジャネイロのスラム街の自宅で。
ライムンダは19歳で学業を終え、今はスーパーマーケットのレジ係として働いていますが、子供の時は数学教師になるのが夢でした。
今は娘のアナポーラが獣医になることを望んでいます。
アナポーラはハイスクールに進学の後、大学に進み2025年に大学を終える予定だと語りました。
アナポーラはの夢も獣医になる事です。
(写真上)

モハンナ・カナル(35歳)と娘のヴィパサナ・カナル(12歳)、2月4日にネパールの首都カトマンズの自宅アパートのキッチンで。
モハンナは20歳で学業を終え、学校の教師になりましたが、子供の時の夢は旅客機の客室乗務員になる事でした。
母の願いはヴィパサナが有名なメディア・パーソナリティになる事ですが、本人は2025年に教育を終えたら、ネパールの観光開発を促進する旅行業の職に就きたいと語りました。(写真下・以下同じ)
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ニクイナ・フィエラル(39歳)とフロリ・ガブリエラ・ドミトラチェ(13歳)、2月25日にルーマニアのグーラスティ村の自宅で。
ニクイナには2人の子供がいますが、現在失業中です。
彼女は、娘のフロリの縫製工場への就職を望んでいますが、フロリはポップ歌手になるのが夢です。
彼女は14歳になったら数マイル離れた町のハイスクールに行くことを希望していますが、家族はそのための費用を支払う能力がありません。
幸いルーマニアのNGOにより、進学を可能にする奨学金が給付される事になりました。
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クレア・バレット・バトラー(37歳)と彼女の娘ユリ・バレット・マクヒュー(11歳)、2月27日アイルランドのドニゴール郡の小さな村アーダラにある自宅の前で。
クレアは専業主婦主婦ですが、大学に籍を置き教育を続けています。
彼女は子供時代、特撮映画のスタントウーマンになるのが夢だったと語りました。
娘のユリは20歳前後まで学業を続け、その後美容師に道に進みたいと考えています。
クレアは娘の夢が現実になるよう願っていると語りました。
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【 地震、津波、そしてメルトダウン – 日本史上、最悪の悪夢は続いている 】《第1回》

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所要時間 約 11分

幸せが形に…海とともに暮らした穏やかな日々、なぜ消えてしまったのか?
人々がつつましく暮らしていて静かな漁村に、大量の現金を流し込んだ原発建設、それが始まりだった…

ヘンリー・トリックス / インテリジェント・ライフ7月号・8月号 / エコノミスト 

請戸01
災害が襲う前、福島沿岸にある請戸地区には、海の恵みにより穏やかで恵まれた暮らしがありました。
さらにその北方、宮城県北部から岩手県にかけたリアス式海岸の町や村はしばしば津波に襲われ、人々にとっては豊かな海が凶暴な殺人者になることがありました。
人びとが命からがら逃げだすと、津波は後を追うようにしてやって来て、町や村で破壊の限りを尽くしました。

しかし、請戸があるのはなだらかな灰色の砂浜が広がる典型的な太平洋岸の穏やかな海岸で、早朝飛び交うカモメの足、そしてカニを水揚げする喧騒があたりを支配する場所でした。
そして夏になると、サーファーたちが集まって来て、乗りこなす波の訪れを待って何時間も海面を漂っていました。

波が高くなると、町の全面に建設された巨大なコンクリート製の防潮堤が、百戦錬磨の部隊長のように押し寄せる波をはね返していました。

請戸では何代にもわたり請戸では、海の恵みに感謝する祭りを年2回、町の人間が総出で祝ってきました。
新年になると大漁旗を風になびかせながら何隻もの漁船が連なって、けたたましく汽笛を鳴らしながら港外をパレードするのが習わしとなっていました。
列の先頭に立つのは、前の年最も多くの漁獲高を挙げた漁船です。

その2ヵ月後、海は寒くそして荒れていました。漁師たちは海に出ることをあきらめ、陸に残って酒でも飲んでいるしかありませんでした。
ちょうど町では年2回の祭りの本祭が催されていました。
この祭りは海での豊漁、そして陸の豊作を願って行われるもので、家々ではその食卓に海と陸のごちそう、魚とご飯を並べ、祝うのです。

請戸03
子どもたちは赤や黄色の花をあしらった笠をかぶり、青を基調とした法被を着た思い切り派手な祭りの衣装で登場し、海辺で豊漁と豊作を願う踊りの輪に加わります。

若い漁師たちは裸の体に真新しい白い褌を締め、地域の名誉をかけて冷たい海に飛び込みます。
そして、冷たい海の中を御輿を担いで練り歩くのです。
『安波(あんば)祭り』という祭りの名前こそは、集まった人々の願いを象徴するものなのです。

71歳になる加納谷守久さんもまた、穏やかな海の恵みを享受して生きてきた人間のひとりです。
漁師の2代目である加納谷さんは、新年の漁船のパレードの際には、持ち船の大きさもあり度々先頭を行く5隻の漁船の中に入っていました。

彼の漁師としての人生は、潮の満ち引きのように規則正しいものでした。
週のうちの6日、海の近くにあった自宅で快活な妻の久子さんと共に毎日午前2時に起床します。
久子さんは前の晩に用意しておいた小ぶりの弁当を、未だ夜が明けぬうちに加納谷さんが沖に向かう船の中で食べるよう、手渡します。

加納谷さんに同行するのは長男一人だけです。
漁場についた2人は2、3時間かけて、ヒラメ、タコ、鯛とイカなどの獲物を50~200kg程水揚げします。
久子さんが朝食を用意し終わる午前7時ごろまでには、彼らは家に戻っています。
朝食後、長男と加納谷さんは午前9時になると日本最大の市場である築地市場に出荷するため、獲れた魚を地元の市場に水揚げします。
地元では漁師としての加納谷さんを知らない人間はいません。

正午を回るころには加納谷さんは漁網をきれいに洗い終え、その後は何を気に病むことも無く一杯目の酒を口に運ぶのです。
大柄で分厚い胸をした加納谷さん、彼は自分でセーブしなければ、一日で2リットルでも、3リットルでも日本酒を飲んでしまうことが出来ます。

請戸06
しかし規則正しい生活に慣れた加納谷さんが、そんなことをすることはまずありませんでした。
午後8時には床について、翌日の漁に備えるのが彼の日課となっていました。

彼の収入はその日常同様に安定したものでした。
日本の東北沖の太平洋は北極海から流れてくる冷たい親潮と、南から上がってくる暖流の黒潮がぶつかり合い、世界有数の豊かな漁場です。
たくさんの漁師たちがこの漁場を別名海の銀行と呼ぶことに素直にうなづけるほど、海は来る年も来る年も豊かな漁獲を漁師たちに保証してきました。

そして請戸の漁師たちに、新たなボーナスが舞い込むことになりました。

東京電力が請戸から6~7キロほど離れた場所に、同社初の原子力発電所、福島第一原子力発電所を開設することになったのです。
原子力発電所は冷却システムから海に温排水を流しだしますが、付近の漁師たちは福島第一原発周辺の海域の漁業権を放棄する代わり、多額の補償金を受け取ることになったのです。
中でも請戸の漁師が受け取る保証金の額は、最大の金額になりました。

東京電力は1号機を皮切りに次々に原子炉を建設し、そのたびに補償金を受け取り、東京電力の気前の良さに漁師たちは満足の笑みを浮かべていました。

受け取った補償金で加納谷さんはじめ、漁師たちは船に新型エンジンを取り付け、トロール漁船そのものも性能の良い物にアップグレードして行きました。
こうして彼らの漁場は広がり、否でも東京電力の補償金のありがたさが身に染む思いをしていました。

請戸07
こうして請戸の漁業は農業に比べ、はるかに割の良い商売になりました。
日本が深刻な経済停滞に陥った1990年代にあっても、請戸の景気は良いままでした。
長い間、地元の漁業協同組合の幹部を務めた加納谷さんは、請戸の腕利きの漁師として鳴らしました。

しかし2011年、加納谷さんはそろそろ潮時だと思い定めました。
彼は漁師用の白い長靴を脱ぎ、漁協の役員も辞任し、ひさ子さんと一緒に日本全国を周る旅、できることなら世界一周旅行に出かける決心をしたのです。
この決心を聞かされた時、ひさ子さんが大層喜んでくれたことを加納谷さんは覚えています。

そして2011年3月11日の午後がやってきたのです。

〈 第2回につづく 〉

http://moreintelligentlife.com/content/features/anonymous/fukushima
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3.11から3年が経ちます。
この3年、一時は日本が社会正義を目指す社会へと変わりそうに見えた時期がありましたが、既得権益の反撃の前に特定秘密保護法の成立、そして原発の再稼働と雲行きが怪しくなってきました。
3.11の記憶を風化させればさせるほど、日本の闇が広がるような気がします。

今日から一週間、この【 地震、津波、そしてメルトダウン - 日本史上、最悪の悪夢は続いている 】の掲載を続けます。
これまで翻訳した記事の中でも最長の部類に入りますが、それ以上に翻訳に時間がかかりました。
丁寧に翻訳したつもりです、ぜひ最後までお読みくださるようにお願い致します。

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【 夢を共有する母娘 - 国際婦人デー 】〈1〉

アメリカNBCニュース 3月8日
(掲載されている写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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今年の国際婦人デーに、世界中のロイター・カメラマンが同じテーマで母と娘の肖像写真を撮影しました。
3月8日に、世界中の活動家が国際婦人デーを祝います
女性解放運動そのものは20世紀の初めにまでさかのぼりますが、国際婦人デーは1975年国連によって制定されました。
国連はこの日女性の権利拡大の業績を祝う一方、さらなる変化を要求する機会でもあるとしています。

サシード・シーク・ヤクーブ(34歳)2014年2月11日、モガディシュのホダン地区国内避難民(IDP)キャンプ内にある自宅で、彼女の娘ファームド・サビーア・モハメド(13歳)。
サシードは20歳まで勉学を続け、女性実業家を目指しましたが、現実には小さな商店を経営しています。
ファームドは2017年に学業を終了する予定ですが、母と娘はファームドが医師として世に立つ事を願っています。
(写真上)

ダマリス・マトス・クアベリョ(43歳)とローラ・ヴィラー・マトス(14歳)。(写真下・以下同じ)
2月12日ハバナ、キューバ。の彼らの家の外で、写真のためにポーズをとります。
ダマリスは21歳で学業を終えると、歴史学者の秘書として働きました。
子供の頃医師になる事を目指していたダマリスは、ローラにその夢を次いでもらいたいと考えています。
しかしローラ自身は生物学者になるのが夢のようです。
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シャルロッテ・スタフェイス(49歳)とスカーレット・スタフェイス(9歳)。
3月2日、マルタ島バレッタ郊外の自宅のリビングルームで。
シャルロッテは17歳で学業を終え、フリーの演劇教師と女優を職業にしています。
シャルロッテはスカーレットが将来科学者になる事を願っています。
スカーレット自身は25歳前後で学業を修了し、獣医になりたいと考えています。
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ノール・ジア(40歳)と娘のサバ・マフディ(11歳)。アフガニスタン、カブールの自宅で。
ノールは28歳で学業を終え、現在教師の職に就いています。
彼女が目指したのは医者でしたが、経済的な理由によりその夢は叶いませんでした。
ノールは娘が高い技術を備えた、高名な医師になる事を夢見ています。
サバ自身も大学進学を望んでいますが、目的は弁護士になるための学問をするためです。
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http://www.nbcnews.com/news/photo/mothers-daughters-share-their-dreams-international-womens-day-n47656

【 原発被災者、初めて実施される永住を前提とした自宅への帰還 】[米国CNN]

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所要時間 約 5分

東京電力が放射能漏れ事故を繰り返している最中、実施される住民の帰還
困難な除染作業が続く中、福島第一原発では東京電力が放射性物質の漏出を止められず

アメリカCNNニュース 2月24日

CBS03
日本政府は2011年3月に発生した福島第一原子力発電所の事故以来、はじめて一部の周辺地区住民の自宅への帰還を許可することになる見通しです。
3月11日に襲った巨大地震と巨大津波がきっかけとなり、福島第一原発の3基の原子炉がメルトダウンを引き起こした事故は、1986年のチェルノブイリ事故以降最悪の原子力発電所事故に発展しましたが、事故による深刻な環境汚染により、同発電所の周囲20キロ圏内に暮らしていた10万人以上の人々が現在も避難生活を余儀なくされています。
以来東北地方にあるかつてはにぎわっていたこれらの市町村は、ゴーストタウンへと変えられてしまいました。

しかし復興庁によれば、このうち田村市都路地区の350人の住民について、4月1日に以後の永住を前提とした帰還が認められることになりそうです。
復興庁は最終的に31,000人の永久帰還が認められる見通しであることを付け加えました。
政府によれば、約138,000人の福島の住民が未だに仮設住宅での生活を強いられています。

NBC25
日曜日に開催された会合では、除染作業により放射線量が永住が可能なレベルにまで低下したことについて説明がありましたが。
それでもいくつかの市町村については、除染によっても放射線量が下がらない場所がある事への不安を表明する住民の姿がありました。

その場所の年間の放射線量が20ミリシーベルト以内になれば、居住が可能であるとの判断が下されることになります。
政府当局者によれば、こうした記場所における住民の年間被ばく線量を1ミリシーベルト以内に収まるよう、対策を取っていきたいと語っています。

続いている放射能漏れ

事故を起こした福島第一原発が行っている定期報告では、同発電所は数種の放射能漏れについて、これらを止めることが出来ずにいます。

spiegel07
2月後半にも、東京電力は汚染水を貯蔵しているタンクから約100トンの高濃度汚染水が漏れ出し、漏出を防ぐための堰を超えて地中に浸出する事故がありました( http://kobajun.biz/?p=16759 )。
子の漏出について東京電力は、太平洋への流れ込みは無いとの見解を示しています。

安倍晋三氏が首相を務める日本政府は、現在東京電力に直面している周辺各国が懸念を強めている大規模な汚染水の太平洋への流れ込みを止められない問題について、政府が直接介入して問題の解決にあたると内外に向け宣言しています。

2月20日の汚染水漏れの事故は、2013年の夏に発生した約300トンの高濃度汚染水が漏れ出した事故に次いで大規模な漏出事故になりました。

http://edition.cnn.com/2014/02/24/world/asia/japan-fukushima-residents-return/index.html?iref=allsearch
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【 不当拘束?! 監禁されたジャーナリスト 】

アメリカNBCニュース 3月5日

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エジプトの国営通信社は、テロリズム容疑で逮捕されたアルジャジーラ英語版のジャーナリスト3名と他の17名の被告の裁判が3月24日まで延期されたと伝えました。
裁判でアルジャジーラのジャーナリストは、テロリストグループに対する援助を行い、自らもテロ行為に加わったとの嫌疑をかけられています。
これに対しアルジャジーラ側は彼らは通常の取材活動を行っていたただけであるとして、容疑内容を否定しました。
逮捕されたアルジャジーラのジャーナリストは、エジプト国籍のカナダ人代理局長、オーストラリア人、そしてエジプトのプロデューサーの3名ですが、全員が無罪を主張しています。

http://www.nbcnews.com/news/world/caged-journalists-appear-cairo-court-trial-n44896

放射能汚染の北アメリカ海岸への『襲来』、その監視を続ける科学者たち[インデペンダント]

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所要時間 約 9分

福島第一原発の汚染水は、太平洋を越えてやって来るのか?
日米のの各政府機関は、なぜこの問題を黙殺し続けるのか?

カシュミラ・ガンダー / ザ・インデペンダント(英国) 2月25日

ウッズホール02
福島第一原発の事故により太平洋に流れ込んだ放射能汚染水が北アメリカ沿岸にまで到達するのかどうか、その結果はこれからの2ヵ月間で明らかにされます。

これまで確認されたのはカナダ沿岸でごく微量の放射性物質が確認されましたが、福島第一原発から東流する汚染物質の北アメリカ海岸への到達はこれから本格化するものと予想される、英国BBC放送がこのように伝えました。
2011年に発生した福島第一原発の事故では3基の原子炉がメルトダウンし、太平洋に放射性物質が流れ込みました。

カナダのベッドフォード海洋科学研究所の科学者たちは、2011年の福島第一原発の事故発生以来、バンクーバーからブリティッシュ・コロンビアに到る約2,000kmの海岸線に沿って、水の分析を続けてきました。

2013年6月には、調査を行ったすべての観測点において放射性セシウム-137と134が検出されました。
しかし調査にあたっている科学者は、今後放射線量が増加することになっても、その値は国が定めた安全基準内に収まる見込みであると強調しています。

03 Spiegel
今回の研究にあたった科学者は、放射能汚染水がどのように流れ込むか予測検証の結果、2つのモデルを想定し、それを地図上に表現しました。

一方の場合、海水1立方メートル当たり、最大で27ベクレルの汚染海水が、2015年中頃までにカナダ沿岸に到達すると予測しています。
しかし、もう一方のケースでは、1立方メートルにつきおよそ2ベクレル以内の汚染に留まるとしています。

ベッドフォード海洋科学研究所のジョン・スミス博士は現在行われている海洋調査により、いずれの予測が現実に近いか、明らかにされるに違いないと語りました。
2014年ハワイのホノルルで開催された海洋科学者会議では、記者団に対し次のように強調しました。
「いずれの場合であっても、セシウム137について飲料水1立方メートル当たり10,000ベクレル以下と定められているカナダの安全基準を完全に満たす数値であり、環境に対する脅威、人体に対する放射線の影響はほぼ存在しません。」

この会議の福島第一原子力発電所問題に関する作業部会に参加したウッズホール海洋科学財団のケン・ビュッセラー博士は、アメリカ西海岸において放射線量の測定を行うため、市民たちが積極的に参加している状況について語りました。

02 Spiegel
市民運動のメンバーは、アラスカ州、ワシントン州、カリフォルニア州、そしてハワイで放射能検査を行うため、定期的に海水サンプルの収集を続けています。
これらの調査ではセシウム-134は検出されませんでしたが、セシウム-137は1950年代、1960年代に行われた核爆弾の爆発実験によるものが、すでに環境中に存在します。
しかしビュッセラー博士は、福島第一原発が放出したセシウム-134、セシウム-137が間もなくアメリカ西海岸に到達するのは避けられないとみています。

アメリカの各政府機関はどこもこの測定・調査を行なおうとしないため、ビュッセラー博士は測定結果をウェブ上で誰でも確認できる市民による調査プロジェクトを立ち上げ、個人の寄付を募りながら詳細な調査を行なおうとしています。

「私たちが今取り組まなければならないことは、調査結果を体系的に整理することです。ジョン・スミス博士により、海水1立方メートル当たり30ベクレル前後の汚染水が到達することが予想されている以上、手をこまねいているわけにはいかないのです。」
ビュッセラー博士はBBCの取材にこう答えました。
「予測される数値に10倍の差がある点については、興味深いものがあります。しかしもし汚染がその最大の数値に近づけば、その分懸念も大きくなります。私個人の見解としては、人間の健康にとって1立方メートル当たり30ベクレル前後の汚染は許容できる範囲を超えています。」

福島第一原発遠景
これについてスミス氏が次のようにつけ加えました。
「原子炉の多くが海岸沿い、あるいは河畔に立地しています。セシウムその他の放射性物質が海や河川に流れ込んだ場合の結果について、その誤差を10倍以内に収めるためには、詳細な調査を行い、精密な資料を作り上げる必要があります。」
「それ以上の誤差が出るようでは、住民や環境を守ることはできなくなります。」

http://www.independent.co.uk/environment/radioactive-water-travelling-from-fukushima-power-plant-being-measured-by-scientists-9152611.html?origin=internalSearch
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翻訳し終えて、ちょっと微妙な内容、すなわち何に力点を置いた報道なのかつかみにくい記事でした。
ご紹介するかどうか迷いましたが、福島第一原発に関連する記事については、この【星の金貨】は『網羅性』をひとつの基準としていますので、あえてご紹介することにしました。

3年目の3月11日が近づき、関連する記事も増えてきました。
今朝も地元紙には第一面に福島第一原発に関する記事が掲載されています。( http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201403/20140307_63016.html )
【星の金貨】でも、次週から海外の特集記事の翻訳をご紹介する予定です。

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【 今月の傑作宇宙写真 】〈2〉

アメリカNBCニュース 2月28日
(掲載されている写真をクリックして大きな画像をご覧ください)

宇宙9
満月の上を飛ぶムクドリの大群、2月13日、南イスラエル。(写真上)

オーロラとトナカイ。2月19日、ノルウェー。(写真下・以下同じ)
宇宙10
2月10日火星、探査車キュリオシティが車載カメラでとらえた、自身がつけたわだち。
右後方にディンゴのギャップと名づけられた山地の切れ目が見えます。
宇宙11
2月11日国際宇宙ステーションの『希望』研究モジュールから、ロボットアームを使って軌道上に打ち出される2機の小型衛星。
同ステーションから軌道に乗せられたこのような小型衛星は、すでに24機を超えました。
宇宙12
2月14日ロシア、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地で、トルコの通信衛星を積んだロシア製プロトンMロケットの近くに座りこむラクダ。
宇宙13
2月7日NASAが公表した国際宇宙ステーションから撮影された三日月の写真。
地球の大気圏にあるガスやチリなどの層がプリズムの働きをするため、こうして月全体の姿をとらえることが出来るのです。
宇宙14
NASAのカッシーニ宇宙船の広角カメラが約256万マイルの距離からとらえた土星の姿。
有名な六角形の雲模様が、土星の北極圏にはっきりと写しだされています。
この写真は2013年11月23日に得られたデータから作り上げられ、2014年2月3日に公開されました。
宇宙15
宇宙飛行士が国際宇宙ステーションから撮影した、インド洋のモルディブ諸島。2月10日にツイッターで公開された写真に写っている小さな点は前後左右に移動するボート。
宇宙16
ソチ・オリンピックの聖火の熱で歪んで見える満月。2月13日。
宇宙17
http://www.nbcnews.com/news/photo/month-space-february-2014-n40606

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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