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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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【 がれきの中から立ち上がろうとする人々 : 宮城県石巻市 】[ガーディアン]

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所要時間 約 16分

破壊のすさまじさに変化の兆しを見つけられない都市(まち)、遅れる一方の復興計画
官僚主義に支配された行政、時間を浪費してばかりの政治には相変わらず失望させられる
津波の恐怖、復興事業の遅れが住民の帰還を阻む

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 1月27日

石巻01
石巻駅周辺の通りは約3年前に東日本の太平洋岸を襲い、いくつもの市町村を破壊しつくした、東日本大震災による地震と津波の影響をあまり受けてはおらず、甚大な被害を被った場所にやって来たという印象を受けることはあまりありません。

取材のためクリスマスにこの場所を訪れたその夜、駅前のレストランからは酔っぱらった少人数のグループが、よろめきながら凍てついた舗道に出てきました。
シャッターが下りたままの商店街の単調さ、2~3ブロックおきに配置された漫画家石ノ森章太郎の登場人物たちの立像だけです。
彼らは市内にある漫画家としての業績を集積した石ノ森漫画館へと、石巻を訪れた人々をいざなっているのです。

このようにしないにいては解りにくい、東日本大震災によって石巻が受けた破壊の全容は、市内にある小高い丘の上に昇った時、はじめて明らかになります。

石巻市の中心部は消滅しました。

目の前には、平らにされてしまった不毛の土地が広がっています。
2011年3月11日の午後までこの場所にあったはずの建物は、押し寄せた津波によりことごとくが瓦礫(がれき)と化してしまいました。
津波によって平らにされてしまった場所には、400万トンを超えるがれきが置かれたままになっています。

場所によっては20メートルの高さにまでなった巨大な津波は、50,000以上の建物を破壊、あるいは損害を与えました。
津波が引いた時には、すでに3,162名の人命が喪われてしまっていたのです。
そして未だに約430名が行方不明のままになっています。

津波によって甚大な被害を受けた地区を中心に、石巻市内の完全な再建を果たすには、少なくとも10年以上の月日と1兆円以上の費用がかかります。

再建はまず、破壊された港湾施設、堤防、道路と橋などのインフラ設備から始めなければなりません。
これまで1,000億円が公共住宅の建設に、別に1,200億円が未だに仮設住宅で暮している15,000人の市民の住居を確保するために配分されました。

石巻02
日本の歴史上最悪の天災のひとつが襲ってから3年近い月日が経ちましたが、現状を見る限りほとんど何も変わっていないじゃないか!というつぶやきが思わず口から洩れそうになります。

しかし官僚主義に支配された行政、時間を浪費してばかりの政治には相変わらず失望させられる中、市井の人々の間からはかつての暮らしを取り戻そうとする自主的な動きに勢いが感じられるようになりました。

2012年6月、市内の商店と飲食店の経営者が集まり、仮設店舗でかつての商売を再現させる石巻元気復興センターがオープンしました。

「私たちは津波ですべてを失いました。この商店街は一日も早く元の暮らしを取り戻そうという決意から生まれたのです。」
ユミさんがこう語りました。

地元で獲れた魚の水産加工品販売を営む船岡さんは、次のように語りました。

石巻05
「ちゃんとした店舗が再建され次第、私たちはこの仮設店舗を撤退するつもりでいました。ところが再建計画は遅れに遅れてしまっているのです。
私たちは今も東京その他の場所から注文を受け取っていますが、その規模は震災前とは比較ならない程小さなものです。」

▽新たな姿、新しいビジネス

探検型の遊園施設、図書館、カフェ・バー、そして徒歩旅行者やビジネス客のための簡易宿泊施設さらには小規模な製造・加工施設のためのラボなども含めた、その他の取り組みも始まっています。
『タダイマイシノマキ』は、仮設住宅で暮す『お母さん達の「手しごと」製品の展示・販売』としてバッグ、財布、その他の品物を販売しています。
彼女たちには今のところ、他に収入の途はありません。

「私たちは始めに石巻市に援助を申し込みましたが、はかばかしい返事は帰って来ませんでした。なので自分たちで店をオープンさせ、前進する決心をしたのです。」
従業員の掘込渉さんがこう語りました。
「私たちは施しに頼りたくはありませんでした。そこで地元の人たちを巻き込んで工房を立ち上げたのですが、参加した人々は前向きに生きることが出来るようになりました。」

石巻03
2011年の災害発生以前から経済が停滞していた東北地方沿岸地区では、雇用機会の少なさは繰り返されてきた社会問題でした。
そこに襲いかかった津波は、さらに数千の石巻市内の仕事の口を奪ってしまいました。
現在は1人の求人に対し、2人の求職者がいます。

「十分な仕事がないため、若い人たちはこの街を出て行こうとしています。」
掘込さんがこう語りました。
「とりわけ漁業関係者の受けた打撃はひどいものでした。何割かの人は漁業に復帰しましたが、この地に留まることができたのはごくわずかに過ぎません。みんな最善を尽くしています。しかし震災による地盤沈下のため、大雨が降る度漁港が水没してしまう、それが現実です。あの津波は海と人々との繋がりを、断ち切ってしまったのです。」

橋の上の廃屋
石巻市役所で再建計画を実際に担当している堀内健一氏が広げた地図を見ると、これから10年という歳月を要するその事業の規模の大きさを、たちどころに理解することが出来ます。
石巻市役所の再建計画を担当する部門の副責任者である堀内氏は、地図の中で細長く広がる部分を指さしました。
かつてはこの場所に7,500人の人々が暮らす家が並んでいました。
しかしここは海岸線のすぐそばで、再び住宅建設を行うのは危険過ぎるという非難があります。
ここよりははるかに内陸の場所では住宅の建設が進んでいますが、その人員収容能力は今回の震災で家を失った人の数と比較すれば、小さなものでしかありません。

「震災で家を失った人々の多くは海岸線近く、あるいは北上川の支流に近い橋に住んでいました。」
堀内氏がこう語りました。
「こうした人々がかつてと同じ場所で暮らすのは危険です。この人々にどこに住んでもらうか決めなければならない、それが現在我々が直面している問題なのです。」

石巻市では2016年3月までに、4,000世帯分の住居を確保すべく作業を進めています。
しかし2013年末までに準備できた住宅は150世帯分に留まり、入居が完了したのは100世帯だけでした。
堀内氏は津波が再び襲う恐怖もあいまって、再建事業の遅れにより一部住民の二度と戻らないという決定につながっていることを認めています。

12190
「これからも様々な過程において、問題が発生することは覚悟しています。しかし災害前の石巻市の163,000人という人口を回復するまで、私たちは最大限の努力をするつもりです。」

建築の青写真を提出しても、複雑に入り組んだ官僚制度の仕組みのせいで、いくつもの建築許可申請がたなざらしのままになっています。
被災地で実務に携わっている担当者は、こうした遅れが建設会社による見積金額の増大につながり、いったん組み上げた予算を超過してしまう事態につながっているとの不満を漏らしています。

結局各被災地の担当者は、日本政府に対し予算の増額を求めなければならなくなりますが、その際に帰ってくる答えはいつも同じです。
『必要な金額はすでに支給済みです。』

「それから、我々はより多くのお金を求めるために中央政府に戻ります、そして、反応は以下の通りです: 『しかし、我々はあなたにお金をすでに渡しました」と、ホリウチは言います。

▽ 緊張感を絶やさない民間業者

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官僚機構が相変わらず機能しないのとは対照的に、無数の民間のプランナー、建築家、建築業者、そして金融の専門家などは遅れを取り戻そうと懸命に動いています。

数多くのグループの中、石巻の中小企業の再生に取り組んでいるのが「Architecture for Humanity」(「人間のための建築技術」の意味)です。

プルデンシャル財団が資金を提供するこのグループは、アメリカ東海岸のハリケーン・サンディ、そしてハイチ地震の被災地でも活発に活動しましたが、東日本大震災の被災地でも民間企業に呼びかけを行い、40近い提案の中から8つの事業計画を採用し、バックアップを行っています。

「ここ東日本大震災の被災地の状況は、1995年の阪神淡路大震災の場合とは明らかに異なっています。ただしそれにしても、再建プロセスの遅さは問題です。」
グループの一員である東北大学の技術系の大学院生である吉川昭信氏がこう語りました。

資金問題と官僚主義に加え、現場における協力関係の欠如も復興を妨げでいる、そう語るのは東京大学で都市工学部を専攻するクリスチャン・ディンマー准教授です。

「多くの市民活動が石巻で行われていますが、その目的も手段もスピードも、全てがバラバラなのです。」
ディンマー准教授がこう語りました。
「こうした活動を、有機的に連携させる仕組みが無いのです。現在はそれぞれがバラバラに動いているだけなのです。」

石巻04
ディンマー准教授はオンライン上で、津波の被害を受けた被災地の完全な地図を作り上げる際、協力した経験を持っています。
彼は移転を余儀なくされた人々にとって何より必要なものは、再建計画に関する、被災者の立場に立った懇切な、そして明快な説明だと考えています。
「行政による技術的課題が中心となった再建プロセスは、どうしても遅れがちになります。」
彼がこう語りました。

「しかし被災者はまずこれらの計画が、実際にいつ、どのような形になるのかを理解したいのです。 自分たちの生活を直接支配する問題だからです。」

3年前のそびえ立つように高い津波は既存の防波堤を乗り越えて市街地に殺到し、それまでの対策が不十分であったことが明らかになっています。
しかし現在、新たに設置されるべき防波堤の位置、大きさ、そして予算の規模に関する行政側と住民側の議論はこう着状態に陥っています。

宮城県の計画では、今回被害が大きかった地域については、まず海の中に防潮堤を設置、さらに海岸線に沿ってさらに高い防波堤を建設することにしています。
その後ろ側は道路をかさ上げした上で、住宅では無く商業施設を配置するとしています。
この道路は住宅を守るための、もう一つの防潮堤の役割を兼務します。

学校や病院のような公共設備は、内陸深い場所に建設されます。

防災庁舎遺構
「ある場所で防潮堤の位置と大きさを変更すれば、その周辺の防潮堤についても設計の変更が必要になります。この点が問題なのです。」
ディンマー准教授がこう語りました。
「この問題は非常に複雑です。ひとつの防潮堤を築くのに、いったいどれだけの合意を取りつける必要があるのでしょうか?そんなことは誰にもわかりません。便利なマニュアルなど存在しないのですから。」

石巻全体が、石巻駅前のような当たり前の日常を取り戻すまでには、さらに数年の月日を必要とするでしょう。
東日本大震災による大破壊は、都市を再編する機会を提供する一方で、計画のあまりの巨大さのため頭の痛い問題も多量に持ち込むことになりました。

仮設住宅に大量の住民が移住せざるを得なくなった状況は、震災前とは劇的に異なるコミュニティを出現させることになりました。

「私はあらゆる意味で新生石巻は、かつてとは全く異なる形になるだろうと考えています。」
東北大学の吉川氏がこう語りました。
「震災前は別々の場所で暮らしていた人々が、仮説住宅に入ることにより、否応なく新しいコミュニティを形成しなければならなくなりました。日々の生活の中で、人々はそのコミュニティを少しでも良い物に変えていこうと努めてきました。」
「この人々は自宅を再建した後も、共に生きようと考えるでしようか?それとも再び無関係な別の人間として生きようとするでしょうか?」

目下の情勢を見る限り、行政側による本格的な再建事業が軌道に乗るのはいつになるのか、その見通しには絶望的なものがあります。

しかし復興資金をどう調達するのか、働く場所をどうやって作るのか、そして市街地が再び太平洋の底に沈まないようにするためにはどのような対策を取れば良いのか、こうした大きな問題にばかりとらわれてしまうと、実際の石巻市の一本一本の通りで起きている静かな変化を見落としてしまうことになります。

再建01
「災害後3年近い月日が経過する中で、人々の努力の結果が目に見えるようになってきました。その事実が、地元住民を勇気づけています。」
開発建設事業の専門家であり、地元自治体のアドバイザーを務める東北大学大学院工学研究科の姥浦道生准教授がこう語りました。
「新たに整備された市街地に、魅力的な新しい家をなんとか建築できたとしても、これからはそこで暮らすことを、住民に懇切丁寧に説明することもまた大切なことなのです。」

http://www.theguardian.com/cities/2014/jan/27/ishinomaki-new-communities-tsunami-loss-japan
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今回の東京都知事選の立候補者の一人は、あの尖閣諸島に日の丸を立てて大騒ぎし、中国との関係をこじれさせる直接の原因を作りました。
その公約は「地震対策のため、公共事業をばんばんやれば、景気もよくなり、一石二鳥じゃないか!」というもののようです。
被災地の真ん中で東日本大震災を体験させられた私たちにいわせれば、理論というのも愚かしい、雑な上に根拠も何もあったものではなく、あきれるを通り越して腹が立ってきます。
そもそも震災直後、多くのボランティアや自衛隊員の方々が被災地で大変な思いをされていた当時、彼らはいったいどこにいたのでしょうか?

震災後さんざん言われた事は、人々の命を救ったのは人間の手による防災工事より、いち早く避難行動に移った人々が持っていた『防災意識』でした。
的確な判断、そして逃げるべき方向にいち早く逃げるという思い切りが生死を分けました。
ハードウェアよりもソフトウェアの方が遥かに大切だという事は、東日本大震災の後さんざん言われた事です。
そうした教訓など学ぼうともしないし、生かそうともしないで、金さえ『バンバン』かければ良いのだと声を張り上げる。
その主張は今回の東日本大震災では無く、100年近く前の関東大震災の話が根拠なのではないか、そう思えて仕方がありません。

【 不抜の決意!一日も早い全原発停止の実現へ! 】[ドイツ国際放送]

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所要時間 約 9分

日本国内の市町村を訪れる度、原子力発電に反対している人々が如何に多いかを痛感させられている
他のあらゆる事故と比較にならない、原子力発電所事故の悲惨さ
福島の事故が5,000万人の強制移住にまで進展してしまっていたら、今頃日本はどうなって…

ドイチェ・べレ(ドイツ国際放送) 2013年12月12日

反原発自転車
2011年3月、巨大地震と巨大津波が東日本に壊滅的被害を与え、福島第一原発が史上最悪となる原子力発電所事故を起こした当時、首相を務めていた菅直人は、未だ政界に留まっています。
彼が今追い求める目標はただひとつ、日本国内すべての原子力発電所の全面停止です。

東日本全域が文字通り暗黒に陥った3月後半から4月上旬にかけ、事故を起こした福島第一原子力発電所ではより一層深刻な危機へと拡大する恐れがありました。
このため日本中の人々が、その口から語られる福島第一原発の最新状況を確かめるため、記者会見の模様を伝えるテレビの前にくぎ付けになっていました。

今日、全国の小さな集会所で20~30名の聴衆を相手に講演をする、菅氏の姿を認めることが出来ます。

しかし、場所が変わっても一連の講演のテーマはいつも同じです。
原子力発電所が立地する近隣市町村において、再稼働を進めようとする各電力会社へしっかりと反対の意思表示ができるよう、住民や市町村議会のメンバーへの激励講演を依頼されての全国行脚を行っているのです。
12月12日に行われたインタビューで菅氏は、原子力発電所の再稼働を阻むことが、唯一最大の政治目標になったと述べました。

国会議事堂前02
「最近では大間原発の再稼働に反対する人々との会議に参加するため、まず北海道の函館に行き、次は伊方原発について話し合うため四国愛媛県に行ってきました。」
菅氏がこう語りました。

▽ 市民のネットワーク
「私は、原子力に対して反対の意思を明らかにしている、市民のネットワークの拡大に取り組んでいるのです。」
「そしてこれら原子炉が立地する市町村を訪れる度、原子力発電に反対している人々が如何に多いかを痛感させられています。」

「このような現状を目の当たりにすれば、日本政府や各電力会社が強引に原子力発電所の再稼働させることは、とても不可能であると思わざるを得ません。」

現在日本国内にある稼働可能な50基の原子炉はすべて停止しています。
これは菅氏が首相であった時、福島第一原発の事故発生後直ちに命じたものであり、全ての原子炉は新しい安全基準をクリアしない限り稼働できなくなりました。

113005
法の下では立地する自治体の承認を得なければ、原子力発電所は再稼働することが出来ません。
2013年の半ば、2基の原子炉が再稼働しましたが、これまで原子力発電所のフル稼働を承認した自治体はありません。

菅氏はこのままの状態を保ちたいと考えています。

▽ 制御不能の『技術』

「私が反対である理由は、原子力発電が人間が100パーセントコントロールすることができないテクノロジーであるからです。
菅氏がこう語りました。

菅氏は原子力発電所の事故発生リスクが、登場した旅客機が墜落する可能性と同程度ある事は十分承知しています。
しかし日本が体験させられてしまったように、原子力発電の方はいったん事故を起こしてしまったら、その影響の拡大には「計り知れないものがあります。」

福島第一原発の事故発生直後、菅前首相とその政権は、原発の周囲250km圏内にいた5,000万人の人々の避難について、真剣に検討しなければならない状況に追い込まれていました。
そこには首都東京も含まれていました。

NBC24
「最悪の場合、日本の国土の3分の1がもはや人が住むことが出来ない場所になってしまう可能性がありました。そうなれば、日本の全人口の40%が住む場所を失い、移住を強いられることになっていたのです。」
菅氏がこう語りました。
「それが私たち日本人が直面していた状況でした。そしてそれを間一髪で免れることが出来たのです。」

事故の初期段階においては、日本がどれ程の危機に瀕しているのか必ずしも明らかではありませんでした。
原子力の専門は、原子炉内で何が起きているのか、その事の方に関心を寄せていました。
当時6基の内3基の原子炉では、溶けた核燃料が厚さが20cmの圧力容器の底を突き破り、そのまま真下のコンクリートの基礎部分に入り込んでしまっていたことが、今日では明らかになっています。
「もし溶けた核燃料がそのままコンクリートの基礎の部分すら貫通してしまっていたら、今私たちがこの部屋でこのように会話することなど不可能だったでしょう。」

同様の運命の巡り会わせは、原子炉4号機でも発生していました。
使用済み核燃料プール内の核燃料アセンブリは、通常水の中に沈めた状態で保管されます。
しかし事故直後4号機の使用済み核燃料プールの水は、事故により発生した高熱によりほとんど蒸発したため、核燃料アセンブリが直接大気に触れる危険な状況に陥りました。
この時、本来なら余分な水が入り込まないように設計されていた接合部分が地震の揺れによってその位置がずれ、放水等によってプール内に水が入り込みやすくなったのです。

▽『神の啓示』

NBC17
菅氏は、東日本大震災の発生から5ヵ月後に辞職しました
「私は福島第一原発の事故はまさに『神の啓示』だったのではないか、そう考え続けています。」

2011年8月、菅氏は首相を辞任し、翌2012年12月に行われた総選挙において彼の所属している民主党は、原子力発電を強力に推し進めてきた自由民主党に敗北し、政権を譲り渡しました。

菅氏はもはや政権の座には無く、最近行われた補欠選挙では所属する民主党が推薦する以外の候補を応援したために、党員資格停止の処分が続いています。
しかし菅氏は人類が原子力を完全にコントロール、つまりは制御することが不可能である以上、使用を止めなければならならず、そして将来にわたって禍根を残さないよう、、今後は再生可能エネルギーによる電力の供給に移行しなければならない、その信念を貫き通すつもりでいます。

「私がまだ民主党の幹部であったとき、私たちは日本国内の原子力発電所を30年以内にすべて廃炉にする目標を設定しました。」
「党としてこの決断を行った以上、民主党は将来に渡り国会の場で、そして政治の場においてこの方針を主張し続けることを願っています。」
菅氏はこう語り、以下のように続けました。

「安倍晋三首相とその政権が原子力発電の継続を決定したことは誤りである事を、これから明らかにしていくつもりです。」

http://www.dw.de/former-japanese-leader-firm-on-nuclear-energy/a-17290344
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現在、脱原発の強力な発信者である菅元首相も、小泉元首相もかつては原発推進の立場でした。
その事で批判をする方もいます。
しかし今大切なことは、菅氏や小泉氏の前身がどうであったかという事では無く、原発をできるだけ早く、完全に停止させるという事であるはずです。

戦場において敵と向かい合っている時、自軍の中であの陣地とあの陣地を守っているのはかつては問題の合った奴らだから信用できないし、協力も出来ない、というのでは戦う前から自分たちで負ける原因を作り出しているようなものです。
まして相手は豊富な資金力を持つ原子力ムラ、そして現在の政権と衆参両院の過半数を制する強大な勢力です。

この戦いは、持てる力を結集できた方が勝利するはずです。
味方においては結集を、敵に対しては分裂を、これが勝利の方程式です。
民主党を空中分解させた手練を見れば、この点においても今回は容易な相手ではないことがお分かりいただけると思うのですが。

【 安倍政権下、教科書に突きつけられる『国家主義史観』の記載要求 】《後篇》[ニューヨークタイムズ]

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所要時間 約 7分

沖縄の小さな島の教育委員会の抵抗を、『見せしめ』に葬ろうとする安倍政権
「子どもたちに平和の尊さを伝えたい」そう願っての教科書採用は、イデオロギーの押しつけ、法律違反

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 2013年12月28日

NYT Text Book
新しい教科書検定基準では『愛国心』の定義が漠然としているため、かえって広範囲にわたる改訂が行われる恐れがある事を教育関係者は懸念しています。

日本が第二次世界大戦中に行った行為に関する否定的な記述を減らすことは、国家主義者たちが長年画策し続けてきたことであり、安倍首相もそうした動きをバックアップしてきました。
教科書の改訂に反対する人々は、教科書の中身を書き換えるため、国家主義者たちが新たな手法を用い始めていることを確認したと語りました。
すなわちこれまで国家レベルで行おうとして失敗した改訂を、地方レベルに押しつけることです。

水牛が引く荷車とサンゴ礁に囲まれた静かで美しいラグーンで知られる竹富島は、こうした教科書をめぐる戦いの激戦地になってしまった観があります。

トラブルは2年前に始まりました。
隣り合う石垣島で新たに選出された自治体の首長が幹部の入れ替えを行った教育委員会が、中学3年に右翼系出版社の教科書を採用したのです。
この教科書には現在の日本国憲法は日本を弱体国家としておく目的のために、占領国によって押し付けられたものであるなどの記述が成されています。
竹富島の教育委員会はこの教育委員会の下にありますが、この教科書の内容があまりに歴史を歪曲するものだとして、その使用を拒絶しました。

戦後制定された日本国憲法を書き換えることは、安倍首相のライフワークです。

沖縄戦01
竹富島の教育委員会は今年は32名いる中学3年生用について、現在の教科書の使用継続を改めて提案しました。
この教科書は平和主義的な理念に基づく現在の憲法を、支持する立場をとっています。

当初日本政府はこの小さな教育委員会が挙げた声を無視しました。

しかし複数のアナリストが、昨年政権に返り咲いた安倍首相率いる自由民主党の保守派から選ばれた安倍政権の閣僚たちは、彼らが言うところの『極端に左傾化している』現在の教科書を修正させる取り組みの中で、竹富島の問題を『見せしめ』にする固い決意でいるようだと指摘しました。

これまで竹富島の教育委員会は、石垣島教育委員会の決定に従うようにとの日本政府の命令を拒否してきました。
町の教育長の嘉田森氏は、国家主義的な教科書では子供たちに自分たちが体験した過酷、そして残酷な戦争体験を伝えることが出来ないのだと語りました。

第二次世界大戦の終盤、激戦となった沖縄戦の時、日本兵にマラリア蚊でいっぱいのジャングルに避難することを強制され、竹富村の住民数百名が死亡しました。

沖縄戦03
「我々には、将来の世代に戦争の悲惨さについて教える義務があります。」
今年72歳の嘉手森氏がこう語りました。
嘉田森氏は当時の遊び仲間が、マラリアの熱で震えながら死んでいった様子を忘れることが出来ません。

安倍政権内でもとりわけ右翼的な閣僚たちが、これまで長い間続いてきた反軍国主義的感情に政治的な勝利を収めることの象徴として、沖縄の隅のこの小さな島に狙いを定めている、嘉田森氏と地元の教育関係者はそのように見ています。

これに対し自民党のメンバーは竹富島教育委員会が地区の決定に従わないのは、法律違反だと反論しています。
この事態は左翼系の教員組合によって引き起こされており、イデオロギーを強要するものだというのです。

自民党衆議院議員の義家弘介(よしいえひろゆき)氏が次のように語りました。
「これは軍国主義への回帰などではありません。アメリカ合衆国やその他の国では、愛国教育を行うのは当たり前の事です。」

沖縄戦04
各市長村長に学区内の状況に関する責任を負わせようと言提案は、竹富島を命令に従わせようとするさらなる試みであると、教育関係者は見ています。
しかしそこにはさらに大きな目的が隠されているという批判もあります。
地方の指導者の中に同調者を増やすことにより、これまでほとんど採用されることが無かった国家主義的な教科書を採用できるよう、途を開こうとしているのだとの批判も高まっています。

今回石垣島で採用が決まった育鵬社の教科書は、文部科学省によれば、中学校の社会・歴史の250万の教科書の中、わずか4%を供給しているに過ぎません。
これとは対照的に竹富島でも採用されている、平和主義的な考えに力点を置く東京書籍の教科書は、全国の半数以上の学校で使われています。

「保守主義者たちは竹富島の例を、他の場所においても育鵬社の教科書を採用させるための先例として、マニュアル化しようとしているのです。」
沖縄県教職員組合の小浜前組合長がこう語りました。

教育長の嘉田森氏は、日本政府の圧力に屈せず戦いつづけるには、竹富島はあまりに小さく、それだけの力も無いと語りました。
しかし一方ではこう誓っています、決して降参はしないと。

「私たちが子供たちに平和の尊さを教えることを、なぜ、日本政府は黙って見ていることが出来ないのでしょうか?」

〈 完 〉


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「見せしめ」という言葉は、強権体質、恐怖政治について回る言葉です。
でなければ、暴力団組織などで頻繁に使われる言葉なのではないでしょうか?
それが国家の閣僚という立場の人間が、地方の小さな組織に対して「見せしめ」にする、と発言したことは、現政権の『性格』を端的に表していている、私はそう受け止めています。

【 安倍政権下、教科書に突きつけられる『国家主義史観』記載の要求 】《前篇》[ニューヨークタイムズ]

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所要時間 約 7分

学校の教室を、靖国と同じ『自分の晴れ舞台?』にしようとしている安倍首相
支持基盤の国家主義者たちが望む通りの筋書き、それを実演しなければならない安倍首相

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 2013年12月28日

NYT Text Book
安倍政権による政策は、戦後日本が築いてきた平和国家としての理念を危うくするものだという批判をよそに、同政権の国家主義的政策はよりあからさまに推進され始めました。
日本国内で使われる歴史教科書に、愛国的色彩をより強く打ち出そうとしているのです。

提案された教科書改訂案は海外において、安倍首相による第二次世界大戦における戦争犯罪者をも併せて祀る靖国神社への参拝ほどの批判は招きませんでした。

しかし安倍首相の周辺に群がる国家主義者たちは、日本の子供たちに対しもっと愛国的な教育を施すべきであると主張しています。
これに対しリベラルな立場に立つ人々は、安倍政権のやり方は戦後日本の平和と安定を築いてきた平和主義を根本から壊そうとしていると批判をしています。

「安倍首相は彼の政治的な支持基盤層からの熱い期待を感じ取っています。しかしその支持層は、安倍首相ならもっと右翼的な政策を強力に推し進めるだろうという期待を裏切られた、そう感じているのです。」
沖縄にある琉球大学で日本の教科書政策について研究を続けている、高嶋伸欣名誉教授がこう語りました。
「学校の教室は安倍首相がよりしっかりと国家主義の姿勢をとることによって、超保守主義者をなだめることができる場所のひとつなのです。」

安倍02
安倍首相とその周辺の国家主義者たちは、歴史教育の場において何十年もの間、第二次世界大戦中の日本の行為について過度に否定的な見解を子供たちに伝えてきたために、日本の国家的威信が損なわれ続けてきた、その状態を変える事こそ重要だという主張を繰り返してきました。

こうした主張に沿った最近の動きは、その始まりは目立たないものでしたが、2013年の末になってその動きが急激に強まって来たのです。

10月、安倍政権の文部科学大臣は、竹富島の教育委員会に対し、一度使う事を拒否した保守的歴史観の強い教科書を使う事を命令したのです。
国家主義的政権である安倍内閣として、初めてこのような命令を出したことになりました。

11月には文部科学省が歴史教科書に国家主義的史観を盛りこむことを義務付けた新しい教科書検定基準を提案し、採用される見込みが高くなっています。

12月には、現政権により任命された委員から構成される委員会が、教育の場に現政権の考え方をもっと直截的に持ち込むよう提案を行いました。
各市町村の首長に対しては教育の場に直接関わることを義務づけており、こうした事態に安倍政権に批判的な人々からは、教科書検定に対するあからさまな政治的干渉が行われるとの批判が巻き起こっています。

防空識別04
そして12月末、文部科学相の諮問委員会は、愛国心を育てられない教科書は認めないよう、検定基準を厳しいものに変えるように提案を行ったのです。

こうした動きは、国力を増大させた中国が尖閣諸島に関する領有権を主張し、東アジア地区における影響力を拡大しようとする動きとともに始まりました。
もし提案された通りの教科書検定基準が採用されれば、東アジア最大の国同士の反目と緊張がより強いものなってしまい、この地域の平和が損なわれてしまう一因となる可能性があります。

歴史問題は安倍首相にとってもその政治的立場を危うくする可能性があり、首相自陣も右翼的政策よりも、まずは経済問題に集中するという立場を強調していたはずでした。

安倍首相は、一部の地方メディアが『戦時検閲法の復活』だとして批判した特定秘密保護法を強引に成立させたことにより、内閣支持率が低下してしまったことを身をもって体験させられました。
そして教科書問題こそ、2007年に初めて首相に就任した際、その地位を降りざるを得なくなった原因を作ったはずでした。
この時安倍首相は、第二次世界大戦末期、日本軍が沖縄県民に集団自殺を着要請したという記述を、歴史教科書から削除しようとしました。
反日本
しかし少なくとも今回の安倍政権による教科書検定の見直しは、一部の市民や市民活動家、野党、そして教職員からの反発、そして中国の日本に対する対決姿勢をより強いものにしてしまう恐れがあるという批判を受ける程度にとどまっています。

小学校、中学校、高校において愛国心教育を徹底するよう長年唱え続けてきた下村文部科学大臣が提案する新しい教科書検定基準は、教科書において『バランスのとれた記述』をすることを義務づけています。

インタビューに答えた文部科学省の官僚は、今回の基準は具体的には議論の多い第二次世界大戦(太平洋戦争)中の2つの問題について、国家主義者による視点を盛り込むことを義務付けていると明かしました。

ひとつは1937年に起きた日本軍による中国市民の処刑、『南京大虐殺』の問題です。
中国政府はこの時の中国市民の犠牲者は30万人に上るとしていますが、日本国内の学者はその数字は著しく誇張されていると見ています。

反韓国
もう一つは韓国を始め本が占領していた東南アジア各国の女性に、日本軍が兵士に対する売春を強いたとされる従軍慰安婦問題です。
この問題についても議論が戦わされていますが、欧米などの学者はこのような仕組みを運営するには、軍が組織的に関与しなければ運営することは不可能だと指摘しています。
この問題についても、日本の国家主義者の史観を取り入れることを義務付けられることになるのです。

〈後編に続く〉


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この手の記事は翻訳していて気分が悪くなるばかりなので、個人としては遠慮したいところなのですが、日本の民主主義の危機を象徴するような内容であり、見過ごすことはできません。

実体が現れない日本の真の再生、真の改革[エコノミスト]

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所要時間 約 9分

【 『3.11』は日本をどう変えたのか?】
『3.11』という三重災害、様々な問題の「口実」として利用され、日本の有るべき未来がねじ曲げられている
国内の反対勢力に対する強権、中韓両国への強硬姿勢、それとは対照的な既得権勢力への弱腰、それが安倍政権の姿

エコノミスト 2014年1月18日

がれきの中で
2011年3月に日本を襲った3重災害 –地震と津波、そして福島第一原子力発電所の事故 – は、他に類例を求めることが出来ない、恐怖に満ちた災害でした。

警察庁の発表によれば15,856が死亡、2,643人が行方不明のままになっています。
そして何百万という人々が、生きていく上での確信のようなものをぐらつかせることになりました。
津波の目に見える恐怖、そして大量の放射線の漏出と原子力発電所で発生した複数回の爆発によって引き起こされた不安は、世界中の人々に質問を投げかけることになりました。

この恐ろしい出来事は、日本に何をもたらしたのでしょうか?

徐々に現れてきた答えは、それぞれ別の方向を指し示していました。

日本の一般人に見られた禁欲的態度と地域社会の中での団結から、新たな連帯感が芽生えてきました。
鉄道、空港や工場などの生産設備の再整備と復旧は、しばしば何か月も予定を上回るスピードで実現され、日本経済に新たな力が生まれてきたことを感じさせました。

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しかし一方で政治の舞台では例によって議論が四分五裂する状況がたちまちのうちに復活、そして福島第一原発の実態をつかみ損ね、事故収束にはるかに及ばないという状況は数か月という単位が、いつの間にか数年という程長いものになってしまいました。
こうした状況は日本の将来、能力、そして相矛盾する利害に対する大いなる疑問を引き起こすことになったのです。

災害発生からほぼ3年が過ぎた今、津波で被害を受けた場所からはがれきや残骸がきれいに取り除かれ、今や整然とした姿に変わりました。
しかし驚くべきは、そうした場所にはほとんど建物等は再建されていないという事実です。
これまで様々な再建計画、そして地域の復興計画が数多く提示されましたが、そのほとんどが実現される事無く現在に至っています。

デイビッド・ピリングは、ファイナンシャル・タイムズのアジア地区の編集責任者です。 2002年から2008年まで、彼はファイナンシャル・タイムズ社の東京支局長を務めていました。
その間、ピリングは日本語をほとんど自在に操れるようになり、その異質でいながら魅力的な風土の虜となりました。

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そのため彼は2011年、日本を未曽有の災害が襲うと、何が起きたのかをその目で確かめ、この後日本がどうなるのか、その答えを求め直ちに日本に向かったのです。

その結果は[Bending Adversity - 逆境に順応する]という優れた著作に結実しました。
日本国内では『3.11』として知られる三重災害が、様々な問題の「口実」として利用されている、ということが主題になっています。
ピリング氏の命題はまさにその点にありました。
2011年3月11に起きた悲惨な3重災害は、日本にとって画期的な転換点の到来でもなかったし、まして作り話などではないのです。

日本人のこの災害への対応は、この国民が長くそうしてきた、伝統的ともいえるものでした。
彼らは何とかやりくりをし、変化に順応しようとします。
これまで通りとはいきませんが、身についた習慣すら見直し、何とか大勢に順応しようと務めるのです。
どうせこの国で起きる変化は最小限に留まり、決して過激な変化とはならないはずなのですから。

この本の題名が示す通り、日本人はどのような逆境にあっても、そしてそれぞれの本心はどうあっても、身をかがめ事態をやり過ごそうとするでしょう、あるいは逆境が日本人の姿勢を変えようとするかもしれませんが、急激に日本社会が変わるとは思えません。

再稼働反対2106
このような事実は、3.11が日本の近代史上、その体制を大きく改善・前進させるきっかけとなるだろうと期待した人々にを大いに失望させることでしょう。

日本の近代史における2つの大きな改革は、1860年代の封建社会から開国によって帝国主義国家へと変貌した事、そして1945年以降の経済と『民主主義の奇跡的な発展』でした。
さすがにこの時は日本といえど旧体制は完全に崩壊し、新たな体制の下での再出発を余儀なくされました。

しかし今日の状況はピリング氏が正鵠を射た答えを出したように、全く異なるのです。

日本の文化は、進化を求めますが、革命は求めません。
目標に向かって大きく一歩を踏み出す事はせず、無数の小さな前進を積み重ねていく事を求めるのです。
謙遜こそ美徳であり、慎重である事が評価される国なのです。

そうした土壌があっても尚、2011年3月以降の事態の進展度合いは、多くの日本人をいらだたせるものでした。
ピリング氏は日本で過ごした10年近い日々、そして3.11以降の日本をその目で見て得た結論、それは日本の二極化でした。

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富裕層と貧困層、老人と若者、北と南、都市部と農村部、リベラルと右翼、大企業と一般市民、そして成熟とは別の経済的に豊かな民主主義、これらの状況が生み出すものは、ものごとを決定する事が難しい社会でした。
昨年は、まさにその事実を証明することになったのではなかったでしょうか?
地滑り的勝利により再び首相の座に返り咲いた安倍晋三氏は、『思い切った』経済政策、アベノミクスの推進により、日本経済を立ち直らせるのだと公約したその時から、その事は明らかになりました。
アベノミクスは日本銀行によるかつてない程大規模な金融緩和という手法を用い、多額の公共投資をばらまき、そして自由化という経済改革を推し進め、日本で15年間続いてきたデフレーションを終了させ、再び日本を経済成長の軌道に乗せようというものでした。

たとえば東シナ海で存在感を強め、尖閣諸島問題などによって日本に対する圧力を増してきた中国に対しては、軍事力の強化によってこれに対抗しようとする国家主義者である安倍首相のような人物にとって、この戦略の成功は不可欠のものでした。

しかしながら一年を過ぎた今、本当の意味で改革が行われたのは通貨政策だけでした。
日本銀行が新任の黒田総裁の下で徹底的な方針転換をおこなったのに対し、安倍首相が率いる政権は経済政策の徹底した転換を行うことはしませんでした。
これまでも日本経済の自由化を阻んできた既得権団体などの発言力は、相変わらず強いままです。

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国内の反対勢力をねじ伏せようとする強権政治、中国に対し一歩も引こうとしない強硬姿勢、それと比べれば従来の既得権勢力に対する態度はおよそ強さからは程遠いものであり、むしろ弱腰といってもいいかもしれません。

本当の意味での改革を行う代わりに安倍首相が考え出したのは、戦争すら辞さないと息巻く国家主義者の聖地である靖国神社を訪問し、改めてタカ派的な姿勢を強調して見せることでした。

逆境であろうがなかろうが、日本における方針転換はいつの間にか進行するものなのです。

http://www.economist.com/news/books-and-arts/21594236-how-catastrophes-2011-changed-japan-sitting-tight?zid=306&ah=1b164dbd43b0cb27ba0d4c3b12a5e227
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私はエコノミストの記事を訳していて本当に感心することが度々あります。
決して翻訳が簡単な文章ではないのですが、訳し終えて「なるほど」と思う事度々です。
私はエコノミスト・デジタル版の有料読者で購読料もそれなりですが、この内容なら納得かもしれません。

国内に限って言えば、安倍政権というのは『弱い者には強く、強い者には弱く』という、「人間としてどうなの?」という性格の『持ち主』だという事がよーくわかりました。

【 福島第一原発、この惨状こそが原子力発電の現実 】[ガーディアン]

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所要時間 約 9分

人間が数世代交代しても終わらない…それが福島第一原発の事故
人間自らが作り出したその惨状は、発電手段として原子力を常用しても良いのか、その疑問を突きつけている
特定秘密保護法に、脱原発運動への『闇からの取り締まり』の意図が隠されている

 

エイミー・グッドマン(『デモクラシーNOW』 メインキャスター) / ザ・ガーディアン(英国)

2014年1月16日木曜日

 


かつてジャーナリストのウィルフレッド・バーチェットは、広島を取材した後でこう記しました。
「私はこれらの事実が今後の人類への警告として有効に使われるよう、可能な限り客観的に記録していくつもりである。」

彼の書いた記事は1945年9月5日付のロンドン・デイリーエクスプレスの第一面に、『原子爆弾の大厄災』の見出しとともに掲載されました。

バーチェットは広島を封鎖しているアメリカ軍の目をかいくぐり、破壊されつくした広島の街に西側ジャーナリストとして初めて足を踏み入れました。
彼はこう伝えました。
「広島は、とてものこと爆撃された都市のようには見えません。怪物のような巨大なローラーによって地上にあるものすべてを何度も押しつぶした跡のように、私の目には映りました。」

そして話は66年後の約900キロ北、2011年3月11日、福島第一原子力発電所と東日本大地震へと舞台を移します。

すでに世界的に何度も報道された通り、19,000もの人命を奪った最初の巨大な災害は、さらにそれを上回る規模の災害の始まりを告げるものだったのです。

第一大破壊

史上まれにみる巨大災害は、福島第一原子力発電所において人間が作り出したシステムを連鎖反応的に機能停止に陥らせ、見る間に人間自らが作り出した災害へと姿を変えていきました。

6基の原子炉のうち3基ではメルトダウンが始まりました。
その結果、環境中、そして海へと大量の放射性物質が放出され、場所によっては人間が近づくこともできない程に汚染されてしまったのです。

そしてもうすぐ3年の月日が経とうとしている今も、日本はまだ災害の後遺症に苦しみ続けています。
実に340,000人以上が原子力発電所事故の被災者になりました。
被災者は住んでいた家を追われ、暮らしていくための生計手段を捨て去らなければなりませんでした。

映画製作者舟橋淳氏は映画『Nuclear Nation(原子力国家): フタバから遠く離れて』を監督制作しました。
舟橋監督はこの映画の中で福島第一原発が立地していた双葉町の人々の、事故発生後1年間の姿を追い続けます。

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日本政府は避難民を東京近郊の廃校となった小学校に収容しました。
その場所で避難民の人々は複数の家族がひとつのせまくて窮屈な部屋に押し込められ、1日3回食事の提供を受けています。

私はここにいる1,400人の人々にはこれから先どのような見通しがあるかについて、舟橋監督に尋ねました。
「ほとんど何もありません。日本政府から伝えられたことはたった一つ、少なくとも事故発生から6年間は故郷に戻ることはできないという事実だけです。」
舟橋監督はこう答えました。

避難民は2時間に限って、身の回りの品々を取りに自宅に戻ることを許されました。
かつてウィルフレッド・バーチェットがそうしたように、舟橋監督もとある一家族の心を打つ瞬間を映像に収めるため、日本政府が定めた禁止事項に違反せざるを得ませんでした。
舟橋監督は彼が記録を行っていた家族が、4つ持っていた許可証のひとつをどのようにして監督に提供したのかを説明してくれました。

「私は最初、政府から撮影許可を得ようとしましたが、避難区域内に立ち入るためのどのような許可も得ることはできませんでした。日本政府はフリージャーナリストとドキュメンタリー映画製作者には、避難区域内に立ち入ることを一切許可していませんでした。」
「でも私は双葉町出身の子の家族との間には、しっかりした信頼関係を築いていました。」
彼はこのように説明してくれました。

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しかし監督とこの家族は避難区域内への一時帰郷の間、常にこそこそびくびくしていなければならなかったのです。

舟橋監督の取材への拒絶は東日本大震災以降、日本の民主主義にとって最大の問題の発生を暗示するものでした。
特定秘密保護法です。
日本の保守派の領袖のひとりである安倍晋三首相は、議題に上った時点から反対意見の多かった特定秘密保護法を昨年12月に成立させました。
東京の上智大学の中野孝一教授は次のように語りました。
「もちろん、この法律の主眼とするところは安全保障問題とテロリスト対策です。
しかし何が国家機密にあたるのかという定義については極めてあいまいであり、政府高官が自由に裁定できるという事が徐々に明らかになりました。
例えば反原発運動ですら、それを行っている市民が知らない間に監視下に置かれ、突然逮捕されるという事が起こりうるのです。」

福島第一原発の事故以来、日本国内では脱原発を目指す市民運動がかつてない程の盛り上がりを見せ、国内各所の原子力発電所を廃炉にするよう求めています。

アルジャジーラ抗議集会
東日本大震災発生当時首相を務めていた菅直人氏は、原子力発電に対する自分の考え方がどのように変わったか、以下のように説明しました。

『2011年3月11日以前の原子力発電に対する私の考え方は、安全対策がしっかり取られている限り、原子力発電所の運営は可能であり、続けられるべきであるというものでした。

しかし、3月11日の東日本大震災を経験した後、私は180度、その考えを完全に変えました。
5000万もの人々に影響を及ぼすような事故、あるいは災害は原子力発電所事故以外には考えられません。
戦争ならそのようなことがあるかもしれませんが、事故によってこれ程の悲劇を引き起こすものは他には存在しないでしょう。』

圧倒的多数の国民が反対しているにもかかわらず、安倍首相は第二次世界大戦以降最も保守的な内閣を率い、国内の原子力発電所を再開しようとしています。
このような姿勢に対し、東京では首相官邸前で一般市民の抗議が続いています。

「人間の手によるこのような破壊の跡を見ると、全身が空しい気持ちに襲われます。」
1945年に被爆直後の広島を訪れ、一面のがれきの中に立ったウィルフレッド・バーチェットはこのように記しました。
アメリカが2度に渡り、広島と長崎に原爆を投下し、一般市民に対する無差別殺戮を行ったことは今日に至るまで日本の人々にとって大きな影響を与え続けています。
それと同様、地震、津波、そして未だに進行中の福島第一原子力発電所の事故による三重災害による影響は、今後数世代に渡って続くことになります。

核兵器から原子力発電へとつながる危険な連鎖は、平和で安定した社会を求める人々から疑問を突きつけられています。

4号機建屋
福島第一原発の事故は、世界中の人間が自らに対する教訓として受け止めるべきものなのです。

http://www.theguardian.com/commentisfree/2014/jan/16/fukushima-is-a-warning
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あの『デモクラシーNOW!』(日本語 : http://democracynow.jp/ 、英語 : http://www.democracynow.org/ )のメインキャスターであるエイミー・グッドマンさんの手になる評論です。
とりたてて新しい事実の指摘などはありませんが、一度は通してお読みいただきたい示唆に富んだ内容です。

国の原子力政策、そして東京電力に、真っ向から孤独な戦いを挑む!《後篇》

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所要時間 約 6分

【 政府の命令より、汚染されてしまった生き物たちの命を守れ 】
なぜ日本人は、権力に対してこうも従順なのか?
日本にはまだ変わるチャンスはある、その事を訴え続けたい

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 1月11日

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吉沢さんは時々、他にも飢えて骨と皮ばかりになった牛がさ迷い歩いているのではないかと、避難区域一帯を見て回ります。
迷い牛を見つけたら、吉沢さんはその耳を引っ張って自分の牧場に連れて帰ります。
その際、吉沢さんはできるだけ警察の検問所を避けるようにしています。

避難区域内に入ることは基本的に違法行為です。
彼はこれまで6回ほど警察に捕まり、あらかじめ用意されている謝罪文に署名するよう求められました。
文書の中の『二度としません』という部分を線で消さない限り、吉沢さんが署名することはありません。

吉沢さんが権力に抵抗姿勢を示すのは、これが初めてではありません。
以前は反原発の闘士でした。
彼は福島第一原発の事故が発生し、父親から受け継いだ牧場を永遠に失ってしまうかもしれないという状況に追い込まれた時、その思いは一層激烈なものになったと語りました。

浪江町の人々がこの国の原子力行政の高級官僚や東京電力の経営陣、あるいは政治家に騙されていたことがその理由ではありません。

吉沢さんの自宅の台所の窓からは、福島第一原発の煙突とクレーンが見えます。
吉沢さんは3月11日、自宅にいるときに大きな爆発音を耳にしました。

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このとき日本政府は事故に関する重要な情報を明らかにせず、吉沢さんも含めた浪江町のたくさんの人々が、放射性物質が飛散している方向に向かって避難してしまったのです。

「私は生き続けるためには、新たな哲学を身に着ける必要があったのです。」
結婚せずに独身のまま、牧場を守り続ける吉沢さんがこう語りました。

「そして私は、この疑問に突き当たったのです。
『なぜ日本人は、権力に対してこうも従順なのか?』と。」

「私は決めたのです、たったひとりの抵抗勢力になると…」

吉沢さんの牧場には、通常世話することが出来る数の2倍から3倍の数の、食用の霜降り肉を提供することで名高い黒毛和牛がいます。
つい最近のある寒い朝、吉沢さんは小型ブルドーザーを使って、牛のえさにするため黄色い米俵を運んでいました。
飢えている牛たちは一口でもエサを口にしようと、互いに押し合いへし合いしながら鳴き声をあげていました。

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吉沢さんは、大きな懸念のひとつは牛たちに与えるエサが底をつくことだと語りました。
適正な数を大きく上回る数の牛たちは、牧場の牧草を食べつくしてしまった今、エサと運営資金の寄付に吉沢さんは頼らざるを得ません。

そしてもう一つの心配は、汚染された寒気用の中で暮らしている牛たち、そして吉沢さんが、環境中の放射性物質によってどのような影響を受けることになるのか、という問題です。

この2年間でだいぶその値は下がったものの、事故直後、吉沢さんの体内からは高い値の放射性セシウムが検出されました。
吉沢さんは生活用水はろ過したものを使い、食糧は避難区域以外の場所で購入することによって、これ以上の被ばくを最小限に留めようと努力しています。

吉沢さんの活動は少数の支持者を得ましたが、一方で政治的主張を行うため、人道的見地からは牛たちが適切ではない環境を強いられているという批判も集めることになりました。
「これは個人的な見解ですが、牛たちこれほど密集して飼われている現状はあまり人道的とは言えないと思います。」
今回牛たちに出来た白い斑点について検証をした東北大学・加齢医学研究所の病理学者である福本氏がこう語りました。

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こうした批判に対して吉沢さんは、政府の命令通り殺処分されていたら、牛たちは生きることすら許されていなかった点について、皮肉を交えながら反論しました。

そして目下のところ、地元の自治体などは吉沢さんの抵抗運動について、非常に日本的な対処方法を選択しています、見て見ぬふりをすることです。

浪江町の職員は避難して区域内に人が住んでいるという事実は確認できていないと返答しました。
一方で町は吉沢さんの牧場の電気の供給と電話回線を復旧させました。

吉沢さんはそう簡単には自分を無視できないように、活発に動きつつけています。
しばしばニュースメディアに登場し、自身では牧場にウェブカメラを設置してネットで中継を行い、ブログの更新も怠りません。
そして時には東京まで行って東京電力の本社前で一人で抗議演説も行います。

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「すべての日本人が、受け身の姿勢でいるわけではありません。」
吉沢さんがこう語りました。

「ここにいる牛たちと私は、それでも日本には変わるチャンスがある、その事を訴えるために生き続けるつもりです。」

〈 完 〉

国の原子力政策、そして東京電力に、真っ向から孤独な戦いを挑む!《前篇》

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所要時間 約 6分

【 政府の命令より、汚染されてしまった生き物たちの命を守れ 】
福島で起きたことの記録と記憶を消し去り、原発行政を事故発生以前の状態に戻したい、それが政府の本音

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 1月11日

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福島第一原発の事故の不都合な真実について、日本政府はその存在を一切認めようとはしない、そう考えている吉沢正巳さんは、怒りを抑えかねています。
彼は、破壊された福島第一原発の周囲に広がる、汚染されてしまった挙句無住の地と化した場所にある自分の牧場に帰ってきました。

彼にはたった一人の隣人もいませんが、数百を数える仲間がいます。
吉沢さんがその命を守りきると誓った、そして日本政府が殺すことを命じた、捨てられてしまった数百頭の牛たちです。

新たに『希望の牧場』と名づけられた牧場の入り口には農政当局者の立ち入りを拒絶するため、大きなブルドーザーが物言わぬ番人として鎮座しています。
その脇には真っ白な牛の頭蓋骨がこちらを見つめ、抗議文が書かれた手書きの看板が所狭しと並んでいます。
中のひとつにはこう書かれています。
「希望の牛たちを生かして!」
そして牛の頭蓋骨には黄色いペンキでこう書かれています。
「原子力への反攻」

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牧場内はすでに牛たちであふれ、牛小屋に入りきれずに鳴き声をあげながら草も生えていない牧草地を行き来する牛もいれば、中には農家の陽だまりの暖かそうな庭を踏み荒らしている牛もいました。

「この場所にいる牛たちは、ここ福島での人間の愚劣な行いの生きた証拠なのです。」
吉沢さんは今年59歳、一見荒々しい、しかし雄弁な男性であり、事故発生以来一貫して日本政府の対応に抗議を続けてきました。

「ここで起きたことの記録と記憶を消し去り、日本を福島第一原発の事故発生以前の状態に戻すため、日本政府はここにいる牛たちをすべて殺処分してしまいたいのです。私はそんなことを許すつもりはありません。」

吉沢さんは感傷に浸っている訳ではありません。
災害以前、彼は牛を殺して食用にするために牧畜を営んでいました。

しかし食用にするために牛を殺すのと、飼われていた場所が汚染されてしまい、最早食用にすることはできないから殺してしまう事には、大きな違いがあると吉沢さんが語りました。

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吉沢さんは事故発生によりこの地を避難させられ、2年半以上もの間別の土地で生活することを強いられている83,000人の避難住民同様、事故によって吉沢さんや他の酪農家からすてられてしまった牛たちもまた、今回の事故の被害者であると信じています。

彼は自身の健康について心配しています。
牧場のそばにある自宅の放射線量は、日本政府が避難基準に定めた値の1.5倍を記録しています。

しかし吉沢さんがもっと心配していることがあります。
長く停滞していた日本経済に回復の兆しが見え始め、2020年にはオリンピックの東京開催が決まり、日本の人々の意識の中から福島第一原発の事故のことがどんどん薄れていくことです。
彼は自分の活動が政治的意味を持つ以上に、人道的意味を持っていることに触れました。
「もし政府が牛たちを殺すことを命令して来たら、私は牛たちの命を守ることで、日本政府のやり方に反対を貫く決心です。」

現在吉沢さんの『希望の牧場』にいるのは、かつては福島第一原発の周囲で繁栄を誇っていた牧畜業者によって捨てられてしまった牛たちです。

事故の後住民たちが避難し、世話をしていた人々もいなくなり、数週間のうちに大量の牛たちが餓死しました。
生き残った牛たちは食べるものを探すために牧場から逃げ出し、誰もいない通りや無人の家の中を徘徊しました。
そのため作業員を乗せて福島第一原発と宿舎の間を往復するバスや、物資を運び込むためのトラックの交通障害になり、危険な状態が続きました。

これらの動物たちは「歩く交通障害」と呼ばれ、農林水産省はこれらの動物たちをかり集め、まとめて殺処分するよう命じました。
彼らの死体は他の放射性廃棄物と一緒に焼却処分されるか、土の中に埋められるかしました。

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この措置を見て怒りを発した吉沢さんはすぐに自分の牧場に戻り、生き残っていた自分の牛たちにエサやりを再開したのでした。
最終的に吉沢さんは、生き残った牛たちに出来る限りの世話ができるよう、ずっと牧場で暮らす決心をしました。

彼の80エーカー(約32ヘクタール強)の牧場にいる約360頭の牛のうち、半数以上は一度彼が『捨ててしまった』牛たちです。
吉沢さんは危険を顧みず汚染のひどい場所で取り組みを続けていることについて政治的な意義を強調しますが、その言葉の端々に人としての感情が見えかくれします。

彼は捨てられた農場の中で、多数の餓死した牛の死がいを見つけた際の恐怖について語りました。
死んだ牛たちはエサを与えられるのを待つかのように、エサを入れる大きな樋の中に頭を並べていました。
納屋のひとつでは、生まれたばかりの子牛が餓死した母親の脇で、力なく鳴き声をあげていました。
彼はすぐさま『イチゴ』と彼が名づけた、その子牛を救い出す決心をしました。
その出来事が彼がこの地に戻って、生き残った牛たちの世話をする決心に導いたと語りました。

〈後編に続く〉

頭数合わせ?! 福島第一原発の事故現場、ホームレスの人々が送り込まれている

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所要時間 約 6分

「行ってもいいという人間を送り込んで、金をもらう…その先どうなろうと関係ない」
「作業員ひとり一人についてまできちんと把握しようとしたら、作業員など集まらない」

アントニア・モロイ / インディペンデント 2013年12月31日

作業員募集 1
現在は機能していない福島原子力発電所の放射線量の高い現場に、事故収束・廃炉作業を行うため日本国内のホームレスの人々が送り込まれていることが明らかになりました。

ロイター通信社が明らかにした特別レポート( http://kobajun.biz/?p=14829 )では、日本国内で最も弱い立場にある人々が、世界の先進工業国で誰もしたがらない仕事のひとつである福島第一原発の事故収束・廃炉作業に、きわめて低い賃金で従事させられていることを明らかにしました。

現場に労働者を送り込む仕事をしている手配師のひとりである佐々清二氏は、彼が北日本にある仙台駅で労働者として使えそうな人間を探し出しては福島第一原発の下請け企業にあっせんし、一人当たり10,000円の報酬を受け取っているとロイター通信の取材に答えました。

「私は質問なんかしませんよ、そんなことは私の仕事じゃないから。」
67歳の佐々氏はこう語りました。
「私がするのは使えそうな人間を見つけて、(福島第一原発の)現場に送り込むことだけ。それと引き換えに現金を受け取る。そこから先どうなるかは、私には関係ないことだよ。」

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2013年1月、10月、そして11月、3兆5,000億円の国家予算が投入されている福島第一原発で事故収束・廃炉作業現場で、実際の作業を請け負っているゼネコン大手の株式会社大林組の下請け企業のネットワークに違法に労働者を派遣した罪で日本の暴力団関係者が逮捕されました。

福島第一原発の事故では、2011年3月東北地方を襲った巨大地震とその結果発生した巨大津波が襲い、その結果複数の原子炉でメルトダウンが発生しました。

ロイター通信社は何人もの現場作業員から聞き取り調査を行うとともに、下請け各社にも取材を行い、繰り返される現場の不注意によるミスと、熟練した作業員の不足により、事故収束・廃炉作業が思うように進んでいないことを明らかにしました。

大林組は、日本政府の予算によって行われている福島第一原発の事故処理に従事している企業の中で代表的な存在ですが、いかなる不正についても告発されてはいません。

しかし一連の逮捕により、日本の三大暴力団である山口組、住吉会、稲川会が闇の人材市場を作り、大林組傘下の下請け企業に作業員を送り込んでいる実態を明らかにしました。

「我々は一連の事件立て続けに発生してしまったことについて、非常に深刻に受け止めています。」
大林組の広報担当の市川氏は、ロイター通信の取材にこう答えました。

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世界的にも『ヤクザ』の名称が知れ渡っている暴力団締め出しのため、大林組は下請け企業の雇用実態について詳細に検証を行う事を約束しました。
「私たちの取り組みが、こうした事態を防ぐために充分なもので無かった事を、思い知らされている次第です。」

あまりにも多くの企業が参加しているため、除染や事故収束のための作業の進行状況を正確に把握することが難しいという実態があります。
参加企業の総数は公表されてはいませんが、日本の情報公開法に基づき2013年8月に省庁が公表した部分的な契約事例を検証した結果、ロイター通信社は環境省の管轄下だけで733の企業が作業に従事していることを割り出しました。

このうち、少なくとも5社について存在の実態を確認することが出来ませんでしたが、元請などの大企業はすべての下請けの一社一社について、監視の目を届かせることは困難であると語っています。

「一人一人の人間にまで目を配らなければならなくなったら、除染も事故収束も進まなくなってしまうでしょう。必要な数の人間の1割すら確保できなくなってしまいます。」
建設会社のアイ総合サービスの菅沼社長がロイター通信の取材にこのように答えました。

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しかしかつて菅前首相の顧問を務めていた五十嵐氏が次のように指摘しました。
「いくつもの実態の解らない組織が、福島の除染や事故収束作業に入り込んでいます。どんな会社が何の作業に取り組んでいるか、いつかその全貌を徹底的にチェックする必要があります。私の考えでは、元請会社が自社の傘下の企業についてその実態を把握してないというのは、不法行為に当たるはずです。」

環境省は、福島県内の汚染のひどい場所の除染作業について、当初予定していた2014年3月の終了を延期し、さらに2~3年の歳月を必要とすると2013年12月26日に公表しました。

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japans-homelessdraftedin-to-help-withfukushima-nuclear-clearup-9031527.html?origin=internalSearch

【 福島の悲劇に、このまま幕を下ろして良いのだろうか?! 】[アルジャジーラ]

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所要時間 約 6分

日本、次に人々を打ちのめす福島第一原発の余波
ガン発生の潜在的脅威を含む、福島の子供たちへの長期的影響とは?
人類史上最悪の悪夢、チェルノブイリ、スリーマイル、そしてフクシマ
わが子の姿を求め、汚染された浜辺をさまよい続ける男性

101 East(イースト)/ アルジャジーラ 2014年1月10日

NBC13
101イーストは2011年に発生した東日本大震災による、ガン発生の潜在的脅威を含む福島の子供たちへの長期的影響について調査を続けています。

2011年3月11日に地面が激しく揺さぶられ、信じられないほど高く盛り上がった海面が福島県沿岸の町を次々とのみ込んでいきました。
この時の地震と津波は、人類史上最悪の悪夢であるチェルノブイリとスリーマイル島事故と同義語になった、福島第一原子力発電所の事故を引き起こしました。

かつては広々とした場所に広がっていた豊かな街並みは今日、地球最後の日を描いたSF映画さながら、荒廃したゴーストタウンへと劇的に変わってしまいました。
日本は国家を挙げて再建に取り組んでいますが、人々は福島第一原発の事故から3年近くを経た今も、危機的状況は決して終わってはいない、そう語っています。

破壊された無残な姿をさらす福島第一原発を取り囲むようにつして広がる砂浜は、それ自体ひどく汚染されていますが、誰もいないその砂浜で一人の男性が孤独な作業を続けています。

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5階ほどの高さがある津波が2011年3月、男性が住んでいた大熊町一帯に襲いかかった後、彼の7歳の娘さんはたった一人の行方不明者となりました。
当局はずいぶん昔に彼女を探すのをあきらめました、しかし、木村憲雄さんはあきらめることはありませんでした。
これからも決してあきらめることは無いでしょう。
木村さんが娘さんを探し出せる可能性はもはや限りなく低いものになりましたが、手掛かりを求め、彼は足を引きずるようにして海辺をさ迷い歩いています。

いくつかの手がかりの中、木村さんが見つけた有力な手がかりは亡くなった娘さんが履いていたという靴だけでした。

立入禁止区域から離れた場所にある民間の病院で、大勢の子供たちが両親にしっかりと手を握られ、検査の順番を待っています。
彼らが願うことはただ一つ、医師が子供たちの体内に甲状腺がんの発症を確認しないように、その事だけです。

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医療機関に対し県が依頼したことによって始まった検査により、福島県の子供たちの間に甲状腺がんの発症率のただならぬ上昇が確認されました。
検査を受けた200,000人の子供たちの中、これまでに甲状腺がんの発症が確認されたのが18人、他に25人が発症を疑われています。

放射線の専門家や県の医療関係者などは、子どもたちの甲状腺がんの発症と福島第一原発の事故により環境中に放出された放射性物質との因果関係を中々認めようとはしません。
しかしながら、深く関与していると考えるべきでしょう。

かつてチェルノブイリの事故の後、5年間に渡り子供たちの甲状腺がんの手術を行った外科医である菅谷昭氏は、福島県内の子供たちの甲状腺がん発症率の急上昇を、深刻に懸念すべきだと語ります。
菅谷氏はチェルノブイリで放射線が子供たちにどれほどの被害をもたらしたか、その事を身をもって現場で体験しました。

これに対しロンドン王立カレッジのガンの分子病理学の専門家であるジェラルディーン・トーマス教授は、そうした懸念には根拠がなく、日本の母親たちに妊娠中絶を含む不必要な選択をさせることになったと語りました。

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心配なのは子供たちの事だけではありません。
農家を営む樽川和也さんは、収穫した農作物が放射性物質によって汚染されているのではないかと懸念しています。
そして食物連鎖の中に放射性物質が入り込んでしまうことにも、懸念を深めています。

樽川さんが収穫した作物は政府の放射性物質の安全基準をクリアしたかもしれません。
しかし樽川さんの心の中では、人としての良心が熱く燃えています。
樽川さんは、政府の安全基準は妥当性を欠くものであると考えています。

日本を襲った巨大地震と津波、その長期にわたる影響とは何でしょうか?
101イーストは、次に日本の人々を襲うことになる原子力事故が引き起こした痛みと恐怖の波について、これからも調査を続けます。

http://www.aljazeera.com/programmes/101east/2014/01/japan-next-wave-2014167595472513.html
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年端もいかぬ子供たちに
「ガンになるかもしれない…」
という恐怖を味あわせる事を何だと思っているのでしょうか?
福島第一原発の事故ではそれが「発症割合」という統計の話にされてしまい、子供たちの恐怖やその家族の方の心配などは「集計対象外」にされてしまっています。
その事自体、「非人間的」だし、「最先進国」にあるまじき姿だと思います。
これが「美しい国」の姿なのでしょうか?

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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