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実録『トモダチ』作戦・第3部「まとわりついて離れない、放射能汚染の恐怖」[第4回]悪・戦・苦・闘

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所要時間 約 11分

「あの日降った雪も、すでに放射能に汚染されていた」
放射能汚染でパニック寸前の艦内、乗員総出の汚染除去作業

ロジャー・ウィザースプーン / ハフィントン・ポスト 3月5日

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▽ 汚染された機体と整備士たち

空母ロナルド・レーガンの窓の無い飛行甲板の下で、ジェニファー・ミックと彼女の仲間たちはF-18ジェット戦闘機を最良の状態に保つため働いていました。
この空母には彼女が育った祖父母の牧場があるウィスコンシン州の小さな農業の町、ソープの人口の5倍の5,500名が乗組んでいました。
彼女は成長したら道路から少し奥まった場所にある祖父母の農場の、さらにその奥に彼女自身の農場を持つつもりでいました。

「私がハイスクールに通っていたころ、一度家族でオシュコシュにある航空博物館に行ったことがありました。」
22歳のジェット戦闘機のメカニックである彼女が、こう切り出しました。
「それ以来私は航空機の魅力に取りつかれてしまいました。でも私が選んだのは海軍でした。船に乗ってみたかったのです。空軍にはあまり魅力を感じませんでした。」
彼女はハイスクールに在学中に手続きを済ませ、卒業と同時にグレートレイク訓練センターに向かいました。まだ18歳でした。

ジェニファー・ミック

ジェニファー・ミック


両親が暮らす家の居間で、彼女はインタビューにこう答えました。
「新兵訓練は楽々こなすことが出来ました。それは私の人生の中で、決定的な体験になりました。私はハイスクールではゴルフをし、成績は中くらいでしたが、まじめな生徒でした。でも打ち明ければ、私にとってはどうでもいいことを、たくさん私の頭に詰め込もうとしていました。」

「海軍の訓練校で私はいつもトップで、クラスのリーダーになりました。ちょっとしたものでした。
海軍では私が興味を持っていることばかり教えてくれ、私は熱心に学べることを心から楽しんでいました。」
「私たちは金属部品と翼部分の修復を学びました。訓練では大きな穴の開いた主翼を渡され、私たちはそれを飛行に耐えられるレベルにまで修復することを求められました。」
「私はそうした訓練を本当に楽しむことが出来ました。乳牛の乳搾りの作業とは大違いでした。」

彼女は航空機の整備士としての資格を得て訓練を終え、空母ロナルド・レーガンに乗組むため、サンディエゴまで空路やって来ました。

「初めて空母ロナルド・レーガンを見ましたが、私はもっと大きいものだと思っていました。ドックに上げられた船体を見て、さほど大きいとは感じませんでした。『この程度なの?』むしろ映像などで見た方が、もっと大きく感じます。ジェット戦闘機がこの場所で離着陸するという事に、私は驚きを禁じ得ませんでした。」

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確かに普通の場合なら、400メートルの長さの船の中に『閉じ込められている』とは感じないでしょう。
しかし今回の救援活動において、全ては異なりました。
「『トモダチ』作戦が介されて以降、私たちは飛行甲板に上がることを極端に制限されました。
甲板にボルト留めされた航空機について、決められた点検の時だけ甲板に出ました。
さもなければ着ているものを全部脱いで、ガイガーカウンターで全身の放射線量をチェックされる羽目になるのです。

「私はあらゆるものを着用させられたことを憶えています。ゴム手袋、ゴーグル、そして私たちの場合は放射線を遮断する防護エプロンも。規則ではマスク着用と酸素ボンベの携行も義務付けられていましたが、実際にボンベを使う場面はありませんでした。」
「ジェット戦闘機も放射能で汚染されていると思われていました。そこで駐機中の戦闘機のブレーキを解除し、特設のエリアまで移動させ、そこで放射線量の測定を行いました。私たちは放射線量の測定をそれ以上は行わなくて良い値に線量計の針が下がるまで、繰り返し繰り返し何もかも洗浄することに忙殺されることになりました」。

「取り外したパネルを一枚一枚交換し、取り外した方を放射線の測定係のところまで持って行きました。放射線量が規定値を超えた場合は、今度は処理を行うため別の係りを呼びに行かなければなりません。作業の手間が2倍にも3倍にもなっていきました。」

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「艦内に放射能汚染が広がらないようにするための、マニュアルなどはありませんでした。服や靴に付着してしまった放射性物質、そして空間にある放射性物質がだんだんと艦内を汚染して行き、線量計のアラームが鳴る頻度が高くなっていきました。
ジェニファーが、水兵たちは思い思いの対処をしていたと言いました。
「放射線を部屋の中に入れない方法、それはドアの下から放射性物質が入り込まないように、すべてのドアの隙間にボロきれを詰め込むことでした。そして、至る所に『ボロきれを動かさないでくれ!』というメッセージが貼りだされることになりました。本当に変わった光景でした。」

「でも本当は、私は常に怯えていました。」

それは変わった光景でしたが、効果は望むべくもありませんでした。

艦長用の艦橋の放射線量が測定され、艦内が汚染されてしまったことが明白になりました。
雪が降った時に、水兵たちが艦橋で雪合戦をしたことがありました。
その時艦橋に設置されたセンサーが警報音を鳴り響かせました。
雪は大気中を漂っていた放射線を、かき集めていたのです。
そして海から水をくみ上げて、艦橋を高圧ホースで洗い流したことで、事態を一層悪化させてしまったのです。

「東京電力は米軍の上層部に対し、まだ放射能漏れは起きていないと伝えていたのです。しかし艦全体が汚染されてしまいました。私たちは全員化学兵器用、核兵器用、または生物兵器用、いずれかの防護服を着用するよう命じられました。そして大気も汚染されている場合に備え、ガスマスクの着用を命じられました。」

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「私たちは一日で水を使い果たしてしまい、シャワーが使えなくなりました。私たちは汚染された海域で脱塩装置を使って得た大量の水を捨てなければなりませんでした。その上でタンクの中を丹念にこすり洗いする必要がありましたが、それは汚染されていない、安全な海域まで行かなければ出来ない相談でした。」

問題は艦の水の供給にありました。汚染されていない海域に行かない限り、安全な水を確保することは不可能だったのです。

「私たちは艦に搭載した脱塩装置を使って、必要な水を得ていました。」
ジェイミーが説明してくれました。
「艦全体が汚染されてしまったため、ありとあらゆる場所にある水という水は、全部捨ててしまう必要が生じました。その上で新たに得た水の安全性をテストしなければなりませんでした。とても困難なことでした。海から水をくみ上げる必要がありましたが、周辺の海域は汚染されてしまっています。そしてどうしても汚染されていない水が必要だったのです。」

航行中の空母から放射性物質を洗い流すことなど、容易にできることではありません。
「ちゃんとやろうと思ったら、艦を港に係留する必要があります。」
モーリスが語りました。
「そして被ばくした可能性のある人員の全身を洗浄し、次に備品全部を洗浄しそして艦内各部を洗浄します。そして洗浄が終わった場所には、3重のチェックを受けて汚染されていないことが確認できた人間だけしか行けません。」

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そして原子力空母自身の原子炉の冷却システムに、汚染されていない水が必要です。特に本来の性能を引き出すためには、汚染など無いタービン用の冷却水が必要です。
このため空母ロナルド・レーガンの性能は、損なわれることになってしまいました。
空母自身の原子炉の汚染により、乗組員たちがその場所で働くことが不可能になってしまったのです。

「結局汚染されていない海域に出て、艦内の汚染が取り除かれるまで、水の供給をストップせざるを得なくなりました。」

〈 第3部完・第4部へ続く 〉

http://www.huffingtonpost.com/roger-witherspoon/a-lasting-legacy-of-the-f_b_2808889.html
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この第4回で第3部は終了です。
日本側からは正しい情報が無いまま、空母全体が汚染されてしまったことが明らかになり、乗員たちは正しい対処法に関しても情報が無い中、何とか汚染を免れようと悪戦苦闘することになりました。

しかし正しい情報、正しい対処法を知らないまま、放射性物質との格闘を強いられた、その先には何があったのか?
憂慮する科学者連盟のエド・ライマン博士やアーニー・ガンダーセン氏も登場する第4部で明らかにされます。
掲載は4月8日月曜日から開始の予定です。

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【 先月の傑作宇宙写真 】

アメリカNBCニュース 3月
(掲載されている写真は、クリックすれば大きな画像をご覧いただけます)

下弦の月とパンスター彗星(画面左)。3月12日、アメリカ、ノースキャロライナ州。
Cosmo1
イタリア、エトナ火山の噴火、2月28日。
Cosmo2
ダイナミックな月食、3月11日NASA太陽活動観察システム撮影。
Cosmo3
国際宇宙ステーションに物資を運んできた貨物衛星ドラゴン。
復路では約1トンの貨物を地球に持ち帰りました。
Cosmo4
国際宇宙スーテョンから撮影した月。3月4日。
Cosmo5

実録『トモダチ』作戦・第3部「まとわりついて離れない、放射能汚染の恐怖」[第3回]

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所要時間 約 7分

汚染されてしまった艦隊
「おれたちはゾンビになってしまうのか?」

ロジャー・ウィザースプーン / ハフィントン・ポスト 3月5日

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「私たちはできるだけ汚染されていると思われるこの三角形の海域に入らないようにしていました。しかし被災地に救援物資、水や食料などを届けるためには、何度もこの場所を横断しなければなりませんでした。三角地帯を迂回して被災地に向かったり、また別の場所に移動したりする余裕は無かったのです。」

「援助物資を届けるためには、どうしても三角地帯に入らなければならない時もありました。
海岸から3キロ沖合であっても三角地帯からは外れている場合がありましたが、次の目的地に向かう際時間を節約するため、あえて三角地帯を通過する時もありました。」

しかし三角地帯だけが問題ではありませんでした。
ヘリコプターやジェット戦闘機のパイロットたちが持ち帰った、各空域の放射線の観測記録を見ながら、各艦艇は目には見えない脅威から回避行動をとり続ける必要がありました。

「私たちは80日程その場所にとどまり続けました。」
モーリスがこう語りました。
「その間私たちは必要に応じて沿岸に接近し、任務完了とともに沖合に退避するという行動を繰り返していたのです。それは風を相手にした、猫とネズミの追いかけっこのようなものでした。しかし実際、放射性物質がどこにあるか、そんなことは解りませんでした。でも日本側がそこには放射性物質は無い、と伝えてきた場所で我々が実際に放射能を検出した時、初めて恐ろしいと感じました。以来私たちは厳重な警戒態勢を敷き、常にガスマスクを持ち歩くようになりました。

しかし日本側が提供する情報が信頼に値しないことがはっきりし、その上信頼完全な情報を与えられない兵士たちの間には、噂、そして恐怖が蔓延して行きました。
原子力規制委員会の危機対応センターの電話会議の議事録によれば、この時空母ロナルド・レーガンの艦長は一時間ごとに放射線量の測定を行い、在日アメリカ大使館に報告するよう命令されました。大使館側が適切な対応がとれるようにするためでした。

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空母ロナルド・レーガンの船体はセシウム、ヨウ素とテクネチウム、そして福島第一原発が放出したありとあらゆるもので汚染されてしまいました。
アメリカ国防総省はもはや、日本政府と東京電力が伝えてくる情報を信じようとはしませんでした。
モーリスやジェイミーのような航海士たちは、パイロットたちが集めてきたデータの中から必要な情報だけを与えられました。

「私たちは実際に、放射性物質の存在が確認された場所を書き込んだ海図を見せられました。」
モーリスがこう語りました。
「それをすべて避けて船の航路を割り出す作業は、神経が参ってしまう程きついものでした。いったいどの場所に、どれ程の放射性物質が漂っているのか完全な情報を手に入れる術はありませんでした。でもその時点でも尚東京電力側は私たちに対し、心配する程の放射能漏れは無いと言っていました」。
「艦内ではほとんど何も知らされていない人間たちの間で、噂ばかりが先行する状態となっていました。」

ヘリコプターやジェット戦闘機が任務から戻ると、放射線防護服を着込んだスタッフが現れ、石鹸と水を使って機体をこすり洗いました。
しかしそれがどの程度効果があるものなのか解らないまま、その行為だけが繰り返されていました。

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「私は常にイライラしていました。」
ジェイミーが当時をこう振り返りました。
「何が起きているかは問題ではありませんでした。とにかく『気にしなくていいよ!』、あるいは『もうやめた』などといえる状況でない事だけは確かでした。顔も体もボロボロのゾンビになってしまってから『大丈夫、今、放射性物質を洗い流すから、そうすれば元通りになるから。』などと言える訳がありません。とにかくその場所にいた間は、ずっと怯えていました。」

「我々の中の誰も、放射線についてはどんな知識もありませんでした。しばらくしたら3本目の腕が生えてくるかもしれない、そんなことすら考えました! おかしいでしょう?デジタル腕時計を作るときに放射性物質が使われることを話す人間もいました。ここにいる全員がガンで死ぬようなことになったどうしよう?本当に何もわかりませんでした。それを考えると頭がぼうっとなりました。そして今度は冷静になってそのことを頭の中から追い出そうとする。ずっとその繰り返しでした。」

水兵たちが恐怖について余計なことを考えないようにするために、厳格な軍紀がある意味では役立っていたかもしれません。
「いったん命令を受けたら、直ちに従わなければなりません。」
モーリスが語りました。
「艦体に水を吹きかけて洗浄しろと言われれば、直ちにそれに従い、作業をしている間はその洗浄の事だけ考えてればいいのです。
しかし放射線を洗い流す作業について、指揮官の中の誰かが私たちに誤った情報を伝えたりすれば、私たちはかえって混乱してしまうことになるのです。」

Navy Navigator
「ですから今遂行している任務について、私たちはもっと大きな観点で役に立つことをしているのだと考えるようにするのです。海軍の艦艇のように、乗り合わせた全員が運命を共にしているような場合は、特に。そしてたとえば孤島に取り残された子供たちに、食べるものを運んできたヒーローが現れたら、子供たちはどんなに喜ぶことか、そのことを考えるのです。そうすれば自分自身のこと、自分が抱えている恐怖を忘れることが出来るのです。」

〈 第3部第4回「汚染されてしまった艦隊」へ続く 〉

A Lasting Legacy of the Fukushima Rescue Mission: Part 3: Cat and Mouse with a Nuclear Ghost
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【 オーロラ写真傑作選 】

アメリカNBCニュース 3月20日
(掲載されている写真は、クリックすれば大きな画像をご覧いただけます)

噴火するエイヤフィヤトラヨークトル火山の上空に広がるオーロラ、2010年4月22日。(写真下・以下同じ)
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アラスカ、パーマー近くのニック川上空。2006年11月29日。
aurora 2
カナダ、ユーコン準州ホワイトホース上空、2012年9月3日。
aurora 3
ノルウェー北部、トロムゼー近くのヒレゼイ上空、2012年4月3日。
aurora 4
アイスランド、ファスクルズフィヨルダー上空、2012年3月8日。
aurora 5
フィンランド南部、ヒビンカ上空、2003年10月31日。
aurora 6

実録『トモダチ』作戦・第3部「まとわりつく、放射能汚染の恐怖」[第2回]運命の中に落ち込んでく兵士たち

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所要時間 約 8分

「間違ってる!日本側の認識は全部、デタラメもいいところだ!」

ロジャー・ウィザースプーン / ハフィントン・ポスト 3月5日

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空母ロナルド・レーガンとその僚船たちは、放射性物質(放射能雲)の『細い流れ』から何とか身をかわそうと必死の操船を続けていました。
しかし実際には、常に頭上にあった大気中の放射性物質、そして海流によって運ばれる放射性物質により、その汚染はじわじわと進んでいたのでした。

3月16日までに、一連の爆発により原子炉1~4号機の原子炉建屋が次々に破壊されました。
国務省東部アジア地区担当のカート・キャンベル国務次官、原子力規制委員会の委員たち、そしてアメリカ国防総省は、この期に及んでなお、正しい情報を確保するため自ら行動する事無く、東京電力が提供する情報にばかり頼ろうとする日本政府を見て、たまりにたまった憤懣が爆発寸前になっていました。

日本の朝日新聞は、この時のキャンベル国務次官宛ての内部文書を入手、公開しました。
- あの日、国務省の高官たちの中には、汚い言葉を使ってあからさまな批判をする者もいたのです。

「間違ってる!日本側のすべての認識はデタラメもいいところだ!」

これらの文書の中には、当時のヒラリー・クリントン国務長官あてのものもありました。

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一方アメリカ原子力規制委員会は、日本本土の汚染を何とか食い止めようとしていました。
しかし福島第一原発から約290キロ南方の横須賀海軍基地で放射能を感知した時、彼らは狼狽しないわけにはいきませんでした。
彼らは汚染物質のほとんどは、海上に運ばれるものと考えていたからです。
それまでは日本国土の数千万の住民たち、そして数万人の米軍関係者には放射性物質による被害は及ぶ可能性は低く、代わりに『トモダチ』作戦の名の下で洋上に居て捜索・救援援護活動を行っていた、空母USSレーガン機動部隊の将兵が危険にさらされていました。
しかし風向きが変わったことにより、条件が全く逆になってしまったのです。

大災害の真っ最中に、根拠も無く楽観的な見通しを持っていたことについては、理解しがたいとしか言いようがありません。

「私も同じ過ちをしたかもしれません。」
憂慮する科学者連盟のメンバーで、原子力発電安全問題の専門家であるデイヴィッド・ロックバウムがこう語りました。
「私は海上にではなく、陸上に人が集中しているという事について、漠然としか捉えていませんでした。もし風をどちらに向かって吹かせるか私にその選択権が与えられたら、私は風向きを海に向けてセットし、その上でほっと一息ついたに違いありません。」

「もしその場所に海軍の艦艇がいたならば、直ちに避難させる必要がありました。しかし、その措置がとられることは無かったのです。」

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こうして『トモダチ』作戦に参加した将兵たちは、それぞれの運命の中に落ち込んでいくことになったのです。

▽放射能汚染に対し、あれこれ想像をめぐらす日々

軍隊においては重要な情報は中枢部門に集積の上、関係個所に対し必要最低限の情報が伝達されていきます。
福島沖で危険が迫っていた際にも、現場にいた将兵に対してはあまり多くの情報を与える必要は無いとの判断が下されました。
大きな被害を被った東北地方の沿岸で捜索・救助活動を行っていた、空母ロナルド・レーガンと第7機動部隊の艦船に対し充分な情報が与えられなかった、その結果は明白でした。
各艦の航海士たち対する充分な情報提供こそ、その時必要なものでした。

航海士のジェイミー・プリムが当時を振り返りました。
「当然私たちは、放射能が海上にも近づいていると思っていました。当時艦上では被災地に向けヘリコプターが発着を繰り返している真最中で、私たちの艦は海岸線から3キロ沖合の位置を保ち続ける必要がありました。」

「航海士の立場に居た私たちに対しては、本国は当時起きていたことの概要を理解させようとしました。」
モーリス・エニスが後を引き継ぎました。
「しかし彼らは私たちたがパニックを起こすことも、恐怖で身をすくませることも望んではいませんでした。そのため、放射能漏れに関する詳細な情報までは教えてはもらえなかったのです。」

Navy Navigator 02
「陸上で放射能漏れが起きていることは知っていました。」
「しかし私たちは、進路を決定しなければなりません。いったいどこが危険なのか、福島第一原発から放出された放射能汚染物質は、いったいどのあたりまで到達しているのか。
確かなことは何もわかりませんでした。
しかし私たちは、ブリッジにあるパイロットの詰所の中に放射能検知器を設置していました。
そして飛行中のヘリコプターのパイロットも、大気中の放射線量を刻一刻と報告して来ていました。

放射能汚染物質から身を避けるため、空母機動部隊の提督と各艦の艦長たちは航海士に対し、まずは福島第一原発の正確な位置を設定するよう命じました。
航海士たちは福島第一原発がある場所からまっすぐ東に向け、80キロの直線を引きました。そして次に福島第一原発を中心に南北に40キロの長さの直線を引きました。
艦隊はこの線と海上80キロの点を結んだ三角形の海域の中こそ、放射性物質が充満している汚染地域だと仮定したのです。

「しかし推量に過ぎませんでした。」
ジェイミーがこう語りました。

〈 第3部第3回「汚染されてしまった艦隊」へ続く 〉

A Lasting Legacy of the Fukushima Rescue Mission: Part 3: Cat and Mouse with a Nuclear Ghost
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以下、オリジナル記事に掲載されている、3枚の地図を掲載します。

〈原子炉1号機からの放射性物質の拡散状況・3月11日〉
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〈原子炉1号機からの放射性物質の拡散状況・3月12日〉
312
〈原子炉2号機からの放射性物質の拡散状況・3月11日-24日〉
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宮城県仙台市で暮らす私は、この中の2枚目の地図を見、放射性物質がまともに自分たちに向かっていたことを再確認しました。
その日何をしていたかを思い出すと全くがっかりします。
正しい情報が無いということは、そういうことなのだ、ということを痛感させられた思いであり、その点においてこの記事に登場する兵士たちと変わる所がありません。

アメリカの兵士たちは東京電力という外国の会社と、日本政府という外国政府の被害者です。
しかし、あの日の福島県民や宮城県民への加害者は誰なのでしょう?
それを考えると、本当にがっかりします。

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【 講義する人々、声を上げる人々 】

アメリカNBCニュース 3月27日
(掲載されている写真は、クリックすれば大きな画像をご覧いただけます)

イリノイ州シカゴ。公立学校の閉鎖に抗議し、道路に座り込む人々。3月27日。
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ネバダ州クリーチ空軍基地前。無人攻撃機の使用に抗議し、道路に横たわる人々。3月27日。
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首都ワシントンにある最高裁判所前で、同性婚支持のプラカードを掲げる賛成派の人々。3月27日。
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同性婚に反対する人々。
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最高裁判所前で、それぞれの立場で議論する人々。
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実録『トモダチ』作戦・第3部「まとわりつく、放射能汚染の恐怖」[第1回]原子炉1号機のメルトダウン、その本当のタイミング

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所要時間 約 11分

原子力産業界、そして規制委員会が作り出した、2つの大きなウソ

ロジャー・ウィザースプーン / ハフィントン・ポスト 3月5日

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何日もの間、破壊された福島第一原発から吹く風が、放射性核物質にまつわる神話に正面からぶつかり続けました。
それは原子力産業界、そして原子力規制委員会が作り出した、商業用原子力発電における、最も永続的な嘘です。
この神話は2つの大きな矛盾した構造を持っています。

1. 破壊された原子炉、あるいは沸騰した使用済み核燃料プールから放出された放射性物質はまとまったまま、細く、拡散せずにまっすぐな形で流れて行く固有の性格を持っているため、広範囲にわたる汚染は発生しない。

2. 原子力発電所から10マイル(16キロ)離れた場所では、放射性核物質はティーポットから吹きあがる蒸気のように一帯に拡散するため、放射線量は計測できない程低いか、または計測されても「健康に影響のない」程度の量である。

この「広がらない固有の性格」と「吹き上がる蒸気のように拡散する」性格との間の矛盾に対し、今のところ疑問は呈されていません。
その事が最もはっきりしたのは、ニューヨーク、マンハッタン地区の約50キロ北にある、エンタジー社のインディアンポイント原子力発電所がもし事故を起こした場合に備え、どのような対策がとられるべきか検討を行った席上でした。

この公聴会は2002年4月8日にホワイトプレインズで開催されましたが、答弁に立ったエンタジー社のラリー・ゴットリーブは、もっともらしくこう語りました。
「放射線による被ばくを避けるための最も簡単な方法、それは通りを渡って向こう側に行くこと、たったそれだけのことです。」
これに対し、居並ぶ原子力規制委員会の担当者たちは一切異議を唱えませんでした。
「誰かがあなたに銃口を向けたら、あなたは右か左、弾の飛んでこない方向に身をかわすでしょう。それと同じことをすればよいだけなのです。」

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2011年3月11日、東北地方を巨大な地震と津波が襲い、約20,000人の死亡・行方不明者を生み、海岸沿いにあった何もかもをも破壊してしまった後の、殺気立つような最初の1週間、福島第一原発にある6基の原子炉のうち、3基が引き返すことも、留まることも無く、ひたすらメルトダウンの過程を突き進みました。
日本に居たアメリカ国防総省、政府、エネルギー省、そして原子力規制委員会のスタッフたちは、揃って前述の神話にこだわり、放射性物質はまっすぐ海に向かって飛んでいく限り、福島第一原発の制御を回復することは可能だとの立場を捨てませんでした。

この見解は本国の国防総省の考えよりも優先されることになりました。
国防総省は日本全国、そして周辺の島々に63か所の軍事施設を有し、そこに男性・女性合わせて60,000人の兵士を展開しており、その家族も一緒に暮らしていました。
日本駐在のスタッフの見解に、その関係者は胸をなでおろしました。

ところが3月13日、福島第一原発から約200キロの沖合に居た航空母艦ロナルド・レーガンから、同艦のフライトデッキ上に設置したセンサーが、放射性物質を検出したと報告してきたのです。

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原子力規制委員会の状況報告書によれば、「計測可能な量の放射性物質は、福島第一原発の原子炉1号機のベント開始とほぼ同時に計測されるようになりました。」
同じく海軍も放射性汚染物質の空中サンプルを回収しました。
この報告書はこう分析しています。
「この時点でアメリカ海軍空母USSロナルド・レーガンは、福島第一原発から放出された放射性ヨウ素、放射性セシウム、そしてテクネティウムによって汚染されてしまったものとみられる。」

それでも唯一救いであったのは、『津波が引いた後、東京電力は再び福島第一原発の原子炉を制御下に置くことに成功した。大気中で放射性物質が検出された理由は、原子炉建屋内にガスが充満するのを防ぐため、東京電力が計画的にベントを行った結果である。』という情報でした。
放射性物質はメルトダウンによって発生したのでない、そういう判断でした。
そして福島第一原発から放出された放射性物質が、風によって海に向かって吹き飛ばされている限り、アメリカ軍基地に居る全人員と首都圏にする数千万人の住民は、避難する必要はありませんでした。

実際には、福島第一原発原子炉1号機のメルトダウンは始まっていました。

津波が襲いすべての予備電源が使用不能になる以前、地震によって原子炉1号機のメルトダウンは始まっていたのです。

溶けだした核燃料は原子炉圧力容器、格納容器の底を突き破り、格納容器ほ下部にあった冷却水の中に入り込み、そのために発生した放射性物質を含むガスが、破損した原子炉建屋から外に漏れ出してしまっていたのです。
2013年1月まで観測結果の分析が行われなかったモニタリング・ステーションでは、ベントが開始されたとする時間の少なくとも1時間前までは、通常の700倍に上る放射線を検出してはいませんでした。

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係官たちは、空母ロナルド・レーガンは、原子力規制委員会等の仮定に基づく放射能汚染物質を検出していないと判断しました。

その代わりに空母は、原子力規制委員会等が予測することが出来なかった、放射能雲の真っただ中にいたのです。

東京電力がアメリカ側には伝えていなかったこと、そしてアメリカ側が錯綜し緊迫する状況の中で見落としていたもの、それはベントなど最初から機能していなかったという事でした。

原子力技術者のアーニー・ガンダーセン氏がこう語ってくれました。
「チェルノブイリとフクシマの違い、それは何でしょうか?」
「チェルノブイリでは火災が発生し、放射性物質が空高く舞い上げられ、そのために広大な範囲が汚染されてしまいました。フクシマでは火災は発生していません。この通り、原子炉建屋の中には一見無傷のものもあります。しかしベントは行われませんでした。工業用のファンを回せるだけの電力など、当時この場所にはありませんでしたから。」
「そのために福島では放射性物質(放射能雲)はスモッグのように、基本的には地を這うようにして進んで行きました。このうち約80%が海に向かって進んで行ったのです。」

そして放射性物質(放射能雲)が拡散せずに直進するという話も、一気に拡散して薄められるという話も、いずれもが戯言(たわごと)に過ぎませんでした。

〈 第3部・第2回へ続く 〉

A Lasting Legacy of the Fukushima Rescue Mission: Part 3: Cat and Mouse with a Nuclear Ghost
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今日から実録『トモダチ』作戦・第3部を4回に分け、掲載いたします。

早速ですが、このページの中ほどに福島第一原発の原子炉1号機は、津波到達以前に、地震によってすでにメルトダウンを起こしていた、と書かれています。
ただ残念なのは、その論拠となる事実については書かれていない、その点です。

東北太平洋沖地震の本震から津波の第一波の到達までの時間は一時間も無いため、もし傍証を積み上げて1号機のメルトダウンのタイミングを割り出すのであれば、発生した事実ごとに詳細な時刻の記録の表示が必要です。
しかし本稿では触れられていません。
今後の展開の中で明らかにされるのでしょうか?

ただ、空母ロナルド・レーガンが急激な放射線量の増加を確認したタイミングについて、日本側が「ベントを開始した」とアメリカ側に「通知した」らしいことが解ります。そしてそれがベントなどではなく、実はメルトダウンだったことも。
ただ、それが3月何日の何時頃だったのかの記述が無いのが残念です。

この実録『トモダチ』作戦は第4部まであり、第4部は1~3回全部を合わせたほどの長さがあります。
第4回は4月第2週にご紹介予定です。
『原子炉1号機は、津波到達以前に、地震によってすでにメルトダウンを起こしていた』
その証明をされるのでしょうか?

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【 2013年3月のシリア 】

アメリカNBCニュース 3月28日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

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9歳のニハルがまきストーブにオリーブの枝をくべています。ローマ時代の墓所は今、シリア政府軍の攻撃から身を守るための防空壕の役割を果たしています。2月28日撮影。
ここイドリブのジャバル・アル・ザウィーヤでは、反政府軍も、政府軍も、そして一般住民たちもこの国の宝であるはずの歴史的遺産を、2年に及ぶ内戦から身を守るためのシェルターとして利用しているのです。
これらの歴史遺産はぶ厚い石で覆われ、時として街や道路を見下ろす戦術的要衝の地にあります。

クルド族の人民防衛軍の女性兵士。シリア北部、クアミシリの検問所。3月3日。
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シリア反体制派の旗で作ったスカーフをまとい、一人の女性が破壊の跡が著しいディエル・アルゾルの町を歩いています。3月3日。
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シリア国境に近いヨルダンのアルザータリにある、シリア難民キャンプ付近で発生したガス爆発事故から逃げる避難民たち。死者、けが人は無かったが、35のキャンプが吹き飛ばされてしまった。3月8日。
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ディエル・アルゾルの町でシリア政府軍の空爆によって死亡した父親の墓の前で泣き崩れる男性。3月11日。
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トルコの境界の近くのイドリブ、アトメ村の難民キャンプで、子供を外に連れ出すシリア人女性。3月17日。今回の内戦で100万人以上のシリア人が海外に脱出し、さらに別の100人が国内の難民キャンプなどに収容されています。
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アレッポ市内で政府軍狙撃兵の視界に入らないように移動する反乱軍兵士。3月11日。
3月12日、反政府勢力と各国代表団との間でアサド以降のシリアの統治機構に関する話し合いが始まったことに対し、政権側は「あと数年は充分戦える」との声明を発しました。
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