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【 中国との紛争で経済成長のチャンスを潰した日本 – 世界銀行 】

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所要時間 約 9分

そして中国vs.インド、今後の展開

アンナ・ユハナノフ / FOXビジネス・ニュース(アメリカ) 1月15日

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世界銀行は15日火曜日に公表した報告書の中で、2012年の上半期の日本経済はマイナス成長に終わり、2013年の成長も0.8%どまりと見られ、その原因のひとつを作ったのが中国との国境紛争であると述べています。

米国経済に次ぐ規模を持つ中国と日本の関係は、中国政府の抗議を振り切る形で東シナ海に浮かぶ尖閣諸島の国有化に踏み切った昨年9月以降、急速に悪化しました。

日本の中国に対する輸出金額は、6月から11月までの間、昨年と比較して17%減少し、2012年第3四半期の経済成長から年率に換算して3.5%を奪い取りました。

世界銀行によれば、エコカー補助金が打ち切られたこと、そして2011年に発生した東日本大震災と福島第一原発事故の復旧事業による経済の押し上げ効果が一段落したことも、原因の一つとなっています。

世界銀行は年2回公表を行う『世界経済局面』報告書の中で、こう述べています。
「日本における経済は、後退(縮小)局面にあります。その原因の一つが尖閣諸島をめぐる中国との領有権争いにより政治的緊張が高まったことです。」

日本政府が発表したGDPの修正値は、2012年第二四半期と第三四半期の両方において、日本経済が縮小したことを表しています。経済の専門家は第四四半期には一層その傾向が強まるものと見ていますが、世界銀行も同様の見方をしています。

ワシントンに本部を置く世界開発基金は、日本は世界で4番目の輸入大国であり、日本経済の弱体化は世界貿易の危機につながりかねないと語っています。

各国GDPの世界経済の中での割合

各国GDPの世界経済の中での割合


これとは対照的に、日中間の緊張が解ければ、日本経済はいち早く成長軌道に戻ることが可能であり、世界経済の回復にも貢献すると、世界銀行が語っています。

▽ インドの猛追

中国経済に対する突然の投資の手控え傾向もまた、世界経済にとっては懸念材料です。
その上、中国はこれまで大量の鉱物資源や石油資源を消費してきたため、商品市場でも値下がりが起きる可能性があります。

しかし、世界銀行はこのような世界経済の短期間での悪化のシナリオは、現実にならないだろうと見ています。そして12月に公表された予想では、中国経済は2013年の8.4%の経済成長を達成する見込みであると、世界銀行は繰り返し延べています。

しかし世界銀行は2014年、世界で最も人口の多い中国の経済成長は8%前後に落ち着くと見ており、
経済の成長要因である生産活動と労働市場の成長が先細るものと予想しています。

中期的には中国の経済成長が失速していく一方で、代わってインド経済が上向くことになります。

インドの経済は、度重なる停電、農作物の収量低下、そしてヨーロッパの経済低迷による輸入の鈍化により、4月 - 3月の会計年度、この10年間で一番低い5.1%の成長しか達成できませんでした。

しかし今年始まる会計年度においては、外国からの直接投資が可能になるなどの環境の変化、そしてその他の政府の規制緩和により、再びその成長が早まることになると、世界銀行が述べています。

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世界銀行はインドが2014年には6.9%、2015年には6.6%の経済成長を実現すると予想します。この間中国も7.9%の成長を達成しますが、インドとの差は縮まります。

世界銀行のチーフ・エコノミストのカウシク・バス氏は、中国がこの30年間10%前後の経済成長を続けてきて成長の余地が少なくなってきているのに対し、インドの成長は始まってやっと10年になるかならないかであり、成長のための大きな余地が残されていると語りました。。
「いずれはっきりするとは思いますが、これからの2年間、首の差のレースが展開されるかもしれませんよ。」

http://www.foxbusiness.com/news/2013/01/15/japan-growth-hurt-by-row-with-china-world-bank504378/
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今年の正月、宮城県北部で開催される新年の歳の市の様子を伝えるNHKのニュースを、ぼんやり眺めていました。
会場を訪れた銀縁メガネの中年男性が、マイクを向けられこう答えました。
「とにかく景気が良くなってもらわねえと、どうにもなんねえ。」
これをわざわざ放映する感覚に、不愉快を通り越し、がっかりしました。

今、日本が苦しんでいる高齢化の問題、少子化の問題、格差の問題、崩壊する家族の問題、福島第一原発の事故の問題…
「景気が良くなりさえすれば」解決するのか?と…
3.11の発生により、多くの日本人がその矛盾に気がつき、人々の間には「Reformation」の機運が盛り上がってきました。

現代社会を構成するものは経済ばかりではない、家族や地域社会の人としてのつながり、自然環境や文化、それらがバランスよく調和して初めて幸福な社会を作ることが出来る。
家庭も崩壊し、社会に頼るべき友人もいない人間が、貯めこんだお金を面白おかしく使えるでしょうか?
福島第一原発で故郷を追われた方々は、金さえもらえば立ち直ることが出来るのでしょうか?

金がある事にこしたことは無い。
でももっと大切にしなければならないことがある。
多くの日本人が、すでにそう考えているはずなのです。

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【 深刻化する中国の大気汚染 】

アメリカNBCニュース 1月16日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

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上海の金融街を訪れたカップルはマスクで顔を覆ったまま。1月16日(上の写真)。

中国で約1週間の間首都北京を始めとする各都市を覆った汚染された霧は、工業生産による煤煙が作り出したスモッグが原因であることを、中国政府が初めて認めました。
大気汚染が悪化する一方の中国にあって、中国政府は国営メディアを通し、今回非常に濃い汚染された霧を作り出したものは、非効率的な工場生産現場と天候であると語りました。
「これ以上非効率的な経済成長を続けることは許されない、私たちは再びその警告を受けたものと考えています。」
急激な経済成長は中国を世界第2の経済大国に押し上げましたが、その代償として支払った環境の犠牲は意外に高くつくかもしれません。
汚染された霧のため視界が極度に悪化し、旅客機のキャンセルが相次ぎ、人々は屋内に退避し、多数の人々が肺や心臓、血管などの症状により病院に駆け込む結果となりました。

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山東省青島市の精油所。1月16日(上の写真)。

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1月16日、上海市内の写真店の前で(上の写真)。
1月15日、中国国内のメディアは一斉に政府に対し、一部地域での大気汚染問題に緊急の取り組みを行うよう求めました。その中の一紙は中国が経済成長率にのみとらわれることを考え直すよう求めています。

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安徽省合肥の数多くの子供たちが呼吸器疾患と診断され、点滴による治療を受けています(上の写真)。
首都北京が息のつまるようなスモッグに覆われた数日間が過ぎ、中国の首相の有毒な排煙等に対しては規制を行うと述べた演説は、煙の向こうにかすんで聞こえました。
首相は詳細な数字には触れず、当面緊急に打てる手は無いと語りました。
アメリカの雑誌、『毒性と環境、健康ジャーナル』によると、直径2.5マイクロメートル、2.5PMの有害物質が肺に取り込まれると、肺の疾患、肺がん、急性呼吸器感染症を引き起こす危険性があります。

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汚染された霧に覆われる北京市内と、それを見つめる旅行者。1月16日(上の写真)。

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北京市内の病院で、急性気管支炎の治療のための点滴を並んで受ける子供たちとその親たち。1月13日(上の写真)。

『国家の主人公、それは国民』独裁者プーチンに立ち向かえ!〈第3回〉

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所要時間 約 7分

【ロシアでも成長を続ける市民運動】立ち上がる市民たちが、国を変える!
「善王待望論からの脱却・国を造るのは一人一人の国民」

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〈写真〉
情報連絡協議会は、同じひとつの目標のために連合しました。
プーチン(=クレムリン)によるムラ社会方式の偽りの民主主義体制による支配を打ち崩し、名実共に整った民主主義社会をロシアに建設する事です。
そのクレムリンに支配された治安警察が、前のチェス世界チャンピオンであり、反政府活動家のギャリー・カスパロフを拘留します。

▽劇的な変化

隣り合わせのバタイスク市では、住民たちが選挙に不正があったとして裁判所に提訴しました。
ロシア北部のコミ共和国のウシンスクでは、環境保護グループが石油会社がポヒョラ川を汚染しているとして立ち上がりました。
そしてサンクトペルブルグでは若い弁護士が原則無料奉仕で、妊娠している女性労働者の相談に応じ、雇用者側との交渉を行っています。
プーチンの政府が民衆の活動を制限する法律を新たに制定するなどしているにも関わらず、ロシア全土では何千という非政府組織が民主化のため活動しています。

このような変化の兆しは、社会の下の方から始まっています。
これは常に偉大なツァーリ(皇帝)の登場を待ち望む事しかしてこなかったロシア1,000年の歴史の中で、初めて起きたパラダイム・シフト(ある時代・集団を支配する考え方が、非連続的・劇的に変化すること。社会の規範や価値観が変わること)です。

ロシア帝国最後のツァーリ、ニコライ2世とその家族。

ロシア帝国最後のツァーリ、ニコライ2世とその家族。


ロシアではこれまで、権力にしがみつこうとする統治者を、反乱によって閉め出した事は数えるほどしかありません。
今回立ち上がった人々が民主化を前進させられるかどうか、判断をするにはまだ早すぎますが、何かが変わり始めている事は間違いありません。

モスクワの戦略研究センターでは、ここ数年、ロシアの社会の構成がどう変わるか研究してきました。
同センターは2012年冬に大規模な反政府デモが発生する事を予測した、唯一の機関でした。

「我々は今、プーチン政権と人々の間の溝が、ますます大きくなっているのを目撃しているのです。」 
戦略研究センター長のミハイル・ドミートリーブがこう語ります。
そして反政府デモの参加者が減少している事や、ナヴァンリー(第一回に登場)や、かつての副首相で現在は反プーチン政権のリーダーの一人、ボリス・ネムトソフへの支持率の低下を、単純に自分たちへの支持が高まったと喜んでいますが、
「プーチン政権は思い違いをしているようです。」

経済学者であるドミートリーブは、現在のロシア人の心情を表しているいくつかの統計があると語ります。
彼はプーチン登場当時、その『改革』を成功を心から喜んだ一群の人々がいた事を把握しています。
そして一日2ユーロ以下の生活費で暮らしていた極貧層を、どれだけ減らすことができたかについても通暁しています。
そしてロシアで中間層が増え続けている事についても、現在はロシア人100人につき180台の携帯電話が普及している事など、具体的数字をあげて説明する事ができます。
さらに別の統計によれば、ロシア国民は現在猫の食事のために、アメリカ人以上の出費を行っています。

台頭するロシアの中間層。その反プーチン・デモ。

台頭するロシアの中間層。その反プーチン・デモ。


「これら全ては、ロシア社会の劇的な変化を示しています。」
と、ドミートリーブが語りました。
「冷蔵庫がいっぱいになり、海外旅行すらできるようになった今、市民は法による支配を望み、政治についてもはっきりと意見を述べるようになったのです。」

ロシア社会の変革は、市民の間から始まることになるでしょう。
〈完〉

http://www.spiegel.de/international/world/grassroots-movement-gains-momentum-in-russia-a-868338.html
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要は『善王待望論』、日本なら『水戸の黄門様待望論』では民主化は進まない、という事でしょう。
ひどい世の中が続いても、いつかは善王や黄門様が現れ、悪人ども懲らしめ、暮らしやすい世の中にしてくれる、そんな願いは大なり小なり誰にでもあるでしょうが、そんな人ばかりが多い社会では民主化は進みません、そう教えてくれているようです。

しかし日本の大手メディアはその『善王待望論』を、できるだけ多くの日本人の潜在意識の中に刷り込もうとしている、どうもそう思えてならないのです。

これに対し、アメリカCNNニュースは【 戦争とは何か?! そんなことも解らぬうち、殺されてしまったこどもたち 】( http://kobajun.biz/?p=6399 )でご紹介した通り、イスラエル軍がパレスチナ市民に対する攻撃を行っていた最中、読者に向かい「暴力を止めさせるため、あなたも声を上げてください」と呼びかけました。
アメリカには強力なユダヤ人ロビーがあり、下手をすればCNNにとって望まぬ状況に追い込まれるリスクがあったはずですが、異例ともいえる呼びかけを行いました。

ツイッターやフェイスブックが市民のための強力なツールとなり、3.11以降、積極的に市民が参加してもっと民主的な社会を築いていこう、そうした意識が強まっていることを感じます。
なぜそれが、日本の大手メディアにとっては『望まぬ状況』なのでしょうか?

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【 サケ釣りシーズン到来 】

アメリカNBCニュース 1月15日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

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英国ではサケ釣りが解禁となり、スコットランドのケンモアでは早速釣り人達が釣竿を抱え、列をなしてティ森林公園にあるティ湖とそこにつながるティ川に集まってきました。

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2歳になったキーア・ガワンが大きな玉網を抱え、大物が釣れるのを待ちわびています。

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『国家の主人公、それは国民』独裁者プーチンに立ち向かえ!〈第2回〉

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所要時間 約 10分

【ロシアでも成長を続ける市民運動】立ち上がる市民たちが、国を変える!
「旧体制側の権力者、そして老人たちに対し、対抗できるだけの力を」

ベンヤミン・ビッダー、マティアス・シェップ / シュピーゲル・オンライン 11月25日

第2部[ ささやかな勝利 ]

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ロシアの新興勢力と旧体制との戦いは、世代間の戦いでもあります。
カズの宿敵、セルゲイ・イェレメフは59歳、地区の行政区長を務めています。
彼はソビエト連邦時代、秘密の武器工場で働いていました。そして現在は人々に恐れられる、クレムリンの影響力を隅々まで届かせるための、プーチンの『垂直権力機構』の一員でもあります。
この仕組みは民主主義とはほとんど無関係で、むしろ封建主義に近いものです。
イェレメフの場合は、モスクワ市長が組織・任命するモスクワ市政府によって選ばれました。
その市長は同様に大統領によって任命されます。
選挙によって選ばれた人間は一人もいませんが、この国の権力機構をしっかりとその手につかんでいます。
ロシア全土で、この形がとられています。

シュキノ地区の年間予算は225億円ほどですが、
「選挙によって選ばれた市民の代表が関与できるのは、予算全体の2%程度でしかありません。」
カズがそう説明してくれました。

彼は現在幼稚園の改築のための予算を検討する会議に、多くの時間を費やしています。
彼はまた、行政区長のイェレメフの活動内容を詳細に調査しています。
改築作業を始めてしまってから、行政区長は地区評議会の承認を得るだけで良い現在の制度は、腐敗につながらないのでしょうか?

カズは、嘆願書を書くこと、そして法律の条文の解釈の仕方を学びました。
「今の社会を変えて行くためには、我々は現在のシステムについて理解を深めなければなりません。」
シュキノ地区に引退した老人たちが腰を下ろして休むことが出来るよう、彼は公園にベンチを設置するよう働きかけています。
また彼は地区の会議の様子をビデオ録画する許可を得て、それをウェブ上で閲覧できるようにしています。

しかしカズの最も大きな成果は、市当局がツヴェスカヤ通りの歩道を駐車スペースに転換しようとした際に得られることになりました。
カズは50人のボランティアを組織し、パーキングエリアを作ればどれだけのドライバーが恩恵を被ることになるか、そして何人の歩行者が駐車車両の間を身を縮めて通り抜けなければならなくなるかを、実際に計測しました。
結果は明白になり、市当局は道路上の違法駐車の取り締まりに乗り出さざるを得ませんでした。

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こうした類いの小さな成功譚を、カズはプーシキン広場にあるマクドナルドの店で、フライドポテトを口に放り込みながら話してくれました。
これはこれまでとは少し違う、クレムリンの独裁に抵抗するための新しいやり方です。
長い目で見ると、議会内での様々な工作よりも、こうした運動の方がプーチンにとってはより脅威に感じられることになるでしょう。

▽ 下からの変化

カズは来年、モスクワ市議会に議席を得るため奔走するつもりです。
「我々は旧体制側の権力者、そして老人たちに対し、対抗できるだけの勢力を築かなければなりません。」と、彼が語りました。
「新しいタイプのリーダーたちが引っ張る、改革派の勢力を。」

新しい市民運動が、主に都会で暮らす若者たちによって形作られつつある、こう語るのは
社会学者ナターリヤ・スバレビッチです。
政治学者のドミトリー・オレシュキンがプーチンのやり方は旧ソビエト時代そのままであり、
「プーチンと言えど、下から盛上る改革への意識を押さえつけることはできません。」
今はもう、ポスト・ソビエトなのだと説明しました。

モスクワの南数千キロメートルのとある場所で、25才の女性がプーチン率いる統一ロシアの独占的地位の足元をぐらつかせるための方法を模索しています。
アイリーナ・オリエニコヴァは地方における抗議運動の先頭に立ってきましたが、共産党との連携に踏み切りました。
そして小さな都市クレショフカの市長選挙で、彼女は統一ロシアの候補者を破ったのです。
オリエニコヴァの年齢は、統一ロシアの対立候補者の半分でしかありませんが、倍の得票数を得て、ロシアで最も若い市長になりました。

アイリーナ・オリエニコヴァ

アイリーナ・オリエニコヴァ


人口14,000の都市クレショフカは、ドン川デルタの中の大草原にあります。
街の外れに、ソビエト連邦時代に建設された子供たちの巨大なモニュメントの残骸が残されています。
同様にこの市の統治機構の中にも、ソビエト連邦時代の旧弊な仕組みが残されています。
市役所の不親切な受付も、1980年 代、ブレジネフ統治時代のままです。
そして派手なスポーツ・トロフィーが市役所内に展示されています。

市長に就任したオリエニコヴァは市の職員全員の履歴書と、市が所有する不動産資産のリストの提出を求めました。
彼女の前任の市長は充分な書類を持っていましたが、可能な限りそれらの書類を破却して去っていったのです。
彼女は残された書類から、可能な限り修復を試みました。
そして就任して間もなく、2つの目標を定めたのです。
まず市役所内のコミュニケーションを迅速にするため、新型の内線システムを導入しました。
次に彼女は市の資産であるはずの不動産の権利書を持ち去った地方の有力者たちから、それを取り戻す算段をしています。
「大きな仕事を成し遂げるためには、まず小さな事から片付ける必要があるの。」
そして彼女はこう続けました。
「国家、それは私たち国民のことのはず。」

昨年の4月、クレショフカの中心にある国内でも有名な樫の森に作業員が集まり、片っ端から木を切り倒し始めました。これに気づいた200人ほどの地元の人々が集まり、その作業を阻止しようとしました。
オリエニコヴァも少女時代にたびたび家族とともにこの森を訪れ、ピクニックをしたり、ゲームをして遊んだ記憶がありました。
やがて警官隊がやってきて住民側の主立った人間を逮捕しようとしましたが、その時警官隊の前に立ちはだかったのがオリエニコヴァでした。
弁護士であり社会学者である彼女は、病気の木を取り除くためにやってきたはずの作業員たちが、29本の健康な樫の木を切り倒した事実を突きつけました。
市長が表向きは病気の木を取り除く指示を与え、開発業者がその場所にとある施設を建設しようとしていたのです。
裏取引があった事は明らかでした。
この事件の告発をきっかけに、彼女はリーダーに押し立てられ、新しい道を進む事になったのです。
「人々はやっと、市民としての権利を勝ち取るための戦いに立ち上がったのです。」
オリエニコヴァがこう語りました。
そして今、クレショフカで起きているような事が、ロシア全土に広がりつつあります。
〈第3回・[下からの改革]につづく〉

http://www.spiegel.de/international/world/grassroots-movement-gains-momentum-in-russia-a-868338.html
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【 スタック、スタック、スタック! : ダカール・ラリー2013・第6ステージ 】

アメリカNBCニュース 2012年1月11日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

ダカール・ラリー第6ステージ、ペルー・チリ間。1月9日。

ダカール・ラリー第6ステージ、ペルー・チリ間。1月9日。


ヤマハ・チーム、1月10日。

ヤマハ・チーム、1月10日。


スペイン・チームのミニ・クーパー。

スペイン・チームのミニ・クーパー。


チリのライダー。

チリのライダー。


アルゼンチン・チーム。

アルゼンチン・チーム。


アルゼンチン・チーム

アルゼンチン・チーム


イタリアのライダー

イタリアのライダー

『国家の主人公、それは国民』独裁者プーチンに立ち向かえ!〈第1回〉

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所要時間 約 12分

【ロシアでも成長を続ける市民運動】立ち上がる市民たちが、国を変える!
「主義主張の些細な違いにこだわって互いに言い争い、反目を繰り返すだけの反体制派」

ベンヤミン・ビッダー、マティアス・シェップ / シュピーゲル・オンライン 11月25日

デモの会場で逮捕されるナヴァルニー

デモの会場で逮捕されるナヴァルニー


ウラジミール・プーチン大統領は、ロシア国内の反対勢力の指導者たちにたいし、ソビエト・スタイルのやり方で弾圧し、また脅してきました。
しかしいかにプーチン氏と言えど、これから先、そのやり方でロシアの社会の近代化を止めることはできないでしょう。
新しい市民運動は、すでに形になりつつあります。

クレムリン宮殿の塔が影を落としているモスクワ川の中州で、古い体質のロシアの体制の隙間から、新たなロシアが芽を出し始めています。
チョコレート色の工場跡地、かつての『赤い10月(革命)』ビルに、アーティスト・カフェ、ナイトクラブ、そしてインターネット出版会社の編集部などが引っ越してきました。

ここにあった工場は1917年の10月革命の後、国有化され『キャンディ工場1号』と名称が変更されましたが、今は若くて裕福なモスクワっ子 – アーティストやロシアの新興資本家、そして最新流行のスタイルに身を固めた女の子たちのたまり場になっています。

▼ 告発

この日、現体制に反対の立場の新しい情報連絡協議会は、ココア倉庫だった場所に作られたバーで、初の会合を開催しました。

ウェイターたちが一斉にラウンジチェアを長方形に並べて行きました。
そして、2つのマイクを設置しました。
一個は各派の代表のため、もう一つのマイクには弁護士であり、ブロガーとしても活躍するアレクセイ・ナバルニーの名前を書いた紙がピンでとめられていました。

数週間前、ナバルニーは45人のメンバーからなる情報連絡協議会の議長に選ばれました。
彼は、ユダヤ人の詩人、極右の活動家、自由主義の経済学者、そして2004年以来共産主義への回帰を唱えるスターリン主義者のセルゲイ・ウダルゾフなど、種々雑多なメンバーから構成されるこの協議会を率いることになりました。
協議会の目的はただ一つ、ウラディミール・プーチン大統領をクレムリンから放り出し、クレムリンを支配しているプーチンの与党に、直接民主主義の洗礼を与えることです。

ルビヤンカ広場での抗議集会

ルビヤンカ広場での抗議集会


議会への進出を狙うナバルニーの活動は、インターネットによって影響力を高めていきました。
ナバルニーはインターネットの場での活躍が評価され、今回結成された協議会の議長に選ばれることになりました。
作家であるドミトリー・バイコフが副議長に、そしてかつてのチェスの世界チャンピオンであるガリー・カスパロフが3番目の地位に就きました。

反体制派のテレビ局Dozhdは、協議会の各候補の演説を放送する、アメリカの大統領選挙スタイルの討論番組を制作しました。

「私たちの協議会の目的は、変化を願っているこの国の何百万という人々の力を結集するための取り組みを援護していくことです。」
ナバルニーがこう語りました。

「一般市民の声をまとめ上げる仕組み、そんなものは今までこの国には存在しませんでした。」

▼ ひとすじの光明

そのことは真実です。
何十年もの間、体制に反対する人々は主義主張の些細な違いにこだわって互いに言い争い、反目を繰り返すだけの集団でした。
新しく選出された情報連絡協議会のメンバーには、双方の陣営から参加がありました。
ゲンナディ・グドコフはソビエト連邦当時の立法機関であった、Dumaを追い出された前KGB大佐です。
金髪の名士クセニア・ソブチャクは、プーチンの師の一人であった前サンクトペテルブルグ市長の娘です。

クセニア・ソブチャク

クセニア・ソブチャク


人目を引く容貌の持ち主で、裕福な家庭に生まれ育ったソブチャクは、昨年の12月に行われたデモ行進に参加するまで、ほとんど政治には興味がありませんでしたが、オンラインの投票では4位に入りました。彼女のボーイフレンドで、自由主義者の反体制派の政治家であるイリヤ・ヤシンは5位でした。
しかしつい最近まで2人は、その政治的発言内容よりも、魅力的な容姿を写された写真の方に興味を持たれていました。
ロシア版『ピープル』とも言うべき雑誌はモロッコのマラケシュにある五つ星ホテル、マンスールで2人の様々なポーズの写真を撮影し、掲載しました。
チェスに興じている様子、互いに腕をからませている姿、モロッコの民族衣装をまとった姿、そしてiPadを小脇に抱えたポーズなど。

この雑誌を広げた人々は、皆一様に同じ感想を口にしました。
「金持ちがすることはいつも同じ。贅沢な環境で、プールサイドでくつろぐ…」
この事実は、新たに台頭してきた反政府勢力の次なる問題を明らかにしました。
モスクワの富裕者層と中産階級が、それぞれに抱いているこの国の政治体制に対する不満の中身がかけ離れているという問題です。
そして肉体労働者、そして農民は相変わらずプーチン支持者のままです。

▼ どうしようもない場所

かつてのココア倉庫で開かれた会議は、結局喧嘩別れに終わりました。
共産党の政治家ウダルゾフは、「手順づくりの段階ですでにケンケンガクガク」の議論をするよりも、もっと大規模なデモ行進を行うべきだと考えています。
いちばん若い議員のマキシム・カズは、こうした考えには反対です。
27才の彼はデモ行進などはあまり重視しておらず、議題からデモ行進の類を除外するよう求めました。 「生意気な、ひよっこめが!」
ウダルゾフがやり返しました。

セルゲイ・ウダズロフ

セルゲイ・ウダズロフ


会議の後、ウダルゾフとナヴァンリーは、プーチン直属の情報機関の本部があるルビヤンカ・ビルディング前での抗議集会に参加しました。
彼らは警察によって逮捕され、数時間後に解放されました。
「お決まりの無意味なゲームに過ぎません。」
カズは大都市に自転車専用道路を接する必要性についてのインタビューに応じるため、テレビ局に向かう道すがらこう語りました。
彼は政治家とは違う立場で、現政権に対立する勢力の希望の星と見られています。

カズはポーカーの腕前により、経済的に自立することが出来ました。
カズは有望なプレーヤーに大きな大会への参加費用を貸し、賞金の何割かを受け取る事業を立ち上げました。
カズの年収は2,800万円を超え、この国の将来の政策を考えることに専念することが出来ます。
カズが反プーチン集会で行った演説は多くの注目を集めましたが、2012年3月4日、プーチンが3度目の大統領に就任したその日、プーチン率いる統一ロシア党が強固な地盤を持つシュキノ地区の地区評議会の席につきました。
この辺りは旧ソビエト連邦の原爆製造の母体となったクルチャートフ研究所があった場所で、通りにはかつてのソビエト時代の将軍の名前がついたままになっています。

マキシム・カズ

マキシム・カズ


カズは遅れてきましたが、14人の評議会議員はすでに地区の管理棟内の103号室で彼の到着を待っていました。
彼は足を組んで椅子に座りました。
1941年生まれの女性である議長が、すかさず彼にこう命令しました。
「同志カズ、脚を組むのはやめなさい!」
『ここはどうしようもない場所だよ。』
彼はiPhoneを使って、こうツイートしました。
〈第2回・[ささやかな勝利]につづく〉

http://www.spiegel.de/international/world/grassroots-movement-gains-momentum-in-russia-a-868338.html
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今日からドイツのシュピーゲル・オンラインの記事を3回に分けご紹介します。
社会を変えていくのは、市民自身の力、そして市民の意思。
その事を伝える記事です。

私はロシアというとどうしても「暗い」イメージがつきまとい、はっきり言って「得手」ではありません。
その暗さはロシア特有の「陰険で残酷な権力」にあるのだ、という事をこの記事を読んで改めて感じました。

しかし『市民が立ち上がる』ことについては、日本以上に制約の多いそのロシアで、市民が立ち上がり始めました。

日本の大手メディアは、権力者の動向については実に些細な事も取り上げますが、いくら志が高く価値があっても、一般市民となると手のひらを返したように冷淡になります。
日本で市民運動が盛り上がらない原因のひとつ、それも大きなもののひとつに、この日本の大手メディアの体質があると思います。

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【 続く過酷な挑戦 : ダカール・ラリー2013・第4ステージヘ 】

アメリカNBCニュース 2012年1月8日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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カタールのナセル・アル・アッティヤとその同僚スペインのルーカス・クルース・チームの上を飛んでゆくヘリコプター。2013年ダカール・ラリーは第4ステージに入り、ペルーのナスカからチリのサンチャゴ間で、1月20日まで争われる。1月8日。

スロヴァキアのステファン・スヴィツコ

スロヴァキアのステファン・スヴィツコ


ロシアのロニード・ロヴィツスキー

ロシアのロニード・ロヴィツスキー


ロシアのエドゥアルド・ニコライエフ、セルゲイ・ソヴォスチン

ロシアのエドゥアルド・ニコライエフ、セルゲイ・ソヴォスチン


アメリカのロビー・ゴードン

アメリカのロビー・ゴードン

巨大電力会社はもう不要!【 スマート・エネルギー社会へと変貌するアメリカ 】

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太陽光発電とクラウド・システム、そして自家発電機にもデータセンターにも変身可能な電気自動車!
新システムの開発を、フォード他多数の企業が推進

ジェフ・セントジョン(グリーンテック)アメリカAOLエナジー 2013年1月9日

フォード製EV

フォード製EV


屋根に取り付けられた太陽光発電装置が、必要な電気をすべて賄うこの家では、ガレージでは充電のみならず電気自動車が最高の状態に調整され、台所をはじめ家庭内の電気機器は壁に設置された調整器により、最も効率的に運用される。
こんな家が実現したら、その価値はいったいどれほどのものになるでしょうか?

それを可能にする新たなコンピュータ・システムを、フォード・モーター社、サン・パワー社、ワイアプール社、そしてジョージア工科大学からなるグループが、現在共同開発を進めています。
彼等はこのシステムがもし実現すれば、その価値は計り知れないものとなると語っています。

上記のシステムについては商品化はまだ先になりますが、フォード社のみは、クラウド・コントロールを導入した技術により、送電網を利用して全国のフォード製の電気自動車の充電状況と車両の点検を自動で行い、その結果を各家庭のスマート・グリッドシステムに逐次提供するシステムを運用できるデータベースを、すでに開発しました。

これが1月8日火曜日にフォード社が発表した『マイ・エナージ・ライフスタイル』パートナーシップの概要ですが、その名前は同社の新しいプラグイン・ハイブリッド車シリーズの『フュージョン・エナージ』ラインナップにちなんで名づけられたものです。
上記の企業グループは今週ラスベガスで開催される『消費者家電ショー(CES)』に参加し、巨大ディスプレイを使って、フォードが活溌したシステムを紹介することにしています。このシステムはフォード製のプラグイン方式の電気自動車を、電気の需要が下がって電気料金が安くなる夜間の時間帯を利用して効率的に充電を行うものです。

次に実現が予定されているのは、『一般的アメリカ世帯』賞入賞の機会が与えられる可能性があるグループ各社の技術です。
フォードのプラグイン電気自動車、サン・パワー社の最新型太陽光発電システム、そしてワイアプール社のスマートシステム冷蔵庫などです。
火曜日の発表に先って、7日月曜日には他のグループ企業であるイートン社が新型の電気自動車充電器、ネスト社がスマートシステムのサーモスタット、パワーハウス・ダイナミクス社が新型の家庭用電気センサーについて発表を行いました。

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これらの技術がすべて組み合わされると、一般的なアメリカの家庭で60%の電気の節約が可能になるとともに、ジョージア工科大によって開発されるコンピュータ・システムにより、CO2の56パーセントの削減が達成されます。
この驚くべき数値について、フォード車の電気自動車事業の世界部門の責任者であるマイク・ティンスキーは、古い冷蔵庫をよりエネルギー効率の高いモデルに交換するというような単純な作業だけでなく、各家庭に設置される装置が効率的な電気の供給と利用を可能にすることにより実現されると語りました。

もちろんこの最終目標は、電気自動車をスマートグリッドの家庭用電源につないで充電するというだけの第一段階からは、はるかな先にあります。

ECOタリティー、チャージ・ポイント(旧社名クーロム・テクノロジー)のような電気自動車用スタンのためのネットワークを構築している企業、NRGエナジーのeVgoネットワークのような電気自動車用スタンド経営企業、あるいはシュナイダー・エレクトリック、シーメンス、ABBのように電気自動車用スタンド・ネットワークに電気を供給する設備の開発を行っている企業は、最も電気の価格が安いタイミングを探し、需要が低下しているタイミングで電気を取り込むための、システム開発を進めています。

電気自動車自体も、家庭における充電を効率良く行うことが出来ます。

BMV社とテンドリル社は、最も高率の良いタイミングで電気自動車に充電を行う、スマートハウスを共同開発することになりました。
そして日産は同社の電気自動車リーフに搭載されているバッテリーを使い、逆にスマートハウスに電気を送り込むことが出来る仕組みを開発中です。
ゼネラルモータースは同社のシェヴィー・ヴォルトを使って、一般家庭が電気を使って行うあらゆる作業に電気を供給する実験プロジェクトに取り組むとともに、家庭用電源を使ってヴォルトに充電を行う際、その家庭が最も効率的に利用できるようにするための各種データを収集・分析できるようにするオン・スター・プラットフォームの開発も行っています。

これに対しフォード社のティンスキーは、同社の『マイ・エナージ』は、電気の需給手段に関係なく機能する特徴を持っていると語りました。
フォード社はアメリカ全土に無数にある発電所や送電会社について、電気自動車に充電する場合はもちろん、一般家庭が電気を利用する際の時間帯、価格帯に関しても独自のデータベースを作り上げており、これを利用すれば、各家庭の電気の利用状況全体を効率化させることが出来ると語っています。

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アメリカ全土の電気の需給状況について、これだけのデータベースを有するのはおそらくフォード社1社だけであり、フォード製の電気自動車を所有すれば、すなわちそれが最も効率的な電気の利用を可能にする携帯端末を所有することになると語っています。

フォード社はさらに、同社の電力データベースを活用するためのクラウド・コンピューティング・プラットフォームを立ち上げ、パートナー企業各社から提供されるソフトウェアを組み合わせて、電気自動車の充電指令システムを構築すると語りました。
ワールプール、ネスト、パワーハウス・ダイナミクス各社がそれぞれ、全国の家庭や世界と結んで独自の指示や情報を収集し、それらをまとめ上げ、最終的にはシンプルな形の製品を作り上げます。

フォード社とサンパワー社は、電力の需要時間帯には売電を、それ以外の時間帯にはフォード製フォーカス・エレクトリックに充電を行う、2.5キロワット能力の太陽光発電システムの共同販売を発表した2011年の夏以来、すでにこの事業に取り組んでいます。
しかしティンスキーによれば、太陽光発電システムを大型にし、電力会社からできるだけ電気を買わないようにした方が経済的メリットが大きいことに提携する各社が気づき、以来『マイ・エナージ』の連携が一層うまく行くことになりました。

ではスマートメーターのような、スマート・グリッド技術を利用することはどうなのでしょうか?
フォード社も始めは実際にこの方法を試しましたが、「電力各社のスマートメーターの規格がバラバラな上、どの社もその仕組みを公開したがらなかったため、うまく行きませんでした。」
ティンスキーはこう語り、さらに次のように付け加えました。
「だからこそ私たちはすべてを公開し、クラウドの利用を可能にしたのです。」

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現在のところ、『マイ・エナージ』グループの各社は実際の市場でどのようなセールスを行うか、その計画について多くを語りませんが、ティンスキーによれば12カ月以内には商品として、実際に市場で売り出すための準備が進んでいます。
技術の発展のために重要な要件は、もちろん、これからのフォード製のプラグ・イン自動車がどれだけ売れるのか、にかかっています。
現在フォードは米国と欧州市場で6車種のプラグ・イン自動車を投入し、自動車販売ではイートンズ・レヴィントンと、充電装置の普及販売についてはGEワットステーションと提携を結んでいます。

http://energy.aol.com/2013/01/09/ford-and-the-ev-backed-solar-powered-cloud-controlled-home/
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ちょっと長い記事でしたが、要点はうまくつかめましたでしょうか?

電気自動車が単なる乗り物の範疇を出て、各家庭が上手に電力をコントロールできるようにデータセンターとしての働きをする、というもの。

そのエネルギー源となるのが太陽光発電による自家発電設備です。
家庭の電気製品すべてと電気自動車に電力を供給し、余れば売電し、足りなければ安いときに買う(アメリカの電力販売は自由市場なので)。
その指令を出すのが自動車のコンピュータであり、何かの都合でそれが使えないときには、クラウドシステムが代わりに働くことになります。

もちろん最先端のシステムですから、今すぐ巨大電力企業や大規模発電設備が不要になる訳ではありません。
しかし10年20年の間には普及が進む事になります。
なのに、これから10年20年もかけて危険極まりない上に、処理の目処が立たない高放射性核廃棄物を無限に作り続ける。
福島第一原発の事故発生による見直しにより、維持・運営には巨額の費用が必要とされることになり、アメリカ、そしてヨーロッパでは費用がかかり過ぎる事による「危険」も問題視されるようになっている。
そんな原子力発電所を、建設することはもちろん、稼働させる事もますますもって無意味どころか、この国の「発展」を損なうことになるでしょう。

世界のエネルギー事情は、急激な変化を続けています。
その事実から国民の目を逸らさせ、既得権益企業の利益を守り、長い目で見てこの国の利益を失わせる「エネルギー鎖国」をしない覚悟は、新政権にはあるでしょうか?

本当の「経済成長」を果たすなら、「腰を据えて」世界の動きの半歩先を進む覚悟が必要なはずです

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【 ロシア正教(ギリシャ正教)のクリスマス、陽気なお祝いと荘厳な儀式 】

アメリカNBCニュース 2012年1月7日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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ベラルーシ共和国の首都ミンスクの東約50キロほどの場所にあるリチェブ村で、『コリャドキ』と呼ばれるクリスマスの行事を祝う人々。
『コリャドキ』はロシア正教(ギリシャ正教)のクリスマス行事で、ウクライナとベラルーシの一部で伝統行事として、数百年の伝統があります。1月7日。

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上はいずれもベラルーシのリチェブ村、1月7日。

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ガザ市内の聖ポルフイリオス教会で執り行われる、ギリシャ正教のクリスマスミサ。1月7日。

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マケドニアのスコピエの教会に集まった、ギリシャ正教の信者たち。1月7日。

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セルビアの首都、ベオグラードにある、聖サヴァ教会に集まったギリシャ正教の信者たち。1月7日。

2013年、人はどの仕事を選べば幸せになれるのですか?

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所要時間 約 12分

少なくとも『ストレスは多くない』という条件での選択

スーザン・アダムズ / フォーブズ 1月3日

▽1位 大学教授 平均年俸約550万円

テキサス州立大学、ダラス。

テキサス州立大学、ダラス。


私たち職業人の中で、大学教授は最もストレスの少ない職業です。
ただし、最後の[追補]も必ずお読みください。
大学教授はサマースクールで教鞭をとらない限り、5月から9月の間はずっと休むことが出来ますし、学期ごとの長い休みを満喫することも可能です。その中にはクリスマスから新年にかけての冬休みが含まれ、そして春休みだって結構な長さがあります。
学期中であっても、教授たちが教室で過ごす時間は長くはありません。
ただし終身在職権(アメリカの制度)を持つ教授たちは、本の執筆と研究の発表は半ば義務であり、若干のプレッシャーはあります。しかしそれとて、締め切りに追われることは稀です。
そして労働条件は文化面で恵まれ、居心地の良いものです。
会議への出席も義務ではなく、出張に出かけなければならない回数も一年に2回を超えることはまずありません。
報酬に関して言えば、労働統計局がまとめた大学教授の平均給与は62,000ドル(約550万円)と思ったほど高くはありませんが、暮らしていくには充分な金額です。特に学園都市ならなおさらのことです。

▽2位 縫製、または仕立て屋さん 平均年俸約230万円
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 3位 医療記録技術者 平均年俸約280万円
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教授たちにとってさらなる朗報があります。
労働統計局は大学側が2020年までに、非常勤の常勤化と新規採用を合わせて305,700人の終身在職権教授を誕生させるとしています。
こうした状況を見てキャリア.comは、大学教授こそ今年最もストレスを感じることが少ない職業としたようです。
キャリア.comはウォールストリート・ジャーナルの後援を得て、1995年からその年どしの最良最悪の職業を選んできました。2009年にはウォールストリート・ジャーナルから、カリフォルニア州カールスバッドに拠点をまえるキャリア・キャスト.comにその運営が移りました。
このランキングは200の職業について、それぞれ100項目についての採点を行って順位を付け、毎年4月に発表します。
この順位を基に、『ストレスを感じることが少ない職業』について、キャリア・キャスト.comがランキングを担当して3年目になります。

▽4位 宝飾加工 平均年俸約310万円
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 5位 医療研究機関研究員 平均年俸約415万円
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どの職業が最もストレスが多いかを判断する材料として、キャリア・キャスト.comは200の職業のデータベースにあたり、その中から11の職業が、特にストレスを多く引き起こすものと考えられると判断しました。出張回数、成長の可能性、競争力、要求される体力、危険性、環境条件、そして本人あるいは周囲の人間の寿命に関わる要件などがストレスの原因になります。

キャリア・キャスト.comの発行人であるトニー・リーによれば、ストレスが少ない職業には共通するものが一つあります。
自主性です。
「これらの職業に共通しているのは、その肩越しに仕事ぶりを監視しながらプレッシャーをかけ続けている人間が居ない、という事です。」
彼は特に大学教授という職業について、仕事ぶりついて問いかけてくるのは自分自身に他ならないと、指摘しました。
「基本的に大学教授は、自らの王国を持つ王なのです。」

▽6位 聴力学者 平均年俸約590万円
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 7位 栄養士 平均年俸約470万円
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この点は、次にストレスの少ない職業と判断された仕立て屋さんにも共通しています。
「この二つの職業に共通するのは、どのような仕事を成し遂げるのかという点において、自分自身が基準であり、最高の専門家である、という点です。」
同じ理由から医療記録技術者が3位に、医療研究機関技術者が5位に入ることになりました。
いずれの仕事も正確性を要求されますが、その基準をどこに置くかについては本人に任されており、いちいち監視されたりすることはありません。
同じことは、4位の宝飾加工、聴覚学者、栄養士、ヘアスタイリストにも言えます。

▽8位 ヘアースタイリスト 平均年俸約200万円
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 9位 図書館司書 平均年俸約485万円
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もう一つ、ストレスが少ない仕事に共通していることがあります。
一日の終わりには彼らは仕事から完全に解放されることが可能であり、しかも9時~5時の伝統的就労時間を守る場合がほとんどです。

ただし、これらの職業によって得られる年収は、100,000ドル(880万円)を上回ることはありません。
労働統計局のデータが示すように、中には仕立て屋さんの26,000ドルやヘアスタイリストの22,500ドルのように、『低所得』と言わざるを得ない職業もあります。
しかし収入の多寡はキャリア・キャスト.comの判断基準の中のひとつでしかありません。

ヘアスタイリストの報酬はリストの中で最下位ですが、キャリア・キャスト.comのリーはそこには金で測ることのできない価値があると語りました。
ヘアスタイリストと言う職業は、客と友人関係を築くことが多く、仕事ぶりに対して直接評価や感謝を得ることが出来ます。
「一生懸命働けば働くほど、その評価は高くなり、自らの心が満たされることもまた多くなるのです。」

▽10位 ドリル加工技術者 平均年俸約280万円
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[追補]

上記の記事掲載後、私のもとには150件以上のコメントが寄せられました。
その多くが自分たちの仕事はストレスだらけだと憤慨する大学教授の皆さんからのものでした。
私は彼らの仕事ぶりについて、時間に拘束されず、自由に時間を使うことが出来る上、締め切りに追われることも無く、しかも長い休暇を取ることが可能であると紹介しました。
これに対し教授の皆さんは、講義の準備に一週間あたり60時間を費やし(週休二日で一日12時間)、試験の採点、論文の発表や本の執筆のための下調べには膨大な時間を要するとおっしゃっています。
その上、長い夏休みなどあったためしがなく、クリスマスや新年の休暇を取るためには、毎晩深夜まで働き詰めに働かなければならないと。

下調べなどの地道な作業にどれだけの時間を費やすものなのか、多くのコメントが詳しくその内容を伝えてきました。
ジョナサン・レイノルズさんは、12月19日以降、12,600語からなる書籍の1章を執筆し、1,000語の書評を書くためにその著作を精読し、専門雑誌とオックスフォード大学通信に掲載された論文を検証しました。彼はさらに書籍の注釈もこなし、学業成績が思わしくない学生の指導も行わなければなりませんでした。
確かにその様子は『時間に拘束されず、自由に時間を使うことが出来る上、締め切りに追われることも無い』生活などではない、という事に私も同意せざるを得ません。

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グエン・シャグさんは私が引用した大学教授と言う職業について、非常に解りやすく解説したサイトのリンクをしらせてくれました。
大学教授と言う職業のあらゆる面について詳述され、一回の講義を行うためには最低3時間は準備すること、教授1人に対しては最低55人の担当大学生がいて、それぞれの学生の成績を決めるには少なくとも1時間は必要であること、そして個人面談にもそれぞれ30分。
そして学会への参加は年2~4回あるが、参加するための費用を大学が全額負担してくれることはまずありえない、など。

私はいただいたコメントすべてに感謝申し上げるとともに、読者の皆さんもできるだけ目を通されるようにお勧めします。
今回の原稿の意図は、キャリア・キャスト.comが制作した興味深いリストをご紹介することでした。
このリストは200の職種について、出張回数、成長の可能性、競争力、要求される体力、危険性などの要素について検討しながら、最もストレスの少ない職業を選び出す、と言うものであることは、ご紹介した通りです。
しかしキャリア・キャスト.comも、競争的環境の中で出版のための原稿を執筆することや、研究への補助金を要請するための文書を作成するストレスについては、見逃してしまったようです。

私自身はキャリア・キャスト.comのランキングには価値があると思いますが、一方で大学教授と言う職業について、学術研究のための長時間の執筆からくるストレスについては、それを見逃していたという見解にも大いに納得がいきます。
しかし私は夏の間長期間のバカンスを楽しみ、、学期ごとの長い休みを満喫している終身在職権教授を個人的に何人か知っていますが、それについて詳述するつもりはありませんでした。
それは疑いようのない事実ですし、その数も決して少ないものではありません。

それらすべてを飲みこんだうえで、私が一番印象的に残ったことをご紹介しましょう。
それは実際に私が受け取ったコメントの中、多忙でストレスに満ちてはいても、大学教授という職業に心から満足し、幸福だと考えている方が多かったことです。
以下にご紹介するデイヴィッド・ペリー氏の言葉は、こうした意見を代表するものです。
「私は大学教授と言う職業を愛しています。明らかに大きな価値のある仕事です。しかし一方ではストレスも多く、こなさなければならない課題もまた、無限にあります。」

http://www.forbes.com/sites/susanadams/2013/01/03/the-least-stressful-jobs-of-2013/
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【 ホグワーツ魔法魔術学校のライトアップ 】

アメリカNBCニュース 1月11日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

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中世に建設され、2本のハリー・ポッターの映画の舞台になったイギリスのラロック修道院が、英国ナショナル・トラスト(歴史的建造物維持目的で土地や建物の取得をし、管理する非営利団体)によって『光の中へ』というタイトルで、2週間ライトアップされる事になりました。その特徴的建築が、何色ものまばゆい光の中に浮かび上がります。

英国BBC放送によると、ハリーポッター・シリーズの収録の際に、修道院の回廊といくつかの部屋がホグワーツ魔法魔術学校の教室に変わりました。
今回のイベントは、1月12日から一般に公開されます。

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【 史上初!発達障害の女性、ミス・アメリカ2013最終選考へ!】

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所要時間 約 11分

モンタナ州代表は少女時代、障害があることを理由にいじめを受けていた女性
「自閉症の人々を目障りなものとして社会の片隅に押し込めるのではなく、社会の一員として普通に付き合って欲しい、それが私の願いです…。」

アメリカNBCニュース 1月10日

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世の中には『トドラー&ティアラ』(物議をかもしている、アメリカの少女のミス・コンテスト番組)の競争を勝ち抜くことに浮身をやつす母子もいますが、これからご紹介するアレクシス・ワインマンの場合、ミス・アメリカ・コンテストへの参加の動機はふと思いついた、それだけでした。
そして彼女は今、自閉症の女性として全米で初めて州の代表に選ばれ、最終選考に臨むことになったのです。

「大人の女性になって、ミス・アメリカのコンテストに参加できるなんて、思ってもいませんでした。自閉症の私には決してできない事だと思っていましたから…。」
モンタナ州カットバンクで暮らす、18歳の女性はこう語りました。
「でも学校を卒業した後、私はこれまでも自分には無理だと考えていた数々のことを、成し遂げてきたんだ、少しはそう思えるようになっていました。」

彼女はモンタナ州の予選に出場して見事州代表に選ばれ、12日土曜日(日本時間13日日曜日午前)に開催されるミス・アメリカを選ぶ選考会に出場する53人の女性の内の一人です。

「ここに到達するまでの道のりは、驚くことばかりの、素晴らしい体験でした。」
彼女はこう語りました。
しかしアレクシスはNBCの取材に、ここに到るまでの過程は決して楽なものでは無く、成長の過程では『つらい事』もたくさんあったと打ち明けました。
「私はなぜ自分が他の人と違うのか、わからなかったのです。私には友だちができませんでした、そしていつもいじめられてばかりいました。」
「私はいつも自分に、こう問いかけていたのです、『なぜ?なぜ?なぜなの?』

『自閉症を語り、自立する会』の「ヒーローになろう!」のポスター

『自閉症を語り、自立する会』の「ヒーローになろう!」のポスター


その答えを彼女は11歳になった時に言い渡されました。
広汎性発達障害と境界型アスペルガー症候群(知的障害・言語障害がない自閉症と診断される場合もある)と診断されたのです。
「11歳でそのことが解ったのは、むしろ遅すぎたぐらいでした。その病名を言い渡された時、私はむしろ救われた気分になったのです。そして私はやり方を学んだのです。学校を卒業するころには、自分が何者であるかを受け入れられるようになっていました。」

そして彼女は、自分には決して出来ないこと考えていたことに、少しずつ挑戦して行きました。
チアリーダー、弁論大会への出場、演劇部への入部、クロスカントリー競技への出場など。
「私は自分にとって居心地の良い場所から、少しずつ外に出て行きました…そして、それまでは一緒にいることが出来なかった人々とも、一緒に行動できるようになりました。」

高校卒業後彼女は、自閉症の人々の会合や各学校を回って講演を行い、自閉症の人々の団体『自閉症を語り、自立する会』や特別養護支援グループの『能力開発の会』などとも親交を深めました。
彼女のミス・アメリカへの挑戦は、自閉症であっても
「社会参加を恐れないで!」
というメッセージなのです。

「成長した私が心から願ったことは、普通に生活したい!という事でした。周りの人たちとごく当たり前に付き合いたい、ただそれだけでした。」
彼女はこう語りました。
「でも自分を振り返ってみて、そうした姿勢を取り続けることは時間の浪費に過ぎないと思ったのです。だって私は『普通』ではないのですから。もし私たちが他の人々は自分たちとは違うという事さえ受け入れることが出来れば、私たちの子供たちにとっても、そして私たち自身にとっても、もっともっと暮らしやすい社会になるはずです。」

『自閉症を語り、自立する会』によれば、現在アメリカ合衆国内には88人に1人の割合で自閉症の子供たちがいて、その数は増加傾向にあります。
自閉症は医学的治療によって回復するものではありません。

アレクシスの願いは、自閉症を人間としての特徴の一つとして、社会が受け入れてくれることです。
「自閉症の人々を目障りなものとして社会の片隅に押し込めるのではなく、社会の一員として普通に付き合って欲しい、それが私の願いです…。健常者と自閉症の人々が互いの存在を認め合うようになれば、そう望んでいます。」

▽ ちょっと違う美少女

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幼いころから「美少女」としての扱いに慣れてきた他の参加者とは異なり、ミス・コンテストのあれこれに対応することは、ミス・モンタナのアレクシスにとっては並大抵の苦労ではありませんでした。
「私はいつもフードを目深にかぶって、顔を隠して歩く女の子でした。化粧も上手なわけではありません。自分を美しく見せようとも思いませんでした、いつもありのままでいただけでした。ですから、コンテストに参加するのは、ものすごく骨が折れるのです。」

彼女がモンタナ州予選に参加した時、彼女の目標は多少でも興味を持った、何か新しいことに挑戦してみることでした。
やってみて、現在彼女は気に入っています。

「着ている洋服が気に入れば、ドレスアップすることは楽しいことだということが解りました。」
アレクシスはこう語りました。
「私はヘアアイロンの使い方を、何か月か前にやっと覚えました。でも、できる髪型は一種類だけです。でも着飾って、自分を美しく見せることが、本当に楽しくなりました。」

しかしコンテストでは歌ったり、ダンスを披露したりしなければなりません。
アレクシスは考えた末、観客を笑わせることにしました。
彼女には、日本で言う漫談、漫才の才能があります。

「私にとってそこに観客がいるという事は、私の芸が楽しめるものかどうかを判断する審査員が満場を占めている、という事に等しいことなの。」
アレクシスはこう語りました。
「私は昔から人を笑わせることが好きなの。」

彼女の日課となっているのは、自分の女性としての美しさに完璧な自信が無いことを再認識することです。
「きっとみんながっかりするに違いないわ。」

モンタナ州予選でのアレクシス

モンタナ州予選でのアレクシス


しかしこれまで社会から隠れるようにして生きてきた女性は今、アメリカでもっともきらびやかな舞台のひとつに立とうとしています。

「もし10年前の私に、ステージの上で何か冗談を言うように薦める人がいたら、私は頭がおかしいんじゃないの、って言い返していたと思うわ。」
「でも今は違う、私はもう10年前の自分じゃないの。」

ミス・アメリカ・コンテストはABC放送で、東部時間1月12日午後9時(日本時間13日午前9時)から中継の予定です。

http://thelook.today.com/_news/2013/01/10/16447581-miss-montana-is-first-autistic-contestant-for-miss-america?lite
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【 動物たちの受難 】

アメリカNBCニュース 1月10日
(写真をクリックすれば、大きな画像をご覧いただけます)

[閉じ込められたしまったシャチの一家]

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11頭のシャチがカナダの湾内でわずかな氷の隙間に閉じ込められ、脱出できなくなっているとして、近くの村の村長が助けを求めています。

1月9日水曜日朝カナダ北西部のハドソン湾で、近くを通りかかった猟師がオルカの別名でも知られる一群のシャチを見つけました。
人口1,800人のケベック州イヌクジュアク村の村長ペター・イナックパック氏は、このシャチについて、2頭は体が大きく大人と見られるが、残る9頭はもっと体が小さいと語っています。別の目撃者はシャチは12頭いると語っています。

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続報 : この後、シャチは解放されたと、イナックパック村長が伝えてきました。

[角を狙われるインドサイ]

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辺り一面に霧が立ち込める早朝、背丈の高い草の間から恐竜と同じ顔をした、世界で最も大きな生き物のひとつが姿を現しました。
彼らは数百万年の間、その頭に立派に角があるばかりに、厳しい環境を生き抜いてこなければなりませんでした。
象の背中に乗った見物客がそっと近づき、その大きな生き物は警戒のため息を殺していましたが、やがて警戒を解いて、朝食に取りかりました。

ここはインドのカジランガ地区、約2,200頭のインドサイを守るための世界で最も警戒が厳重な野生動物保護区です。
しかしレンジャーたちが、密猟者は見つけ次第射殺することを許されている、『カジランガ要塞』と呼ばれるこの場所ですら、近より高価な漢方薬の材料として珍重され、需要が高まるインドサイの角を手に入れようと、周囲を密猟者たちがすきを窺っているのです。
2012年には少なくとも18頭のインドサイが、カジランガ地区の周辺で密猟者の手に落ちました。
殺されたのが10頭だった2011年と比べ、その数は増えているのです。

カジランガ国立公園の一角インドサイ。

カジランガ国立公園の一角インドサイ。


親を密猟者に殺され、保護された生後2ヶ月半のこどものサイ。

親を密猟者に殺され、保護された生後2ヶ月半のこどものサイ。


動物保護レンジャーの近くで水浴びをする一角インドサイ。

動物保護レンジャーの近くで水浴びをする一角インドサイ。

【 再生可能エネルギー開発を、ますます重要視するアメリカ議会 】

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所要時間 約 9分

財政の崖の論議の中、風力発電開発補助金の延長を決定

ピーター・ガーデット / アメリカAOLエナジー 1月2日

AOL PTC Extension
まさにぎりぎりまで決まりませんでしたが、アメリカの風力発電事業に対する税制上の優遇措置の延長が決まりました。
これにより風力発電事業の各分野において、一層の開発投資が促進されることになるでしょう。
議会での検討が行われる中、風力発電を支持する議員は補助金の継続により、37,000人分の雇用と発電分野で急速に成長を続ける風力発電のサプライ・チェーンを守ったことになります。

風力発電の発電事業と設備投資に対する税制面での優遇措置の継続は、『財政の崖』の議論と直接関係があった訳ではありません。しかし、これまで実施されてきた優遇措置に代わるものが無いため、他の財政問題同様、このままでは時間切れによる自然消滅の危機に瀕していました。
優遇措置は他の問題と関連している部分も多く、財政の崖の問題により、風力発電事業に対する優遇措置も他の優遇措置と一緒に期限切れになるという恐れから、設備を2012年内に何とか終わらせようと、各企業は夥しい出費を行いました。
ワシントンに拠点を置く各風力発電事業関連団体と、GEエナジー、シーメンス、ヴェスタスを含む大手風力発電設備製造、基盤整備企業はこのため、大きく業績を伸ばしました。

優遇措置が継続されることにより、2013年に稼働を開始する風力発電所に限らず、2013年に建設が始まる風力発電所についても税制面で優遇措置が適用されることになり、これは業界にとって大きな意味があります。
すなわち優遇措置は稼働している期間に関係なく適用されることになり、稼働開始が2014年にずれ込んでも問題は無く、このため2012年でいったん終了した発電した電気を必要な場所に送り込むための送電網の整備も、再び時間をかけてじっくり知り組むことが可能になります。
「今回の延長措置により、風力発電タービンの製造メーカー、そして発電所建設企業などはこれから18~24カ月の間、新たな製造・建設に安心して取り組める条件が整いました。」
アメリカ風力発電協会が声明の中でこのように述べました。

Wind power 01
今回の延長措置は首都ワシントンで活動を続けてきた、風力発電業界上層部によるロビー活動の勝利を意味しています。
アメリカ風力発電協会会長のデニス・ボードは3週間前に退任の意向を明らかにし、後任に首都ワシントンで、国内におけるエネルギー問題を担当してきた上級副会長のロブ・グリムリッチの会長就任を発表しました。
ボード前会長は、アメリカ独立石油協会で彼女の下でロビー活動を行っていたスタッフを、アメリカ風力発電協会に連れてきてそのまま使っていました。
これに対し、グリムリッチ新会長はアメリカ連邦エネルギー規制委員会のパット・ウッド委員長の補佐役を務めて来ました。

なお、現在世界各地でこの10年間続く風力発電事業の著しい発展については、『AOLエネルギー白書』をご覧ください( http://energy.aol.com/2012/03/18/wind-rush-2012-an-aol-energy-white-paper/ )。

http://energy.aol.com/2013/01/02/wind-energy-ptc-extension-underlines-lobbys-growing-heft-in-dc/
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この記事は1月3日にご紹介した『かつての原発のパイオニア、原子力発電から撤退、風力発電のパイオニアに転身』( http://kobajun.biz/?p=7184 )の続編ともいうべき記事で、問題になっていた風力発電に対する国家規模の優遇措置の継続が、『財政の崖』問題に取り組む米議会で認められた事を伝えています。

日本のマスコミは伝えませんが、水圧破砕法によるシェールガス開発ブームに沸くアメリカも、一方では再生可能エネルギー開発にしっかり取り組んでいまるのです。
アメリカAOLエナジーは繰り返しそれを伝えており、【星の金貨】でもできるだけご紹介するようにしています。
またアメリカではここに来て、原子力発電が急激な勢いで、きわめて危険で金がかかる『厄介者』になってきている事も、AOLエナジーは繰り返し取り上げています。

さらにアメリカでは再生可能エネルギー開発推進に加え、あらゆる産業が参加してさらに発想を拡大した取り組みが始まっているのです。
それについては1月15日にご紹介する予定です。

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【 この20年で最悪の冬の嵐、中東一帯で8人が死亡 】

アメリカNBCニュース 1月9日
(掲載されている写真は、クリックすれば大きな画像をご覧いただけます)

雪に覆われたトルコのイスタンブール、1月9日。

雪に覆われたトルコのイスタンブール、1月9日。


ここ数年で最も厳しい冬の嵐が9日水曜日、中東諸国を襲い、レバノンとパレスチナ西岸地区で死亡事故を引き起こし、エジプトのスエズ運河の交通がマヒする事態となりました。
中東一帯でこれまでに8人の死亡が確認されました。

レバノンでは、嵐関連の事故により過去2日で6人が死亡したと赤十字が発表しました。
凍結した道路で足を滑らせて数人が川に転落し、うち一人が死亡しました。
またスリップした車両も川に転落し、運転していた男性が死亡したと、レバノン赤十字病院の院長が発表しました。

この異常気象は、シリア難民に対し、最も過酷な試練を課すことになりました。
中でもヨルダン北部の砂漠地帯にあるザータリ・キャンプで暮らす50,000人の避難民が最も悲惨な境遇に置かれています。
4日間降り続いた豪雨より一帯が冠水、それが夜間凍結し、そこに激しい風と雨が吹きつけ、200のテントから女性と子供たちが避難しなければなりませんでした。

「この4日間、凍るような雨がずっと降り続いているのです。」
44歳のアフマド・トバラはこう語り、表情を曇らせました。
テントを支える支柱が水没し、彼は急いでテントから脱出しなければなりませんでした。
9日までに1,500人の人々がテントを追われ、学校として使われている仮設の建物に避難しました。

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人口1,500万、トルコの商業の中心都市、イスタンブールにあるガラタ・タワーの上に立つ、カモメ。
ここにも大雪が降り、航空輸送、陸上輸送が大混乱に陥りました。

パレスチナ西岸地区。

パレスチナ西岸地区。


サウジアラビアのタブーク砂漠。1月9日。

サウジアラビアのタブーク砂漠。1月9日。


レバノンのベカー峡谷にある古代ローマの遺跡。

レバノンのベカー峡谷にある古代ローマの遺跡。


ガザ地区のパレスチナ人居住区。

ガザ地区のパレスチナ人居住区。


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ベカー峡谷にある、アルマリヤの難民キャンプで雪で遊ぶシリア難民の子供たち。1月9日、シリア。
この20年で最悪となる冬の嵐が今週東部地中海を襲い、国内の内戦を逃れてきたシリア難民に、一層の苦しみと死を運んできたのです。

日本を『原発ヅケ』にしたのは誰なのか?原子力ムラの司令塔、その意外な正体!〈第3回〉

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所要時間 約 13分

【日本のメディア王にして、日本の病根を作った男】
[原子力発電という選択肢、それは権力の階段を昇るための『道具』]

エコノミスト 2012年12月22日

▽ 原子力発電という選択肢

巣鴨刑務所

巣鴨刑務所


刑務所暮らしは、苦くつらい体験でした。
彼はあらゆる伝手を頼んで釈放運動をする一方、一日何時間も瞑想して過ごしていました。
ある時など正力が『私の読売新聞社における立場が危機に瀕している』として提出した嘆願書のデジタル化された記録が、ヴァージニア大学がオンラインで出版した東京裁判の資料集の中に残っています。

はた目には唐突に、正力に対する告発はストライキを行っている従業員たちにより「イデオロギー的立場、そして政治的立場からなされたもの」であり、信用できる証拠はほとんど無い、という決定をアメリカ占領軍当局が下しました。
この頃になると占領軍当局は、深く考えずに日本に持ち込んだ左派系の組合運動の行く末に、懸念を深めるようになっていました。
1947年8月22日、正力に釈放が言い渡され、ここに21ヵ月間に渡る刑務所生活が終わることになりました。
まだ公職追放の身分でしたが、正力は後に『巣鴨総合大学』は、彼に理想的な人脈を提供することになったと語っています。
正力は後に彼の後押しによって第一線に復帰し、日本を支配することになる右翼の大物たちとの親交を取り結んでいたのです。
それは日本が平和条約に調印した1951年の4年後にやって来ることになります。

この段階で正力は62歳になっていましたが、いよいよ心の底から手に入れたいと願っていた最終目標に向け、険しい崖を昇り始めることになります。

目指すのは政治権力。

正力はそれを手に入れるために、ふたつのものを用意しました。
テレビ、そして原子力発電です。

この二つを軌道に乗せるために、正力の後半生において辣腕をふるった一人の男性が登場します。
彼の名は柴田秀利。
彼は正力のもう一冊の伝記、正力が部下のアイディアをすべて取り上げて自分の功績にしていくやり方を克明に記した、佐野真一氏の作品の主な情報源でした。
しかし柴田自身は正力とは、互いにうまく相手を利用する関係であったようです。

ニュース解説者だった柴田は、アメリカが反共プロパガンダを世界中に広めるためにテレビを活用する計画が実施に移されるという話を耳にしました。共産主義こそは、かつての大日本帝国、そしてドイツ第三帝国の共通の敵に他なりませんでした。
柴田はある考えを正力に伝えました。

現在の日本テレビ本社

現在の日本テレビ本社


柴田が正力の名を公職追放リストから取り除くよう占領軍最高司令官を説得する代わりに、正力はテレビ局開設のための資金提供を行う、というものでした。

柴田が持つアメリカに対する人脈を利用し、正力は政府に対し、国営放送NHKによるテレビの独占を終わらせるよう迫りました。
ほどなく正力の名は公職追放リストから削除され、彼は当時の金額で8億円以上を出資し、1952年に日本初の民放テレビ局、日本テレビを設立したのです。
日本テレビは今日、最も視聴率の高い民放テレビ局です。

しかしテレビ局もまた、正力にとっては政治権力をわが手に握るための道行きの、通過点のひとつでしかありませんでした。
1954年まで、日本では反米感情が沸騰していました。
広島、長崎への原爆投下による惨禍が一般の人々にも知られるようになった中、アメリカが太平洋のマーシャル群島のビキニ環礁で行った核実験により、当時近海に居た日本の漁船第五福竜丸の乗組員23名が、その放射線を浴びるという事件が起きました。その中の一人が死亡し、日本では一気に反核運動が盛り上がりました。
正力、そしてアメリカのCIAも、中国とソビエト連邦がこの機に乗じてアメリカに代わり、日本に対する影響力を一気に高めようとしているという情報に震え上がりました。

この時正力の頭に、ひらめいたものがありました。今度は原子力発電を使って、日本人の対米感情を好転させることを思いついたのです。
実はこのアイディアこそはCIAがおぜん立てし、正力同様アメリカ側もまた利益をむさぼるためのものであり、一部の有識者が酷評したものである。正力に関しさらに別の伝記を編んだ作者は、そう考えています。

その後まもなくドワイト・アイゼンハワーは『平和のための原子力利用』演説を行い、核兵器にまつわる悪い印象を払しょくすべく、原子力発電の利用促進に動きました。
そして1954年12月、アメリカの原子力発電複合企業であるゼネラル・ダイナミクスの社長、ジョン・ジェイ・ホプキンスが『原子力発電による復興プラン』を日本側に提案したのです。

原子力発電設備とアイゼンハワー

原子力発電設備とアイゼンハワー


正力はホプキンスに対し、日本側から同意を引き出すため、自分自身で提案書を携え、東京までやって来るように圧力をかけました。
読売新聞は1955年5月のホプキンスの来日を、第一面で大々的に伝えました。
20年前、ベーブ・ルースの来日の際、国民を熱狂させたし時と同じやり方で。
さらに正力は街角に巨大なスクリーンを設置し、巧みに原子力発電推進キャンペーンと日本テレビの宣伝を行ったのです。

その上で正力は原子力発電推進を図る仲間たちと、さらに同調者を増やすべく議会工作を続けました。
そして1956年、国会に議席を獲得するとともに自民党の結党にも奔走しました。
自民党はこの後55年もの間、与党として日本の政治の上に君臨し、今また政権に返り咲いています。

正力は政権閣僚の一人として、初代の原子力発電委員会の委員長に就任したのです。
そして委員会メンバーの科学者たちの驚きと大きな懸念を他所に、日本は5年以内に原子炉を建設すると宣言したのです。
それまでにも様々な検証事実がありましたが、正力はそれらが自らが示した方針の邪魔をすることを、一切許しませんでした。

話はそれだけでは終わりませんでした。
結局、正力の方針通り、日本最初の原子炉が建設されました。皮肉にもそれは米国製ではなく、英国製でしたが。

しかし正力は最終目標にまでたどり着くことはできませんでした。
日本国首相の地位です。
このため彼は、最晩年には挫折感に見舞われたものと考えられています。

この点についての話をしてくれたのは、正力のかつての右腕、柴田秀利の妻、やす子さんです。
現在82歳の彼女は、横浜の高級住宅街で余生を送っています。
正力・柴田のコンビは、日本の政界・経済界で縦横無尽に暗躍増したが、最後には柴田が飛び出す形で袂を分かちました。
その時、正力が柴田夫人のやす子さんに現金の入った分厚い封筒を渡した事を思い出し、夫人は忍び笑いを漏らしました。
少なくとも柴田夫人にとって正力は、化け物でも無ければ、もちろんお人好しでもありませんでした。
「人が正力を好きかどうか、それはもうどうでもいいことです。ただ正力はCIAに思い通りに操られるような、そんな小人物ではなかった事だけは確かです。」
柴田夫人はこう主張しました。

東海村、日本初の原発建設へ。

東海村、日本初の原発建設へ。


オーソン・ウェルズが演じた『市民ケーン』にも似た正力の最晩年、1969年の『失意の』日々について、柴田夫人が明らかにしました。
正力の夫人はすでに故人となっていましたが、正力は愛人とともに都内の薄汚れた家で暮らしていました。

正力は最後、この愛人の腕の中で息を引き取りました。
彼が危篤状態に陥った時、外では酔っぱらいが興奮して騒いでいましたが、正力はそれを正当な配分を得られなければ柴田が、自分を殺すと脅しているのだという幻覚をみていたようです。

しかし正力が自らの遺産について思い悩む必要はありませんでした。
それは日本の各所に、しっかりと根を下ろしてしまっていたからです。

〈 完 〉

http://www.economist.com/news/christmas/21568589-media-mogul-whose-extraordinary-life-still-shapes-his-country-good-and-ill-japans
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皆さんはこの稿をお読みになった後、日本の原子力政策が、

将来のエネルギー政策について、日本にとって最良の選択肢について客観的な検討を行い、

安全性について、必要十分な検証を経た上で実施にうつされた。

そう考える事はできますか?

より大きな権力を手に入れるため、原発は一部の人間にとってきわめて都合の良い道具だった。
しかも日本の場合、その周囲に群がる政治家や科学者、自治体などにふんだんに資金を供給できるような仕組みまでが用意された。

3.11に突き動かされて始まった、この【星の金貨】。
今回の翻訳は、その節目のひとつになったような気がしています。

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 【 過酷な挑戦 : ダカール・ラリー2013・第3ステージ 】

 アメリカNBCニュース 2012年1月7日
 (写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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 2013年、ダカール・ラリーの第3ステージは1月5日から20日までの間、ペルー、アルゼンチン、チリの3か国にまたがり、ピスコ - ナスカ間で争われます。

 南米第3ステージ(2013年1月7日)

横転

横転。ペルーのリマの南450kmのナスカ砂漠。


走り去るチェコのタトラ・トラックを見送る現地の観客。

走り去るチェコのタトラ・トラックを見送る現地の観客。


ダウン

ダウン


ジャンプ

ジャンプ

 昨年の南米第4ステージ(2012年1月4日)

ミニ・モンスターを駆って第4ステージを疾走するフランスチーム。

ミニ・モンスターを駆って第4ステージを疾走するフランスチーム。


アラブ首長国連邦チームのトヨタ車を撮影する男性。

アラブ首長国連邦チームのトヨタ車を撮影する男性。

 一昨年の南米第7ステージ(2011年1月9日)

ヤマハに乗って、チリのアリカとアントファガスタ間の砂漠を行くポルトガルのライダー。

ヤマハに乗って、チリのアリカとアントファガスタ間の砂漠を行くポルトガルのライダー。

日本を『原発ヅケ』にしたのは誰なのか?原子力ムラの司令塔、その意外な正体!〈第2回〉

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所要時間 約 12分

【日本のメディア王にして、日本の病根を作った男】
[徹底した大衆への迎合、そして洗脳]

エコノミスト 2012年12月22日

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1923年の秋、日本共産党が結党された直後、東京、横浜を関東大震災が襲い、続いて大火災が発生し、10万人が犠牲になりました。
それに続き、風評に踊らされた朝鮮人虐殺が発生しました。正力はこの事件を陰で煽った可能性があり、今度はその攻撃の矛先を社会主義者に向けました。

そしてその数カ月後、職務上の災難が正力を襲いましたが、政治上の繋がりによって正力自身は転身に成功することになります。
1923年12月27日、正力の目の前で自動車で貴族院へ向かっていた皇太子(後の昭和天皇)が社会主義者に狙撃される虎の門事件が発生、警視庁警務部長の正力は懲戒免官になりました。
警察を放り出された彼の脳裏に、新聞社は社会に対する影響力を持った事業であるという考えが浮かびました。
当時読売新聞社は、関東大震災で大きな被害を受けた後、本社を再建しようとして奮闘中でした。
当時の金額で10万円あれば、その経営権を握ることが可能であることが正力に伝わり、彼は金策を始めました。
彼は右翼の大物政治家のもとへ行き、資金援助を要請しました。
投資は成功しました。
読売新聞は国権主義の先鋒として、日本の言論界に君臨することになったのです。

正力がこうした変貌に強く関わった証拠は、読売新聞社本社ビルの6階にある図書室にあります。
ただし小さな漢字で書かれた当時の新聞記事を読むためには、図書室の司書から拡大鏡を借り出す必要があります。
ともあれ、正力の下で書かれたこれら記事が、現在の冷静に事実を伝える新聞記事と比べ、その主張は一目瞭然です。
これらはみな日本の大正時代に起きたことであり、当時の日本社会は戦前の昭和とは明らかに異なる、民主主義と個人主義的傾向が横溢した時代でした。
それは当時流行った『エログロナンセンス』という言葉に集約されています。
正力は「グロテスク」を「グロティック」、「エロティック」を「エロテスク」と誤って覚えているほどの英語音痴でしたが、正力の読売新聞のセールストークになりました。

売るためなら手段を選ぶな。

読売はグロテスクな記事でなければ、不倫の話、そして一世を風靡したモダン・ガールズ達の写真で読者の気を惹きました。
性病の病院の広告には、こんなものまでありました。
「年末のパーティの季節が来る前に、淋病をなおしませう」

当時日本ではラジオの普及が進み、そこから流れる流行歌が大衆の人気を博してしました。他の新聞は無関心でしたが、読売はラジオから流れる流行歌の歌詞を特集するページを作りました。

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1931年、日本が満州事変をきっかけに中国東北部全域を侵略すると、より発行部数の大きかった東京のライバル、朝日と毎日を一気に抜き去るチャンスを手にしました。
読売はこれを機に夕刊を創刊、刻一刻と中国の前線から送られてくる情報を掲載し、待ちわびる読者の手元に届けたのです。

その2年後、今度は正力自身の名を世間に売り出す機会が巡ってきました。
読売の編集者が心中による自殺率の上昇に気づきました。
当時最も『一般的』な方法は、手に手を取って東京から船で何時間もかかる三宅島にある三原山の噴火口に、手に手を取って身投げをすることでした。
その数は一年で944人に上りましたが、軍国主義が台頭しつつあった当時の日本において、こうした行為は愛国主義に背を向けるものだとして批判的に見られていました。

▽火山の中へ

日本人は今何に身を捧げるべきか、世の中に警告しなければならない、読売はそう考えました。
世間の注目を集めようと、読売は記者とカメラマンを『取材』のため、ゴンドラを使って三原山の噴火口の中にそれぞれ別々に降ろすことを告知しました。
読売は噴火口の中の毒ガスの状況を確認するため、まず2種類の動物を送り込みましたが、これもまた得難い見出しを読売に提供することになりました。
「麻痺して動けなくなったサル、死んでしまったネズミ」
今度はガスマスクを装着した記者が415m下まで降りて行き、読売はこれを世界新記録として宣伝しました。
記者の一人はゴンドラの内部に取り付けた電話を使い、火口内の死体の様子を伝えてきました。
それもセンセーショナルな話題になりましたが、自殺予防の効果は全くありませんでした。

血なまぐさいセンセーショナリズムに溢れた第一面は、喝采を持って大衆に受け入れられ、読売新聞の部数を大きく押し上げました。
1924年に58,000だった読売の部数は1937年には800,000にまで増え、ここに日本最大の発行部数を達成したのです。

▽バンザイ・ベイブ

イデオロギーのドグマ(教条)に商業主義のプラグマティズム(実利主義)織り交ぜる手法により、正力の経歴は作られて行きましたが、さらにもう一つの大きな要因が彼の後半生に現れることになりました。
アメリカとの関係です。

010903
野球はその最初の実現手段でした。
彼は野球など興味はありませんでしたが、スポーツが新聞の販売に貢献することを知っていました。
問題は日本にプロ野球が無かった事です。
そこで彼はライバル紙の社主の助言に基づき、ニューヨーク・ヤンキースの伝説のスラッガー、ベーブ・ルースを日本に呼ぼうと考えました。
当初はベーブ・ルースの多忙で、1931年に来日し、満員となった球場で試合をした大リーグのオールスターチームにも加わっていませんでした。
しかし全盛期を過ぎ、体にも余分な脂肪がつき始めた1934年、ついにベーブ・ルースが来日しました。

その時は日本にとって国内的にも、そして対外的にも緊張が高まっていた時でした。1932年には、ファシストとしての熱意に燃えた軍人が日本の伝統精神の復活を呼号し、政府の穏健派を暗殺した5.15事件が勃発していました。
そして来日前年の1933年には国際連盟を脱退し、日本が世界に背を向け始めたそのタイミングでの来日は賛否両論を巻き起こしました。
しかし正力の目算は見事的中しました。
人々はベーブ・ルースとそのチームを熱狂的に歓迎したのです。
オープンカーに乗ったパレードを見るために、何万と言う人々が銀座に押しかけ、試合を見るため神宮球場にも大量の人があふれました。
試合は来日した側が僅差で勝利しましたが、観衆は試合結果など気にしていませんでした(正力は気にしていましたが)。

しかし誰もがベーブ・ルースの来日を楽しんでいた訳ではありませんでした。『武神会』という名の狂信的な右翼が、明治天皇に所縁のある神聖な場所を洋夷の靴で汚したことに抗議しました。
ほどなく彼はその『親米主義』を憎む元警官に日本刀で首を刺され、1リットルもの出血をし、危うく死にかけました。
しかし正力はこの程度のことで引き下がる人間ではありませんでした。
彼は読売巨人軍を設立、以来同チームは日本のプロスポーツ界において、独占的地位を築き続けています。

しかしこうして築いたアメリカとの関係も、太平洋戦争により複雑なものになります。
読売新聞は、他のライバル紙同様、日本軍の太平洋諸島への進出を熱狂的に煽りました。

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さらに日本帝国軍が東南アジアに侵攻すると、読売新聞は各地に事務所を開設し、現地での新聞発行を行いました。
1945年、戦争が日本の敗北で終わると、正力の名は戦争犯罪人リストの上位に記載されることになりました。
彼は1940年に設立され、戦争の推進役となった大政翼賛会の総務に就任していたのです。
彼の新聞社は軍国主義の鼓吹を徹底して行った容疑を持たれていました。
いまいましいことに、彼を最も痛烈に告発したのは、正力自身が使っていた執筆者、そして編集者たちでした。

この時点で、読売の社員たちは正力に対する反抗に立ち上がりました。敗戦により日本を統治していたアメリカの自由主義的思想にふれ、左派系ジャーナリストの一団が読売内でクーデターを起こしたのです。
何か月間もこの内紛は新聞の一面を賑わせました。
正力が以後は出版人として生きようと決意した時、彼には戦争犯罪人の烙印が押されることになりました。
そしてその年の暮れには他の戦争推進者とともに、A級戦犯として巣鴨拘置所に収監されることになったのです。
〈第3回・[原子力発電という選択肢]につづく〉

http://www.economist.com/news/christmas/21568589-media-mogul-whose-extraordinary-life-still-shapes-his-country-good-and-ill-japans
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3.11と福島第一原発の事故発生以来、一部の日本の新聞報道について、なぜか太平洋戦争さなかの日本の新聞報道、あの『大本営発表』がオーバーラップしていました。
この記事を翻訳してみて、納得がいくとともに、暗澹とした気持ちになりました。
本質は変わっていないのではないか?!

そう思えて仕方がありません。

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【 2013年 世界の表情 】

アメリカNBCニュース 2013年1月3日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

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ウィンター・ワンダーランド。ハンガリーの首都ブダペストの東、220キロの森の中。1月2日。

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凍結したドニエプル川の上を歩いて渡る男性2人。ウクライナの首都キエフ郊外。1月2日。

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煙に覆われたギリシャの首都アテネ。貨幣価値の下落により、40パーセントも値上がりした灯油代を節約するため、アテネの空は薪を燃やす煙で覆われた。1月3日。

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伸びる結界。イスラエル政府が公開したこの写真は、エジプトとの国境沿いに建設が続く巨大フェンスの一部を写したもの。エジプトからの侵入を防ぐため、イスラエル南部で延々と建設が続いている。1月2日。

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シドニー・フェスティバルのため制作された、フロレンティン・ホフマンの有名なアヒルを巨大化したもの。高さは15メートル、幅は18メートル。オーストラリア、シドニー、ダーリング港。1月3日。

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前衛芸術のような景色、雪原の中の渓流。ドイツ、バイエルン地方、1月6日。

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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