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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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【 津波の後の姉妹都市 】第2回

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所要時間 約 5分

「太平洋を隔てた遥か遠くの町の人々が、東日本大震災の被災地を助けるために立ち上がる」

アメリカCBSニュース 10月2日

海はかつて、ケンさんから大切なものを奪いました。
2歳の時、ケンさんの父は大槌町の沖合で漁船事故のため死亡しました。彼は少年時代、父親の姿を求めてじっと海を見つめることがありました。

彼はいつもその海の反対側に、何があるのか想像をめぐらせていました。
彼は大きくなったとき、彼は世界地図を取り出すと、太平洋の上を指でなぞっていきました。すると、カリフォルニア州フォートブラッグの町にたどりついたのです。

カリフォルニア州フォート・ブラッグ

佐々木「海を越えてまっすぐ行ったところに、フォートブラッグの町があったのです。」
サイモン「直線上に?」
佐々木「その通りです。」
サイモン「いままでフォートブラッグの名前は聞いたことがありましたか?」
佐々木「いいえ、カリフォルニアと言えば、サンフランシスコぐらいしか聞いたことはありませんでした。そしてその後、フォートブラッグとは一 体どんなところか、調べてみたんです。」
サイモン「何かわかりましたか?」
佐々木「世界最大の鮭のバーベキュー。」
サイモン「世界最大の鮭のバーベキューですって?」
佐々木「そのとおりですよ。」
サイモン「それはまた変わった分類ですね。」
佐々木「ご存かもしれませんが、この町も鮭に関する長い歴史があるんです。」
サイモン「太平洋を隔てた2つの鮭の町。」
佐々木「そうですね、なんだかいい感じですね。」

ケンさんはカリフォルニア州フォートブラッグについて、詳しく知りたいと思いました。そこで彼は1997年に、彼は大槌町で開催される海に関するイベントに市長を招こうと、フォートブラッグの市役所にファックスを送りました。
驚いたことに、市長は『OK!』という返事を送ってきたのです。

それが美しい友情の始まりでした。
2つの鮭の町は、プログラムの交換を始めました。
10年間に渡り、人々が太平洋上を行き来したのです。
大槌町への最後の訪問のとき、すべての催しが中止になるちょうど5か月前、フォートブラッグか らやってきた人々のためのお別れパーティが観光船の中で開催されました。

サイモン「津波が襲った後、フォートブラッグから何かメッセージはありましたか?」
佐々木「たくさんの方々から、ほんとうにたくさんの電子メールを受け取りました。私は泣いてしまいました、わかりますか、この気持ち?」
サイモン「泣いてしまったんですね。」

佐々木「ええ、私はフォートブラッグのたくさんの友人から多くのメッセージを受け取り、とても幸せな気分になりました。」

そうした友人の一人にシャロン・デイヴィスがいました。
私たちの招待に応え、彼女は大槌町に戻ってきました。
彼女はそこで彼女を待ち受けるものが何かを知っていた、と語りました。

デイビス「私は写真も見たし、映像も見ましたが、現実はもっともっとひどいものです。」

彼女は特にケンさんのこと、初めて大槌町とフォートブラッグを結びつけた男性のことが心配でした。

デイビス「ケンさん、あなたに会えて本当によかったわ。あなたの大切なギター、全部無くなってしまったこと、知ってるわよ。」
佐々木「仕方ないよ。」

昨年、シャロンは、交流プログラムの一環として、カリフォルニア州の自宅に2人の大槌町の学生、さと子とななを招待・世話をしました。
彼女たちは津波を生き延び、シャロンが町にやってきたことを聞き、学校にもやって来ることを知りました。

さと子とななはそわそわしながら、そして笑いさざめきながら待っています。そしてやってきたシャロンと大きな抱擁を交わしました。

デイビス「太陽が雲間から顔をのぞかせたようでした。すばらしいわ。」
サイモン「彼女たちは大丈夫ですか?」
デイビス「彼女たちは、さと子とななは大丈夫です。彼女たちは強い女の子です。少女でしかない彼女たちがどれほどの困難を克服してきたか、それを考えると私は驚くほかありません。」

シャロンは、バックフォートブラッグ、カリフォルニア州の子供たちからの数えきれないほどの手紙を携えてきました。

しかし、再会のいくつかは厳しいものでした。大槌町の教育長はシャロンと会って微笑もうと努力しましたが、顔が引きつり、結局できませんでした。

【 津波の後の姉妹都市 】第1回

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所要時間 約 7分

「太平洋を隔てた遥か遠くの町の人々が、東日本大震災の被災地を助けるために立ち上がる」

アメリカCBSニュース 10月2日

3月の巨大津波は日本の大槌町を破壊しましたが、カリフォルニア州フォートブラッグとの絆を断ち切ることはできませんでした。
そして今、フォートブラッグは、姉妹都市である大槌町を救うべく立ち上がろうとしています。

[姉妹都市]という定義は往々にして、二つの都市間での握手や写真の交換よりは、少しばかり発展した関係を意味します。
しかし、日本の大槌町で2011年3月11日、巨大地震と巨大津波が人々を虐殺した時、太平洋を隔てて数千キロの彼方のカリフォルニアにあるフォートブラッグの町は、精神的にも金銭的にも最大限の援助をすることにしたのです。
アメリカCBSニュース特派員、ボブ・サイモンがレポートします。
〈以下のスクリプトは2011年10月2日 に放映された番組『津波の後に』からのものです〉

これまであなたがどれほどの写真を見たとしても、そしてどれほどたくさんのニュースを視聴したとしても、ここに立つことはまさに衝撃的です。
日本の東北沿岸を海の中に叩き込んだのは原子力発電所の事故でも、巨大地震でもありません。
それは津波、悪夢よりも暗い、真っ黒な波でした。

3月の津波で大槌町ほどの被害を受けた街はありませんでした。ほんの数分で、15,000しかいない人口のうち、少なくとも1,500の命が失われました。
大槌町は非常に辺鄙な場所にあり、行ったことのある人はほとんどいません。
しかし14年前、アメリカ人のグループがこの町との絆を生み、震災を経てその絆は強くなる一方です

世界は原発事故にばかり目が行き、しばらくの間、これらの沿岸の町の存在は忘れられていました。
私たちは実際に大槌町に行ってみて、この町がまさに絶滅の瀬戸際にあることに気がつきました。

我々は大槌町に着いた途端、忘れられない儀式を目の当たりにすることになりました。
仏教の僧侶は経を唱えながら、800年の歴史を持つ旧市街の残骸の中を練り歩いていました。

大槌町の惨状は、ここが66年前の広島市の一部分であるかのような連想を引き起こします。
そこにある光景は原子爆弾による破壊の後のようです。
この町の一割に上る人々が押し流されてしまいました。
それは文明の脆さについて啓示する、致命的な教訓を与えたのです。
地震そのものも非常に強力で、地盤を沈下させ、日本列島全体を東に約25メートル移動させました。

毎日、満潮時には町の中は洪水のようになります。
数ヶ月を経た現在、生存者はまだ仮設住宅に住んでいます。しかし、こうした生活が長引かざるを得ないことを誰もが理解しています。
この映像は津波の前の大槌町です。
そして2011年3月11日15:25、大槌町のすべてが停止してしまいました。

佐々木ケンさん「これが私の家です...」
ボブ・サイモン「あなたの家?」
佐々木「そう...」

佐々木ケンさんは消えてしまった町の役場に勤務していました。

サイモン「どのくらいの期間ここに住んでいた?
佐々木「ええと、20年以上。」
サイモン「さて、あなたが津波の後に最初にここに戻った時、あなたの持ち物で何か残っているものはありましたか?」
佐々木「何も残ってはいませんでした。」

ケンさんは地震発生当時、港の近くで会議中でした。
30分後、彼は海の方から不気味な音が聞こえてきました。
佐々木「ああ、津波が来るに違いない!丘の上に逃げなければ!そして、振り返ると、そこには……」
サイモン「そこには地獄の光景が見えたんですね。」
佐々木「そう、確かにそれは地獄でした。」

彼の親戚9人が津波で死亡しました - 叔母、従兄弟……
ケンさんは三週間の間、車で暮らさなければなりませんでした。
佐々木「それはひどかったし、それはとても寒かった。ガスはもちろんのこと、ウィスキーもなければ、ビールもない。」
ケンさんは日本人の中でもユニークなキャラクターです。
音楽愛好者でギタリスト、彼はビートルズを聴いて英語を学びました。

佐々木さんがビートルズのゲット・バックのワンフレーズを歌いました。
『もとの住処に帰ってこいよ…(Get back to where You once belonged...)』

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【 放射能のない日本への戦い[ 苦難の道を歩む東北地方のコミュニティ ]】の連載がまだ終わっていないのに(全8回のうち、あと4回分残っています)、別の連載を始めてしまいしまた。
どちらもも保留のままにしておくのが忍びないので、交互に連載していきたいと思います。

被災地の真ん中(仙台)にいて7ヵ月、全国の『一般の方々』には本当にあらゆることで助けていただきました(もちろん自衛隊・消防の方々も)。
すべての費用をご自分で負担され、宮城や岩手でボランティアをされた方々には本当に頭が下がります。

そして、海外からもたくさんの支援をいただきました。
自国の独立記念日に何をすべきか、と考え、「7月4日独立記念日には、東日本大震災の被災地でボランティア活動をする」と決心したアメリカの青年たちもいました( http://kobajun.biz/?p=693 )。
線路までぐちゃぐちゃに折れ曲がった東松島で、JRの復旧に汗した人たちの中には、アメリカ海兵隊の兵士の姿がありました。

これから被災地は冬に向かいます。
東北の冬は長く、厳しく、そして時には暗い日々が続きます。
しかし、私たちは孤立しているのではない、と思うことで、前を向いていけると思っています。

【 かぼちゃ大作戦発動!そしてハロウィーンが輝く 】

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所要時間 約 5分

「それだけの時間があれば、もっとほかのことができた?」
「参加したみんながこれほど楽しくなるようなことは、できなかったと思うよ」

アメリカNBCニュース 10月23日

レスター・ホルト
「今夜最後の 話題は大きなかぼちゃの大冒険のお話です。今週ニュージャージーの都会で暮らす子供たちが、輝くばかりに立派に成長したジャック・オーランタン(かぼちゃをくりぬいて作ったオバケ)と対面することになりました。かぼちゃの大豊作に恵まれた、オハイオ州の一人の農夫のアイディアが、ちょっとした楽しい奇跡を実現させました。
NBCのロン・アレンがお伝えします。」

ロン・アレン
「実際、ニュージャージー州パターソンのような都会で、かぼちゃの栽培は不可能です。少年少女クラブの子供たちが熱狂的に喜んだ理由、それは他でもない自分たちの庭園に、かぼちゃ畑が現れたからでした。」

ミズ KT アンガラ(パターソン少年少女クラブ責任者)
「ここの子供たちはかぼちゃ畑を知りません。私たちもそうです。まれにリンゴやバナナを見かけることはありますが、2,000個のかぼちゃはちょっと…」

ロン・アレン
「数百マイルも離れたオハイオのグレッグ・クレメンツの農場では、どう処分していいかわからないほどの、かつて無いかぼちゃの豊作に見舞われていまし た。」

グレッグ・クレメンツ
「子供のころ、秋にはハロウィーンのかぼちゃを手に入れることが、どれだけ大切なことだったか、思い出したんだよ。そして手に入れたとき、満面の笑みが浮かんだことをね。だから、今年の収穫を利用して、誰かとそういう喜びを分け合いたいもんだ、と思ったわけなんだ。」
ロン・アレン
「かくして、グレート・パンプキン作戦は開始されました。呼びかけが行われ、雨の中にも関わらず数百人のボランティアが参加して一列に並び、かぼちゃを運び出しました。」

参加した男性「すべてがうまくいったよ。」

ロン・アレン
「かぼちゃはトラックに積み込まれ、ニュージャージへと運ばれました。2,000個を超えるかぼちゃが運び込まれました。」

アレン「8時間かけて、運んだんですね。」
クレメンツ「そうだよ。」
アレン「300から400マイルもあるんでしょ。」
クレメンツ「その通り。」
アレン「それだけの時間があれば、もっとほかのことができた、ということもできると思うんですが。」
クレメンツ「そうだね、全くその通りだとは思うよ。だけど、参加したみんながこれほど楽しくなるようなことは、できなかったと思うよ。」

ロン・アレン
「クレメンツさんがニュージャージーを選んだのは、ハリケーン・アイリーンによって、アメリカの中でこの場所の作物が大きな被害を受けたからでし た。」
クレメンツ「助けは必要ですか、それとも、もう大丈夫ですか?ほんとに?」

ロン・アレン
「さらにクレ メンツさんはここの子供たちがまだかぼちゃ畑を見たことがない、と聞いてパターソンを選びました。」
「こんなに大きなカボチャ、どうするつもり?」
少女「パイを作るわ。」
少年「ハロウィーンで使うんだよ。」
少女「かざりつけするわ。」

ロン・アレン
「この大スケールのかぼちゃ畑はすべて10歳の少年、アントニー・ロジャースのアイディアです。」
ロジャース「ほかの人たちにも分けてあげたかったんだ。」
アレン「ほかの人たちにも?」
ロジャース「みんな近所の人だからさ。」
アレン「ほんと?どうして?」
ロジャース「誰もがほんとうに(生活が苦しくて)、かぼちゃを手入れることができないんだ。ぼくはかぼちゃが手に入ったことを感謝したくて、みんなで分け合うことにしたんだよ。」

アレン「このような少年の答え、予想していましたか?」
クレメンツ「感激だよ、ほんとうに感激だよ。じっさい、こんなに喜んでもらえて興奮するよ。」

少年「僕のかぼちゃ、見て!見て!」

アレン「そしてクレメンツさんの言葉を借りれば、子供たちの満面の笑みとともに、かぼちゃ畑は一面に広がっていったのです。」

「はい、チー ズ!」

NBCニュース、ロン・アレン。

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【 放射性ストロンチウム、ハワイ島ヒロ(東海岸)で検出 】

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所要時間 約 12分

「幾人かの科学者は、放射性核物質の被ばくについて、『安全と言えるレベル』など存在しないと主張」

ジェフ・マクマホン / フォーブズ(アメリカ経済誌) 2011年4月28日

ハワイ島ヒロで、日本の福島第一原子力発電所の事故以来、アメリカ国内では初めて牛乳の中から放射性ストロンチウムが検出されたことを、昨日環境保護庁(EPA)が明らかにしました。
「我々は初めてとなる、牛乳の中のストロンチウムの存在を確認するための分析を完了し、ハワイ島東海岸の町ヒロのサンプルの中から微量のストロンチウム- 89を検出した。」
環境保護庁(EPA)は私にも送られてきた、昨日の公式発表の電子メールの中でこう述べています。
「検出された値は通常の値の27,000倍でしたが、米国食品医薬品局(FDA)によって設定された『原因究明着手』レベルは下回りました。
確かに、米国食品医薬品局(FDA)は 『原因究明着手』は行いません。
(FDAの食品中に含まれるストロンチウム90に関する、原因究明着手の標準値は、4400 PCI / Lです)
環境保護庁は検査結果をPDF形式で公開しました。

核分裂によって生み出される危険な物質の中でも、人間によって作り出される2種類の放射性ストロンチウム、Sr.89とSr.90は、人間と動物の健康にとって最も危険な物質です。
この二つは物質特性がカルシウムに似ているため、人間の骨や脊髄に吸収蓄積されやすく、ガンを引き起こすことが確認されています。
この二つは特に胎児・子供の成長途上の骨に対し、極めて危険です。
EPAは4月4日にヒロに収集されたミルクのサンプル中リットルあたり1.4ピコキュリーのストロンチウム- 89を検出しました。
EPAが定める飲料水中のSr - 89のためのEPAの最大汚染レベルは、1リットル当たり20ピコ・キュリーです。

ストロンチウム89の半減期は50.5日ですが、Sr – 89という名称は時にメタストロンのがん疼痛治療薬の商品名としても使われています。
なぜなら、この薬はストロンチ ウム89が健康な骨を破壊する機序と同じ原理で、急速に成長する骨肉種に集まり、ガン細胞を破壊するからです。
しかしEPAはストロンチウム90の方が半減期が29年と健康への悪影響が長いため「環境の中で最も重要な意味を持つ放射性物質である」としています。
声明によるとEPAは今回の試験ではストロンチウム90を検出しておらず、飲料水中からはいずれのストロンチウムも確認していません。

「ストロンチウムはいったいどこにあるのか?」
これが福島第一原子力発電所の事故以来組織されたフォーラム自由の天使のメンバーも参加している、核監視グループが持つ疑問です。
そしてどこにあるかという問題だけでなく、なぜこれほど有害な放射性物質が、EPAの公表項目の中に含まれないのか?という疑問も残ります。

私が確認した限りEPAはストロンチウムを公表項目には含めていませんが、それはテスト項目にストロンチウムが含まれていないからにほかなりません。
福島第一原子力発電所の事故以来、テスト回数が増えているにもかかわらず、です。

ストロンチウムのテストは放射性セシウムの存在がきっかけでした。
それはヒロ、ヴアーモント州モンペリエ、オークランドの牛乳からも検出され、アイダホ州ボイシカリフォルニア州リッチモンド、ソルトレイクシティ、その他の都市の沈殿物からも検出されています。
EPAの公式発表では、ヒロの牛乳からはまずセシウム134とセシウム137が発見され、4月4日になってストロンチウム89が検出されたとのことですが、発表が28日にずれ込んだ点について、分析に手間取ったためだと説明しています。

「日本の福島第一原子力発電所の放射性物質の拡散に関し、放射性セシウムが検出された場合には.....そのサンプルについて、ストロンチウムの分析が行われます。ストロンチウムの分析には時間がかかる複雑な過程を必要とします。」

セシウムは4月13日の試験でも、ヒロの牛乳から検出されたことが公表されています。

一部のブロガーや活動家は、アメリカはテストでプルトニウムやストロンチウムを検出しているにもかかわらず、そのことを隠している、と非難しています。
こうした批判は、EPAの環境問題に関する、より高度なデータベース内を検索した結果得られたもののようですが、このデータベースは福島第一原子力発電所の事故に対応し、最近になって公開されました。
以前は科学者だけが利用できるようになっていたものです。
リストで公表されているプルトニウム、ストロンチウムの量はともにごく微小です – たとえば1立方メートルあたり0.0008ピコキュリー、あるいは-0.00013ピコキュリーと、検出エラーを起こすほどに小さな値であり、EPAの公式声明によれば通常『検出不能』とされる値です。

ただし大切なことは、環境実態に関してはたとえマイナスの数値でも、非検出とみなされる数値であっても、すべてのデータの数値を明確にすることです。
なぜならこうした数値は分析にあたる専門家にとって、状況を完全に把握するためには必要だからです。
「非検出」という判断は、環境実態基準に基づく客観的評価により、基準より低いという測定結果が2度以上確認された場合に下されるべきです。

従って、ストロンチウムとプルトニウムの測定値が微小、またはマイナスの値を確認した場合において、「非検出」と公表される可能性があります。
EPAが週末の昨日公表した観測結果では、ヒロ以外の場所では、ストロンチウムとプルトニウムは非検出となっています。
ハワイの環境衛生当局は、これまで牛乳で検出された放射性物質については、 危険性が無い値であることを保証しています。

保健省の環境衛生サービス部門の責任者リン中曽根は、ストロンチウムが危険ではないと述べました。
「結論から言って、健康に影響は無い。」と中曽根は語ります。
「私はそれをデータの読み違いだと理解しており、最新のデータによって健康 に対する危険性は無いと判断できる、というのが私たちの見解です。」
日本から飛来し、ハワイ諸島最大のハワイ島のミルクから検出されたストロンチウム89について、ハワイ・ニュースの中でこのように述べました。

しかし、ウィスコンシン大学教授ジェフリー・パターソンをはじめとする幾人かの科学者は、放射性核物質の被ばくについて、『安全と言えるレベル』など存在しないと主張しています。
「放射性核物質の被ばくに関しては、原因が食べ物であろうと、水あるいはその他何であろうと、安全なレベルなどはありません。ヨウ素131、セシウム137などの放射性核物質の被ばくは、がんの発生率を増加させます。」
「このような理由から、食物と水に含まれる放射性核物質については、その値 を最小にするため最大限の努力を払わなければなりません。」
このように『社会に対する責任を果たす科学者』のサイトに掲載されています。

[ Sr-89のための原因究明着手基準に関する米国食品医薬品局(FDA)の公式見解 ]

「FDAには、ストロンチウム89のための公表された原因究明着手基準はありません。
その理由は、1998年のFDAのガイダンス(2003年のFDAポリシー手順書はそれに基づく)が、もし大量の放射性核物質が放出されることがあれば、それは原子力発電所の事故など、FDAの管轄外の事故によるとの予測に基づき成立しているからです。
ただしそのことは、ストロンチウム89や他の放射性核物質の存在が『放置される』ということではありません。
万一FDAが食品の中に、健康にとって有害となる量の放射性核物質を発見した場合には、FDAは、消費者の健康および安全性を保護するために適切な処置を講ずることになります。」

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この原稿は、この『星の金貨』をお読みいただいている方からご依頼を受け、翻訳したものです。
科学記事は読んでいて、難しいところもあると思いますが、最後までお読みになられることをお勧めします。

注目していただきたいのは、アメリカの環境保護庁が「放射性セシウムが検出された場合には…そのサンプルについて、ストロンチウムの分析が行われます。」という見解を述べている部分です。

福島第一原子力発電所の事故に関し、日本の放射性物質の検査については、放射性ヨウ素とセシウムのことばかりが取り上げられます。

しかし、過去に【アメリカの原子力施設を襲う大火災〈 老朽化した原子炉からはトリチウム(放射性三重水素)漏出の恐れ 〉】 http://kobajun.biz/?p=672 でご紹介したのですが、トリチウム(放射性三重水素)が米国原子力サイトの四分の三から漏れていた、という事実がありました。
トリチウムが漏出していたのは、すべて福島第一原子力発電所より新しい施設で、当然ながら福島第一原子力発電所からも、事故と関係なくトリチウム(放射性三重水素)が漏れていた可能性があります。
これが事故となれば、相当な量の漏出があった可能性があります。

さらに事故を起こした福島第一原発の原子炉のうち、爆発事故を起こした3号機は『プルサーマル機』、事故により『アクチニドの核種(プルトニウム、アメリシウム、キュリウム)などの低揮発性の放射性核種も放出される可能性がある』とのことです(日本の原子力発電所で重大事故が起きる可能性にMOX燃料の使用が与える影響 / 核管理研究所(NCI)科学部長 : エドウィン・S・ライマン博士 (PhD) - http://kakujoho.net/mox/mox99Lyman.html )。

そしてハワイで見つかった『福島第一原子力発電所事故が原因の』ストロンチウム。
アメリカでは「セシウムが検出された場合には、ストロンチウムについても調査が行われる」のに、なぜ日本では公表されないのか。

「大切なことは、環境実態に関してはたとえマイナスの数値でも、非検出とみなされる数値であっても、すべてのデータの数値を明確にすること」ではありませんか?

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【 自転車レーサーの悲劇 】

アメリカNBCニュース 10月

自転車レースは南アフリカ共和国の禁猟区の全域で展開されます。
しかし野生のレイヨウはどこからだって現れます。
選手はレース終了間際にこの体当たりを食らってしまいましたが、NFLなら反則もののラフプレーです。
彼はヘルメットのおかげで重傷は免れましたが、ヘルメットは割れてしまいました。
彼は脳しんとうを起こし、鞭打ち症の後遺症が残ったそうです。

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【 東日本大震災のがれき、巨大な島となってアメリカ沿岸に接近中 】

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所要時間 約 6分

アメリカNBCニュース 10月24日

日本を巨大地震と巨大津波が襲ってから、約七ヶ月が経過しました。約20,000の人命が失われ、400,000を超える人々が帰る家を失いました。
今夜お伝えするのは、その災害により遅れて引き起こされる、環境に対する問題についてお伝えします。
現在、がれきと残骸によって形成された巨大な島が、アメリカの海岸に向かって太平洋上を漂い流れています。
NBCのケイト・スノーがスタジオからお伝えします。

3月11日に日本を襲った巨大津波によって破壊された残骸は、太平洋を漂い流れ、数ヶ月後にどの場所に到達するか、科学者はほぼ正確につかんでいます。
がれきを発見し、その漂流軌跡を正確に追跡することは、次にこの漂流物がどこに向かうか予想するための資料になります。
日本の東北地方を襲ったマグニチュード9.0の地震と引き続き起きた巨大津波は、数千マイル離れた南極海で大きな氷山を破壊し、部分的に地球の重力場をゆがめ、数百トンを超えるがれきを太平洋上に叩き込むほどに強力なものだったのです。

ハワイ大学マノア校の国際太平洋研究センターの科学者は、小型船と海岸線を脅かす、テキサス州の2倍もの面積(140万平方キロ・日本の国土の総面積の約3.7倍)を持つ、この漂流する瓦礫の集団の『航跡』を追跡しようとしています。
破壊された漁船の破片からテレビまでを含む残骸の新しい目撃情報は、海洋保護区など保存されるべき海岸線への到達について科学者が予測を行う際に、必要となります。
(科学者たちは、これらの残骸は2年でアメリカ西海岸に到達し、3年でハワイ諸島の海岸線に打ち寄せることになる、と予測しています。)

▽ 目撃されたがれきの島

ここ半年ほど、上級研究員ニコライ・マキシメンコとコンピュータ・プログラマーのヤン・ハフナーは、彼らだけの最高水準の技術 – ただし、まだ検証はされていない – 津波による残骸が海流によって最終的にどこに打ちあげられるかの、コンピュータ・モデルにかかりきりになっています。

新たな目撃情報は、がれきの移動予測を行うこのモデルの信頼性を高めることになります。

▽ 調査船パルラーダ

パルラーダが引き上げているのは福島県に登録されている小型ボートです。おそらく3月11日の津波によって流されたものと思われます。
ロシアのSTSパルラーダはホノルルからウラジオストクへの帰航途上、紛れもなく科学者が作成した地図によって警告していた津波の残骸の一団を発見しました。

ミッドウェイ諸島を通過した直後、パルラーダの乗組員たちは驚くほど多量の漂流物を発見しました。
「昨日9月22日、北緯31度42.21、東経174度45,21の地点で、我々は日本の釣り船を吊り上げました。
ガイガーカウンターで計測したところ、放射能は通常レベルでした。」
パルラーダの情報・教育担当の乗組員、ナターリャ・ボロディナが語りました。
「この地点ではテレビ、冷蔵庫やその他の家庭用品を確認しました。」
後日、9月27日 には彼女は日誌にこう記しています。
「24日以来、私たちは連日、木の板、プラスチックボトル、ブイ、大小の漁網、洗面台、ドラム、ブーツ、その他の廃棄物まで、あらゆる漂流物を目の当たりにしています。これらはすべて船べりを流れて行っています。」

▽ がれき・残骸の群れが次に襲う場所は

10月8日、パルラーダはウラジオストクの港に入港し、ボロディナが画像を送ることが可能になりました。
採集したがれきの中で最も大きなものは、彼らがパルラーダに引き上げることができた長さ20フィート(約6メートル)の小さな釣り船です。
船尾のマーキングはこの船の母港を表示していますが『福島県』、津波で大きな被害を受けた場所の名前が書かれています。

現在では広く散らばっているがれきの集団の正確な位置を把握することにより、科学者たちはこれらがハワイのパパハナウモモクアキア海洋国定公園(ハワイ島の東側・有名なハナウマ湾の近く)に到着する時期について、より正確な予測を行うことができます。
ミッドウェー諸島への最初の到達は、この冬予想されています。
ミッドウェイを逸れた漂流がれきは、2年ほどでハワイに漂着します。

残った分がさらに漂流を続け、約3年で北米の西海岸へ到達することになるでしょう。


[地図キャプション]
地図が表わしているのはロシアの調査船パルラーダが通過した 漂流がれきのモデルです。
紫色の部分は9月25日コンピュータによって描画された破片の分布を示しています。
赤い菱形マークは日本の釣り船が発見された場所、そして赤い丸はがれきが密度高く集まっている部分を指しています。

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【 放射能のない日本への戦い 】第4回

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所要時間 約 6分

[ 苦難の道を歩む東北地方のコミュニティ ]
「東京電力は情報の抱え込みや情報提供の遅れが常態化」

アルジャジーラ 2011年9月

日本の文化風土により人々はあからさまな不満や反対意見を表明しませんが、人々が心理的に苦しんでいる、 そして助けを求め始めている、という兆候があります。
例えば、多くの人がまだ避難所に住んでいる気仙沼市の病院では、1,000人以上の犠牲者を出した津波の衝撃による、心理的な影響に対処するための診療を始めています。
患者の10%が心的外傷後ストレス障害に見舞われ、50%が臨床的措置が必要な程度に重篤な抑鬱状態にある、と診断されているとされています。


そして地域の人々が、原子力の安全問題の基本事項について学ぶことを余儀なくされていることが、すべての問題に影を落としています。
人々は政府や電力会社を信頼し、何とか前に進もうと努力しています。
しかし信頼を形作る事実は現れず、人々の心は揺らいでいます。

東京電力は情報の抱え込みや情報提供の遅れが常態化している、という評価がすでに確立しました。
政府の過失の程度は不明ですが、多くの人々は国が自分たちの安全を最優先にはしていない、と感じています。
こうした状況は様々なコミュニティにおいて、もはや物事を自分たちの手で進めようという小集団を生み出してい ます。

例えば、利用可能なガイガーカウンターの数が不足していることにしびれを切らし、福島県のエンジニアのグルー プは、独自の『メイド・イン・福島』 ガ イガーカウンターを制作しました。
彼らは周辺の学校にそれらを寄付する予定ですが、一か月ほどで一般向けにもリーズナブルな価格で販売できるよ うになります。

別のチームは、放射線によって汚染された土壌の除染方法、さらに家庭用に汚染された水の放射能の除染方法を考案しました。

ざっと700組ほどの福島県の親のグループは、放射線から子どもを守るための福島ネットワークを組織しました。この組織は放射線量の測定だけで満足するつもりはない、と語っています。

富山美恵子さんは、10月にグループが『ベジタブル・カフェ』を開設する予定だと語りました。そこに並ぶ野菜はすべて福島県外から直送されます。さらに1995年の阪神淡路大震災に襲われた大阪の農家と神戸の近くのコミュニティからは、安い価格で野菜が送られてくることになっています。

一言で言ってしまえば、福島県の一部の親たちは、いかなる機会も生かそうとはしていません。
日本の政府によって許可される食べ物や飲み物放射線のレベルは、他の国々よりも高くなっているのです。

「セシウム137が1kg当たり500ベクレルという値は、アメリカよりも、ベラルーシよりも、ウクライナよりもはるかに高い値です。しかも、輸入野菜のレベルはこれよりも低く設定されています。」
こう語る富山さんは、もはやスーパーマーケットにもこのような野菜が並んでいる以上、どこに安全な野菜があるのか、一人の力では探し出すのは難しいと付け加えました。
「セシウムのレベルがキロ当たり500ベクレル未満の食品の場合、この食品は安全で、放射線に汚染されていない、とされてしまいます。たとえそれがキロ当たり499ベクレルの値でも安全ということにされ、学校給食で提供されてしまうのです。」

ちょっとした作業でも、この問題の存在を気づかせることがあります。
東和町の農協では地元の農産物仕分センターに放射能測定装置を購入し、人々が安心して商品を購入できるようにしています。
地元NPO(非営利状態の組織)の会長武藤さんは、グループはまた、京都の桑の実ファームから寄贈されたガイガーカウンターを用いて、80か所以上のポイントの放射線量を測定していると述べました。
地上レベルでの放射線量を測定するだけでなく、食品内の放射線量を測定していることで、消費者はいくらか安心しています。
「しかし、私たちは土壌を除染しなければなりません。
それをして初めて、私たちは人々の心から何も知らされていない、という懸念を取り除くことができるのです。」
と武藤さんは語りました。

〈つづく〉

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【 こどもたちとミシェル・オバマ大統領夫人の挑戦 】

10月12日 アメリカNBCニュース

今からご覧いただくのは2組の『ファースト』、始めはファースト・レディのミシェル・オバマ大統領夫人、もうひとつはホワイトハウスの裏庭で、ジャンピング・ジャック(跳躍運動)に初めて挑戦するこどもたちのグループです。
これは大統領夫人の、子どもたちを健康にする運動の一環なのです。
これはNBCのキャスター、アル・ロカーがリードし、ナショナルジオグラフィック・少年版がホストする、400人の子どもたちが元気いっぱいジャンピング・ジャックの、ギネス記録に挑戦するイベントの一部として行われました。

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【 トルコ大地震詳報 – 地震の犠牲者救出のため緊急事態 】

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所要時間 約 10分

記事 : アルジャジーラ 10月23日(日本時間24日午前10時・ 午後3時追補)
映像 : アメリカABCニュース 10月23日

マグニチュード7.2の地震トルコ東部・ヴァン地方を襲う
生き埋めとなった被害者の捜索が続く。死者は少なくとも200名。

東ヴァン地方を襲ったマグニチュード7.2の地震により、生き埋めとなった被害者を救出するため、救助隊の捜索活動が続いています。
タイップ・エルドゥアン首相は日曜日の地震で138名 の死亡が確認されたが、何名が生き埋めになっているかは把握できていない、と語りました。
ヴァン市だけで93名、 エルンジュで45名が死亡したと、地震の被災地を訪れた後、エルドゥアン首相は記者に語りました。
他の町や遠く離れた村などからも情報が入るようになれば、死者の数はさらに増えるだろう、とヴァン市の危機感 センターの当局者がロイター通信に語りました。

トルコ当局は今回の地震で1,000名が死亡した可能性がある、と発表しています。
600名を超える人々が負傷し、300名 から400名ほどが行方不明となっていますが、彼らは倒壊したビルの下敷きになっているものと考えられる、と政府当局者は語っています。
これに先立ち、国営のTRTテレビは85名の死亡が確認され、約1,000名が倒壊した建物によって生き埋めになっている可能性がある、と国立地震学研究所が語っている、と放送しました。

「1,000棟ほどの建物が損傷を受け、行方不明者の数は500名から1,000名 ほどに上る。」
カンディリ気象台のムスタファ・アルディク所長は報道陣にこう語りました。
TRTテレビはエルンジュでは59名が死亡し、150名が負傷したと伝え、25名がヴァン市で死亡し、さらにビトリスでも死亡者がいる、と伝えています。

一般市民も懸命の捜索活動に加わり、自家発電装置による投光照明器の灯りの下で、素手でがれきを取り除くなどしています。
現在ヴァン市にいるアルジャジーラの特派員アニタ・マックノートの取材によれば、事故現場では捜索隊の道具が不足しており、近くの道路工事現場の工具を使っての救出活動が行われています。
「誰もが必死で救出活動を行っていますが、ここには使われるべき道具も、専門技術を持った人もまったくいないのです。」
と報告しています。
「見る限りにおいては、トルコにいるはずの専門の訓練を受けた地震専門の救助隊の姿を確認できません。」
「あちこちで生存者の声が聞こえるようですが、ここでは騒音がひどく、確認活動はひどく困難なものになっています。」
ヴァン市の中心部は停電のため、漆黒の闇に覆われています。

ヴァン、エルンジュの両市では赤新月社がスタジアム内にテントの設置を始めていますが、人々はたき火を焚いて、夜が明けるのを待っています。
住居近くの避難所にも多くの人がいます。
キャンプファイヤーの周囲に集まってきた学生は、闇市でのパンの価格が4倍以上に値上がりしている、と取材をする報道陣に語りました。

放心状態の状態の被災者が、がれきに押しつぶされた車両の周囲をさまよっています。
救出活動は自家発電機による投光照明の下、夜を徹して行われています。
ヴァン市では作業員が大きながれきをワイヤーで固定し、重機で運び出していました。
8階建てのビルが倒壊した現場では、近隣の住民がすすり泣きながら、行方不明者の発見を願っていました。
がれきの中から8名が助け出されましたが、繰り返し襲う余震が救出活動を妨げています。
幸いなことに深夜になって、10代の少女が9人目の生存者として助け出されました。

ヴァン市では刑務所も被害を受け、崩壊した壁から一部の受刑者が逃亡しました。
しかし、大部分が戻り、逃亡したままの受刑者は少数である、とする刑務所側のコメントをトルコ国営テレビが伝えました。

▽ 病院も損害を受け機能できず

エルンジュでは病院の建物が大きな被害を受けたため、負傷者は病院の庭で治療を受けており、死者は外部におかれたままの状態である、と一人の看護婦が話しました。
「病院の損害がひどく、建物内では手術ができません。」
看護婦のエダ・エキゾグルーはCNNトルコ支局の記者に語りました。
「私たちは病院の庭で患者さんの治療を行い、発電機のある建物のそばにいます。」

政府当局は遠隔地の地域の緊急情報は把握していません。電話回線があちこちで寸断され、被害状況の確認を困難にしています。
「たくさんの市民が死亡しました。多くの建物も崩壊しました。本当にひどい状況です。」
エルンジュの市長、ズルフィカル・アラポグルはNTVテレビ(トルコ)に語りました。
「私たちは緊急の援助が必要です。医薬品も必要です。」

トルコの赤新月社の救助隊は多数の負傷者を、地震断層の上に位置するエルンジュの避難場所から運び出したと語っています。
そしてテント、毛布そして食料を運び込んだと発表しました。

エルンジュの近くのチェレブリバグでも、深刻な被害と犠牲者が出ていることが報じられています。
「多くの人々が、建物の下敷きになったままになっています。」
チェレブリバグの市長、ヴェイセル・ケセルはNTVに語りました。
「多くの建物、学校の寄宿舎、ホテル、ガス供給施設などが倒壊しました。」

▽ 拒否された緊急援助(午前10時時点で削除)

6台の大型輸送ヘリコプターがテント、食料、医薬品を運ぶため被災地に向かいました。
中国、日本、アメリカ合衆国、アゼルバイジャンと多くのヨーロッパ諸国、そしてNATOが援助を申し出ています。
緊張関係にあるイスラエルも、トルコが必要としている物資の提供を申し出ましたが、国防大臣のエフド・バラクが後に語ったところでは、トルコ政府はこの申し出を断りました。
トルコ当局者はトルコ政府がイスラエル同様、10数か国の援助を断っている、と話しました。

▽ 地震の多発国・トルコ

隣接するアルメニアの首都、エルンジュから160kmの イェレバンでは建物の倒壊を恐れた人々が一斉に外に飛び出しましたが、現在のところ被害の輪報告は無い、ということです。
アルメニアは1988年の壊滅的な地震で、25,000人の犠牲者が出た場所なのです。

地震は国境を越えたイラン北部でも感じましたが、いくつもの大都市で混乱が生じ、シャルドランの複数のビルに亀裂が生じた、とイラン国営テレビが報じています。

トルコ国内の大きな地震断層の存在と微小な地震発生は、トルコでは日常的な事です。
1999年のトルコ北西部の地震では20,000人の犠牲者が出ました。
もっと最近では、2010年 3月のマグニチュード6.0のトルコ東部の地震で51名が死亡し、2003年にはトルコ南部の都市、ビンゴルでマグニチュード6.4の地震で177名が犠牲になっています。

▽ 追補(日本時間午後3時)
トルコのアイドリス・ナイム・シャヒン内務大臣は月曜の朝の時点で、最悪の 被害を被った都市のひとつエルンジュでは117名、州都であるヴァン市では100名の死亡が確認されたことを記者団に語りました。
日曜日の午後の時点で1,090名 の負傷者がいることも報告しました。
また当局者は救助隊は夜を徹してがれきの下敷きになっている人々の救助作業 を行っているが、数百名に上る人々の安否がわからなくなっている、と述べました。
最 も深刻な被害を受けたのは人口75,000のイランと国境を接するエルンジュです。トルコでも地震が頻発する地区にあります。
エルンジュから南へ約90kmの 地点にあるヴァンも大きな被害を受けました。
この地区では高速道路も大きく陥没しました。

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トルコという国は日露戦争以来、そして「エルトゥールル号遭難事件」以来、世界で一番といって良い親日国です。
そしてこの報道により、トルコがあるいは日本を上回る地震多発国であることがわかりました。

そのトルコに「原発を買ってくれ」と迫る、日本という国に涙がこぼれました。
これまで原発の「開発」に何千億円、あるいは何兆円使ったのか知りませんが、使ったのは日本人の勝手です。
日本を好きでいてくれている、トルコの人々にはどんな責任もありません。
日本への好意をこのような形で「利用」しようとする、一部の日本人のあり方を皆さんはどう思われますか?
私は「エルトゥールル号遭難事件」でトルコの人々を助けた、明治の日本人の心をも冒涜する、人倫を無視した行為に思えます。

ともあれ、一人でも多くの方が救出されることを祈るばかりです。
尚、地名等の読み方に誤りがあった場合はご容赦ください。

【 放射能のない日本への戦い 】 第3回

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所要時間 約 5分

[ 苦難の道を歩む東北地方のコミュニティ ]

アルジャジーラ 2011年9月

復興への努力を続けながらも、馬場町長、そして浪江町のすべての住民は、自分たちの安全を守るため、そして正しい情報に接するため、政府と東京電力を頼ることはできるのでしょうか?

「その時々に正しい情報を手に入れられなければ、彼らを信用することはできません。後になってどれほど多くの情報を提供されたところで。」
馬場町長は語りました。
「彼らに誠意はありません。彼らは私たちが感じている心理的な痛みを理解しようとはしません。」
「政府と東京電力は、彼らが犯した罪を認める必要があるはずです。その上で彼らは償いをするために努力する必 要があります。
この事故は自然災害などではありません。この事故は人間によって引き起こされたものなのです。」

「彼らはただ書類を扱っているだけなんです。彼らは冷たい、まるで石のように。」

処理されなければならない書類はたくさんあります。
避難を強いられた人々は少額の補助金を受け取っていますが、メルトダウンの結果収入を失っている企業は、補償を受け取るためには60ページもの煩雑な申請書類を作成する必要があります。
このため東京電力の社員2名が、二本松市役所内に常駐しています。

しかし、物事はゆっくりとしか進んでいません。
馬場町長はこう語りました。
補償と汚染除去などの問題の解決に時間がかかった場合には、人々の心は萎え、落ち込んでいくばかりでしょう。
そうならないよう、人々は希望を持つ必要があります – すべてが正常に戻り、また再び3月11日以前の生活に戻れるという。
「そうでなければ、彼らは二度と再び家に帰ることはないでしょう。」

➂ 苦痛を和らげるために

現在日本の人々が、どれほどのフラストレーションを経験しているのか、把握することは困難です、特に東北地方では。
東北は地震、津波、そして放射線汚染によって最も過酷な状況に陥りました。

9月10日、 国内全体の死者数が確認されました – 遺体が発見され、身元確認が済んでいるのは15,781名です。4,068人が行方不明、さらに警察庁によれば、3,250体以上の遺体が(これらの遺体は死者・行方不明者いずれにも含まれていません)発見されたものの、身元が確認できていません。

8万人の人々が津波や地震で家を失いました。
そして約7,000人の人々は、まだ避難所で暮らしています(記事発表時)。

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【 日本の原子力政策に対する人々の怒り 】

アルジャジーラ 2011年

日本政府は3月の地震と津波により制御不能に陥っている、福島第一原発からの放射能漏れを止められるようになるまで、最低でもさらに数ヶ月が必要だとしています。
TEPCO(東京電力)は他にも数カ所の原子力発電所を運営していますが、同社に対する日本の国民の目はますます厳しいものになっています。
国民は東京電力への怒りを募らせていますが、日本政府もそのエネルギー政策の見直しを迫られています。
アルジャジーラのウェイン・ヘイが浜岡から報告します。

伊藤みのるさんは福島の事故が起きてしまった以上、日本の原子力発電所は閉鎖されるべきだと語ります。
「日本は地震が非常に多い国です。原発のような施設があっていいはずがありません。国が原発政策を推進すれば、この国は廃墟になってしまいます。」と語ります。
この浜岡原発は8メートルの津波に備えるよう設計されていますが、福島の事故が起きた今となっては、それはもう充分ではありません。

飢餓・失業・アルコール中毒、それでも誇り高き少女は『風に向かって立つ』

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所要時間 約 7分

【 平原の子どもたち - 隠されたアメリカ 】


アメリカABCニュース 10月14日

12歳の少女ルイーズ・クリフォードは、パインリッジ居留地から丘を登ったところにあるグローリー・ビーで乗馬を楽しんでいます。
ここは彼女が愛する土地へとつながる、神聖な道なのです。

「ぜんぶ神聖なものなの。サルビア、スウィート・グラス、踊り、耳飾り、馬、そしてバッファロー。
ひとつひとつが強いものだし、私の血の中に流れている。だから私と関係がありものばかり。」
ルイーズが話すのは、ヨーロッパ人がこの地を支配する一万年前、ラコタの地で栄えていた彼女の祖先たちの伝統と儀式についてです。

かつてサウスダコタ州の山々と猛吹雪にもたじろぐことの無かった人々は、現れた白人の入植者たちに対し、最後に降伏しました。
しかし今は別の試練に直面しています。
報告によれば、80パーセントにのぼる成人がアルコール中毒であり、自殺率も高くなっています。
ルイーズ自身、うつ病と闘っています。

「私は絵を描くのが大好きだし、文章を書くことも大好き。私が文章を書く時は、ほとんどが自分宛の手紙なの。私が今何を感じ、どうしたら悲しい時をやりすごすことができるのか。」
と彼女は話します。

まだ中学2年生でも、ルイーズはすでに絶望の世界に耐えています。居留地の多くの子どもたちと同じように、彼女の家族はアルコールの害を受けています。
彼女は今のルイーズと同じ年齢で飲酒を始め、今やアルコール中毒になってしまった母親のことをいつも心配しています。

ルイーズと彼女の母親は、サウスダコタ州マンダーソンの老朽化した公営住宅に住み、ルイーズが通う部族経営のウーンデッドニーの地区の学校は、そこからまっすぐ行ったところにあります。彼女は実の父親については何も知りません。
UCLAの報告では、サウスダコタ州ではアメリカインディアンの生徒の70%が高校を中退してしまいますが、ルイーズは彼女のクラスの中で際立った存在です。

「子供たちは、美しい花壇の花のように扱われる必要があります。きちんと手入れをし、水をやることを忘れず、みんなで丹誠を込めて育てなければなりません。ところがここでは、子どもたちは雑草のように扱われているのです。」
ルイーズの学校の校長、74歳のマーニー・ホワイト・ウルフは語ります。

病気がちのホワイト・ウルフですが、子供たちのためにたゆまぬ努力を続けています。
彼女の学校は運営資金が不足しており、1960年代に建設された校舎について、彼女は床下と床タイルの下にあるアスベストについて心配しています。
しかし、こうした点を改善しようにも資金がありません。
もっと多くの教師、書籍やコンピュータを揃えるための資金すら、満足に賄えない状態なのです。

この学校の子どもたちは、家庭で慢性的な栄養不良状態に置かれているため、学校給食をむさぼるように食べます。
「子どもたちは週末、自宅でほとんど食べ物を与えられないため、月曜日には飢餓に近い状態で学校にやってくることが頻繁にあります。」
ルイーズの家でも、度々食べるものに事欠いています。

祖先から受け継いだラコタの地の文化が育んだ強さが、ルイーズのその姿に現れています。
彼女の『タタイ・ヒアナ・ジュエイリ』というインディアン名は『風に向かって立つ』という意味だと、私たちに教えてくれました。
「私は自力で立ち続けようとする一本の雑草なの。いろんな試練に負けてしまう雑草が多いけど、私は違うわ。」
「私は強い。私にはたくさんの力がある。どんなことがあっても負けないつもり。嵐に出会ったとしても、私は決してあきらめない。」

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この記事のテーマでもあるインディアン居留地については、Wikipediaにも詳細な記述があり、一度ぜひお読みいただければ、と思います。

私たち日本人と同じ黄色人種であるアメリカ・インディアンの歴史は、アメリカ大陸の地平線に白人入植者が現れた時から一変します。
以後のアメリカ・インディアンの歴史には絶滅、強制移住、収奪、貧困、飢餓などの言葉が頻出するようになります。
「今年、我々がたくさん殺せば殺すだけ、来年殺す分が少なくて済む。彼らはすべて殺されなくてはならない。でなければ、一種の貧民として養われるべきである」
南北戦争で活躍した北軍軍人ウィリアム・シャーマン(1820-1891)の言葉ですが、その後も扱いに著しい改善などは無く、現在に至っているようです。
そうした事実がこの記事の『隠されたアメリカ』という、サブタイトルを導き出すことになったのでしょう。

ところで冒頭に掲げたダイアン・ソイヤーさんの写真には、彼女のジャーナリストとしての決意があふれています。
がに股に立ち、あごは角張り、とてもエレガントとは言えない姿ですが、少女たちの運命に慟哭し、何としてもこの少女たちを守りたい、というソイヤーさんの決意が伝わってくるようです。

この半年、欧米を中心に海外のニュースを訳し続けてきて、気がついたことがあります。
それは普通の人々、特に何らかの運命に見舞われ、困難な状況にある人々の姿を丹念に、丁寧に伝える、という姿勢です。
報道機関にこのような姿勢がある限り、富も権力も持たない人々が社会の闇の中に葬られる危険は減ることでしょう。

この番組は全米に反響を呼び起こし、寄付・援助・激励のメッセージがABC放送に殺到したようです。
ダイアン・ソイヤーさんは17日の放送で、満面の笑みを浮かべながら視聴者に報告し、なおも援助を募っていました。

http://abcnews.go.com/US/viewers-open-hearts-children-plains/story?id=14756399

【 ジョブズは手術を9カ月遅らせてしまったことを、後に後悔していた 】

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所要時間 約 6分

『公式伝記作家が語る早過ぎる死の真相』

アメリカABCニュース 10月20日

10月初旬56歳でこの世を去ったアップルの共同創設者であり先覚者であったスティーヴ・ジョブズは、彼の公式伝記作者のウォルター・アイザックソンによれば、9カ月間すい臓がんの手術を拒否していたことについて、後に容態が悪化してからこの決断について後悔していました。

その著作『スティーヴ・ジョブズ : 伝記』の10月24日の出版を前に、アイザックソンはアメリカCBSニュースの番組『60分』の中でこう語りました。
「ジョブズは手術について始めのうち、健康な組織までも大きく損なってしまうのではないか、と話していました。」
『ジョブズはなぜもっと早く手術を受けなかったんですか?』とアイザックソンに尋ねると、「『私は自分の体が切開されるを望んでいなかったんだ。そんな風に切り刻まれるのをね…』とジョブズが答えた。」と、10月20日アメリカCBSニュースのウェブサイトで公開されたインタビューの中で述べています。

▽ ジョブズはなぜそのような決断をしたのか

「彼はこんな風に感じていたのではないでしょうか。何かを無視したい時、何かの存在を認めたくない時、人は時として理屈には合わない考え方をするものだ、と。私たちはこのことについて、何度も話し合いました。」
アイザックソンはCBSニュースに語りました。

ジョブズは若いころ東洋的神秘主義に魅了され、現代医学とは異なるハーブ療法を信じ、関係者が過去にABCニュースに語ったところでは、彼はそれによって深刻な容態を緩和できると考えていた形跡があります。
ジョブズに近い関係者は、彼は相手がアップルの取締役であっても、健康上の問題を公にしませんでした。後にこれらの取締役はジョブズの健康問題がアップルの業績と株式の評価に、極めて重要であることを力説することになります。

ハーバード大学医学部腫瘍学の研究者ラムジー・アムリは昨週、ジョブズの現代医療への嫌悪について論争の的となった論文を発表しましたが、そのことが彼自身の死を早めることになったのではないか、と推論しています。
「私はジョブズのプライバ シーを尊重するし、どのような点においても、彼を攻撃するつもりはない。そして彼の死を悼まない者はいない。しかし彼はあまり例のない神経内分泌系腫瘍を患ってはいたものの、しかし現代医療にとっては、通常のすい臓がんを治療するよりはるかに容易だったはずである。彼自身が代替医療を強く望んだ結果である。」と彼は書いています。
「もちろん、どのような医療を選択しようと、それは彼の自由である。しかし、状況を考えると、ジョブズ氏の手術を回避して選択した代替え医療は、結果的に彼を早すぎる死に追いやった可能性がある。」
とアムリ氏は書いています。
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【 放射能のない日本への戦い 】第3回以降は24日月曜日から再掲載させていただきます。

スティーヴ・ジョブズの原稿を訳す際、困るのがジョブズ氏と書かず、呼び捨てでいいのか?!と、ちょっとひるんでしまうことです。
私は何歳で初めてパソコンを買ったが覚えていないのですが、買ったのはアップル・マッキントッシュLC630だったことは、覚えています。
そこからずっとマック・ユーザーなのですが、こうして皆さんに翻訳原稿を読んでいただけるのも、ジョブズが私たちフツーの人間の手元までパソコンを運んで来てくれたから。
だとすれば、呼び捨ては不当じゃないか、と思う一方、アメリカのニュースで『Mr.』をつけて呼ぶのはオバマ大統領だけで、それはアメリカ大統領の敬称が『Mr. President』だからという理由だけ。
という訳で、スティーヴ・ジョブズについては充分の敬意を込めながらも、『氏』はつけないことにしました。

それにしてもアレン少年の『アップル・カット』、すごくキュートです。

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【 ボクがスティーヴ・ジョブズと会った時 】
「アップル・カットの少年の一生の思い出」

アメリカABCニュース 10月7日

生涯アップルを愛し続けるスーパーファン、アレン・パルトロウが少年時代の素晴らしい思い出について語りました。

これはアップルのスーパーファンの笑顔。
アレンはハロウィーンが来る度、マックの仮装をするほどのアップルのファン。
アレンは何としても一度、スティーヴ・ジョブズに会いたいと思っていました。
ところで、アレンの少年時代の髪形は?
彼の頭を後ろから撮影すると、こうなります。

2006年、アレンはついにアップル・ストアの帰艦店舗のグランド・ オープンに招待されました。
「そこにスティーヴ・ジョブズがいて、ぼくは握手することができたんだ。スティーヴは僕の後頭部を指さしていたよ。」

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このサイトについて
ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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