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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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– 純金の竹 – 貧乏人のワタシは見事にうろたえました

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所要時間 約 3分

5月の中旬、中国人の友人夫婦が奥さんのご両親と一緒に我が家を訪ねてこられました。
ご主人は医者で、現在は仙台市の画像検診クリニックで、検査技師として働いています。
奥さんは主婦兼業で中国語関連のボランティアなどをしていますが、3月11日の大震災直後は二人とも、我が家で避難生活をしていました。
その後、中国にいる二人の両親の強いすすめもあり、12日後の3月23日、いったん中国に帰国したのです。
ご主人は仕事があるため4月の始めには日本に戻っていましたが、奥さんは2カ月ぶり、ご両親を伴っての再来日でした。

実はご両親は以前にも来日するたび、我が家を訪問されていました。
初めて我が家を訪れた際、
「なぜ他人の、しかも外国人に、こんなに親切にしてくれるのか?」
と、私たちと娘さん夫婦のつきあいについて尋ねられました。
私たちは別にたいした事をしているつもりはありませんでしたので、返答に窮した覚えがあります。

今度もご両親は何としても直接私たちに会って、震災後の避難生活のお礼を言いたい、との事でした。
お礼も何も、振り返れば我が家に避難している3人を守り通したいという思いが、震災直後の水も電気もない一番ひどいときに、私たち家族4人の心を支えていたのです。
この3人がいなければ、続けざまに入ってくる悲惨な映像や情報のために私たち自身がおかしくなっていた事でしょう。
それを思えば、本当に「お礼など、とんでもない!」のです。
ところが、ご両親が「何をお礼すればいいかわからないので、こんなものを持って来てしまいました。」
と差し出されたのが、「純金」と書かれた竹の細工物でした。
丈はすくすく伸びるところから、中国では「発展」の意味のある縁起物なんだそうです。

でも、不覚にも、ほんとにほんとに不覚にも、わたしは縁起よりも「純金」の文字を見て
「すごいもの、もらっちゃった」と少々興奮してしまったのです。
正真正銘「庶民」の我が家には、純金のものなど何もありません。
あーあ、貧乏人の悲しい性を、自分自身に見つけた瞬間でした。

そしてさらなるオチは.......
改めて良く見れば、細工物は「純金」ではなく、「純金箔」だったのでした。
もっとも「純金箔」すら我が家には無いのですが...

我が家にある「高価なもの」世界最初の切手、英国1840年発行の[ペニーブラック]未使用。
カタログ価格は720,000円ですが、ただし左側に余白が無く、減点されるかも......

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いまだに続く悲劇のなかで [再出発はどこから?]

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所要時間 約 5分

5月23日にアメリカ史上最悪と言われる竜巻がミズーリ州ジョップラン市を襲いましたが、現地はまだその衝撃から立ち直っていません。
その中で非常に印象的な報道に出会いましたので、皆さんにもその映像をご覧いただきたいと思います。
前半の概略を翻訳しましたので(間違いがあったらごめんなさい)、5月28日のNBC ナイトリー・ニュースのトップをご覧ください(画面の中のプレイボタンをクリックしてください)。

ミズーリ州のジョップラン市(日本のテレビ局はジョプリン市などと言っていますが、発音をよーく聞いてみてください)には、がれきをかき分けながら2,000人を超えるボランティアが現地に入り、未だ100人を超える行方不明者の捜索に当たっています。
ある10代の犠牲者などは卒業式を終えた直後に、竜巻にさらわれてしまったと見られています。
今年の竜巻の被害では少なくとも522名の犠牲者が中西部から深南部にかけて出ており、これは1947年以来の規模です。
NBCのロン・アレンが今なお、現地にとどまりレボートします。
「今日、ジョップラン市当局は水道水は飲むのに問題はなく、市としての機能も各所に於いて尚働き続けていると発表しました。しかし、被害の全容は未だつかめず、100名以上が行方不明であると推察され、被害にあった人々は愛する家族にいったい何が起きたのかを把握しきれていません。
メリッサ・クロスビーの姉リンゼイ・マリーナは9歳の息子の上に寄り添う形で遺体が初験されましたが、近所の人々が彼女と息子を発見した時の様子を話してくれました。
私たちにとってのわずかな慰めは、彼女がこの地上で最後に行ったことが息子の命を守り通すことであった、という事です。
『今確かに言える事は - 事態の終息に向けての動きと嘆きの時はいま始まったばかりだということです。』- ミズーリ州公共安全局
18歳の少年は卒業式の帰り、運転していた車から竜巻に巻き上げられ、その死体が先週有金曜日に沼の中で発見されました。………」

ニュースはアメリカでもやはりその地の、あるいは近隣の市町村の人々が真っ先に現地に駆けつけ、懸命に働いている様子を伝えます。
そして子供を守り抜いてなくなった母親の事を、上に訳した通り伝えました。
ニュース番組の価値を思い知らせる一言だったと思います。

母親を失ってしまったことは、少年にとって取り返しようのない悲劇です。
しかし、この特派員の一言は彼女の死を例えようもなく崇高なものとしました。
これからこの少年が生きていくとき、この一言は自分の人生を粗末にしないための大きな支えになると思います。
そして、これからアメリカ社会で起きるかもしれない母と子の無数の悲劇に、ブレーキをかける役割を果たしていくのではないでしょうか?!
子供の虐待は日米共通の深刻な社会問題ですが、子供を傷つけようと手をあげた時、この特派員の言葉を思い出す親がいたら、そこで思いとどまる事ができるかもしません。

これこそ、報道というものの価値、ではありませんか?!

東日本大震災の際、「恐いもの見たさ」的報道をして、被災者の心を傷つけた日本のテレビ局がありました。
電気が復旧した後、日本のテレビでも、アメリカのNBCやABCやCNNのニュースでも東日本大震災の報道を見ました。
日本中の私たちと同じ普通の人々がものすごく心配してくれていること、そしてアメリカのメディアも私たち被災者を思いやってくれていることを感じたものです。
日本のテレビ・新聞だけを見て、それが現実の世界のすべてだと思うのは間違いなのではないでしょうか?

これから毎日、私は海外の報道や政府機関のアナウンスなどをチェックし、皆さんに伝えなければならない、そう思ったことをここに掲載して行きます。
まずは本当の事を理解する事から、再出発しませんか?

Visit msnbc.com for breaking news, world news, and news about the economy

後悔のゴルフ〈5〉

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所要時間 約 4分

ゴルフというのは「徹底的」に屋外のスポーツですから、「天候というものがこれほど影響するのか?! 」と思う事しばしばです。
まずはその日の天気、晴れて風がなければ機嫌良く出かけ、雨の日や風の強い日は「あーあ... 」なんて出かけます。
まあ、気はってくるとたいがい天気に関係なく、後悔の「あーあ... 」なんですけれども…
そしてゴルフ場に着くと、こんどは晴れていてもそうでなくとも風がいちばん気になります。

道具を使ってボールを飛ばすスポーツの中で、ゴルフが一番遠くまでボールを飛ばします。ドライバーという一番遠くまでボールを飛ばす事のできるゴルフクラブは、プロでだいたい300ヤード弱(約270メートル)、私たち素人の平均は200ヤード強(180メートル)。何たって私たち素人用でもこのドライバー、平均価格は6万円~8万円しますので、それなりの仕事はしてくれて当然。
この距離をまっすぐボールを飛ばすことができると、えも言われず気持ちがいいものです。
逆の場合は?
タイガーウッズがものすごい顔で悪態をつきながら、ゴルフクラブで地面をブッ叩くのをご覧になった事はありませんか?
あんな気持ちです。
ただ、私たちは彼程の技量と精神力があって失敗する訳ではないし、同伴者に不快な思いをさせるので、あの態度はご法度です。
その点、石川遼君などは失敗しても決して激した様子は見せませんので、彼は本当に立派な青年だと思います。

さて、その「まっすぐ」ですが、邪魔をするのが風。せっかくまっすぐ打てたはずなのに、ボールは風に右に左に翻弄され、場合によってはOBといって「場外、アウト!」になってしまう場合があります。
ドライバーだけでなく、ゴルフはあらゆるクラブで風の影響を受けます。
プロの大会など、地面を転がすだけのパッティングですら風を計算すると言います。
でもやっぱり雨、特に強い雨。

なんで今日はこんなに天気にこだわるのか、と言いますと、実は明日月曜日、会社をサボってゴルフの予定なのです。
ところが台風2号なんてのが近づいてきてますよね。
それが明日、宮城に大雨を降らせる可能性が出ててきています。
本当はニッポン国民なら地盤沈下域の被災地の方の事や
「台風が福島第一原発を直撃したらどうしよう…また、大量の汚染水が漏れちゃうんじゃないか?! 」
と、そっちを心配するべきなのかもしれませんが…
でも所長の吉田さん、立派な方らしいし…
小雨ならゴルフというのはできるのですが、台風となるとゴルフ場そのものが「クローズ」といって、お休みになってしまいます。
せっかく有給休暇をとったのに、台風のせいでムダになってしまう可能性が…
どうやら今回のゴルフ、始める前から「後悔」しちゃいそうです。

アメリカPGAツアーのシード選手、韓国系アメリカ人・チャーリー・ウィー選手のドライバーショットをお勉強しましょう。始めはまずクラウンプラザ・インビテーショナルの3番ウッドのティー・ショットを見ていただきます。その後「スイング・ビジョン」でドライバーショットの詳しい解説があります。カンどころは
1. スパイン・アングル(前傾姿勢)をキープしたまま、クラブをしっかり左に振って行く
2. ダウンスイングでは左ひざでしっかりパワーを受け止める
というあたりでしょうか。

  ゴルフ 

次に地震が来る場所はどこ?! – 東日本大震災、その瞬間のビルの30階 –

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所要時間 約 4分

3月11日東日本大震災の日、大地震が襲ったとき仙台市中心部の30階建てのビルの、まさに30階のレストランにいた30代の男性の話を聞きました。
店内のテーブルと椅子が凄まじい音を立てながら、一斉に向こう側に雪崩を打ったかと思うと、今度は一斉にこっち側へ。また向こう側へ、そしてこっち側へ。まるで映画のシーンのようですが、それが実際に起き、揺れている間ものすごく恐ろしかったそうです。
そして停電、当然エレベーターも止まってしまい、ビルの外に出たければ、階段を下りるしかありません。30階から非常階段を降りて1階まで降りるのは、想像以上につらかった、と言います。20階を過ぎたあたりですでに足がおかしくなり、でも続けて地震が来る恐怖があり、あえぎながら階段を下り続けました。地上に降り立ったときは胸は苦しいし、足がガクガクして、しばらくは動くも歩くもできなかったそうです。
このビル、実は震災後屋上にあるアンテナ部分の構造物が倒れそうになり、一時付近の道路が封鎖されました。その後、この構造物を取り除く事ができましたが、内部の損傷がひどくテナントで出て行くところが多く、持ち主の生命保険会社は解体の検討を始めたとか。

高層ビルと言えばニューヨーク。
東海岸のニューヨークには高層ビルが林立していますが、日本に高層ビルを建てた日本人がこの様子を意識していない、と考える方が不自然です。
でも、ちょっと待ってください。
実はニューヨークなどの東海岸はまず地震が来ない場所なのです。ニューヨークのアメリカ人に直接聞いたのですが、一度震度3の地震がきたときには、経験したことが無く、心臓が止まりそうなくらい怖かったそうです。
震度3など『地震国日本』の住民としては、怖くも何ともないレベルですよね。
それだけ地震が少ない場所なので、高層ビルをどんどん建てても合理性に欠ける事は無いのでしょう。
一方、西海岸にあるロス・アンジェルスは大地震に見舞われた事があり、南側地続きのメキシコも地震が多い国です。
Googleの画像検索を使って、ロス・アンジェルスとニューヨークの街を比べて見てください。
ニューヨークには数えきれない程高層ビルが建ち並んでいますが、ロス・アンジェルスの方は中心部に10内外の超高層ビルがありますが、他は見事な程低層の建物がびっしり。
無理はしてない感じです。

ひるがえって我が日本、世界有数の火山国・地震国であるにも関わらず、なぜこれほど高いビルを建てる事が好きなのでしょう?
プライド?
東京スカイツリーなどは、超高層ビル建設ラッシュの続く中国・上海を明らかに意識していると思われます。
「国の勢いでは遅れを取ってしまったけど、こういう技術ではまだまだ日本の方が上なんだぞ。」
その気持ち、解ります。
耐震、免震技術なんてのは世界一なんでしょうから...

でも色々な学説・情報を整理すると、東日本大震災の影響により、以下の3カ所の大地震の危険性が高まっているようです。
1. 青森県八戸沖
2. 宮城県東方沖(東北太平洋沖地震よりさらに沖合)
3. 福島・茨城沖
そして、首都直下型、東南海など、地震のリスクに事欠かないのが日本。
地震の瞬間、高層ビルを見上げていた人の話を聞きましたが、「折れるかと思った!」そうです。
アメリカの9.11同時多発テロでは、世界貿易センタービルが崩壊する前に脱出できなかった人々が犠牲になりました。
個人的な意見になってしまいますが、もう高層ビルにはしばらく上らなくていい、というのが正直なところ。
私が育った昭和30年代、40年代。
町で一番高いのは銭湯の煙突、なんて時代が今、たまらなく懐かしく思い出されます。

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命が失われた世界・蒲生再訪〈2〉

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所要時間 約 3分

蒲生を再訪した日はとにかく晴れていました。
仙台の夏は例年三陸沖から冷たい「やませ(夏に農作物に冷害をもたらす事から『病ませ』の意味だという説があります)」という風が吹き込むため、「夏の仙台というのは、街全体に冷房がかかっているようだ」と、瀬戸内海沿岸に暮らすある人が言ってました。

フィンランド 1993年発行

フィンランド 1993年発行

ただし、やませというのは海風のため多少じめじめし、決してからっとはしていません。
それに比べ5月の仙台の風は奥羽山脈から吹下ろす事が多く、このため湿度も20~30%と低い上、気温も20度前後と一年で最も気持ちのいい季節のはずでした。
5月の仙台、それはまさに青葉茂れる季節であり、新緑とそこを吹き渡るさわやかな風の世界であったはず。

ところが、津波の直撃を受けた地区というのは、
「茶色の世界」
なのです。がれきとスクラップに成り果てた車には乾いた泥がこびりつき、道路にも茶色い粉塵が堆積しています。
そしてこの日は黄砂。重金属など数々の有害物質、それに微生物まで含むと言われるこの黄砂は、西風とともに被災地にも容赦なく吹きつけます。
私は花粉症で、春先盛んにくしゃみが出る日があります。黄砂が飛ぶ日もくしゃみが出ますが、黄砂と花粉症の違いはすぐに体で感じる事ができます。黄砂が多い日は顔の皮膚がひりひりし、目のかゆみが半端ではなく、くしゃみも止まらなくなります。
記憶をたよりに、ごく大ざっぱな言い方を許してもらえるなら、中国が「世界の工場」化してから、私のこの症状はひどくなりました。

5月の薫風もこの辺りでは粉塵を舞い上げる厄介者に過ぎないようです。行き交う人々は復興作業に従事する人もそうでない人も、皆一様にマスクをつけています。
昔見た映画に近未来を砂漠化した世界として描いているのがありましたが、実際にその地に立たされたような気分に陥りました。
水を張った田に植えられた苗。
木々に豊かに蓄えられた新緑。
小鳥たちのさえずりと飛び交う姿。
貞山運河や干潟にたくさんいた水鳥たち。
ゆっくりと畑を耕したり、小さな工場(こうば)で黙々と働く人々。
そしてそれらの間を五月の風が吹き渡る。

それら一切が葬り去られた世界。
野球のグラウンドが2つあり、鮮やかでたっぷりとした緑で縁取られていた蒲生海浜公園には、がれきと破壊された車がうずたかく積み上げられ、クレーンだけが単調な動きを繰り返しています。
命が失われた世界、それは想像するよりもずっとひどい世界でした。

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極めつけの凡人より

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所要時間 約 4分

人生とは次々に起きる出来事の積み重ね。
だけではないはずです。
起きた出来事をどう受け止めたか。
そして、どう考えるのか。
その事が、実はその人にとっての人生だと思うのです。

イギリス領アデン(現イエメン)1938年発行

イギリス領アデン(現イエメン)1938年発行

私はこの世で最も憎むべき行為は、人の人生を取り上げてしまう事だと思っています。
そういう意味で、私が「許せない」のは
第二次世界大戦において
ナチス・ドイツがやったホロコースト。
日本軍がやった特攻隊攻撃。
そしてアメリカ軍の広島・長崎への原爆投下です。
そして現代では、9.11アメリカ同時多発テロ。
いずれも実に多くの人々が、選択の余地なく人生を「他人に」奪われてしまいました。

私は凡人も凡人、しかも極めつけの凡人。
そのため死ぬ、という事には非常な恐怖を持っています。
死とは何か、今の所科学的に証明されているのは「物理的に消滅する」という事だけです。
したがって、私にとっての「死」とは、今途切れる事なく続いているこの意識が、ある日突然停止し、二度と復活しない、という事になります。
それはいったいどういう事なのか、それこそ死ぬまでわかりません。
未知への恐怖、それこそが「死」についての恐怖の最大のものです。

こうした恐怖から逃れるため、人々は「宗教」というものを考えだしたのだろう、私はそう思っています。
世界の4大宗教、という言い方をしますが、いずれも「死後の世界」は重要なテーマです。
結論は実に大ざっぱにいえば、いずれも生きている間身を慎んでひたむきに生きれば、やがて安らかなしを迎える事ができる、というもの。
具体的な「死後の世界」については各宗教ごと、解釈・説明はさまざまです。

しかし、この宗教を歪曲してしまい、その結果、他人に死を強制する行為を行う心悪しき人間が後を絶ちません。
一部のアラブのテロリストは、何の罪もない一般市民を無警告に殺戮する事を「聖戦(ジハド)」と言い張ります。確かにイスラム教の中に「コーランか、死か?!」と入信を強制する部分があります。
しかし、イスラム教の創始者ムハンマドの真意は、当時アラブ世界に数多くいた倫理観をほとんど持たず平気で殺人・犯罪を繰り返していた人間に、一定の規律を与えることによって安定した社会を築くことにあった、と言われています。
現にムハンマドはイスラム教を築くにあたり、にユダヤ教、キリスト教を大いに参考にしました。
そして、彼らを攻撃せよ、とは一言も言っていません。
もちろん、アラブのテロリストについては、イスラエル問題があり、因果関係は単純なものではありません。
しかし、テロリストが貧しく教育のない若者を狙って歪曲したイスラム教をすり込み、殺人機械を作り上げ、自爆テロによって自他もろとも多数の人々を殺す、人生を奪う。

今回の東日本大震災、実に3万人もの人々が人生を奪われてしまいました。
被災地の真ん中にいて考えることは、
「人間が同じ人間から『人生を奪う』ことは決して、決してやってはならない。」
ということです。

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緊急にお話ししたかったのです

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所要時間 約 4分

今、アメリカが大変な事になっています。
別の原稿をアップする予定でしたが、急遽差し替える事にしました。

ユグノー教徒のアメリカ上陸  1924年アメリカ合衆国発行

ユグノー教徒のアメリカ上陸  1924年アメリカ合衆国発行

昨年末から今年の3月まで、アメリカ北部は大雪と猛烈な寒波に見舞われました。
4月には中西部でトルネード - 竜巻が大発生し、家屋などが多数破壊されました。
5月になると今度は北部に降った大雪が溶け出し、南部のミシシッピ川が氾濫、1974年以来開けた事のない放水門を開け、近隣の市町村が水没の危険にさらされています。

そしてさらに、今度は中西部で再び巨大竜巻が発生してしまいました。
5月24日のNBC Nightly News は、メイン・キャスターのブライアン・ウィリアムズさんが急遽、竜巻で甚大な被害を受けたミズーリ州のジョップランという町に飛び、現地からリポートしました。
今回の竜巻による死亡者は116人、一個の竜巻の死者としては史上最大と伝えています。
その惨状は同行したウェザー・チャンネルのリポーターが放送中に嗚咽を漏らしてしまう程のもので、規模こそ違え東日本大震災で津波に破壊された女川や南三陸町の惨状にそっくりです。

ニュースでは巨大竜巻の様子を撮影したフィルムが放映されました。
灰色の空に真っ黒な渦が、時折稲光を放ちながら迫ってくる様子は、私たちが見た津波襲来の映像に勝るとも劣らない恐ろしさです。
番組ではこの竜巻により、家の中で祖母が死亡した若い女性にブライアン・ウイリアムズさんがインタビューしていましたが、最後に大きく女性を抱擁して慰めていました。
習慣の違いとはいえ今度の東日本大震災の取材で、何も知らない幼児に向かって「お母さん死んじゃったよ。」とやった東京のテレビ局とはあまりに違いすぎます。

もうひとつ気がかりな事があります。
このニュースが飛び込んできたのは、日本時間24日午前10時頃。
この日の夕方の日本のニュースは管首相がG8に出席する際の意気込みについて、以下のように伝えました。
「大震災を乗り越え元気に復興していく、日本が再生していくという意気込みを世界に伝えたい。」
ニュースに写る管首相のニコニコ顔を見て、私は幻滅、羞恥、そんなものがないまぜになって襲って来ました。
「東日本大震災の惨禍に苦しむ東北で、自衛隊と恊働してアメリカ軍が様々な支援活動をしてくれた事を忘れたのか?! その中にミズーリ州の兵士がいたかもしれないじゃないか!」

インタビューが行われたのは午後4時頃。
なぜ一言、アメリカの被災者に慰めといたわりの言葉が無かったのか.....
こうした気遣いこそが、今原発によって世界からの信用を失墜させてしまった日本に必要な事ではないのか?
「日本人は自分たちのことしか、考えてない。」と言われない、いや、思われないために。
秘書官などの側近なのか、首相自身なのか、無神経で自分の事しか考えていないのが誰なのかは知りません。

我が国の首相がG8でオバマ大統領に会ったら、まずは東日本大震災への援助に対する感謝はもちろん、アメリカの洪水や竜巻の被害者に対する思いやりを、誠心誠意示してほしいものです。

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『犯人探し』は今、するべきことなのか?!

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所要時間 約 4分

果然、というべきか、またしても、と言えばいいのでしょうか。
今度は東京電力福島第1原発1号機の炉心冷却のための海水注入が中断したことの「犯人探し」が始まりました。

アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントン 第二次世界大戦が終わって65年、国民が今程「日本の政治の不毛」を感じさせられている時はない。 アメリカ独立の英雄、ワシントンは「偶然現れた」のではない。 インディアンを迫害するなど今となれば人としての問題点も感じるが、彼を司令官として選んだ人々の真摯な期待が、彼を比類なき指導者に育て上げた。

アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントン 第二次世界大戦が終わって65年、国民が今程「日本の政治の不毛」を感じさせられている時はない。 アメリカ独立の英雄、ワシントンは「偶然現れた」のではない。 インディアンを迫害するなど今となれば人としての問題点も感じるが、彼を司令官として選んだ人々の真摯な期待が、彼を比類なき指導者に育て上げた。

首相が指示した、指示しない、ということが焦点のようですが、要は「今度こそ菅降ろし」を実現させようと言うことなのでしょう。
首相の「人格と品性」については震災以来、すでに多くの日本人がその本質をうかがい知ることになっていると思います。
天皇・皇后両陛下が避難所を時間をかけて被災地ごとに訪問され、ひざまづかれて被災者の一人一人を丁寧に慰め、力づけられ、さらには水仙の花(http://kobajun.biz/?p=433をご参照ください)の様なエピソードが生まれました。
5月21日に来日された韓国のイ・ミョンバク大統領も避難所の一家族の区画の中に座り込み、まるで親戚のおじさんが見舞いにきたかのように親身になって、被災者を見舞っておられました。
これに対し、我が国の首相は避難所を訪れた際、立ったまま通り一遍の挨拶をして立ち去ろうとし、被災者から怒号を浴びせられました。
そして国民新党亀井氏の嘆き。
「首相は先日、家族とホテルで食事したそうだが、なぜ震災で親を失った子供たちと一緒にカレーライスを食べようという発想にならないのか....」
巧言令色少なし仁。
高校の漢文の時間にみなさんも習われたと思いますが、現実に見せられると何ともやりきれない思いになります。

しかし、だからといって一国の最高権力に連なる国会議事堂に出入りする人間が、今この時に政局争い、権力闘争に血道を上げて良い、という事にはならないと思います。
与党も野党も、日本の国会議員には『日本国の公僕』として、今、やらなければならない事が山積みしているはずです。
親を失ってしまった子供たちは、毎晩夜の闇におびえているのです。
子を失ってしまった親たちは、多くが生きる目的を見失ってしまいました。
震災から子を守った親たちも、今度は職を失って希望を失いかけています。
震災前から孤立しがちだった高齢者の方々は、いまや生命の危険にさらされています。
これら震災で絶望から、悲嘆から、苦悩から立ち上がれないでいる人々を踏み台にして、自分が権力の座にのぼろうなどは、許される行為ではありません。

犯人探しは、福島第一原発の4基の原子炉すべてを安定化させてからやってください。
溢れ出す高濃度汚染水の持って行き場も無くなってきているはずです、これをどうするのですか?
私たち日本国民にとって、今回の事態の犯人探しをするべき時はただ一度です。
『事態が終息した後』二度とこのような事故を起こさない、そのための対策を確立するために原因を明らかにする必要がある、そのときだけです。

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命が失われた世界・蒲生再訪〈1〉

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所要時間 約 4分

昨日、仙台市宮城野区の蒲生地区に行って来ました。
東日本大震災から2ヶ月、しかし津波の直撃を受けた地区の復興・再生の容易ならなさを改めて感じました。
ひとつは空気。

アオシジュウカラ 1970年 スイス発行

アオシジュウカラ 1970年 スイス発行

石巻や女川、南三陸、気仙沼でも復旧活動を続ける自衛隊や消防、警察の方々を、がれきから発生する多量の『ほこり』が苦しめている、と非常に強い風が吹いた5月の連休明け、新聞などが報道していました。
実際にそうした場所に立ってみて、そのひどさを痛感させられました。
立っているだけで10分程もすると、猛烈に喉が痛くなってくるのです。
道路には絶え間なく散水車が行き交っていますが、現場で何らかの作業に従事されている方々は皆マスクをしています。そうしなければ、その場所に居続ける事すらむずかしいのでしょう。
津波は仙台港の港湾施設を破壊しましたが、タンクなどから漏れだした様々な化学物質が今も地面に残留し、それらが折からの好天で気化してしまっているのかもしれません。
まる一日経ってこの原稿を書いている今も、痛みが消えません。

道路の損傷もひどく、陥没はもちろん、えぐられるように穴が空いている箇所もあり、車で進むには一瞬の気のゆるみも許されません。

そして景色。
田んぼの中には未だに破壊された乗用車やトラックがそのままになっている地域もあり、がれきの撤去など口で言う程簡単にはできない事がわかります。
蒲生地区は七北田川を挟んで、干潟で有名な北蒲生と運動公園などの施設が充実している南蒲生に分かれています。
大ざっぱな言い方ですが、干潟には水鳥が多く集まり、運動公園近くの背のあまり高くない森にはホオジロ、オオヨシキリ、シジュウカラ、カワセミなど数えきれない程多くの種類の野鳥がいました。
以前私は少しカメラに凝った時期があり、被写体として野鳥を追いかけていた時期がありました。そんな私にとって蒲生は『宝の山』だったのですが......
干潟の方は3月11日当日、津波でそっくり消失してしまいました。
その日私は損傷だらけの道を慎重に進み、小鳥たちのいた森がどうなっているのか気になり、何とかたどり着こうとしました。
でも田んぼ道の目印にしていた建物は皆流されてなくなっており、それでも記憶をたよりに森の入り口近くまで来る事ができました。
しかしその先は道路の損傷がひどく、もうこれ以上は進む事はできません。
仕方なく、目指す森を目でさがしました。
でも、見えたのはあったはずの空間だけ。
野鳥たちが鳴き交わしていた森は、何か凶悪な力でむしられたようにまばらになっていました。
頭が真っ白になり、涙だけがにじんできました。

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オラなど、死ねばいがった

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所要時間 約 4分

妻が薬剤師をつとめる薬局に、最近、宮城県の気仙沼市のおばあちゃんが姿を見せられるようになりました。年齢は80歳に近く、3月11日に気仙沼市の自宅が被災してしまったため、仙台市内の長男のお宅に引き取られ、暮らしておられるそうです。

ウイリアム・ターナーの絵画[ 平和 - 水葬 ]

ウイリアム・ターナーの絵画[ 平和 - 水葬 ]

慣れない環境もあり調を崩される事が多いため、妻に相談して必要なものをお買いになり、しばらくいろいろお話をされてから帰られます。
おばあちゃんは被災した気仙沼市の様子をお話しされた後、最後に決まってこうおっしゃるそうです。
「町も流され、若い人もいっぱい亡ぐなって、わだしらみだいな者(もん)ばがり生ぎのごって......。オラなど、死ねばいがった......」
そして肩を落として帰って行かれるそうです。
この言葉を反芻するたび、私は涙がにじんできます。
そして、考え込んでしまいます。
なぜ、生への執着を捨ててしまったのだろう、と。

薬局のある仙台市内の高台と石巻、女川、南三陸、気仙沼などの沿岸とでは、おなじ宮城県と言っても被災状況はまるで違います。
家や設備等に多少の被害はあっても、コミュニティがそのまま残った地区と、暮らしていた地域社会が消失してしまった地区では、当たり前の話ですが、その後の生活が全く違ってしまいました。
私は一度、記憶を一時的に失った事があります。
その時痛感したのは、自分の人生の記憶が無い、という事はこれまでの生に全く意味が無い、という事でした。
幸い記憶はすぐに戻りましたが、あのときの焦燥と絶望は忘れられません。

おばあちゃんは長い人生を、気仙沼の町の中に刻んできたのではないでしようか。
気仙沼に生まれ、少女期を過ごし、大人になって結婚。
そして子供が生まれ、やがて孫の世代との対面。
妻は「優しそうなおばあちゃん」と言いますから、やさしい母親であり、やさしいおばあちゃんであったに違いありません。
周囲の人々との暮らしが、気仙沼の町のあちこちに刻まれてきたことでしょう。
町のあちこちに刻まれた記憶の集積がすなわち、おばあちゃんの人生の大切な何かであったはず。
そして津波。

津波の被害のむごたらしさの第一、それは多くの人の命を一瞬にして奪うこと。
そして第二はたくさんの人の人生の記憶を奪ってしまう事、ではないでしょうか。

この震災で、自衛隊など救助にあたられている方々の素晴らしさのひとつは、そこに暮らしていた人々の記憶につながる品物をひとつひとつ大切に回収し、持ち主の方に返していらっしゃる事です。
津波に流されたはずの写真アルバムを再び手にして、泣きくずれた人が何人いたことか......

でも残念ながら、こうした現場の人々の献身だけではおばあちゃんの嘆きは消えません。
今回被災した町や村が再生し、すべての世代の人々が生き生きと暮らせるようにならなければなりません。

それはもっと大きな組織、国家、中央官庁、政党などの役割のはず。
ともすれば、高学歴や家柄だけで何やら畏敬の念を持ってしまう私たち日本人。
でも今は、彼らがおばあちゃんの嘆きをしっかりと受け止める、その資質を持っているか、いないのか?!
わたしたち日本人は、その事を問い続けなければならないのではないでしょうか?

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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