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星の金貨 東日本大震災や音楽、語学、ゴルフについて語るブログです。

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『物流』ニッポン

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所要時間 約 4分

このたびの震災で明らかになったのは、日本という国の機能を『物流』が大きく支えていた、ということでした。

災害を受けた地域・人々を一番苦しめたのが、この物流の途絶だったからです。

スーパーなどで商品が販売できなくなったのも、宮城県内を中心にガソリン・灯油が手に入らなくなったのも、この他この時代の人々が思いもしなかった『モノ不足』に陥ってしまったのは
生産拠点→(運送)→物流拠点→(運送)→消費地
という、物流のシステムが破壊されてしまったからでした。

人々の消費にとどまらず、トヨタ自動車が磨き上げて来た『ジャスト・イン・タイム』という生産方式も、実は精密な物流システムに支えられていたため、今、世界中で自動車の生産が滞ってしまっています。

この物流、戦争時には「兵站(へいたん)」という言葉で表現されます。そして、日本人が苦手とするのが、この兵站であったと言います。

第二次世界大戦では、日本と米国が太平洋上を舞台に死闘を繰り広げました。武器や燃料が無ければそもそも戦闘などできない、と考えたのがアメリカ人で、その場所に行ってしまえば後は工夫と精神力で何とかなる、と考えたのが日本人だったと言われています。
この考え方で大いに迷惑したのが、日本軍に占領されたベトナムやフィリピンでした。特にベトナムはフランスの植民地であった頃から食料自給ができず、フランスが外から食料を持ち込んでいました。
フランス軍の代わりにベトナムを占領した日本軍は、軍の食料を『現地調達』で賄おうとしました。もともと自給できていない国民から食料を「徴発」したため、2万人のベトナム人の餓死者が出たと言われています。

フィリピンでも似たような状況で、日本軍が現れると国内から食料が消え、アメリカ軍が現れると国中に食べ物が行き渡りました。日本軍がフィリピンで負けたのは、この食料問題で現地の人の対日感情が極度に悪化したためだと言われています。

もっと昔では、豊臣秀吉がこの兵站の天才でした。秀吉は、個人的勇気や兵の強さにばかりを頼る一方、この兵站を軽視した敵が自ら弱って行くのを待って、あまり直接的戦闘には依らず次々降していったのでした。

しかし、日本人の精神主義、今度の大震災では『日本人の美質』として、震災直後から世界各国から賞賛されました。すなわち大災害の後、世界各地で見られた略奪や奪い合いが起きなかった。どころか、東北の人々は互いに譲り合い、互いを思いやりながら震災を乗り切っている、というものでした。確かに、震災直後から略奪・放火などが起きてしまっていたら、復興どころか、治安の回復に多大の日時を要し、人々の暮らしはさらに大きなダメージを受けてしまっていたに違いありません。

しかし、兵站の問題は長期にわたる課題です。今回の災害でも、『物流』の回復が、計画的なものではなく、すべて業者等による自発的なものであったため、地域間での格差、極度に足りないものと余ってしまっているもののアンバランス、といった問題も起きてしまっているようです。物資などが未だに不足している避難所などでは、疲弊によって人の心も荒みはじめる兆候が現れている、言います。

せっかく世界中の人々が賞賛した『日本人の美質』も、為政者や行政組織などの冷静で的確な計算に基づく物流・行政サービスなどの回復が無ければ、どんどんすり減ってしまいます。

そういう意味でも今、日本の政治・行政には『人々の心がすり減ってしまわないよう』精一杯の取り組みを望みます。
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今の人には理解できないだろう、なぜビートルズがそんなにすごかったか?!

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所要時間 約 2分

今の人には理解できないだろう、なぜビートルズがそんなにすごかったか?!

先日、『何でも鑑定団』を見ていて、ビートルズ日本公演のチケットの鑑定をしたジョン・レノンそっくりづくりのおじさんが、「ビートルズは私の命そのものですから...」と言っているのを見て、ああ、ここにもいるんだなぁ、とつくづく思いました。
何でもそろってて、街中がシャレたデザインのものに埋め尽くされ、世界中の音楽を何でもリアルタイムに楽しめる今を当たり前と感じる人には、能力の有る無しとかではなく、あの衝撃は感覚的に理解できないと思います。

その衝撃を疑似体験する方法があります。
まず、次のニッポンの童謡を3曲続けて聴くか、歌うかしてみてください。

◇ 七つの子
「かぁらぁすぅー、なぜなくのぉー、カラスはやーまーにー...」

◇ 青い目のお人形
「あぁおい目をしたおにんぎょはー、アメリカ生まれのセルロイド...」

◇ 雨降り
「あーめーがぁふーりまぁす、あーめーがふぅるー、あーそびにゆぅきたし、かさぁはーなーしー....」
(わたしたち、小学校ではほとんどこんな歌ばかり歌わされて、うなだれてばかりいたのです)。

そしてこの後、ビートルズの「抱きしめたい」か「シー・ラヴズ・ユー」か「キャント・バイ・ミー・ラヴ」を聴きます。

ね、すごいでしょ?!

我々1950年~60年代生まれの人間は、こういうのを「ゴキゲン」と言います。
(1950年代の生まれでも、自分たちのことをオヤジとかオッサンなんて、言いませんよ。
言われていい気持ちの人もいるのかもしれませんが、私はそうではありませんので...)

青年だったビートルズと少年だった自分。
それをわざわざ加齢臭で汚してしまうことは無いでしょう ?

マネの絵

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所要時間 約 2分

生まれてはじめて、この絵を画集で見た時 - 中学生か高校生の時だったと思いますが、
「なーんだ、見た通り描いてるだけじゃないか...」
と思って、マネについては自分にとって『つまらない画家』の分類に放り込んだままでした。
大学生になって、新宿の伊勢丹百貨店本店で大規模な印象派絵画展が開催され、この『フォリー・ベルジェール劇場のバー』の実物がやってきました。展示の目玉の一つだったと思います。

私はこの絵の実物の前に立った時、その美しさと迫力に圧倒されたまま数十秒間動けなくなってしまったのです。

絵の中央に立つ女性の物憂い表情が、まさにすぐそばで息づいているような生命力がありました。

実はこの絵をはじめて見た画集というのは、美術の教師だった母が買い求めた当時世界最大の大きさと高度な印刷技術を誇る画集で、現在ではここまでの大きさのものは市販されていません。
にもかかわらず、実物と画集の間には、計り知れない程の違いがあることを思い知らされました。

以来、絵だけは本物を見ない限り解らない、と思うようになったのです。
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プラス思考はムズかしい…

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所要時間 約 3分

私は良く、『マスナス思考』だと指摘され、「何とかなるものなら、なんとかしなさい !」と叱られます。叱るのはもちろん、我が家の奥さん。

今度の震災で断水が一週間ほど続き、トイレの水には特に苦労したおかげで、風呂の残り湯をそのまま捨てることができなくなりました。
我が家の風呂は、夜間電力を使用して電気温水器で暖めたお湯を供給する方式のため、一回限りで全部捨てなければなりません。
夜間電力が格安である一方、昼間の電気料金が一般料金より割高になっているのです。「洗濯機で使えば ?」と言われそうですが、風呂は一階、洗濯物を二階バルコニーに干す都合から洗濯機は二階にあるのです。

仕方が無いので、暇な時間を見つけては洗車に使ったり、黄砂で汚れたバルコニーを洗ったり、狭い庭の水やりに使ったりと、風呂の水を汲んだ重いバケツを手に、家の内外を右往左往しています。
仙台市の下水処理施設が地震で損害を受け、処理能力が大幅に低下している折、できるだけ汚水が下水に流れ込まないよう、工夫もしているつもりなのですが......
これまで捨てるだけだった風呂の残り湯を、可能な限り活用しようとしているのです。

つまりこれまで価値ゼロだったものに、プラスの価値が生まれる訳です。
「一種のプラス思考でしょ。」
と言ったら、奥さんがあっさり、
「ただの貧乏性じゃないの?! 」
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经常有人对我说 「如果想让事情变好得话,那就要好好做。」。并说我是消极思维。
说这话的人当然是我的妻子。
这次由于地震,我家的停水生活一直持续了一个星期。由于洗手间用水量大,所以浴池中的洗澡后用剩的水就显得非常珍贵。
我家的浴池采用的是通过夜间电力加热电温水器方式来供应热水,因此每次使用完后必须全部放掉。
虽然夜间电费价格非常便宜,但是白天的电费要比普通的贵好多。也许有人会说那就用它来洗衣服吧。可是浴池在一楼,而
由于洗好的衣服要在二楼的阳台晾晒,洗衣机也放在二楼。如果用它来洗衣服的话,非常不方便。
没有办法,只好用在闲暇的时候的洗车,清洗被黄沙弄脏的阳台,或用在狭窄的院子里浇水等处。而每次都要提着盛满洗澡水的沉重的水桶在屋里屋外忙来忙去。

这次的地震使仙台市的下水处理设施受到损伤,处理能力大幅度下降。这时候就需要我们想办法,尽可能减少污水排放。有效地利用平时洗完后就放掉的洗澡水,也是一种好的措施。

也就是说,通过努力,把本来是没有价值的东西,使它变得有了价值。
「这是一种积极思维吧」
当我对妻子这样说时
她马上回答我说
「这不就是单纯的节省吗」

私たちが決して失ってはならないもの

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所要時間 約 5分

電気が回復したその日から、私は世界がの大震災をどのように報道しているのか気になり、アメリカABC、同NBC、同CNNの毎日のニュースをチェックしていました(Podcast -ABC、NBCともにその日の報道番組をフルバージョンで毎日更新し、放送後すぐに無料配信しています)。

このたびの大震災をABCは〈Pacific Disaster〉、NBCが〈Disaster in Japan〉と表現しています。
Disasterという単語は「天災、惨事」などの意味を表しますが、ニュアンスとして「思いがけない不幸」という意味を持っています。

今回の災害では、特に沿岸部の人々はこれ以上失うものが無いほど、すべてを失ってしまいました。
しかし、震災後すぐに日本に飛んできたABCの看板キャスター、ダイアン・ソイヤーさんは宮城県の災害地に足を踏み入れ、思いがけない体験をします。

無惨な廃墟の中をリポートしながら進むうち、被災し野外でたき火をしながら暖をとっていた3人ほどの家族に声をかけられます。
「腹、減ってないかい? ほら、これ食べな。」
と言って、大きなせんべいか何かを差し出されます。

ダイアンさんは
「いや、これはあなた方にとって貴重な食料だから、あなた方が食べてください。」
といって遠慮するのですが、被災者家族は
「いいがら、いいがら...」
と言ってダイアンさんに持たせます。

ダイアンさんは
「自分たちが被災者なのに、通りがかりの他人にすら、乏しい食料を分け与えようとする日本人の思いやりの深さ」
について、驚きを持って語っていました。

また、NBCの看板キャスター、ブライアン・ウィリアムズ氏は番組で三陸沿岸部の高齢者の被災者が
「次にくる世代の若者、子供たちのために、高齢者と言えども何としても立ち上がらなければならない。」
と語っていることを紹介し、自分たちの不幸を嘆きながらも、まわりのことを思いやる姿を感動的に伝えています。

ブライアン氏は「我々のもっとも近しい同盟者・日本」という表現の中に、日本人に対する「誇り」について、万感を込め、
「1日も早く、立ち直ることを願う」この他、英国やフランスの報道も決して略奪などに走らず、スーパーなどの前に整然と並び、自分の順番が来るのをじっと待つ姿を賞賛とともに伝えていました。

また世界中のメディアが今も福島第一原発の「内部で働く人々」の、「犠牲的精神」について報道しています。

しかし、沿岸部にすむ知人は、津波の後、車が突っ込んで外のガラスが割れてしまったコンビニに入り込み、商品を不法に持ち出した近所の人が「今行けば穫り放題だぞ」と触れ回っていたのを目撃しています。

別の知人は地震の翌日、仙台市内の中心部で「おにぎり2個800円」で売っていた人間を目撃しています。

震災後、様々な場所で様々なドラマが繰り広げられたことでしょう。

ちょっと話が逸れます。

日本では行われませんが、欧米、特にアメリカでは「大人になる」ということは〈Identify〉が終了すること、とされています。
つまり、「自分はこういう人間である。」という自己規定が、様々な面で完成することだと考えられています。
オレも酒が飲めるようになった、煙草が吸えるようになった、などという気楽なことではないのです。

図らずも、この大震災の後、アメリカABCやNBCが「どんなときでも、人を思いやることを忘れない東北日本人」の姿に、光をあててくれました。

こうした姿に対する人間としての誇り。
これこそを、わたしたち東北人の〈Identify〉にしたい、と思うのです。

実は阪神大震災のとき、被害に会った関西の人からメールをもらいました。
「このたびの震災に立ち向かわれている東北の方々の姿を、心から尊敬しています。」
これこそが、未来永劫私たちが決して失ってはならないもの、なのではないでしょうか ?
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リロイ・アンダーソンのすすめ – 音楽で心からいやされるために –

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所要時間 約 6分

大震災直 後、3日目にやっと電気が通じたときまず飛び込んできたのは、津波の被害を受けた被災地の悲惨な光景を映し出したテレビ映像でした。
恐ろしい数の人々の死 が明らかになっていました。
自分の心を落ち着かせたくて、何か好きな音楽を聴こうと思い、自分が持っているヴィヴァルディからフイル・コリンズのソロ・ア ルバムまで、数百年間の作品をおさめた数千枚のCDを見渡しました。
いったいどんな音楽が今、私たちを慰めてくれるのか、いやしてくれるのかを考えまし た。
真っ先に目がいったのが、フォーレ(フランス 1845-1924)のレクイエム(鎮魂歌)やブラームスのドイツ・レクイエムなどでしたが、聴きながら歌詞を見てみると歌詞が聖書から採られているた め、何となくしっくりきません。
悲愴な曲は悲しみの淵にそのままとどまるような気がして、かといって徒らに明るい曲も受け付けません。
いろいろな曲を改めて聴き直していたとき、普段から好きで目につくたび買い込んでいたアメリカの近代現代の作曲家、リロイ・アンダーソンの作品をおさめた数枚のCDに目がいきました。
リロイ・アンダーソンについては、wikipediaにも詳しい経歴が載っていますが、その作品は「リロイ・アンダーソンの○○○」とは知らなくとも、戦 後生まれの日本人なら、二度や三度は必ず耳にしています。
小学校などの運動会で必ずかかるといっていい『トランペット吹きの休日』をはじめ、ブルー・タン ゴ、タイプライター、シンコペイテッド・クロック、ワルツィング・キャットなどは本当に親しみやすい、聴いていて思わず微笑んでしまうような心の和む作品 です。
私個人は紙ヤスリの絶妙な「演奏」を楽しめる『サンドペーパーバレエ』が大好きです。
これらの作品はアメリカがもっとも幸福だった時代、1945 - 50年代を中心に作曲され、発表されました。第2次世界大戦が終了、アメリカは世界の工場として躍進を続けていました。
ベトナム戦争はまだ始まっていない ために社会が不安・不条理に苛まれてはおらず、人々は何よりも家庭・家族を大切にし、穏やかに豊かに暮らしていました。
その雰囲気がそのまま音楽として結 晶しているのが、リロイ・アンダーソンの作品たちです。
絵画では同じ時代ノーマン・ロックウェル(1894年 - 1978年[http://www.nrm.org/で実際の作品をご覧ください])が活躍していました。
彼の作品もまた、Good Old Days - 古き良き時代 - 特に少年を描いた作品に傑作が多い - を見事に描ききっています。
チャイナ・ドール、ペニーホイッスル・ソングといった曲を聴きました(ペニーホイッスルとは駄菓子屋などで売っているおもちゃの笛。どちらも子供の小遣い で買えるおもちゃのこと)。
リロイ・アンダーソンの曲を聴くと、人はやさしい家族に囲まれた幸せな少年少女時代の記憶をよみがえらせます。温かい家庭、お 茶目な友人たち、活気ある人々にやさしい街......
今度の大震災では沿岸部を中心に、多くの震災孤児が生まれてしまうことが危惧されています。
私たち大人は自分たちの生活の復興と同時に、父親を、母親を、 あるいは両親ともに亡くしてしまった子供たちの将来のことも考えていかなければならないと思います。この子たちが、もうこれ以上の不幸を背負い込まないよ う、社会も、私も全力で応援する必要があります。これから再構築する社会が、失ってしまった社会よりも少しでも良いものであれば、私たち自身も幸せになれ るはずです。
そう思ったとき、はじめて自分の心が平衡を取り戻したような気がしました。今度のような大災害に見舞われたとき、人間は自分だけを癒そうと思っても、癒されることはないのだと思います。
機会があればぜひ、人を自然とやさしい気持ちにさせてくれるリロイ・アンダーソンの音楽を聴いてみてください。

※下記のサイトでリロイ・アンダーソンの作品の演奏を見ることができます。演奏の質はあまり高くはありませんが、「ああ、この曲なら知っている」という曲があると思います。
♣ トランペット吹きの休日
http://www.dailymotion.com/video/xfbrw6_bugler-s-holiday_music
♣ タイプライター
http://www.dailymotion.com/video/xfbsc1_the-typewriter_music
♣ ワルツィング・キャット
http://www.dailymotion.com/video/xfbr81_the-waltzing-cat_music
♣ ペニー・ホイッスル・ソング
http://www.dailymotion.com/video/xfbrp3_the-penny-whistle-song_music
♣ サントペーパーバレエ
http://www.dailymotion.com/video/xfbrzq_the-sandpaper-ballet_music

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我が身の至らなさを恥じる朝

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所要時間 約 3分

大震災から2週間、忘れもしない金曜日の午後でした。当時若林区の海岸線から内陸に6kmほどのところにいた私は、建物の中で地震に遭遇しました。

私は大きなフロアの真ん中にいましたが、建物が大きく揺れ、耳をつんざく破壊音が連続し、鏡で確認はしなかったものの顔面蒼白で、とにかく倒れないようにもう一人ち肩をつかみ合いながら足を踏ん張っていました。

3分ほどの揺れがいったん収まった後、建物内に他に倒れている人がいないか確認した後、外に飛び出しました。

駐車場の敷地には地割れができ、そばに避難していた人が「この地割れが地震の間、ずっと開いたり閉じたりしていたんです。」と興奮して話していました。

カーナビのテレビをつけていた人がいて、数人の人が「津波が来る!!」と言い騒いでいます。
各自とりあえず、自分の車に乗って自宅に戻る事にしました。

幸い、仙台市中心部に近い丘の上にある私の自宅は、さほどの被害も無くて済みました。

しかし、沿岸部はそうはいきませんでした。概要はすでに繰り返し報道されていますが、全容については『つかみようが無い』ほどの被害を受けています。

しかし、被害の実態が徐々に明らかになる一方、被害を受けられた方々の分別ある行動の数々もメディアに取り上げられるようになりました。
アメリカABCテレビの有名なニュースキャスター、ダイアン・ソイヤーさん(女性)もすぐに日本に来て、被害の深刻さと福島第一原発の問題を報じる一方、被害に遭いながらも『互いに相手を思いやる』行動が、この地の日本人には『際立っている』ことを現地からレポートしていました。

災害からちょうど2週間がたち、津波の被害を受けなかった地区では復興も進んでいます。
物流も徐々に回復し、震災後はじめて商品の納入が行われた大型店舗もあります。震災後2度目の金曜日の朝、各地区で営業を再開したガソリンスタンドに車が長い列を作り、朝の通勤ラッシュがかつて無い程ひどくなったりもしました。

徐々に大震災の前の日常が戻って来つつあります。
しかし、それとともに私には気がかりな事があります。

自分で言うのもなんですが、震災を受け、少し『自分』が変わったように思います。
誰かと接する時、その人の痛み、悩みについて考えられるようになったこと。
日常の中で起きる不愉快なことも、些細な事柄には目をつぶれるようになったこと。
様々な欲、体面について、ムリをしてまでそれらを何とかしようとは思わなくなったこと。
等々です。

しかし、かつての日常の復活とともに、ふたたび欲や体面などに振り回されるようになってしまったら...
震災後、なお生きることを許された人間の一人として、真剣に考える必要がありそうです。

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大切だった人が、心の中に住まう日が来る

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所要時間 約 2分

私は40代のとき、いわゆる「過労」で倒れ、ごく短い間でしたが、記憶を失ったことがあります。

そのときの恐怖は、たとえようのないものでした。

記憶が無い、ということは人生が無いのと同じだということを痛感しました。

今度の大震災では、津波が数えきれないほどの命を奪いました。

一瞬にして、多くの「人生」が「無」になってしまいました。

本当に痛ましいことです。

でも、逝ってしまわれた方々の人生を、「無」のままで終わらせない方法があると思います。

逝ってしまわれた方々のことを、思い出として心の中に大切にしまっておく。

そして、折に触れ思い出したとき、一緒にいたときの幸せをかみしめることだと思います。

私も、大好きだった祖母を中学生のときに病で亡くしました。

大切な人を亡くす、ということは、悲しみではなく、恐ろしいほど虚しい喪失感に襲われるということでした。

でもいつの日からか祖母はお墓の中ではなく、私の心の中に住まい続けています。

私の手を引いて、夕暮れの町を歩く祖母。

そのことを思い出すきっかけは決まってなどいませんが、優しく手を引かれて本当に幸せだったことを思い出します。

その思い出が私に「人間」を取り戻させてくれたことが、何度あったことか。

もうすぐ私は祖母が亡くなった年齢を超えることになります。

でも、祖母が大切に守ってくれていた幼い私と祖母は、いつまでも私の中に住まい続けることでしょう。
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私たちみんな、『星の金貨』をもらおう

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所要時間 約 5分

ドイツの有名な、というより世界でもっとも有名な童話作家であるグリム兄弟に『星の金貨』という作品をご存知でしょうか?

物語の内容は、何かの理由で(作品中では触れていません)父も母も死んでしまい、お金もなく、住む家もない女の子が、道をさまよい進むうち、困り果てた人々に次々に出会います。

女の子はそれらの人々に出会うたび、たった一つ持っていた食べ物である一切れのパンから始まり、着ているものまで次々と与えてしまいます。

女の子はその都度、相手に「神さまのお恵みが、ありますように」と祈りを捧げます。

最後に女の子は下着まであげてしまい、全くの裸になってしまいます。

女の子はこのとき、神様に直接祈りを捧げます。

「私には何も無くなってしまいました。でもこれで良かったのですよね。」と......

実は私は小学生低学年のとき、初めてこの物語を読んで、あまりの犠牲的精神に驚きあきれ、「そこまでしなくたって、いいじゃないか?!」と、少々腹を立ててしまったことを覚えています。

でも物語ではこのとき、星が美しく瞬き、少女のまわりに空からたくさんの金貨が降ってきます。いつの間にか立派な服も身に着けていました。

少女はこの後、この金貨のおかげで死ぬまで幸せに暮らしました。

めでたしめでたし......

というお話です。

私たちはこれが物語であり、こんな犠牲的精神を持った人間など実在しないと考えています。小学生だった私ですら、読み終わった後、どんなにほめられることをしても、「空からお金が降ってくるはず
がないだろ」と思っていました。

どころか、その頃は子供の知恵でよかれと思ってやったことが、思いもかけない結果をひきおこし、金貨の代わりに、げんこつが降ってくることがしばしばありましたので...

しかし、この大震災のさなか、確かに少女と同じ精神(こころ)を持った人がいたことに、驚かされることになりました。

震災翌日、テレビの報道でしたが、石巻の方でがれきの下敷きになっていた高齢の女性が助け出されたとき、この女性は助け出してくれた救助隊員にこう言って謝ったのです。

「ご迷惑をかけてすみませんでした。あなた方は他にもっともっと、行かなければならないところがあるのに...」

この言葉には、

『私はもう大丈夫だから、もっと本当に助けを必要とする人のところに行ってあげてください。』

という願いが込められています。

この女性は助けだされたばかりで、家族の安否すら確認できていなかったでしょうし、凄まじい恐怖を何度も味わっていたことでしょう。にもかかわらず、まずこの言葉が出たということは、この女性が星の金貨をもらった少女と同じ精神(こころ)を持っている、ということではないでしょうか。

この女性ほどではなくとも、この大震災で苦しんでいる人々に、たくさんの人が『何かしてあげたい』と考えておられることでしよう。

私たちは震災当日から毎日一度、あおい薬局のお客さまで一人暮らしをされている方のお宅を回り、声をかけて回るようにしています。

薬剤師である妻は体調を崩された方には夕食を作って、届けながら様子を確かめています。そのとき、かけていただく感謝の言葉が私たちの心を限りなく和ませてくれるのです。

繰り返される悲惨なニュース、いっこうに解決しない福島の原発、そして明日からの生活の不安。そんな中、かけていただく感謝の言葉は、私たちにとっての星の金貨です。

少女の金貨に比べれば、はるかに少なく小さい金貨ですが、私たちが今、生きるための支えの一つになっています。

被災地にいる私たちにはつらいことが、今も、これからもたくさんあるに違いありません。でも、その中であなたが、あなたにとっての星の金貨を少しずつ受け取ることができたなら、あなたはきっと、つらくとも心豊かに生きていけるはずだと思うのです。

そしてそうした星の金貨が生まれてくれば来るほど、私たちの東北は、日本は、今までよりもっと良い社会になっていくと思うのです。

そして、つらい方、苦しい方は我慢せず、まわりの人に相談すれば良いのです。

支えることで支えられる、そのことが今回の大震災でつくづく解りましたから......

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こんなときだからこそ、あおい薬局をご活用ください。

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所要時間 約 1分

大震災はやってきました。痛恨の極みですが、これはもう動かしようの無い事実です。これからは、みんなで一日でも早く復興・復活に向け立ち上がらなければなりません。
でも、それがすぐにはかなわない方もたくさんいらっしゃるでしょう。持病や障害をお持ちの方をはじめ、様々な理由ですぐには動け出せない方もたくさんいらっしゃると思います。
さらには年齢などのことも考えると、これからの健康が気がかりだ、とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
そんなとき、このブログとあおい薬局をご利用ください。
いろいろな不安など、体と心に関するご相談、いつでも受けつけています。ちょっとしたアドバイスも可能かと思います。
こんなときだからこそ、あおい薬局をご活用ください。

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このサイトについて
ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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