東日本大震災の「被災者」である私たちには、むしろこれから数多くの試練が待っています。被害の内容が明らかになるにつれ、立ち行かなくなる会社が出てきています。すでに従業員の解雇に踏み切らざるを得なくなった企業が2、3にはとどまらなくなっています。
しかも4月7日の夜中、2度目の大地震が宮城県を襲い、復興に向けて動き出していたライフラインを再びずたずたにしてしまいました。
しかし、大震災で亡くなられた30,000人近い方々のことを考えれば、何度地震が襲って来ても私たちは立ち上がらなければなりません。
ちょうど70年前、英国で同じようなことがありました。
1940年、西ヨーロッパに侵攻したドイツ軍はたちまちのうちにオランダ、ベルギー、フランスを席巻、イギリス軍・フランス軍を主体とする連合軍を海に追い落とします。ヒトラーは英国にも降伏を迫りますが、英国は拒否。ヒトラーは英国上陸作戦を標榜、同年7月の英国船団、飛行場への航空機攻撃により、英国・空の戦いが開始されました。
当初ドイツ軍は英国の戦闘能力を奪って降伏を迫るため、軍事施設に的を絞って攻撃しました。しかし、英国のベルリン報復爆撃に激怒したヒトラーの命令により、8月末になってロンドン市街の無差別爆撃に切り替えます。
この日からロンドン市民の長い苦しみが始まりました。
ドイツ軍は爆撃機・戦闘機あわせて1,700機で来襲するなど,毎晩のようにやってくる爆撃機の編隊は、ロンドン市街のありとあらゆる場所に爆弾の雨を降らせ、犠牲者がうなぎ上りに増え続けます。人々は地下鉄の駅構内や地下壕に退避、イギリス空軍が迎撃に向かいますが、敵味方ともに損害が激しく、まさに予断を許しません。