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米国の核戦争実施計画、その立案者が告発する!《4》

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『敵』の鼻先で実戦さながらの軍事演習を行うことなどは、きわめて危険で愚劣な挑発行為

直接軍事行動を起こすと脅迫することは賢明な選択ではない、それが北朝鮮危機に対しキューバ危機から引き出せる教訓

 

デモクラシー・ナウ 2017年12月5日

ホアン・ゴンサレス :
キューバのミサイル危機は、恐らく歴史上アメリカ合衆国が核戦争に巻き込まれる危険性が最も高くなった瞬間だと思われますが、ここで改めて当時のケネディ大統領の演説の抜粋をご紹介します。

 

ジョン・F・ケネディ大統領:
「親愛なる国民の皆さん、おはようございます。
私たち合衆国政府は約束どおり、キューバにおけるソ連軍の軍備増強の状況について監視を続けています。
これまでの1週間、このカリブ海の島に一連の攻撃用ミサイル発射設備が建設中であるという事実を確認しました。
キューーバに建設中の基地の目的は、西半球に対する核攻撃能力を提供すること以外にはあり得ません。」

 

エイミー・グッドマン:

そうですね、あれはケネディ大統領でした。
1962年の10月のキューバのミサイル危機の際にあなた自身が直面させられた事実についてお話しいただけますか?
当時あなたが担当していたことについて話してください。
これはあなたがペンタゴン論文を公表した数年前の出来事ですね。

ダニエル・エルズバーグ:
そうです。私は1962年10月22日、ラジオでケネディ大統領がキューバにミサイル基地が建設中であるという発表を聞いたことを覚えています。
そして私は後にRAND研究所の総裁に就任した、当時の国防次官補を務めていたハリー・ローウェンに電話して、こう話しました。
ローウェンはこう答えました。
「すぐに次の飛行機に乗ってこっちに来てくれ。」
言われた通り、私はすぐに飛行機に乗ってワシントンに向かったのです。

 

私はワシントンに飛び立ち翌朝早く、ペンタゴンに入りました。
その日、いや私が到着した日の前日から国防総省は立ち入り禁止になっていました。
私は核兵器に関する指揮命令系統の専門家としてであり、キューバ危機の際には実際にその部分に関わる仕事を担当しました。
すなわちソビエト連邦は約30基のミサイルをキューバに設置して何をするつもりなのか?

彼らはワシントンにミサイルを打ち込める体制を作ろうとしていました。
アメリカの統合参謀本部がモスクワを攻撃するように。
設置が完了すればアメリカのどこでも攻撃目標に設定する事ができます。

しかし約30基のミサイルだけではアメリカの報復攻撃を阻止する事は不可能です。
すでにお話しした通り、そんな事をすればアメリカはソ連と中国のすべての都市に対して迅速に2万5,000発の核ミサイルによる報復攻撃を実行する事になります。
そんなことはソ連側は望んでいないでしょうが、それでも彼らは何かをやるつもりなのだ…。

 

彼らはワシントンにミサイルを打ち込める態勢を作ろうとしていたのです。
アメリカの統合参謀本部がモスクワを攻撃する計画を作成していたように。
設置が完了すればアメリカのどこでも攻撃目標に設定する事ができます。
しかし約30基のミサイルだけではアメリカの報復攻撃を阻止する事は不可能です。
すでにお話しした通り、そんな事をすればアメリカはソ連と中国のすべての都市に対して迅速に2万5,000発の核ミサイルによる報復攻撃を実行する事になります。
そんなことはソ連側は望んでいないでしょうが、
「それでも彼らは何かをするつもりなのだ…。」

私はその週、働きづめに働きました。
幾晩かは、私はポール・ニッツェ国防長官の執務室のソファで眠りました。
キューバ危機の間、私は複数のタスクフォースに所属していました。
執行委員会、EXCOMM(国家安全保障会議)などです。

 

翌年になってから私はキューバ危機の際、何が起きていたのかを徹底的に調査しました。
すべての側面について、国家の最高機密以上の情報にもアクセスしました。
しかしキューバ危機について最も重要ないくかの事項は未解明のまま残りました。
それらは何十年もずっと答えが出ないまま今日まできました。

 

今思っているのは、当時私が考えいたのとは逆のことです。
今日の北朝鮮危機とは異なり、ケネディ大統領とニキータ・フルシチョフ・ソビエト連邦書記長は始めから武力衝突に発展させるつもりは全くなかった、それが結論だと思います。
双方とも絶対に武力紛争に踏み出すことはしないと決心していたのであれば、やっていたのはキングコングのように自分の胸をドラミングして、ただ単に相手を威嚇していただけなのだと考えられます。
それがキューバ・ミサイル危機の真相だったのです。

しかしその脅威に真実味を帯びさせるために、フルシチョフは、アメリカ側がソ連はまだ装備していないと思っていた核ミサイルを搭載した潜水艦を、アメリカ本土を攻撃可能な水域内を航行させていました。
ソ連側はいざとなれば海中に潜ませていた潜水艦を一気に海面まで浮上させ、核ミサイルを発射させる準備を進めていたにもかかわらず、アメリカ海軍はその事実を把握できていませんでした。

 

一方、ケネディ大統領はまるで実戦訓練のように軍隊を動かしていました。
事実、危機が勃発する直前、アメリカ軍はキューバ侵攻の軍事演習を行っていました。
ただし演習時、キューバ侵攻演習とは言っていませんでした。
演習は『Ortsac』という作成名が付けられていましたが、フルシチョフはそれがカストロという名前のアルファベットを逆に並べたものであることをすぐに見破りました。
「子供の時分、よくそんな遊びをしたものだ。」

 

しかしアメリカは本気でキューバに侵入すると脅していました。
キューバ人が核兵器を戦争を抑止するための道具として手に入れようとすれば、アメリカはキューバに侵攻すると脅していました。
今日、金正恩に対し抑止力としての核兵器開発を諦めさせるために軍事侵攻を試みることは最良の選択とは言えません。
しかし当時、私たちはまさにそうしたやり方をしていたのです。

ホアン・ゴンサレス :
確かあなたは著作の中で…

 

ダニエル・エルズバーグ:
私が学んだもう一つのこと、それは『敵』の鼻先で実戦さながらの軍事演習を行うことは非常に危険な行為だということです。
私たちは今説明したような軍事演習をやったがために、世界全部を破壊してしまうほどの戦争が始まってしまう直前まで行ってしまいました。

 

ソ連側の核兵器を搭載した潜水艦もそうです。この潜水艦は2人の指揮官によって操船されていましたが、彼らは急浮上して核ミサイルを発射するための前段階として、実際に海中深く潜行し待機状態に入っていました。
サビツキー司令官は核ミサイルをいつでも発射できるように準備させる一方、海上のアメリカ軍の駆逐艦や巡洋艦に対しいつでも攻撃できるように準備行動を命じました。
こうした一連の命令はもう一人の指揮官の同意が必要でしたが、その2人目も彼に同意しました。
こうして彼らはいつでも攻撃を始められる準備を整えました。

しかしこの海域には複数のソ連の潜水艦が潜んでおり、そこに艦隊司令官がいたことが起きるはずの現実を別のものにしました。
アメリカに対し核弾頭を装備した巡航ミサイルを発射するためには艦隊司令官の同意も必要でした。

そして艦隊司令官は否定しました。
その男性、ワシリー・アルヒーポフ司令官のおかげで、アメリカ海軍の巡洋艦が吹き飛ばされることもなく、アメリカ本土に核ミサイルが着弾することもなく、ケネディ大統領がすでに公表していたソ連への全面的な核攻撃をはじめる必要もありませんでした。
今日私たちがこうしてこの場に居られるのは、アルヒーポフ司令官のおかげでもあるのです。

 

《5》に続く
https://www.democracynow.org/2017/12/6/doomsday_machine_daniel_ellsberg_reveals_he

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