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【 時の中で凍りついたまま、核廃棄物だらけにされた町 】〈3〉

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所要時間 約 9分

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スリーマイル事故現場はシンプル、それでも廃炉に10年を要した、ならばフクシマは…
福島第一原発の廃炉は途方もなく困難な作業、いたるところに破壊、混乱があり、その規模は甚大
災害が地震と津波だけで終わっていれば、この子供たちはもっとずっと早く自宅に戻ることが出来たはず

 

ボブ・サイモン / アメリカCBSニュース 2014年4月6日

 

レイク・バレット : 母なる自然は、日本に対し巨大津波という形で深刻な警告を発しました。

昨年、東京電力はアメリカの原子力技術者のレイク・バレット氏を、特別顧問という形で迎え入れました。バレット氏はアメリカ、1979年のスリーマイル島原子力発電所事故の後、その収束・廃炉作業を直接指揮した人物です。

ボブ・サイモン:福島第一原子力発電所では事故収束・廃炉作業の完了まで30年から40年かかると言われています。専門家ではない私たちから見ると、なぜそれほど長い時間が必要なのか、今ひとつ解りかねるところがあります。私たちにも理解できるようにご説明いただけますか?

レイク・バレット:私にしてみればそれほど長いとは思えません。その程度の時間が必要になることは始めから解っていました。
これは途方もなく困難な作業なのです。彼らが収束させなければならない破壊、混乱は無数にあり、その規模は莫大です。
スリーマイルの場合、事故収束・廃炉作業には10年を要しましたが、状況は福島と比較すればきわめてシンプルでした。
福島ではやらなければならないことは複雑であり、かつ膨大です。

4号機核燃取り出し
ボブ・サイモン:さらに3年が過ぎたら、福島第一原発の状況はどうなっているでしょうか?
レイク・バレット:もちろん事態が好転していることを願っています。
数多くの課題があります…技術的な問題はもちろん、日本固有の文化に関わるもの、そして日本の政治的な体制に関わる問題もあります。
しかし福島第一原発では、徐々に光明が見え始めたと思います。
ボブ・サイモン:少々外交辞令が含まれているように聞こえますが?
レイク・バレット:そうですね、日本では決定が下されるまでの過程が非常に複雑です。

日本では重要な決定が下される場合は『合意』が求められ、『合意』が形成されるまでに時間がかかることがしばしば見受けられます。

事故収束・廃炉作業において最も困難なのは、メルトダウンを起こした原子炉の廃炉作業です。しかしその数は3基というものであり、しかも放射線強が極端に高く、作業員が現場に入ることは不可能です。

目下のところ東京電力はこのメルトダウンした原子炉近辺に流れ込み、汚染されてしまう地下水が莫大な量に昇り続けている問題に直面しています。
この汚染水が海洋に直接流れ込むことの内容、東京電力は毎日400トンの汚染水をポンプでくみ上げなければなりません。

汚染水タンク01
東京電力はさらに増え続ける汚染水を収納するための汚染水タンクをこのペースで作り続けなければなりませんが、この貯蔵タンクこそ度々汚染水漏れを切り返している悪名高い存在なのです。

さらに放射能を取り除くための大規模な作業が、福島第一原発の外でも行われています。

除染作業の結果作り出されることになった大量の核廃棄物を、全ての市町村において何世代にもわたって安全に保管し続けなければなりません。

日本国内において福島第一原発の周囲は農業地帯として知られていますが、大熊町のような場所では作物が育つ代わりに、放射性核廃棄物を詰め込んだ黒い袋が際限もなく増え続け、空いている土地に山と積み上げられているのです。
現在大熊町の子供たちのうちの数人が、100キロ以上離れた町で生活し、学校に通っています。

ボブ・サイモン:大熊町に帰りたいと思っている人は手を挙げてください。
ボブ・サイモン:どうして大熊町に戻ることが出来ないのか、誰か説明できる人はいますか?
子供: 放射線量が高いからです。放射性物質でいっぱいだからです。

都路町帰還03
事故収束・廃炉作業が終わる以前に、この子供たちは中年世代になっています
もし、災害が地震と津波だけで終わっていれば、この子供たちはもっとずっと早く自宅に戻ることが出来たはずです。
子どもたちが数十年間も故郷に戻ることが出来なくなった原因は、人間が作り出しました。

実はここは始めにご紹介した木村則雄さんの娘、ゆなさんがもし生きていればここにいたであろう、そのクラスです。
まゆさんと友人だったくれあさんは、一緒に昼食をとったことを憶えていました。

ボブ・サイモン: まゆさんは、今どこにいますか?
くれあ : 大熊町にいます。これまでずっと一人ぼっちでいて、きっと寂しいに違いありません。

大熊町の住民の3分の1程は一緒に行動することを決め、政府が『仮設住宅』と名づける施設に入りました。
しかしその『仮設』は長いものとなりました。

則雄さんの母親のともえさんは仮設住宅で独り暮らしをし、則雄さんと長女は現在そこから車で5時間ほどの長野県で暮らしています。
亡くなった家族の写真が飾られた仮設住宅の部屋は狭く、そして冷え切っています。

木村さんの家族も他の多くの日本人同様、死者を含めた家族間の強いつながり、そして亡くなった人が安らかな後生を送れるよう祈る気持ちを持っています。
そして死者の魂が冥界と現世との中間にいる限り、生きている人間と同じ感覚を持ち続けると考えています。

ボブ・サイモン: あなたはあまりに多くのご家族を失ってしまいました、なのになぜ今息子さんと一緒には暮らさないのですか?

木村ともえ:私は今、灰になってしまった夫と一緒に暮らしています。夫の遺灰をふさわしい場所に葬ることが出来れば、私も長野に行って息子や孫と暮らしたいと思っています。

ボブ・サイモン: ご主人を葬ることが出来る場所は見つかるとお考えですか?
木村ともえ:大熊町にある木村家の墓地は、放射能に汚染されてしまいました。私自身は年に2、3回なら線香を手向けるために行くことが出来るでしょうが、孫を生かせるわけにはいきません。
夫は生前孫を大変かわいがっていました。その孫が来る子も出来ないような場所に、夫を葬るのはあまりにも残酷です。

年間10回、木村則雄さんは祖先の霊を慰めるために、大熊町の中の一族の墓参りをします。
しかし木村さん自身は、行方不明のゆなさんを見つけ出さない限り、心の平安などあるはずがないと語りました。

120911
ボブ・サイモン:お嬢さんを見つける、そのことにわずかではあっても可能性はあるとお考えですか?
木村 : 可能性が非常に低いことは解っています。しかしどんなに可能性が低くても、私は娘の捜索を止めるわけにはいきません。
はたから見れば、私がまるで不可能なことを続けているように見えるでしょう。
手もたとえ永遠に娘を見つけることが出来なくとも、私はこの作業を止めるわけにはいかないのです。

 

〈 完 〉

http://www.cbsnews.com/news/fukushima-japan-disaster-three-years-later-60-minutes/
+ – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – + – +

 

福島の現状については、新たにまた以下の事実が明らかにされました。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201405/20140520_63009.html
福島の現状について語ろうとすると、一部の大手メディアから『いたずらに風評を煽る』などと言う表現により、あたかも道徳的に問題があるような指摘、あるいは攻撃を受けます。
私自身は『風評』という言葉自体、まやかしだと思っています。

鼻血が出る人もいる、出ない人もいる。
人間の体には『個体差』がある以上、そして福島第一原子力発電所程の、すなわち3基の原子炉が同時にメルトダウンするような事故を人類は経験したことが無い以上、どのような影響が現れるか、それはこれから明らかになっていく問題のはずです。

それを「そんなことは起きるはずがない」と『断定』することこそ非科学的であり、中世の魔女狩りと変わらない『底意』を感じます。

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