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【 下落が止まらない!日本の消費者物価 】

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最悪のデフレ展開、アベノミクス・日本経済復活のシナリオに危険信号

予想を超える収入の減少、一般消費者の手元に残る自由に使えるお金がきわめて少なくなってしまっている

 

ドイチェ・ヴェレ 2016年11月25日

 

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日本の消費者物価が8ヵ月連続で下落し、日本のインフレ率の低下傾向が止まりません。

8ヵ月連続での下落はこの5年間で日本経済が最悪の状態にあることを裏書きすることになり、デフレーションに歯止めをかけることが今の日本にとって如何に困難であるかを思い知らせました。

 

世界で3番目の規模を有する日本の、2016年10月の生鮮食品を除くコア物価は、相変わらず鈍い一般世帯の消費意欲、エネルギー価格の世界的な低下傾向などを受け、前年同月比で0.4%の下落を記録することになったと11月25日、日本政府の担当省庁が発表しました。

数週間前、日本銀行は日本の2%のインフレ目標の実現を先延ばしにしましたが、今回公表されたデータによれば、消費者物価の下落は10月で8ヵ月連続を記録しました。

 

安倍メディア圧力

日本の安倍晋三首相は、デフレーションの名で知られる物価の一方的下落傾向を食い止める政策を打ちだし、安倍政権の大きな目標の一つとして掲げてきました。

世界で3番目の規模を持つ日本経済は、20年以上に渡って不振が続き、デフレ圧力によって経済成長が伸び悩む状況にあります。

今回の数値もまた、個人消費が低迷し、企業が設備投資に踏み切れない状況にあることを明らかにすることになりました。

 

2012年12月に首相に返り咲いた直後から、安倍晋三氏は大規模な金融緩和と財政出動、そして構造改革とを組み合わせた経済政策アベノミクスを掲げ、日本経済を成長軌道に復帰させるとする電撃戦を開始しました。

アベノミクスの実施により、為替市場では円安が進み、それと同時に株式市場でも平均株価が上昇し、一時は日本経済復活への道が開けたかに見えました。

 

日銀黒田総裁

しかし日本のインフレ率は目標にはるかに届かず、経済成長率も何度もマイナスに落ち込むなど、現実には成果が上がっている訳ではありません。

 

▽ 長引く戦い

 

日本銀行の黒田東彦総裁は日本経済が低迷する大きな原因の一つとして、原油価格の低迷にその責任を負わせようとしました。

そして11月初旬、日本銀行はすでに目標達成を4年先延ばしにしていた2019年3月までの日本のインフレ率2パーセントの達成を、さらに無期限の先送りにしました。

みずほ証券の市場エコノミストの中心的存在のひとり、上野泰也氏は、日本のデフレーションとの戦いが

「これからも延々と続くことが予想される、長い長い消耗戦」

の様相を呈することになったと指摘しました。

 

アベノミクス01

日本銀行の目論見は消費者が支出活動を活発化させる中で、徐々に物価を上げていくというものでした。

そしてその状況が続くと確信した企業が経済活動を活発化させ、それによって景気が良くなるというものでした。

しかし現実は逆の展開となり、ここ数ヵ月で一般勤労者の収入は予想を超えて減少してしまいました。

それはすなわち、一般消費者の手元に残る自由に使えるお金がきわめて少なくなってしまっているということなのです。

 

http://www.dw.com/en/japan-consumer-prices-fall-for-eighth-straight-months/a-36518527

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英誌のエコノミストは、安倍政権は口では経済、経済と言いながら実際にはほとんどの構造改革を先送りにするなどなおざりにし、現実には緊急性が低いはずの安全保障問題や国防問題、外交問題にばかり力を入れており、その結果は国民生活が困窮して日本経済が本格的不振に陥る可能性があると、繰り返し警告してきました(【 アベ支配 】エコノミスト http://kobajun.biz/?p=29762 他)。

現実はその通りになりつつあるのではないでしょうか?

 

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【 写真でみる綴るフィデル・カストロのバイオグラフィー 】《1》

 

アメリカNBCニュース 11月26日

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1929年、3歳のフィデル・カストロ。(写真上)

 

1941年に撮影されたカストロ兄弟。左から右に、フィデル、ラウルとラモン

2006年7月31日、腸の手術を受けた後にカストロは弟ラウルを一時的な後継者に指名しました。

この時、47年間続いたフィデル・カストロの支配が終わりを告げたのです。(写真下・以下同じ)

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1943年ベレン・イエズス会高校でバスケットボールをする17歳のカストロ。

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カストロは1953年初めて当時のフルゲンチオ・バチスタ大統領のキューバ支配体制に対し武器を取って立ち上がりましたが、この時は失敗に終わりました。

1953年7月26日、自分の後に続いて民衆が反乱を起こすことを期待して、カストロは100人以上を率いてサンティアゴ・デ・クーバのムンカダ軍隊兵舎へ攻撃を仕掛けましたが、失敗に終わりました。

彼は生き残りましたたが、2年間刑務所で服役しました。

大赦を受けた後彼はメキシコに渡りましたが、キューバで闘うために軍隊を訓練していたことが発覚し、メキシコ出入国管理当局によって拘留されました。

この写真はその時、1956年12月にメキシコシティー刑務所内で撮影されたものです。

この直後カストロは釈放され、再びバチスタ政権との戦いに戻って行きました。

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1959年1月、バチスタ政権との戦いに勝利した革命軍がハバナ市内に凱旋更新した際、人々に声援を受けるカストロ。

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1959年、マルクス主義者でありキューバ革命の同志だったチェ・ゲバラとゴルフに興じるカストロ。

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http://www.nbcnews.com/storyline/fidel-castros-death/fidel-castro-life-cuban-leader-n290311

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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