ホーム » エッセイ » 【 上昇を続ける日本の子どもたちの貧困率、経済不振の最大のしわ寄せがここに 】《後篇》
「貧困問題に取り組んでも、選挙戦で票を獲得できる訳じゃない…」それが安倍首相の本音?
ともすれば貧困を辱め、攻撃対象にしたがる日本の社会
ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2017年1月17日
(写真上) 川口市の子ども食堂で食事の準備が整うのを待つ吉田さん母娘。2年前ガンになって仕事を辞めなければならなくなって以来、吉田さんは10代の3人の子供たちの養育が困難になっています。(写真: ジャスティン・マッカリー / ガーディアン)
日本で子ども食堂がこれほど必要とされている背景には、為政者たちが解決しなければならない問題が多岐にわたっていることを象徴しています。
日本政府は2013年に『子どもの貧困対策の推進に関する法律』を可決成立させましたが、専門家は貧困状態にある子供たちへの援助計画は明らかに予算不足であり、官僚的な非効率性と政治的な無関心によって支配されてしまっていると指摘しました。
「子どもたちの貧困問題にも全体的な貧困問題にも、安倍首相はほとんど関心を持っていないと私は思っています…。この問題に取り組んでも、選挙の際の得票にはつながらないという、ただそれだけの理由で。」
「政治家は常に眼前の問題にばかりとらわれているように見えます。彼らはが現在の子どもたち、そして人々がこれから40年から50年という長い期間どのように暮らしていくのかをじっくり考えることが出来ないのです。」
2013年には全国で21ヵ所だった子ども食堂は過去4年間で300カ所以上になり、そのうち約半分は過去12カ月間に開設されました。
ほとんどの子ども食堂は無料で書を久慈の提供を行っていますが、100円から300円の間で料金がかかるところもあります。親が一緒に食事をする場合は、少しだけ料金を多く支払います。
川口子ども食堂は地元の企業の寄付によって運営されていますが、付近の農家とボランティア自身が持ち寄った食材が使われています。
毎月ここで食事をする50人ほどのうち、およそ3分の1は母子家庭、父子家庭の子どもたちです。
この日、子ども食堂で食事をしている中に吉田久子さん(仮名)と2人の子供たちの姿がありました。
3人の子供を持つ吉田さんは不動産会社で働いていましたが、2年前にガンと診断され勤めを辞めなければならなくなりました。
それ以来、離婚していた吉田さんは経済的苦境に立たされることになりました。
43歳の吉田さんの子どもたちは全員が10代前半ですが、収入のほとんどは育児費用に費やされていると語りました。
「私自身は自分を貧しいと認めることは仕方がないと思っています。しかし他の多くの人々は、そうではありません。日本の社会が貧困に対し汚名を着せようとするためです。」
「私には2人の娘と息子が1人いますが、全員が育ち盛りで食欲も旺盛です。私は自宅でも料理をしますが、どうしても充分な食事を与えてあげることが出来ません。もしこの子ども食堂が無かったら、私たちの生活はもっと窮迫したものになっていたでしょう。」
特定非営利活動法人の豊島(東京都豊島区)子どもWAKUWAKUネットワークの理事長を務める栗林知絵子さんは、一日にたった1回、貧しい食事しかとれない子どもたちと出会った後、『子ども食堂』の取り組みを全国で初めて行う決心を行いました。
「私が出会った子供たちの中には、まる1日何も食べていない子供たちすらいたのです。」
栗林さんがこう語りました。
「毎日母親から昼食代として500円ずつ受け取っていることもたちもいますが、実際にはそのお金ですべてをやりくりしなければならないのです。」
「日本政府は貧困問題の深刻さを少しでも軽減するために、これまでとは比較にならないレベルでの取り組みをしていかなければなりません。しかし少なくとも今は、一般の人びとも日本には深刻な貧困問題が存在することを認識するようになり、議論もするようになりました。この機会に私たちは、きちんと日本の子供たちの将来について考えるべきです。」
日本では財政基盤に問題があるという原因で社会的に窮迫している人々とみなされることを恐れる気持ちから、貧困問題はなかなか一般の人々の目に触れる機会がありません。
こうした家庭が子供たちに外見上普通と変わらない服装をさせることや、高額な修学旅行の費用を賄うためには、気の遠くなるような努力が必要です。
しかしこうした費用を支払った後は結局帳尻を合わせるため、食費や他の支出項目を削る必要が出てきます。
貧困線の下での生活を強いられている世帯の約半分が母子家庭、父子家庭ですが、状況は彼らに特に厳しいものとなっています。
現在のところ川口子ども食堂がオープンするのは月に一回だけですが、吉田さんのような母子家庭にとって子供たちのための大切な生活の場になっていると同時に、こうした貧困に苦しんでいるのが吉田さんたちだけではないという事を思い起こさせる機会を提供します。
「私の子供たちはとにかく食べなければなりません。」
吉田さんがこう語りました。
「私がここに子どもたちを連れてきたのはしばらく前のことですが、子どもたちはすぐにこの場所が好きになりました。子供たちはここに来ることを別に恥ずかしいとは考えていませんし、おなかがいっぱいになるまで食べることもできます。日本のように豊かな国で、未だに空腹のまま寝なければならない子供たちがいるということは正しいことではないと思います。」
〈 完 〉
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安倍政権の下、日本の防衛予算は5兆円を突破し、一機数百億円もする最新鋭ジェット戦闘機や新たな特殊部隊の配備も続いています。
目下の目的の第一は、誰も住まない無人島の防衛です。
その一方で空腹を満たすことが出来ない子供たちの数が増え続けているのです。
今の政府は莫大な政府予算を投じて、いったい何を守るつもりなのでしょうか?
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【 市民の権利を歴史に刻み続けた生涯:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア 】《6》
アメリカNBCニュース 2017年1月16日
1966年2月1日アトランタ市内のスラム街で行われたピケに加わるキング牧師と妻のコレッタ。
2人の女性が掲げているプカードは、このスラム街のアパートで毛布を配っていたヘクター・ブラックが、不法侵入の嫌疑で逮捕されたことに抗議していました。(写真上)
1967年3月16日、有名な小児科医であるベンジャミン・スポック博士(左から2番目)とベトナム反戦を訴えてデモ行進するキング牧師。(写真下・以下同じ)
1966年3月18日ホワイトハウス内のキング牧師。後ろにいるのはリンドン・B・ジョンソン大統領。
1966年4月30日のアラバマ州リスマンで行われた政治集会で演説した後、一団の女性と握手するキング牧師。
女性たちはキング牧師の手や腕をつかんだまま放そうとしなかったため、スタッフは引き離すのに苦労しました。
リスマンは近く行われるアラバマ州予備選挙で、アフリカ系アメリカ人への投票を呼び掛けるためキング牧師が訪れたアラバマ・ブラック・ベルトの9つのポイントの内の1カ所でした。
1966年6月8日、ミシシッピ州のメンフィスからテネシー、ジャクソンにかけて行なわれた220マイルに及ぶ『恐怖に立ち向かう行進』の途中、ミシシッピ州の警官隊に押し戻されるキング牧師と抗議者の一団。
http://www.nbcnews.com/slideshow/martin-luther-king-jr-n707546