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【日本は一刻も早く、原子力発電の廃止を実現すべき】[米国CBS]

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所要時間 約 16分

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国内に積み上がった高放射性核廃棄物の問題、もうどうにもならないレベルに
核燃サイクルの継続は、処理不能の高放射性核廃棄物の行き場が無い、それが本当の理由

アメリカCBSニュース 9月29日


日本の経済産業大臣が、日本は世界で最も地震が多い国の一つであるため、一刻も早く原子力発電の廃止を実現させるべきだと語りました。

枝野幸男経済産業大臣は、昨年発生した福島第一原発の事故処理費用があまりに巨額であると明らかにしました。同大臣は9月29日に書店の店頭に並んだ、今後の政権について述べた新しい著作の中でこう語っています。

枝野大臣は昨年福島第一原発の事故が最も危険な状態が続いている間、日本政府の広報官を務めていましたが、
「現代科学の粋を集めて作ったと信じていたものが、自然災害の前にはこれほど脆いものなのか」
という事を思い知らされた上で、こうした結論にたどり着いたと語りました。
「ここに到って私は、原子力発電の一刻も早い廃止を願うようになりました。」
そして続けてこう記しました。
「たとえ攻撃を受けるようなことになっても、私はこれだけは言わなければなりません。」

1億2,800万の人口を持つ日本の国土は、カリフォルニア州程の面積を持っていますが、
「原子力発電がもたらす危険を、持ちこたえることはできません。」
彼はこのように記しました。


福島第一原発からの大規模な放射性物質の漏出は、周辺の土地、木々や植物、そして作物を汚染しました。100,000を超える人々が住んでいた土地を捨てなければならなくなり、いくつかの地域は今後何年も、何十年も人が済めない場所になってしまいました。
福島第一原発を運営していた東京電力は巨額に上る賠償責任、そして汚染を取り除くための作業負担により、国有化されたのです、

一方で枝野氏は原子力発電の廃止は、一朝一夕には実現しないと語りました。
数々の『妨害』と戦いつつ、原子力発電が生み出した『負の遺産』を一つ一つ解決していくという難しい仕事をこなしていかなければならないと語りました。

最も深刻なのは、各々の発電所に積み上げられた使用済み核燃料、そして北日本にある青森県内の再処理施設に貯めこまれている放射性核廃棄物の問題です。

日本には高放射性核廃棄物の処理について、何も具体的方策が無いのです。


日本政府は、2040年までに原子力発電を段階的に廃止する計画を『検討しています』。
しかしこの計画は、積み上がる一方の放射性核廃棄物をどう処分するのか、グリーン・エネルギーをどうやって生産するのかなどの具体的なプランに欠け、財界や原子力発電所に依存する自治体の圧力に日本政府は屈してしまったとの批判を集めることになりました。

原子力発電を廃止するのであれば、青森県六ケ所村の再処理施設は必要なくなります。

同施設が高放射性核廃棄物の最終処分場になってしまう事への恐れから、青森県では今保管されている何千トンもの放射性核廃棄物を、六ケ所村からそれぞれ排出された場所に送り返す、と官民合わせて日本政府に迫りました。
もしそれが現実になれば、日本国内に17か所ある原子力発電所のほとんどは、放射性核廃棄物で一杯になってしまい、これ以上の稼働が不可能になってしまう、と枝野氏が指摘しました。
彼は大都市の大口の電力需要家は、この高放射性核廃棄物の処理方法とその費用負担について、真剣に検討すべきであると訴えています。


枝野氏はさらに、再生可能エネルギーの開発スピードを上げ、原子力発電の廃止を実現するためには、電力会社による電気事業の独占状態を解消する必要があると強調しました。

この点に関する具体的政策については、10月初めに予定されている内閣改造の後任命される、新任の経済産業大臣の手に委ねられることになるだろう、と記者たちに語りました。

与党民主党の党首に再任された野田佳彦首相は、10月1日月曜日に彼の内閣の閣僚名簿を発表することになっています。

http://www.cbsnews.com/8301-501712_162-57522902/minister-japan-must-quickly-phase-out-nuke-energy/?tag=mncol;lst;2

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見ていて胸が苦しくなってくる、その記事が上、写真が下にあります。

結局はアメリカ同様、日本でも核廃棄物の押し付け合いが起きていました。
アメリカでは政府機関と自治体の裁判になりましたが、日本では政府が青森県に屈した形になりました。
極めて危険な高放射性核廃棄物を大量に抱え込んでいながら、なおも原発を動かそうとしている、そのことを私たちは一日でも忘れないようにしたいと思います。

そして下の写真。
領土問題に絡んで、日本でも軍備拡張や戦争に言及する政治家が増えてきました。
自分たちが前線に立つことは決して無い、その前提で話をしているのでしょうが、前線=戦地の悲惨さもまた、私たちがきちんと理解しておかなければならないことだと思っています。
そうした意味で、戦場カメラマンの方々の存在というものは、人類にとってきわめて大切なものだと考えます。

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【 戦地、耐え難い傷跡、過酷な現実 】
戦争など、たとえ間接的であっても、煽ることは許されない

アメリカNBCニュース 10月2日
(写真をクリックして、大きな画像をご覧ください)

パキスタンの難民キャンプにいるアフガニスタンの少女


セバスチャン・リッチはカメラマンとして、過去30年のあらゆる大きな戦争と紛争の場にいました。
何度も負傷し、写真家、そしてテレビカメラマンとして撮影中に、誘拐され人質にされたことも一度ならずあります。

今回ワシントンのナショナル・プレスクラブの展覧会で展示された紛争地帯の子供たちの写真は、彼が国連難民高等弁務官事務所から依頼を受け撮影されたものです。
最新の作品はパキスタンのジャロザイ難民キャンプにおけるアフガニスタン難民の窮状を撮影したものです。

2012年パキスタン。国連高等難民弁務官事務所が運営する、パキスタン・ジャロザイ難民キャンプのアフガニスタンの女性のための野外教室。女性の一人が連れてきた幼い息子が私をじっと見ていた。


セバスチャン・リッチ

私がフォトジャーナリストになった理由は、このリンカーンの言葉が代わって明らかにしてくれるかもしれません。

Better to remain silent and be thought a fool than to speak and to remove all doubt.
べらべらと弁解して疑いを晴らそうとするより、いっそ沈黙を守って馬鹿なのだと思われる方がマシである

無学に近く、文字の書いてある本を読むことなどめったにない私が、表現手段として写真をとるようになったのは、ごく自然な成り行きであったのかもしれません。一枚の絵は数千の言葉を語る、という古い格言にあるように。

ボスニア、1993年。地元の牧師が国連軍のイギリス戦車の乗員と話をしている。彼は、地元のボスニア民兵と重装備のクロアチア軍との間の一時的停戦について話し合いをしていた。10分間の停戦の間に、教会関係者と私は急いでその場から脱出した。


落ちこぼれで、あえて言うなら学校から逃げ出した私は、わずか15歳の時からカメラを抱えて戦場に赴き、正面から、時には別の面から戦争というものを見続けて来ました。

それゆえこれまでの数十年間、個人的な損失と苦痛は常について回りました。何人もの友人を戦場で喪い、その正確な数を覚えてはいない程です。

私はセルビアで高性能ライフルを持った狙撃手により、右耳のほとんどと右目の視力の30%を失いました。
この狙撃手はあまり腕が良くなかったのでしょう、でなければここでこうして皆さんに、語りかけることなどできるはずは無いのですから。

2003年イラク戦争、米国海兵隊によって連行される捕虜第一号となった男たち。


私の大腸のほとんどは、ロケットランチャーの攻撃により吹き飛ばされました。私は二人のレバノン人の兵士後ろに居たため、まだしも幸運だったのです。彼ら二人は私程は運がよくありませんでした。

その後私は再びセルビアの狙撃手により、胸の肋骨を割られ、その部分は変形してしまいました。
この時は銃弾が私が着ていた防弾チョッキを直撃し、中のセラミック・プレートを破壊し、肋骨をへし折りました。
引き続いて起きた災難はレバノン、そして子音続きで非常に発音しにくい(特に私のように無学な人間にとって)名前の旧ユーゴスラビアの町で誘拐されたことでした。

私はしばしばこう質問されることがあります。
この世界の最悪の側面を見続けているのに、どうしてそう客観的な態度で撮影を続けられるのか?

ソマリア、モガディシュ族の兵士たち。戦闘直前のため私にかまっている暇が無かったが、その燃えるような目は、いつでもこのカメラマンに襲いかかろうとしているかのようでした。


私は人間という生き物は、たとえどんなにささやかなものであっても、一人一人が生きていく上での課題というものを抱えていると考えています。
私の課題は、政治的な立場は右でも左でも無く、中立的な立場で事実を記録し続けることです。
目の前の出来事を出来るだけあるがままに、しかし心の中では、いつかこのような紛争が無くなる日がやって来ることを祈りながら。
それこそが私の課題なのです。

客観性はアメリカ人の戦場カメラマンであり、私の師であり、そして友人でもあったジョン・ホーグランドにより育まれました。

アフガニスタン・ヘラートのユニセフ治療施設内にいた、重度の栄養失調に陥ったアフガニスタンの男の赤ちゃん。
その後、この子がどうなったかは確認できませんでした。


エルサルバドルの内戦の際、ジョンと私はある時、兵士に撃たれないよう一頭の牛の後ろに隠れてじっとしていました。
私の左側には腹を撃たれ、胎児の一部が外に出てしまっている妊婦の死体がありました。

ひとしきり続いた銃撃の後に訪れた静寂の中、私は体を震わせながらジョンにこう尋ねたのです。
「こんな悲惨な光景の中で、よく平気でいられるもんだ。」
すると彼はこう答えたのです。
「簡単なことだよ、セバスチャン。誰かが何か良いことをする、その写真を私が撮る。誰かが何か悪いことをする、それも写真にとる。」

そのわずか数週間後、ジョンは『何か非常に悪いこと』をしていたエルサルバドルの軍隊を撮影中、銃撃によって命を落としました。
36歳でした。

2011年アフガニスタン。ブラックホーク救急ヘリ・ヘリコプターの機上で女の子の赤ちゃんに懸命の救命処置を施す衛生兵。
彼女は、タリバンが撃ったロケット弾の破片にやられました。
ヘリコプターの中は騒音がひどく、ものを考えることすらできない程ですが、その騒音の中から赤ちゃんの苦痛の叫びがはっきりと聞こえてきました。


※セバスチャン・リッチの写真展は国連難民高等弁務官事務所の後援で、10月2日から
12日まで、ワシントンD.C.のナショナル・プレスクラブで開催されます。

http://photoblog.nbcnews.com/#__utma=14933801.520676263.1342579093.1349151217.1349231325.77&__utmb=14933801.2.10.1349231325&__utmc=14933801&__utmx=-&__utmz=14933801.1347953721.58.4.utmcsr=kobajun.biz|utmccn=%28referral%29|utmcmd=referral|utmcct=/&__utmv=14933801.|8=Earned%20By=msnbc|cover=1^12=Landing%20Content=Mixed=1^13=Landing%20Hostname=www.nbcnews.com=1^30=Visit%20Type%20to%20Content=Earned%20to%20Mixed=1&__utmk=110260869&__utma=14933801.520676263.1342579093.1349151217.1349231325.77&__utmb=14933801.2.10.1349231325&__utmc=14933801&__utmx=-&__utmz=14933801.1347953721.58.4.utmcsr=kobajun.biz|utmccn=%28referral%29|utmcmd=referral|utmcct=/&__utmv=14933801.|8=Earned%20By=msnbc|cover=1^12=Landing%20Content=Mixed=1^13=Landing%20Hostname=www.nbcnews.com=1^30=Visit%20Type%20to%20Content=Earned%20to%20Mixed=1&__utmk=110260869

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