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「ここにも希望はある」原子炉のメルトダウンから見学ツアーへ《後編》

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所要時間 約 7分

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事故後初めて福島を訪れた人々は、実際にここに人間が住んでいることに驚かされる…

それまでの人生がすべて消え去ってしまうということについて、どう理解すべきなのか解りません

 

ジャスティン・マッカリー / ガーディアン 2018年10月17日

しかし津波に襲われる以前は豊かな農産物や海産物で知られていた幾つかの町や村に、普通の市民生活と変わらぬ様子が戻っています。
今年の夏、福島第一原発の北40kmにある海水浴場が7年ぶりに再開されました。
農家は再び米や他の農作物の栽培を再開し、漁師たちが海に戻ってきました。

 

放棄された畑には太陽光発電所が建設されていますが、しかしそれも除染の際に被災地の地面の表面を削り取った放射能に汚染された土を詰め込んだ1,600万個の黒い袋がずらりとおき並べられた光景と比較すると、ごく小さく目に映ります。

 

2020年東京オリンピックの際、福島市では野球とサッカーの試合が開催されます。
福島第一原発の事故の発生後、収束作業に従事する数千人の労働者とその装備の備蓄拠点となったJビレッジも手入れされ、本来のサッカー選手のためのトレーニングセンターとして再生されることになっています。

「観光客の皆さんに来ていただいて、その目で福島の現実を確かめてほしい」

大熊町では地元で暮らす志賀修陽氏とその同僚の人々が、避難命令の解除に合わせ、来年4月の町役場やアパート、店舗などの再開を目指して懸命に準備を進めています。

 

さらに細部については未定ですが、伝統的日本家屋を改装して宿泊施設を貸し出す人向けのウェブサイトAirbnb(エアビーアンドビー)を使って宣伝する計画もあります。

2016年には52,764人が福島県を訪れ、県当局によれば3.11発生以前の訪問者数の92%以上にまで回復しました。

「事故後初めて福島を訪れた人々は、実際にここに人間が住んでいることに驚かされるようです。」
志賀さんこう語りました。

 

沿岸都市の南相馬市でホテルを経営する菅野貴弘氏は、福島第一原発や除染のための作業員の宿泊施設になっていた自分のホテルが、観光客や学校に通う子どもたちの研修旅行の宿泊施設に変わったのをその目で確かめることができました。
「福島を訪れるよう人々にすすめることはまだ難しいですが、福島第一原子力発電所の近くに住む人々が再び普通の生活を送っていることにみな驚いています。」

夫ビリー、娘シアラと一緒にこの地域をツアーしていたオーストラリアのノラ・レドモンドさんは、放射線によるリスクについて自分たちの「懸案について答えが出せた」と語り、福島第一原発の近くで数時間のを過ごしたものの、自分たちの健康について心配はしていないと語りました。
「過疎化が進んでいると聞いていたので、この場所で時間とお金を使うことは良い考えだと思ってやってきたのです。」
レドモンドさんがこう語りました。

「私は東日本大震災と福島第一原発の事故の破壊規模、つまりそれまでの人生がすべて消え去ってしまうということについて解りようがありませんでした。私たちは車であちこちを見て回りましたが、多分破壊された家は20軒ほど見たと思います。美しい木製のインテリアだったはずのものを見ましたが、それはすでに粉々にされ瓦礫に成り果てていました。それが私を襲った最も印象深いものでした。」

 

福島の被災地の住民は犠牲者であると言われると、皆心外な顔をします。
犠牲者という言い方は、放射線レベルが政府目標を下回った場所では地域内の経済活動が急成長しているという実情を無視した表現です。

原子力発電を推進している世界原子力協会はヨーロッパでは自然界に存在する放射線によって被曝する平均値が、低い場所では英国が年間2ミリシーベルト以下であり、高い場所であるフィンランドでは7ミリシーベルト以上に達しているとの見解を示しています。

 

「災害前と変わらぬ姿がこの場所や周辺の地域で再現されるまでには、これから何年もかかるでしょう。」
菅野さんが認めているます。
「それまでの間、私たちはできるだけ多くの人々にこの地を訪れてもらい、ここでの生活がどのような状況にあるかを自分自身の目で確かめてほしいと考えています。」
「そのための取り組みは今、始まったばかりなのです。」

 

https://www.theguardian.com/world/2018/oct/17/there-is-hope-here-fukushima-turns-to-tourism-after-nuclear-meltdown

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このタイミングでこの記事が掲載されたことで、福島第一原発の事故も東日本大震災も最大の問題は人間のことなのだということに改めて気づかされました。

先日、東日本大震災で最もひどい被害を受けた仙台市宮城野区の蒲生海岸に行ってきました。

かつては一般住宅が密集し、海に近い方には乗馬クラブや養魚場などがあり、野鳥を始めとする小動物の楽園だった湿原が広がっていたその場所はただの砂浜と化していました。

海岸線から内陸に切れ込んだ小さな河口湖が湿原であったことの名残をとどめているだけで、もはやいくつもの命の営みある場所ではなくなっていました。

「長い年月の中で、地形というのはこうして変わっていくのだな…」

とおもわず呟きました。

 

自然界という視点から見れば、地形はこうして数百年という単位で形を変えていく、それだけのことにすぎません。

しかしその場所で数十年の人生を過ごす人間にとっては、それまでの人生の記憶を刻んできたものが失われてしまう、奪われてしまうということは耐え難いことであるはずです。

 

東日本大震災は仕方がないが福島第一原発事故は許せない。

多くの人々がそう思っているに違いありません。

その思いを脱原発運動という形で取り組まれていらっしゃる方々に、改めて敬意を捧げたいと思います。

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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