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核兵器妄想に取りつかれたトランプ《1》

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所要時間 約 9分

幼稚な頭脳構造を持った無知で無分別な大統領が、世界に再び恐怖の時代をもたらす

終わったはずの悪夢を再び世界の人々に押しつけるアメリカ大統領

 

レベッカ・ゴードン /ル・モンド・ディプロマティーク 2017年10月31日

北朝鮮は今、世界が直面している最も緊急に解決を要する課題かもしれません。

私たちの、幼稚な頭脳構造の無知で無能な大統領は、私たち全員、特にアジアの人々を大災害に一層近づけようとしています。

北朝鮮は米国本土に核弾頭を打ち込むためのミサイルをおそらくはまだ開発していないでしょうが、韓国や日本など近距離の国家に対しては、目標を確実にとらえる能力を有しています。

 

しかし一般市民はこんな状況にどう対処したら良いのでしょうか?

核ミサイルの発射ボタンは私たち一般市民の手の届かない場所に置かれています。

私たち第二次世界大戦後すぐに生まれた世代が『最終ボタン』と呼ぶ装置を操作することになっているのは、ホワイトハウスと呼ばれる場所にいる一握りの人間たちです。

そして今その場所にいるのは、大統領執務室よりは介護施設にいるべき人間たちです。

 

それでもなお、議会で現在棚上げにされたままの軍縮に関する法案も含め、この世界を武器が支配する状況に変えさせないように、ブレーキを踏みこむ時間は残されているかもしれません。

 

一方、第二次世界大戦後に生まれた私たちの多くは現在はもう安全な世界に暮らしていると思っていたのに、過去のものになっていたはずの悪夢を再体験させられることになっています。

▽防御姿勢

 

私はアメリカが広島と長崎に原子爆弾を投下してから7年後に生まれました。

同世代のアメリカ人が皆そうであったように、私も核戦争の影が常にちらつく、もっとはっきり表現すれば核爆弾の恐怖が日常的に存在する世界で成長しました。

この当時、その恐怖は私たちにとって今では考えられない程身近なものだったのです。

 

小学校2年生だった当時、私は学校でみんながきちんと整列させられ、ある訓練を課されていたことを覚えています。

私たちは膝と肘がくっつく程姿勢を低くし、首の後ろを両手で覆い、廊下の頑丈なコンクリートの壁に体をもたせ掛けるよう指示され、みんなおとなしく言われた通りにしていました。

私は家に帰り、その碑にあったことを母に話したところ、母は嘔吐するためにトイレに走って行きました。

母の反応は、自分の娘が学校で勉強や運動ではなく、地球が消滅する日に備えた訓練をさせられていたことに驚き大きなショックを受けたためのものでした。

 

小学校の授業では、当時の米国政府が作った『一般市民』は核戦争にどう備えるべきかという映画を見せられました。

自宅の庭に作った簡易型の核シェルターには、緊急時の食料として少量で良いから缶詰食品を備えておくようにといった類いの内容です。

映画は若く美しい白人の母親らしい女性が、シェルター内の食器棚に缶詰をしまう様子を映し出しながら、ナレーターが缶詰は放射能汚染から食料を守ってくれると説明していました。

しかし少量の缶詰を食べ尽くした後、その後どうやって生きのびることかできるのかについては、説明はありませんでした。
別の映画は、最寄りの地下核シェルターの場所について常々確認しておくようにとか、爆弾が投下された際の防御姿勢について具体的に説明する内容のものでした。

1961年までに私たち家族はニューヨーク州の農村地帯からワシントンに引っ越していました。

私の母親は新しく誕生した平和部隊で仕事をしていました。

ワシントンは私にとって初めての街でしたが、街中至る所に黄色を黒で縁取った核シェルターの表示が掲げられていました。

私が通っていたアリス・ディール中学校は、校舎内で核爆弾に対する避難訓練を行うには生徒数が多すぎました。

代わりに私たちは指示された時間に、私たちはすべて『秘密の』地下核シェルターに見立てた体育館に集合させられました。

校長先生はソビエト連邦が核攻撃を仕掛けてきても、この体育館が生徒全員の命を救ってくれるだろうと真剣そのものの表情で話しました。

でした。

担任の教師が私に怒りの目を向けていましたが、私は校長先生の話に思わず爆笑してしまったことを覚えています。

あの校長先生の話は冗談だったのでしょうか?

 

私たちが暮らしていたのはアメリカの首都ワシントンであり、ソ連が核兵器による攻撃を行う可能性のある政治的目標としてトップにあります。

宗である以上、私たちはソ連が核攻撃を仕掛けてくれば、地上に居れば瞬時に焼き殺され、地下に居て直接の被害を免れても、その後の放射線被ばくによって死ぬしかないという事が解り過ぎるほど解っていました。

私たち家族の中では核シェルターがよく冗談の種にされていました。

家族の誰もが、核戦争が始まってしまったら誰も生き残ることはできないと解っていました。

 

だからこそ私は1960年代初め、母親の友人であるヤモリンスキーという苗字を持つ家庭を訪問した時衝撃を受けたことを覚えています。

ヴァージニア州郊外にあるその家で、私たち子供は外で遊ぶように家から出されました。

私と兄はその家の後ろの森の中に、大きなドーム状の構造物があることに気がつき、新しく友だちになったヤモリンスキー家の兄弟に、

「あれは何?」

と尋ねました。

「ああ、あれは私たち家族のための地下退避豪よ。」

と答えが帰ってきました。

私は唖然としました。

ヤモリンスキー家の人びとはワシントンからほんの数マイルのところに住んでいましたが、彼らは自分たち家族のための地下退避豪を持っていたのです。

彼らは狂っていました。

 

私が知らなかったのは、この家の課長であるアダム・ヤモリンスキーは当時のロバート・マクナマラ国務長官の特別補佐官であり、同長官に格別に気に入られ、アメリカ中の家庭に地下退避豪を作らせるという政策を立案し、国内を混乱に落として入れていた人物だったという事でした。

 

《2》に続く

https://mondediplo.com/openpage/trump-s-nuclear-dreams

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この稿が教えてくれる大切なことは、今生きている私たちがトランプが世界をどちらに向け動かそうとしているのか、厳しい目で監視しなければならないという事ではないでしょうか?

日本の現政権は例によって北朝鮮の脅威を現実以上に強調し、トランプに追随して軍備をもっともっと拡大しなければならないと繰り返し宣伝しています。

それはとりもなおさず、世界が破滅と隣り合わせにいた冷戦時代へと逆行する論理であり、互いの危険が拡大し続ける選択でもあります。

 

わが国ではいつの間にか『専守防衛』という言葉が死語になりつつあります。

日本では大正デモクラシー国家がいつの間にか軍国主義国家に変貌し、ドイツでは当時世界で一番民主主義的と言われていたワイマール共和国がヒトラー率いるナチスの独裁国家に変わってしまい、すさまじい数の国民と周辺国の人びとを殺す時代がやってきた。

その歴史と今と何が違うのか、見つめ続ける必要があります。

 

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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