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国の原子力政策、そして東京電力に、真っ向から孤独な戦いを挑む!《前篇》

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所要時間 約 6分

【 政府の命令より、汚染されてしまった生き物たちの命を守れ 】
福島で起きたことの記録と記憶を消し去り、原発行政を事故発生以前の状態に戻したい、それが政府の本音

マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 1月11日

希望牧場01
福島第一原発の事故の不都合な真実について、日本政府はその存在を一切認めようとはしない、そう考えている吉沢正巳さんは、怒りを抑えかねています。
彼は、破壊された福島第一原発の周囲に広がる、汚染されてしまった挙句無住の地と化した場所にある自分の牧場に帰ってきました。

彼にはたった一人の隣人もいませんが、数百を数える仲間がいます。
吉沢さんがその命を守りきると誓った、そして日本政府が殺すことを命じた、捨てられてしまった数百頭の牛たちです。

新たに『希望の牧場』と名づけられた牧場の入り口には農政当局者の立ち入りを拒絶するため、大きなブルドーザーが物言わぬ番人として鎮座しています。
その脇には真っ白な牛の頭蓋骨がこちらを見つめ、抗議文が書かれた手書きの看板が所狭しと並んでいます。
中のひとつにはこう書かれています。
「希望の牛たちを生かして!」
そして牛の頭蓋骨には黄色いペンキでこう書かれています。
「原子力への反攻」

希望牧場03
牧場内はすでに牛たちであふれ、牛小屋に入りきれずに鳴き声をあげながら草も生えていない牧草地を行き来する牛もいれば、中には農家の陽だまりの暖かそうな庭を踏み荒らしている牛もいました。

「この場所にいる牛たちは、ここ福島での人間の愚劣な行いの生きた証拠なのです。」
吉沢さんは今年59歳、一見荒々しい、しかし雄弁な男性であり、事故発生以来一貫して日本政府の対応に抗議を続けてきました。

「ここで起きたことの記録と記憶を消し去り、日本を福島第一原発の事故発生以前の状態に戻すため、日本政府はここにいる牛たちをすべて殺処分してしまいたいのです。私はそんなことを許すつもりはありません。」

吉沢さんは感傷に浸っている訳ではありません。
災害以前、彼は牛を殺して食用にするために牧畜を営んでいました。

しかし食用にするために牛を殺すのと、飼われていた場所が汚染されてしまい、最早食用にすることはできないから殺してしまう事には、大きな違いがあると吉沢さんが語りました。

120915
吉沢さんは事故発生によりこの地を避難させられ、2年半以上もの間別の土地で生活することを強いられている83,000人の避難住民同様、事故によって吉沢さんや他の酪農家からすてられてしまった牛たちもまた、今回の事故の被害者であると信じています。

彼は自身の健康について心配しています。
牧場のそばにある自宅の放射線量は、日本政府が避難基準に定めた値の1.5倍を記録しています。

しかし吉沢さんがもっと心配していることがあります。
長く停滞していた日本経済に回復の兆しが見え始め、2020年にはオリンピックの東京開催が決まり、日本の人々の意識の中から福島第一原発の事故のことがどんどん薄れていくことです。
彼は自分の活動が政治的意味を持つ以上に、人道的意味を持っていることに触れました。
「もし政府が牛たちを殺すことを命令して来たら、私は牛たちの命を守ることで、日本政府のやり方に反対を貫く決心です。」

現在吉沢さんの『希望の牧場』にいるのは、かつては福島第一原発の周囲で繁栄を誇っていた牧畜業者によって捨てられてしまった牛たちです。

事故の後住民たちが避難し、世話をしていた人々もいなくなり、数週間のうちに大量の牛たちが餓死しました。
生き残った牛たちは食べるものを探すために牧場から逃げ出し、誰もいない通りや無人の家の中を徘徊しました。
そのため作業員を乗せて福島第一原発と宿舎の間を往復するバスや、物資を運び込むためのトラックの交通障害になり、危険な状態が続きました。

これらの動物たちは「歩く交通障害」と呼ばれ、農林水産省はこれらの動物たちをかり集め、まとめて殺処分するよう命じました。
彼らの死体は他の放射性廃棄物と一緒に焼却処分されるか、土の中に埋められるかしました。

希望牧場02
この措置を見て怒りを発した吉沢さんはすぐに自分の牧場に戻り、生き残っていた自分の牛たちにエサやりを再開したのでした。
最終的に吉沢さんは、生き残った牛たちに出来る限りの世話ができるよう、ずっと牧場で暮らす決心をしました。

彼の80エーカー(約32ヘクタール強)の牧場にいる約360頭の牛のうち、半数以上は一度彼が『捨ててしまった』牛たちです。
吉沢さんは危険を顧みず汚染のひどい場所で取り組みを続けていることについて政治的な意義を強調しますが、その言葉の端々に人としての感情が見えかくれします。

彼は捨てられた農場の中で、多数の餓死した牛の死がいを見つけた際の恐怖について語りました。
死んだ牛たちはエサを与えられるのを待つかのように、エサを入れる大きな樋の中に頭を並べていました。
納屋のひとつでは、生まれたばかりの子牛が餓死した母親の脇で、力なく鳴き声をあげていました。
彼はすぐさま『イチゴ』と彼が名づけた、その子牛を救い出す決心をしました。
その出来事が彼がこの地に戻って、生き残った牛たちの世話をする決心に導いたと語りました。

〈後編に続く〉

 

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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