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子どもたちの未来に基地はいらない!《後篇》

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所要時間 約 6分

太平洋戦争沖縄戦による外傷後ストレス障害に苦しむ人々に、米軍機の爆音が悪夢を甦らせる

沖縄にやってきた何十万人という米軍は地元の村落から土地を奪い、島全体に多数の軍事基地を建設した

 

リサ・トリオ / アルジャジーラ 2018年2月27日

辺野古のキャンプシュワブの前で基地建設反対のデモを行う沖縄の人々(写真)

 

普天間小学校の校庭にヘリコプターの窓枠が落下した事故以降、アメリカ軍は学校周辺での飛行を自粛すると誓いましたが、一週間もしないうちに学校上空をヘリコプターが飛行していることが確認されました。

アルジャジーラの取材に対し海兵隊第1航空団のクロネン氏はこの事件が発生して以降、部隊に所属する
「航空機の離着陸を最も安全な形で行うため、海兵隊普天間飛行場に極めて近い場所にある多くの学校やその他配慮が必要な施設について詳細な調査を実施し、現在飛行パターンの見直し作業を行っています。」
と語りました。
しかし地元のメディアによると、米軍は2月27日には早くも普天間第二小学校上空をヘリコプターが飛行したことを認めました。
同じ日、アメリカ軍は部品落下の事件について調査を開始したと述べました。

 

▽「戦争は決して終っていないと思った方が良い…」

 

最近起きた事件は、第二次世界大戦(太平洋戦争)終了後沖縄の島々で積み重なってきた歴史の一部分でしかありません。


沖縄は1879年に日本に統合され、第二次世界大戦中には日米間の最大の激戦地となり、約12万人の地元住民が命を失いました。
1945年第二次世界大戦が終了すると、米軍は何十万人もの兵員を沖縄に配置するため地元の村落から土地を奪い、島全体に多数の軍事基地を建設し、この結果沖縄はアメリカにとって軍事的要衝の一つとなったのです。

 

日本が第二次世界大戦(太平洋戦争)に敗北して以降、アメリカ軍基地の総面積は沖縄本島の約20%を占め続けています。

 

人口密度の高い宜野湾市内でかつては約1万人の住民が暮らしていた場所に、広大な普天間飛行場の敷地があります。

こんにち数多くの学校、病院、そして一般家屋が基地を取り囲むようにして建ち並んでいます。

「私たちの祖父母は、基地の周囲に家や学校を建てること以外の選択肢はありませんでした。」

自身空軍基地の近くで育った宮城恵理子さんがこう語りました。

 

「これらすべてのヘリコプターを見る限り、戦争が終わったとはとても思えません。」

アルジャジーラの取材に知念さんがこう語りました。

自分自身が基地の近くで育ち、そして今は自分たちの子どもたちを学校に通わせている人々が、

「何も変わっていない」と感じていると語りました。

2人の子供を保育園に通わせている大城義郎さんは、自分が大学生のときにCH-53Dヘリコプターが大学の建物の1つに墜落した経験を持っています。

「12月の事件について知った時、すぐに私は自分自身の経験を思い出しました。」

 

子ども時代に普天間第二小学校に通学し、現在は3歳の娘を保育園に通わせている与那城ちえみさんは、低空飛行を行っている軍用機の爆音を聞くのは当たり前のことになっていると語りました。

「軍用機の爆音のために教師が授業を中断するのは日常茶飯事でした。」

与那城さんがこう語りました。

 

▽ 子供たちは忘れない

 

沖縄県嘉手納基地では、22,000人以上の住民がこどもたちが通学している学校上空の夜間と早朝の軍用機の飛行禁止を求める訴訟を起こしました。

嘉手納基地は太平洋地区でアメリカ軍の最大規模の空軍基地です。

1982年に初めて法廷に訴状が提出されて以来、地元の住民たちは米軍機の騒音被害が生活に与える影響について話し合いを続けてきました。

那覇地方裁判所は、2017年2月、住民が嘉手納基地の騒音被害が原因の不眠症や聴覚障害への補償と米軍機の飛行禁止を求めた訴訟について、補償は認めましたが、アメリカ軍の施設における飛行を制限できないとの判決を下しました。

原告側の住民はこの判決を不服として、控訴する予定です。

 

原告の一人である平真一さんは嘉手納基地の外で毎週行なわれている抗議活動の企画と管理を担当しています。

第二次世界大戦(太平洋戦争)による外傷後ストレス障害に苦しんでいる住民の多くが、頭上を飛び交う米軍機の爆音によって当時の悪夢が再現する症状に苦しんでいると語りました。

平さんは最近起きた一連の事故によって同様の心理的障害が子供たちの中に残ることを心配しています。

自身の小学生時代、自宅の庭からB-52爆撃機がベトナムに向かって離陸していた光景を記憶としてしまいこんでいる平さんは、こう語りました。

「子供たちは忘れません。」

 

平さんが8歳だった1959年の夏、アメリカ軍のF-100ジェット戦闘機が沖縄中部の小学校に墜落し、11人の子供たちを含む17人が死亡しました。

「私たちのこうした記憶は、一生消えることはありません。」

 

〈 完 〉

https://www.aljazeera.com/news/2018/02/okinawans-demand-military-flights-schools-180222104205546.html

 

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ほんとうの「今」を知りたくて、ニューヨークタイムズ、アメリカCNN、NBC、ガーディアン、ドイツ国際放送などのニュースを1日一本選んで翻訳・掲載しています。 趣味はゴルフ、絵を描くこと、クラシック音楽、Jazz、Rock&Pops、司馬遼太郎と山本周五郎と歴史書など。 @idonochawanという名前でツィートしてます。
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